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声なき声

 

ひと月ほど前に頂いたロシア直輸入アリョンカビスケット
。もう売っていないかしら。。

 

 

5月8日大森風に吹かれてにて。

佐藤龍一くんからウクライナ難民支援のチャリティーライブをしたいと声をかけてくれて、気の置けない仲間が集まりました。いまのところ実質的な行動は寄付以外にはないことに歯がゆさはありますが、唄うことしかできない者たちが集まれば、それを支える人たちが集まれば、たった一人でテレビの前で怒り悲しむよりはましでしょう。。。雀の涙であったとしても。。。

そして集まってくださった方々と配信で投げ銭して下さった皆さんありがとうございました。

 

5月9日 山陽道のツアーが始まりました。青葉の季節に瀬戸内の町々に出かけることができること自体が幸福そのものです。ライブは明日からですが、お誘いがあり、一日早く出かけて笠岡のカフェド・萌での豊田勇造さんライブへ。この店では2回目のYUZO Liveです。

どうしても生で聴きたかった曲「改竄」に耳と心が釘づけになりました。

前回もここのライブを盛り上げていた白石島から船でやって来た人たちもいました。

勇造さんから呼び込みがあり私も1曲うたうことになってしまいましたが、はじめて触るYUZOギターにちょっと興奮してしまいました。私にはすこし長めのギターストラップでしたが、ギターが下にあるとなんとなくロックな気持ちになります。

帰りに白石島の人から島の海苔を貰いました。1曲分のご祝儀です。

今夜から尾崎ツトムさんの家にお世話になります。

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5月10日 岡山禁酒會館にて。

長野の飯田から中島裕志さん、かおりさんが来てくれました。私にとって久々のソロでのマンスリーライブでしたが、中島さんたちと一緒の曲もあり、盛り沢山でした。そのためかOZAKIユニットは短めのセットでしたが、馴染みの曲なのに勢いのある音がして、私は控室から急いで聴きに走りました。

中島さんのオートハープの音色が大好きです。初めて聴いたときにはこんな優しい弾き方があるのだと感動しました。おなじみの外国曲でも歌詞と唄う人が変われば違う風景が広がります。かおりさんは最初は弾かないかも。。。とのことでしたが、「道ばたでおぼえた唄」「トンネルの唄」にコンサーティーナで素敵なソロを弾いてくれました。

私は時間内にぎっしりと詰め込んだセット。一年分の想いです。OZAKIユニットのギタリスト黒瀬さんに「戦争の親玉たち」を弾いてもらいました。黒瀬さんはぶっつけ本番でも素晴らしいのですが、終わってから「まさかのAマイナーでびっくり」と言われてしまいました。戦争の親玉たちはずっとAマイナーの続く曲です。

ホテルに車を置いて来た中島夫妻が心置きなくお酒を飲んでいるのが嬉しかったです。2人は明日から四国の村上水軍の歴史を探訪する旅に出かけるそうです。

 

5月12日倉敷「クッキージャー」にて。

尾崎家に2泊しましたが、夜のお喋りで盛り上がり、昨夜は気がつくと午前2時すぎでした。

まだ二日しかたっていないのに。。。

倉敷の街で唄うのははじめてでした。旧い町並みは観光地として綺麗に整頓されています。クッキージャーも代替わりしながら長く続けている店でした。小上がりのステージと二階席が素敵です。お客さんは少ないと言われていましたが、静かな対話のようなライブでした。

また来年もと言われて、あと何回来れるかなと、遅い出会いには少しだけ切ないものを感じます。

初めてなのに足を運んでくださった方々ありがとうございます。

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5月11日牛窓「てれやカフェ」にて。

3年ぶりのてれやカフェです。あいにくの雨でしたが、縁側に座って雨でけぶっている海のあたりをぼんやり眺めるのも贅沢です。

てれやの小林くんにギターを弾いてもらいました。「戦争の親玉たち」のスライドギター、

それから彼の突然のリクエストで「Desperado」。曲を覚えていてもらって、その地の人と一緒にやれるのは旅の途中の大きなよろこびです。

始めに唄ってくれたmarcoさんが遠くからのお客さんも呼んでくれました。連日来てくれた人、一昨日も来てくれた人が友達と一緒に、三年ぶりを楽しみにしてくれた人、皆さん雨の中ありがとうございました。

 

5月13日ライブはお休みの日。昼近くまで眠りました。旅に出る前に願うことの一番はよく眠れますようにということ。次は風邪ひかないこと。ちゃんと食べること。今でも出かける前には毎回ノートに書いてしまいます。

昨夜は牛窓から戻る私と尾崎ツトムさんを待って尾崎清子さんが用意してくれたのは、鱧(ハモ)のフライでした。ライブから車に乗せてもらって戻り、ご馳走が待ち構えている日々です。ハモは魚に豊と書くように、私の日々もハモみたいです。

今夜はOZAKIユニットのパーッカッション渡辺さんキーボード大谷さんも交えて皆で手巻き寿司の晩御飯でした。

私は手巻き寿司というものを自分でしたことが無く、以前息子家族のところではじめて体験したのです。息子が私と暮らしていた時にはしてあげたことが無かったわけですから、息子夫婦や子供たちとワイワイいいながらも、ああここは新しい家族の場所なんだなあ。。。と実感しました。ですから手巻き寿司はちょっとほろ苦いのです。

今夜は早めの就寝です。

 

5月14日姫路労音「音楽の間」にて。

4回連続!という文字が躍る看板が出迎えてくれました。

毎回、揖保乃糸の素麺でのおもてなしから始まり、今回は出し物が豪華です。こまの会の琴演奏、男性有志の唄うイムジン川に琴の伴奏がよかった。オサムさん、尾崎さん、お二人とも横井久美子さんのレパートリーを唄います。そして「民族歌舞団花こま」の「人形谷茶前」は、文楽人形ほどの大きさの人形を操る人がキャスターの付いた低い椅子に座って人形を操る舞踊劇で、この歌舞団の新しい演目なのだそうです。明日が沖縄返還50年という節目で、新聞もテレビも一斉に特集をしているさなかに観る劇は美しい沖縄の海で漁をして魚を売る庶民の風景です。

私のステージには姫路のミュージシャンのなべちゃんこと渡辺敦史さんにドブロとギターを弾いてもらいました。リハーサルもそこそこでしたが幸運の女神様とANGEL、最後にForever youngも。

She said NO!の最後にWe Shall Over Comeを皆で唄いました。今日は唄える人たちがたくさんいるライブでした。

アンコールに姫路労音の太田垣さんからベレーのプレゼントがありビックリです。

 

5月16日長島愛生園「さざなみハウス」にて。

市場恵子さんが呼びかけ人となって海岸にあるカフェさざなみハウスでのライブが実現しました。

海を背にうたいます。

OZAKIユニットが「牛窓オリーブ園の丘にて」を唄いました。

私は長島愛生園でこの歌を聴くことができただけで胸がいっぱいになりました。

 

ここ長島愛生園は1930年、日本で一番最初につくられた国立のハンセン病療養施設です。

島へは虫明というところから邑久長島大橋を渡ります。橋ができたのは1988年。それまでは絶対隔離の孤島。自由を求めて自力で渡ろうと潮に流された人たちもあったといいます。

療養所という名前からは程遠い人権蹂躙の歴史の刻まれた島は、そう、その島自体は、穏やかな瀬戸の海に浮かぶ空気の清らかな行き交う人もまばらな静けさです。

 

