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早寝早起きの二月

     野菜、まだまだ高値です。

    カブは糠漬け、

                      葉っぱはとりあえず。

       

 

 

 

バスで世田谷通り、窓からの景色に思わずひとつ前のバス停で降りて、満開の紅白の梅に誘われて。紅梅には小さなメジロも誘われていました。(2/26)

 
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2月6日下北沢lownにて。

下北沢を歩くと迷子になります。ずっと昔はよく出かけた街でしたが、音楽から遠ざかり、それと同時にまったく足を運ばなくなった数十年がありました。その間にすっかり様子は変わりました。再び歌いだすようになり、いくつかのライブハウスに出かけるようになったり、友達のライブや芝居を観に行ったりするようになり、少しずつ親しみを感じるようになりましたが、それでもすぐに迷子になります。

lownへの道もこれまでに何回も迷子になりました。今夜もあぶなかったです。

さて生田敬太郎さんとのライブ、本来なら昨年の暮れの予定でしたが私がひどい風邪をひいてしまい中止、年をまたいで今日になりました。出会いから50年以上、友達というよりも時々会う仲の良い従兄みたいです。

lownのステージ横の壁に飾ってある大きな絵、晩年のヘルマン・ヘッセの顔が描かれています。

敬太郎さんの大好きな作家がヘッセです。私の10代のお終りころ、ヘッセを教えてもらったのも敬太郎さんでした。当時若者の間で彼の小説や詩は人気がありました。

 

「荒野の狼」「シッダールダ」「デミアン」今でもそのころのまま本棚にあるけれど、すっかり黄ばんで、昔の文庫本は文字も驚くほど小さくてびっくりします。

これらの作品を私たちが夢中になって読んでいたころ、ヘッセはすでに亡くなって久しかった。そして私はその後、ヘッセという人物にそれ以上近づくことなく年月が過ぎました。

 

再びその人の本を手に取ったのは、21世紀になってから、ちょうど私がふたたび歌をうたおうとしていたころに買った一冊「人は成熟するにつれて若くなる」でヘルマン・ヘッセに再会。タイトルに呼び寄せられるように買ったのですが、私はまだ40代の半ばで、本の中にいるヘッセは最晩年。書かれている詩も文章も山の向こうからこだまする遠い声のように感じて、きちんと読むことなく放っていた一冊。

そうそう、この本の中に書かれている詩の一つ「さらば世界夫人よ」は頭脳警察の「さようなら世界夫人よ」という曲に使われていることを知ったのも、実はつい最近のことです。

 

今夜のステージは、ヘッセの本を常に傍らに置いて暮している敬太郎さんのヘッセ礼賛で始まりました。

敬太郎さんは長年のお酒煙草をすっかりやめて6年ほど。

ギターも歌も深く艶やかです。

そして、私の唄うムーンリバーに素敵なハーモニカを吹いてくれました。

 

下北沢の新しい町並みは、ちょっとマゴツキながらもギターを背負って歩く私をふつうに受け入れてくれているようです。ヘッセは「人は成熟するにつれて若くなる」のページを私が丁寧にめくることができるくらいに成熟するのを、辛抱強く待っていてくれたような気がします。

ヘッセは下北沢に似合っていて、下北沢はヘッセをよく知っているみたいです。

昔から敬太郎さんの書く譜面が美しいのでここに載せておきます。

 

 

    私たち二人のステージ、次回は6月5日です。

 

          私の部屋の窓からの遅い夕暮れ

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2月9日所沢小手指のたらまガレージでは2022年2月9日に亡くなったやなぎ君への想いを抱えてうたう人たちのライブです。私はその人たちと一緒にこの日を過ごそうと出かけました。

駅を降りるとギターを背負ってタクシーを待つ佐藤GWANさん。お店の人が車で迎えに来てくれました。

 

高橋史朗さん。初めて聴きました。やなぎ君が大好きだったジョン・ハートフォードの歌を彼も大好きで、自分なりの言葉で唄っていました。でも二人がお互いの音楽の話をする機会は実際にはあまりなかったようです。今夜この場所にはやなぎ君もやってきているでしょうから、歌を聴きながら興奮しているかもしれません。

