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道は巡る

 

 

 

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9月7日鴨宮ジーズキャフェにて

身体にまとわりつく残暑に旅の定番のジーンズが汗びっしょりになりました。湘南風に短パンとビーサンでうたいたい気分です。

杉本さんがマンドリンギターに加えて鍵盤ハーモニカも練習してきてくれました。

アンコールにはリクエストがあってKASABUTAを。この夜私は最後の歌詞をちょっと変えてうたいました。「ありがとう、私から去っていった沢山のひとたち」

本番直前カウンターに気になる佇まいのひと。

すれ違った時にわかった、寺尾紗穂さんだ。私は今朝も彼女の新しい歌の動画を観ていたから、、片思いの人の前でドキドキしました。

紗穂さんはじめ、この夜、皆さんとても丁寧に心傾けて聴いてくださいました。ありがとう!

福島から聴きにきてくれたKくんとひっそりとした鴨宮駅前でささやかに打ち上げ乾杯。

 

9月8日水沢ギャラリー1231にて。

昨晩、ジーズの音響をしてくれているあたるくんに、「小田原をツアー最終日にする人は多いけれど、ここから始める人は珍しいですよ。」と言われました。私も初めての旅程です。

水沢1231では、恒例の瀬川伸さんのギターと唄います。夕べ初めて歌った「明日なき世界」がとても力強くなりました。

やっぱり、ギャラリーと書店で唄うのがとても好きです。

皆で少しだけビールを飲んで打ち上げ。道の傍らにポツンと建つ小さなギャラリーの外に出ると秋の虫の音。

 

 

 

 

 

 

9月9日水沢にて休日。

鈴木しのぶさんの実家の蔵で歌の練習させてもらい、

国立天文台 水沢観測所に連れて行ってもらいました。

19世紀の終わりから20世紀初頭、ここ水沢で地球の天文緯度の変化を研究した木村榮という学者が設立した観測所が発展していまでは天文学専用のスーパーコンピューターと巨大な望遠鏡も有する観測所。

緯度の変化、、、と言われても私にはちんぷんかんぷんですが、地球の軸の変化を突き止めて、その後の観測のために新たな数式の要素「Z項」というものを発見した木村博士は今ならノーベル賞かもしれません。

この木村博士のいる水沢観測所に宮沢賢治が時々訪れていたことが「風の又三郎」の初期形「風野又三郎」に書かれているのを知りました。作品の 中で風野又三郎が村の子ども達に語りかけている場面があります。風が吹 いて水沢の上空を通ると、それが記録されて、外国の方まで報告されるん だ、と。場面にはテニスのラケットを持った木村博士も登場します。

 

9月10日陸前高田ジャズタイムジョニーにて。

水沢に独酔舎~独さんが迎えに来てくれて、奥州の馴染み深い景色の中を走ります。山道ばかりと思っていると、その向こうに突然海がチラリと見えたりします。リアス沿岸の地形。

ジャズタイムジョニーの新店舗で唄うのはこれで3回目。

会いたい人たちが沢山。皆、ライブというのをきっかけに、ジョニーに集まって、由紀子さんのつくってくれるご馳走を楽しみ語り合います。

由紀子さんから、能登のことが心配で、、、といって支援を預かりました。元旦から、ずっと忘れることなく過ごしているという由紀子さんの真心を、今度11月に能登に持って行かせてもらいます。

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9月11日陸前高田の津波伝承館を初めて訪れました。

11日という日でしたから、朝から沢山の来館者がありました。

外に出て、海に向かって歩くのは初めてです。途中には献花台もあります。防潮堤の階段を上ると海が現れます。強い日差しの下しばらく海を眺めていました。時を経て変わってゆく景色に身を置いているこの時間を心に刻み込んでおきます。

 

9月12,13 陸前高田に来てくれた久見ちゃんたちの車で青森まで連れてきてもらい、少し休憩です。

近所の大きな銭湯でゆっくりして、三食美味しいものを食べさせてもらっています。

大阪から平田ママも合流して一気ににぎやかです。

 

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9月14日奥入瀬ひめはうすにて。

新幹線で駆けつけてくれた広瀬波子さんと二人でのひめはうすライブです。音響の阿部ちゃんの立派なセッティングもあり良い音です。もともとこの店はとても良い響きなのです。

これまでになくお客さんでにぎわうひめはうすにびっくり。観光客がとても増えているのでしょう。店の主の漆戸さんも明るく元気な表情で、安心しました。20年通い続けている数少ない場所のひとつですから、まだまだ頑張ってほしいです。

久見ちゃん宅にて、今夜は大人数でたこ焼き、お好み焼き。私も大阪人から直々にたこ焼きの指導を受けてずいぶん上手になりました。

 

