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考える3月

 

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                                   3月13日大きな虹

 

 

3月3日東中野じみへんにて。

飲食店の営業時間の短縮要請は続いています。

夜8時までだからライブは遅くても6時から始めなくてはなりません。あっという間に出かける時間になって。。。最近私は店に入る時間にアタフタしてしまいます。

お客さんはほとんどが昼間仕事をしていて、それで息を切らせてやってきます。本当によく来てくださいます。

3日は南正人さんの誕生日という話をしながら「別れ」

それからドクワトソンとローザリーの「your lone journey」を唄いました。

集まってくださった皆さん、ほんとうにありがとうございます。

湯川トーベンさんがふらりと聴きに来てくれました。最後に一緒に「雨はいつか」をうたいました。

まっくさんの車でジャッキーさんと二人送ってもらいました。せっかく早い帰り時間なのに、そこらじゅうで道路工事をしていてすっかり遅くなってしまいました。いつもありがとう。

翌日、お客さんのひとり岡野さんから3月3日はドクワトソンの誕生日でもあったことを教えてもらいました。

 

Nスペシャルにて。医師たちの10年というテーマ。

長崎大学の高村昇医師は被ばく医療が専門で2011年3月、福島飯館村での地元住民への放射線に対しての説明会に臨みました。専門的なはなしをすればするほど不安と怒りで殺気立った空気が充満していきました。この場で自分ができることは、すべての質問に自分なりに答えていくことしかできないと思いました。

その後大熊町、川内村などに大学のサテライトオフィスをつくり、同じ場で、同じものを食べながら住民と関わっていきました。

同じく被ばく医療専門の医師である広島大副学長の神谷研二さんは福島の住民へ対しての講演会の最中に

「そりゃ、先生にとっては確率的な問題かもしれないけれど、私にとっては家族ががんになるかどうかの話なんだよ」といわれて言葉を失いました。

神谷さんはその後、講演会形式をやめ、対話を重視するかたちで一人一人がどんな不安を抱えているのか耳を傾けるようになりました。

 

3月6日御茶ノ水woodstock cafeにて。

ギターケースを開けたらストラップを忘れていました。立って唄うのに。。。ウッドストックの阿部さんが自分のギターストラップとそして壁に楽器をつるしていた麻紐を貸してくれました。お店もう15年になるんだね、、なんて話しながら、最近出たTHE BANDのstage flightのライブ盤をかけてくれました。

良い音楽が流れるBARです。

ぎゅっとたくさん唄い終わるころ、集まってくれた人たちで一日遅れのバースデーケーキを用意してくれました。

ワインもおごってもらい、皆でケーキを分け合って。

店の階段を上って見送りに出てきた阿部さんからこの4月で店を閉めることを告げられました。

これからは自分が出かけていって好きな音楽を楽しむことにするのだといいます。

地下へ階段を降りた正面にはエリック・アンダースンのブルーリバー、ステージ後ろの壁にはジャクソン・ブラウンのレイトフォースカイのジャケットが15年間いつも見守ってくれました。

お店を閉めるまでにふらっとお客さんで行ってみたいと思います。

 

3月7日朝早くおにぎりを作って

特急ひたちで福島へ向かいました。

はじめに双葉町にある原子力災害伝承館へ。

特急でいわき、そのあとは各駅で12駅。駅からはシャトルバスでいきます。このあたりはいまだに期間困難地域に隣り合わせの場所です。

莫大な予算を投じてつくられた原子力災害伝承館の内容に関しては様々な批判もあって、私は何を感じるのか、、そういう思いでゆっくりと展示を見ていきました。

 

地震と津波の被害の記録、そして翌日の原発の爆発ではじまった避難の記録、原発の仕組み、原発の歴史、避難生活で起こる関連的な災害のこと、そして復興の足取り。。。

 

たとえば避難中に亡くなったたくさんの病人やお年寄り、それはどうやって?細かい説明はありません。

東電の幹部の人たちが住民説明会で土下座をする写真があります。しかし彼らは法的には無罪のままです。それに対する誰かの意見はこの展示にはありません。

ここではひとりひとりのかけがえのない人生の物語が聴こえてはきません。

ここでは特定の個人に関することは一切展示されません。

 

廃炉へ向けての作業の説明はありましたが、なにか科学実験の図解を見せられたような心が動くものではありませんでした。

ましてや今後最大の問題であるはずの放射性廃棄物と汚染水の処理についての展示はあいまいなままです。

この伝承館のすぐ隣には廃棄物の中間貯蔵施設が建設されています。そして伝承館の屋上から見渡せる美しい海に日本の政府は放射能で汚染された水を放出しようとしています。

汚染水と放射性廃棄物処理は、地元の人たちだけの問題ではなくて、日本に住む私たち一人一人が真剣に考えていかなくてはならないことで、情報を常に共有していかなくてはなりません。地元の人たちの意見を幅広く聴いていくこと、話し合いの場を公開していくこと、身近な人たちと「どう思う?」と話し合う機会をつくること、切羽詰まった大問題であることをもっと拡散するべきです。

 

伝承館は現在進行型の展示をうたっています。内容もこれからどんどん変化をしていくとは思います。原発というものをこれからどうしていったらよいのか、核のゴミをどうしたらよいのか、訪れる人が自分のこととして深く考える場所に変化させてほしいです。

実際に被害に遭い、肉親を暮らしを故郷を追われた人たちの心はこの場所にきてどう感じるのでしょうか?