次の出番、生活バンドの五十嵐正史さんのつくる歌が好きです。ひさしぶりに聴いた「「姉妹の記」二人の娘たちは実家から独立したそうです。そして「低空飛行」という曲も好きになりました。調子の良い時も悪い時も悲しい時怒っているとき、倖せの時も歌です。最後は訃報の直後に作った「やなぎさん」。3年で立派な曲に育っていました。

最後の出番は辻井貴子さん。この3年間、ずっしりとした物語を纏って、振り向くことも立ち止まることもせず、一人進み続けたその人は、いくつもの美しい歌をうたってくれました。最後のうた以外は全てやなぎくんの作品でした。見事に磨かれた歌たち。貴子さんが頑張ってきたこの3年、なんだか30年くらいに感じてしまいます。そしてやなぎ君という星の輝きは何倍にも大きく強くなっていくようです。  

まんざらでもないんじゃない?ねえ、やなぎくん。今夜会いに行けて良かったよ。

 

  家の近くの八重桜の木の芽もすっかり膨らみ。。

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2月15日小田原へ。

誘ってくれる友達がいたから久しぶりにTくんのお見舞いにいきました。

5年前、交通事故でベッドの生活になってしまったTくん。

彼に会うたびに思うのは、倖せについてです。

 

お土産のプリンアラモードを美味しそうに食べる時の表情は、目の前の私たちを嬉しい気持ちにしてくれます。

それは倖せな時間です。

 

一緒に歌も唄いました。KASABUTAにTくんは良いリズムで

合いの手を入れてくれました。それは倖せな時間です。

 

車いすのTくんと友達の美帆ちゃんと三人で散歩にでかけて、コンビニにも入って、コーラと駄菓子をせがまれて、久しぶりのシャバの空気。それは倖せな時間です。

 

又ね、近いうちに来るね。君が倖せをおしえてくれる。

 

2月23日大森風に吹かれての店主である金谷厚くんのCDアルバム完成記念というので、行ってみました。

金谷厚と西海孝の連名のアルバム。もう何年も前から西海さんが作ろうと言っていたそうで、録音には私と丸山圭子もコーラスを手伝いました。

 

19年間毎日毎日店を開け続けてきた金谷君。

今夜は主役なのだけれど、ゲストたちのステージのマイクセッティングをいつもと変わらずに一人で粛々とやります。腰が痛い、骨を折った、指が変、体調は今一つと言いながら今年で19年間、ずっとレジ横のPA席とステージの往復をやり続けてきたのです。

今夜は、肝心の歌よりも、そんなことに胸がいっぱいになるひとときでした。

 

 

      夜の散歩で必ず見上げる場所。桜の大木と金星。

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2月24日南千住泪橋ホールにて。笛とサックス広瀬波子さん。ちょうど良い具合に埋まった客席には、京都から、青森からも、それから歌の好きな人たちが集まってくれました。山谷で生き続けてきたNさんも一杯やりながら聴いてくれました。

2月はステージが少なかったので、沢山唄ってしまいました。

アイルランドの旧い歌「シュリルウ」を初めて波子さんのティンホイッスルで唄うことができました。

それほど大きな声のでない私にちょうど良い響きで吹いてくれる。彼女とは年に数回のセッションですけれど、アンサンブルは毎回必ずよくなります。

ホールの女将の多田さんのつくる空気。多田さんの両親もこの地で長く食堂をしていました。今では地名から消えてしまった山谷、通称ヤマという街で沢山の人たちをみてきたひとのつくる場所です。

泪橋ホールで初めて歌った「クラウディオさんの手」。この町には、沢山の移民難民の人たちがいます。

私が初めてこの泪橋ホールで唄うきっかけをくれたのは、この地域でホームレスの人たちや、難民としてたどり着いた日本で様々な理由で処を追われている人たちの支援をしているグループで活動をしている内山さんです。内山さんは今年の初めに食道がんの手術をして、それでも週に何日かは拠点の泪橋ホールに通っています。その内山さんにも聴いてもらいたいと願っていたのです。

