先日ニート祭りでご一緒した、武田砂鉄さんの本。


タイトルからして、現代社会のモヤモヤするあれやこれやを言語化してくれてるんだろうな〜と期待して、ニヤニヤしながら読み始めて、「理解を定めるために言葉があるのではなくて、理解に至らせないために言葉が存在するのではないか」などなどのフレーズにガクガク頷き、でもだんだん居心地が悪くなってくる…。


それは、武田さんが書き始めたこのテーマが、どこに着地するのか毎回まったくわからないんである。このテーマについて、武田さんはどういうつもりなんだろう、けなしてんのかほめてんのか、賛同してんのか反対してんのか…。で、自分がいま目の前にしている文章が、どっちなのかと瞬時に判断して立場を決めなければいけない、というマインドセットにもう自分がなってる、ということに気づいて愕然。あんなに対岸のモヤモヤだと思ってたのに、自分もそっち側だったんだ…。


武田さんは、この本は各章「見切り発車」で、なにも考えずに書き始め、どこに着地するのか自分でもわからないそうで、というか着地すらしないこともある(!)んでビックリするんだけど、でも人間の思考ってほっといたらこんな感じなんじゃないかな、とも思う。白黒ハッキリしてなくて、話題はポンポン飛び移り…。


ヴァージニア・ウルフが「意識の流れ」という技法で小説を書いてるけど、あれを評論でやったらこうなるのかしら、と思った。


なかなか面白い読書体験でした。


 

 


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