4年前のちょうど今ごろ、のどかなお天気の午後、牛窓のてれやカフェのライブの前に尾崎ツトムさんに牛窓オリーブ園の丘に連れて行ってもらいました。そこからは遠く小豆島、そして眼下に長島が見えます。

そこで尾崎さんから、はじめて長島愛生園に行った時の話を聴かせてもらいました。

「偏見への挑戦」という本を知り深く憤った尾崎さんにまだ橋のかかっていない島へポンポン船で誘ってくれる人があり、実際に10代半ばでこの島に閉じ込められて生き抜いてきた人に会い、静かに語ってもらったという。

それからしばらくして尾崎さんは詩をつくり川崎正美さんの曲がつき「牛窓オリーブ園の丘にて」という曲が出来上っていました。

この歌はそのときの話の通りなのですが、最後にこう結ばれているのです。

「時が流れ今では橋が架かり誰もが車に乗って島をめぐることができる。しかし、その島に刻まれた過酷な人々の歴史は、立ち止まり、目を凝らし、耳を澄まさなければ解らないだろう。」

「小島がいくつも浮かぶ瀬戸の海が見渡せる牛窓オリーブ園の小高い丘に立って」

 

実は私はこの前年、市場恵子さんに一度この島に連れて来てもらったのですが、移動の途中のほんの合間のことで、尾崎さんの歌の通り、解ることにはほど遠いと思っていたのです。」

ですから、今日この島に再び身を置いて、こんどは島から海を窓越しに望みながら、この歌に心を傾けることで自身との対話をしているような気持ちになりました。

その後の自分のステージはなにかとても穏やかな気持ちで唄い続けました。途中で急に小さな子供時代のことを思い出して泣きたくなったりしました。面白いです。

 

さざなみハウスは鑓谷翔子さんという若い世代の女性が切り盛りしています。長島story projectというフリー冊子を読みました。平均年齢87歳の入所者の人達との日々で実感していること。「知れば知るほど知らないことに出くわす日々。」「共感、やるせなさ、想像力を欠いた自分への嫌悪。」

「長島から見える世界は日増しに豊かになり、もっと知りたい、そして未来に繋ぎたい。そんなことを考えながら。」

ささやかな打ち上げでいただいた翔子さんのつくった料理には長島で育てている彼女の心そのものがこもった味わいがありました。本当においしかった。

ハンドベルの演奏シャイニングベル三人の皆さん、

早朝に家を出て4時間5時間かけて来てくださった方々、大阪から古い友人のヒロが来ていたし、

津軽三味線の蛯名宇摩ちゃんは大きなバラの花束と小さな娘を抱いて、市場恵子さんが沢山の人に声をかけてくださいました。皆さんありがとうございます。

さざなみハウスを出ると大きな大きなまるい月。

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5月17日備前カフェ・ランバーにて。

昨夜は長島から橋を渡った虫明の民宿に数人で泊まりました。カメラマンのヒロも一人だけ男子でしたが、溶け込んでいました。

食堂のテーブルでお茶やビールで静かに話します。私が幼いころの話をしました。それから祖母が亡くなる夜の出来事を。そのことは普段は記憶の層のずっと下のほうにしまってあったのですが、なんだかこのテーブルで急に話していました。さざなみハウスで過ごした時間と丸い月のおかげでしょうか。

備前カフェランバーの小さなスペースには20人のひとたち。3年ぶり。この季節ならではの庭の薔薇を届けてくださる方あり、この場所でなければ会えない人たちも沢山。

今日がツアー最後のライブと思うと、ずっと唄っていたくなります。

終わってからのテーブルにはランバー峯子さんのご馳走とお刺身と、私以外は全員ノンアルビール。

私を含め全員女性でした。そうそう、ゆうきくんという小さな男の子。そのゆうきくんのお母さんのゆきこさんが医学療法士で、少し整体をしてくれました。自分でほぐすやり方も教えてくれて、その間ゆうきくんは峯子さんに本を読んでもらっていました。

 

峯子さんとは読み終わった本を交換しました。それからお互いの最近の本情報。

そしておなじみの小さい時の話特集です。

小さい時の話をすることは私には大きな癒しになります。もっともっと愛してもらいたかったのにそうしてもらえなかったと今も駄々をこねている自分を、今の自分がよしよし寂しかったんだね、怖かったんだね、と可愛がってあげている時間でしょう。

 

 

5月21日シルクロード~文化と友情の懸け橋キルギス編というコンサートに行きました。偶然抽選で当たったチケットがあったからです。

キルギス共和国がどこにあるのかもよくわかっていないような者にとって初めて知ることばかりでした。ウメトエバワ・カリマンという女性の弾くコムズという弦楽器も実際に聞いたのは初めてです。

中近東によくみられる弦楽器ですが、右手の所作がアクロバティックで面白いと思いました。三本の弦で真ん中が高い音というのも他にはあまりないのかもしれません。

彼女はこれはそんなに難しくはありません。。。と言っていましたが、確かにそんなに難しい楽器ではないのかもしれません。難しいのは継承をしていくということなのかもしれないです。それでも日本で愛好する人もいるのを知り、どんな地味な音楽にも細い道を受け継ぐ人がいるものだと思いました。

赤坂で行われたこのコンサートの前に、新宿で映画「ローレルキャニオン」を観ました。モダンフォークカルテットのメンバー ヘンリー・ディルツが撮影した写真が沢山登場しました。あれもこれも。一番有名なのはCSNクロスビースティルスナッシュのソファで座っているレコードジャケットかな。ウェストコーストの60年代を知るまとめのような映画でした。私は今も夢のカリフォルニアに心の旅をしに行くのです。日に何度も。

そしてママス&パパスの夢のカリフォルニアは真冬の酷い寒さのニューヨークで書かれた歌だったと

映画が教えてくれました。

 

5月26日東中野じみへんにて。

ここには自らも歌をつくり唄う人たちが多く集まります。今夜はまっくさんにワイゼンボーンを数曲弾いてもらいました。それから夕張の皆川さんの曲「夕張めろん」を夕張生まれのジャッキーさんと一緒に唄いました。皆川さんは今闘病しています。想いは歌に乗せます。

とても久しぶりに来てくれた人もあります。2日前にもこの店に来ましたが、同じ店でもそこに集まる人で表情は変わります。沢山唄いました。

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5月29日多摩センターwarpにて。

この季節にwarpで唄えるよろこびがあります。吹き抜けのホールに生の音が響きます。床は素焼きのタイル、二階からも下の演奏を覗き込んで聴くことができます。この場所だからと来てくれる人も沢山あります。

ダルシマーの音が素晴らしく響きます。そしてマイクを使わずに唄ってもまったく声が疲れません。

今日は山梨からの人、それに松本からコンサーティーナを持って遊びに来てくれた甕(もたい)綾子さんも。甕さんには最後に一曲「月の庭」を一緒に合わせてもらいました。今度はもっとたくさん弾いてもらいたいです。

warpをつくった小林美也子さんも蛇腹楽器が好きです。最近なんと中古販売店ハードオフで買ったという第一次世界大戦中につくられたアコーディオンをみせてもらいました。

戦争中に塹壕でも弾けるようにと小さいサイズにつくられたアコーディオン。カバーの細工もセルロイドのボディも見たことのないような色と模様。こういう楽器が戦場に行くために作られていたのか。。。と想像するのは難しい美しさです。