歌は人の居場所をつくってくれます。私も珍しくビールとワイン飲みました。

 

世界には難民という状態にいる人が1億2000万人以上いるという。紛争や迫害で故郷を追われた人たち。

そこにむらがり難民ビジネスをする者たちが同じように沢山いる。そして、難民自身が生きるためにブローカーに転じてしまうケースも多いという。人間が簡単にモノに変じてしまう。人間の心は簡単に変じてしまう。

「人間らしく生きること」がこんなに難しい時代。うたっていこう!会っていこう!静かに掘り下げていこう!話をしにいこう!話を聴きに行こう!歌は場所をつくってくれる。

 

2月は少しゆっくりしながら、手と腕を中心に身体の治療をしていました。正月に転んでしまったことが結構後を引いていました。春の気配と歩調を合わせるように、少しずつ元気が出てきて、ギターを手に取ることも嬉しくなってきました。ありがたいです。今年は2月から始まったような気分です。

 

速足ウォーキングもやる気になって、、自分へのプレゼントに、はじめてワイヤレスイヤホンを買いました。これがとっても楽しい時間です。速足にはアイリッシュダンスチューンが良いです。それから早寝早起きが身についてきました。旅が続けばそうも言ってはいられないけれど。

 

 

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おはようせかい!おはようわたし!

 

 

 

 

元旦

たまに、とても寒くて荒れた天気の年もあるけれど、関東は朝から穏やかな光に包まれた一年の始まりでした。

しずかに過ごす元旦です。

昼からは、溜めに溜め込んでしまったレシートでパンパンに膨らんだ昨年の家計簿帳を一日かけて整理しました。すっきり!そして新しい家計簿を注文。今年はこまめにやろうかな。

 

夕方が近づいて、パソコンで能登のニュース映像を沢山観ることに。

そのなかで見覚えのある人が出ていてびっくりしました。

昨年11月に石川の川崎さん家族の車で能登の各地へ連れて行ってもらったときに、白米(しらよね)町の千枚田で草刈りをしていた男性でした。

年齢は78歳で、昨年の地震で妻と長男を亡くされていたことを、今夜知りました。

昨年棚田で会った時、草刈り機を抱えたその人は、ほんとうに穏やかで身体は頑丈そうで、礼儀正しい佇まいで忘れられなかったのです。

インタビューで「助かった自分のやれることを」と、白米千枚田保存会で田んぼの修復をしているのでした。

今年の収穫を祈ります。

 

金沢の友だち久子さんからは、今日、発災時刻、黙とうを前に能登の先端の方向に向かって大きな虹が現れたと、写真が送られてきました。

それから、同じころ,珠洲では大粒の雨が、さっきまで晴れていたのに、涙みたいだと、教えてもらいました。

 

亡くなった人、残されて生き続けている人、遠くから祈る人。

天災は人間がコントロールできないけれど、今日は天に届いた沢山の祈りがあったのだ、涙のような雨粒と虹。

 

久さんから送られてきた虹の写真image

 

 

 

1月8日東中野じみへん にて。

数日前に家の中で足がもつれて転んでしまいました。腕をねじってしまい、痛みで気が遠くなって、これは骨を折ったのか?と思いましたが、おかげさまでねん挫で済みました。

ギターはなんとか弾けたのでよかった。

 

今年も元旦に小さな手帳に今年の目標やら、やりたいことやら、したくないことやら,箇条書きにしました。上位に書いたのが「転ばない!」だったので、ほんとうに気をつけなくてはなりません。

 

ライブの前に、渋谷のクラウディオさんのところで、エンパナーダを20個渡してもらい、じみへんに聴きに来てくれた人たちに味わってもらうことができました。皆さん、寄付に協力してくださってありがとう!