一日かけて出かけてきた伝承館ですが、これらのことを感じることは来なかったよりも良かったことでした。

伝承館の中は一切撮影禁止です。

屋上にあがって、埋め立てられた海岸のその先の海に向かって祈ります。

汚染水放出に対してはまだまだたくさんの話し合いを繰り返し繰り返ししてください。

不条理をお金で解決するだけでは、人の心に折り合いは付けられないと思うからです。そして何より、海も空気も地面もこの地球を取り巻く宇宙も、すべて生きとし生きるすべての生命体のために存在するのですから。

 

小さな部屋で語り部の方の話がありました。語り部と呼ばれる人の話を聞くのは初めてでした。

その男性はいわき市薄磯122人の津波で122人の犠牲者が出た海浜地区の方でした。地震発生から避難をするまでの30分ほどの話です。自身も家族も助かったその人が今でも苦しむのは手をつないで一緒に逃げようとしていた近所のひとり暮らしのおばあさんのことでした。頑張っておぶったり、最後は手をぎゅっとつないで裏の神社の階段を上がろうとしたのだけれど、波が追い付いてきて、最後の最後つないでいた手をほどいてしまったのです。その時のおばあさんのまなざしは毎日毎晩これからも忘れられないのです。

語り部という人たちは聴くものにたくさんのことを伝えると同時に、自身の心も癒し回復させていく心の交流をしていく人なのだとも思いました。

 

私は「高野君の焼き鳥屋」という歌をつくって唄うようになって、こみ上げてくる感情が、唄うたびに全く新しい感情であることに自分でも驚くことがあるのです。何回も何回も聴いてくれている人の前でも唄うのですが、それでも毎回新しい思いが湧いてくるのです。それはこの曲をつくった6年前の時の思いからは変わってきている部分もあるし、作っていた時よりもいっそう強くなっている部分もあるし、何よりも一番言いたい「一人の人にも微笑かけることさえできないときがある私が、立ち止まったら前に進むことができない壮絶な体験をした人に会いに行き一緒に生きながら唄っていこう」という気持ちを毎日忘れないでいくために私が私に向かって唄っているのです。

 

夕暮れの双葉の駅のホームはさみしくて今夜はとても冷たい風が吹いていました。

宿をいわきにとっているのですが、高野君の店は日曜日で休業です。そのかわり、一番初めに高野君と出会った最初の小さな店、神棚のカウンターのあった店がイタリア料理店に変わっていたので入ってみました。ちょっと高級なワインも置いてあって私には贅沢でしたが、一緒に来たりゅうが誕生日祝いに奢ってくれました。

この店がある一角は「夜明け市場」という名前で震災後に作られた横丁ですが、10年前から残っているのはゴホウビという居酒屋、店の主の山ちゃんはまだ頑張っていました。9年前に中川五郎さんたちとこの店で唄いました。

 

3月8日は四ツ倉港にある蟹洗温泉にでかけました。強風で大きく波打つ海岸の目の前にある露天につかり波の音に耳を澄ましました。

夜は高野君兄弟がやっている新しい店に顔を出すとベトナムの留学生の女性がアルバイトで働いていました。彼女はコロナで帰国できないまま暮らしに困って働いているそうです。

お客さんが帰った後のカウンターで珍しく高野君が私の隣に並んで座って、10年前の話を少しだけしました。毎日一緒に働いていても兄弟でそのころの話をすることはほとんどないといいます。私が来る少し前、高野君は久しぶりにお母さんが最後に持っていた財布のお札を取り出して匂いを嗅いだのだそうです。

 

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             原子力災害伝承館の屋上より海に向かって

 

3月9日小高駅の近くにあるフルハウスという本屋に行きました。作家の柳美里さんが経営しています。フルハウスに並んでいる本は、柳さんのすきな作家やアーティストたちが乞われてテーマをつくってチョイスした本が並んでいるのです。どれも魅力的で、背表紙を観ているだけでワクワクします。例えば自分が10代だった時に読みたい本10冊とか、中には昨年の常磐線全線開通にちなんで鉄道の本ばかりというコーナーもあったし、何人もの人が重なって同じ本を選んでいたりして、面白いのです。

私は和合亮一さんの「明けない夜はない」と柳さんの「JR高田馬場戸山口」をレジで買って早速読みはじめ、上りの列車の時刻までカフェメニューのシーフードドリアを食べ紅茶を飲んで過ごしました。最初は私一人だったのに、お昼の時間に近所の人や、きっと私のようによそから来た人で小さなブックカフェはいっぱいになりました。近くの高校生も立ち寄っていました。

常磐線の各駅は本数が少なくて駅には高校生が溢れていました。そのまま上りに乗って東京へ帰っても良いのですが

せっかく南相馬まで来たのだから終点の仙台まで乗って,そして帰ることにしました。今日は寒いけれど良い天気です。

読んでいる和合亮一さんの故郷を通ります。原ノ町、相馬

そして宮城県に入って亘町、2011年の夏に行った山元町を通るのはそれ以来でした。名取、そして仙台。

駅の出店で南三陸ワインを1本買って、東京に向かいました。海の見える丘で始めた畑の葡萄で昨年出来上がったワインだそうです。

2泊3日の小さな旅は常磐線にたくさん乗る旅でした。

柳さんの小説「JR上野駅公園口」も常磐線に乗って読み返すとまた違う想いが沸き上がってきます。

主人公の生まれ育ったのは相馬郡八沢村。駅であれば鹿島駅。まだ原発が誘致されていなかったころ東京オリンピックの施設建設に出稼ぎで働いた人たちが使った常磐線。

いまでもたくさんの労働者の人たちがこの電車を使って浜通りの駅で乗り降りします。

 

