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2018-04-30 12:30:27

ハニーサックルの咲く庭

テーマ:ブログ


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4月1日犬山のふうにて珈琲を一杯。スーツケースを宅急便にて自宅に。
すこし身軽になって神戸へ。センチメンタルシティロマンス45周年ライブatチキンジョージ。チケットをとってくれていた神戸の友人達と満席のど真ん中で楽しんだ。45年前、当時のボーイフレンドがセンチの制作スタッフだった。私といえばエレックレコードが倒産して自分はソロでやっていく自信がなくて悩んでいた頃、彼が持ち帰ったセンチのレコードのサンプル盤、私は一人の時にそれにそっと針を落としてみた。
1曲目「うちわもめ」の出だしの一発目で打ちのめされた。真っ青なアメリカ西海岸の青空が私の部屋と私の胸いっぱいに広がった。ハイトーンのコーラスもツインギターのリフも、そして何より楽曲に憧れた。自分のやっていることと比べること自体がナンセンスで恥ずかしく、途方に暮れそうだった。ボーイフレンドがそのセンチの仕事に関わっているだけでも嫉妬した。
同時期に仲良くしてもらったザ・ラストショウと同じくらい私はその時からセンチメンタルシティロマンスの純粋なファンになった。
それから月日は流れてなんとあの時の興奮から45年、それでも部屋の隅のレコードプレーヤーの前で溢れた感覚もその日の温度や匂いまで思い出すことができる。音楽は魔法だ。
チキンジョージの客席では一緒に唄う人、踊る人。45歳のバンドは完全なオリジナルではないけれど、それゆえに熟成と再生の両方が備わっているんだと感じた。けっして古くないものに。
終わってからドラムスの野口さんとは共通の友人の近況を語り合い、督夫さんとはセンチのライブで会えて新鮮だった。そしてこの夜はゲストだった告井さんからは隅っこの椅子でこんなことを話してもらった。「明日からまたツアーなんだ。お客が一人でもやっぱり人前でやらないとダメになる。そしてこの年になってもまだまだ進歩すると思っている。」毎日やっている人の言葉だ。
そしてもう一つ「音楽は聴く人のためにある。そんなことを最近やっと気がついた。」
私は告井さんのこの言葉を聞いただけでも今夜、神戸に来てよかった!と思った。そういう宝物の言葉に出会えて嬉しい。
 
指の治療2回目。気絶するほど痛い注射も少し慣れた。それからこのところ食事が美味しいのはこの治療のおかげではないかと思っている。
 
髪を切った。ずっと長いこと考えていたけれど、踏ん切りがつかなかった。
えりさんに連れて行ってもらって代官山のBoyでバッサリやってもらった。ほんとうはもう少し短くしたいとおもったのだけれど、この夜はここまでだった。
どうせならドネーションもしようと持ち帰って大阪にあるJHD&Cに送った。
夜、たくさん不思議な夢を見た。

 

暫く、道を歩いていても鏡やガラスに映る自分ばかり見てしまう。疲れる。
 
4月13日京都修学院アコシャンにて。15年になるんだ、ここで唄わせてもらうようになって。
髪を切って初めての人前。意識して少し緊張したけれど新鮮さも格別だった。
不思議なんだけれど、ギターでリズムを作るのではなくて、歌が自然にグルーヴをつくるのを少し感じた。歌にギターが乗って踊っている感じ。快感だった。
アコシャンにはこの場所でないと会えない人たちで満員になった。盛り上げてくださった。
ライブは終わってもみんななかなか帰らないでたくさん飲んで笑って喋った。となりの銭湯は閉まってしまったので、ヨーコママの住まいの洗面台にて顔と足を洗う。足を洗うとすっきり眠れると教えてくれたのはヨーコさんだ。
 
4月14日権太呂にて。
佐々木さんの仕切りで蕎麦屋の権太呂の地下のクィーンズギャラリーにて。
リハーサルの前に佐々木さんが鰻をご馳走してくださる。最近食欲の復活した私は頑張ってふわふわのう巻と特上重を食べた。ご飯すこしだけ残したけれど頑張った。美味しかった!
沢山のお客さんに来てもらって、ほんとうにありがたいこと。新しいアルバムから沢山うたうつもりだったのだけれど、お客さんの顔を観たら変更されていくセットリスト。「私があなたを思うとき」を聞きたかったと終わってからメールで言われて、すっかり忘れていたことに気づいた。
帰りの頃に雨が降ってしまったが皆さん日曜日の夜にありがとうございました。
みなさんとは当然髪の話になるんだけれど、もっと思い切ったら?の意見があり、私は安心した。帰ったらもう少し短くしよう。
木屋町の八文字屋に中川五郎さんたちがいるというので佐々木さんと覗いたのだけれど、外国観光客で溢れかえっていてあまりの混沌ぶりに驚いた。となりでタコヤキ3つだけつまんでアコシャンに帰る。
 
4月15日和泉府中「花海」にて。
2日間お世話になったアコシャンのヨーコママはキヨシロー命のひとだ。いつかよしこちゃん唄ってとRCサクセションの「君が僕を知ってる」の動画を送ってもらった。電車の中で聴きながら泣いた。好きだこの歌。
花海の成ちゃんは駅に迎えに来てくれて遠くから大声で私をネエサンと呼ぶ。ディープサウスof大阪。
ジャスティの音響で安心のステージ。
嬉しい人たちが集まってくださった。そしてこの夜のステージでは皆さん笑いで盛り上げてくれて、私なんか笑いをとれる芸風でないものだから驚いてしまった。酔っぱらった成ちゃんが眠っているというだけで笑いのネタになった。不思議な歌の神様に助けてもらった。感謝です。
宿泊はハッピーラビットの恵美ちゃん宅。恵美ちゃん&ともちゃんは今年の2月によこへさんの企画で唄わせてもらって仲良くなった。そのときオーナーの恵美ちゃんと友達のともちゃんがバニーガールになってくれた。バニーガールというより兎の着ぐるみのようなものだったけれど、
恵美ちゃんの家には本物の兎がいた。お世話になりました。
 
