地下広場から西口の坂を上ると、そこに待ち構えていたのは800人の機動隊だった。
フォーク集会の群衆が機動隊と衝突した時の状況は、次のようであった。
赤旗を先頭に駆け足デモ、地下広場からの車道を一気に駆け上がると駅前のバス・ターミナルへ。
ところが同日、新宿郵便局の全逓闘争で、同局に通じる駅前の道路には機動隊約800人がぎっしり。若者たちは広場いっぱいに立ちふさがって機動隊と対立。同8時過ぎ、一部機動隊が群衆の規制にはいったため、若者たちは一斉に機動隊に向かって石や空き瓶を投げ始めた。アスファルト広場で石が少ないためか、百鉢以上もある歩道の植え込みが次々と半分以上も引き抜かれる。
今度はガス弾の一斉射撃。広い西口広場全体が“怒声と涙の広場”になった。
このころには一般人を含め群衆は約1万人にふくれ上がったが、機動隊の攻撃にびっくり。逃げ惑い、つまづき、すわり込む。学生たちのデモも乱れて、ターミナル一帯は混乱状態となり、バス待ちの市民も巻き込まれ、小さな男の子を抱きしめた若い夫婦が立ち込める催涙ガスに涙をボロボロこぼしながら、逃げ場を捜して走り回っている姿などがあった。
(「読売新聞」6月29日)
8時半、地下広場に催涙ガスが匂ってきた。地上に駈け上ると、鈍いガス銃の音が聞こえる。副都心4号線の大通り交差点付近で、ジッとにらむ機動隊と「勝利の日まで」を歌う若者とが対峙していた。
しばし投石が続いたが、間もなく機動隊は背後にまわり、学生に向かって攻撃を開始した。学生らは一斉に逃げた。広場はバスを待つ者やヤジ馬などが大勢集まっていた。その中に、デモの学生が逃げ込んだ。機動隊はなおも群衆の中まで追いかけ、容赦なく警棒をふるう。
群衆が大きく揺れ動く、そして逃げ惑う。たちまち広場一帯は混乱の渦と化した。それでも「勝利の日まで」の歌声はやまない。そして「機動隊帰れ、帰れ」のシュプレヒコール。機動隊は地下広場や地上にいる群衆に向かってもところ構わずガス弾を撃ち込む。それは頭の上を音を出して飛ぶ。逃げ惑う人々の足元で爆発する。すさまじい光景である。(「明治大学新聞」7月3日)
「機動隊だぞ」
「ガス銃を撃ったぞォ」
津波のようなどよめきがひろがる。新宿公園のほうから、ジェラルミンの楯を鈍く光らせて機動隊が押し寄せてきた。
「帰れ帰れ」
「機動隊のバッカヤローッ」
罵声と怒号めがけて、紺色の制服を着た機動隊が、空気銃の銃身を切り取ったような催涙ガス銃をぶっぱなす。
西口広場にデモ隊と機動隊が入り乱れている。正確にいえば、機動隊にデモ隊と群衆が追われているのだ。
「催涙ガスははじめてだけど、こんなに眼が痛くなるとは思わなかった。とめどなく涙が出て来るんですね。ハンカチを眼に当てた瞬間はいくらかラクだけど、はなすと、すぐにツーンとしみて来ます。唇やあごのへんもピリピリして、しまいには喉の奥が痛くなるんです。あのガスは毒ガスなんですってネ」(K記者)
「足もとでパッパッと光るんです。逃げたいんだけどデモの中に巻き込まれてるんで逃げられない。オヤジがよく戦争に行った時の話をしていたけど、なんだかホントの戦争に行ったみたいで、こわかったなあ」(見物していたボーイの話)
(「服装」1969年9月号―歌声の外側で青春を探検するティーンたち)
大量の催涙ガス弾を撃ち込まれた地下広場は白煙に包まれ、その中をゲリラ達の歌う「ウイ・シャル・オーバーカム」と、怒りに満ちた「帰れ、帰れ」の叫び声が、ウォーンと響きわたる。
機動隊は、一旦広場を引き揚げたが、群衆は一向に減らない。あちこちで抗議の輪が広がり、「機動隊横暴」を叫ぶ。ほどなくして、その一部が暴徒化し、広場の一角にある交番を投石や角材で破壊し始めた。
興奮した学生たちは広場1階の淀橋署西口派出所に投石を始めた。巡査数人はあわててラセン階段をかけおりた。同9時、ガス部隊30人が一列に並んで地下広場にガス弾を撃ち込む。約百発。1階と地下の交番のガラスはメチャメチャに壊され、地下交番では警察電話がもぎとられた。
(「朝日新聞」6月29日)
交番がメチャメチャになるのを見ていた一人が「なんでこんなことをするんだ。やめろ」とつめよる。銀座から歌のつどいにやってきたというバーテン(20歳)が、興奮した群衆の前に手を広げた。
「こんなことをしたら、おれたちが悪者になってしまうんだ」――。
一瞬、静まった群衆の中から「そうだ。やめろ」という声が起こり、2、3人がバーテンに加わった。だが、すぐに「やれ、やれ」の声に押しつぶされ、さらに激しい破壊が続く。
(「読売新聞」同)
ゲリラは、この「交番襲撃事件」を、次のように描いている。
交番への投石があった。いつも見る私服のおじさんまでもが、その先頭に立っている。恐れていたことはついに起こったのだ。その私服はいつも歌のグループの中にいた。そして「デモへ行こう!」と呼びかける。ことによるとまず石を投げ出したのも彼かもしれない。ガスの煙でかすんでいる地下の広場で、私服はゲリラをなぐりつける。この日の西口地下は完全に恐怖の広場となった。
(前掲「フォーク・ゲリラとは何者か」)
ゲリラが言うように、交番襲撃は、私服(私服警官のこと)が仕掛けた罠、つまり権力の「謀略」の可能性もあったかもしれない。翌日の新聞を見ても、各紙とも大見出しで「交番メチャメチャ」と書きたて、破壊された新宿駅西口派出所の写真をセンセーショナルに掲載している。毎日新聞などは、「西口交番破壊で検挙されたべ平連フォークグループの少年はギターと鉄パイプを持っていた」とのデマ記事まで書いて、フォーク・ゲリラへの憎悪と恐怖を煽っている。5月以降、週を追うごとに盛り上がる一方だった反戦フォーク集会に誰もが納得する弾圧の口実を作り、さらには、彼らを一般市民から孤立させたいと考える「オトナたち」にとって、この破壊事件は格好の餌となったにちがいない。
この夜の逮捕者は64人。巻き添えで通行人2人がケガをしたほか、警官16人が重軽傷を負った。
翌日、警視庁公安部は、べ平連事務所を暴力行為、建造物侵入などの容疑で家宅捜索。これに対し、フォーク・ゲリラの代表は記者会見を行い、「機動隊が出てこなければ騒ぎにはならなかった。べ平連に対する捜索は、べ平連が暴力化したというイメージを植えつけるための政治的な弾圧である」との抗議声明を発表した。(つづく)