(第11話)Never Understand

それは唐突にやって来た。明大前のモダーンミュージックで新譜レコードを物色していた時、その音はまるで啓示のように俺の耳に飛び込んできた。レザーフェイスの殺人チェーンソーを想起させる凶暴で破壊的なフィードバック音をバックに60年代ポップス風の甘美なメロディーが呪文のように歌われるその曲は、未知のドラッグの如く俺の脳天を直撃し、全身から尋常ではない量のアドレナリンを噴出させた。
「これ、誰の曲?」
カウンターに座っている青白く痩せた長髪の男に尋ねると、「ジーザス&メリー・チェイン」とぶっきらぼうに答え、「イギリスの新人バンド。ライブの度に暴動が起こるって評判らしいよ」とあまり興味が無さそうな口ぶりで教えてくれた。
代田橋のアパートに戻った俺は、買ったばかりの彼らの12インチシングル「Never Understand」と「You Trip Me Up」を聴いた。身震いする程の衝撃であった。商業主義に屈服し、飼い慣らされ、スピリッツを失ったロックが蘇生する唯一の道は、かように無軌道な荒々しさと激烈な破壊衝動が創出する混沌にこそあるのではないかと思わせる凄みがあった。そして、インダストリアルの元祖であるジム・フィータスやノイバウテンには無い無防備な程美しくポップなメロディーが、様式化されたポストパンクを超越する新たな可能性を感じさせた。
ジーザス&メリー・チェイン。グラスゴー出身のジムとウィリアムのリード兄弟を中心に結成された新進気鋭のロックバンド。過激な音楽性のみならず、コンサートでの暴動騒動や反権威的な言動などからイギリスのマスコミの間では「第二のセックス・ピストルズ」と騒がれていることを、俺は程なくして音楽雑誌フールズメイトの記事で知ることになる。
乾杯! 今度逢った時には
もっともっと狂暴でありますように
開け放した窓から心地良い秋の風が入ってくる中、リード兄弟が奏でるフィードバックノイズの轟音に身を委ね、夏の終わりに起こったいくつかの出来事を思い返していた。
「俺達は、ヌエバ・カンシオンの陣列に立っている」
俺がワイルド•ハーツの正式メンバーとして迎え入れられたあの日、カザマはバンドのもう一つの活動をこう言い表した。
「ヌエバ・カンシオンは、ラテンアメリカで1960年代に始まった音楽による社会運動だ。日本語で言うと『新しい歌』だな。音楽を単なる娯楽とせず、社会の不公正への抗議、自由と平和の希求などをテーマに音楽を通じて社会の改革を進める運動だ」
「カザマさんが歌っているメッセージソングはまさにそれじゃないのか?」
「そのとおり。しかし、ライブハウスで歌っているだけでは意味がない。歌は、闘いの現場に出ていく必要がある。最前線で、闘う人や抑圧された人たちに寄り添い、勇気付け、武器になってこそ『新しい歌』なんだ」
「闘いの現場って…、そんなもの、今の日本のどこにあるのかな?」
「至るところにあるさ。三里塚には農地を守り抜くために体を張って闘う農民がいる。国鉄の現場では、働く仲間たちと連帯して政府の分割・民営化攻撃に抗う労働者がいる。在日韓国・朝鮮人は、自分達を犯罪者扱いする不当で屈辱的な指紋押捺を拒否する運動を全国各地で起こしている。俺達は、そういう人たちの生きる権利を守るために共に闘う。闘いの中から歌が生まれ、歌は人々の輪を広げ、大きな敵を包囲していくんだ」
俺は、カザマが例に挙げた「闘いの現場」について全く無知であったが、それらの闘いが無私で正当であることについては何一つ疑いの念を抱かなかった。それは、ワイルド・ハーツが一貫して強い者ではなく、はぐれ者や日陰者の側に立っていることを彼らと演奏する中で知っていたからである。
「ヌエバ・カウンシオン運動の中心人物であったビクトル・ハラはこう言った。ギターよ、銃となって敵を撃て!」
カザマは、顔を上げ、遠くを見るように眼を据えて話し続けた。
「1970年、南米チリで選挙を経て平和的に誕生した社会主義政権は、その僅か3年後、米国CIAがお膳立てをした軍部のクーデターで暴力的に転覆させられた。抵抗する数千人の市民と共にサッカースタジアムに連行されたビクトル・ハラは、『ベンセレーモス・我らは勝利する』を歌って皆を励まそうとしたが、怒り狂った軍人に2度とギターを弾けぬよう手の指を打ち砕かれ、それでも歌い続けたところを数十発の銃弾を撃ち込まれ虐殺された」
「それは…、ひどすぎる」