吹田の叔母の家で過ごす。
新しい薬が処方されているのもあるのだろうが、叔母は身体の動きが先月来たときよりも良くなっていると感じた。
従妹が夕食を作ってくれているところにゴルフ帰りの叔父が大きなタケノコをドサッと持ってきた。米ぬかと山椒の葉っぱもセットで付いていた。今夜は無理だねと急いで従妹が大きな鍋でタケノコを湯がいた。
1日中テレビのついている茶の間で92歳、82歳、64歳、54歳が何を話すともなく過ごす。叔父は晩酌が終わると寝室に消え、叔母は今度私がいつ来られるのかをカレンダーに書き込んで、それから翌日の出発時刻を何度も私に確認する。たいした話はしないけれどそれだけで間が持ててしまうのが面白い。
翌朝、叔母の丹精した庭で一緒に過ごす。
庭で遊べることは人生の幸せのひとつにしたいことだ。
小さいころ、庭は私を守ってくれる世界だった。庭のあるところで育ててもらえたことに今でも強く感謝をしている。
今では、そしてこれからも叶わぬもののひとつだ。
クリスマスローズはもうすぐ終わり、ハニーサックルが咲きだして、ツツジも見ごろになる。花の名前をひとつずつ指さしながら、ほんの小一時間叔母と二人。60年前も私たちは実家の庭でこうやって過ごしていた。隅っこに私の父が叔母に送った春蘭の鉢もあった。去年花が咲いたそうだ。野良猫が2匹住み着いている。
翌日、足を延ばし友だちに会いに奈良まで行く。少し冷たい雨、回転ずしのメニューにうどんがあって130円也。2人で750円?の美味しい夕食だった。
翌日は晴天、雨上がりの平安の山々、そして帰路で東海道の山々、気がつけば新しい緑のグラデーション。エネルギーにわくわくする。
髪の毛は思い通りに再度短く切った。納得で身も心もスッキリとして、充実してきた。
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4月21日久米川すなふきんにて。
南武線、武蔵野線、西武新宿線と乗り継いで行く。
武蔵野の風情は私にとって小さいころから特別な憧れがある。
私の住む大田区とおなじ東京でもこんなに様子が違うものか?と小さなころ杉並の親戚の家に行って感じた空気。それから10代後半に通った吉祥寺あたり、そこで出会った人たちの棲む武蔵野。町ゆく人にどこか意識の高い思慮の深い雰囲気を漂わせているのを感じた。
久米川の近くにはハンセン病隔離施設があり、かつては結核や喘息などのサナトリウムもあったはずだ。
すなふきんはまだ開店してから1年たっていないという。暑い日で、よう子さんはホットパンツだった。足がきれいだなあとチラチラと見た。音楽に詳しい人たちも来てくださった。そしてご夫婦で二組。それはとてもうれしい。遠い人もあったのでなるべく早く終わるつもりだったけれど、沢山唄った。
帰りは駅前から新秋津駅までの最終バスに乗った。なんとなくトトロの猫バスに乗っているような気分になった。武蔵野だもの。
 

今月 息子夫婦のところでは3歳になった子供がもうすこしするとお兄さんになる。


4月26日曙橋Back in Townにて。
斉藤哲夫さんがフォークジャンボリーというタイトルで声をかけてくださった。
シバさん、三上寛さんとともに。そして佐藤Gwanさんは半月ほど前に具合を悪くして、大事をとって欠席になった。哲夫さんが一番楽しみにしていたのがGwanさんの歌だった。
BITは2006年以来の場所だ。その時は父親がまだ元気に聴きに来てくれた。父が亡くなって見つかった手帳に、その日の事が記されていた。「佳子くん、曙橋大入り満員大成功、よかった!」 今夜唄いながら、父が座っていたあたりに温かなものを感じた。
さてさて、フォークジャンボリーも13年から続いていたけれど、哲夫さんの病気を機にやらなくなった。今回は4人だけだけれど、各地で20人以上のアーティストが参加してきた。亡くなった人もいる。私はそこに加われるだけで嬉しかった。
今夜の楽屋での話題は体のこと、薬のこと、亡くなった人のこと、それから小さいころ得意だったスポーツのこと。以外にも私を除く皆さんはスポーツ少年だった。シバさんは小さいころから陸上をやっていなかったら、家出してヒッチハイクしてずっと歩いたりしてその時に高田渡さんには出会わなかったかもしれないといった。運命のドラマには陸上選手というキーワードがあったのか。
三上寛さんが、「俺ら若い時、なんでスポーツの話しなかったんだろうね」と言った。
沢山の方が来てくださった。「昔の恋人に会う気持ちでやって来たよ」と終わってすぐにメールくれた人がいた。
またみんなで集まりたい。声をかけてくださり感謝をします。
 
4月27日亀有kidboxにて
10人以上になると店主は外に出て聴くというこの店のライブ。おかげさまで満員になって店主は外に。
沢山唄った唄った、ほんとうに充実した2時間に皆さん耳を傾けてくださりありがとうございます。
この店では私は本当に喋らずに唄う。
そしてこの日に60歳になった店主鷲見さん、私が晴れの日も雨の日も嵐の時も変わらず声をかけてくれありがとうございます。
そしてこの夜も沢山飲んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。次回も元気に集いたいです。
 
4月28日一橋学園Rolling Beansにて。
2年前に杉本さんに紹介してもらったこの場所に、杉本さんが不在なのではじめて一人で電車を乗り継ぎ行く。
西部多摩湖線の一橋学園駅はとてもかわいい小さな駅だ。オーナーの千田さんが界隈の地図をくれたのでリハーサル後に玉川上水の遊歩道を歩いた。散歩後には早めに来てくれたまさえさんと食堂にてハンバーグ定食。のどかな商店街にはチェーンの飲食店がなくて落ち着く。
今回も休憩をはさんで「よしこの部屋」というトークコーナーをやろうと、中村寿彦さんがなんと私の初ソロレコードを用意していてくれた。中村さんはそれこそ1974年当時リアルタイムにラジオでこの歌を聴いてすぐにレコードを買ったのだそうだ。一緒に「歌のある限りkeep on singing」をハモってくれた。良い歌だとおもう。ただ今一人で唄うのが少し恥ずかしいだけで、粗末にしてはいけない私の大切な歴史だ。
客席に当時を知っている人がはじめて聴きにきてくださった。そういう人に、これからも私は、唄い続けていくならば出会うのだ。
アイリッシュハープを弾く人やこの店で音楽を楽しんでいる人、それから私の好きなシンガー山口敦子さん、大切な友人たち、皆さん本当にありがとうございました。ちいさな打ち上げで千田さんのパートナーの富美代さんやお客さんの歌も披露してもらって、私は今、夜連休の始まりのワクワクした気分に浸った。
 
NHKオンデマンドにてニュースや特集をまとめてあれこれ観る。
100分de名著「法華経」
久遠実成すなわち釈迦は30歳にして悟りを開いたのではなく、久遠の昔からこの法を説き続けてきたのだ、明かす法華経如来寿量品第十六の講義はダイナミックで大ロマンを感じる。
ニュースにて大相撲春巡業で代理の挨拶で土俵に上った中川智子市長が土俵から降りるように命ぜられたという。
アサド政府軍が化学兵器を使用したという。
クローズアップ現代 優生保護法の下で不妊手術を強制された人たち。
ETV「平和に生きる権利」 1962年に起きた恵庭事件を取り上げながら、自衛隊の合憲か違憲かの論争の歴史を観る。
恵庭の酪農家が自衛隊演習の爆音での被害を訴え続け、抗議の行動の中で器物破損罪を訴えられた裁判。印象的だったのは、裁判が自衛隊の存在の合否に論議の焦点が移り、弁護側も酪農家たちの平穏な生活を勝ち取るために戦っているように感じられず、自衛隊を違憲に持っていけなかったことばかりを悔しがって酪農家を失望させたと語る部分。
 