缶酎ハイの空き缶とワンカップを並べて後ろの席に座っていた男性が「どこで降りるの?」と声をかけてきました。私が何度も何度も路線図を見上げていたからです。

常磐線は優しくて少し切ないです。

 

 

3月10日東京大空襲から76年。読みかけのままの金田茉莉さんのかくされてきた戦争孤児を読み切ろうと思います。

 

3月11日たくさんの証言ビデオをみて過ごしました。忘れないために。

 

3月12日江古田映画祭で写真家の中筋純さんの「コンセントの向こう側」という映画を観ました。

私はこのタイトルを見るたびに体中が熱く震えてきます。

自分の使う電気がどこでどうやって作られてきたのか、いまでも毎日すっかり忘れて暮らしているからです。

帰りに会場で岩波ジュニア文庫から出ている樋口健司さんの「これが原発だ カメラがとらえた被爆者」を買いました。

初版は1991年ですが、現在の中高生にも読んでほしいと思いました。

 

3月14日友人の土屋聡さんと木村理恵さんを中心に開催される「女川原発を再稼働していいの?」というトークイベントにオンラインで参加してみました。あいにく電波状況が悪くて理恵さんの話は聴こえなかったのですが、土屋さんが話していたように「原発ってないほうがいいの・あるほうがいいの?」という素朴なテーマで日本中の人たちが対話をしていくところから始めていけたらよいのにと強く強く思います。

そして自分と違う意見の人とたとえ平行線になったとしても、そこであきらめたり感情的になったり攻撃したりせずに何度でも話し合いの場をつくっていく。というくり返しを、身近な場所でするためにはどうしたらよいのでしょうか。。。

私の身近な人たちの活動に、耳を傾けていこうと思います。

 

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誕生日の頃に届く御殿場の水かけ奈、お米とみそ汁の具の山芋は青森から、お味噌は岡山の友人作。若芽は三陸大槌町。そういうもので生きています。

 

 

3月14日青山のシバさんの個展へ。表参道でみどりちゃんと待ち合わせて青山を散歩して食事。どこもかしこも開発されて新しい建物ばかり。それでもかろうじて昔なじみの名前の店があるとホッとします。二人で歩きながら、昔の人が未来の街に紛れ込んでしまった映画に出演しているような気分でした。

元気そうなシバさんとはお喋りをたくさんして、作品はそれほど見ることもせず手ぶらで帰ってきてしまいました。私が好きな神戸のまっちゃんライブのTシャツになった絵は売約済みのシールが貼ってありました。ライブで会う人や、中川五郎さんも来て、ギャラリーの一角だけが半世紀昔に戻ったような空気でした。

 

 

3月19日FMかわさきにて。

金尾よしろうさんの「音楽魂」の生放送でした。

知っている人からは番組中のメールやファックスでメッセージが届きます。それはとてもうれしいことです。今回はリクエストにもこたえることができました。毎回のゲストのほとんどがスタジオで生演奏をします。

金尾さんはカーボーイハットとブーツカットデニムがトレードマークです。最近は金尾さんに、このスタイルを貫くという覚悟を感じます。

それからいつもゲストを盛り立ててくれます。心からそうしてくれているのが伝わります。ですから私はこの番組に声をかけてもらうことを光栄に思うようになりました。

ラジオは今ではインターネットで国境を越えて聴くことができます。今日どんな人が聴いてくれたのでしょう。ロマンティックです。

 

3月20日新幹線の自由席は立っている人もありました。お彼岸の頃関西に行くことが多いです。

此花区にあるプロレス居酒屋リングサイドというお店で唄います。

入り口には力道山の等身大の写真があります。

よいひとたちがやってきてくれました。マイケルが声をかけてくれ、そしてお店でもお客さんを呼んでくれました。

村井尚子さんはウクレレの弾き語り。最近お店を始めたのだそうです。奈良のH&Mの二人が唄ってくれました。素晴らしいハーモニーです。以前H&Mのみかさんとはダルシマーの合奏をしました。そしてマイケルはマイペースなのだけれど、実は来てくれた人たちみんなに細かく気を使っていることは知っています。おかげで私はすっかり心が温まってから唄うことができました。店のお客さんはもちろんプロレスファンなのですが、音楽にも詳しくて、71年の泉谷しげるさんのシングル盤を持ってきた人がいました。

力道山を幼いころに生で会っていた私はそれだけで伝説の人の仲間入りだそうです。

みなさん、帰りは雨になってしまいましたがありがとうございます。

 

3月21日春の嵐の雨です。

なんばのサウスサイドという良いバーにて。

よこへ君が毎年3月に声をかけてくれて一緒に唄うようになりました。彼の廻りには良い仲間が集まっていて今夜も気持ちの良い空気をつくってくれました。

私のいつも来てくれるお客さんがカウンターの前に、よこへ君の仲間が後ろの方へ。30,40、50、60、70歳代ときれいにそろいました。

よこへ君は会うたびに髪型が変わっていくのですが、唄う歌も変わっていきます。力が抜けてその分心の奥に届く歌にどんどん変わっていきます。

3月生まれのともちゃんと私にケーキの手作り。その場で忘れていたのですが今夜来てくれた旧友のカメラマン川邉ヒロシも3月生まれでした。

 

