ロゼッタへの道 -18ページ目

ミイラ

 押し入れを開けたら、チョロQみたいな物体が落ちていました。「なんだろ?」と思って拾ってみると、なんとミイラ化したカエルでした。


 あわれ



 うちのアパートは、周囲が田んぼなので、夏から秋にかけてはカエルだらけになるんですが、そういえば11月に秋が深くなった頃には、玄関からもぐりこもうとしているカエルが目に付いていました。その一匹が、外は寒いから、どうにかして家のなかに入ってきたのでしょう。でも家のなかは乾燥しまくっているので、かわいそうに即身成仏になってしまったんですね。


 しかし、これ薬効がないのかな?沖縄ではウミヘビを乾燥したものを薬として売ってるけど、乾燥カエルも薬効があったら、うちの家でいくらでも製造できるんだけど。


・・・・と思って調べてみて、ちょっとずれますが、こんな素敵なサイト があるのを知りました。けっこう有名らしいのですが、ぜんぜん知りませんでした。タイトルも、作者のコック姿の写真もなかなか素晴らしいですけど、内容をみるとかなり気合いが入っていてめまいがしそうです。笑っちゃったのは パプリカのリゾット詰め煮込み (009 2005/9/28)とか 玉子のファルシー (030 2005/12/9)とかですけど、最近のメニューでは、お寿司 (194 2007/10/24)の写真は必見ですよ!

 私はとてもまねできませんが、けっこう熱心なファンもいるみたいです。いやあ、食文化ってほんとうに広いですね。

 

キャンパス

 今日は所用があって、雄琴の成安造形大学に行ってきました。用事はすぐに済んだのですが、お腹が減っていたので3時頃なのに空いていた学内のレストランに入り、カレーを食ってさっさと帰ろうと思ったら・・・


 「うまい!」


 ミンチカレーセット。500円。学食価格。なのに、おいしい、おいしすぎます。目の前でレトルトの袋を切って注ぐうちの大学の学食と違って、れっきとした手作りです。貪るように食べ終わってから、いろいろと周囲を眺め回して、合点がいきました。このレストラン は、どうやら大学生たちが地域連携の一環として企画したもので、それなりに有名な業者に運営をしてもらっているようです。

 
 けっこう広い。学生(?)たちが勉強会もしていた。

 興味が湧いたので、キャンパスをくまなく歩いてみました。土曜日だというのに、キャンパスにはけっこう人がいます。しかも、親子連れやおばさん二人連れもちらほらいて、グランドでは子どもたちが遊び回っています。「こんな山の上にある交通も不便なところなのに」と不思議に思いながら、他方ではなんとなくほっとする感覚を覚えました。

 「そういえば昔自分が大学生のときは、キャンパスを子どもが走り回っている風景なんて珍しくもなかったよなあ」と思い出しながら、反対に今の自分が働いているキャンパスがあまりに寒々しいことをあらためて痛感しました。学生も授業が終わったらもさっさと逃げ出しているけど、私自身でさえ土・日にキャンパスにいることに苦痛を感じるくらいだから、まして市民の人たちや子どもたちが遊びに来るなんてありえん話です。まあ、来てほしくもなんだろうけどね。


 ところで芸大って、私も昨年まで別の芸大で非常勤で教えてたんですけど、そもそも管理教育になじまないところがあって、けっこう自由で開放的な雰囲気が保たれているところが多いようですが、ここのキャンパスにもいろんなオブジェ(粗大ゴミ?)がそこいらに転がっていて、子どもたちが勝手に遊んでいました。まあ、芸大だったら地域連携どころか地域破壊するくらい、もっとアナーキーでもいい気がするけど。

 
 女性の足のオブジェ。大人も子どもも触りまくってた。



 子供たちがグランドを走り回ってた


 この数年ですっかりキャンパスが憩いの場だということを忘れ去っていましたが、この雄琴の大学はそういう当たり前のことを思い出させてくれました。新しい大学のわりには校舎は安っぽいし、ゴミや残骸がいたるところに散らばっていて、テレビ映えするきれいな建物と他大学がモデルにするほどの厳しい学生管理を誇る、うちの大学のキャンパスとは対極的でした。思想が正反対だから、うちの大学にこのキャンパスを見習えって言っても、「コストが云々」「事件が起こったらどうするんだ」「利用申込み書に記入させろ」みたいな話になるんだろうな、きっと。学生にたいしてさえそうなんだから。


