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Dig Myself

 

4月2日 大阪の仁井さんが亡くなったと知らせをもらった。

この数年、大阪和泉府中の花海やその周辺のライブに来てくれていた。物静かで、打ち上げでもほとんど会話をしたことはなかった。

去年のちょうど4月、ライブを終えて、知り合いの店の2階に泊まることに。できればお風呂に入ってからと、マイケルの車でめあての銭湯に行ったら閉店していた。肌寒い夜だった、マイケルが「そうだ、仁井さんのところでお風呂借りてあげるわ」と、連れて行ってくれた。

仁井さんの家のお風呂は、住まいとは別に小さな小屋になっていて、南の沖縄の民宿にこんなのがあったな、、、などと

中の使い方を説明してくれる仁井さんと、初めてこの風呂場で会話らしい会話をした。

風呂場を出ると空にはこれから数日で満ちる月がきれいだった。気持ちの良いもらい風呂だった。

母屋の玄関を入って正面にはとても立派な武者人形が飾ってあった。

「凄いね、兜が」というと、「先月だったらお雛様だったな」とにこっとした。きちんと暮らしている人だなと思った。

最後に会ったのは今年の1月、声の具合の悪い私を千里の叔母の家までマイケルと仁井さんで送ってくれた。まだ新コロナウィルスの脅威は、はるか対岸の出来事だった。私たちは普通に挨拶して別れたのだった。

10回も会ってはいないだろう。けれど仁井さんの家の風呂場から見た月と、母屋の玄関の五月人形、私はずっと忘れないと思う。仲良しだったマイケルはさみしいだろうな。



4月3日ライブハウスからクラスター発生してから、Facebookでも、テレビのニュースでも、連日ライブハウスという単語でにぎやかだ。

飛沫感染を考えるとやはりハイリスクな場所だ。唄っていての私の実感だ。歌い手の唾は飛ぶ、会話はせずとも、その中で酒を飲んで、ひとつトイレを皆で使う。



連日、スケジュールの中止の連絡。



濃厚接触という言葉から、気になるのは、接客業、とくに風俗業の現場の女性たち、大変だろう。

昔、勤めていた六本木のクラブが突然倒産して、最後のミーティングでレジから現金を鷲掴みにして走って消えていった娘がいたな。

皆、一気に職を失うだろう。そして保証は望めないだろう。



4月4日 風の強い日。

りゅうにカメラを貸してもらって部屋でいろいろ教えてもらいながら撮った動画をYouTubeにアップした。カメラ目線が苦手だ。

ジョン・プラインがウィルス感染して重症ときいている。

「祈ってください、そして彼の歌をうたってください」と彼の奥さん。

動画の一曲目にモンゴメリーの天使をうたった。



4月6日 岩手からバッグが100枚届いた。

昨年末に、瀬川ハルヒさんにお願いして絵を描いてもらい

注文をしていたバッグがこのタイミングで届いたのだ。

さっそく売ることにした。

1650円、そして一枚につき50円をUNHCR協会に寄付することにした。

難民の感染は大変な拡がりがあるだろう。そしてほとんどニュースとして伝わってはこないだろう。



♪散歩をたくさんするようになった。

丘陵地帯、住まいから半径3~4㎞でも、知らない道があり、森があり、小川もあり、家々がこんなにもあるもんだ。家は一軒一軒、興味深い。家を見るのが大好きだ。



今日の散歩で迷子になった。しかもトイレに行きたくなってしまった。行き止まりの路地ばかり、そして竹林、そして家、路地、家々、また行き止り

ギリギリセーフでやっと出現した小さなスーパーのトイレに駆け込んだ。

凄いスピードで最後の500メートルくらいを疾走した。

       

♪映画で「Pey it Foward」を久しぶりに観た。かなり古いはずだけれど、好きな映画だ。

20年前の映画。当時中学生の息子と一緒に見たけれど彼は覚えているかしら。

主人公の少年が世界を変えるためのひとつのアイディアを考える。誰かに親切にしてもらったら、そのお礼をしてもらった人ではなく、他の3人の人に対して行う。そしてその3人が、また次の人へバトンをつないでいく。

そして、この少年自身も、決して幸せな環境にいるわけではなかった。

ゲームのようなお話だけれど、これは素晴らしい精神であると、私の心のライブラリーに常設しているお話だ。

善い行いをするのは、悪い行いをするのと同じくらい、いやときにはそれよりもずっと難しい。相手にとってはただの有難迷惑であったり、するもの側の自己満足だったり。時には自己顕示として利用しようとしたり、そう思われたくないという謙遜が先に立ったり。。。

その人のために何ができるのか?毎日悩む中からしか答えは生まれない。

そして、時として、それは時間がかかる。

後になってずっと先に咲く花かもしれない。

少年の担任になった先生が最初に黒板に書いた言葉は大切にしようと思っている。
Think of an idea to change our world and put it into Action!

4月8日 ジョン・プラインが亡くなった。

4月9日 昨夜、東中野の小さな集まりでDylanのForever Yougを日本語でうたった。歌詞は佐藤龍一くんのもので、生田敬太郎さんとも時々唄っていた。ほかにも江口晶さんの歌詞が素敵だ。そしてできれば自分でもと思っていたのだけれど、

以前に高山のピースランドで何回も立ち読みして覚えた日本語訳を思い出した。アーサービナードさんの訳である。

ビナードさんの訳はほかのどれとも違う。

「forever young」は「はじまりの日」と訳された。

毎日がはじまりの日、毎日を新しい希望に満ちたをものにしてください。という祈りの歌だ。

この歌詞で私は唄ってみようと思った。


4月10日 今日、一つのシンクロニシティ!
Forever Youngのことを考えていたこの頃。。。
ジョーン・バエズのYouTubeチャンネルで、彼女が今朝まさに「forever young」を唄っていた!
彼女は少し長いコメントを語ってからこの歌を歌った。
すべてのヒーローに捧げるとして。以下コメントを訳してもらったので書いておきます。

『今の時代の英雄たちのために歌を歌いたいと思います。
この仕事を選んだけど、今日彼らが直面している事態に出会うとは夢にも思わなかった、それでも毎日、仕事に出勤している医療従事者の人たち。