3月22日京都左京区キッチンハリーナにて。

ツアーに出かける前から風邪気味でどうもお腹にくるウィルスに負けてしまったようで、熱はないものの怠くて食欲がありませんでした。なんとか持ちこたえたのは行く先々で優しくしてもらったおかげです。

平田典子さんとホテルの近くのイノダ本店でハンバーグランチを食べて佐々木さんと3人でハリーナへ。花冷えの夕方でしたが明るいうちから皆さん集まってくれました。遠くは枚方から村田孝子さん、琵琶湖畔から荒野さん等、うれしい顔ばかりです。

三日間連続してうたう曲も半分以上あるのですが、場所と聴き手が変わるように唄う瞬間の心から湧き出てくるものはいつも新しいです。

唄い終わって少し濁った美味しいワインをごちそうになりました。体調は唄いながら回復していったようです。

三日間のツアーで出会った皆さん、ありがとうございました。

またあいましょう!

 

3月26日曙橋コタンにて。

いなのとひら・のとこばの稲野さんに声をかけてもらいました。しかし都内の飲食店はまだ営業時間が短縮されていて、悩んだ末、無観客動画配信になりました。

コタンでは配信のための設備をそろえて、研究をしてきたそうです。配信中のトラブルや、照明や音質、画像と音のタイムラグの問題、乗り越えてきたということです。

稲野さんたちの心遣いで賄は握りずしです。嫌いなものはありますかと聴かれて、私はトロやひかりものがダメなのですがウニやイクラは好きですと言ったらウニが特別に並んでいました。

本番は6時から始まって最後のセッションが終わったのは10時近かったのには驚きました。

いなのとひら・のとこばの3人と一緒に唄う3曲は特に気持ちの良いものでした。バンドは気配を共有する、それが好きです。

そして昨年の秋に心臓病で大きな手術をしたコタンの木村さんがとても楽しそうに音響と照明をしてくれて、終わってからの動画のプレイバックにとても嬉しそうだったことで私もやってよかったなと心から思いました。

稲野さんたちにはこれまでも何度も一緒のライブに誘ってもらいましたが、彼らは自分たちが聴きたいから呼ぶのだというのですが、私は反対に彼らの温かな心根に「ああ、頑張ってやっていこう」とそういうエネルギーをもらって帰ってくるのです。

 

3月29日髪の毛の色を変えてみました。

頭がとっても軽くなったような良い気分です。

 

3月は誕生日月なのでいろいろなプレゼントをいただきました。

お米やりんごや缶詰やお菓子の詰まった段ボール。

この数年のブログをまとめた本。

厳しい冬を越したごちそう漬物の水かけ菜。

ワインをいろいろ。温泉の素。図書カード。ちょっと高級な化粧品。マスクが良い香りになるハーブスプレー。手紙やカード。メッセージ。美味しい食事。美味しいケーキ。お花。その他いろいろ

 

アマゾンビデオで「ハリエット」を観ました。

アメリカの南北戦争の少し前、南部のアフリカ系の奴隷を北部に逃がすための地下鉄道(underground railroad) で多くの奴隷を北部に導いたHarrietTubmanという人の伝記映画です。

ハリエットという女性の存在をはじめて知りました。

 

上野千鶴子さんの最後の講義という番組をアーカイブでみました。若い人たちとの対話もあります。

世の中は変わらないように見えていても少しずつ変わってきた。私も変えてきた一人だ。こんなふうにやったんだよ、だからあなたも変えられるよと伝えるタイミングが今だと感じている。こんな世の中にだれがしたという若い人たちに謝らなくてよい世の中にするために。

上野さんはクリスチャンファミリーに生まれ思春期に信仰から離れた。その時に自分に課したのは祈ることをやめることだったそうです。でも私はそれを聴きながら思います。上野さんの本を読んでいればそこに深い祈りを感じるのです。

 

 

このブログをまとめながら聴いているのはサラワトキンスやエドシーランたちのバンド ニッケルクリークと

ジョニミッチェルというキーワードで集めた様々な曲のシャッフルです。グレッグハンコックというひとの

joni mitchell's guitarという曲が印象的です。

 

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                                  虹の後ろには輝く夕焼け

 

 

親しい人、遠いところの友だち、その人たちの家族、

病気をかかえて頑張っている友達がたくさんいます。

歩いていても、ご飯を食べていても、唄っていても、祈ります。

 

 

 

 

 

ありがとう2021年2月

 
                 札幌cafe45recordsにて。久しぶりに中身を聴きました。

 

2月が好きです。準備をする時間という希望が息づいています。

 

2月2日いろいろなニュース

◉福井高浜原発再稼働に地元町長が同意。

◉ミャンマー国軍強権、スーチー氏、大統領等拘束。

◉ロシア反体制派指導者アレクセイ・ナワリヌイ氏の釈放を求めるプーチン政権への抗議デモがモスクワで続く。

 

2月3日確定申告の相談に行った足で銀座のギャラリーへ展示会をしている高山の中畑朋子さんに会いに行きました。高山以外で会うのは初めて。裂き織りと草木染。ログウッドという染料で染めたスカーフを買わせてもらいました。黒いスカーフをするのは初めてです。

数年前、飛騨高山の朋子さんのアトリエ「月の舟」に行った夜は側を流れる川に月の灯りが揺れていたような気がしたのですが、本当に月が出ていたか定かではありません。きっとそんな夜だったらいいなあ、という静かな訪問だったから。

 