9月15日青森オルケスタにて。

12回目のオルケスタ。波子さんとは初めてです。

この店は今年で30年、繁華街からはずっと外れた場所で夫婦二人で切り盛りしてきたところには沢山の人たちが集ってきます。私もその中に年に一度混ぜてもらうわけです。

マスターは35周年を目指しています。ママの明美ちゃんがあってのことですけれど。。なので私も目標ができました。

波子ちゃんの笛とサックスのおかげで豪華なライブになりました。

前日から歌やマンドリンフィドル森山さんありがとう。オルケスタに集う皆さんありがとうございます。

それから、波子ちゃんとのツアーを応援してくれたSさんありがとう。5日間も居候させてくれた久見ちゃんお世話になりました。

 

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9月16日青森市内にある三内丸山遺跡を訪れました。アフロヘアの青年なるちゃんの愛情あふれるガイドのおかげで、短時間でしたがひととき縄文世界に入り込むことができました。

現代のわたしたちにも縄文人のDNAの10%ほどが受け継がれているとのことです。

巨大な建造物の土台跡や住居跡も感動しますが、小さな土偶に描かれた顔の表情はまるで小さいころに粘土細工でつくった記憶と繋がります。

ここでは、土器や矢じりや生活道具とともに、直接生活に必要でないものも沢山出土されていて、、十字の土の板に顔が表現されているものなどは、ひょっとすると、亡くなった子供を思って作り持ち歩いていたものかもしれないという。

小さな家大きな家、お墓、海の生き物や山の木の実が沢山見つかる貝塚、広くなだらかな道、こんもり盛り上がった丘、遠来の旅人が持ち込んだ珍しい宝石、沢山の土器、矢じり、土偶、、、新しい智慧、そしてまだ見ぬ世界への夢も生まれたでしょう。

前方には岩木山。5000年前の人もこの丘からあの美しい山を眺めていたんだろう。

10%のDNAを愛しんで生きていこう。

 

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9月19日東中野じみへんにて。

東京は残暑が続いています。

余裕がなくて中秋の名月を見損なってしまいましたが、その翌日の月も見事でした。18日の夜中、寝ている最中に足がつって、痛くてとっさにベッドのそばのカーテンを引っ張ったら偶然、煌々と輝く月を観ることができたのです。

そして今夜はいつものこの店で良い人たちに囲まれて唄いながら身体も回復していくようでした。

カウンターに座っていたWくんが、こんなことを言ってくれました。「僕がよしこさんを聴くきっかけは、KUGAさんからもらったチケットだった。」「これあげるから、来てねって、絶対来るんだよって」

そうだったのか!

16年前、新大久保のホールで5周年コンサートするときに10枚もチケット買ってくれて周りの人に配ってくれたんだ、8月に亡くなったKUGAさん。

こうして私は今ここで唄うことができている。

 

9月23日東京夢の島第五福竜丸展示館にて。

ビキニ事件から今年で70年。1954年3月1日、アメリカの水爆実験で被ばくした漁船第五福竜丸。乗組員23人のうち一番年長だった無線士の久保山愛吉さんはこの年の9月23日に原爆症で亡くなりました。

毎年この日に久保山忌としてコンサートを続けてきた一人、松島よしおさんから声をかけていただき広瀬波子さんと参加できました。

このコンサートをきっかけに私の友人たちにも第五福竜丸を体験してほしいと思いました。用意された椅子が満席となりました。

船の遺品から見つかったギターの楽譜。そこにあった浜辺の歌、出船、宵待ち草などの曲を展示館の学芸員やボランティアの人たちの朗読と共に演奏する松島さん、花岡さん、岩澤さん、そしてソプラノ歌手の飯島香織さんが2歳のお嬢さんをおんぶひもで負ぶって唄いました!背中のみのりちゃんは途中ですやすや眠って、その姿が平和を祈る姿そのものだと思い、とっても感動しました。

私は、曲の合間に石川逸子さんの詩「ロンゲラップの海」を読みました。長い長い詩なので少し割愛して。

1954年3月1日、被ばくしたのは福竜丸だけではありませんでマーシャル諸島の島々のひとたちもそうでした。

水爆実験はビキニ事件の後も続き、犠牲者は沢山いるのです。

そして、水爆だけでなく、アメリカの砂漠や旧ソ連のカザフスタンなどで行われた地下核実験で放射能に侵された人々がいることも知っていかなくてはと思います。

 

コンサートが終わって、1959年に制作された新藤兼人監督の映画「第五福竜丸」の上映がありました。

私は始めて観ましたが、当時ドラマではなくドキュメンタリーに近い映画を完成させたことは勇気のいることだったと思います。映画完成の翌年には岸信介内閣のもと新安保条約が調印された、そんな時代。

 

この場所には、これからも何度も足を運んで、考える時間にしたいです。いつかこの場所で沢山のうたうたいたちと一緒にうたいたいと思った

 

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9月25日札幌手稲玄米ごはんカフェじょじょにて。

北海道はもう寒いよと言われていたから、着るものも選んで荷造りして、さぁ空港へ!タクシーの中でサンダル履きなのに気づきました。もう遅し!おまけに出発ターミナルも勘違いして、タクシーの運転手さんに「もうこれ以上何も起こりませんように」と笑われながら送られました。

じょじょで、美味しい玄米定食など食べながら節子さんと楽しい話で盛り上がり、さて、楽器を出して用意しましょうとケースを開けると!