 

warpで残った人たちと美味しいお饅頭を食べ、帰りの小田急線の途中駅の街にある店で辻井貴子さんが6時間60曲をうたうライブをやっていることを数日前に聞いたので寄ることにしました。

亡くなった相方のやなぎくんが予定していた還暦記念のライブを引き継いだという事でした。

店に着いたときにはライブは半分終わっていましたが、見事に60曲とアンコールを唄いきるステージに居合わせることができました。やなぎくんのはなし、やぎたこのはなし、そして自身の曲、楽器は何種類も置いてありますが、小さなステージで繰りひろげているのはすべて彼女ひとりの身体から生まれる美しいつづれ織りです。色とりどりの糸はとても丁寧に紡がれていて、その糸たちが物語を織り込んでいきます。

良い歌たちの川があるとしたら、同じ流れの岸辺に共に居たいと、そんな川の景色を想いました。

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備前の峯子さんからもらった本「ザ・ディスプレイスト」難民作家18人の自分と家族の物語を読んでいます。編さんをしたのは南ベトナム難民だった作家、初めにこう書いています。

「物語を聞き本を読んだからと言って声を持たない人のなにかが変わるわけではない。~中略~

声なき者の声を聴いていると言っても実は作家個人の声を聴いているに過ぎない~中略~

声なき者の多くは実は絶えず語っている。聴こえるところまで近づけば、聴く力があれば、聴こえないものの存在に気付いていれば声は決して小さくはない~中略~本当に正しい世界は声なき者を代弁する声が必要亡くなった時だ」抜粋 ヴィエト・タン・ウェン

 

クロールの息継ぎはやっぱりもう一息です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひと月ほど前に頂いたロシア直輸入アリョンカビスケット
。もう売っていないかしら。。

 

 

5月8日大森風に吹かれてにて。

佐藤龍一くんからウクライナ難民支援のチャリティーライブをしたいと声をかけてくれて、気の置けない仲間が集まりました。いまのところ実質的な行動は寄付以外にはないことに歯がゆさはありますが、唄うことしかできない者たちが集まれば、それを支える人たちが集まれば、たった一人でテレビの前で怒り悲しむよりはましでしょう。。。雀の涙であったとしても。。。

そして集まってくださった方々と配信で投げ銭して下さった皆さんありがとうございました。

 

5月9日 山陽道のツアーが始まりました。青葉の季節に瀬戸内の町々に出かけることができること自体が幸福そのものです。ライブは明日からですが、お誘いがあり、一日早く出かけて笠岡のカフェド・萌での豊田勇造さんライブへ。この店では2回目のYUZO Liveです。

どうしても生で聴きたかった曲「改竄」に耳と心が釘づけになりました。

前回もここのライブを盛り上げていた白石島から船でやって来た人たちもいました。

勇造さんから呼び込みがあり私も1曲うたうことになってしまいましたが、はじめて触るYUZOギターにちょっと興奮してしまいました。私にはすこし長めのギターストラップでしたが、ギターが下にあるとなんとなくロックな気持ちになります。

帰りに白石島の人から島の海苔を貰いました。1曲分のご祝儀です。

今夜から尾崎ツトムさんの家にお世話になります。

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5月10日 岡山禁酒會館にて。

長野の飯田から中島裕志さん、かおりさんが来てくれました。私にとって久々のソロでのマンスリーライブでしたが、中島さんたちと一緒の曲もあり、盛り沢山でした。そのためかOZAKIユニットは短めのセットでしたが、馴染みの曲なのに勢いのある音がして、私は控室から急いで聴きに走りました。

中島さんのオートハープの音色が大好きです。初めて聴いたときにはこんな優しい弾き方があるのだと感動しました。おなじみの外国曲でも歌詞と唄う人が変われば違う風景が広がります。かおりさんは最初は弾かないかも。。。とのことでしたが、「道ばたでおぼえた唄」「トンネルの唄」にコンサーティーナで素敵なソロを弾いてくれました。

私は時間内にぎっしりと詰め込んだセット。一年分の想いです。OZAKIユニットのギタリスト黒瀬さんに「戦争の親玉たち」を弾いてもらいました。黒瀬さんはぶっつけ本番でも素晴らしいのですが、終わってから「まさかのAマイナーでびっくり」と言われてしまいました。戦争の親玉たちはずっとAマイナーの続く曲です。

ホテルに車を置いて来た中島夫妻が心置きなくお酒を飲んでいるのが嬉しかったです。2人は明日から四国の村上水軍の歴史を探訪する旅に出かけるそうです。

 

5月12日倉敷「クッキージャー」にて。

尾崎家に2泊しましたが、夜のお喋りで盛り上がり、昨夜は気がつくと午前2時すぎでした。

まだ二日しかたっていないのに。。。

倉敷の街で唄うのははじめてでした。旧い町並みは観光地として綺麗に整頓されています。クッキージャーも代替わりしながら長く続けている店でした。小上がりのステージと二階席が素敵です。お客さんは少ないと言われていましたが、静かな対話のようなライブでした。

また来年もと言われて、あと何回来れるかなと、遅い出会いには少しだけ切ないものを感じます。

初めてなのに足を運んでくださった方々ありがとうございます。

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5月11日牛窓「てれやカフェ」にて。

3年ぶりのてれやカフェです。あいにくの雨でしたが、縁側に座って雨でけぶっている海のあたりをぼんやり眺めるのも贅沢です。

てれやの小林くんにギターを弾いてもらいました。「戦争の親玉たち」のスライドギター、

それから彼の突然のリクエストで「Desperado」。曲を覚えていてもらって、その地の人と一緒にやれるのは旅の途中の大きなよろこびです。

始めに唄ってくれたmarcoさんが遠くからのお客さんも呼んでくれました。連日来てくれた人、一昨日も来てくれた人が友達と一緒に、三年ぶりを楽しみにしてくれた人、皆さん雨の中ありがとうございました。

 

5月13日ライブはお休みの日。昼近くまで眠りました。旅に出る前に願うことの一番はよく眠れますようにということ。次は風邪ひかないこと。ちゃんと食べること。今でも出かける前には毎回ノートに書いてしまいます。

昨夜は牛窓から戻る私と尾崎ツトムさんを待って尾崎清子さんが用意してくれたのは、鱧(ハモ)のフライでした。ライブから車に乗せてもらって戻り、ご馳走が待ち構えている日々です。ハモは魚に豊と書くように、私の日々もハモみたいです。

今夜はOZAKIユニットのパーッカッション渡辺さんキーボード大谷さんも交えて皆で手巻き寿司の晩御飯でした。

私は手巻き寿司というものを自分でしたことが無く、以前息子家族のところではじめて体験したのです。息子が私と暮らしていた時にはしてあげたことが無かったわけですから、息子夫婦や子供たちとワイワイいいながらも、ああここは新しい家族の場所なんだなあ。。。と実感しました。ですから手巻き寿司はちょっとほろ苦いのです。

今夜は早めの就寝です。

 

5月14日姫路労音「音楽の間」にて。

4回連続!という文字が躍る看板が出迎えてくれました。

毎回、揖保乃糸の素麺でのおもてなしから始まり、今回は出し物が豪華です。こまの会の琴演奏、男性有志の唄うイムジン川に琴の伴奏がよかった。オサムさん、尾崎さん、お二人とも横井久美子さんのレパートリーを唄います。そして「民族歌舞団花こま」の「人形谷茶前」は、文楽人形ほどの大きさの人形を操る人がキャスターの付いた低い椅子に座って人形を操る舞踊劇で、この歌舞団の新しい演目なのだそうです。明日が沖縄返還50年という節目で、新聞もテレビも一斉に特集をしているさなかに観る劇は美しい沖縄の海で漁をして魚を売る庶民の風景です。