次期衆議院選挙で横浜6区から立候補する予定であった国会議員T氏が飲食店営業自粛期間中に支援者とともに銀座クラブで深夜近くまで飲食をしていたことが先月明るみになりました。私もこれから支援しようと考えていましたから声を上げて批判し辞任を要求しました。彼はその後,謝罪しそして議員辞職をしました。

沢山の声が届いた結果だと、少しは気持ちが落ち着きました。

しかし辞任について記者たちのマイクの前で彼の言った一言にまたがっかりしました。

「ここは潔く辞任を決意して。。。」

え?「潔く」という言葉はこういう時に自分が自分に向けて言う言葉ではないのじゃないかしら。。。

ああ、言葉にその人が透けて見えてしまう。。。のだな。。。

 

「失敗の原因はいろいろあるだろうが、その本質は慢心なんだ。これまで大丈夫だったからと手抜きをするところに慢心が潜んでいるんだ。」ちょうど読んでいた本に登場した言葉でした。

私自身の日常にも気づかぬうちに潜んでいる油断と慢心、この事件はいろいろなことを教えてくれることになりました。

 

食糧危機についてのテレビ番組をアーカイブで観ました。ワイン1本にかかる水はおよそ650リットル。これは南アフリカのスラムの人が使う2週間分の大切な命の水に匹敵するという。日本で現在、食べられるのに捨てられている食料を使えば2億人の飢餓を救えるという。画面では大きなコンテナから吐き出された廃棄される大量のケーキの残骸やデパ地下のサラダたちを映していて、私はさっき駅前で買ってきたワインを飲みパンを焼いてチーズをのせて食べるのです。

 

私のできることと言えば、自分の台所からは食べられるものはできる限りゴミにしないこと、着るものは古着を利用する、歯磨きやうがいや髪を洗う時に水を止めること。。。毎日のそんなことなのですが。

 

 

人間の欲望に歯止めをかけるのは人間だから、依存で麻痺してしまった行動パターンを修正していくためには、省エネにも楽しみがなくては続かないでしょう。。。

 

2月8日高円寺アローンにて。

企画し続けてきたまさえさんの誕生日あたりにおこなわれます。暗転からスポットが当たり、ここはやはり新宿厚生年金ホールの風格です。毎年アローンで唄わせてもらえて光栄です。

良い人たちが聴いてくださいます。そして8時には解散です。

 

 

 

手稲で伊東の遊子さんが下さった花束。5日間のホテルの部屋が明るくなりました。

 

2月13日札幌ボストンクラブにて。

和音!(ワオ!)というデュオの盛さんとエミーさんがツアーの骨子になる3か所の企画をしてくださいました。

北海道で初めての人、初めての場所は久しぶりのことです。

ボストンクラブでは山下かおるさんが私の前にうたいました。もともとはベースマンという、歌には気持ちの良いグルーヴがあります。

京都から、伊豆の伊東から、うれしい友達も来てくれてびっくりでした。主の工藤さんは毎晩店から配信をしているということで、伊東の遊子さんとケイスケさんは偶然にもその番組のファンだったそうです。

 

2月14日翌朝のラジオの為に和音!と小樽に移動。

今回小樽でお世話になる堺さんと4人でYADOというゲストハウスで一晩ですがちょっとした合宿です。堺さんはカジカ汁をつくってくれました。私の分には肝もいれてくれて。

 

2月15日21日の小樽ビールのライブの宣伝も兼ねてFM小樽の朝の番組に出してもらいました。

札幌に帰ってから和音!の盛さんが豊平峡温泉に連れて行ってくれました。札幌市内では唯一の貯水タンクを使わない源泉かけ流しのお湯ということで、柔らかい良いお湯でした。

その後、長津宏文さんの店LOGに連れて行ってもらいました。長津さんに会うのは10年ぶりくらいでしょうか。。。

LOGが全く変わらず風格を湛えてそこにあってなんともいえない気持ちになりました。よい空間です。

 

2月16日手稲のじょじょにて。

今年はどうしようか?と考え込んでいましたが、やはり唄わせてもらってよかったです。

てりーさんとヨーコさんも早くから待っていてくれました。てりーさんは体調があまりすぐれなかったのに。。。

馬込なかよし幼稚園時代のかずみちゃん、RINKAの操さんやここでしか会えない人たちが集まって、じょじょの節子さんの誕生日も祝いました。きくちゃんこといずみかずこさんが豊川容子さんのアルバムをくださいました。パートナーのいずみのりひろさんの制作だったのです。

豊川容子さんは今度は必ず生のステージを観たいシンガーです。

2月17日札幌星空料理店にて。

才谷屋が閉まって2年になります。主のも~り~はその後焼き肉屋やおでん屋で働きましたが、昨年来の自粛からは少しお休みだそうです。今夜はも~り~と今は江別にいるビッグフットの伊藤君と3人のライブです。伊藤君の唄ったWren Zevon、そしても~り~の静かな歌、それから場所が変わっても会えた人たち。

終わってからすすきののバーで1杯だけ。も~り~と外に飲みに行ったのは初めてでした。

2月19日岩本珈琲にて。

エミーさんががたくさんの方々に声をかけてくださいました。私がやってくるまでにどれだけの準備をしてくれていたのかとおもいます。二人の熱い思いがお客さんにも伝わって、私の歌も聴いてもらえました。

岩本さんからはリクエストがあって、事前に歌を聴いていてくれていたのですね。それもとても大切にしてきた唄2曲だったのでちょっと泣きそうでした。

自分の最後の曲は和音!のオリジナルの「そのままで」をうたいました。昨年彼らのこの歌を聴いて素晴らしいなと思ったのです。

芦別に来るたびにこの看板が気になります。

 