ダルシマーの頭のところがポッキリ折れているのです。信じられない光景に呆然としてしまいましたが、RINKAの星さんと操さんも到着して、しばらく一緒にこの惨状に付き合ってくれましたが。しょうがないです、ダルシマーと一緒にやるセッションもギターに変更。今回のツアーはダルシマーのないステージにするしかありません。

ソフトケースに入れた楽器を、専用ケース無しの状態で飛行機に乗せた私の責任です。可哀そうなことをしました。

お客さんも集まってきて、、、そうしたら何やら星さんとダルシマーのことを話す人。幌延で一緒にセッションをした木山さんが家にあるものを取りに行ってくれたのです。お客さんの中にダルシマーを持っている人がいたなんて奇跡です。私の出番には見事に間に合って、RINKAとの「名前のない一日」も横谷かずみちゃんとの「道ばたでおぼえた唄」も予定通りに唄うことができました。かずみちゃんとのデュエットMoon Riverでは気持ちが温まって泣きたくなりました。

不思議に守られていることにただただ感謝のツアー初日です。

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9月26日浦河町大黒座にて。

大黒座という小さな映画館ではじめて唄います。

画家の鈴木翁二さんに声をかけてくれる人があり、翁二さんが今日のチラシのキャッチコピーを書いてくれていました。一度も私の歌を聞いたことがないのにまるでずっと前から知っているみたいな文章でした。大黒座の主の三上さんは、なんだか映画の中に登場する映画館の主のようでした。そして、どんどん人が集まってきます。映画館の舞台はとても高くてちょっとくらくらします。翁二さんが話をしながらハーモニカで唄います。その姿もお芝居の中のようです。そのまま私も階段を上って唄うのですが、自分も客席の人たちも不思議な物語を演じる者たちみたいです。

旅館に戻って寝付こうとしましたが切れ切れに沢山の夢をみました。朝、もう一度大黒座に行くと、三上さんは昨日と同じ笑顔で、奥さんのかずこさんはお稲荷さんをつくって持たせてくれました。夢ではなかったんだな、、、お稲荷さんも卵焼きもホンモノでした。

 

 

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9月27日夜、すすきのに出て、も~り~とあんちゃん夫妻に会いました。才谷屋を閉めて5年、も~り~は大きな神社の掃除の仕事をしていて、、そこで出会う人たちとの話を聴かせてくれました。才谷屋は居酒屋でしたが、今の仕事でも人間の好きなも~り~の役割は変わらないようです。

20年前に出会って、沢山唄わせてもらった才谷屋はいまも生き続けています。

 

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9月28日旭川 西神楽の杜にて。

小さな民泊をする秋山夫妻の場所で唄います。

ストーブのある木の部屋には近所の人、それからこれまで旭川で何度も聴いてくれた人が久しぶりに来てくれたり。

ここには素敵なギターがありました。一つはガットギターで羽のように軽い。もう一本は1964年生のヤマハのFG110で、なんでもこの近くの材を使ってあるのだという。

2本のギターも弾かせてもらいながら唄いました。

千歳で仕入れたワインと、キッチンでいそいそと用意してくれた美味しいものでささやかに打ち上げもありました。

二階のカーテンのない部屋、電気を消してベッドに横になると、目の前の窓越しに大きな星たちが!こんなにわかりやすいオリオン座をひさしぶりに見ることができました。

 

9月29日旭川からいったん札幌に。東本願寺のホールで「ハポの物語」という音楽舞踊劇を観に行きました。

ハポとはアイヌ語でお母さん。脚本と主演はシンガーの豊川容子さん。踊りは彼女のパートナーの将さん、ギターは西村ヨッシー。舞踊の素晴らしいメンバーたち。

 

豊川容子さんの歌を生で聴きたくて聴きたくて数年待ちました。森での生活、儀式のこと、子守唄、遊びうた、そして森を出て町に暮らす娘が母となってうたう歌。。。

容子さんの声はあらゆるカムイが降りてきて唄わせているようです。その歌は聴く者を特別の世界に連れて行ってくれて、忘れてはならないものを教えてくれます。

 

興奮冷めやらぬまま、月形のTERRAへ。

ここは以前は北喜常(キタキツネ)という名前でした。17年前に私は一度だけ唄いに来ました。主の寺地さんはよく覚えていてくれました。その時に唄ったと思う昔のうたから初めて沢山うたいました。

20年近くでひと廻りしたような気持ちです。無事に新しい気持ちで出発点に帰ってきたような充実感が溢れる夜でした。

聴いてくれた人の中に陸前高田に通い続けている方がいました。ジョニーもよく知っているようで嬉しかったです。

そして札幌から駆け付けてくれた才谷屋時代のひとも、ありがとう。

 