「つまりだな、敵が本気で牙をむいてきたら、歌だけでは勝てないんだ。チリの社会主義政権がいとも簡単に崩壊し、ビクトル・ハラが無残に殺されたのは、崇高な平和主義に手をしばられ、暴力を遠ざけていたからかもしれない。俺たちは、そんな疑問を自らに投げかけながら闘いの現場で歌う。それが、ヌエバ・カウンシオンの陣列に立つということだ」
カザマの話は俺の心を強く揺さぶったが、一方で、毎日がパーティのような東京で、大きな悩みも不満もなく享楽的な日々を送っていた俺には、遠い別世界のことのように思えた。そのアンビバレンスな感情は、翌日、彼らと共に市ヶ谷の外堀沿いに建つH大学55年館の屋上に上がり、待ち受けていた10数名の先客を見た時ピークに達した。そこにいたのは、太い黒文字で「前衛」と書かれた白いヘルメットを着用した俺と同世代の若者達、そして、前日、カザマの部屋にいたサラリーマン風の男だった。
水色のサマースーツを着たその男は、大きく右手を挙げて、俺たちに向かって朗々たるバリトンボイスで叫んだ。
「よぉ、待っていたぞ。今日は見ての通り選りすぐりの防衛隊も付いているからな。お前達のサポートは万全だ。張り切っていこうぜ」
ジュンが小声で俺に囁く。
「あの人がマツオカさん。70年安保を闘った伝説の元全学連委員長だ」
「そんな人が俺たちとどういう関係があるんだ?」と俺も声を潜めてジュンに尋ねる。
「ここがボリビアなら、あの人はゲバラ。そういう関係だ」とジュンが独特のレトリックで応じる。
コンクリート打ちっぱなしの殺風景な屋上には、ドラムセットとマイクスタンド、そして巨大なアンプが4台セットしてあった。――舞台技術研究会の諸君が全面的に協力してくれたからな、抜群にデカい音が出るぞとマツオカが自慢気に話しているのを後方に聞きながら、俺は眼下に広がる緑の木々と切妻造の巨大な屋根を眺めていた。靖国神社だ。今からここにカミゾネ首相が戦後の総理大臣として初めて公式参拝にやってくるのだ。
昨日のカザマの言葉が頭の中でよみがえる。
「戦争の犠牲になった方々の霊の安らかならんことを祈るのは人として当然のことだ。だが、靖国神社は別なんだ。靖国は、戦死者を『神』として祀ることで、戦死を美化し、天皇のために喜んで死ぬことができる臣民をつくるため、明治政府がでっちあげた天皇制ファシズムの象徴だ。だから、軍人と軍属のみ祀られ、原爆や空襲で犠牲になった一般市民は見向きもされない。明治維新の『賊軍』も然りだ。カミゾネの公式参拝は、『戦後政治の総決算』として、国民に再び『国のため命を捧げる』気概を持たせようという危険な意図が剥き出しになっている。この国が同じ過ちを繰り返すことのないように、ファッショや軍国主義につながるものはすべて芽のうちに摘まなければならない。俺たちが公式参拝に反対する理由はそこにある」
重たいな、と思った。俺は40年前にこの国を焼け野原にした戦争について、歴史の教科書程度の知識しか持っておらず、これまで我が事として真剣に考えたことはなかった。ましてや、憲法9条を持つ日本が再び「戦争ができる国」になるなどとは、想像だにしなかった。自分の行動にリアリティを持てないまま、ベースギターをアンプにつなぎ、空を見上げた。雲一つない真夏の眩しい青空が広がっていた。
「境内では全学連の同志達がスタンバイしている。カミゾネが到着したら、一斉に弾劾の闘いに決起するぞ」とマツオカが叫ぶと、白ヘルメットの若者達が「オオッ」と鬨の声を上げ、鈍く光る1メートル程の鉄パイプを空に突き上げた。
これは何か大変なことが起きようとしているのではないか。不安そうな表情を浮かべる俺を見て、カザマが声をかけてくる。
「安心しろ、ここでは何も起きない。万が一、右翼が上がってきても、奴らが追い返してくれるさ。そのための防衛隊なんだ」
地上からは、市民やキリスト者達の抗議の声が散発的に沸き起こっていたが、警察の威嚇的な警告のアナウンスと右翼の暴悪な怒号にかき消され、程なくしてそれは荒々しい弾圧もしくは襲撃の始まりを知らせる甲高い悲鳴へと変わっていった。いつの間にか頭上には報道ヘリが2機、静穏な青空を切り裂くように、爆音を上げて旋回飛行していた。
「そろそろだな。委員長、マイクのテストをしてもいいか?」
カザマが大声でマツオカに確認すると、伝説の元全学連委員長も負けじと声を張り上げ「それはこっちで対応する。メイ、ちょっと来い」とヘルメットの集団の中の一人を呼び寄せた。
俺たちの前にやってきたのは、長い黒髪のあどけない顔をした少女であった。ただ普通の少女と違うのは、彼女が「一共闘」と書かれた白いヘルメットを被っていることだった。
「メイ、このマイクを使ってアジってみろ」