2月20日バスで芦別まで。珈琲 貘にて。

雪が解け始めた札幌とは景色が変わり、数日前に降った雪が積もったままでした。それでも例年よりは少ないかなと感じます。

貘での静かな時間に旅の疲れが癒されていきました。

今夜貘で聴いた音楽は都はるみと美空ひばりとHot Tunaでした。こういう店が近所に会ったらいいのになのナンバー5に入る場所です。

 

2月21日札幌から来ていた千葉さんのキャンピングカーに乗せてもらって小樽まで。昼に入る予定でしたからありがたいことでした。

小樽ビールの3階のホールでのライブです。堺さんの音響で、ギターの山川ゆうじさん、全国のストリートで唄い続ける佐々木康範さん、和音!そして私。

黒松内の大谷さんがやってきて久しぶりに再会しました。

10数年前から大谷さんには黒松内の自然の家でずいぶんお世話になりました。職場が変わったということです。人の関かかわりあい方も、人の暮らし方も、自分のまわりだけでも変化変化です。

それでも顔を合わせることができれば、あっという間に楽しかった日々がよみがえって笑顔になります。

ライブが終わってからは堺さんの店レノンセンスにて持ち寄りのごちそうをいただきながら。。。

小樽は昼間は春の温かさでしたが、深夜には溶けた雪が凍りついて道がつるつるになっていました。

 

この街を歩いて坂道から振り返る景色、スーマーくんの「もうない船」と渡辺勝さんの「あなたの船」を口ずさみます。

ふたつとも泣きたい気持ちになる歌です。この街は昔好きだった人の街でもあります。坂道の街、今度は違う季節に来てみたいとも思います。

 

                                 さよなら今年の小樽。
 
10日間の北海道の旅。お世話になった皆さん、耳を傾けてくださった皆さん、ありがとうございました。

 

帰宅して映画「クエシパン~私たちの時代」を観ました。

ケベック州の先住民インヌ族の少女が主人公です。

主人公のミクアンは詩を書きます。

ちょうど北海道から戻り、帰りの飛行機の中でもケベックのことが載っている雑誌を読んでこの映画を見たのです。

ミクアンのお父さんの顔が和音!の盛さんにとても似ていました。そういえば盛さんのお祖母さんはロシア人だと言っていました。

 

2月27日淵野辺サマーオブラブにて。

昨年の夏、いつかサマーオフラブで一緒に唄いましょうとストリームというユニットで活動するマリさんに声をかけられました。それが今日になりました。

サマラブのコウガさんは一昨年心臓の病気をして入院していたようでしたが、ゆっくりと仕事をしているようでした。

廣瀬康子&一郎の康子さんとは今から10年前にもステージを共にしていて、数年前には私のライブも聴いてくれていました。そしてストリームの二人とナカニシタカアキ+1。3組とも男女デュオです。長く音楽をやり続けている人たちのステージをすっかり楽しんで、私も唄いました。

ピックアップマイクを付けたばかりのギターはちょっと勝手が違いましたが、やはりたくさんの出演者が出るときにはピックアップのほうが便利ではあるのですね。

古屋ギターの古屋さんにサカタのギターの弦高を少し低くしてもらいました。これは最近ハイポジションのコードをよく使う練習をしているためです。

 

2月28日渋谷BYGにて。「平々米々3Day's」のラストです。

永原元さんが何年も続けてきたイベント。本来はお正月の恒例でしたが、コロナ自粛になり、そして元ちゃんが今年から晴れて教員の仕事に就くことになり、イベントとしては一区切りなのです。目黒、所沢、そして渋谷。縁のある人たちが集まりました。

私は彼との思い出をステージで語りながらこみ上げてくるものがありました。14年前、出会ったことで新しい歌がたくさん生まれたこと。そして彼の一本気の性格に何度もぶつかりながら、音楽に向き合う姿勢も教えてもらいました。

そういう思いで一緒にやった今夜の地球に似た惑星にいるあなたに」素晴らしく気持ちが良かったのだけれど、一番大事な歌詞が1行飛んでしまいました!いやあ、いつまでたってもダメダメなおばさんでごめんね元ちゃん。。。

何とか頑張っていくので、また一緒に良い時間をつくりましょうね!ありがとう!

 

旅に出かける前に宮城の涌谷の土屋さんから梅干しが届きました。土屋さんが担任だった涌谷町立月将館小学校の梅の木の梅を去年の6月に漬け、8月に干し、今年の1月に樽から出したものです。

手紙にはこう締めくくられていました。

「私たちは大自然の中で生きています。都合よいことばかりではない日々を大らかにしたたかに、知恵とぬくもりを寄せ合って暮らしていきましょう」

 

3月13日には「女川原発を再稼働してもいいの?」とタイトルのトークイベントをするということで、これにはやはり以前旅で出会った木村理恵さんもゲストスピーカーで参加とありました。オンラインで視聴できるようなので申し込みました。

遠い話のように感じる事柄も少し身近な人の言葉で聴いてみれば感じ方も違うと思うのです。

 

北の旅から戻ったら、数人の友だちからハガキや手紙が届いていました。短い文面ですが手書きの便りは温かです。

会わないうちに家族に起こった出来事を便せん2枚にに書いて送ってくれた人がいました。簡単な文章から、その一家が現実と向き合い乗り越えようとしてきた日々を想像しました。