9月30日札幌のやにて。

ツアーの最終日は、新しくなった「のや」で唄います。

そして共演は豊川容子さん。前日の舞台に感動したばかりのその人と一緒にいるだけで嬉しいです。

のやの二階の部屋で、容子さんに私の知っているアイヌの歌の意味を教えてもらいました。これらの歌は、17年前に白糠で歌の上手い女性たちに教えてもらったものです。その後あえなくなって、意味がおぼろげになってしまったのでした。

 

最初は容子さんからうたいます。二階から客席を見下ろすと、彼女の歌に合わせて皆がゆっくりと揺れていました。それだけで美しいです。

のやの響は以前の場所と同じように素晴らしく、木山さんから借りて弾き続けたダルシマーも良い音になり、最終日の思いの詰まった時間。

アンコールが来て、とっさに思いつき、容子さんを呼び込みました。全く打ち合わせなかったけれど、良い予感がありました。「ウララスゥエ」を一緒に唄えると。

容子さんのループマシーンで、輪唱のようにハモってみました。もちろん容子さんは応えてくれて、新たなウララスゥエが産まれました。

こうしてやはり、ひと廻りして出発点にやってきました。

  『ウララスゥエ エカムイ シンタ

  アートゥイ トゥンナ エトゥヌン パエ』

   霧をゆらす神様のゆりかご

   海を横切り 音を鳴らし 進む

 

7日間の北海道ツアーを1000キロ近く私を運んでくれた金井さん、お世話になりました。

会いたかったけれど、電話で声だけ聴かせてくれた渡辺てりーさん、どうかヨーコさんとゆっくり過ごしてください。

顔だけでもと、月形に来てくれたのにすれちがってしまった幌延の順子さんありがとう。

 

旅の続く9月でした。出かける前はいろいろ考えこんでしまうこともあります。身体のこと、行く先々の細々したこと、、、

けれど、飛び込んでしまうと、土地も人も優しく迎えてくれます。ほかに何が欲しいというのか?何を思い煩うのか?

       みんな、ありがとう!

10月の羽田空港に降り立つと、夏はまだ居座っているような陽気に半袖に着替えました。

 

 

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今年の夏が教えてくれたいろいろなこと

 

 

 

8月4日大岡山グッドストックトーキョーにて

思えば昨年の夏のこの場所でのライブは「ヨイシラセ」の完成記念ライブでした。もっと昔のような気がします。

今回は一人でゆっくりと唄おうということにしました。猛暑の中どうかしら、、、と思っていましたが、暑い暑い昼下がりに皆さんよくぞ足を運んでくださいました。そして配信で観てくれる方もありました。猛暑や悪天候の時にはオンライン鑑賞もまた良いのかもしれません。ありがとうございました。

一曲目は25年ほど前につくった曲から。そして7月のツアーから唄い始めた曲のいくつか。そして正式には今日初めてうたう「クラウディオさんの手」完成形のつもりで挑んだ曲でしたが、まだまだ直したいところ、付け加えたいところが唄いながら浮かんできてしまいました。

長い曲を作るときはいつもこうだったな。。。と唄いながら思いました。この曲は夏の宿題になりそうです。

 

8月5日今日から、壊れた浴室の工事が始まりました。朝の8時半から職人さんが二人来てくれて、外には作業台をつくり、切った材木を玄関から台所を通って風呂場まで、、行ったり来たり、、こういう作業が数日続くのです。

職人さんたちの動きは素晴らしくほれぼれするもので、私もこの際、部屋中の模様替えと大掃除をすることにしました。

親方の持っている電気ドリルやのこぎりも借りながら、棚もひとつ作り直したし、押し入れも大掃除。

今夜は本とCDと紙類の山積になった部屋の片隅に布団を敷いて寝ます。お風呂屋さんに行きたかったけれど、足と顔だけ洗って。それから腰に湿布して。

 

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8月7日職人さんたちの作業が終わり、生まれ変わったお風呂場に見合うように、私の大掃除と模様替えはまだまだ続きますが、8枚のカーテンの洗濯を終えたところでいったん休止。週末は秩父のホンキートンクへ行くので、これ以上腰や手を使って痛めてはいけない。今日はリハビリに行きました。70歳になって、あ、ちょっと安いなあと感じるのは医療費です。

 

8月10日秩父皆野ホンキートンクにて

入るなり8年ぶりと言われました。ほんとうに久しぶりです。いなのとひら・のとこばの三人とマジックボンドの二人と一緒です。

埼玉秩父は猛暑です。

それでも、主のまあちゃんやお手伝いのみんなが、お客さんに声をかけてくれて、客席もにぎやかです。遠いところからも。変わらない場所です。長く続けてきた場所の風格は、誰の時もおんなじデザインのフライヤーやチケットが語ってくれます。

ステージに立った瞬間に「おかえりなさい」とこえがきこえましたました。ちょっと泣きたくなります。よかった。

鈴木まあちゃんのフィドルで道ばたでおぼえた唄をうたいました。。まあちゃんすごく練習した音でした。

いなのとひら・のとこばと三曲も一緒にできました。「みんなの唄」をホンキートンクのステージでうたえて嬉しかった。

打ち上げは階下の部屋で。20年近く昔の中山ラビ×私のステージ映像をまあちゃんがみせてくれました。映像の中のラビさんはキラキラ綺麗で私はたぶんお酒を飲んでヘロヘロしていました。この部屋の奥にはそういう映像が山ほどあります。