                                                                                             
©春日はるな   

 
 







 

2018-03-07 19:34:41

花・花・花

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3月2日神戸舞子こずみっくにて、まっちゃんライブ。
ここに来るのは3年ぶり。あのとき私はギターをステージの床に落としてめちゃくちゃに壊した。
その瞬間の恐怖は忘れない。再びこずみっくで唄えるのは嬉しい。さすがにリハーサルの時にギターをかまえた瞬間ブルッときた。佐藤有美さんとじゃんぼさんの二人、有美さんは娘のような世代、じゃんぼさんのアルバムでも唄っている、軽くて響いて良いボーカルの人だ。沢山の方が集まってくださった。まっちゃんライブでしか会えない人たちもいる。嬉しくて沢山唄った。まっちゃんが少しはやい誕生日のワインを用意してくださった。で、同じ誕生日のまっちゃんとお祝い。でも沢山唄ってしまったから電車の時間がギリギリでワインは残った人たちに残して帰る。
眞城宅泊。

3月3日徳島寅屋。
朝、眞城家の次男くんと読書談義。三宮から高速バスの予定。待ち合わせのバスターミナルで平田ママとじゃんぼさんを待つのだが5分前なのに来ない。平田さんから電話「あれ?ママどこにいるの?」「よしこちゃんこそどこに居るの?」私が場所を間違えていたのだった。せっかく数日前から場所の地図まで送ってもらっていたのに、本当に私は人の話やメール、ましてや地図にいたっては理解するのがとても困難な人間だ。焦った焦った、なんとかバスに間に合った。
寅屋ではジミスギターズの加藤さんと戎さんの二人のユニットその名もシミーズが一緒におつきあいくださった。戎さんのギターソロの表情が好きだ。
打ち上げで平田さん持参のキムチ様々並んだ。キムチ苦手というジミスギターズ和代さんが平田さんにズンズン進められてキムチを食べていた。私は内心無理しているのではないかしら?と心配したけれど、和代さんは本当に美味しいという。全国でファンが広がるキムチだ。残念ながら赤ワインとキムチは合わないと思う。早咲きの八重桜が美しかった。
そして月は十六夜。

3月4日十三くま。
荷物を千里の叔母の家に置き阪急電車一本で十三。簡単でいいなぁと気を抜いたら出口に迷い、改札で待っている平田ママの目の前を知らん顔して通りすぎた。「ほんま、笑かしてくれるわ」と何度も言われた。やっぱり待ち合わせは苦手だ。
十三くまは小さいけれど清潔感のある店だ。好きな店に好きな人たちが集って下さった。最後はマイクから離れてカウンターの中で唄った。狭いからそこが一番見晴らしが良い。唄い終わっても皆さん居残り、沢山しゃべって沢山飲んだ。

3月5日東京へ戻る朝、叔母家族と柿の葉寿司で誕生日を祝ってもらう。この顔ぶれで先月は恵方巻を食べたのだった。
低気圧で強い雨と風、借りた傘が壊れてしまった。
東中野じみへんにて唄う。いつもより少しだけ短めのセット。4日間、移動し続けて疲れはあったけれど、良い空気が満ち溢れるじみへんのライブになった。と思った。
その後、誕生日を祝ってもらう。その事を知ってるひと知らないひと皆さんでお祝いしてもらう。
大きなお花、手作りのプレゼント、ケーキはふたつも、一番面白かったのは大きな缶に入った入浴剤を五缶も!持ちきれないので帰りはタクシーになった。タクシー代までプレゼントしてくださる。本当にありがとうございます。また一年を始めましょう。
この夜3月生まれが私の他に5人もいた。

3月10日北千住マジカルファンタジーにて。いなのとひら・のとこばの3人との共演。林みちおさんが計画してくださった。
いなのとひら・のとこばとは昨年の夏のラジオのコンテスト番組で会った。その日は言葉も交わさずだった。NHK のスタジオで頭にタオルを巻いた厳つい顔の稲野さんは近寄りがたいものがあった。その後メールでのやり取り、お互いの音源を聴き合ってこういうライブも実現した。この夜ベースの平野さんが初めてウッドベースを弾くのだという。こばさんのギター、稲野さんのギターボーカル、平野さんのベース、なんとなくフォーククルセイダーズを思い出した。彼らのキャリアが結構長いことも今日知った。北千住の甚六屋にも出ていたという。別の仕事をきちんと持って音楽のキャリアを積んできた人たちは、とても優しかった。10分を越える代表曲になった「みんなのうた」はやはり名曲で、最近は手話もついている。お互いの差違を認め合う、尊重し合う、ここからしか本当の平和を築く事はできない。
昼間、溝の口の駅の広場でビッグイシューの販売員さんを見つけたので3冊買った。福島の人たちの特集にいわきの高野くんが取り上げられていた。
高野くんちには子供は3人目が生まれていた。
「毎日が楽しければいい、それが復興に繋がると思う」インタビューの最後にそう答えていた。いつか行っても良い気持ちになったら故郷富岡の夜の桜の森で焼き鳥を焼いてみたいという。
今夜の企画の林さんに1冊渡した。

3月11日大森風に吹かれてにて。
暖かな3月11日だ。
座・飛楽人との3月11日のライブ。
飛楽人のキリンさんが沢山のお客さんを誘ってくださり、満員になった。
風に吹かれては良い方々に支えてもらっている。飛楽人のりょうこさんにフィドルをお願いして「生命の河」そして佐々木由紀さんの歌詞が増えた「月の庭」この日に唄いたかった笠木透さんの「海に向かって」を全員で。
去年も来てくれた方にも改めて私の歌を聴き直してもらえた、そういう感触が嬉しかった。
丸7年、人は少しずつ忘れる。
私は1954年に生まれたが、太平洋戦争が終わってたった9年後のことだ。
ひもじい時代の大人たちはそれでも少しずつ栄養のある食べ物を試し、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、家族旅行、辛い時はもうごめんだと私たち世代にあれもこれも与えようとしてくれた。
忘れるのは速かった。しかし、世の中はまだまだ戦争を引きずっていた時代だった。事あるごとに戦時の話を昨日の事のように話してくれた人達がいた。ラジオでは尋ね人という、引き揚げの人や離ればなれになった人のための呼び掛けの番組があって、幼い私でも大連、樺太、済州島等のキーワードを覚えてしまった。そしてアメリカ、ソ連という言葉をテレビのニュースで毎日耳にして、それは何かあまり良くない話なのだろうと感じた。アンポアンポと茶の間で叫んで騒いで怒られた。

戦後と同じようには考えられないけれど、
現実に東日本大震災の津波の災害と原発事故のために困難な暮らしをする人たちのことを忘れないでいたい。そして原発の後始末と、残された原発のこれからの事をしっかり知っていかないといけない。
3月になってからイサジさんの「帰れない町」を唄いつづけている。