それから登米の珈琲ippoの嶋村一歩君から自家焙煎の豆と焼き菓子が届きました。店をはじめて今年で11年目だそうです。バレンタインという名前のブレンド豆を挽いて飲んでいるところです。

私は、この2月の旅の途中にふっと思いついてしまったことを行動に起こすことにしました。これは私の家族のことについての課題で、いつかしなくてはとうっすらと考えてきた問題です。家から離れてみえてくることがたくさんあります。

 

旅の途中に読んでいたのは

金田茉莉さんの「かくされてきた戦争孤児」です。

 

 

                                月将館小学校の梅干し

 

 

 

 

 

 

your lone journey

 

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人間の心はなかなか変えていくことは難しい。。。この年齢になって改めて思うことです。

廻りの悪いアタマであれこれ考えてみるけれど、「世界を変えていくのは紛れもないこの私自身の心を変えていくことからでしか始まらないのだ!」これが2021年頭のわたしがわたしに向けた叫びです。

自分が変わっていかなければ周りの環境も変えていくことはできないと考えると、この作業は一大事業であり、残された人生の、特にこの10年で挑戦するに値する大テーマです。

ありのままの姿で、少しずつでも心をより良く変えていく。

う~ん1ミリでも進むのは難しい、自分の作業です。

なので今年も私は人の中でそのままの私で揉まれていこうとおもいます。

 

1月5日萩原信義さんノブさんと我が家でリハーサルをしました。4年ぶりくらいでしょうか。充実した午後の練習。

命が生き返るようだね、、、とノブさん。本当です、人と音を合わせる喜び。

 

1月7日南正人さんナミさんがステージの上で崩れ落ちるようにして亡くなりました。

菩南座のタローさんの82歳バースデーのパーティー。

この夜のナミさんのステージは私の心にまっすぐに届くものでした。ふつうはあまり切ることはないギターの6弦を切って新しい弦を取り出して、そのまま椅子から崩れ落ちていきました。私には少し微笑んでいるように見えました。

その場にいた者は皆息も押し殺して救急隊に運ばれていくナミさんを見送るだけでした。

タローさんは呆然としていて、そっと握った手はいつも以上に冷たかったです。

 

倒れる前にバンドのメンバーに優しく的確に指示を出していた態度、切れた弦を自ら取り換えようとした姿、忘れません。ありがとう、ナミさん。

 

1月8日東中野じみへんにて。

前日にナミさんと一緒にギターで参加していたノブさんが心配でしたけれど、連絡がついて、予定通りにじみへんで二人のライブをすることにしました。家にいても悲しいばかりだからと出かけてきてくれました。

私もまだ、ショックなままでしたが、ナミさんの曲、それから浅川マキさんの曲も静かに唄いました。

私はマキさんの「別れ」という曲がとても好きなのですが、はじめてノブさんのギターと私のダルシマーでうたいました。

こんなライブになるなんて誰が予想していたでしょうか。。。

今年のはじまりに心を揺さぶられています。

ともに静かに過ごしてくださった皆さんありがとうございました。毎日が舞台の上の出来事のようです。

 

◉ゆっくりと寒中見舞いのはがきを書き出しています。

そうしたらメールで訃報が届きました。いまその人にいろいろ書いていたところだったのに。

 

◉りゅうの誕生日に食材をもってお祝いに。無印良品のキットでトムヤムクンをつくりました。

弟の精もいたので3人でYouTubeのナミさんのタイのシャンバラ祭りの映像を見ながらトムヤムクンをすする誕生日会でした。

 

1月19日このところ訃報が続いていて心はざわざわとします。

大阪の奥本さんのお母さんの喜美子さんがなくなられて、寂しい。。。

親子で沢山のライブに来てくださった。毎日のように連れていかれるから、もう誰が誰だなんてわからなくなったでしょうが、音楽が始まれば笑顔が生まれてお母さんが座っているところがぼーっと明るくなるようだった。

お母さんに会えるライブは格別にうれしいものでした。

その席だけがぽーっとしたその光はこれからも消えないと思っています。ありがとう。

 

それから、今度は寒中見舞いに身内の訃報を書いて送ってきてくれた人。。。亡くなられた彼女は2年前に私の歌うhallelujahで踊ってくれた。。。元気になってまた一緒に踊ってねとやり取りしたのが最後でした。

 

今年から始まった生田敬太郎さんのオンラインレッスン。

譜面を見ただけで敬太郎さんだ!とわかる凄さです。

 

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1月20日アメリカ大統領はトランプからバイデンに。

プエルトリコ系移民の子孫であるジェニファーロペスの「This Land is Your Land」

イタリア系移民の子孫であるレディガガの「Stars and Stripes」

そしてアフリカ系アメリカ人で母子家庭で育ったyouthの桂冠詩人である22歳のアマンダ・ゴーマンの詩

the hill we climbの朗読は圧倒的でした。

今こそ分断から団結UNITYへ、という新しい大統領の呼びかけ。

どのシーンも映像で見ているだけで心がワクワクとします。

物心ついたころからアメリカに影響されたのは、偉大な民主主義の理念を音楽や詩、パフォーマンスによって表現して伝えてくれる力によってでした。

ケネディ大統領という存在、同時にアメリカフォークソングから教えてもらったキング牧師、ローザパース等の公民権運動時代、ベトナム反戦、現在の世界情勢までを遠近法的に自分なりに眺めてみても、アメリカが教えてくれた民主主義に影響されたものの見方考え方は私の心の中で大きく役立ててきたと思います。

                 

                     しかし

それでも、今なおなくならない差別。法の上で平等が定められても、一人の人間の心を変えていかなければ、この圧倒的なパフォーマンスもただのお芝居に終わってしまう。。。

誰かを選べば変わるのではないのだから!