翌日は、昨日から細々と動いてくれたミーサに長瀞の美味しい豆腐料理のランチに連れて行ってもらいました。つかの間の夏休み気分です。

 

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8月11日秩父から山道を車に乗せてもらいました。小さいころの夏休みは、よく家族で遊びに来ていた飯能のあたり。この景色の中にいるだけで甦るものがあります。車酔いの酷かった私は祖父の車に乗せてもらうのは苦手でした。川遊びをしている写真が今もありますが、表情が暗くて、多分気持ちが悪かったのだと思います。

そんなこと思いながら、今日の目的地の国立で車を下ろしてもらって歩いた瞬間に、ちょっふらっとしました。

 

国立谷保で34年やっているかけこみ亭の主のぼけまるさんの生前葬というイベントがこの数年続いています。毎年生前葬もないと思うのだけれど、、、。で、なんだかお盆のころは暇な私はもう何回も参加しています。今日は国立の小さなホールのステージの上にかけこみ亭の部屋のような設えをして、そこにゲストを呼んでぼけまるさんと語るのです。

話は尽きず、私の歌は一曲だけにしました。

かけこみ亭という場所に皆さん一度は行ってみてください。

このさき、ぼけまるさんが生きているあいだは何とか存続してほしい場所です。私は20年前、どこか唄わせてくれるところはないかしら?と悩んでいた時に教えてもらった場所です。困ったときにかけこめる場所だよと言われた場所です。

 

8月15日鎌倉の古谷さんの工房へ、ギターを持って出かけました。いつも宅配で送ってしまうばかり、一度は行きたいと思っていました。お盆休みは良いタイミングです。

ギターをつくる部屋というのはめったに入れないからちょっと嬉しいです。

ほんのすこし弦の高さを変えてもらうだけのことでしたが、対面でやり取りする安心感は格別で、直してもらっただけでギターもすごくよろこんでいるような気がしました。預けてあったもう一本の怪我の状態も話し合い、ついでにダルシマーも診てもらい。横須賀線の短い夏の旅でした。

 

8月17日朝から部屋の整理の続きをして、、二つの押し入れの中身と机まわり本とCD、そして膨大な紙類の選別に大体めどがつきました。大家さんが浴室を直してくれたおかげで、まだしばらくはこのアパートに住んでいられそう、そして片付けの良い機会をもらいました。次にここを動くときに困らないくらいまでに本もCDも整理ができました。久しぶりに売り物のCDの簡単な棚卸もできたし。。。

それにしても紙との格闘は何日もかかりました。

午後、必要なものがあったので新宿に出た足で、久米川まで。

西武新宿線には路線の種類があって、すっかり間違えてしまって開演時間を過ぎていたけれどまだ始まっていませんでした。辻井貴子×ちちんぷいぷい というライブ。佐藤GWANさんも来ていて嬉しかったです。貴子さんをじっくり聴くのは久しぶりでしたが、素晴らしいステージでした。言葉にするとつまらなくなってしまいそうですが、自分の世界を堂々と200%くらいの歓びで表現しているように伝わりました。。歌声も楽器の音色も心に飛び込んでくる響きで泣きました。夏休み気分最後の日にふさわしい夜でした。

 

8月19日高石ともやさんが亡くなったと教えてもらいました。

ちょうど、CDとレコードの整理をしていて、高石さんのフォークソングアルバム第三集を聴こうと思っていたところでした。

中学二年生の夏休みにこのアルバムに出会ったことが大きな出来事でした。ここから始まったものは今でも変わらずに私の中にあります。

「明日なき世界」をひとり大声で唄ってみました。中二の私が心揺さぶられたのはこの歌を高石さんの言葉で唄ってくれたことです。

 

 

 

 

8月31日新宿スペースゼロにて。

今年で4回目の新宿南口フォーク。

前日の夕方に、開催決定メールが来て安心しましたが、お客さんの中にはこれなくなってしまった人たちもありました。

 

友達と天候のことでメールのやり取りをしながら、「天に怒られているような時代に生きているんだな、、せめて皆、仲良く、助け合いながら、生きていきたい。。。」そんな思いが溢れてきました。

 

朝、新宿に向かう山手線に乗っているとメールが。長年、そう20年親しくしてもらっていたひとの訃報でした。早稲田のジェリージェフという店で聴いてもらって以来、沢山応援してもらった。時には遠く山形に連れて行ってくれたり、福島や、岡山まで来てくれたこともあった。いつもたくさんお酒を飲んでノリの良い曲では踊ったりしていたけれど、歌はちゃんと聞いていてくれて、時にはダメ出しもあって、でもそれはとても当っていたから、悔しかったけれど次のための糧になったし、時々褒めてもらうとやっぱりすごく嬉しかったし、会場にその人の顔がある風景はこれからもまだまだあると思っていました。私と同じような思いをしてきた歌うたいミュージシャンは他にもたくさんいる。