歌の中でバターとミルクと小麦粉をこねる~と唄っているのですが、最近は食材が高くなって困っているだろうな、美味しく作りたいだろうな。。こんどバターを差し入れに行こう。

 

1月11日奈良バンダメリリーにて。

鴨川コンバース10周年記念のライブに呼んでもらいました。

ゲストは辻井貴子と私。

貴子さんの車に乗せてもらうことが何度もありますが、関西へ行くのは初めて。新年早々に助手席から富士山を眺めながら、ありがたいことです。

10年と少し前、池谷りえさんとショウボウさんの二人が、唄う機会をつくってくれて、私は奈良にたびたび行けるようになったのだと思います。マウンテンダルシマーをりえさんが弾くようになって、その後、奈良にはダルシマー奏者が増えました。

今回は二人のかたちとバンド編成もあって、これからの変化も楽しみなステージでした。変わらないことと変わっていくこと、それを感じるのが楽しいです。

貴ちゃんと私とバンドと全員でやる曲もあり、盛りだくさんで忙しい感じが、記念ライブらしいです。

 

翌朝、貴ちゃんは単身大阪へ。

私は鴨川コンバースと一緒に、長田TACOの住む葛城市の住吉神社へ。境内は社守りのTACOが毎日きれいに掃除をしていて、清々しい。

「とんど焼までは正月や」と言われると急に時間が止まってしまったようで、身体がふわりと浮かんでしまったようで、皆で町の小さな喫茶店に繰り出し懐かしい味のミックランチをショウボウさんにごちそうになり、私は今年になって初めてお正月気分に浸りました。

昔から、TACOと一緒にギターを弾いたり、どこかに遊びに行ったりすると、とたんにのんびりとしてしまうことを思い出しました。故郷みたいな旧い友達。

 

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1月13日昭和記念公園花とみどり・いのちと心展へ。

友人の染色裂き織り作家ナカハタトモコさんの作品は、友達の家の遺品整理で出てきた沢山のシーツを柿渋で染色して繋いだものでした。大きな会場でなければ拡げられないもの。タイトルは「消え残る」 捨てられずに生まれ変わった布。濃淡の柿渋染めのシーツは身にまといたくなりました。

立川から今度は清澄白河へ。旧い知り合いの岩切エミさんの作品展へ。エミさんはセーターや捨てられない糸や、ハギレを使って身に着けるものをつくる人です。気の遠くなるような細かい作業。。古いカシミアセーターをほどいて作られたネックレスは大切なともだちのプレゼントに。

今日会いに行ったナカハタさんもエミさんも二人とも、再生する人でした。

 

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1月19日板橋ドリームズカフェにて。たくさんうたいました。

シューリ ルウ という歌をこのところ歌っています。ダルシマーで静かに。

昔々、ピーター:ポール&マリーのGone the Rainbowを聴いて、すぐに覚えてしまったのがコーラス部分。シューシューシューラールー、、、。優しい響き、意味はあるのかないのか。。そのうちあまり考えることもなくなったのですが、あるときに、元々は300年以上前アイルランドで生まれた歌がもとになっていることを知りました。

兵隊になるために海を越えて出かけてしまう恋人を思い、流す涙で水車が回るほど泣いて、、、でも自分も一緒に連れて行ってと願う悲しい歌。

その歌が、いつしか大西洋を渡りアメリカで、いくつもの戦時下で、少しずつ形を変え、言葉を変えたりしながらも、生き続けてきたことを知りました。

   

   それはいつも戦争と共に唄われてきました。

 

最近になって、PP&Mと長年親しくしてきた方に、ふとこの曲の話をすると、大学卒論にこの曲の研究をした人がいることを教えてくれました。少しして、その卒論のコピーをわけてもらうことになり、歴史背景も歌の変遷も知ることができました。深くて細い歌の道をさらに知る不思議なタイミングにちょっと興奮しました。

 

   人が生きる処へ、どこまでも旅をする歌。

 

 

ドリームズカフェでは、最後に賑やかに歌をうたいます。

杉本さん、中村さん、そしてお店の裕子さんありがとうございます。今回は、The Water is Wide ,それから、ヨイシラセを歌詞にコードを書いただけの紙をみて弾いてくれたベースの慎吾くんあっぱれでした。

そして、足を運んでくださる皆さん本当にありがとうございます。

 

