ソングライン
5月2日 吉祥寺のスタジオで録音最終日でした。
エレキベースをかわいしのぶさんに2曲、お願いしました。
初対面ですが、だいちゃんこと近藤達郎さんの人脈です。
しのぶさんの生まれ育ちが品川区の戸越と聞いて、池上線沿線育ちに親近感。美しい旋律のベースに聴き惚れて、おまけのコーラスも2テイク参加してもらいました。
だいちゃんの片づけが終わり、車庫に降りると2羽のツバメがパタパタ忙しく羽ばたいています。巣があるのだな。。。
2月の寒い時期から少しづつやり始めた録音、ツバメの夫婦にお疲れさんをしてもらったような気もしましたが、だいちゃんはここからが大変なのです。私もジャケットやブックレットの文章、一番苦手な事が待っています。
でも、とりあえず今日はゆっくり吉祥寺の裏通りを歩いて美味しいものを買って帰りました。
5月9日岡山Barウルガにて。
この町に来たら必ず覗く店だけれど、barの二階でうたう初めての日でした。至近距離で休憩なしに聴いてくれるひとたち。ありがとうございました。
最後は、主の久味子さんに捧げる「今は黒く濁った河だとしても」。彼女の存在は、風に折れそうに揺れながらもすっくと一本咲いているバラの花のようだと、、思っているのです。
別れ際に抱き合うと、細い身体が私に小さな灯を分けてくれるようです。またね!必ずね!
今夜から約1週間、尾崎ツトムさん宅にお世話になります。
5月10日牛窓てれやカフェにて。
天気に恵まれて、牛窓の海は光って、空では飛行機雲が模様を描いていきます。注文したチョコレートケーキ、夕日を眺めながら少しずつなめるように食べました.。
今日のチョコレートケーキは時間の味みたいです。
遠くからも聴きに来てくれた人たちがありました。
これまでも必ずそうでしたが、牛窓という場所が呼び寄せるのかもしれません。本当に美しくのどかな処です。
主の小林くんのバンド、ブルーオイスターと最後はデスペラードをうたいました。
5月11日岡山サンタムール伊東にて。
昨年、牛窓のてれやカフェがきっかけとなり初めて歌うことになりました。小さなレストランにぎっしりの椅子、膝の上にトレイをのせてカレーを食べて、それからライブです。
名刺にはフランス料理とあったので、主の伊東さんに、「フランスに行っていたのですか?」と聞いたら、「インドにいました。」ということで、1970年半ばころにインドネパールあたりを一年旅したのだそうです。ライブメニューのカレーにはカルダモンが丸ごとゴロっと入ってスパイシーでした。伊東さんの人生のこだわりのように思いました。
初めて聴いてくれる人がほとんどでした。アンコールに「月の庭」を唄ったのですが、2番で歌詞が出てこなくなり、、、そうしたら一緒に口ずさんでいた唯一のお馴染みさんから歌詞の助け舟。ありがたい!
店の外で荷造りをしていて、蚊に刺されました。今年初です。
5月12日お休みの日。
午後から、ちょっと身体のメンテナンス。めったに受けることはできないような高級な施術、この数年、毎回プレゼントしてもらっています。一年に一度の点検のようです。
お礼にダルシマーで一曲。自分でもびっくりするような響きの声でした。目の前で聴いてくれる人にも響いたようで、やっぱり身体が緩んだからでしょう。
夜は、尾崎夫妻と、市場恵子さんと四人で食事。こんなに沢山会っている間柄なのに、4人だけは、初めてかもしれません。市場さんの娘である大塚愛さんがトップ当選をした、先日の統一地方選挙のことなども話しながら。
議員7年目の愛さんにも会いたいなあと思います。彼女との出会いは震災と原発事故の翌年の夏の福島川内村です。
愛さんたちが自力で建てた家の五右衛門風呂に入れてもらった夜でした。
5月13日岡山禁酒會館にて。
大雨になってしまいましたが、それでも小さな館に集まってくれた人たちと今年も一緒に過ごすことが出来ました。
いつもは仕事でぎりぎりに駆けつけるOZAKI UNITのメンバーが早い時間からセッティングとリハーサルしたということで、私がサウンドチェックする前にステージがすっかり整った気配でした。きっと今日は雨以外はすべてがうまくいくな!と思いました。
その予感通り、OZAKI UNITのステージは迫力がありました。とくに、ヴォーカル尾崎さんがギターを持たずに唄うスタイルはかっこよかった!鳥取から夫婦デュオぺんぺん草の2曲とても良い歌でした。老人ばかりの寂しい場所になってしまった「永江団地」は心にしみましたし。「フードバンク」はぺんぺん草の大森夫妻の地元米子のフードバンクでの実際の小さな声と小さな願いを唄ったものです。私が現役シングルマザーだったときにこの歌を聴いていたら号泣したな、、、とウルっとしました。そして私は新旧沢山うたいました。もっともっとずっと唄っていたいと思う夜でした。