 

揺れる気持ちのままコンサートの会場へ入って。リハーサルも終えて、楽屋には今日の顔ぶれが集まりました。

 

私の出番はちょうど真ん中くらい。ひとり15分の持ち時間。今日は、15分の曲ひとつで終わりました。まだまだ、歌詞が頭に入っていなかったから、出番まで頭の中がグルグルしていましたが、、ああ、この歌も聴いてもらいたかったな、、あのひとに、、とそんな思いもよぎりました。

私の少し前に唄った中川五郎さんのうたう「別れの盃」を聴いて、心の中で泣きました。

 

楽屋は、四角佳子、いわさききょうこ、山崎ハコ、私の四人同室でしたが、ハコさんと言葉を交わすのは初めてかもしれません。昔同じ会社に所属したことが一瞬ありましたが、それから50年ですもの。4年前にパートナーを亡くし、また立ち上がって唄っている、今日のステージは圧巻でした。ハコさんの歌に会場が台風の渦のように湧きあがりました。

彼女が監修した亡き夫君の安田裕美さんのギターが存分に聴ける名曲集のCDを頂きました。

はるか昔、一番初めにギターの音色の大切さを教えてもらったのが安田さんであったと思います。感慨深いものです。この30年ほどは直接お会いすることはなかったけれど、本当は実際にギターの話をしたかった。でも今日ここでハコさんと話ができて、CDを手にして、うまくここでは書けないけれど、これまでの道のりを全部肯定できるような不思議な思いに駆られました。少しずつでも前に進んでいけば、これまでの自分はすべてOK!だな、「いま」いつも「いま」に生きよう。

今夜は、ほかにも思わぬ人との再会もあり、、言葉を交わすこともでき、、

こうして人間って、人と会わなければ始まらないんだなあ。。。と。一人で考え込んでいては解き放たれないことが沢山あるなあ。。と、少し興奮気味に着替えをして後片付けをして、おけいさんとタクシーでそんな思いを少し語りながら。

素晴らしい出会いをつくってもらった今年の新宿南口フォーク集会でした。感謝。

 

帰宅すると、やっぱり亡くなった人のことに心が向かってしまい、久しぶりに一人で多めのお酒を飲みました。

これからは、どこで唄っていても360°見晴らしの良い状態で常に聴いてくれているわけですね。あんまりダメ出しされないようにうたいます。それから鰻を食べに連れてってくれる約束だけは、お預けね、久我さん!

 

 

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おまけの9月1日

昼、渋谷にチリのクラウディオさんに会いに出かけました。

昨日やっと歌詞が定まった曲「クラウディオさんの手」を聴いてもらおうと、そして美味しい料理を食べに。

レコーダーの歌を聴きながら何度もありがとうと言われて、お土産に沢山のエンパナーダを持たせてくれました。

今度は友達を誘ってくるからね。

 

つい最近河出書房新社から発刊された雨宮処凛さんの本「難民、移民のわたしたち~これからの共生ガイド」を読みました。この本にもクラウディオさんのことが紹介されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、夏の雲

 旅の途中にひとやすみ。京都大学農学部のヒマラヤスギ

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7月7日鶴ヶ峰「陽のあたる道」にて。

どこか高原にあるような地名の鶴ヶ峰。これまで何度も来ているのに由来を調べたことはなかった。

鎌倉時代の歴史書吾妻鏡にも鶴峯と記されているらしい。横浜に鶴が飛来するかなあ。。。それはすこし怪しいかな。。。

「水流」と書いてもツルと読む。どうやらこの地域を流れる川~二俣川などとその近くの小高い丘の地形から「水流のある峰」ということで、ツルガミネ。鶴という特別感のある文字を当てたのか。。。

そして、私にとってツルガミネは「陽のあたる道」という小さな明るい珈琲店。

年に一度、この店の「小さな音楽会」で唄わせてもらう。

私は10年目。小さくて大切な場所、大切な時間。

店主夫妻のWANさん、どんべぇさん、わたしでナターシャ―セブンの「どこにいればいいんだろう」

三人でハモるシアワセ!終わってから、オリジナルのナターシャの音源を聴き圧倒されました。また来年、一緒に唄わせてください。

 

7月13日大阪枚方ワークショップ虹にて。

「虹の王国」という曲をつくったのは今から27~8年ほど前です。当時の我が家は小さな平屋の借家で、トイレも水洗ではなくて、外壁もトタン張り。それでも大家さんが良い人で、敷地内で取り壊す予定の小屋のようなこの家を私たち親子に貸してくれて本当に助かったのです。息子の友達が遊びに来ても楽しくいられるようにと、色とりどりのペイントをしたり、小さな庭にバーベキュー台を煉瓦でつくったりしました。ちょっと頑張ったなあ、、あのころ。