毎日起きて、いかにして管轄下の市民を安全に守ることができるのか、その日その日を新たに考え直そうと努力している市長たちと知事たち。

知事のあなたたちは言えない立場にあるけど、私には言うことができる。

あなた方は連邦政府のリーダーシップ不在の無関心、非人情、残酷さに立ち向かっているのです。

そして、私が家にいれるように前線で働いている人々。農場労働者たち、トラック運転手たち、果樹園の労働者たち、栽培者たち、小売店の従業員たち、ビル管理人たち、葬儀屋さんたち、その他多くのひとたち。

そして、特に応援したいのは、この新しい戦争に直面しながら非常な勇気を示した海軍のBrett Cozier指揮官。』


4月11日

     時代を語る者にはならない。

     いつもその流れをつくる一人でありたい。

     政治を語る者にはならない。

     いつも批判精神を忘れず、

     しかし参加者の一人でありたい。




4月12日

     「きれいな手」

     「きたない手」

手ばかり何度も何度もくりかえし洗う日々。

ウィルスが自分の中にもいるかもしれないという感覚。

だから揺れ動く。

しかし、この動物的な感覚を忘れないようにしたい。

確かでないものへの感覚のおかげで、みえてくる

         ハダカノワタシ




4月13日 NHKのアーカイブにて、100分で名著

カミュ「ペスト」4シリーズ分を観る。

ペストでえたものは?

認識と記憶

◉沈黙する者たちの仲間にならないために、

◉最悪の中で学んだもの

人間の中には軽蔑すべきことより賞賛すべきもののほうが

多いと語るために。

◉簡単に事の善し悪しを語るな!



4月16日
◉備前の峯子さんから、5月のライブの延期要請の手紙と一緒に激励のカンパが同封されていた。

◉大槌町のなまり望ちゃんから、マスクと、95歳の地域のおじいさんが縫ったハンカチ、ひょっこりひょうたん島と鮭と桜の刺繍がしてある。そして三陸わかめ。

◉四国愛媛の国見さんからは手作りマスクと清美と甘夏。
柑橘の香りは、それだけで気分が晴れ晴れする。

◉息子家族から、高級干物と茅乃舎の出汁パック。

◉叔母から現金書留。
🔘それか
ら他にも、キャンセル料といって振り込みをしてくださる方

◉手紙やメール、電話で様子を教えてくれた人たち多数。

 小さなプレゼントいろいろ。

このタイミングで売り出した100枚の布バッグは10日足らずで完売したので、追加を発注した。
早速注文をしてくださったたくさんの方々。
1枚2枚とメールが届いた。。。
まいにち梱包をして、短い手紙を書いた。
手紙を書いている時間は会えなくても繋がってる感覚。


これが、今日と、これから暫くの私の現実の糧となります。
今は仕事も収入もない私ですが、世界一お金持ちになったような気持ちにしてくださった皆さんひとりひとりの真心に
心から感謝いたします。元気に、負けずにいきます。

そして、これらの郵便物や宅配物を困難な中運んでくださる配達の方々に心から感謝します。


バッグ、CD、絶賛発売中です。


       


4月18日

長崎大学病院、熱帯医学研究所所長の山本太郎教授のインタビュー記事を読む。安心を感じる言葉の数々。

◉パンデミックに大きな万能薬はない。小さなことの積み重ねでしか向き合うことはできない。

◉感染症は社会変革の先駆け。

◉常に変わりながらそこに適応する生き方を模索する必要。

◉一人一人が希望を持っていく。



4月19日

レティシア・コロンバニ/斎藤可津子訳
 「三つ編み」をkindleで読む。

 

まだ44歳の作者は映画監督でもあるという。

インド、イタリア、カナダという3つの国で、生まれも環境も社会的立場も違う3人の女性がそれぞれのやりかたで宿命に立ち向かう物語。特にインドの不可触民のスミタの暮らしはあまりにも過酷だ。

カナダの敏腕弁護士サラはその地位と富でもかなわぬ病と闘う。イタリアの毛髪工場の娘ジュリアはごく平凡でありながら最後は世界をつなぐ事業を立ち上げる。最後にどんなふうに3人がつながっていくのか、感動で震えた。

世界は大きく、自分は小さいけれど、私はこの地球上で、いや宇宙にも繋がっている存在なのだと、今夜もこの本を読みながら納得している。

良い本をありがとう。

これからの世代の素敵な女性、ありがとう。



♪アイスランドの映画「立ち上がる女」

地元のアルミニュウム工場への抗議のために送電線を切断して抗議する環境活動家の女性が主人公。

彼女の過激な行動とは裏腹に、そばに必ず出現する3人のミュージシャンの男と、3人の民族衣装の女性コーラス隊の
無関心なたたずまいが、とっても面白い。


♪デンマークの映画「きっといい日にきまっている」

児童養護施設に送られて生活する少年たち。日常的に行われる虐待。デンマーク1960年代に本当に起きていた事件だ。少年たちは今でも依存症や抑うつの後遺症に苦しむものが多いという。

♪NHKスペシャル。「ヒグマと老漁師」をアーカイブにて見る。

4月23日

水沢の小平玲子さんが亡くなった。
小平さんは、岩手の大沢温泉演芸場でのライブで初めて会ったのだったか、それ以来、水沢や平泉や、楽しい東北の旅の時に、私たちを軽自動車に乗せて送り迎えをしてくださった。ご主人亡き後は一人でリンゴ畑をしながら、お義母さんも看ていらした。倒れたのも畑であったという。

宮沢賢治に心酔して、賢治つながりの文通で知り合った旦那さんと賢治の里でリンゴ農家をした。

中尊寺に皆で行った時も、率先してガイドをしてくれた。

私とほぼ同い年で、いつまでも文学少女であり、賢治の精神を身で学び続けている人だと思った。

そういえば、備前の峯子さんが、賢治の本から法華経に興味を持って、今、法華経方便品を読んでいると手紙にあった。私は朝晩、この法華経の方便品第二と寿量品第十六を読誦しているのだけれど、峯子さんの手紙に、お経の意味はよくわからないとあったので、今日は一日、法華経方便品第二の通解を読む。

法華経は素晴らしい叡智の教えだ。いきているあいだにもっともっと身で学んでいきたい。

♪大槻泰永さんのバンド、真黒毛ぼっくすの新しいアルバム
「バラ色の人生」が届いたので、昨夜、朝、昼と4回ほど聴いた。久しぶりに失恋したくなった。
このアルバム好きな曲は沢山あるけれど、実家のことをうたった「緑が丘」はいいな。
大槻さんの名前は、泰永と書いてヒロノリと読む。一発でヒロノリと読めない。この名前文字は、緑が丘に実家を建てたお父さんがつけられたのだろうか。そんなとてもプライベートな場所まで心を連れて行ってくれる大槻さんの歌は正直で美しいな。