最後の最後、黒瀬尚彦さんのギターで唄いましたが、これまでで一番息が合ったと感じました。
5月14日姫路市ひがし交流センターにて。
もとは幼稚園だった建物。子供たちが少なくなって、時々こういった元幼稚園、元小学校、そういう処でうたいます。
お客さんも出演者も一階の食堂で、まずは蕎麦打名人の山下さんの蕎麦をいただきます。
民族舞踊団花こまの面踊りというのが本当に迫力のあるものでした。防衛費増額への抗議、核兵器廃絶の願いのメッセージが込められたパフォーマンスでした。自分の体半分はある紙製の面を瞬時に取り換えて演技をするのですが、お面は口でくわえているのでした。沖縄の辺野古で演じた時には、海風でお面ごと飛ばされそうだったとか。。。
姫路労音の皆さんが毎年心を尽くしたサプライズを用意してくれます。今年は、私には尾州織りのストール。私のツアーをサポートしてくれている尾崎ツトムさんには誕生日祝いの歌とプレゼント。
岡山に戻って、尾崎家にて最後の夕食。
毎朝、そして毎夜遅くに、食事を用意してくださった尾崎清子さんには感謝しかありません。「あり合わせでごめんね」何度も言われましたが、私のおなかには食べつけない贅沢な料理より、ご飯とみそ汁と漬物が有難かった。おかげで体調を崩すこともなく元気に唄い続けられました。お土産に去年の冬に仕込んだお味噌をもらいました。
尾崎さんとは、毎年一年分の対話を連日やり倒します!ちょっと寝不足ですが、対話から良い果実が実っていきますように。
5月15日備前カフェ・ランバーにて。
山陽道ツアー最終日です。
ツアー中に2回3回と聴いてくださった人あり、遠くをを旅してたどり着いてくれた友人あり、小さな町の小さなカフェでも初めて聴く人もあり、そして歩いたり自転車で来てくれる人たちあり。毎年、庭のバラを届けてくれるひと。今年は花のほうがちょっと速足だったようで、花瓶では支えきれない満開の花は皿に浮かんでいました。
途中で激しい雨が打ち降りましたが、雨の音に消されないように歌っていくと、聴いている人もひとつになっていくような感じがしました。そしてなんとライブ終了後には青空に微かにうっすらと虹を見ることができました。それは、旅の最終日にふさわしい演出!
終わってからの小さな宴会。普段は女性ばかりなのですが、今日は沢山食べる男性が二人もいて、ご馳走の皿は全部きれいになりました。
5月16日海を見下ろせる茶臼山公園で、いただいたお弁当を食べようと、ランバーの峯子さんたちと出かけましたが、公園には入れず、それでも木陰にラグを敷いてピクニック気分。お弁当は地域食堂を頑張っているひとからのもの。
峯子宅に一緒にお泊りした友だちに岡山駅まで送ってもらい、丸々8日間の旅のおしまい。
新幹線も3割~4割安くなるジパング倶楽部を大いに使って。今日は各駅停車のひかり号。
旅の間はWi-Fi環境ではない場所が多く、
新幹線のフリーWi-Fiで近藤達郎さんから送られてきた音源を、スマフォでやっと聴くことができました。
必要な楽器を足したり、丁寧に音を整理してくれた曲を聴きながら、想像以上の奥深さと美しさに涙が溢れてきました。入稿締め切り予定日まであと1週間。
5月18日長旅の疲れというのは、実は帰宅して数日遅れくらいに襲ってきます。で、今日はまだなんだか余力あり、長いつきあいの絵かき、春日はるなさんの「手づくり絵はがき5万枚達成記念展覧会」へ出かけました。差し入れに備前でもらったお茶とはちみつを持って。。頂き物はこうして贈り物に生まれ変わります。
はるなさんの実家で開かれている展覧会は、彼女の創り出してきた絵はがきと同じくらい、小さくて丁寧でいとおしいものでした。誰も住まなくなった実家の部屋に、小さなちゃぶ台とそこここに貼られた沢山の絵はがき。
お茶を飲んで絵を見ている間に、はるなさんは小さな台所でいそいそと小さな晩御飯を作ってくれました。だから完全予約制の展覧会です。美味しく食べて、はがきを7枚買って、木造の小さな家を後にしました。
その場所が東中野の山手通りから数メートル入ったところにあるなんて、絵本の世界に一時迷い込んでいたので、外は全部が大きく見えました。
近くの店でやっていたいとうたかおさんのライブに寄りました。良い歌とギター.。hallelujah~no more auction blockのメドレーそして「自由な奴」を最後に聴けました。
今日はたっぷり外遊びの日。明日はたまっているあれこれをやりましょう。でも疲れもたまっている。。。ね。
5月23日アルバムの曲順を決め、最終の音を近藤さんにつくってもらいました。精魂こもった音です!