風に吹かれてに久しぶりに来てくれた古くからの友達と密やかにケーキを食べながら最近のお互いのことなんかお喋りをした。


夜の沈丁花が香っている。


誕生日に頂いた花は短く切ってまだまだ咲いていてくれた。

3月12日銀座アミズバーにて。
築秋雄さんが自分の働く店に呼んでくれてのライブ、3回目となる。
20年近くここで働いている築さんは、オーナーの阿見さんがジャズミュージシャンであるのに、こうして私のような歌うたいを呼んでくれる。この夜もWe Shall Overcome を一緒に唄う人やギターの事を尋ねてくれる人、そういうお客さんが集まってくれた。私の仲の良い方々もあり、座り心地の良いソファで和んでしまった。

3月17日大森、風に吹かれてにて唄の市。
加奈崎芳太郎、生田敬太郎、丸山圭子、佐藤龍一、藤岡藤巻、そして私。
佐藤龍一くんの呼び掛けで二年に一度の集まりにタイミングの合うメンバーが集まる。
今回は本当に素晴らしいエネルギーに満ち溢れたコンサートになった!
エレックレコード時代に学んだこと、私にとって大きいのは過酷なツアーに耐えられる下地をつくってもらったことだろうか。
フロントで唄う人間ではなかったから他の人たちとは感覚が違う。
ともあれ全員が現役でやり続けていること、それぞれに成長し続けていること、お互いを認めあっていること、聴く人のための音楽をきちんとやっていること、
そういうことがわかる一日でした。
また今日から頑張ろう!と思う一日でした。中心者の龍一くん、お疲れさまでしたありがとう!マジくんが私の最後の歌でラップスティールを弾いてくれた。心を捕まれる音だ。
そして沢山のお客さま本当にありがとうございました!

3月18日板橋ドリームズカフェにて。
斎藤均さんという方が昨年の秋に亡くなった。斎藤さんは私のライブでも会っていたし、自らがオートハープの弾き語りをしていた。ドリームズカフェに何度も誘われていたのに斎藤さんの病や私の都合でとうとう実現ないままだった。
たまたま杉本邦彦さんが斎藤さんとこの店で知り合っていて、そういうことなら二人で斎藤さんを思いながらやりましょう、となった。斎藤さんのレパートリーで五つの赤い風船の「まるで洪水のように」をこの日のために杉本さんと唄うことになった。
とても難しい曲だったけれど、やって良かった。沢山のお客さんに混じって斎藤さんがやって来ているような気がすると、オーナーの野々村さん夫妻も言ってくれた。初めてなのに皆さん遠くからも近くからも大変ありがとうございました!
石神井川の両岸の桜がポツポツと開き始めていた。

3月21日昼前から雪が降る。3月の雪。
一日、新しい曲のことに没頭。
好きなものが自分にとっての美しいもの。



3月23日郡山オールドシェップにて。
前日に予定していた須賀川のぷかぷかのオーナーお二人がインフルエンザにかかり急きょライブ中止となり、郡山一晩だけの旅となる。でもそれが新鮮な旅になった。いつもの大きなスーツケースではなく手提げカバン、身軽は気軽。
リハーサルの後、一人で並びのスナックおけいに顔を出す。おけいさんは80歳過ぎているけれど本当に綺麗なひと。私は唄う前はあまり飲まないから手持ちのコンビニのご飯を温めてもらおうとしたら、レンジがないとの事、で、おけいさんは「冷やっこいのは良くないよぉ」とラーメンを作ってくれた。「美人は男で苦労するんだ」と言いながら前にも聞いた身の上話をした。で、ラーメンのスープにご飯を放り込んでくれながら私の身の上も聞いてくれた。でもちょっと耳の遠いおけいさんは途中で「がんばんだよぉ、頑張ってよ!」と何度も励ましてくれながらおかずも一杯持たしてくれた。
オールドシェップの本番の途中で、なんとなく励まされながら吸いとられたかな?と笑いが込み上げてきた。
そんなわけで、ゆっくりと2時間ほど。
シェップの伊藤さんは今回も良くしてくださった。集まってくださった皆さんまた会いましょう!


3月25日こまごめわいわいほーるにて。
誰もが浮かれて外に出たくなるようなぬくぬくした、日曜日。お花見の人たちも沢山。
八十川まさえさんが企画してくださった。
まさえさんの応援している黒木ちひろさんと、もう一人くらい?と言われたのでサトチエさんに声をかけて3人のライブとなった。
親子のような世代のサトチエさん、そしてもっとそのしたの世代のちひろさん。
とても楽しみにしていたライブだ。
ちひろさんもサトチエさんも自分の音楽で足元を照らしながら生きている人だ、それは時として辛くて苦しくて、真っ暗闇を経験もするのでしょうけれど、唄えば奏でれば創れば、またぼんやりとでも灯りは点り前に進むことができる。
そしてそのとき、その灯りに励まされたり癒されたりする人が廻りに居ることを、自分ではなかなかわかりづらいのだけれど、必ず居るのだよ!と、私はこの夜に、二人とそして私自身にも語りかけたい気分だった。
残った人たちと用意してくださったケーキや差し入れをいただきながら過ごした。
私たち3人とやはりどこか似ているものを持った人達が集まっていた。
まさえさん、丁寧な準備ありがとう!



お花は2週間私の部屋で咲いていてくれた。

3月26日指の治療の後、神田の小さなバーで新得の宇井さんたちのライブへ。飲み放題1800円の投げ銭ライブ。青虫ノッポというユニット名、青虫が宇井さんでノッポがギターの西村さん、彼のギターは改造されていて5,6弦がベース、後4本はギター、回路も2本其々のアンプから出てくるの。
二人だけれどとても分厚いの。
良い曲ばかり。ゲイリースナイダーの詩でナナオサカキの日本語で唄うかささぎのうた、以前とは全く違う雰囲気で素晴らしかった!新得で農場をやりながらこうして冬の間は旅をして唄う、ちょっと春にずれ込んでしまっているから、まわりの農家はすっかり種蒔きの準備らしいけれど。
私たちに幸せの種蒔きに来てくれた。
今年は新得に行きたいなぁ。

3月29日静岡にて。
会津里花さんとよねやまたかこさんと3人で初めての旅。
青春18切符で始まる旅。
二人が私の曲を聴き込んで、譜面でコーラスアレンジもしてこのライブに臨んでくださった。
準備が良ければほとんどが大成功だ。それに予約で満席になった。
「今日一人の友だちを見送って」にたかこさんのコンサーティーナ、里花さんの一五一会、素晴らしかった!もっと沢山の場所でこのアンサンブルを聴いてもらいたいと、私は唄いながら、愛のある分厚い音に感動してしまった。たかこさんと里花さんとはこの夜一晩だけで、明日からは別行動。
でも翌々実は二人は各務ヶ原の621、私は名古屋かおわったら犬山のふうにお世話になる、目と鼻の先なのに。細い細い歌の道も更に更に奥深く広がって行くもんだなぁ。
静岡まきたさんのお店に集まってくださった皆さんとても嬉しかったです!