私のステージには姫路のミュージシャンのなべちゃんこと渡辺敦史さんにドブロとギターを弾いてもらいました。リハーサルもそこそこでしたが幸運の女神様とANGEL、最後にForever youngも。

She said NO!の最後にWe Shall Over Comeを皆で唄いました。今日は唄える人たちがたくさんいるライブでした。

アンコールに姫路労音の太田垣さんからベレーのプレゼントがありビックリです。

 

5月16日長島愛生園「さざなみハウス」にて。

市場恵子さんが呼びかけ人となって海岸にあるカフェさざなみハウスでのライブが実現しました。

海を背にうたいます。

OZAKIユニットが「牛窓オリーブ園の丘にて」を唄いました。

私は長島愛生園でこの歌を聴くことができただけで胸がいっぱいになりそれ以外はどうでもよいような気持ちにすらなりました。

ここ長島愛生園は1930年、日本で一番最初につくられた国立のハンセン病療養施設です。

島へは虫明というところから邑久長島大橋を渡ります。橋ができたのは1988年。それまでは絶対隔離の孤島。自由を求めて自力で渡ろうと潮に流された人たちもあったといいます。

療養所という名前からは程遠い人権蹂躙の歴史の刻まれた島は、そう、その島自体は、穏やかな瀬戸の海に浮かぶ空気の清らかな行き交う人もまばらな静けさです。

 

4年前のちょうど今ごろ、のどかなお天気の午後、牛窓のてれやカフェのライブの前に尾崎ツトムさんに牛窓オリーブ園の丘に連れて行ってもらいました。そこからは遠く小豆島、そして眼下に長島が見えます。

そこで尾崎さんから、はじめて長島愛生園に行った時の話を聴かせてもらいました。

「偏見への挑戦」という本を知り深く憤った尾崎さんにまだ橋のかかっていない島へポンポン船で誘ってくれる人があり、実際に10代半ばでこの島に閉じ込められて生き抜いてきた人に会い、静かに語ってもらったという。

それからしばらくして尾崎さんは詩をつくり川崎正美さんの曲がつき「牛窓オリーブ園の丘にて」という曲が出来上っていました。

この歌はそのときの話の通りなのですが、最後にこう結ばれているのです。

「時が流れ今では橋が架かり誰もが車に乗って島をめぐることができる。しかし、その島に刻まれた過酷な人々の歴史は、立ち止まり、目を凝らし、耳を澄まさなければ解らないだろう。」

「小島がいくつも浮かぶ瀬戸の海が見渡せる牛窓オリーブ園の小高い丘に立って」

 

実は私はこの前年、市場恵子さんに一度この島に連れて来てもらったのですが、移動の途中のほんの合間のことで、尾崎さんの歌の通り、解ることにはほど遠いと思っていたのです。」

ですから、今日この島に再び身を置いて、こんどは島から海を窓越しに望みながら、この歌に心を傾けることで自身との対話をしているような気持ちになりました。

その後の自分のステージはなにかとても穏やかな気持ちで唄い続けました。途中で急に小さな子供時代のことを思い出して泣きたくなったりしました。面白いです。

さざなみハウスは鑓谷翔子さんという若い世代の女性が切り盛りしています。長島story projectというフリー冊子を読みました。平均年齢87歳の入所者の人達との日々で実感していること。「知れば知るほど知らないことに出くわす日々。」「共感、やるせなさ、想像力を欠いた自分への嫌悪。」

「長島から見える世界は日増しに豊かになり、もっと知りたい、そして未来に繋ぎたい。そんなことを考えながら。」

ささやかな打ち上げでいただいた翔子さんのつくった料理には長島で育てている彼女の心そのものがこもった味わいがありました。本当においしかった。

ハンドベルの演奏シャイニングベル三人の皆さん、

早朝に家を出て4時間5時間かけて来てくださった方々、大阪から古い友人のヒロが来ていたし、

津軽三味線の蛯名宇摩ちゃんは大きなバラの花束と小さな娘を抱いて、市場恵子さんが沢山の人に声をかけてくださいました。皆さんありがとうございます。

さざなみハウスを出ると大きな大きなまるい月。

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5月17日備前カフェ・ランバーにて。

昨夜は長島から橋を渡った虫明の民宿に数人で泊まりました。カメラマンのヒロも一人だけ男子でしたが、溶け込んでいました。

食堂のテーブルでお茶やビールで静かに話します。私が幼いころの話をしました。それから祖母が亡くなる夜の出来事を。そのことは普段は記憶の層のずっと下のほうにしまってあったのですが、なんだかこのテーブルで急に話していました。さざなみハウスで過ごした時間と丸い月のおかげでしょうか。

備前カフェランバーの小さなスペースには20人のひとたち。3年ぶり。この季節ならではの庭の薔薇を届けてくださる方あり、この場所でなければ会えない人たちも沢山。

今日がツアー最後のライブと思うと、ずっと唄っていたくなります。

終わってからのテーブルにはランバー峯子さんのご馳走とお刺身と、私以外は全員ノンアルビール。

私を含め全員女性でした。そうそう、ゆうきくんという小さな男の子。そのゆうきくんのお母さんのゆきこさんが医学療法士で、少し整体をしてくれました。自分でほぐすやり方も教えてくれて、その間ゆうきくんは峯子さんに本を読んでもらっていました。

 

峯子さんとは読み終わった本を交換しました。それからお互いの最近の本情報。

そしておなじみの小さい時の話特集です。

小さい時の話をすることは私には大きな癒しになります。もっともっと愛してもらいたかったのにそうしてもらえなかったと今も駄々をこねている自分を、今の自分がよしよし寂しかったんだね、怖かったんだね、と可愛がってあげている時間でしょう。

 

 

5月21日シルクロード~文化と友情の懸け橋キルギス編というコンサートに行きました。偶然抽選で当たったチケットがあったからです。

キルギス共和国がどこにあるのかもよくわかっていないような者にとって初めて知ることばかりでした。ウメトエバワ・カリマンという女性の弾くコムズという弦楽器も実際に聞いたのは初めてです。

中近東によくみられる弦楽器ですが、右手の所作がアクロバティックで面白いと思いました。三本の弦で真ん中が高い音というのも他にはあまりないのかもしれません。

彼女はこれはそんなに難しくはありません。。。と言っていましたが、確かにそんなに難しい楽器ではないのかもしれません。難しいのは継承をしていくということなのかもしれないです。それでも日本で愛好する人もいるのを知り、どんな地味な音楽にも細い道を受け継ぐ人がいるものだと思いました。

赤坂で行われたこのコンサートの前に、新宿で映画「ローレルキャニオン」を観ました。モダンフォークカルテットのメンバー ヘンリー・ディルツが撮影した写真が沢山登場しました。あれもこれも。一番有名なのはCSNクロスビースティルスナッシュのソファで座っているレコードジャケットかな。ウェストコーストの60年代を知るまとめのような映画でした。私は今も夢のカリフォルニアに心の旅をしに行くのです。日に何度も。

そしてママス&パパスの夢のカリフォルニアは真冬の酷い寒さのニューヨークで書かれた歌だったと

映画が教えてくれました。

 

