相澤義和さんの写真集、というかZINE。百万年書房から発売されてて、ネットとか文学フリマとかで買えるらしい。私は新宿で開催された相澤さんの個展で買いました!

相澤さんの写真って不思議だ。というのも写真の意味は、この誰もがスマホを持ってる&誰もがインスタをやってる現代社会に突入してから大いに変化したように思うのです。現代で写真を撮る・撮られる(そしてインスタに載せる・載せられる)とき、「自分をこのように見てくださいね。それ以外の感想は許しませんよ」っていう、印象のコントロールをいかに自分が掌握するか、という作為が見え隠れするように思う。ところが相澤さんの撮る写真に出てくる女の子たちは、いとも簡単にそのコントロールを放棄しているように見えるんです。そこには「自分をこのように見ろ」という押し付けではなく、「あなたはどういうふうに私を見るんですか?」という問いかけがある。

押し付けられるのって疲れるし、こちらの解釈の余地を残さないのは軽く暴力的ですらあるな、と思うんだけど、問いかけはまったく別の話。「おや?私は何を見せられたんだろう」っていう問いは、見る人の中に何かを残す。なぜ私はそのように見るのか、そして、そのように見たがる自分とは何なのか。ははあ、これが写真芸術ってものなのか、と素人ながら思う。

で、そんな相澤さんがですね、ふだんは女性を被写体として選ぶのに、男性を撮ったとあらば、拝見しないわけにはいきません!!

同じ人が同じように撮っても、被写体の性差っていうのがどうしようもなく出てしまうところはどこなのか。女性を撮ったものと比べると、このZINE、圧倒的にデカダンス。なんというか、相澤さんが女性を撮るとき、その前後が見えるというか、過去や未来という時間も当たり前のものとしていっしょに撮影されてる気がするんですよね。でも男性を撮るときは…この瞬間だけ、という感じ。すんごい刹那的。この関係は、どこにもたどり着かないんだろうな、というのが退廃的なムードにつながってるのかな。ということは女性が男性を撮ったらこうはならない気がする。…と思うのは私だけだろうか。

なんか、たとえて言うとですね、バイセクシュアルの人と付き合ってて、「将来は子どもがほしいんだよね」って言われたときみたいな、あらかじめ終わってるような関係の記録っていうか。この感じ、わかる人いるかな~(笑)。『一平』持ってる方、そう思って読み返すとこれ、かなり胸がヒリヒリしませんか?


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