須山から須走(スバシリ)まできました。
東口本宮 冨士浅間(フジセンゲン)神社(須走浅間神社)を訪ねます。
↑神社の駐車場から見る富士はこんな形、でした。
夕暮れ間近。 急いで参拝しなくちゃ。
↓境内図と由緒書。
(あ、ここの「ふじ」は「ワ」冠なんですね、気を付けましょう。)
↑「御祭神
主祭神 木花咲耶姫命
相殿神 大己貴命 彦火火出見命
御由緒
平安時代初頭、桓武天皇の時代・延暦二十一(802)年 富士山東脚が噴火した(←1月頃らしい)。当時の朝廷は逃げ惑う住人のため、富士山東西に位置するこの須走の地に斎場を設け、鎮火祭を斎行した、すると、同年四月初申の日に噴火が収まった。
この御神威を畏(カシコ)み、報賽するべく、平城天皇の時代 大同二(807)年に鎮火祭の跡地・現在の御社殿の地に神様をお祀りしたことが、当社の創建と伝えられる。
江戸時代・宝永の噴火では、神社と街は約三メートルの降灰の被害を受けるが、富士登山と交通の要衝として幕府より手厚い支援の下、街を埋めた灰の上に街を復興させ、神社は村民により灰が除去されて現在にいたる。
明治時代、逸早く自動車化が進んだ地域であり、登山安全と相まって、交通安全・道中守護としても一層の崇敬を集める。
平成十九(2007)年には御鎮座1200年を迎え 記念式年大祭を斎行。
平成二十五(2013)年には、富士山の世界文化遺産登録に際し、その構成資産の一つとして登録された。
富士山信仰
霊峰・富士山は、古来より浅間大神が鎮座する神体山として、全国の登拝・修験者が最も尊崇する山の一つである。富士山本宮浅間大社(富士宮市)を総本宮とし、全国には約1300社の浅間神社が鎮座する。
当社は、天正年間開道と伝えられる、かつての東口・いまの須走口登山道の起点として、東口本宮と尊称される。
須走口は、富士山頂より真東に位置し、おおよそどの位置からでも御来光(日の出)を拝することが出来るのが特徴であり、須走の街からは朝陽で染まった縁起物の赤富士が見られる。 (後略)」
↓駐車場側に設けられていた鳥居。まるで森への入口のよう・・・
鳥居の先の参道。
右手の屋根付き看板_ 由緒書きかなと思ったら、「境内では ・魚や鳥をとらないで下さい。・竹や木や草花などを切り取らないで下さい。~~~」という注意書きでした。
そしてその横のプレートは・・・
↑「小山町(オヤマチョウ)指定文化財(天然記念物) / 冨士浅間神社の根上りモミ」についての説明板でした。
↑しかし そーかー、富士の噴火で灰に埋もれた場所に頑張って芽を出し根を下ろしていたのに 雨で灰土が流れて「根上り」になったのか・・・。(つまり 元の土は今より1m以上高い所まであった という事_)
って こんなペースで境内を歩いていたら夜になります。 心を鬼にして(?)どんどん行きましょう。
丹塗りの社殿が見えてきました。
しかし いきなり拝殿横に出るのは 神様に失礼_ という事なのでしょう、
手前に 正面へ向かうためのパスが作られていました。
社殿には改めて伺う事にしてー
案内通り 「表鳥居前」へ向かいます。
楼門横_
通過_
池の端に九輪草。
やっと 表参道に繋がる階段が現れました。
車道(県道150号線)まで出ました。
改めて神社を目指します。
_って 左手の階段状の滝、気になる。
それにしても 浅間神社の建つ場所は どこも水が豊かですねー。
(↑滝の名は「信しげの滝」ですって。武田信繁の事でしょうか?/ググってみましたが 名の由来は「不明」との事・・・)
鳥居。
手前に置かれているのは_
火山弾 でした。
↑小さいほう 約250kg、
↓大きい方 約1t。
(オブジェの様に飾られていますが 「こんな物が降ってくるんだ 怖いなー」です。)
近くにあった世界文化遺産の認定プレート。
↑「⑥冨士浅間神社(須走浅間神社)
須走口登山道の起点となる神社で、富士山の東麓において、登拝に重要な位置を占めていたことが知られています。古代から近代(現代)に至る山岳信仰のあり方を考える上で重要であることから、八合目以上の山頂部、登山道等とともに史跡に指定されています。」
鳥居を潜ります。
扁額の字は「不二山」。
手水舎。
蟇股に猿。(庚申さんと関係が?)
楼門へ。
おや、ここの狛犬達は 岩山にいるよ?
↑左の犬。↓右は子連れ。
楼門の扁額の文字はー・・・
「國威震燿」。
門の両の室の随神さん。
(↑南-社殿から見て右の室の随神さん(下位-赤衣)、
↓北-社殿から見て左の室の随神さん。(上位-黒衣))
↑虎の皮の上に座っておられる!(虎の皮を「神の座」とする 相模の「国府祭(コウノマチ)」が思いだされますね。)
裏の左右の室には御神輿が置かれていました。
↑大きい不二山と
↓少し小ぶりの不二山。
↓楼門を振り返って見たところ。
↑左が「大きい富士山」、右が「少し小ぶりの不二山」です。
社殿へ。
左に 又手水舎。
あら、これは?
亀みたい と思ったら本当に「亀石」だった。
(↑土中から発見された、との事ですが これも火山弾かなー?)
亀石のそばから見た 手水舎と社殿。
↑池の金魚。
手水舎。
拝殿前へ。
はんなり どこか 可愛らしい社ですね。
丹塗りに彩色が施されているのと あちこちに見える桜の意匠のせいでしょうか?
↑扁額には「冨士山東宮」と書かれていました。(揮毫は 「宮内大臣従二位 勲一等子爵 土方久元」 だそう。)
ご挨拶。
社殿横へ。
↑拝殿奥に神殿部。その(ずーっと)先には 冨士の峰があります。
境内社を回ります。
↓境内末社。
↓恵比寿大黒社。
ありがとうございました。
駐車場に戻ります。
<おまけ>
駐車場に 金太郎 が描かれた旗が立ってました。
小山町は 金太郎誕生の里 という事になっているんですって。
↑マンホールの蓋も 金太郎 でした^^)/ おしまい。