5月26日東中野じみへんにて。

ここには自らも歌をつくり唄う人たちが多く集まります。今夜はまっくさんにワイゼンボーンを数曲弾いてもらいました。それから夕張の皆川さんの曲「夕張めろん」を夕張生まれのジャッキーさんと一緒に唄いました。皆川さんは今闘病しています。想いは歌に乗せます。

とても久しぶりに来てくれた人もあります。2日前にもこの店に来ましたが、同じ店でもそこに集まる人で表情は変わります。沢山唄いました。

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5月29日多摩センターwarpにて。

この季節にwarpで唄えるよろこびがあります。吹き抜けのホールに生の音が響きます。床は素焼きのタイル、二階からも下の演奏を覗き込んで聴くことができます。この場所だからと来てくれる人も沢山あります。

ダルシマーの音が素晴らしく響きます。そしてマイクを使わずに唄ってもまったく声が疲れません。

今日は山梨からの人、それに松本からコンサーティーナを持って遊びに来てくれた甕(もたい)綾子さんも。甕さんには最後に一曲「月の庭」を一緒に合わせてもらいました。今度はもっとたくさん弾いてもらいたいです。

warpをつくった小林美也子さんも蛇腹楽器が好きです。最近なんと中古販売店ハードオフで買ったという第一次世界大戦中につくられたアコーディオンをみせてもらいました。

戦争中に塹壕でも弾けるようにと小さいサイズにつくられたアコーディオン。カバーの細工もセルロイドのボディも見たことのないような色と模様。こういう楽器が戦場に行くために作られていたのか。。。と想像するのは難しい美しさです。

 

warpで残った人たちと美味しいお饅頭を食べ、帰りの小田急線の途中駅の街にある店で辻井貴子さんが6時間60曲をうたうライブをやっていることを数日前に聞いたので寄ることにしました。

亡くなった相方のやなぎくんが予定していた還暦記念のライブを引き継いだという事でした。

店に着いたときにはライブは半分終わっていましたが、見事に60曲とアンコールを唄いきるステージに居合わせることができました。やなぎくんのはなし、やぎたこのはなし、そして自身の曲、楽器は何種類も置いてありますが、そこで繰り広げられるのはすべて彼女ひとりの身体から生まれる美しいつづれ織りです。色とりどりの糸はとても丁寧に紡がれていて、その糸たちが物語を織り込んでいきます。

良い歌たちの川があるとしたら、同じ流れの岸辺に共に居たいと、そんな川の景色を想いました。

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備前の峯子さんからもらった本「ザ・ディスプレイスト」難民作家18人の自分と家族の物語を読んでいます。編さんをしたのは南ベトナム難民だった作家、初めにこう書いています。

「物語を聞き本を読んだからと言って声を持たない人のなにかが変わるわけではない。~中略~

声なき者の声を聴いていると言っても実は作家個人の声を聴いているに過ぎない~中略~

声なき者の多くは実は絶えず語っている。聴こえるところまで近づけば、聴く力があれば、聴こえないものの存在に気付いていれば声は決して小さくはない~中略~本当に正しい世界は声なき者を代弁する声が必要亡くなった時だ」抜粋 ヴィエト・タン・ウェン

 

クロールの息継ぎはやっぱりもう一息です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

緑とそよ風が対話する季節

 

       

 

4月1日野毛ボーダーラインにて。

パギやんに声をかけてもらいました。年に1~2度パギやんが東京にいる時、私が大阪に行くというタイミングでこうして誘ってもらいます。

ボーダーラインは野毛山への坂の途中にあります。ガラス戸から上り下りの人たちを背にして唄います。リハーサルが終わって外を眺めていると、下りの人はちらっと中をのぞくこともありますが、上りの人は前を向いて少し前かがみに歩いていく人が多いかな。

パギやんと一緒に唄うレパートリーは少なく、なぜか彼からのリクエストで佐藤公彦ケメの「地下鉄」を唄うことが多いのです。浪花の巨人という異名もあるパギやん、実はケメのファンだったのだそうです。今夜も私の唄う地下鉄にハーモニカを吹きながら嬉しそうでした。

遠く富山から来てくれた人からの鱒の寿司の差し入れを終わってから残った者たちで美味しくつまみながらワインを数杯。

帰り道、話に夢中になりながら歩いていたらひと駅遠廻りしてしまいましたが、パギやんと京浜東北線に並んで座っているととても遠いところに旅に来たような気がしました。

 

4月2日板橋ドリームズカフェにて。

生田敬太郎さんと一緒です。

私のコーナーではこの店にゆかりのあるやなぎ君をしのぶ歌をうたい、最後は敬太郎さんのギターで長い朗読をしました。贅沢です。

セッション曲も前回から変化があります。here comes the sun、cheek to cheek、bye bye blackbird。。。。それから敬太郎さんがとても懐かしい曲を素敵なギターアレンジで唄い嬉しかった。「花園から」という曲。

最後は敬太郎さん、杉本邦彦さんのマンドリンと3人のforever young。

足を運んでくださった皆さんありがとうございました。

向かいの米屋さんが美味しそうなお弁当を売っているのを以前から気になっていました。今日は思い切って780円のシャケ弁当を買い、食べきれずに持ち帰った残りでワインを一杯やっています。

 

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4月3日大森の風に吹かれてでやっている「フォーク三兄弟」というライブに出かけました。

井上ともやす、小山敏博、Okajima Nobuakiの三人で繰り広げます。テーマは女性言葉で唄われる曲ということでした。

三人の合作「平成に捧げる歌」は大作でした。20年後くらいにまたこのメンバーでこの歌を聴いてみたら面白いかもしれません。

オーナーの金谷君は病み上がりのわりには元気な顔色でした。金谷君曰く、最近フォーク三兄弟が変に上手くなってきてつまらない。。。ということでした。

 

4月5日百合丘の駅に近いマンションの地下にある店に辻井貴子さんを聴きに行きました。

ソロで唄う彼女を聴くのは久しぶりです。そして今夜は新しい翼を拡げてはじまりの日でした。たくさんの人たちがこの日の彼女を応援に集まっていました。

今夜のステージは過去という伝説と現在の宝物と未来の希望の物語を纏ってきらきら輝いていました。それは今夜しか見ることはできない貴重なはじまりの光です。

私はやっと今夜自分の涙もあじわうことができました。

 

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4月9日家中の窓を開けて朝ご飯を食べながらすっかり出かけたくなって、代沢で昼から始まっている真っ黒毛ぼっくすのライブにちょっと遅れて行きました。大所帯のステージです。大槻ヒロノリさんは、彼を愛するミュージシャンたちに支えられて今日はお酒を飲まずに唄っているのだという。

春先につくったアルバム素晴らしき世界の記念ということでしたが、私はフルバンドのステージをちゃんと客席で観るのは初めてだと気がつきました。自分のことのように楽しみました。

 

4月14日春日はるなさんと夏のライブの打ち合わせをしました。ギターのユタさん、パーカッションのともちゃんの二人とは初対面です。

どんなライブにしたいのかはるなさんから説明してもらいながら、今後連絡をしあうためにLINEのグループを作ろうということになりました。はるなさんも私もスマフォの操作がよくわからず、、、打ち合わせの半分以上はファイルの送信の仕方などを教えてもらうことに費やされました。

8月10日にスターパインズカフェでやるのだ!ということだけは決定です。

 

4月18日赤城のながめ余興場にて。

松島よしおさん、花岡かよ子さんの音楽活動50周年のコンサートに参加しました。

松島さんのふるさとはこの余興場からほど近い赤城の黒保根というところです。東京から移住されたとき一度遊びに行ったことがありますが、広い敷地に鳥小屋や、畑があり、花岡さんがドクダミの花やいろいろ野草を摘んでベトナム風のサラダをつくってくれました。