ぎりぎりまでジャケットやライナーブックレットの文字、文章のチェックをして、予定通りに入稿が終了しました。
ライナーのあいさつ文にお世話になった人たちのことを書いていくと、おもいがどんどん溢れてきます。
毎回のことだけれども、この最後の二日間くらいというのは、ずっしりとした重みのある時間になります。。
リリースという言葉を使いますが、音楽ならば発売、映画なら封切り、公開。もともとは解き放つという意味に使われることの多い言葉。そのとおり、やっと解き放たれた気分。大袈裟ですが子供を分娩した瞬間の感覚にも通じるかもしれません。
タイトルは「ヨイシラセ」全14曲収録しました。
6月の半ば過ぎには出来上がってくる予定です。
皆さんどうぞよろしくお願いします。
5月27日都内に出た足で思い立ち吉祥寺へ、なぎら健壱+OWN RISKのライブへ。
なぎらさんは胆のう摘出手術をひと月前にしたとは思えないエネルギッシュなステージでした。途中で呼び出されてステージ上でギターを渡されたのですが、そのヤマハのヴィンテージギターの重いこと!弦もヘビーゲージが張られているのでしょうか、弾きだしたは良いのですが指がびっくりしたみたいになってしまいました。
MANDALA2のステージのバックの壁は地層のような模様です。なぎらさんはここでマンスリーライブを40年以上続けているそうです。
音楽の地層を今夜もひとすじ積み上げているような時間でした。
帰り道、、立川駅で間違って南武線のつもりで五日市線に乗ってしまい、それを気づかずに今度は本に夢中になって、とてつもなく遠いところに行ってしまいました。帰宅したのは午前1時。
5月28日多摩warpにて。
今年のwarpのライブは特別な気持ちで迎えました。
新アルバム録音の基本の音は、すべてwarpの地下室を借りて録ったのです。
2月の寒い時期には、石油ファンヒーターを2台つけて、換気扇を回して、でも本番には音の出るものはすべて消すので、結構寒かったです。しかし、静かできれいな環境で集中して作業が進みました。この地下室がなかったら今回の録音は成り立たなかったでしょう。
ライブの前にwarpの小林さんから、エンパナーダ(スペインのミートパイのようなパン料理)を本場チリの人が作って持ってきてくれるとのメール。それ以外の情報はなく、そして
示し合わせたわけではなく、アンコールは、warpの小林さんのアコーディオンと一緒に「平和に生きる権利」を皆で唄いました。
残った人たちと、テーブルを囲んで、温められたエンパナーダを食べました。しっかりとしたパイとパンの中間くらいの生地の中にはひき肉やレーズン卵などが詰まっていて、トマト玉ねぎのサルサソースをかけて食べます。
作ってくれたのはクラウディオさんという若々しく見えるけれど63歳のチリ人の男性でした。
皆でエンパナーダを美味しく食べながら、彼の話を聴きました。
元々はチリを出て、ヨーロッパで暮らしていて、料理人として1996年に技能ビザでやってきて以来日本での生活は27年。しかし12年前、新たな店に移動するという計画のときに3.11の混乱で保証人が放射能を恐れて海外に逃げてしまい、仕事もビザも失い、以来申請は受け付けられず在留資格のないままなのだという。
自国へ帰れない事情があることも教えてもらいました。
1973年のピノチェトによるクーデターで、クラウディオさんの父親は軍部に協力をして民主化運動をしていた人たちを虐殺したという。その後ピノチェト政権が倒れ1990年の民主化後、お父さんは自分が虐殺をしたことを公の場でに証言しました。すると極右派からは裏切り者、極左側からは虐殺者として一家が迫害を受け命を狙われることになったのだそうです。
そして彼の国外生活がはじまりました。
過去の為政者の間違った政治に翻弄されて、国を捨てざるを得なくなり、ヨーロッパ、日本へ、やっと手にした穏やかな生活を、災害と原発事故という不幸なアクシデントに遭遇し失ってしまう。
入国管理事務所いわゆる入管の暴力的実態も少し話してくれました。
彼に一人の人が「今日唄ったビクトル・ハラのつくった平和に生きる権利はどうでしたか?」とききました。
ビクトル・ハラは1973年の軍部クーデターで虐殺された人たちの一人であり、民主化運動のリーダー的存在でもありました。事件直後に殺害された人は2000~3000人ともいわれる大虐殺。伝わる話では、ビクトルは最後まで自由への歌を唄い続け、ギターを取り上げられたら大きな手拍子で収容されたスタジアムは歌声で揺れました。怒る軍の兵士が、二度とギターを弾けなくしてやる!と彼の手を銃尻で叩き潰したといわれています。その残虐行為をした側にクラウディオさんのお父さんはいたことになります。
私たちの問いに対して彼は「よく知っている。今日聴くことができてとても感動した!良かった!」と何度も言いました。
そう、彼の一家は、かつて味方だった側と、かつては敵だった側の両方から今もずっと迫害されているというのですから。痛ましいことです。。。。。
クラウディオさんは今日私たちが唄うビクトル・ハラの歌を聴きながら、どんなことを思っていたのだろう?
