マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
身捨つるほどの祖国はありや
この歌の作者は、寺山修司。
寺山修司は
私の大好きな歌人のひとりだ。
彼は短歌界に大きな衝撃を与えた人。
18歳で第2回「短歌研究」新人賞を受賞。
俳壇と歌壇の両方に大きな反響を呼んだ。
ただし・・この歌をよむたびに、
「あのな、私、
高校の国語の授業で、この短歌の意味を聞かれてな、
貧しさの為にマッチ売りの少女に身をやつした・・・
様に見せかけている、ある国の女のスパイが、
持っているマッチを擦りながら、
スケベそうな相手国の重要人物に、
女の武器を使うべきかどうか、悩んでる・・・
って答えたら、先生にすごい馬鹿にされてん!!」
という、アホな友人の言葉が
思い出されるのは実に残念であるが。
・・・・・
しかし、寺山修司は歌人にとどまらず、
詩人、作詞家、小説家、劇団主宰者、
演出家、映画プロデューサー、競馬評論家等々・・・。
まさに時代の生んだ、マルチタレントだった。
日本の国が「いざなぎ景気」と名づけられた
高度経済成長期に入ろうとしていた頃、
彼の「書を捨てよ、町へ出よう」という
刺激的なタイトルのエッセイ集は、
新しい時代の気分を捉え、
当時の若者の間で大ベストセラーとなった。
後に自ら監督して同名の映画も作られた。
「書を捨てよ、町へ出よう」は
私にとっても、とても思い出深い一冊だ。
この本、全部で4章に分かれている。
すなはち、「書を捨てよ、町へ出よう」、
「きみもヤクザになれる」、
「ハイティーン詩集」、「不良少年入門」だ。
このやさぐれ感が、
当時の若者のハートをつかんだのだろう。
ここに、競馬や、長距離トラックや、
サッカーや、拳銃や、魔術系美術や、
何やらかんやらが入ってきて、さらに、
”くたばれ、ホームドラマ”とか、
”親と話し合って何になる”とか・・・。
んが、はちゃめちゃかと思いきや、
ぐっ・・と、くるような言葉が、そこここに、
まるで記号のように散りばめられていて、
「言葉の魔術師、寺山」・・・
ならでは、だと思う。
とにかく、
今でも元気がなくなってきたら、
開く一冊・・・なのです。
独特の青森弁で喋る寺山修司は、
この後も、劇団「天井桟敷」ブレークさせたり、
念願の馬主になったり、
「あしたのジョー」の、力石徹の葬儀委員長を務めたり、
写真家のアラーキの弟子になったり、
ノゾキで逮捕されたり・・・。
かなりアナーキーな人だったが、
47才の若さで敗血症に倒れ、亡くなっている。
どうも、私はこういう人に弱いらしい。
身捨つるほどの祖国はありや
この歌の作者は、寺山修司。
寺山修司は
私の大好きな歌人のひとりだ。
彼は短歌界に大きな衝撃を与えた人。
18歳で第2回「短歌研究」新人賞を受賞。
俳壇と歌壇の両方に大きな反響を呼んだ。
- 寺山 修司
- 寺山修司名言集―身捨つるほどの祖国はありや
ただし・・この歌をよむたびに、
「あのな、私、
高校の国語の授業で、この短歌の意味を聞かれてな、
貧しさの為にマッチ売りの少女に身をやつした・・・
様に見せかけている、ある国の女のスパイが、
持っているマッチを擦りながら、
スケベそうな相手国の重要人物に、
女の武器を使うべきかどうか、悩んでる・・・
って答えたら、先生にすごい馬鹿にされてん!!」
という、アホな友人の言葉が
思い出されるのは実に残念であるが。
・・・・・
しかし、寺山修司は歌人にとどまらず、
詩人、作詞家、小説家、劇団主宰者、
演出家、映画プロデューサー、競馬評論家等々・・・。
まさに時代の生んだ、マルチタレントだった。
日本の国が「いざなぎ景気」と名づけられた
高度経済成長期に入ろうとしていた頃、
彼の「書を捨てよ、町へ出よう」という
刺激的なタイトルのエッセイ集は、
新しい時代の気分を捉え、
当時の若者の間で大ベストセラーとなった。
後に自ら監督して同名の映画も作られた。
「書を捨てよ、町へ出よう」は
私にとっても、とても思い出深い一冊だ。
- 寺山 修司
- 書を捨てよ、町へ出よう
この本、全部で4章に分かれている。
すなはち、「書を捨てよ、町へ出よう」、
「きみもヤクザになれる」、
「ハイティーン詩集」、「不良少年入門」だ。
このやさぐれ感が、
当時の若者のハートをつかんだのだろう。
ここに、競馬や、長距離トラックや、
サッカーや、拳銃や、魔術系美術や、
何やらかんやらが入ってきて、さらに、
”くたばれ、ホームドラマ”とか、
”親と話し合って何になる”とか・・・。
んが、はちゃめちゃかと思いきや、
ぐっ・・と、くるような言葉が、そこここに、
まるで記号のように散りばめられていて、
「言葉の魔術師、寺山」・・・
ならでは、だと思う。
とにかく、
今でも元気がなくなってきたら、
開く一冊・・・なのです。
独特の青森弁で喋る寺山修司は、
この後も、劇団「天井桟敷」ブレークさせたり、
念願の馬主になったり、
「あしたのジョー」の、力石徹の葬儀委員長を務めたり、
写真家のアラーキの弟子になったり、
ノゾキで逮捕されたり・・・。
かなりアナーキーな人だったが、
47才の若さで敗血症に倒れ、亡くなっている。
どうも、私はこういう人に弱いらしい。