虹の王国という歌は、そのころのやみくもに頑張っていた私の想いのままに作ったもので、まだ人前で唄うなんて思っていなかった。

この歌のおかげで、後年、枚方にある障碍者福祉施設「であいの会」の運営する「ワークショップ虹」で唄わせてもらえるようになったと思っています。そういう不思議なであいです。

最初は手探りでしたが、10年になるあたりから入所者の「虹の若者」たちと少しずつ歌でリズムで交流できるようになってきました。今では私の歌をすっかり唄える人がいます。

今回は率先してアンコール曲「月の庭」に太鼓をたたいてくれたひともいました。ゆっくりと静かな曲ですが、段ボールの太鼓をたたいてくれる気持ちが嬉しかったです。

であいの会は、「死ぬまで地域で生きていけるために」というあたりまえだけれど、現実社会ではまだまだあたりまえでないことを実践する人たちです。

ここには音楽が溢れています。

 

 

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           旅の途中、ここは京大吉田寮

        玄関を入ると電機炬燵と大きな拡声器!

 

 

7月14日大阪桃谷マルコハウスにて

梅雨明け寸前、なんとか雨にならずでしたがサウナのような湿度です。暑い中足を運んでくれた人たちで部屋の中はぎっしりです。私もそれにこたえてセットリストぎっしりです。まだ唄い足りなかった。。。

昨年ここで唄った直後に、マルコハウス店主マルコさんがコロナで入院しました。重症でした。今年こうして元気なマルコさんのまえで唄えてよかった。

恒例の平田典子ママのバースデーケーキ、今年は足りなくならぬようにとマルコママは二つ焼いてくれました。一気にロウソクの火を消す平田のママ、元気だ。

ここでは終わってから、残った人たちと、歌の話になります。

自分で唄う人の割合の多いところです。今夜も良い歌をいくつか聴きました。この店では、そういうことが自然にできます。マルコさん、元気でね、また来年!

 

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       暑かったから外には座りたくなかったけれど

            イノダのテラス。蚊に刺されそう。

 

7月15日福井 めん茶房さえずり にて

大阪からサンダーバードに乗って敦賀まで。

この列車に乗るのは久しぶりで旅行気分になります。

敦賀は福井新幹線の開通で駅とその周辺はずいぶん様変わりしていました。でも駅前通りを少し行くとお馴染みの街並み。

MWFマスミ&フォーキーの二人が準備をしてくれた場所は、蕎麦屋さえずりの店主が自前で設えたステージ。照明、カメラ、音響、素晴らしくて、ビックリ、もったいないくらいです。

越前市の平ちゃん、富山のKINYAくん、神奈川から駆け付けたらんぶりんまっく。MWFとは一緒に唄い、まっくさんにはマンドリンを弾いてもらいました。ステージ脇にはライトを持って誘導してくれる人あり、ステージ背後スクリーンには、ロータスの花の写真、再度のモニターには写真と唄う自分が写っています。沢山の方々が集まってくれたのはMWFの二人が行く先々で声をかけてくれたからです。

翌朝は、私を京都まで送ってくれるという二人。遅い昼ご飯になりましたが、京都イノダ本店本館にて。

三人で、「ここにいるお客さんの中でどれだけの人《「珈琲不演唱》知って来ている人たちなのか?」遊びをしました。

入ってくる人たちごとに「あっ、あの人たちは絶対!あの若いのも以外にそう!」

そのうちマスミさんが、ウエイターさんにまで「コーヒーブルース」知ってますか?というどっきり質問。その若い人は「知りません」でした。

一人じゃあ、今更そんなこと気取ってできないよ。

ありがとうMFW!

夜は、京都に遊びに来ている友達と河原町で晩御飯を。

思いがけない京都の祇園祭宵宮の夜でした。

 

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7月19日大阪天王寺立ち飲み「あ」にて。

すっかり梅雨も明け、今日は初めて歌う処。天王寺「あ」

開店して2か月。立ち飲みというけれど、カウンターには椅子があり、そして音を出してみればよい響きです。一年かけて手作りの内装した店主夫妻もミュージシャンです。夫のげんちゃんは美味しいものをつくります。賄もリハーサル終わってすぐに、そしてライブ終わってからもたっぷり。賄だけれど、いる人たち皆で食べます。神戸からじゃんぼさんがマンドリン持って。。じゃんぼさんのお兄さんも。お兄さんは、この店の妻の明ちゃんとバンドしていたのだそうです。良い人たちが聴きに来てくれました。

暑い中皆さんありがとうございます。店を紹介してくれて送り迎えマイケルありがとう!