言葉が通じたらもっと話せたのだけれど。。。
現在のチリの政府は、あのピノチェト独裁政権の流れをくむといわれています。ビクトルが、当時ベトナム人民解放のために戦うホーチミンへの共感から作った「平和に生きる権利」という歌も、現在のチリで、若い人たちを中心に様々な矛盾へのプロテストの歌詞を加えて唄い広まっているという映像を見たことがあります。
今夜知ったことは、エンパナーダの味と一緒に忘れることはないでしょう。
クラウディオさんに一日も早くビザがおりますように。健康でありますように。安穏でありますように。
そして、日本の難民の人たちのことも、一歩身近に考える機会をもらいました。
岡山の旅の最中、送り迎えをしてくださった尾崎ツトムさんの車で流れていた音楽が、奇しくもビクトル・ハラや同じチリのヴィオレータ・パラの歌でした。
車中ので、日本でフォルクローレが広まったことについて、そして日本に広めた人たちのことなどをが話題になりました。
旅から戻って、フォルクローレというキーワードから、加藤登紀子さんの音楽を聴きました。
ロシア、ヨーロッパ、南米の音楽に流れる遠く深い民衆の心。もう少し知りたくて登紀子さんの本を読み始めています。壮大な歌の旅の人生です。
ピート・シーガーの「花はどこへ行った」が
ロシアの作家ショーロホフの小説「静かなドン」からヒントを得てつくられたというのこともが書かれていました。
私も以前にピートシーガーの歴史を書いた本の中でちらっと読んだことはありますが、もういちど調べてみることにしました。
1956年に作られた「花はどこへ行った」のベースにあるのが
ロシアの作家ミハイル・ショーロホフがコサックの暮らしを描いた長編小説静かなドンに登場するウクライナ民謡の三行詩です。
《花はどこへ行った、娘たちがそれを摘んだ / 娘たちはどこへ行った、彼女らはみんな夫を持った / 男たちはどこへ行った、彼らは軍隊に入った》 歌わずにはいられない /訳: 矢沢寛 / 社会思想社
こうしてルーツに少しだけ触れると、
ロシア、ウクライナと深い縁のある登紀子さんの唄う「花はどこへ行った」には、つくった人の魂、その作者にインスピレーションを与えた人の魂、その作家に長い物語を書かせようとした民衆の暮らし、戦争の歴史、世界を旅し続けて今も生き続ける歌の魂、果てしない壮大な歌の道を感じます。
静かなドンは、生きている間に読みたいという気持ちにもなりました。
チリのクラウディオさん。
遠い国での過去の歴史、一人のひとの人生。
2023年の5月の終わりに、歌の道の途中で必然的に出会いました。
その出会いをどう受け止めて暮らしていくのか?
それは、また歌の道を歩きながら考えていくのだと思います。
さて今、オデッタの歌を聴いています。大木のような、大河のようなオデッタの歌。その大木の何倍も深い根っこ。
大河のずっと遠くの源流までも教えてくれるような歌とギターです。
今月の山陽道の旅、連日美味しいご飯を作ってくれた尾崎清子さんが看護学生時代、オデッタの来日コンサートに行き感激して、もう一晩、次の公演まで追いかけていった時の話。昨日のことのように話す表情が素敵でした。
美味しいみそ汁と、ご飯と漬物を食べながら、その人だけのオデッタとの出会いを聴くなんて、歌の旅での特別のご馳走です。
病気の友だち、困難の最中の友だち、祈っています。
それしかできないけれど。
花から花へ
4月1日小平ローリングビーンズ
それはそれは楽しいライブステージでありました。
出演はうたたねPlum、中村寿彦、杉本邦彦、私。
お客さんが集まったころから雨が降り出しました。
この店の不思議は、部屋の明かりが落ちて音が鳴り始めるとすっかり別世界が出来上がることです。
Plumさんの「カンタ!歌え!ティモール」の朗読。
私たちに何ができますか?
