由緒書。
「抄/ 崇神(スジン)天皇の頃(BC1世紀頃)出雲地方より移住した氏族(柳田氏)はこの地を「柳田郷」と名付け 彼らの祖神である 櫛稲田姫命、素戔嗚尊、大己貴尊(≒大国主命)を御祭神として伊勢神台(現在の石神台)に祀った。/その後718年に現在地に遷座。柳田大明神と呼ばれた。/ 平安時代に相模国の国府がこの地に置かれると この神社に(相模)国内の神社の分霊が合祀され「総社」となった。」
へ~ 出雲からの入植~。
(近畿にも沢山「出雲からの入植者」「(出雲の)野見宿禰が帝に賜った土地に住んだ末裔」がおこしたという神社がありましたが、関東にもー。)
参道両脇に 小さいけれど豊かに水をたたえた池がありました。
右手の池の小島には弁天様の祠ー。(弁天様は仏教系ですから 六所神社も元は神仏習合のお参り処だったのでしょうね?)
左手の池の小島には龍神様の祠_。
↑こちらの龍神様は出雲からいらした櫛稲田姫が「お連れになられました」そうです。へー。(興味深いですね?)
参道に戻ります。
池には錦鯉がわんさか泳いでました。
池の向こうに お堂。(何となく仏教系のお堂っぽい?)
お堂脇に御神木という 注連縄を巻かれた 椋の木。
(↑ちょ ちょっと 枝を落とした痕が顔のようで怖い???)
(雨が降ってきたー)
その先にお稲荷さん「六所稲荷大明神」。
大神輿殿。
おお、桝組の重なりが見事ですねー。
↓説明。
本殿の際まで来ました。
あら、この野面積みの石垣は 小田原北条氏の寄進、だそうですよ?
又 石垣のそばの石には「國府祭(コウノマチ) 縣無形文化財記念」と刻まれていました。
(以前 「相模国二宮 川勾神社」の記事でも打った「国府祭」の座問答は、ここ 六所神社の神領域「神揃山(カミソロイヤマ)」で行われるんですねー。)
石垣の上に建つ本殿へ伺います。
おー 注連縄が出雲風です!
関東にも このタイプの注連縄を用いる神社があったとは。
↓説明書き。
_なるほど注連縄については、ご祭神が出雲の神様達なのでそのエニシで・・・、三十数年前に始まった んですね?
又、現在の社殿は平成3年に造営されたものだけれど 奥の本殿(神殿)部分は 小田原北条氏によって 寄進・造営された と伝わっている、そうです。
注連縄の奥の扁額。
「惣社六所大明神」。
笑顔がかわいい(?)狛犬たち。
この子達はいつ頃作られたものなのだろう?
神殿部が見られるかしら? と裏へ回ってみました。
忠魂碑前を通りー
裏の公園へ。
フェンスの中に平入(ヒライリ/軒の下から建屋に入るスタイル。屋根の下に壁が作られるようになってから生まれた入館方法と言われています)の神殿が見えました。
銅葺きながら 千木+鰹木 の載る 出雲風とも見える屋根。(ただし 出雲の神殿は妻入(ツマイリ/三角部分から建屋に入るスタイル)なので 平入なら 伊勢スタイル?)
さっき見た説明書に「朱塗りの御本殿(最も奥の建物)は 本殿を支える石垣と同様に戦国時代、小田原北条氏によって 寄進・造営されたと伝えられている。造営時は全体が朱に塗られ、細部まで彩色が施された。」ってあったのですがー・・・。 目の前の建屋が戦国時代の物とは思われないので 多分 これは「覆い屋」で この中に古い「御本殿」があるのでしょうね?
雨が強くなってきたので ここでおいとまする事に。
<おまけ>
・湯津爪櫛のお守り
肝心の櫛の「絵」が無いので本文中に打ち損ねたのですがー、この神社のお守りは「湯津爪櫛(ユツツマグシ)」という物だそうです。
古事記に載る「ヤマタノオロチ」の話で知られる御祭神 櫛稲田姫にあやかったお守り、なんですね?
・濡れる前に撮った マンホール。
・道脇の ありがたげな椨(タブ)の木。
不思議な 不思議な 形・・・。(何か ねぎらってあげたくなりますよね?)
_おしまい。