3月30日下呂木曽屋旅館にて。
旅館のロビーライブ。
毎年この近くで会える人達が来てくださった。そして旅館に泊まっているお客さんも時々足を止めてくれた。小学6年生の男の子が浴衣姿で最後まで聴いてくれた。私がフォークソングに出会ったのもこんな風な偶然からだったのだもの、唄いながら嬉しくなって、少し時間オーバーした。彼のお父さんがCD を買ってくださった。嬉しいな。
中津川から三尾さん夫妻、萩原の方々とともに小さな打ち上げごちそうさまでした。
夜は木曽屋に泊まらしてもらい温泉。
なんと洗い場は畳敷き!でもそれが足元にふんわりとしてすごく気持ちが良かった、初めての体験。でも起き抜けの部屋で食べる朝御飯はちょっとベビーだ。
戸谷さんが下呂から名古屋まで送ってくださる。昨日はは満開のコブシの花!そして今朝は所々山桜の咲く山々を眺める。

3月31日名古屋パントマイムにて。
昼に着いたパントマイムで佐久間順平さん川崎さんたちに会ってひとしきりお喋り。
それぞれの病気や怪我の話題満載。そして順平さんたちは今日のライブの場所へ、私は散歩の後少しぱんとまいむの隅で昼寝。
3月最後の日のライブは満月だ。
とてもとても長い長い3月だったような気がする。
14年目になるかしらね、変わらないのは頑固な店主と丁寧な店主の妻!美味しいコーヒーとひとつひとつ意味のあるモノモノモノ、沢山の小さいモノたち。コビトがあちらこちらに潜んでいる。
店主と妻の直美ちゃん、いつもありがとうね、良いステージを用意してくださって!
ほぅら、あの人、この人集まってくれた。
福井ナンバーの車にはまたまた楽しい家族と犬もやって来てくれた!

新しい歌を唄うときは初めてのキスをする時のようだ。ぎこちなくて、恥ずかしくて、行き届かなくて、興奮して頭は真っ白で、心はこちらにあるのかあちらにあるのかこちらにあるのかわからなくなる。
初めの2、3回くらいはそうだ。何度かすると色々試してみたり始まるのだ。そして二度とはじめてには戻れない。今月は終わりになってそういう興奮があった。
興奮はどんなふうに聴く人に伝わるのだろうか?

ぱんとまいむのライブが終わりゆるゆるとした数十分ほど、ビールと売れ残った鳥の天ぷらとかつまんだ、直美ちゃんからは手編みの缶ビールカバーを貰った、これはとても良い、何処でもバレないでしょ。
金沢のそらちゃんが自分のバイト代で私のアルバムを買ってくれた。泣きそうだ。
犬山から小川さんと摩利子さんが車で迎えに来てくださった。ありがたいこと。
小川さん宅にてしばらくの時間日本酒ご馳走になる、私はナッツ、小川さんはバームクーヘンつまみながら。
満月で終わる3月、長かったな、とても。
ギターもダルシマーもありがとう。


©春日はるな
2018-02-26 11:48:09

逃げないで2月

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 ©春日はるな

まだもう少し喉をいたわりたいと、出発を一日遅らせて関西に向かった。
2月2日 大阪泉大津ハッピーラビットにて。
新大阪から難波に出て近鉄で泉大津。、はじめて降り立つ。関西空港が近いのだろう大きなキャリーケースの人達。中には赤ん坊が二人くらい入りそうなのを3つも持っているひともいて、私の荷物の比ではない。
よこへさんが声をかけてくれた。ハッピーラビットのえみちゃんはふんわりとした人でまさにラビットだった。リハ終わりお食事でもと、隣の居酒屋にて鰻丼を頂いた。食べきれないからみんなで分けようと箸を入れたら鰻が二段になっていた。豪勢なものを頂いてしまった。地元のおっちゃんたちが憩う店で泉州言葉の解説を受けたけれど真似はできない。みんな声が大きい。
ライブはだんだんとお客さんが増えて最後は立ち見のひとたちも。人が集まったハッピーラビットは人と音楽で温まると安心なものが漂った。こういう素敵な溜まり場があるんだ。
よこへさんは2011年の春、あの東日本大震災の直後からタバコをやめたという、私と同じだ。
 
2月3日早朝に尚子さんが迎えに来てくれてフェイシャルエステをしてくれた。なんとなく顔の汚れがとれたような気がする。
吹田の叔母の家にて大量の太巻きずし。節分なのだった。私には節分に太巻きを食べる習慣はない。叔母は東京育ちであるけれど関西に嫁いで半世紀以上、半分関西人になっている。92歳になる激しく元気な叔父と、私と10歳違いの従妹とみんなで太巻きを静かに食べた。叔母はこの数か月の間に体の動きがずいぶん悪くなっているようで戸惑ったけれど、記憶力は冴えていて次の私の予定をすぐに覚えた。
92歳のすこぶる上手な運転で駅まで送ってもらい阪急電車一本で南森町。平田ママと待ち合わせチャクラ。スーマーくんとの初めての試みのライブ。企画者はジョニー。ジョニーは私の喉を気遣って蜂蜜大根のドリンクを作ってくれていた。音響は岡本修道くん、受付は平田ママ、最強安心のチームです。「もうない船」スーマーくんの名曲のひとつ。彼のギターのみで唄うというとてもスリリングな試みも新鮮でした。スーマーくんとスーマーくんの歌両方に感じるのは「嘘のない」という言葉。言葉にすると「薄っぺらいけれど」、嘘のないように生きていこうとするその人を感じます。会話も弾んで2時間半。一夜だけの豊かなライブだった。二度と同じようには出来ないね、こういうステージ。また一緒にできたらいいな!寒い夜に集まってくださった沢山の皆さん、本当にありがとうございました。ジョニーが鍼灸の治療家の先生を呼んでいて、なんと終わってから体を緩めていただいた。マイケルさんが叔母の家まで新しい車で送ってくれた。
声はずいぶん出るようになった。炬燵に入り従妹と旅の話や家の片づけの話をする。彼女と台湾旅行したのが懐かしい。静かな暮らしを老親と過ごす人といつかまた必ずどこかへ安い旅をしよう。
 