今日はその時と同じように前日までの寒い雨が上がって良い天気。そして余興場には300人ほどの人が集まりました。

地域の人以外にも遠くから、私の知っている顔ぶれも何人もありました。

足尾銅山の銅を運ぶあかがね街道の宿場町として、また、生糸の集散地として古くから人々の行き交う場所だったというこの地域に余興場ができたのは1937年だそうです。

調べると1937昭和12年7月盧溝橋事件、12月には日本軍の南京総攻撃、日中戦争が始まった年です。

足尾銅山も軍需工場としてたくさんの労働者が朝鮮半島からも徴用されてきたということです。そのころには銅脈はほぼ枯れていたそうですが。

そのような時代につくられた余興場。入り口には「警官席」と書かれた風呂屋の番台のように一段高い場所があります。

治安維持法のもと、既にこのころには最高刑は死刑にまで引き上げられていたはずです。人がたくさん集まる場所には常に警官や特攻警察の監視があったのですね。

明治からの近代化と富国強兵政策を支えた鉱山労働者、紡績工場労働者たち、束の間の余暇に芝居や映画を楽しんだ場所。10数年前にも一度来たことがありますが、今日は少しゆっくりとした気持ちで楽屋や地下の廊下などを何度も行ったり来たりしました。着替えをした役者が急いで走って階段を降りまた上がり花道に出て行ったのだろう。。。有名無名どれだけの役者たちの汗が飛び散っているのだろう。。。

今日の幕開けはこの立派な花道をギターを持つ松島さん、オートハープを抱える花岡さんを先頭に唄われたホッチョセ節。岐阜の中津川に伝わっているこの歌の歌詞「三度見返す恵那の山」を松島さんは「三度見返す赤城山」とうたいました。

私の出番は最後でした。松島さんの曲「遥かなる記憶のささやき」を唄いました。花岡さんのアレンジはオーボエ、バイオリン、デジタルホーンなどのとても美しいアンサンブルで、昔よく聞いたジュディ・コリンズの曲のような格調高いものでしたから、舞台の上でとても気持ちよく大歌手になったような気分でした。

総勢20人以上の演者は中国ベトナム韓国日本。松島さん花岡さんの人生を彩る大切な出会いが花咲きました。

楽屋ではベトナムのグエンさんたちとお弁当を食べながら話をしたり、、彼女も留学生として日本に来て25年がたっているそうです。

内容のぎっしり詰まったパンフレットが配られました。

最後に収められた松島さんと花岡さんのメッセージを本番前に読みました。

特に花岡さんの一文には、子供たちの犠牲のうえにここまでやってこれたこと母親としての「ごめんなさい」という言葉があり、涙が溢れて仕方ありませんでした。

ピアノ、バンジョー、オートハープから始まりベトナムの琴や、琵琶、ハンマーダルシマー、たくさんの楽器を弾きこなし、大量のアンサンブルスコアを書き、そして美味しい料理をテーブル一杯に並べる憧れの花岡さんは口数少なく常に動いている人です。言葉の少ない人の文章の終わりには一緒に歌をうたってくれた長女と家族をつくって皆でやってきた次女への「ありがとう」で結ばれていました。

 

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4月27日亀有kidboxにて。

店主の鷲見君の誕生日ということで行きしなにワインを1本買いました。

早々に予定のお客さんが集まり定員7名に達したので開演時間前に唄い始めました。

ここではあまり話をせずにどんどん唄うことが多いのです。

そのかわり、今日は2003年につくった初めてのCDのあいさつ文を読みました。

今朝、ふと読んで涙が止まらなくなってしまったからです。

このところ、涙がよく出てきます。

休憩を入れずに1時間半唄ってそのあとは持ち寄られた美味しいものを回しながらゆっくり過ごします。

今日は最近作った歌を2曲。ひとつは「卵焼き」という歌で。詩は都留に住んでいる高部久理子さんの最近の詩です。出来立ての詩に出来立てのメロディでまだ湯気が上がっている卵焼きを届けることができました。もう一曲は「ピース」という曲です。ジグゾーパズルのピースです。

本番後にリクエストを数曲。そうしたら投げ銭が回ってきました。初めてのことで嬉しかったです。皆さん一緒に過ごしてくださってありがとうございました。

 

◉NHK世界のドキュメンタリー「スタンリー・キューブリックが語るキューブリック」を観ました。

”メロドラマがつくりだす幻想を終始推し進めるかそれとも自分の人生観を作品に反映させるか。。。

メロドラマは登場人物たちに様々な困難を与えることによって世界は善意に満ちたフェアな場所だと観客に示す。不運や試練の出来事すべてはこのためにあると。

一方、悲劇や現実に近い形で人生を描写した作品では観客はむなしさを感じるかもしれない、だが、世界のありのままを伝えない定石通りの手法は単なる娯楽映画でない限りあまり価値はないだろう。”

途中まで読んでいた岸恵子自伝。映画「ゾルゲよあなたは誰?」が日本版になった時にラストをメロドラマ仕立てにしてしまった映画会社へ失望するという箇所がありました。

 

◉友人から無料配信を教えてもらって

「ドキュメンタリー私はワタシ~over the rainbow」をみました。東ちづる監督。

 

今月は夜寝る前に本を読むことが多かったです。

◉クロニクル B・DYLAN

◉人間をみつめて 神谷美恵子

◉岸恵子自伝   岸恵子

◉ソ連兵に差し出された娘たち 平井美帆(途中)

◉大丈夫あなたは必ず治る  於保哲外

ディランの本の中の登場人物で聴きなおすCDがたくさんありました。

そしてロバート‣ジョンスンのコンプリートアルバムを中古で買いました。聴いてもいないのに知っているつもりの代表格です。

 

クロールの息継ぎはもう一息。

 

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冬は必ず。。。

 

 

 

 

 

3月4日京都GNOMEにて。

GNOMEでノームと読むのでした。調べるとギリシャ語源とか。。そうなんだ。。

ノームは小さな妖精ということしか知らなかった。。。とんがり帽子でキノコのかげなんかに隠れている、絵本に出てくる。。

アイリッシュパブなのでフードメニューにはシェパードパイとかフィッシュアンドチップス。出番前はお酒飲まないのでカレーを食べました。

いとうたかお&よしだよしこを佐々木さんが企画してくれて居心地の良いステージにマイクは1本。

事前に打ち合わせをしておいた曲は6曲。

ジャンケン負けたので私は後半。。ジャンケンで勝つことがないのです。緊張してどうしても最初にグー出してしまうのです。

ペケの歌をゆっくり聴きました。ゆっくりと何回も聴きたい歌ばかりです。また聴きたい。3歳も年上ですから人前ではいとうたかおさん、もしくはペケさんと言いますが面と向かってはペケと呼んでしまいます。

二人一緒の最後の曲はやなぎ君の名曲。旅という生活…の3番の歌詞が生まれた時の話をずっとずっと昔に教えてもらったことがあります。ある小さなライブ会場でそこに連れられてきたよその子供が親に向かって言うのが聴こえたのだったとか。。『美味しい水が飲みたいと子供が言う。家へ帰ろうと子供が言う。そんな当たり前のことを俺もあんたも、どうして手に入れられないんだろう?』その部分にくると泣いてしまう。