 ああ、そうか。俺はこういう雰囲気に飢えていたんだな。他大学の教員だけど、暇があったら足を運んでみよう。

肩こり

 来年度のカリキュラム作成という大きなヤマを越えて、教務担当者としてはかなり気が楽になりました。もちろん、まだまだ修正はあるのですが・・・。とにかく今は肩こりで首が痛いです。


 ところで、こうやって日常生活で人間社会とかかわっているのに、研究対象も人間社会っていうのは、ときどきすごくイヤになることがあります。とくに業務や私生活で人間社会の嫌らしいところに触れると、ひとりで動物園や植物園に行ったり、天体観測をしながら一日中過ごしたいと思うことがあります。


 以前、うちの父親の葬式で弔辞を読んでいただいた知人の精神科医によれば、うちの父親と彼は大学時代に天文学の話をつうじて仲良くなったそうなのですが、その理由として「天文学に没頭することで、二人とも戦争という人間社会の狂気のなかでかろうじて正気を保っていたのだろう」と言っていました。


 天文学にかぎらず、人間世界以外の世界ついての学問は、たとえ商売の種や治安維持の役に立たなくても、人間精神の健康にとって非常に重要な役割を果たしているに違いありません。かつて分裂病と言われた人たちの妄想にときどき宇宙人が登場するのも、そうした妄想がじつは正気を保とうとする試みであると示しているのかもしれません。


 若いときにもうちょっと天文学や生物学、植物学について知識を得ていたら、今のように肩こりに悩まされずにすんだのかもしれない、と今さらながら後悔しています。

 

 


ドラキュラ

 独東部シェンケンドルフに広大な敷地の邸宅を購入し、献血パーティーや野外コンサートなどドラキュラにちなんだ企画を打ち出して観光客を誘致。2002年には「ドラキュラ公国」の独立を宣言するなど、たびたび話題を提供した。(時事)


 アイルランドの「ドラキュラ伯爵」のモデルとなったブラド公の子孫が11月21日、67歳で死去したそうです。

 ドラキュラといえば、子どものとき、夏休みになると、テレビの「金曜ロードショー」で、よくクルストファー・リー主演のドラキュラ映画のシリーズがやっていて、ヘルシング博士との対決をどきどきしながら見守っていたことを思い出しました。ほんと、彼のドラキュラ役はすごかったです。イチオシはやはり「吸血鬼ドラキュラ 」です。

 ちなみにクリストファー・リーが「スター・ウォーズ」にドゥークー伯爵 の役で出演しているのを先ほど初めて知りました。系統としてはショーン・コネリーに似てるのに、なぜ悪役ばかり・・・。

 ドラキュラというのは、モデルとなった15世紀のブラド公の父親が「ドラクル(竜公)を名乗っていたことから、自身も「小竜公(ドラキュラ)」と名乗ったことに由来するそうです。

 しかし、その子孫が、いまやドラキュラのテーマパークを経営して、献血パーティを主催するとは、冷血で有名なご先祖さまはさぞかし驚いていることでしょう。

 

 

 

翻訳

 今日、大学時代の友人が7月に翻訳・出版した「ヴァンダナ・シヴァの「アース・デモクラシー――地球と生命の多様性に根ざした民主主義」という本をめくっていました。ヴァンダナ・シヴァは「緑の革命とその暴力」という本でよく知られるインド出身の思想家です。新自由主義経済によって蹂躙される第三世界の立場から、新しい世界秩序を構想しようとしています。

 本の内容もさることながら、ついつい彼の翻訳の仕方のほうに関心が向いてしまいます。というのも、かつて翻訳について彼といろいろと話したことがあるのですが、やはり行き着くところは「翻訳の仕事って、ほんとうに理解されないよね」という一点です。さきほどもドイツの歴史書の翻訳をしている後輩と同じことを話したので、今日はちょっと翻訳について思うところを書いてみようと思いましたが、時間がないのでやめておきます。まだ明日の仕事のための書類をつくらないといけないので・・・。

 というわけで、友人の他の翻訳書の紹介。

 

 タイトルからして怪しげですが、実際にはかなりアカデミックな真面目な本で、しかも一般の読者にも読みやすくなっていて、ほんとおもしろい本でした。

 六〇年代って、ほんとうに西欧にとって大変動の時代だったということがよくわかります。ちなみに、この友人は、昨年にも「体位の文化史 」という本を共訳で出して、タモリ倶楽部に出演して解説してました。