1月23日新宿Pitt INにて、おおのえり古希の節目のライブへ行きました。

ピアノとベースとのトリオですが、2セットとも違うメンバーで。

一部はやや若手。そして二部は3人とも70歳代。

ベースの米木康志と板橋文夫のピアノで唄うWATARASEは最高峰!板橋さんの代表曲のWATARASE、一人の演奏でも絶対良いのでしょうが、JAZZの凄いところは、お互いを信頼して自分を極みまで挑戦して、しかも美しい調和があって、聴く者の気持ちを高いところに連れて行ってくれるという世界だから。。。帰り道も、そして眠って朝目覚めても、その高揚感は消えていません。

素晴らしい音楽をありがとう!そして、えりちゃんの歌詞に込めたメッセージも。

 

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1月25、26日東中野ミュージックストリートにて。

今年で8回目になった恒例の二日間のイベント。これまでで一番沢山の出演者だったそうです。

もちろん、全部を聴くことはできませんが、いざ駅を降りて各会場をまわるとあっという間に二日間は終わってしまいます。残念ながら聴けなかった人たちとも、すれ違いざまに「元気?」と声を掛け合うだけでも嬉しいものです。普段これだけの人たちと笑顔を交わすことなどないですから。

 

初日私はYESという少し大きな場所で、そして26日はホームのじみへんで、広瀬波子さんにサックスを吹いてもらって「ミュージックストリートにて」という曲でうたい終わりました。

この曲は2年前に、リクエストがあり夜なべをしてつくった歌なのですが、その後唄わずにいて、、そうだなあ、これからもう何回唄えるかわからないのだからなあ、、、と思い直して演りました。元々はジャクソン・ブラウンの「The Load Out~Stay」に日本語をのせてしまったものです。

原曲は、主役のステージが終わり、最後の客も消えた会場で一生懸命に働くローディーたちのことを唄っています。ミュージックストリートでは、唄う人たちがスタッフで働き、そして友だち同士を盛り上げ合ってつくり上げています。そのことを唄いたくて作った歌詞です。

みなさん、ほんとうにおつかれさま!無事故でよかった!ありがとう!

この歌はまた来年、唄おう!

じみへんのカウンターの中に居ながらにして、5か所114組を仕切るじみへんのみどりちゃん、おつかれさま!

 

日本海側ではまた雪が降っているようです。

こちら関東神奈川では風は冷たいけれど春先の日差し。

そして、野菜が少し安くなっています。嬉しい。

 

メキシコのオワハカから美しい刺繍のシャツが送られてきました。昔々、カリフォルニアのバークレーで、古着屋に行くと必ず見つけることができたメキシコの手刺繍の服。今では刺繡をする人も少なくなって、良いものは博物館行きだといいます。縁あって、やってきた黒とピンクの刺繍のシャツ。着てみれば50年前から変わらない気持ちが溢れてくるようです。今年はこのシャツと一緒に唄っていこう。

 

           立春まであと数日です。

最近はなるべく早寝早起きをしています。まあわたしなりにだけれど。

朝は「おはようせかい!おはようわたし!」と大きな声で。

 

新聞で日本被団協事務局次長の和田征子(まさこ)さんのメッセージを見つけました。和田さんは長崎で被爆した時は1歳10か月だったから、今年80歳を過ぎます。それでも平均年齢86歳の被団協の中では若手扱いらしいです。

「戦争は、人の心の中で始まります。戦争は、昔の話ではありません。戦争に備えるのではなく、心の中に『平和』への思いを備える努力を」

 

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くたびれたブーツ真新しいブーツ

 

 

         

 

 

12月1日大森風に吹かれてにて。

出演:生田敬太郎、中川五郎、シバ、野澤亨司、佐藤龍一&The Dragon、よしだよしこ

重厚なステージ。それぞれ30分ほどの持ち時間に半世紀分の音楽を歌をきっちり詰め込んでまだまだ余力は果てしなく拡がっていました。

楽屋は団子のようになって出番を待つ少年たち。

よしこちゃん、なんでハーモニカ吹き出したの?とシバさんから訊かれて、

ああそうか、もっとちゃん吹けるようにならないとね。

シバさんのハーモニカホルダーは50年以上前の当時のディランとおんなじモデル。

野澤さんはいそいそと爪を補修。いまでもピンポン玉を貼っている。

敬太郎さんはノンアルビールを何本もおかわり。

五郎さんとは久しぶりに近況情報交換。

佐藤龍一くんが風フェスをまとめてくれて感謝します。

風ふかの主もCDの録音も終え、最近元気になってきた様子が嬉しいです。

 

