車で ぴゅう と伊豆市内陸部へ行ってみました。
まず訪ねたのは伊豆縦貫の大平IC下りてすぐ、の地点に建つ大平神社。すぐ近くには 旭滝という滝もあるそうなー。(お参りの後、行ってみましょう。)
鳥居左に神社の由緒書。
「大平神社
祭神 高皇産霊神(高御産巣日神/タカミムスビノカミ)
天地開闢の時、高天原に最初に出現した三柱の神、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神 の内の高御産巣日神であり、これら三柱の神を造化三神(ゾウカサンシン)と申し、高御産巣日神、神産巣日神の二神は産霊(ムスビ)の神で総てのものを生み、生かし、育て、伸ばす力を持った神様である。
合祀神 神明大神(天照大御神)伊勢神宮、若宮大神(仁徳天皇=大雀命(オオサザキノミコト))大阪の高津宮、諏訪大神(建御名方神)長野県諏訪大社、八幡大神(應神天皇=品陀和気命)大分県宇佐神宮。
沿革 当社の創建は詳かでないが、寛永十三年(1860)宿三町内の産土神として御殿原に祀られていた高皇産霊神を、字滝の前(伊豆市大平字滝ノ前という地名が静岡県の頁でヒットするので「滝の前」は字名かな?)に遷座し高根神社と称した。
明治六年同村安竹町内の神明大神、原町内の若宮大神、道足原地先の諏訪大神、八幡大神を、字道足原地先に合祀し、上大平神社と称した。
明治三十年上大平神社は火災の為焼失したが御神体は難をのがれた。その後大平区の統一と共に神社の統合が叫ばれ、現在地への合祀を決定し、大正元年十月許可を受け、大正二年十月十七日遷宮、社名を大平神社と改称して現在に至っている。」
社殿の方へ。
手水舎。
(↑水道式、でした。)
石段を上ります。
あら、拝殿の屋根に社号_。
壁にもー。
ご挨拶。
石段の両脇の灯籠は年代物のようでした。
↑樽のように太い「竿」部分に「文化十三(1816)丙子(ヒノエネ)」と刻まれていましたから。(ここに神社が建てられたのは大正2年との事ですから 旧社地から運んばれた物でしょうね?)
脇へ回ってみます。
拝殿南に覆い屋。
中には「稲荷利大明神」と「山神社」の祠が並んでおさまっていました。
その先には大国様の像と 末社の祠。
拝殿北側。
(↑神殿部。)
拝殿前から鳥居を見下ろしたところ_。
↓北側には東屋が見えました。
スロープを通ると東屋の方へ行けそうです。同じ道を引き返すよりよさそう、と スロープを下りる事に。
あ、東屋の西側に 滝が現れました。
↑きっとあれが「旭滝」ね?
スロープを下り切った所に案内板。
↑「旭滝(アサヒダキ)
全長105メートルで、六段に折落しており、真東を向いていることから、この名がつけられたという。
ここは以前、功徳山瀧源寺という伊豆では唯一の普化宗(←禅宗の一派/尺八を吹きながら旅をする虚無僧で有名)寺院があったが、明治初年に廃宗となり、同寺の本尊・木彫十一面観音菩薩立像と木彫不動明王坐像の二体は県指定文化財となり北条幻庵の菩提寺である金龍院(伊豆市大平763/ 大平神社の250m程南)に安置されている。 また、尺八の名曲「滝落ちの曲」はこの滝から生まれたといわれている。
平成四年 修善寺町(現伊豆市)」 へ~っ。
滝に近づきます。
微妙によじれているので、近づけばよく見えるか というと 違う・・・。 (滝口を見ようとすると流れが目に入らなくなり、流れを見ると 滝口が見えなくなる_)
↑それにしても 不思議な滝。まるで人が築いた石垣の側面をつたって水が流れているようなー・・・。
動画で。
↓この滝について地質学的に教えてくれるプレート。
なるほど、石垣と見えるのは 「横倒しの柱状節理」でしたかー。(納得^^)
少し川下に石造りの橋が架かっていました。
(尚、この上には歴代住職の墓がある~ そうです。)
鳥居脇の 駐車場の方へ戻ります。
石碑。
↑「瀧落の曲 発祥の地」とあります。
↓振り返って見た 滝。
素晴らしい場所でした! (なのに 私達の他に見学者 なし。 もったいなーい。/ もっと知られるべきスポットですよねー。)