2005年9月、狭山の稲荷山公園で、焼けつくような猛暑と災害級の豪雨の中過ごしたあの2日間をぼくは決して忘れることはないだろう。そこでは、太陽が昇り沈みきるまで、木々の緑と一体化した土の匂いのする豊潤な音楽が演奏されていた。打楽器や電気楽器の増幅音すらかき消してしまう激烈な土砂降りの中でも――。ハイドパーク・ミュージック・フェスティバル。翌年の開催以降、それは経済的な事情により休止となった。
18年後の本年4月29日と30日、そのフェスティバルが奇跡的に復活した。再開に至る道程には主催者である麻田浩さんの尋常ならざる孤軍奮闘のハードシップストーリーがあったのであろうが、そのようなことは微塵も感じさせない明るく爽やかな笑顔でぼくらを迎えてくれた。(彼ほどテンガロンハットが似合う日本人をぼくはほかに知らない。)
稲荷山公園は、鮮やかな木々の緑、コンパクトな円形のステージ等々、そこだけまるで時間が止まっていたかのように何も変わっていなかった。
一方、主役の音楽の方は、どうであったろうか。ハイドパーク・ミュージック・フェスティバルは、1970年代初頭にこの地(狭山アメリカ村の米軍ハウス)に移住し、米国音楽をルーツとする優れたフォーク・ロックを創り出したミュージシャンに敬意を表しつつも、ノスタルジーに終わることなく、その進化形である現代(いま)の音楽も提示するユニークなフェスであったように思う。例えば、2005年に出演したラリーパパ&カーネギーママやSAKEROCKのように。
ぼくが参加した29日も、勿論素晴らしい音楽で溢れていた。もはやベテランの域に達しているが、EGO-WRAPPIN'や在日ファンクの熱演は幅広い年齢層の観客を波が立つようにスタンディングさせ、心地よく踊らせる魔法の力を持っていた。ギター1本でジャジーなグルーヴを繰り出しながらソウルフルに熱唱した田島貴男のパフォーマンスもさすがの一言であった。彼独特の節回しで「何度でも繰り返し諦めずアピールしよう この侵略戦争に反対であると」「音楽を奪うことはできない どんな圧力がかかっても どんなに威嚇されても」とシャウトすると、会場全体からウオーッという賛同と共感を示す歓声が沸き起こり、そのバイブレーションが夜の冷気に縮む身体を熱くさせた。彼が今これほど激しいラブソング=プロテストソングを歌っていることをぼくは不覚にも全く知らなかった。
加藤和彦トリビュートも選曲がフォークソングに偏り過ぎているきらいはあったが、北山修氏の軽妙な司会と松山猛氏の登場もあり、音楽だけでなくトークも楽しめる贅沢な内容であった。パフォーマンスとしては、加藤氏から生前譲り受けたというリゾネーターギターで弾き語るChihana(チハナ)の「光る詩」、そして「大学時代、牧村憲一先生から加藤和彦さんの音楽を教えてもらった」と話すカメラ=万年筆の佐藤優介とスカートの澤部渡らによるファンキーな「どんたく」が特に印象に残った。そして、トリのムーンライダーズ。かつて狭山アメリカ村で暮らし、今年2月に急逝された岡田徹氏に捧げたトム・ウェイツの「グレープフルーツ・ムーン」は、この特別な地で開催されたフェス初日を締めくくるに相応しい乾いたセレナーデであり、同時代を生きた同志に捧げるレクイエムのようにも聴こえた。
唯一残念に感じたことを書いておこう。それは、2005年のフェスでは匂い立つように濃厚に感じとれたルーツ音楽、すなわち狭山アメリカ村に根付いた音楽との連続性が希薄に思えたことである。要因としては、先の岡田氏や小坂忠、中野督夫など相次ぐ逝去によるオリジネーターの不在も大きいのだが、日本の音楽業界が構造的に抱える問題(その拙劣なガラパゴス化は米国ビルボード・ヒットナンバーの普遍的な質の高さと比較しても明らかであろう)に起因するようにも思えるため、それはまた別の機会に考察することとしたい。
思えば、このような大規模なライブに参加したのは、新型コロナウイルス感染症が世界中を席捲した2020年以来のことである。ミュージシャンと共にお気に入りのナンバーを歌い、叫び、少しばかり酔う中で、コロナ以前の日常が戻りつつあることを実感した。同時に、2021年9月のファームエイドの出演を断念した際のニール・ヤングの言葉が心のどこかで残響していたのも事実だ。
安全だと思えないからフェスに来ない人たちに、俺も同意する
それに、俺が演奏するのを観て、もう安全なんだとは思って欲しくないんだ
だから、君たちが安全だと思えるまで、または本当に安全になるまで、俺は演奏したくない(※)
今、東京の感染者数はまた増えてきている。オミクロン株XBB系統の割合も上昇しており、実はもう第9波に入っているのではないかという気さえする。そんな中、明日8日から新型コロナは季節性インフルエンザと同等の5類感染症に移行する。感染状況の不可視化、すなわち、コロナがこれまで以上に見えない敵となり、無防備な人々を攻撃するような事態にならないことを祈る。もう、パンデミックや戦争や災害で死者が「数値化」されるニュースは聞きたくない。(そもそも、コロナの日々の死者数は、5類移行に伴い公表されなくなるため、「数値化」すらできない状況になるわけであるが。)
コロナ禍において、ぼくは一人の歌姫に魅せられ続けた。彼女の歌声は、美しく屈折し、優しくて残酷であり、透き通りながらドスの利いた凄みがある。それは、先月発表されたニューアルバム「Did you know that there's a tunnel under Ocean Blvd」にも満ちていて、「Norman Fucking Rockwell!」以降のラナ・デル・レイには、無条件で降伏状態なのである。
雑文失礼。次回は、「フォーク・ソングを殺したのは誰? その9」を――。
※中村明美「ニューヨーク通信」より(https://rockinon.com/blog/nakamura/199926.amp?__twitter_impression=true&fbclid=IwAR16De1DrcW1s1erwYxZMDa1SrsJngUUF0UDN3gt1Jv9kcNYM0rmspmC32E)