自分の場所で自分の(仕事)をしてください。自分を大切にして生きてください。それが世界の平和につながっていく。。。
彼女が映画「カンタティモール」の上映活動を通して出会えた東ティモールの人たちから教えてもらったこと。
このメッセージを毎回彼女のステージで聴くことができます。
最後は皆で私の歌「ヨイシラセ」のローリングビーンズバージョンです。
雨は降り続きましたが、みなさんありがとうございました。
ビーンズではいつもお土産に小さな花束をもらいます。
今日は、いっしょに多肉の寄せ植え。
4月7日大阪新樂山にて。
本降りの雨でしたが、良い人たちが集まって、店の中はとても温かい。新樂山の玄米おにぎりはとても美味しい。
そして今夜は京都に住むだいすけ君と。
昨年末に彼の歌を3曲だけ聴いて、ほんとうに嬉しかった。
そのあと彼のライブ動画を見て、お母さんが高校時代にフォークソングクラブだったことや、おばあちゃんの話。そして沖縄離島の製糖工場と北海道の鮭の加工工場での日々の歌も沢山知りました。一つ一つの歌には彼の血が通っていてそれは古い話であってもちゃんと今のだいすけ君の体を巡って新鮮に唄われています。
是非お母さんにもあってみたいなあと思いましたが、今夜彼の口から亡くなっていたことを教えてもらいました。
二人で並んで唄っていたら、すっかりお母さんが乗り移ってしまったような気分でした。
20数年前、千葉船橋の「月」という店でした。
これから唄うことができるのだろうか。。。と思い悩んでいた私。その私にサインをくれと話しかけてきた高校生の彼。
お互いに、唄っていてよかったね。だからまたこうして会えたよね。
4月8日京都アコシャンにて。
今年でライブ20年目。あの時からここにいた人、最近友だちになった人、3年ぶりに店に来た人たちもいました。そしてこの店を紹介してくれた友だちも。賑やかな掛け声で盛り上げてくれる人、一緒に唄う人もありがとう。
原点であり、家族のようであり、言葉には言い尽くせない想いが詰まっている処とひと。。。
オジョーが素敵な歌をたくさん唄ってくれました。最後には一緒に唄いました。少しずつハモれるようになりました。
少し前までは、ライブが終わっても夜中の2時くらいまでみんな帰らずに元気に飲んでしゃべっていたけれど、最近は12時前にはお開きです。
ヨーコさん、アコシャンの仲間たち、またね!
京都宝ヶ池近く樹齢280年の欅
4月9日西成集い処はな にて。
昨夜は冷え込んだけれど、4月らしい陽気。
アカリトバリの二人と私。
トバリ君とは以前にもこの店で一緒にやったけれど、彼のパートナーのアカリさんの歌を聴くのは初めて。
福島生まれのアカリさんは三味線で相馬盆唄をうたいました。私も今日は福島につながる曲をうたいました。
統一地方選前半の投票日。はなの店内にも大きなポスターが張られています。いながきひろしさん。私は初めて知りましたが、釜ヶ崎で毎回立候補をしている人でした。
店の中では「選挙行った?」「今から行ってくるわ」という言葉が飛び交いました。たぶん今日の客席は投票率90%近いかもしれません。
この店でなくては会えない人たちが歌を真剣に聴いてくれました。最後はアカリトバリと一緒に平和に生きる権利を唄いました。トバリくんのギター、アカリさんの三味線、そして聴いてくれていた人たちも少し声に出してくれます。
私にとっては「集い処はな」は、釜ヶ崎地域への入り口のようだと思いました。すこしだけ、知らなかったことを教えてくれるところ。
いまではこの町にきれいなホテルが次々に出来上がり、外国観光客がたくさん歩いています。
私は、ホテル代も高騰の折り節約、夜の新幹線で帰るところ。
瑠璃唐草 英語ではベイビーズブルーアイ!
4月11日小田原にて。
小さなプライベートライブを開いてもらいました。
初めて聴いてくれる人たちばかり。年代は同じくらい。
唄う私も新鮮。
まだまだ、出かけていきたいところはあるのです。
時間と手間をかけて用意をしてくださった皆さんほんとうにありがとう!