 

それにしてもアマンダ・ゴーマンには圧倒されました。

若い人が変える力を持っています。

私も若い人と同じように心を変革していくことを忘れないようにします。今日も。

ありがとう私のアメリカ。


 

1月22日核兵器禁止条約は発効されました!

これは長年にわたってヒバクシャに寄り添い実現のためにたたかい続けてきた普通の人たちの声が世界の国々を動かして勝ち取ったものです。「核兵器の終わりの始まり」とサーロ・節子さんは語っていました。

唯一の被爆国の日本が話し合いの席にも就こうとはせずに条約は発効されました。

これから1年以内に行われるという締約国会議には依存国の参加も認められているといいますが、国会答弁で日本の首相は「出席の予定は今のところありません。」と答えていました。

日本の参加を実現させるためにはどうしたらよいのでしょうか。。。

私には今具体的に何をしたら良いのかがわかりません。

注意深く情報を探していこうと思います。

 

 

我が家にやってきた新しい楽器。

南正人さんの形見分けでいただいてきた鍵盤ハーモニカ。

裏には知らない名前が貼ってあるから、ナミさんもどなたからかもらってきたものなのでしょう。

鍵盤があったらいいなあと思っていたところだったのです。

 

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◉世界のドキュメンタリー

「ルワンダ虐殺の子供たち」を見ました。

今から26年前に起きたルワンダでの100万人以上の犠牲が出たというフツ族のツチ族への虐殺。その後に生まれた子供たちへのインタビュー。

虐殺は免れても母親が強姦されて生まれてきた子供。自分を認めることができずに大きくなってしまった子供。父親が虐殺に加わっていたことを知った子供。親を許せなくて苦しむ子供。

憎悪と偏見の中で育った子どもたちができることは自らを乗り越える姿で訴えていくこと。

 

◉茨城県牛久に住むナイジェリア人エリザベスのことをNスぺにて知りました。

様々な理由で国外退去命令がでて入国管理センターに収監されている外国人のケアをしている女性です。

彼女がナイジェリアから出た理由は、地域社会で求められた「女性器切除」の風習から逃げ出す為でした。

しかし日本での結婚に失敗し、その後自らも国外退去命令が出て今は仮放免の身の上で支援によって暮らしながらもケアのために収監人たちに会い続けています。

 

◉鶏肉の赤ワイン煮を何年振りかで作りました。

タサンしまさんのレシピがとてもやさしかったので真似をしました。一人で食べるのでこれから4日くらいはずっとフランスディナーです。

 

◉ワクチン格差は最近知った言葉です。

貧しく弱いものをこれ以上苦しめないように、と、祈るばかりです。

 

1月24日大岡山グッドストックtokyoにて。

広瀬波子さんと二人で。

雪の予報でしたが、雨になってひと安心でした。

二人でのライブは昨年の秋以来でした。

波子さんは自粛期間中にたくさん練習をしていたようで、特に笛の音に磨きがかかっていました。

開場は20人限定としましたが10人弱の人たちがゆったり座ってくれました。

ヨイシラセという曲をうたいながらこみ上げるものがあって唄い終わってジーンズのポケットのハンカチで鼻をかみました。こういうのを配信してしまっていてまずいかなと思いましたが、私はステージでよく鼻をかみます。

終わってから聴きに来てくれていた大槻ヒロノリさんに、よしこさんハンカチで鼻かむんですね。。。と言われてまた恥ずかしくなりました。

寒いみぞれのフル日曜日に、聴きに来てくださった皆さん本当にありがとうございます。遠くから配信を見てくださった方々もありがとうございます。

この日は大槻さんの誕生日、それも60歳というので、帰り道の中華屋さんで本当に簡単にお祝いをしました。

食べるときは黙って食べる、話すときはマスクして話す!いそがしいけれど、それでもちょっとの間でも集まれたことは良い時間です。勝ちゃん、ごちそうさまでした。

 

1月30日東中野じみへんにて。

予定されていたミュージックストリートが延期になって、かわりにささやかな会に参加しました。途中からでしたが、初めて聞く人もあり、久しぶりにゆっくり聴けた人あり、私は自分の出番までギターをドアの外に置いておいたらすっかり冷え切っていていざ唄おうと思ったら指がかじかんでしまうくらい冷たくなっていました。ギターにかわいそうなことをしてしまいました。気をつけなくてはなりません。

一日たくさんの歌を聴きながら思ったことは、

音楽は人の居場所をつくる力がある。その音楽の居場所まで奪ってしまったら彷徨う心がどれだけ生まれてしまうのか!注意深く、気をつけながら、それでも唄い続けていくしかありません。

 

 

最近良く聴いているそして口ずさむ唄は

「Your Lone Journey」といううたです。

ローザ・リー・ワトソンとドク・ワトソンのつくった名曲。

「あなたのひとり旅」としてM・Bコブスタインが優しい絵本にしています。

仲良しの夫婦でも、兄弟でも、友達でも、この世から旅立つときにはひとり旅。

受け入れる気持ちが生まれてきても、大切な人との別れに心はずたずたになってしまう。

     ずたずたの心のすぐそばにあるうたです。

 

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