2月4日立春すぎたけれど寒さは頑張っている。寒い奈良に向かう。玄関で杖で支えながら叔母が見送ってくれた。またね来月。
また近鉄に乗って新大宮。ショーボウさんが迎えに来てくれた。バンダメリリーではいちもとみつるくん、程なくタコヤキ。タコヤキは数日前に白内障のレンズを取り替える手術をしていて今回は無理と思っていたけれど、なんだか体がムズムズして弾きたくなって来たという。鴨川コンバースの池谷りえさんの歌がとても心に響いてきた。いちもとくんが賑やかにやってくれて嬉しかった、そして私とタコヤキ。タコヤキのスライドギターがビュンビュン唸りをあげた。これまで聴いたこない音とフレーズだ。ビックリしながら私も一緒に昇ることができた。
凄いもんだ!
寮美千子さんが聴きに来てくれた。奈良少年刑務所詩集を編纂した寮さんに聴いてもらうのは「僕のゆめは」の完成記念コンサート以来だ。急きょアルバムに入れた少年たちの歌を唄った。寮さんが歌詞を書いてくれて何とか唄えた。
そしてこの夜のもうひとつのスペシャルは5人で弾くマウンテンダルシマーだ!池谷りえさんから始まって、この数年の間にダルシマーを弾く人が二人も増えた。この夜はそこにいちもとくん、私が加わって大合奏になった。コードのおさえ方やストロークが私のやり方にとても似ていたりして、ちょっと照れ臭くなったけれど、それは皆さんが私のCD やDVD で研究していたからかもしれない。ここでしかない現象だ。どのダルシマーも美しい造りで一人一人の佇まいも良かったです。またやりましょうね。Hisayan&Mikaさんという夫婦デュオのCDをいただいた。大阪慕情とても良い歌。私たち世代の今の恋の歌。
ライブ後にいちもとみつるくんのお父さんが奈良少年刑務所に車で連れていって下さった。寮さんがガイドで、月明かりの下に美しく立派な建物だ。ここはもうすぐホテルとして利用されるのだという。詩の授業のために寮さんが通った坂道を通りながら、彼らとの交流がどれ程自分の心を浄化してもらえたのか、そんな話を明るく話してくれた。

この夜は池谷りえさんのお宅にお世話になる。そして家で落ち着いた時に、りえさんの口からこの日の昼間にお父さんが亡くなったのだと教えられた。それが信じられないくらい笑顔でライブを進行してくれていたから暫く言葉が見つからなかった。今夜のライブの出演者もお店のシゲさんも関係者はきっとみんな知っていて私にだけ言わずにいてくれていたんだろうと気が付いた。私のライブのために動けなかったりえさんに代わって一日頑張った息子さんも帰宅して、もうなんだかこの夜はみんなくたくたですぐに寝ることに。布団の中で自分の父親の時のことを思い起こした。霊安所に眠る父を残し池袋のホテルに泊まって、それからいたたまらなくなって友だちに会ってお酒を飲んだ。長い夜だった。
翌朝おいとまする前に、りえさんと一緒にお父さんのご冥福を祈った。
特別な一日だった。ほんとうにありがとう。ずっと忘れないでしょう。

2月9日 早朝一番の飛行機にて釧路へ。
温泉のついたホテルでラルゴで唄う前に温泉に入ろうと思ったけれど眠り込んでしまった。いつでもそうだ、雪のなかにやって来たときは必ず眠くなる。釧路川が凍ってっていた。ジョニのRiverを思い出す。
ラルゴは2年ぶり。階下の豊文堂古書店にてプレヒトの愛の歌と子供の十字軍、2冊。初日から重たくなるので一冊は送って貰うことに。
ラルゴの大輔くん、豊文堂書店の川島くん、ふたりとも40代半ば、だからここには私より若い世代の聴き手も来てくださる。
この夜もいろんな年代の人が集まった。
飛行機の日は少しフラフラする、それも含めてゆっくりなステージ。
終了後呑み屋街の中華料理屋で若い人の選ぶ餃子焼そばチャーハンで打ち上げ。

2月10日釧網線にて9時前に網走に向かう。
1両の列車は観光客超満員で驚いた。網走の矢野さんから進行方向右に座ってとメールが来た。網走の手前で流氷が見えるからという。偶然右側に座って、小清水を過ぎた頃確かにシャーベット状の氷が海岸線に届いているのが見えた。初めて見る流氷。
網走駅でパギやんと合流。
女満別大空町の町営温泉でのライブ。寒い夜に皆さんよく来てくださいました。矢野さんとのセッションもとても久しぶりだったけれど、新しい曲も聴いてくれていて、嬉しかった。
打ち上げでは大量の牡蠣の酒蒸し、大量のワカサギ天ぷら、大量の鮭やハタハタのいずし。食べ過ぎたのか、昼間の温泉のせいか膝の裏が痒くなった。
 
2月11日網走にて。ふれあい夢の樹ホームに今年もお世話になっている。このシェアハウスはグループホームよりも自由な形の施設だ。前回はCDも買ってくれたKさん、新入りのTさん、二人ともライブに来てくれた。嬉しい。それから会場には北見からの田澤さん夫妻。北見で10年以上前に聴いてくださっていた。そうだ大雪の夜で財布を落として見つからなくなった夜だ。そしてこの田澤さんはLINKAの小松崎操さん等の友人で演奏家で、星直樹さんのソロアルバムではゲスト演奏していたことをこの夜別れてから思い出した。星さんのアルバムでは奥さんの広美さんのコンサーティーナがとても好き。
パギやんとの二日間のライブ。こうして旅をしたのは初めてで、食事を数回共にして、お互いのステージをきっちりと観て、そしてお酒を飲みながらの会話に耳を傾けた。優しくて生一本でちょっと恥ずかしがり屋さんでもあるとおもう。私はこれまでに数回、パギやんが大声で怒っているシーンに出くわしたことがあって、それはこちらの心臓がバクバクするような光景で、でもその頃私は具合悪かったからそういうのに弱かったこともあったのだけれど、今回は怖いパギやんは登場しなかった。今度はどこかにパギやんの歌うキネマを観に行こう。
そして矢野敏広さんにはとってもお世話になった。二日間のライブの準備、演奏も二人分出ずっぱりで。圧巻は網走での打ち上げの料理だ。小さな体でキッチンを仕切って、ごちそうさまでした。伊藤まさみ、かなこ夫妻にも会えました。
 
2月12日夢の樹ホームは朝からなんだか賑やかだった。起きていくとTさんが救急車で運ばれたという。早朝に倒れているところを見つけ、心臓マッサージをしたら息を吹き返したんだという。発見が遅かったら大変だった。ここでは孤独死はない。ほんとうによかった。
網走から特急大雪に乗る。時間通りに着いたので迎えに来てくださった亀野さんと千葉かよこさんが驚いていた。天気予報では荒れていくらしい。二人がクローバーギンザスペースという名前のカフェでライブを用意してくださった。清潔なちいさなカフェに旭川もことさら冷え込む夜に集まってくださった良い聴き手の前で千葉かよこさんが唄って、途中で亀野達夫さんもバンジョーとギターで参加。私のところでは立谷さんのハーモニカをお願いした。突然だったから立谷さんは慌てて車まで楽器を取りに行ってくれた。
最近ポールサイモンがツアーの引退を表明したことから、老人問題で話が盛り上がってしまった。亀野さんもいつも自分を爺さんと言いながらなかなか辛辣な話をするのだ。杖を振り回して歩く代わりにギターやバンジョーを奏でながら。
客席には10年以上前に私を真冬の旭山動物園に連れて行ってくれた人がその時以来やってきてくださった。今はあんまり行きたいとは思わないけれど、良い思い出だペンギン行進。
寒い寒い吹雪の夜残った人で居酒屋へ。亀野さんとかよこさんとこうして外に飲みに行くのは初めてで、畳二畳の小部屋で、人の醜さ人のやさしさそして世界平和についてまで言いたい放題した。それにしても冷えて風が痛かった。
 