12月6日町屋ムーヴホールにて。

「ほしのいえ」の年に一度のクリスマスコンサートに。呼んでもらえたのは中川五郎さんからのつながりです。

 

1991年から始まった活動。簡単に紹介します。

山谷地域において、共に生きること、共に創り出すこと、互いに自己の自立と回復を図ること、山谷からの視点で社会的に不利な立場に置かれた人々の生活や人権を守るための連帯を大切にすることを目的とし、炊き出しや夜回り、居場所つくりとしての作業所活動を行っています。

 

中心者の方々に会うのはこの日初めてでしたが、会場には、知り合いの顔もちらほら。そして歌い終わると、この歌知っているよと、声をかけてくれる人があり、もう初めての場所という垣根はなくなりました。

来年は、もっと関わっていきたい人たちの集いでした。

 

12月7日前夜寝るのが遅くなって、ドアのノックの音で目が覚めました。辻井貴子さんが車で迎えに来てくれて長野清内路へ。

清内路村は2009年に阿智村に編入されて消滅した地名。

廃校となった中学校のホールで各地から集合した人たちとのコンサート。

外はみぞれが降り出していましたが、温かく充実した音楽で満ちました。

数日前に亡くなった音楽家の安達元彦さんを偲んでピアニスト鈴木たか子さんが普段弾いたことのないというエレクトリックピアノで安達さんの曲、初めて聴きました。

笠木透さんが亡くなって10年、笠木さんの想いを継承して歌作り、演奏活動をしてきた雑花塾の新旧メンバーの歌、そして、やはり今月急逝した仲間を偲んでの歌、、

地域に根差し、離合集散で歌を育ててきた草の根のひとたちと出会えたこと、親交を深めてこれたこと、心から感謝をします。

 

12月8日昼神温泉での忘年会明け、水分の多い雪景色に誘われて、貴子さんと朝市へ。朝食のために宿に戻ると靴下がビショビショに。ブーツの底がすっかりひび割れていました。もう5~6年以上旅に付き合ってくれた相棒。頑張りました。

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松本マイシャトーにて、貴子さんと二人のライブ。

この店はやなぎ君が足しげく通ったところ、気配を感じながら唄い始めると、ほかにもやはり先にこの世から旅立ってしまった人の気配もあり、気が向くままの選曲になりましたが、客席がこれまた格別な笑顔笑顔、そして美味しいご馳走の匂い。外は相当寒かったけれど、ああ胸はこんなに温かい。

貴子さんとの二日間の共演、デュエット益々楽しいです。

マイシャトーおけいさんの家庭料理、それからともちゃん姉妹のシフォンケーキ。

そして前日に続き農産物のお土産。

店の大きな音響用の機材は、コンパクトなデジタルコンソールになったけれど、おけいさんは、この機械の前に座っているのが一番落ち着くという。そしてライブを目の前で聴くことが何よりの薬だという。

貴ちゃんが、おけいさんにふわふわのストールをプレゼント。

 

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翌日は気の置けない女性だけの松本散策とランチ。

お世話になりました!

無性にプリンが食べたくなったのは,風邪の前兆だったかな。昔から。。。

 

貴ちゃん号で我が家の前まで。車のトランクぎっしりの、この三日間にいただいた野菜や果物、お菓子やいろいろ、二人で山分けです。

 

12月12日風邪をひきました。大声で唄ったときに喉が痛いなあと思っていたのですが、みるみる風邪の症状になり、下北沢lownのライブは中止させてもらいました。

予定していたステージを休むのは、本当に心が苦しい。

予約の人たちには店が連絡をしてくれて、それだけでもホットしました。共演の生田敬太郎氏とlownには近いうちの再演を約束。

声帯は何とか無事でしたが、気管支が赤く腫れて、声が思うようには出ません。久々に寝込む1週間。

いろいろなお見舞いをありがとう。恐縮。

 