良い音楽をありがとう。

        

4月27日

「コロナの時代の僕ら」
パオロ・ジョルダーノ著/飯田亮介
アマゾンで予約して届いたので、一気に読む。

 

この本には、私のわからなかったこと、知らなかったこと、
知りたかったこと、そういうことがたくさん書かれていた。

そして、私が考えていたこと、私が願っていること、わたしがこうしていきたいと思っていることにとても良く似たこともたくさんたくさん書かれていた。

そして大きな希望が書かれていた。

最後の章「コロナウィルスが過ぎた後も、僕が忘れたくないこと」には圧倒的な共感をしている。

彼の作っている「コロナの後にも忘れたくない物事リスト」を私も作っていこうと思っている。


4月29日

大阪の岡本君とライブ音源のミックスのやり取りをしている。とても良い感じに仕上げてくれている。聴きこんでくれているのがわかる。愛がある。

彼はまだ30代半ば。
勤めている北新地の店は自粛で休業状態。
部屋の掃除をしているという。
そして、本当にやりたいことは何なのか考えているという。

こんな話を聞いているだけで、ドキドキするね。

以下は岡本君との電話を切った後に書いた独り言。

『ウィルス感染が終息した後、私はおおきな世代交代がやってくるのだと、思っている。

1960年代、70年代を若者として過ごした私。

30代の岡本君は羨ましいですと、よく言っていた。

でもね、それは単にその流れの中にたまたまいただけだよ。

流れの中にいるだけなのと、自分もその流れをつくっている一人なのだと思って生きているのでは天地の違いだと私は思っているよ。

だから私は、あの素敵な70年代にいた自分を無駄にしないように、今度のこの困難の時を乗り越えた後には、若い人たちと一緒になって、「こうあってほしいと思っていた世界に少しでも近づけるために」自分は何ができるのか?

本音で語れる自分になれるよう、多様な人と共に生きていくための想像力をもっともっと鍛えておきたいな。

2020年、1月2月3月4月、折々に考えたこと、感じたことは細かく残しておこう。


声に出したこと。

声に出せなかったこと。

つい軽い気持ちで同調してしまったこと。

配慮のない言葉を口にしてしまったこと、

またそれを反省したこと。

人のやり方に心が揺れて焦ったこと。

でも私は私だと落ち着いたこと。

考え込んで眠れなくなったこと。

夢の中で毎晩唄っていたこと。

それなのに次の日には曲なんて作れないと嘆いたこと。

本当にやりたいことって何だったのだろうと考えたこと。

悩んでいる自分もほめてやりたいと思ったこと。』



     ♬ 君の手がずっと働き続けますように

      君の足が遠くまで走っていけますように

      流されることなく 流れをつくりますように

      今日も明日も 毎日が君のはじまりの日♬

    Forever Young/訳アーサー・ビナードより抜粋




❤おまけの、面白い出来事。

メルカリで着なくなった古着の男物のジャケットが売れた。
売上1980円でもすごくうれしかった。
買った人は男性で、連絡欄に送り先の住所名前が書いてあった。名前と住所を見てひっくりかえりそうになった。

なんと!斎藤哲夫さんだった!!

ライブがあれば格好のMCネタなのにね。
コロナ禍におけるフォークシンガーとメルカリについて。
哲夫さん、早くご一緒したいです。



          

私の3月

                                     3.16の小高駅前  

 

 

3月4日鶴間の菩南座にて

太郎さんが開幕のベルを鳴らしてくれた。ベルを鳴らすのは素敵なことだ。はじまりはじまり!!!

菩南座の灯りが好きだ。唄う者をこの世から少し離れたところに連れて行ってくれる。

4人の良い人たちが近くから遠くからやってきてくださった。

終わってから、太郎さんが出してくれたお金でワインを買ってきて、皆でいただいた。久々の賄のスープご飯もご馳走さま。またね。

 

3月5日

国内感染者1000人を超える。

パンデミックの認定なし WHO

上野公園井の頭公園などの花見の宴会自粛 東京都

 

誕生日のメッセージ、カードが届く。

国連のSDGsの目標達成2030年を目標に心合わせる気持ちで私自身も頑張ろうと決めて始まった2020年だ。

 

「一つの時代が終わる」というフレーズを気軽に使いたくはない。けれど段々と現実味を感じてきたのは世代交代という言葉。

ウィルスの前と後では大きく変わるのが世代交代なのだろうと思っている。

SDGsは若い世代の人たちが中心になって実現させていくものだ。その前の世代にいる私は?若い人たちと一緒に少しでも人の心を柔らかく耕す仕事ができますように。唄うことしかできないけれど。

 

 

3月8日風に吹かれてにて。

飛楽人のキリンさんと風に吹かれての金谷君と、何度も確認しながら決行することになったライブ。恒例の3月のライブ、例年なら満員の客席はちょうどよい間隔をつくれた。

でも、こんなときによいステージが生まれる。

終わってから誕生日のケーキをいただいた。

遅くまで、金谷君とキリンさんとたくさん話した。漠然とした不安、それはウィルス問題だけのせいではないと思う。

だから時々こうやって気の置けない仲間と顔を見て話す時間が必要だ。

肌寒い雨の日曜日、本当によく来てくださいました。皆さんまた来年も!

 

 

3月14日学芸大学チェロキーにて。

宮尾節子さんと二人で。

良い時間だった。

宮尾さんとこれまでも数回ご一緒したけれど、今夜は本当に有意義な時間をつくれた。

宮尾さんの近著「女に聞け」の中から、朗読。

聞くのは初めてで、どんなふうに読むんだろうと。

「いじめいっせんまん」「悪党」宮尾さんの声で聴きたかったから感無量だ。

私の大好きな二編 パンの代わりになるものなんかない、パンを焼く日  この朗読を聞きながら、二人でお茶でも飲みながらのような対話ができて、それを皆さんに聞いてもらうことができて、心が少し解放された。

もっと話していたかったけれど、また今度。

 

この日宮尾さんはSNSの書き込みに

「まだカナリヤは歌える、歌っている」と書いていた。

 

10人の客席の皆さんに感謝します。

 

 

 