元気なうちにまた会いましょうね。
4月12日茅ヶ崎ボチボチにて。
楽しみに待っていてくれる人たちの前でたくさん唄わせてもらいました。
いつにもましてたくさん唄ってしまいました。
そして終わってからもそれぞれもう一杯だけ注文をして、時間の許す限り過ごします。
何度も会っているのに、名前が覚えられずやっとゆっくり話す人がいたり、50年も昔の私を知っていてリクエストをくれる人があり、海から遠く山間の里から湘南に移住した人あり、
そして今夜は素敵な花束もお土産にくれる人もありました。自分の畑の花を何種類も束ねてくれて、帰宅してから束をほどいてみると、10種類以上もありビックリしました。
花の名前を知らない人間です。
花束の中で、わかったのは、ローズマリー、アネモネ、矢車草くらいでした。
帰宅してテーブルに並べて、ネットで検索してやっと全部の名前がわかりました。アネモネにもたくさんの種類があること、矢車草はヤグルマギクという表記だったり、、
フリンジラベンダー、ハナキンポウゲ、アネモネ、カモミール、イングリッシュブルーベル、エルサレムセージ、ヤグルマギク、マリーゴールド、瑠璃唐草、ヒメキンギョソウ、、、、
イングリッシュブルーベル
4月15日板橋ドリームズカフェにて。
終日雨予報の土曜日でしたが、予約をした皆さんが遠くからも、近所からも集まってくださいました。
数か所でしか唄わないというナンバーもここでは唄います。普段唄わないものはドキドキしますが、刺激的です。ドキドキは客席にも伝わるのだと思います。
「戦争は知らない」という名曲があります。静かな反戦歌。
昨日、家で唄いながら涙が溢れました。なので今日はダルシマーを弾きながら皆と唄いました。
終わってから、かたずけをする店主の野々村夫妻と、最近行ってきたというジャクソンブラウンのコンサートの話を教えてもらいました。
4月16日冷たい雨が朝には上がり、夏日になるという。
こんな日は出かけよう。バスと南武線と、五日市線と乗り継いで、田園と住宅と小さな森などあるところ、久しぶりにのぞいた小さなレコードカフェでは、村上律×細井豊という組み合わせ。良い曲を沢山聴くことことができました。二人のお気に入りの曲は、私も好きなものばかりです。「僕の倖せ」は嬉しかったな。外に出ると我が家の辺りでは見ることのないような星空で、朝から晩までお気に入りの映画の中にいるような日曜日でありました。
4月18日「ふさわしい時に語られた言葉は、言葉が不要な時に沈黙を守るのと同じく黄金である」
新渡戸稲造のことば(訳:佐藤全)
4月22日エリッククラプトンのコンサートに誘ってもらいました。観るのはたぶん48年ぶりだと思います。その時のことは結構よく覚えています。461オーシャンブルバードというアルバムを出した翌々年くらいだった。ステージも客席もエネルギーいっぱいだった。
半世紀ぶりのステージと客席は、、あのころからの曲を奏で唄う今の姿の人と、昔のエネルギーの記憶を胸忘れずに今の暮らしからやってきた観客。共に生きてきたという思いを分け合えるのか。。。48年前には味わうことはできなかった、熟成の賜物。
私はクラプトンのレコードをいろいろ聞いていないので知らない曲もあって、新鮮で、良いステージだと思いました。
武道館のアリーナ、終わってからまわりの人たちの話すことが耳に入ります。
「なんだよ、レイラやんないのか。。。」
「つまんなかったな、レイラなしで。。。」
そうかな、、、やらないというメッセージもあるんじゃないのかな。。。そうじゃないかな。。。
お元気に弾いて歌ってくださいね、クラプトンさん。
ローズマリー
エルサレムセージ
4月27日亀有kidboxにて。
最近は、恒例の年末に加えて4・27にもここで唄います。
店主が60歳になってからだから、今日で5回目。
この店ではギターも売っていて、仕入れたばかりのマーチンギターを借りて数曲弾きました。それからダルシマーも必ず弾きます。ここのギターもダルシマーもとても弦高が低くセットされているので弾きやすいのですが、やはり初めて触るギターで自分の音を出すのは難しいです。
聴き手のプロフェショナルというような顔ぶれが狭い部屋にぎっしりです。
そして、今日もたくさん唄いました。ここでは気を許すと話が長くなってしまうので、唄うつもりでいる曲はほぼ全部唄います。
そして家に帰ってから、「ああ、あれも唄えばよかった。。」と思うのです。
今度は年末に!久々にビールをごちそうになりました。みなさん、ぎゅう詰めの中ありがとうございました。
4月28日町田にある居酒屋にて。よく知る人たち三人のライブを聴きました。良い歌ばかりを聴きながら、おでんもそして看板の手打ちうどんも美味しかった。1971年、そして1977年の頃の話をする演者たち、それを聴いて、あの頃は、、、と自分の思い出が蘇る客たち美味しいうどんを打つ店主氏は1977年に2歳だったという!