 

 

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7月20日大阪石橋 朝日楼にて

この店も初めてです。

店は古くからあるようですが、代替わりをして、掃除もして、という。中に入ってみればよいステージです。客席スペースと、立ち飲みスペース。程よく埋まったところで、気持ちよく沢山うたいました。

途中、ダルシマーで座ったついでに、そのままギターを抱え

「あなたの船~僕の倖せ」を唄いすっかり入り込んで、、では最後数曲立って唄おうとギターストラップを持った瞬間に、ギターがするっと落ちてしまいました。、全身が凍りついて硬直しました。

チラリと裏をみるとかなり壊れてしまったけれど、そのまま3曲、そしてアンコールはアカペラに変更。

店長ヒッキー氏によると、このステージで同じ人が2回もギターを落として壊したそう。

なんとなく、誰かが悪戯をしにやってきたような気配もありました。だれかな。。。朝日楼。。。

以前も同じように落として大けがをさせてしまったことがあるのでストラップには気を付けてはいたのですが、確認が甘かった。

明日のライブどうしよう。。。で、共演の人に借りる連絡をして、ほっ。明日は満月。

 

7月21日富田林 トキヲコエテyaya にて。

十三のホテルまで迎えに来てくれる方あり、ほんとうに助かりました。

そしてギターは共演の鴨川コンバースのショウボウさんのものを使わせてもらえることに。

トコノンと鴨川コンバースデュオ同士、リハーサルの前後はなんとなく高校の夏休みの部室のような雰囲気です。近所に住む長田TACOも楽器を持ってきてくれ、久しぶりに二人の音も聴いてもらえました。

この場所は普段は朝から障がい者福祉の作業所としてお弁当を作っています。代表の奥野さんは朝、昼、夜、働き通しですが、音楽が大切なのだと思います。

満月の夜に皆で最後に「月の庭」をうたいました。奥野さんはリコーダーでソロを見事に吹いてくれました。素晴らしかった!

そして会場のほとんどの人が参加する打ち下げの料理も愛がこもっています。

 

 

7月22日ホテルをチェックアウトして新幹線で帰ろうと時刻表を見るためにスマフォを開くと、Facebookの友人の書き込みで、新幹線の運休、復旧のめど立たずのニュース!

運よくホテルにいたのでそのままもう一泊がスムーズに取れました。明日動いてもきっと混んでいるだろうから、切符を買いなおさなくちゃ。私はジパング倶楽部の3割引きをつかっているから、みどりの窓口に行かないとならない。

新大阪の窓口は絶対混んでる。地元平田ママのアドバイスで大阪の次の塚本までバスに乗っていってみると、小さな窓口はひっそり。駅員さんにここにきて正解でしたか?と聞いたら笑いながらうなづいていました。

月曜日なので同じ目に遭っているミュージシャンが何人もいたはず。途中で松田のアリさんから「どこにおるん?お茶でもせえへん?」というメールが来たけれど、私はこの機に吹田の叔母の顔を見に行く途中。アリさんにも、塚本の窓口を勧めて、久しぶりに叔母と従妹の暑中見舞いができました。

翌日は始発から平常運転、なるべく早い新幹線にしておいたけれど、ほぼ満席。

しかし、昨日のパニックがまるで嘘のよう。何事もなかったかのように粛々と運行している新幹線、少し不気味に感じました。

 

   帰宅すると岡山の友達からの夏のプレゼント。

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7月30日吉祥寺 曼荼羅にて。

「築秋雄の希望の翼エピソード92」

久しぶりに呼んでもらって、曼荼羅で唄えます。

築さんは最近チェロの星衞さんとやっていて、これはとても良いアンサンブルです。

私と3人で「崩れ落ちるものを感じるかい?」もチェロが入るとずっしりと厚みが増して唄っていてとても嬉しかった。

築さんはいつも真っすぐな想いで、かなり大袈裟に私を紹介してくれるので、くすぐったいのです。今夜は「日本のジョーンバエズ」と紹介されたので直球には直球で応えようと一曲目は「She said NO!」から始めました。そうしたらなんだかどんどん楽しくなってしまって、最後に17分くらいの長尺の曲をはじめてステージでやってしまいました。

「クラウディオさんの手」という歌、これからもっと歌えるようにしていきたいです。

築さん、声をかけてくれてありがとう。

 

 

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7月31日家からは少し距離のある綾瀬のほうへ。

広瀬波子さんが案内してくれて、中川五郎さんと三人で、真っ黒毛ぼっくすの大槻ヒロノリさんのお見舞いに行きました。

6月に脳出血で倒れ緊急入院して、今はリハビリ病院です。

波子ちゃんの最初の話では、状態はかなり深刻と聴いていたので、五郎さんと「会うのすこしドキドキするね」といいながら。

しかし、ベッドのそばに三人で行くと、大槻さんはとっても嬉しそうに自分で起き上がろうと。

車いすに乗せてもらって、ホールで話ができました。

言葉も発せられないと聞いていたのですが、

開口一番

「これから、みんなで呑みに行くんですか?」

いつものちょっとひがみっぽい口調の大槻さんそのもでした。スマフォを持たされていないから、自分に情報が届かないことを何度も気にしていました。

歌を創ることと、バンドすることと、恋とお酒の人だもの気になることがいっぱいだね。

でも大丈夫、今日会って確信しました。ステージにいる大槻さんをイメージできました。

リハビリの日々はまだ長いと思うけれど、波ちゃんはじめ真っ黒毛のメンバーや若いミュージシャンたちに熱烈に愛されているんだもの、彼らの祈りが大槻さんの回復を早めているのだと感じました。

 

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