3月16日朝起きて「そうだ、常磐線に乗ろう!」と思い立った。

今は品川駅から特急に乗れるのだ。

品川駅12時45発ひたち13号に乗って、浪江まで。その先は普通に乗り換えて小高駅まで。

全線開通だけれども、浪江も小高もSuicaはまだ使えなかった。そして改札は無人だった。

小高の駅前に14日の開通と同時にオープンすると新聞に書いてあった柳美里さんのブックカフェフルハウスはまだ準備中で開いていなかった。

まったく人通りのない町だった。

小高から上りの普通列車に乗って1時間でいわき。この町ばかりがやけにキラキラ明るい。

昼前に家を出てただ電車に乗っただけなのに夜の7時を過ぎていた。

高野君の店によって焼き鳥を頼んだら、もう終電の時間だった。ホテルをとって、ゆっくり焼き鳥を食べることにした。

バロウズに顔を出して、この頃の景気の話とか、ライブハウスの窮状とか、今年もここに歌いに来たい。

浜通りの景色を常磐線から眺めるだけの小さな旅。

3月にありがとう。

 

 

3月20日国分寺gieeにて。

北海道新得から宇井宏さんがギターとアコーディオンを持ってやってきた。

お百姓の暇な冬の間が宇井さんの音楽活動の時だ。

小さな場所に思いのほかたくさんの人がやってきてくれた。自粛に少し疲れた休日の夕方。

gieeの三輪さんが一人一人に入り口で手を洗うように声をかけていた。

宇井さんはパートナーの茂子さんと1970年代半ば、自転車で北海道旅行をしている途中、今の場所新得で、ここいいね、住んでみたいね、と、そのまま今に至っている。

宇井さんのうたう歌はお百姓の暮らしの中でできた歌ばかり。

最後に皆で「カササギの歌」をうたった。ゲイリースナイダーの詩、ナナオサカキの日本語。ナナオさんはなくなったけれど、ゲイリースナイダーはまだ多分生きているんだと思う。

宇井さんが茂子さんと北海道に旅しているころ、私はカリフォルニアのシエラネバダのふもと、スナイダーの住む集落でしばらく過ごしていた。そして半世紀近くの時が流れこうして出会い一緒に唄っている。

 

終わってからまさえさんが、大切な友達が寄せ書きしてくれた誕生日祝いの色紙をそっと渡してくださった。

 

今夜は、自分の動物的感覚で少し危険なものを感じた。狭い空間に密集した人、そこで歌ったりしゃべったり飲んだり食べたりした。

これからは、感じたことを大切に、自分の方針を表明しなければ。やはり都市部ではしばらくはライブは無理かな。

 

3月21日、22日

大阪チャクラにて、ライブ録音の音源を聞きなおしながら、ミーティング。

おまけの音源の録音。

差し入れのイカ焼き、ごはん代のカンパ、ワインやおやつ、

愛に溢れる中、集中作業ができました。

さ、形にできるか、これから。資金つくらないとならないけれど、悩むなあ。

ホテル代だけが信じられないくらい安い。

 

3月27日大阪美章園「ぱ」にて。

去年から予定してくれたよこへくん。数日前から、行っても大丈夫なの?とやりとり。やりますからと、でもほとんどキャンセル。天王寺から阪和線という電車に乗ってひと駅。美章園という名前は美しい。

ガード下には小さな古びた店がひしめいて並んでいる。昼間は開いているのだろう、ちっちゃな洋品店とかもある。古いけれど生きている匂いがちゃんとしている町。

誕生日のともちゃんは看護師さんなので、医療従事者の視点からいろいろ話を聞かせてもらった。常備薬は何がいいとかも。やっぱり最初は葛根湯だった。

おいしいものをうたう前にご馳走になり、客席はほぼ関係者だ。無観客相撲のような状態だ。だから八百長はできないね!ROBOWのヨッシー君、チェリーさん、聞いてくださった皆さん、ぱずおさん、ありがとう!若い人に聴いてもらえることが本当にうれしい。

 

3月28日西成の釜晴れにて。

新今宮駅を降りて歌姫ジョニーとでくわし、平田ママに道案内してもらいながら歩く。元あいりん福祉センターの横を通る。雨降り、建物のひさし沿いに毛布にくるまって寝ている人が数人。今まで駅の表側しか歩いていなかったから、はじめてのところ。

釜晴れは初めてのところ。

ツアー帰りという井山あきのりさんと山村誠一がいた。

今から15年前、阪神淡路震災から10年というイベントが神戸の長田であった。そのときに山村誠一さんにぶっつけ本番でスティールパンを叩いてもらったのだった。その感動は忘れられなくて、行く先々で名前を見かけるたびにいつかまた一緒にと、ひそかな願いだった。

今回、歌姫ジョニーと、ママと釜晴れの早苗ちゃんで話が盛り上がって、井山さんと誠一さんに声をかけてくれたのだった。

15年前にお願いした時と同じ譜面を用意した。吹いていった風。誠一さんはその時のことすっかり忘れていたけれど、ひとたびスティールパンが響いたとたんに風が吹きぬけていった!

最後は「平和に生きる権利」をジョニーと井山さんのアコーディオンと誠一さんとカオリーニョ藤原さんのギターと、そして聞きに来てくれたみんなと大合唱になった。

素晴らしいミュージシャンと素晴らしいお客さんと一緒に歌えるしあわせを何に変えよう?!たとえ明日世界が終わるとしても、この一瞬をなんとしよう?

山盛り用意されていた料理の皿は帰るときにはすっかりきれいになっていた。

たとえ明日世界が終わるとしても今夜は満腹です!