マツオカがカザマのマイクを「メイ」と呼んだ少女に渡す。少女は頷いてマイクを受け取ると、楽器を持って待機している俺達の方に顔を向け、ジーンズの腰のあたりで右手を小さく左右に振った。彼女の視線の先にドラムセットに座っているキックがいることに俺はすぐ気が付いた。
少女は、靖国神社の方角に向き直り、ゆっくりと口を開くと、その透き通った凛とした声はハイパワーアンプにより増幅され、靖国の森一帯に響き渡った。
「靖国神社に参拝に来られている遺族の皆さん、そして、カミゾネ首相の公式参拝に反対されている市民の皆さん。大きな音を出してごめんなさい。少しだけ私の話を聞いてください。私の祖父は、終戦直前の1945年7月にルソン島で戦死し、以来、英霊として靖国神社に合祀されています。祖父と祖母はキリスト教徒で、その子供である私の父も、そして母もまた敬虔なクリスチャンです。キリスト教家族の元で育った私は、意に反して親族が神社に祀られるということが、どれほど精神的に苦しく困ったことか身に染みて分かっています。祖母と両親は、祖父の名前を靖国の祭神名標から抹消してほしいと何回もお願いしましたが、聞き入れられることはありませんでした。私たちのような、親族を靖国神社に祀ってほしくないという遺族もいるのです。信仰の自由とは、信仰しない自由でもあるはずです。合祀されたくないという少数派の自由を認めない不寛容さは、多数派による問答無用の暴力と変わりません。それは、非国民というレッテルを貼って、戦争に反対する人達を残忍冷酷に弾圧した軍国主義の時代から、靖国神社が本質的には何も変わっていないことの証しではないでしょうか」
路上から思いがけない程大きな拍手が起こった。カザマが俺の横に立ち、「たいしたものだな。18歳でこれだけ肝の据わった演説ができる奴はそうそういない」と言い、「ヘルメットに『一共闘』って書いてあっただろ。メイは一年生の有志が立ち上げた『カミゾネ打倒を闘う共闘会議』のリーダーだ。彼女の世代がもっと力を付ければ、世の中をひっくり返すことがきるかもしれない」と話しながら、演説を続ける少女の後ろ姿と、その向こう側に鎮座する国家神道の象徴を見遣った。
「カミゾネ首相は、この国をまた戦争の底知れぬ淵に投げ込もうとしているのです! 靖国の英霊たちは、荒れ狂って怒るべきです。尊い生命を奪った戦争が地上から無くならない限り、その怒りは決して鎮まることはないでしょう!」
少女の演説のボルテージが最高潮に達し、辺り一帯が騒然とする中、トランシーバーを耳に当てたマツオカが声を張り上げて俺達に指示を出す。
「今、カミゾネが拝殿に到着した。速やかに音の爆弾を投擲しろ!」
俺達5人は、互いに顔を見合わせ、大きく頷く。まず、ジュンのギターが凄まじい音量で唸りをあげ、荒れ狂うディストーションによる「君が代」がまるでB29爆撃機の攻撃のように欺瞞に満ちた鎮魂の時を解体していく。次いで、キックがバスドラを連打し、俺はその重たいリズムに合わせてベースの弦をはじく。四つ打ちの16ビートが続く中、ハカセがキーボードで「海ゆかば」のメロディーを奏で、それは少しずつ変調して「インターナショナル」へとメタモルフォーゼしていく。カザマがマイクを両手で握りしめて、目を固くつぶったまま、「無名兵士の詩(うた)っ」と絶叫し、獣のようにシャウトする。
いま俺たちは三月の長江を下っている
しかし荒涼たる冬の予南平野に
十名にあまる戦友を埋めてしまったのだ
彼等はよく闘い抜き
天皇陛下万歳を叫んで息絶えた
共に氷りついた飯を食い
氷片の流れる川をわたり
吹雪の山脈を越えて頑敵と戦い
今日まで前進しつづけた友を
今敵中の土の中に埋めてしまったのだ
悲しい護国の鬼たちよ
すさまじい夜の春雷の中に
君達はまた銃剣をとり
遠ざかる俺たちを呼んでいるのだろうか
ある者は脳髄を射ち割られ
ある者は胸部を打ち抜かれて
よろめき叫ぶ君達の声は
どろどろと俺の胸を打ち
ぴたぴたと冷たいものを額に通わせる
(「夜の春雷」田辺利宏――「きけわだつみのこえ」より)
俺はベースで16ビートのリズムを刻みながら、身体の内側からむくむくと湧き上がってくるバケモノのような感情を抑えることができなかった。そいつは俺の耳元でこう囁いていた。――もっともっと狂暴でありますように!
俺達は、この時、カミゾネ首相のみならず、戦後40年経ってもなお「内なる天皇制」に縛られている市民社会をも敵に回してしまったのかもしれない。(つづく)
Illustration by Seachan
※この物語はフィクションです。実在する人物・地名・団体とは一切関係ありません。