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12月19日奈良バンダメリリーにて。

声はまだ戻らなかったけれど、体はずいぶん楽になって、今年最後の旅の始まり。

新しい場所に引っ越しをしたバンダメリリーはとても広くて立派なステージです。

いちもとみつるくんとそのBandとの共演。みつるくんは高石ともやさんの曲を見事に唄います。バンドメンバーも素晴らしいプレイヤーばかりで、聴きごたえあります。じゃんぼさんもマンドリンと一緒に遊びに来てくれました。

リハーサルが終わって,この日の仕切りをしてくれたみつる君のお父さんから、柿の葉寿司の差し入れ。私たちのリハーサルの終わるころ合い見計らって、少し温めてくれたという。

未だ、少し熱っぽい私には本当にありがたかったです。

皆で食べたら、一気に仲良くなって、本番のセッションはほんとうに楽しいものでした。

 

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12月20日翌朝、旧友が東大寺の戒壇堂へ案内してくれました。

奈良へ何度も何度も唄いに行っていても東大寺には行ったことがありません。たぶん中学の修学旅行以来。

戒壇堂は僧侶の授戒の場所で、そこには釈迦、多方の二仏像と,四方に大きな四天王像が配置されています。四天王はそれぞれ役目が違い、仏法を修行する者を守護する役目の仏。

大仏殿からは少し離れた場所にあるこの堂はひっそりと、鹿たちでさえ見かけない静寂の場所でした。

 

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岡山へ移動。夜は笠岡カフェ・ド萌にて。

寒い寒い夜でしたが、少しずつ客席が埋まり、20回目の萌のライブ。静かな空気のなかで、昨日奈良で思い出したように唄った「奈良少年刑務所詩集 空が青いから白をえらんだのです」のCDに録音した曲も唄うことができました。そして、リクエストもらっていたのに危うく忘れていた曲も、ちゃんと教えてくれる人があり、ちゃんとうたえました。長い曲も最後まで聴いてもらえて、この場所はしっかりと歌を包み込んでくれる力のあるところ。

 

12月21日岡山禁酒會館にて。

蛯名宇摩さんとの共演、タイトルは「ソングライン~伝承された歌への旅~」素敵です。

主催の尾崎ツトムさんから、タイトルのアイディアありますか?と訊かれて、すぐに思いついたのが「ソングライン」でした。

欧米人がソングラインと呼ぶのは、オーストラリア全土に迷路のように伸びる歌の道のことで、アボリジニにとっての先祖の道、先祖たちが放浪の途中で出会うあらゆるものに名前をつけ歌にうたい世界を彼らの土地を存在させていったという、その考え方だそうです。

でも私がこのソングラインという言葉に出会ったときに、思い浮かべたのは~すべての音楽は必ずつながっていて、その迷路のような網の目のようなつながりの中で、自分を表現し、出会いをつくり、足元を掘り起こし、また未来へつなげていく、その行為がソングラインそのもの、大いなる思いを抱きしめながら、自分の歌の道を歩いている~という、イメージを心に刻みました。

 

ともあれ、宇摩さんの三味線、尺八、三線、そして歌、力強い音に誘われ支えられるような二人のセッションが始まりました。どれもほとんど即興でしたが、お互いの歌の道を感じながら。

 

宇摩さんが三味線で弾き語った、「鉱夫の祈り」素晴らしかった。秋田草刈り歌では、彼女の育った奄美大島の夕暮れ時の畑が想像できました。そしてアイヌのウララスウエ、かつて宇摩さんは平取のアシリレラさんから、私は白糠のりょう子さんという女性から教えてもらいました。お互い少しずつイントネーションが違うのですが、輪唱をするとその違いが面白くなりました。

三味線で見事に弾いてくれた道ばたでおぼえた唄、その昔アイルランドの盲目の吟遊詩人キャロランのつくったメロディーですが、同じように旅をした瞽女さんや、ボサマたちの姿も思い浮かばれました。