 

3月29日京都わからん屋にて。

佐々木さんからずっと1年以上前から」、ダンシング義隆さんと一緒のライブの話をされていた。

私は今夜が初対面。

佐々木さん、義隆さん、私、そしてわからん屋のオーナーの池野さん、4人とも同い年なのだという。

池野さんは入り口で入ってくるお客さん一人一人に手の消毒をしてもらった後名前と連絡先を書いてもらっていた。

丁寧にやっていた。

そして2つの換気扇が回っている店の中は寒いくらいだった。

私が先発。今夜でしばらくは唄えなくなるなということもあり、思いがあふれてきた。

 

ダンシング義隆さんの歌は私にとってすべて新鮮だった。

 

♪カンパネラ呼ぶジョバンニが天国に旅立った。

♪マダムキュリー

 償いの未来がやってきた。子供らにゆるしを願えばいい。

♪無血革命による宇宙平和

 宇宙平和のための無血革命

 

義隆さんのいうところの3部作は、過去現在未来を自由に駆け回るリズムとメッセージでできていた。

 

私の3月のステージが終わった。

 

地球上で今一番元気で自由なウィルスにたくさんのことを教えてもらっています。

 

 

自然に対して、家族、家庭、身近な友だち、身近な地域、そして自分自身の心の奥にある爪を、

顧みようとせずに突き進んできたこれまでを、

君は見つめなさいと教えてくれているようです。

 

    一日も早い収束を毎日祈ります。

      新しい世界への夜明け前

 

       ありがとう2020年の3月

 

 

 

3月20日にいただいた花がまだ奇跡的に咲いています。

 

 

長い旅

ij


2月5日横浜ラフィエスタにて。

オカジ君とじゅんこさんにさそってもらい、

毎年一回のペースですが、

ゆっくりと唄わせてもらいました。

毎回を楽しみに待っていてくださる方があって、

それはとてもありがたいことです。

2月らしい寒風の夜。東横線白楽のホームのガードフェンスが

壊れているということで、ガードマンが車両ごとの間隔で

立っていた。

寒い中ご苦労様です。

未だにガードのないホームは沢山あるのに。


2月7日大森風に吹かれてにて。及川恒平さんと。

一週間前にリハーサルをして、

曲目は決めていたけれど、昨日夕方からコードなどを

確認していくと不明な部分が出てきて。

結局夜中近くまでコードを変えたり、

それを恒平さんに送ったり。

そういう準備が楽しくもあり。

風に吹かれてには遠くからも来てくださる方があった。

北海道、青森、埼玉、静岡、大阪、滋賀、鳥取など。

高校1年生の時に手にしたギター教則のレコード、

小室等さんと小林雄二さん、それから木田高介さんも

いらしたか、トラッドフォークの名曲や

ウォルチングマチルダなんかもあった。素敵な選曲の教則本。そこから私のギター熱が上昇したかな。そのレコード、どこに行ってしまったか、、、。

翌年に御茶ノ水のギター教室に行き、

そこで六文銭を生で聴いた。初期のメンバー編成で、

小室さんのパートナーのりこさんがヴォーカルにいた。

そして新メンバーと紹介されて及川恒平さんがいたんだと思う。

私は教室では小室さんと原茂さんのクラスだった。

原さんの授業で習ったin my life。今夜唄った。

西岡恭蔵さんの「君の窓から」を恒平さんと唄った。

涙が溢れて声がちょっと震えた。

19歳の私、生まれ育った家を出た夜のことを思い出すと、

この歌が景色に流れる。

旧い家の裏木戸を閉めて出ていく私を玄関で見送る年老いた

祖母の姿と共に流れるのは、君の窓から出ておいで~という

唄いだしのこの歌だ。人前で唄うのははじめてです。

恒平さん、誘ってくださりありがとうございました。

また必ず!


2月8日神戸にて。ピークスというNPO法人の8周年記念で唄うことになった。

ピークスという団体は、

障害のある人の就労支援をしている。

その代表者の古川さんに声をかけてもらった。

2年前から今日のことを話してもらっていたけれど、

いったいどのような活動をしているところなのかは

自分で調べてはいなかった。

早めに着いて会場の後ろで壇上の話を少し聴いた。

100名ほどの席にいる人の半分は、

支援を受けて仕事をしている人たちだそうで、

若い人が多かった。

40分、自分の体験も話しながら唄わせてもらった。

終わってから、聴いてくれていた若者たちに話しかけられた。いじめにあっていたこと、いまは工場で働いているという子、

月の庭という歌が気に入ったと言ってくれる青年。

ささやかな会話だったけれど、

私には居心地の良い時間だった。

古川さんとはもっと話を聴きたかった。

いつも神戸や備前のライブに来てくださるのに、

話をすることなく数年が過ぎてしまって、

きょうはじめて活動の一端をみせてもらった。


2月8日高円寺アローンにて。

この数年、2月の初めにアローンで唄わせてもらう。

舞台は小劇場であり、大音響のホールであり、

たった一人の世界だ。アローンはその名の通り

アローンであることを教えてもらう。

ギターで唄う時にはほとんど立って唄うのだけれど、

せめて雰囲気だけでも柔らかくしたいと思って座って唄った。

最後の曲「地球に似た惑星にいるあなたに」を立って唄った。

客席は真っ暗に近く、孤独を感じるステージなのだけれど、

今夜は温かなものがその暗闇から伝わってくるのを感じた。

毎年この時期に呼んでくださるまさえさん。

彼女の誕生日は前日で、二日間貸し切って自分の好きな歌を

アローンで楽しんでいるのだ。

純粋な心、アローンにぴったりだとおもう。

終わってからやっと明るくなった客席で

ささやかに嬉しい人たちと打ち上げ。


2月15日手稲じょじょにて。

羽田から新千歳、飛行機は少し空席はあったけれど、

観光客らしい人たちで埋まっている。

私の隣の席のカップルは中国語を話していた。

新コロナウィルスの感染リスクは高い状況だ。

心境は「うつらないように」。

そう思うしかない環境だ。

見えないものへの不安だ。

玄米ご飯じょじょには近隣から沢山集まってくださった。

マイクがないところで1時間半、後ろまで聞こえるように

唄うのは喉を潰してから初めてだった。精一杯だった。

小さく唄っても届きますように。

じょじょでは終わってからのご馳走も楽しみで、

玄米おにぎりや野菜のいろいろ、でもメンチカツもあった。

オーナーせっちゃんのお誕生日で、

長沼のミスバレンタインのこぐまちゃんも2月生まれで、

お祝いをした。

カンテレ奏者のあらひろこさん、横谷かずみさん、

河野千恵さん等が賑やかにフィンランドの

結婚式のお祝いの歌を唄った。初めて聴く北の国の歌。

このような音楽をひっそりと、そして深く、

愛して演奏している人たちが北海道にはいるんだ。

いつもいつも私は自分の歌を聴いてもらうばかりで、

もっともっと彼女たちの音楽を聴いていたいと思った。

じょじょのせっちゃんはフォルクローレの歌い手でもあり、

いつもヴィオレッタパラの切ない歌を

唄ってくれるのだけれど今夜は、

すべて変わる」というチリの作曲家の歌を

自分で日本語にして唄ってくれた。

素敵だった、そして力強く。忘れられない歌だった。

ツアーが終わり、このブログをまとめるために

せっちゃんに電話で作曲者と、原題を教えてもらった。

ジュリオ・ヌムハウゼルという人の「todo canbia」

調べると沢山の人たちが唄っていた。

打ち上げの最後に和音の二人、

この数年ライブに来てくれるふたり、歌を聴くのは初めて。

「変でいいよ」と静かに繰り返される。きれいなメロディに

不釣り合いなはずの変でいいよという言葉が、胸の奥まで

届く。そしてヒョウ柄のコートにパンタロンのいでたちも

好きだ。見た目やイメージなんてっていう素敵なメッセージだ!