いろいろなアネモネ達
◆2月から始めた録音は、そろそろ仕上げに向かっています。
参加ミュージシャンをお知らせします。(予定も含む)
長田TACO和承:スライドギター、ラップスティールギター
四家卯大:チェロ
広瀬波子:笛、コーラス
かわいしのぶ:エレキベース、コーラス
今堀恒雄:エレキギター
鈴木広志:サックス
近藤達郎:ピアノ、シンセサイザー、アコーディオン、その他
窓辺の庭
生命の見える季節
友人宅の庭に咲いたミモザ少しいただきました。
3月4日山科横木屋にて。
数年前まで、浜大津にどないやという、うどんのおいしい居酒屋がありました。居酒屋ですが、ライブステージがあって、そこでは何度もうたってご機嫌な時間を過ごしました。
店は閉まり、そこを拠点としていたひぐらし楽団のメンバーが設計をして作ったのがこの山科の横木屋です。
立派な舞台、二階にも桟敷があり、まだまだ厨房などは完成していないのですが、披露目を兼ねてのライブです。
紙芝居、そしてムード歌謡も唄う寺岡佳名子とひぐらし楽団、私、というバラエティーショウとなりました。最後には、しばらく音楽から遠ざかっていた友達も舞台に上がり、客席ではおでんやお酒で楽しむ人たち、温かな時間です。
山科から京都の町に戻り、BALビル入ったところのガウチョで一杯だけ。ガウチョの先代マスターが亡くなって間もないですが、店は跡を継いだ息子たちが切り盛りして繁盛しています。引退してもいつも店のカウンターの端で昔馴染みと飲んでいた元気なマスター、もうここでは会えなくなりました。
いつも顔を出すと私のCDをかけてくれた。。無言の激励でした。
3月5日神戸垂水VOCALISTにて。
まっちゃんライブvol.314。
昨年も同じ日に300回記念を3月生まれが集い唄うというのを少し大きなところでやりました。
今年は地味にまっちゃんと私二人。
20年来、良い時もちょっと辛い時も変わらずに見守ってくれた人たちが今夜もいてくれました。
最後はまっちゃんと一緒にデュエット、マンドリンはじゃんぼさん。小さいけれどずっしりとしたチョコレートケーキもいただき、店のマスターからは花束もありがとう。
想えば、マウンテンダルシマーをステージで弾くきっかけに出会ったのも20年前の神戸でした。ライブ後に見たビデオ、ペンタングルのバートヤンシュがダルシマー弾いていた。
私も弾こう!と決めたのでした。
久しぶりに、良い仲間と打ち上げにも繰り出すことができて、ありがたい誕生日となりました。
3月9日初夏の陽気です。花が咲き乱れすぎて、スピードについていけない感覚。
下北沢LIVEHAUSにて9Partyというイベントに呼んでもらいました。毎月9日に行っているという。
コロナの最中に開店したという店は、深夜まで営業していて、遅い時間はD.J.の音楽の渦、いろいろな顔のある場所のようです。
共演者は松田岳二、慶長信也、しいねはるか。松田君以外は初対面。しいねはるかさんの本とCDを物々交換しました。彼女の文章は読んでいると行間から眠たい波が漂ってきました。慶長くんの歌には引き込まれました。「あいしてるとみんながうたう、僕はよくわからない」このリフレインが忘れられなかったです。集まっていた若い人たちからすっかり優しく扱ってもらい、ありがたいことでした。
3月10日スヴェトラーナ・アレクシェービッチの「亜鉛の少年たち」をやっと読み終わることができました。
作家あとがきの抜粋を記しておきます。
歴史となる以前のそれらは、まだ誰かの痛みや悲鳴であったり、犠牲であったり、犯罪であったりします。
私は数えきれないほど考えてきました。
どうしたら悪を増長させることなく悪のなかを生きぬけるのか?とりわけいま、悪が宇宙規模といえるほど増大しているときに。
新しい本に取りかかるたびに私はそう自問します。
これはすでに私の命題であり運命なのです。
3月11日
元には戻れない、その事実をかみしめながら大切な日常をつみかさねてきた先の、一見立て直したように見える今の暮らしがある。震災から12年経つ。節目でも何でもない。東日本大震災の経験はおかれた場所で一人ひとり全くちがう。どれだけその感情を掬おうとしても、指の間からこぼれおちてしまう気がした。
作家 佐藤厚志
今日は家で一日静かに過ごしました。
偶然横浜市のホームページを見ていたら、3月11日14:46に黙とうを~と書かれていました。多くの自治体のホームページも同じように。内閣府のサイトにも。。。
その言葉から人の体温は感じられなかった。。。
感じたことは。。。
政治、行政がもっと人間の心を感じられるものになっていくように、人間の心を持つ人をその場所に増やさなければ。
小さな声を届けることを諦めないようにしよう。という自分へ向けての想いでした。
我が家の庭にも
3月12日大森風に吹かれてにて。
飛楽人の4人と年に一回のライブです。そもそも3月の誕生日あたりに風に吹かれてでうたうことにしていたのですが、3.11以降誕生会のようなものはする気が薄れ、飛楽人と一緒のライブをしてもらうようになったのでした。メンバーの中のバンジョー奏者バンマスさんが私と同じ誕生日ということで時々ケーキでお祝いしてもらったりします。
飛楽人は日本語でアメリカンフォークソングを唄います。ナターシャセブン、高田渡などのレパートリー。ライブが終わってからも音楽の話で盛り上がります。メンバーとは毎年少しずつ対話ができるようになってきました。
風に吹かれてに足を運んでくださった皆さんありがとうございます。
もう咲いてしまった
3月19日曙橋コタンにて。
いなのとひら・のとこば と一緒に年に一度の時間。タイトルも「とっておきの夜」
客席が豪華でした。今まで数えきれないほどのステージを聴きにきてくれた聴き手の達人集合。
いなのとひら・のとこばとのセッションのために一曲用意したのですが、ソロの時とは違うリズムでやろうとしたらうまくうたえずにちょっと失敗しました。とっても上手い人たちなので申し訳なかったです。これは次回への宿題です。一年後。元気にいたいものです。自分も客席も!