2週間ほど前に彼はこのステージに立つ予定だったそうです。客席にも所縁のある人たちが何人も。。いました。

かたずけをしてワインを一杯だけ。そしてペケの車に乗せてもらって神戸まで。

 

3月5日まっちゃんライブ300回記念。

まっちゃんと私は誕生日が同じです。そして三月生まればかり出演する日となりました。

大塚まさじ、金森幸介、いとうたかお、春野由利、そして私。

三月生まれではないけれど秋本節とじゃんぼ奥谷。

お祭り気分の一日にどっぷりといたので自分の誕生日を忘れてしまいそうでした。

300回も続けてきたものは風格があります。

陰で支えるまっちゃんの仲間たちも変わらずに元気でした。

2004年7月以来、20回以上出してもらいました。まっちゃん達にはどんな時も辛抱強く見守ってもらい心から感謝をしています。

二晩眞城家にてお世話になりました。次男のだいきと本の話。今なに読んでるの?すると私にお薦めといって、ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩の本と、ルシア・ベルリンの掃除婦のための手引きを渡してくれました。掃除婦のための手引きは、kindleで以前に買って読んでいたことを帰りの電車で読み始めて気が付きました。でもこの紙の本には訳者の岸本佐知子のサインがありました。眞城一家とももうすぐ20年のお付き合いです。いろんなことがありましたが、佳奈さんは働きながら大学院卒業。二人の息子たちはそれぞれの道。

私はこの家の茶の間で炬燵に入って皆の話を聴きながらおばあちゃんみたいです。

 

3月6日西成集い処はなにて。

7年前だそうです。そしてその時と同じ難波屋たけこと林岳男と戸張岳陽の二人と一緒です。

たけちゃんにはオリジナル曲がたくさん生まれていました。

地図にない町釜ヶ崎をうたった歌。。。よかった。

東京の山谷も地図上は南千住という名前です。

戸張君のアコーディオンで「平和に生きる権利」をうたいました。また一緒にやりましょう。

はなの小さな部屋は不思議なくらい声が響きました。最近少しずつですが響いているなあと感じる声が出るときがあります。

はなの店の前の自販機で80円の水を買おうと、水のボトルの絵のボタンを押したら良くわからない飲み物が出てきました。そういうことは時々あるようです。。。この町では。。

東京から、京都から、そしてご近所から、皆さんありがとうございました。

塚本の駅前で典子さんと目当てのお好み屋に行きましたが満員と時間切れにて残念。。。定食屋で静かに晩御飯。

まだ10時前ですが、今日はもう少ししたら寝ます。

 

 

3月12日ETV特集 『揺れながら 迷いながら~民俗研究家・結城登美雄が見た三陸~』を観ました。東北を中心に全国の農山漁村を訪ね歩き、地域にあるものを生かした地域再生への提言を続けてきた、仙台在住の民俗研究家・結城登美雄さんが、震災11年目の三陸の浜を歩き、海に生きる人々の心を見つめて。。。

海は祈りの場所。。。

 

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春のミカンをたくさんいただきました。

 

3月13日大森風に吹かれてにて。

店主の金谷君が入院してしまうというタイミングで、飛楽人と一緒のライブでした。

飛楽人はナターシャセブンのレパートリーを沢山演奏します。私はナターシャセブンが活躍していた1980年代まったく音楽から遠い生活をしていたので高石ともやさんたちが素敵なことをしているんだなあという以上の関心を持とうとしませんでした。そのころの私は、人が素敵なことをしているということをあまり知りたくなかったのです。

この20年ほど全国を旅していく中で、ナターシャセブンに影響を受けて音楽を始めた人たちにたくさん出会いました。

私がはじめて日本語で唄うフォークソングに出会ったのは高石ともやさんのレコードからでした。お小遣いで買ったTOMOYA TAKAISHI Folksongs vol.3には今まで私が聴いたことのない曲が詰まっていて、魅力的なメロディーに乗せられた新鮮な言葉の洪水に圧倒されたのです。中学2年の冬。

特にマルビナ・レイノルズの「小さな箱」、フレッド・ヘラーマンの「お捨てメリンダ」、バリー・マクガイア「明日なき世界」、ピート・シーガー「一人の手」、ディランの「労務者とはいえ」。。。ボブ・ディランとバリー・マクガイアはすでにラジオや雑誌でちょっとは触れていたけれど、高石さんの日本語の外国曲は深遠な音楽の森への入り口を私に示してくれたのです。

そんなことを飛楽人のステージを観ながら考えていました。

まばらな客席でしたけれど、それぞれにゆったりと聴いてもらっている雰囲気が嬉しかったです。皆さんありがとうございます。

終わってからは皆で高石さんの話もしました。

 

翌日、病院の金谷君からまあまあ元気そうな声で電話がありました。来週には退院とのこと。

 

3月16日東中野じみへんにて。

先月24日は瀬戸口修さんとこの店うたいました。その日にロシアのウクライナ侵攻が実際に始まったのでした。

それから3週間経ち、戦禍は拡がるばかりです。

ひさしぶりの一人で唄うじみへんでした。

そしてかけがえのない時間を皆でわけ合う夜となりました。

集まってくれた良い人たちに交じって辻井貴子さんも静かに聴いていてくれました。やなぎくんの急逝でやぎたことしての活動が止まってしまってからも毎日思い浮かべないことはなかった彼女のこと。先月よりもずいぶん穏やかな表情です。

どうしようかな。。。とずっと考えながら唄った2時間。。。

最後の最後アンコールに呼び込んで「おやすみ愛おしい人」を一緒に唄ってくれました。彼女の笑顔は眩しくて、声は高いところで響き、私は嬉しくって歌詞を一行飛ばしてしまいました。

どうか、ゆっくりと深呼吸をして、陽のあたる道を歩き始めてください。あなたが唄っているときも唄わないときもずっと応援しています。

今夜一緒に時間を過ごした人たちも皆嬉しかったと思います。この部屋は春の匂いです。どんな厳しい冬も必ず春となっていくことを貴ちゃんの姿がおしえてくれています。

皆さん今夜もありがとう!

こうして今夜のことを書く前に、大きな地震がありました。

11年前のことがよみがえってしまうような長い長い揺れでした。

この部屋はひとたまりもないから。。なかなか収まりそうもない揺れだったのでしばらく外に出て様子をみました。家の前の電線が縄跳びの縄のようにブランブランしていてほんとうに怖かった。

さっきまで温かな部屋でライブをして皆で過ごしていたことが一瞬にして吹き飛んでしまう。。。それが私たちの生きている現実です。

 

3月20日曙橋コタンにて。

時代は変わるのです。コタンは代替わりをしました。

新しい店主は共同経営ということで、その一人がなんと中牟田ワクト君、中牟田俊男さんの息子です。

海援隊の中で私が今でも時々電話をして近況報告するのが中牟田俊男さんです。でも息子のワクト君がこうして今リハーサルの音つくりをしてくれているなんて、時代は変わるのですね。

いなのとひら・のとこばの稲ちゃんに呼んでもらうこの「とっておきの夜シリーズ」一緒に唄えたら良いと昨日から歌詞をつくり続けたディランの「Masters of War」を最後に。

さすがの三人です、まだまだふわふわとした私の歌詞も支えてもらいました。

コタンへ出かける直前まで歌詞を考えていました。

ふと、「戦争の親玉」というタイトルは誰がつけたのだろうと疑問が湧きました。Masters of Warですから支配者とか主君とか、、しかし親玉という響きがピッタリだな、、、高石ともやさんなのだろうか、、でもその前にディランのレコードの歌詞を訳した人がいたはずだ。私はレコードを持っていないので、詳しい人に聴くのが一番と岡山の尾崎ツトムさんに電話をしたら、すぐに調べてくださいました。最初に訳したのは片桐ユズルさんということでした。