和音の二人にホテルまで車で送って貰った。



2月16日小樽キッチンぐるぐるにて。

昨年、「2月にあれが」というタイトルで行ったライブの後に、来年もやろうと決まった。

丁度その時に店を閉めた後にやって来たなまらやの

ギタローくんとがんこちゃんを交えて、

では、そのライブに翌日はなまらやで「日本酒鍋」

やりましょうと決まった。

なので、タイトルは「鍋からあれが」となった。

出演者は多数である。メオトニー、ふるっきーず、

ギタサリガンショー、ギタガン、カナコ&ナマラヤーズ

ナイガシローズ、キモサリバンショー、そして私。

お客さんよりも出演者が多いのだけれど、

どの出演者もとっておきの選曲で臨んでいる。

メオトニーの二人が唄った曲が良くて、

訪ねてみたらグリムスパンキーというバンドの曲だという。

なまらやのギタガンの唄う怪しいクレズマーは

がんこちゃんの形相が見ものだった。

翌日は予定通り、なまらやにて、持ち寄りで鍋。

日本酒を一升鍋に注いで野菜と肉を入れて食べる。

煮えるまでに部屋いっぱいにアルコールが充満して、

少しぼーっとしてくる。エノキとか豆腐は酒が

しみ込んでいて口に入れただけで酔っぱらう

そういう恐ろしい鍋だった。

飲み物として置いてあるのも日本酒。

ほとんど飲まなかったけれど。

その場で決まったこと。

来年も2月に開催をするということ。

タイトルはこれから協議するということ。

小樽の皆さん、優しくしてくださってありがとう。

小樽の町の坂道で必ず流れる歌はスーマーくんの

「もうない船」


2月18日豊富花のふじたにて。

小樽を早朝に出発、札幌から高速バスにて幌延へ、4時間半。

途中の景色は冬の日本海。初めての車窓。

今年はどこもかしこも雪が少ないと皆がいう中、

私がやって来たこの数日にまとめて雪が降った。

下沼の法昌寺に二日間お世話になる。

法昌寺の順子さんが豊富で唄えるようにしてくださった。

お花屋さんの店の中で。花があるので室温があげられない

のでみんな厚着をして聴いてくれた。ほとんど女性で、

仕事が終わって駆け付けてくれた感じだった。

綺麗に音が響いて気持ちが良かった。後ろには春の花々。


2月19日昼間の時間、順子さんとパンケ沼まで行った。

真っ白に凍った沼。そばには小さな野鳥観察小屋。

この小屋が今年いっぱいでなくなるのだという。

それまでにもう一回来たいな。

ライブの前に豊富温泉に入った。

去年と同じ温泉なのだけれど、さほど石油の匂いが

強くなかった。毎日お湯は変化するという。

法昌寺のライブ、順子さんがハンマーダルシマー、

マンドリンは木山さん、歌は鈴木ゆかりさん、

ユニット名はプルカ。スェーデン語でソリという意味。

いろんな人を乗せながら走れたらという意味だそう。

順子さんの演奏をはじめて聴いたけれど、

ダルシマーを前にした佇まいが堂々としていてそれだけで

絵になるの。

終わってからの打ち上げには去年とはまた違う顔ぶれの人も

残った。地層研究所の研究者、ビジターセンターにいる人、

それから海外協力隊でパキスタンにいたという女性など。

住職の打った蕎麦は4回目なのだけれど、

今までで一番おいしく感じた。


翌日から2日間、十勝岳温泉郷の凌雲閣で過ごす。

標高1200メートルにある温泉は茶褐色で、

ざらざらとした肌触りがある。日に3回ほど入ったら、

体が緩んだのかいろんなところが痛くなった。

やりたいこともあったのに、疲れを出すだけ出して、

ぼーっとして終わった。

順子さんからもらった本が面白くて読み続けた。

ケン・リュウの紙の動物園。SFファンタジー短編集。

まだ途中だけれど、何度か泣いた。苦手なSFなのに。



2月22日芦別珈琲貘にて。

凌雲閣から下山して上富良野駅から富良野。

新型コロナ感染者が中富良野の小学校から出たということで

電車も駅も心なしか人が少ないとは感じた。

富良野から札幌行のバスで芦別へ。

4日間遊びに来たりゅうとは車中で別れる。

彼もお母さんの介護の日々でちょっとは気分転換できたかな。

芦別の街をひとりで散歩するのははじめてだ。

ひと昔は炭鉱で栄えた街だ。

いちど芦別の歴史という短編映画をみせてもらったことが

ある。今の何倍の人が暮らしていたのだろう。

いつも誰かの車に乗せてもらって店か宿に連れて行って

もらうだけだったからよい時間だった。

気温は7℃、積もった雪が溶けて、

木の芽が膨らんだ木々がある。

テリーさんヨーコさん江別からドライブしてきてくださり

ありがとう。

忙しいのに顔を出してくれたのだろうという人が二人ほど。

それから必ず会える人、初めての人もいてね、

終わってからはやっぱりウィルス問題についての話題だった。

いつもは打ち上げでも歌が飛び出すのだけれど、

今夜は話し込んだ夜だった。


2月23日中尾さんが車で富良野まで送ってくださり

バスで新得まで。

新得では宇井宏さんと茂子さんが待っていてくれて昼ごはん

図書館長の菊池さん夫妻と再会。

なんだろうね、このゆったりと流れる時間と、

つましいけれど豊かに暮らす人たち。

猫の伸びをする仕草までが大きく感じる。

新得の素敵な学校で唄ったのがもう6年前となる。

またこの町で唄いたいな。

帯広までは途中吹雪。街に着くとすっかり晴れていた。

この場所で地域の活性を考えながら自然食の食堂や、

フリースペースや農業をやっている本間さん。

その食堂を閉めることになって、

今夜のライブはそのお別れ会も兼ねることになった。

宇井さんとも数曲。

次亜塩素酸水が殺菌力があるというので、

部屋の中に加湿器で噴霧していた。

休日の夜、外出してきてくださった皆さん、

本当にありがとうございます。


2月24日帯広から札幌行のバスはほぼ満員だったけれど、

10日目の北海道。少しずつウィルスの影響を

肌で感じるようになった。

特に密閉されたバスの中は重々しい空気を感じた。

誰の話声もしないし、皆黙って座っている。

普段もそうなのかもしれないけれど、

なんでも関連付けてしまおうとする。

札幌駅にかずみちゃんが迎えに来てくれた。

横谷和美ちゃんは幼稚園の同級生。

そして再会できたのは2012年。札幌で。

カンテレ奏者でフィンランドなどの歌もうたっている

かずみちゃんに直接繋いでくれたのは

渡辺テリーさんヨーコさんだった。

それからは年に1回位ほど会うことができる。

いつも私の歌ばかり。

かずみちゃんの音楽をゆっくり聴きたい。

そういう余裕を作りたい。

彼女のパートナー恵二さんの実家のアパートの一部屋に

お世話になる。

中を素敵にリノベーションしてまるでリゾートに来たような

気分。

最後のライブに向かいます。

2月25日札幌狸小路の夕顔にて。

才谷屋という店が去年まであって、

そこでは毎年15年間お世話になって来た。

も~り~の店。も~り~はそれから少し休んで、

今はこのおでん屋さん夕顔で週に数日働いている。

店の休みの日にライブさせてもらうことに。

座敷に食べ物飲み物持ち込んで、も~り~が唄い、私が唄う

マイクやスピーカーは古木さんが持って来てくださった。

雪がどんどん降る夜で、そうでなくても不安な空気なのに、

その中を来てくださった人たちは才谷屋の頃からのお客さん、そしてなんと今年も2月の札幌に来てくれた京都からのお二人はこれで三年目だね。

あ~、心の奥まで染み入るものがある。こんな夜はね。

皆で酒のみかわして、小さな声で語り合うんだね。

場所を変えてもう一軒と言っていたけれど、

結局この場所でお開きになった。静かな狸小路界隈。

来年も会おうね、皆でね。

はやくこの困難な時を乗り越えられますように。


翌朝、和美ちゃん夫妻に札幌まで送ってもらい、

新千歳空港へ。

無事故で、どの場所でも温かな人たちとの時間を過ごし、

何とか身体も動いて、行く先々で送ってもらい迎えてもらい

ご馳走になった11日間。ありがとう北海道!