2月13日旭川から岩見沢へ移動
線路のポイント交換が大雪で出来なくて列車がやってこないため足止め。今日を移動日にしてほんとうによかった。守られた。
宮崎さんが夕暮れ近くにたどり着いた岩見沢駅に迎えに来てくださった。岩見沢の冷え込みも相当で零下10℃くらいだろう。道は除雪も間に合わずに積もった雪がかちんかちんに凍ってスケートリンクだ。この道をキャリーをもって歩くのは至難だからありがたかった。
夕食を誘われたがちょっと疲れていたので一人ご飯にした。近くの居酒屋、なんとなくの勘で入った店は女の人がやっていてカウンターにはお一人様の女性の先客。そのひとが餃子を頼んだので真似をしたら美味しかった。純米酒1合半とカレイの煮つけも。
 
2月14日緑中学での授業は4回目だ。1年生のときには前に出てくるだけで精いっぱいだったZ君が高校入試合格してもうすぐ卒業だ。ひ弱な体つきだったのに今では砲丸投げの選手という。1年のそのときやっとのことで前に出てきたZ君に涙を流さんばかりに喜んだ担任の日向先生のことも懐かしい。卒業させるのがもったいないと日向先生。もう一人初めて会うAちゃんは将来声優になる夢を語ってくれた。私はこの人たちと近い感覚をこの人たちから引き出してもらう。それはいつも新鮮な歓びだ。今日はブルースではなくてメロディアスな曲が1曲出来上がった。Z君の受験の体験記だ。それにしても問題をみせてもらったけれど私には数学は一つも解けなかった。-2+(ー6×8)=????
 
Mスタジオで夜の部。リバーブが強いかなと思うのだけれど、お客さんが入るといつもちょうどよくなる。
宮崎さんが一人一人声をかけてチケットを売ってお客さんを集めてくださった。今回はなんと宮崎さんのおごりで札幌クラシック生ビールの飲み放題もついているのだ。前日、もう来年は無理かもしれない、と言っていた。私一人で回ったら毎夜4~5人のお客さんという旅が続くところを、こうやって何か月も前から手弁当で用意してくれる人のおかげで良い思いをするのだ。無理はしなくていいから、今度は普通のお客さんでいてください。飲み放題のビールのピッチャーが席を回っていくのを観ながら心から感謝です。長沼からこぐま座のバレンタインが来てくれた、バークレーの知り合いの言づけと今年の星占いを持ってきてくれた。今年は長沼に行きたいな、夕焼けを楽しんで唄いたいな。
夜はパギやんの紹介で出会うことになった佐々木さんのゲストハウスに泊めてもらい、薪ストーブをつけて暫く温まって眠った。
 
2月15日札幌へバスで移動。前夜から合流したりゅうが荷物を半分手伝ってくれる。
夜、クスクスに食事をしに、そうただ食事をしに出掛けた。なんて贅沢な時間でしょうか。ワインと美味しいものばかりだった。クスクスではじめてクスクスを食べた。隈ちゃんちょっとおまけしてくれたかもしれない。
 
2月16日札幌ジャックインザボックスにて。
オープンは6時からスタートは7時半。だからその間みんなでカレーを食べてお茶を飲んでお喋りが始まる。ああ北に来たなあと思う瞬間だ。
冬ん閉ざされた暮らしで、久しぶりに会う人たちと近況を話す。小さな声だけれど話は尽きない。
渡辺てりーさんが一番でやって来た。本当は渡辺家に泊まってもらえたのにとごめんねばっかり。どうかてりーさんヨーコさん暖かくなるまで養生してください。横谷かずみちゃんがいつものようにプレゼントを持ってきてくれる。フライヤーはご主人がつくって、彼女はいろんなところに配ってくれた。小松崎操さんがやってきた。聴いてもらえるだけでうれしい。泉夫妻、それから女満別にも来てくださった鈴木さん。やっと顔と名前が一致できた女性、それからなんと京都から佐治さんたちがやって来た!さすがに和服の着流しではなくて分厚い洋服を着ていたけれどビックリだった。石垣で昨年末に今度は北海道でとの約束を忘れていなかったんだ。生の歌と楽器が良い加減で響く部屋。
終了後は日本酒の一升瓶が出てきて、でも飲むのは店主高倉さんと私と後二人くらい。高倉さんがボタンアコーディオンを弾いてくれた。酔っぱらうと難しいと言いながら酔っぱらって弾いてくれた。雪の降る夜に皆さん本当にありがとうございました。タクシーで帰るので私とりゅうは高倉さんともう少し飲んだ。それでも高倉さんはちょっと話したりない様子だった。北海道の夜。
 
2月17日才谷屋にて。サカナヤサニーという人と共演ときいていた。才谷屋に行ってみたら4人のメンバーのバンドだった。サカナヤさんとサニーさんがメインで、サカナヤさんは酒井優さんピアニカ、サニーちゃんはう若い女性でブルースハープ!そして重鎮のベースとパーカッション。サカナヤの酒井さんが本番の前に打ち明けてくれた。なんと幌延の法昌寺の順子さんの弟さんなんだって。びっくりでした。ああ幌延行きたくなるなあ。サニーちゃんのブルースハープは良い音色だ。
私はとてもゆったりと沢山うたった。この店でしか会えない人たちがたくさん集まってくれる、もちろん初めての人も、それからハガキを書きながら、顔と名前が一致していなかった人が出会ってはじめて来てくれた。富良野から札幌に来た佐々木さんも、りびあん音楽堂お二人もお土産いっぱい持って。りゅうが珍しく感想を言った。今までで一番良かった。そう感じてもらえてうれしい。
才谷屋のも~り~は冬眠の熊みたいにふかふかな身体になっていた。店を開いて15年、私も始めて15年。
ここは日本の旅をするミュージシャンたちの事がわかってしまう情報基地でもある。なんだか知らないけれどそういう処だ。
また来年もよろしくとリクエストしてもらった「だびよんの鳥」を最後に唄えました。
 