She said NO!の尺八を吹いてもらいました。この歌に込めた決意と宇摩さんの思いが嵐のようです。写真は尾崎さんの投稿から。

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準備が必要な曲もありましたが、それすらも飛び越えたところに行けたような気がしたのは、温かく見守ってくれた禁酒會館の聴き手の皆さんと、主催者のおかげです。そして蛯名宇摩という豊かな人間力のアーティストと一緒にソングラインを描くことができたことに感謝をします。

 

それから、この日12月21日は笠木透さんの10回目の

命日ということも思い合わせてオザキユニットが唄った「メープルシロップ」は心の奥までしみ込んでくる演奏と歌声でした。ピート・シーガーという偉大なフォークシンガーに思いを馳せながら書かれた笠木さんの詩に尾崎ツトムさんが曲をつけたもの。またソングラインにちなんでということでうたった中国地方の子守歌。岡山地方ではかつて歌舞音曲禁止令なるものが何度も発令された歴史があるという話をされていて、興味をそそられました。

 

風邪の症状は日ごとにすっきりとしてきました。

冬至であったこと、夜になって思い出しました。

なんだか、身体も新しい何かが湧いてくるようです。

 

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12月28日泪橋ホールにて、真っ黒毛ぼっくす大忘年会にて。

今年の夏に脳梗塞で倒れた大槻ヒロノリさんの率いる真っ黒毛ぼっくすのメンバーたちが開いた大忘年会。

溢れんばかりの店の中、そこには、大槻さんが、ちょこんと座っていました。もうそれだけでよいなあと思っていたら、大槻さんは途中からマイクの前で唄いだしました。

一時は音楽活動は無理なのかな。。。と心配していたけれど、大槻さんは頑張ってリハビリを続け、歌を忘れずにいました。歌声はとてもしっかりとしていて、以前は酔っぱらってしまうと訳が分からなくなっていたけれど、歌詞がよーくわかるようになって、前よりいいんじゃないの?と皆はしきりに囁き合いました。まだまだリハビリは必要でしょうが、一番のリハビリは音楽。大槻ヒロノリさんには宝石のような名曲が溢れるほどあって、そして真っ黒毛ぼっくすという溢れるほどの愛のミュージシャンたちがいます。そして一緒に涙を流しながら歓ぶ仲間のような聴き手が溢れるほどいます。

一緒にこの場にいることが自分の倖せでした。

ありがとう真っ黒毛ぼっくす。

そして、今日、この場所にきっと一番居たかっただろうなあと思うK氏、夏の終わりに風のように旅立ってしまったけれど、

良い写真を広瀬波子さんからもらったので一緒に載せます。

 

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12月30日亀有kidboxにて。

昨年一昨年と、カレースープ、粕汁をつくって亀有までバスと電車で運びましたが、たどり着くだけですっかり疲れてしまい、唄えなくなりそうだったので、今年は汁物はやめました。

そのかわり、チリの料理人クラウディオさんのエンパナーダというミートパイを20個頼んで持っていきました。

クラウディオさんの部屋はとても狭くて台所はなく、小さなコンロとオーブンが置いてあるだけ。よくもここで沢山の料理を作るなあと感心します。今日もほかにも頼まれたといって沢山のエンパナーダをつくっていました。ギターとダルシマーを担いで今年最後のライブはエンパナーダも抱えて。

亀有まで聴きに来てくれた人たちと、ひざ詰めで唄います。

今年よくうたった曲、一度もうたわなかった曲、いろいろ沢山うたった後は、店主の用意したおでんで乾杯です。今年はおでんの種が豊富で、皆沢山食べました。エンパナーダはお土産に。

 

今年も、あちらでこちらで、歌と一緒に会えた皆さん、本当にありがとうございました。

 

何年振りか、多分6~7年ぶりに、ブーツを新調しました。

あんなに底がボロボロになっているなんて、今月長野に行くまで気がつかなかった。

一緒に歩いてくれて、ステージに立ってくれて、ありがとう!

そして新しくやってきてくれた君、来年からはどうぞよろしくね。一緒に唄おう、一緒に歩こう、一緒に会いに行こう!

 

     2024年12月31日 今宵は新月☆彡

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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