2月26日館野こういちさんと太田三造さんを

じみへんで聴かせてもらう。

館野さんのラジウムガールズは凄い歌だった。

以前、そのことを詳しく描いたものを読んだことがある。


20世紀初めアメリカで大変に人気となったラジウム時計。

文字盤に蛍光塗料が塗られていて暗闇で青く光る。

その塗料にはラジウムがつかわれていた。

マリーキュリーがラジウムを発見して20年たっていない頃、

キュリー夫妻が放射能物質で体を犯されていたことは

すでに知られていたけれど、この時計は第一次世界大戦の

銃後の経済を支える産業のひとつであり、

若い女性が率先して工場で働いたという。

小さな文字盤に細い筆で描く。工場の監督が彼女たちに示す

lip,dip,paintくわえる、舐める、塗る、の繰り返し」

しかし監督は筆にラジウムは浸してはいなかった。

仕事が終わって家に帰ると来ていた服が暗闇で青く光る、

ダンスに行って笑うと歯がキラキラ光る。

一人の女性が亡くなる、歯から血が止まらない、歯が抜ける、あごの骨が崩れる、体中の骨に穴が開く。

当時、ラジウム中毒は補償の対象となる病気ではなかった。

女工たちが病気になるまで、認識すらされていなかった。

また、出訴期限という難問もあった。職業性中毒の被害者は

2年以内に訴訟を起こさなければならない決まりだったのだ。

ラジウム中毒は潜行性だ。女工たちの多くは、

働き始めて5年以上たってから初めて具合が悪くなった。

闘いの先頭に立ったのはグレイスという女性は

ひるまずに闘いを続けついに1927年、

レイモンド・ベリーという若く優秀な弁護士が、

彼女たちの弁護を引き受けた。グレイスはいつの間にか、

4人の同僚とともに、世界的に有名な法廷ドラマの舞台に

立っていた。しかし残された時間はもうなかった。

スキャンダルをもみ消そうとする会社側の動きは

さらに強くなり、女工たちが亡くなり始めると、

その検死を妨害までした。

同社の人間が、ラジウムで穴だらけになった女性の骨を盗み

血も涙もない隠蔽工作を図ったのだった。

1938年、キャサリン・ウルフ(結婚後の姓はドノヒュー)は

腰にグレープフルーツ大の腫瘍ができた。

キャサリンも歯を失い、

顎の骨のかけらを口から取り出さねばならなかった。

キャサリンは正義を求め、闘いを開始した。

1930年代半ばのことだ。米国は大恐慌のただ中にいた。

キャサリンと友人たちは、生き残っていたわずかな企業の中の

1社を告訴したことで、社会から孤立した。

死が迫っていたものの、1938年に裁判が始まると、

キャサリンは医師の助言を無視し、死の床から証言した。

そうすることで、そして無料で弁護を引き受けた

弁護士レオナルド・グロスマンの助けもあって、

ついにキャサリンは、自分自身のためだけではなく

国中の労働者たちのために正義を勝ち取ったのだ。

ラジウム・ガールズ裁判は、雇用主が従業員の健康に対して

責任を負わされた初期の事例のひとつだ。

この裁判によって、労働者の命を救う法規が生まれ、

最終的には「労働安全衛生局(OSHA)の設立につながった。

館野公一さんの唄う「ラジウムガールズ」

は淡々としているから余計に恐ろしさが迫ってくる。

とくにリフレインの

「lip,dip,paint咥える、舐める、塗る、

 lip,dip,paint咥える、舐める、塗る、

lip,dip,paint咥える、舐める、塗る、の繰り返し」は、

聴きながらじんわりと冷たい汗をかきそうだ。

何も知らされずに言われた通りのことを

盲目的にやらなくてはならない弱い立場の者の不幸と、

何も知らせずに生命までも軽んじて労働させる経営者。

すっかり忘れていたラジウムラジオの女工さんたちの闘いを

今夜館野さんの歌が教えてくれた。

太田三造さんとは4月にかけこみ亭にて一緒になる。

それも宮尾節子さんも一緒なのだ。


2月28日新幹線で大阪まで。金曜日だけれど

やはり比較的すいた新幹線。

一組だけシートを回して4人ばかりで

宴会みたいにして楽しんでいたが、後は本当に沈黙だ。

時折、警備の人が車両の間のドアに立って空気を入れ替えて

いる。

チャクラにて、リハーサル。

タコヤキとこんなに真剣にリハーサルをしたのは

はじめてだろう。

長年引っかかっていたコードとか、譜割りとか、

そしてハーモニーも練習してみた。

愉しかった。

じゃんぼさんの先輩に紹介していただいた中之島のホテル、

静かだ。

早寝をしようとしたのだが、北海道からの疲れと、

この数日に変化してきた新コロナウィルス関連の情報、

そして無意識に緊張しているレコーディングのこと。

そういうことでなかなか寝付けなかった。

せっかく素敵な広い部屋なのに。


2月29日チャクラにて。

思わぬ数の方々がライブに来てくださった。

チャクラのあっちゃんとてっちゃんは、

会場を綺麗にして、気持ちの良いハーブを焚いて、

なにより強いエネルギーで皆を迎えてくれた。

一生懸命に唄わせてもらうだけだった。

じゃんぼさん、タコヤキ、3人のアンサンブルは

いつもより抑えめに始まった。

私は練習しすぎ?声が少しハスキー。今夜は21曲。