2月18日芦別 珈琲 貘にて。
札幌からバスで芦別。雪の深いところを走る。眩しくて外を眺めていると目が辛い。
貘は雪にうずもれていた。西正さんが周りを雪かきして待っていた。ここでコーヒーを飲みながら好きなミュージシャンの映像とか観るのが楽しい。なんか面白いのある?と聞いたら何にも云わずに西正さんが流してくれたのは「芦別の歴史」というとても地味な映像だった。石炭列車が走っていく、芦別三井炭鉱の記録が沢山編集されたものだった。昭和50年代の終わりまでこの街は炭鉱に支えられていた。大きな落盤事故もあった。炭鉱で生きる人たちの暮らし。閉山のために職を探す人たち。一時間ほどの初めて見る映像。唄う前に見せてもらって良かった。西正さんは私の新しいアルバムの曲目をみて、今夜はこれをみせようと思ったと言ってくれた。鉱夫の祈り。ありがとう西正さん。
ツアー最後の夜らしい、冬の北海道のツアーにふさわしい静かな夜だった。私は疲れが出てしまって、ちょっと詰った声とギターになってしまったけれど、それも含めてラストショウだった。久しぶりにプロレスラーの若松さんが大きな体を揺さぶってきてくれた。それからみんなと話をするのを楽しむ人たち。ほんとうにありがとうございます。
帰りがけに、今年は幌延にも行きましょう、と西正さんが言った。行きたいな。
翌日、中尾さんが旭川空港まで送ってくれた。保安検査場に吸い込まれるまで見送ってくれた。襟裳岬ではないけれど、なんだか切ない気持ちになった。
毎年、決めていても出かける直前になると少し不安な気分になる。厳しさはわかってるつもりでも、年々体もきつくなっていくし、お客さんも同様で事情も変わるし、そして今年はとりわけ雪の多い困難な冬になったから。
それでもその場所に生きる人たちに実際に会えることが私の歌の旅の大きな部分を占めている。
羽田空港に降り立つと何処も白くない地面、厚着していると少し窮屈だ。梅が咲いている。白い世界から10日ぶりに戻るとこんなに近いところに春。
ポールサイモンは家族との時間をもっと持ちたいと、もう少し落ち着いて暮らしたいと75歳でツアーから引退した。さてあと10年あるなぁ。
北の冬の旅でお世話になったすべての皆さん、今年も本当にありがとうございました!
 
2月21日青山でまさえさんと食事。お誕生日はとっくに過ぎてしまったけれど。一対一でないと話せないことがある。といって特別なことを話すのではないけれど、楽しい。まさえさんは徳島にいる病のお母さんに週に一回ハガキと小さなものを送ってるのだという。離れていても出来ることをしていて、噺を聴いて嬉しくなった。
 
2月24日国立谷保かけこみ亭にて。「護憲と反戦平和の共謀コンサート」に参加。第三回目という。小林直樹さん、藤本すすむさん、みほこん、西島寛二さん、館野公一さんそして首謀者マスダさん。
かけこみ亭は普段人気がないとちょっと不気味な地下の店なのだけれど、この日は時間が経つにつれて人が増えて行って最後は立ち見の人。みほこんが終わって休憩時間にみんなカレーを注文して、長丁場に備える。自分の考えをきちんんと口にできる人のうたう歌には、たとえそこに直接的な反戦反核、政治的な文言がなくっても、いえいえないからこそいのちに訴えてくる。そして自作他作は関係ない。小林さんの球体のうた、藤本さんのカタクリの花、みほこんのおっちゃんのうた、西島さんのスライダーをおぼえて、館野さんの海辺のフォトグラファーやハリケーン、みんなで唄った平和に生きる権利。誰もが戦争に反対で、差別に怒る。音楽はそういう人の居場所をつくる。
歌だけで世界を変えることは出来なくても、今日時間を共にして歌を分け合った人たちはいざとなった時に争い合うことはしない!そういうことを確認しているんだともう。それはとても強力な民主主義だ!
マスダさんおつかれさまでした。ぼけまるさんいつも美味しい体に良いものをごちそうさま、史ちゃん手のマッサージありがとうね!
 
2月25日東京都中央区佃にて。
誘ってくださった小川さん、伊藤さん、ずいぶん昔、吉祥寺ののろで初めて私を見たという。それは多分15年前くらいだ。それから何度かライブに来てくださっていたけれど、去年小川さんから往復はがきでライブのお誘いをいただいた。往復はがきにちょっと感激した。
佃という東京下町の路地にある軒を連ねた民家の一軒。やはり小川さんというお宅、昔はそばで酒屋をやっていたという。そこに素敵な音楽室があった。立派な機材とステージ。誘ってもらえて本当に嬉しくなった。さりげなく飾ってあった昔のコンサートのポスター。読んでみるとジェームステイラーとペンタングルという組み合わせ。その次の回はジミヘンドリックス&エクスペリエンス!場所はバークレーのキャンパス内のホールだ。なんとなく手垢にまみれていない美術品を探し当てたような気分になった。
皆さんとても丁寧に耳を傾けてくださり唄いながら感動してしまった。
で、終わってからの懇親会という名の時間がまたまた明るくて健康的だった。元酒屋の家主のチョイスしたワインや日本酒がふんだんに出されて、皆さんとってもお強い!で、元気!この日は青森からのお客様が4人もあって、この方々が自然に下町の宴会に溶け込んでいて、それを見ているのも私は嬉しかった。今時、なかなかありそうでないコミュニティだと思う。素敵な人たちに出会うことができました。早くから始まったライブと程よい時間で〆た打ち上げ、家に戻ったのは10時過ぎ。なんと健全な一日でしたでしょうか。
この日青森から来てくださったYさん、前回は去年の夏、お父さんの納骨で、たまたま私のライブに。そして今回はお母さんの納骨で。そういう不思議に会うことができました。
そして翌日もう一組の青森チーム菊地夫妻と久見さんと信濃町でメーヤウのタイカレーを食べて、駅前で、お互いに頑張ろうとスクラムを組んで別れた。
 
北海道から戻ってよくビデオを観る。「ベッシー」「グレイガーデンズ」etc,,,
ベッシースミスをレコーディングに誘ったのはジョンハモンドだったのか。彼が声をかけるシーンはちょっとゾクっとする。離婚や困窮ですっかり落ち込んでいたベッシーが、それでも地道に自分でチケットを配ったりして小さなギグをした時だ。「外で名前を観た時に本物のベッシー?と驚いた」というハモンド。ドラマだけれどこういう設定はいつだってときめく。
グレイガーデンズは大好きなジェシカラングが老けて凄みの有るおばあさん役で面白かった。ジャークリーンオナシスの叔母イディと従姉妹にあたる娘のリトルイディ、1970年代の半ばに彼女たちのドキュメント映画がつくられていたなんてはじめて知った。それはそのドキュメントのドラマ化映画。猫とごみの屋敷に住んでいながら何とも言えない気品を感じる二人。依存的な二人に親近感を感じた。おしゃれだし。もう一回観よう。
御殿場からこの季節にしか食べられない水かけ菜が届いた。ありがとうみさえさん。
そろそろ新しいのを買おうか、と足の欠けたカップで紅茶を飲んでいたらピンポンと荷物が届いて素敵なカップが出てきてびっくりした。ありがとうNさん夫妻。
都留の一家から電話で、そろそろ遊びに来ない?と誘われた、うれしいよ声かけてくれるだけでも。近々に。
息子たちから暖かくなったら会いましょうと電話あり。そうだねマイルをためましょう。
 
 


 
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