3月21日練馬富士見台繭結にて
良い繋がり。10年少し前に出会った人が、あるとき開いてくれた小さなライブにお客さんで来ていた人がやっている冷え取り靴下の店繭結。出会いの糸は繋がっているのです。数年前から奇しくも画家平田久子展が行われているのもうれしい出来事でした。久さんとはかれこれ20年のおつきあいでしたから、良い繋がりを思わずにはいられません。
そういう処でのライブ、良いに決まっています。ゆっくりたくさん唄いました。足を運んでくださった皆さん嬉しかったです。
3月25日大阪服部天神ねいろかふぇにて。
生まれて初めて降り立つ駅。新大阪から30分もあれば着くところですが、阪急電車の駅は私鉄らしい佇まい。故郷の池上駅周辺のような。
駅を降りると小さな本屋。「もうあかん!やめます 3/25」と大きな垂れ幕。今日閉店なのか。。。ちょっと気分が向いて中へ、大した本は置いていなかったけれど。夏目漱石の門440円、潮4月号660円を買いました。閉店という割には明るい応対。後でライブに来ている人たちに聴いたらば、あの垂れ幕はもう何年も前から下げていたという。本当に今日閉店なのか。。。
ねいろかふぇは築50年くらいの民家の1階を改装した小さなスペース。部屋いっぱいのひとたち、遠くから近くから。少しよそゆきの気分もすっかり温めてもらいました。
ねいろかふぇを紹介してくださったIさん、そして足を運んでくださった豪華な皆さん、ねいろかふぇ、ありがとうございました。
服部天神駅前にて
3月26日大阪初芝team GANZ cafeにて。
服部天神駅前の本屋さん、本当に閉店したそうです。昨日のライブで私の話を聞いておしえてくれた人が二人もいました。夏目漱石の薄い文庫本は思い出になるでしょう。
一宿一飯のY君夫妻宅にて積もる話をして、堺まで送ってもらいました。雨降りで楽器も二本、ありがたいことです。
よこへ君が毎年3月の末近くに一緒に唄う会をしてくれます。
今日は長田TACOも一緒です。TACOとのセッションはぶっつけ本番です。毎回その本番に臨むときは祈るような心持です。本番自体も唄う弾くというよりも祈りのようです。今日はとても気持ちの良いアンサンブルとなりました。清々しい気分です。
3月生まれが二人いて、毎年美味しい手作りのケーキを運んでくれる人あり、打ち上げは大鍋のおでん。
よこへ君はもうすぐ50歳、私が歌を始めた歳だ。またゆっくりと話をしようね。ありがとう!
3月28日吉祥寺曼荼羅にて。
「希望の翼'77」築秋雄さんがやり続けているライブは77回目。良い数字の回に呼んでもらいました。
この3年間はお休みしていたから、お互いに会うのも歌を聴くのも4年ぶり。彼の新しい歌も聴けました。
お客さんは沢山ではなかったけれど、とても丁寧に聴いてくれているのが伝わる夜でした。
曼荼羅はよいライブハウスです。全体の重厚感が音になります。
帰りにはお客さんのほとんどがCDを買ってくれました。
翌日、早速築さんから、お客さんからの長文の感想メールを送られてきました。買ったばかりのCD聴いてくれていて、励みになる感想が書かれていました。
こうやって地道に丁寧なライブを良い場所で続けている人たちに、私も応えていけるようにしたいと思います。
3月29日東中野じみへんにて。
慣れ親しんだ場所だけれど、毎回新鮮な気持ちで唄う場所です。サウンドチェックをして、お客さんと話しながらおにぎりを一個食べるのが私のスタイルです。今日はファミリーマートのタケノコご飯のおにぎりでした。
ちょうど席が埋まり、静かに始まります。ここではセットリストはあるようでない、流動的なことが多いのですが、今日はアンコールをのぞき、ノートに書いたとおりに一曲もたがわずに唄い終わりました。そんな日もあります。
ギタリストの西村裕さんが来てくれたので、客席にいる絵描きの春日はるなさんの書いた詩の曲「扉~レクイエム」を裕さんのギターとともに唄いました。
静かに始まり、静かに終わった今月最後のライブ、お客さんが帰るころには雨が上がりました。それはとても嬉しいことです。久しぶりにビールを一本ごちそうになりました。
三月初め、身内の葬儀がありました。
93歳の人でしたし、大往生といってよいのだと思います。
私は夜にライブがあったので、ギターを持っていました。小さな式場で、たった5人で、何といって特別の式次第もなかったので、普段唱えている法華経を詠んで、「今日一人の友だちを見送って」を唄いました。
ひとりの人を見送るときに、ひとつ約束をすることにしています。その約束は守れなかったり忘れてしまっていたりもするのですが、また一人見送るときに、約束しなおします。
「いのち」のことをしんしんとおもう時間を一人のひとの「いのち」があたえてくれます。
サツキまで!
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