いなのとひら・のとこばの「みんなの唄」今度こそコーラス部分の手話をきちんとしようと思って挑戦しましたが、今度はソロ部分の歌詞を間違えてばっかり!でした。

 

3月21日新小岩の應無寺にて。

「反戦ライブ in 應無寺」というタイトルでチャリティーコンサートです。

林みちおさんが呼びかけ人となりたくさんの歌うたいが参加をしました。そしてコンサートには来られない遠くの人たちからも寄付がたくさん集まりました。

義援金とコンサート入場料やTシャツなどの売上金は国境なき医師団へ寄付されます。

小さな集まりでしたが13組素晴らしいステージが繰り広げられました。時を忘れて丸一日を應無寺の賽銭箱の前の座布団の上で過ごしました。胸が熱くなったり、演奏に魅了されたり、笑い転げたり、、、皆一人一人解き放たれたようなステージでした。

チャリティーイベントは呼びかける人のエネルギーと呼びかけられた人のエネルギーとそしてそれを支える人たちのエネルギーが奏でるものだから。。。。

歌で何ができるのか?それはやってみなければわからないのです。いつだって。

そして歌っている間は、歌を分かち合っている間はそこに仲違いは傷つけ合いはないのです。絶対に。

参加させてもらって良かったです。

 

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3月24日名古屋はな咲にて。

はな咲のサキさんは着物に割烹着でお店に出ます。昼間は畑仕事です。

とってもとっても昔。。。私も着物で仕事に行くことがありましたが、それはそれは大騒ぎでした。自分では帯が締められなかったのでコートを羽織って美容院で着つけてもらわなければならなかった。。

着慣れた人にとっては洋服より楽だともいいます。サキさんの着付けもとってもゆったりで、とっても似合っています。

以前に洋服姿で現れたことがありますがサキさんだと気が付きませんでした。

リハーサルが終わりいつものように大きなおにぎりをひとつ作ってもらって、はじまり。

サキさんが頼んでくれたそうで、光永一仁さんがサンシンを持ってきてくれました。

光永さんとは19年前に出会いました。佐渡山豊さんが連れて行ってくれた沖縄の金武町。オーシャンビューの小さなホテルの支配人をしていた光永さんとパートナーの希望世さん。ちょうど今頃の季節、カヤックで海の散歩に連れて行ってくれて、春の金武湾の水面にたくさんの虹の輪っかが出来て大喜びをしました。希望世さんには繁華街まで連れて行ってもらってはじめての金武発祥のタコライスを食べました。沖縄の旅の入り口をこうして作ってもらったのでした。

その後名古屋近辺に引っ越していたことだけは知っていもずっと会うことはなく、こうしてサキさんがつないでくれて、、今夜は光永さんに唄ってもらいました。

童神。。良い歌です。そして光永さんは今も変わらず魂をみがきつづけているんだなあ、、、と、瞳がキラキラと語りかけてきます。

客席では素敵な人たちが楽しんでくれました。

ソコハカトナクシアワセが湧き上がってきました。

みなさん、ありがとう!

皆が帰った後のはな咲で、明子さん?だったか、、若いのに中島みゆきをしみじみうたうのを、残った人たちとしみじみと聴きました。

 

3月25日京都へ行く前に、犬山でふうのお昼ご飯を食べました。小川さんと話すことは、この世を去った人たちのこと、病気の人のこと、そしてこれからのこと。。。

佐々木さんと待ち合わせて拾得でAZUMIライブ。

AZUMIさんをフルステージ聴くのは初めてでした。ずっと聴きたかったステージは本当に上等なものでした。

2時間半堪能して。

帰りがけに挨拶をして。。。

AZUMI「吉田さんですねぇ。。髪切りはったんですねえ。。」

ワタシ「はい。。。今日は良かったです、ありがとう。」

そして。。初対面の人見知りはこんなときしょうもないことを口走るものです。

ワタシ「あの、顔の色つやがいいですね。」

AZUMI「。。。。。。」

楽しい休日でした。

 

3月26日修学院アコシャンにて。

温かな雨の一日です。

オジョーことあらかわひろこと一緒にアコシャンでやるのは初めてです。これまでオジョーは看板やフライヤーを描いてくれて、ライブ中はヨーコママのヘルプをしてくれていました。

今夜オジョーはやなぎ君の曲を沢山唄いました。小さな良い歌ばかりです。歌い継ぐ人がいなければ忘れられてしまいそうな宝もの。最後に二人で唄うこともできました。

三月生まれが3人いたので終わってから、シャンパンが2本空けられました。なんでだろう、シャンパンのコルクがポンと鳴るとこんなに盛り上がる。

ごちそうさまでした。

客席にはやなぎ君の古くからの足跡を知る人がいて、小さな声で話し込みました。

隣の大黒湯に入って帰ってきてもまだ数人の人が残っていて、いつもの風呂上がりのアコシャン。一晩だけ此処の町の人になります。温かな雨はまだ少し降っています。

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3月27日大阪 新樂山にて。

宇治に仕事があったという川邊ヒロがアコシャンまで迎えに来てくれました。

雨上がりの晴天、アコシャンの店の前で写真を撮ってもらえました。

新樂山は初めての店ですが、居心地の良い処。壁にはそこに似合った人たちのフライヤーが貼ってありました。

よこへ君が数年この時期に呼んでくれます。誕生日のともちゃんのお祝いも兼ねているのですが、今回は長田TACOも一緒です。

よこへ君は息子のような年齢ですが、こうやって声をかけてくれることが嬉しいです。

結局お客さんも私やTACOに近い年齢の人が多いので、授業参観みたいな気もします。

驚いたことに、マウンテンダルシマーが飾ってありました。

女将のなおみさんが、シンディー・ローパーの曲を唄うために買ったのだという。今までそういう動機でダルシマーを弾く人に会ったことがなかったです。

本番で一曲貸してもらいました。

美味しいものがたくさん出てくるから終わってもみんなゆっくりとしました。

朝からご褒美みたいな一日だったなあ。。と思いながら、みんなの笑顔をみていました。

昨夜の雨で一呼吸置いた桜がいっせいに開きました。

 

3月30日渋谷の伝承ホールへ

きたやまおさむレクチャー&ミュージック「青木まり子 きたやまおさむの<愛と人生>の歌をうたう」を観に行きました。

ホールできたやまおさむさんの話を聴くのは初めてでした。

戦争の話から始まりました。どんどん話は変化をして、愛の話になっていくのですが、、戦争の根っこにある嫉妬についてとか、、

曖昧なこと、なんでも受け入れてみること、どっちかではなくてどっちも良いとしてみること。。。

限られた時間では到底まとまりはしないテーマでしたが、きたやまさんの自由な佇まいは観ておいてよかったなあと思いました。

まりちゃんの声は心の奥の奥までまっすぐに柔らかく届きます。きたやまさんの新しい歌、練習する時間が限られていて大変だったと思いますが、まりちゃんの歌は祈りでした。

 

3月は誕生月なので、プレゼントやカードや電話メールいただきました。

ありがとうございます。

全部励みにさせていただきます。

 

背泳ぎ、少しマシになってきました。クロールの息継ぎがこれからの大きな課題です。

 

 

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