平田典子さんが途中の数曲をFacebookに

実況配信してくれていた。

写真は川邉ヒロ。私とタコヤキの写真をはじめて撮って

くれたのが1975年。

その時の写真集を客席で廻してもらった。

素晴らしいクルーだ!手作りの!

大切な仲間と一緒にステージをして、

大切な人たちに聴いてもらって、時間を分けあえるしあわせ。

ライブでなければつくれない音と空気を

たっぷりアルバムにしよう。

叔母の家までマイケルさんが送ってくれた。

やはり人込みを通らないで帰れるのはありがたい。

従妹の礼子ちゃんが、玄関で、そのままお風呂に入ったら?

と言ってくれて。まるで除染するみたいな気持ちで

お風呂に入ってパジャマに着替えた。


翌日、あたたかな3月1日だ。庭でゆっくりしたかったけれど、新横浜に向かう。

イサジツトムさんと菊名のWha!Barで唄うのだ。

イサジさんとこの日の約束をしたのは去年のクリスマス頃。

イサジさんの家の近くにBarを開いた知り合いがいてね、

Jerry Garciaが大好きな人でね、なんて話したら

もうその次の日くらいに決まっちゃった。

3月1日はどうですか?いいですね。

2月29日の大阪のライブを決めたのはそのあとだった。

そして私は2月29日の翌日が3月1日だと

寸前まで気が付かずにいた。

そんなことで忙しい移動になってしまった。

なので、このブログもおまけで3月1日も

書いておこうと思います。


3月1日横浜菊名Wha!Barにて。

イサジツトムさんと。

カウンターとソファがちょうど埋まるだけの人が

遠くからも近くからも来てくださった。

私が最初。新しい歌も歌いながら、客席にピピ&コットを

リアルタイムで見ていたという人が来ていたので

そんな話もしながら。

で、話しながら、私がどうしてその頃の話を

あまり人前でしないかというわけが何故なのかにづいた。

それは、私自身が自覚を持って、覚悟を持って

その仕事をしていなかったことへの

うしろめたさと申し訳ない思いのためだったということ。

聴く人にはどうでもよいことであるから長話には

しなかったが、なんだかそれはすっきりとした気分だった。

イサジさんの歌は2枚のアルバムを聴いて、ファンになった。

もちろんずっと以前から知っているし、

センスの良さも知っているけれど、

フォーク者イサジ式としての曲は本当に素晴らしくて、だから

ファンなのだ。一緒に誘ってくださりありがとうございます

さざ波の歌、そこはとおいところ、

そして新しい歌タイトルは忘れたけれど水と大地の歌、

そして最後に奥の細道を皆で一緒にかけ声を入れられ

うれしかった。

奥の細道を聴くと、切なくなって、そして勇気ももらう。

道なき道を行く人の歌。


3月2日半月以上の移動の日々の疲れが全身から

噴き出しているかんじ。

それに加えて新型ウィルスのストレスもあるけれど、

札幌や大阪のチャクラのライブで感じた

そこはかとなく湧いてくるささやかな一体感のような感覚。

美化したかったり逃避したりでなくて、

私がストレートに感じたものだ。このようなとき、

身近の友人達と片寄せ合って静かに語ったり、笑ったり、

ちょっと励ましたり。それはかけがえのないものだ。

昼に起き上っていくつかの着信があって、

北海道の宇井さんから、秋にもし北海道に来るのならという

なんという事ない電話、でもそのゆったりとした声に

ほっとした。

静岡からは毎年この時期に送られてくる水かけ菜が届いた。


夕方、友だちと電話で、

「対話」が世界を変えていく力になるという話で長話をした。

疲れが少し癒された。

で、その話を思い返しながら今、ぼーっとしている。

世界平和、反核反原発、反差別、持続可能な世界を目指して

あなたは何をしますか?


数年前、宮城の登米で小さな珈琲店をやっている青年が

ライブの後の打ち上げで唄ってくれた後に

こう云いました。

自分は店のカウンター越しに大声で反原発も世界平和も

言うことは出来ないけれど、その思いを込めて

一杯の珈琲をお客さんの前に出すことは出来る。」 

目の覚めることばだった。


青果店主が同じような思いで売るジャガイモやネギは

出来る限り体に悪くないものになるだろう、

鮮魚店のおじさんは魚を売りながら

海の汚染や温暖化をわがこととして考えるだろう。


私は?


『あなたはなんのために歌を唄うのですか?

    私は世界平和の為に歌を唄っています。』

     

     堂々とやっていこうじゃないか!


◆読みかけ ケン・リュウ「紙の動物園」


3月3日北海道からじゃがいも、大阪の友人夫妻からは

イニシャル入りのタオル。

疲れが吹き飛んでいきます。3月は感じる月です。

はじまりはじまりです。


今、世界中が体験しているこの災害が、一日も早く収束して

安穏の日々となりますように、そして学んだことが

より良い世界のために役立ちますよう

    毎日祈ります!
















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