ロゼッタへの道
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初稿

知人の家で、たまたま1970年代にフランスで出版されて話題になった思想書の原稿のコピーをみせてもらう機会がありました。それぞれ哲学者と精神科医である二人の思想家の共著で書かれた本ですが、どちらもすでに亡くなっていて、現在でも彼らの思想については世界的に研究が進められています。
共著の片方の哲学者の遺言で、出版されたもの以外は死後に公開しないことが定められているので、残念ながらこの原稿も公開されることはなさそうです。よくみると、完成版とは章のタイトルが違っていたり、コメントがついていたりして、とても興味深い資料なのですが。この知人は共著者である精神科医の側の遺族のほうから研究用として入手したようで、私もそちら側の思想家の研究者ということで、彼の好意でみせてもらいました。
残念ながら中身については表にだせないので、記念に中身以外の部分だけ写真に撮りました。
まあ、私はとくに著作の制作段階について研究するつもりはないので、細かくみようとは思いませんでしたが、こういう資料をみたら興奮する人もいるでしょうね。

ロゼッタへの道 相方の「フェリックスに」と書かれている

その知人がフランス人なのにいなり寿司が大好物ということで、中華街で入手した油揚げを使って、ささっと作ってあげました。ネットのおかげでレシピもすぐに手に入り、便利な世の中だと痛感します。


ロゼッタへの道  油揚が小さいので一口サイズ





ジオエコノミックな権力

 今日は少し離れた場所で夕方からDavid Herveyの講演会があるので、原稿執筆を途中で切り上げて会場に向かいました。するとDenfert-Rochereau駅の入口をぐるっと大勢の警官が取り囲んで、改札に入れません。なんとか人混みをかきわけて入ると、高校生たちが警官に囲まれています。


ロゼッタへの道-Lyceens3  警官に取り囲まれる高校生


ロゼッタへの道-Lyceens2  取り囲まれながら座って談笑

ロゼッタへの道-Lyceens  警官をからかう高校生たち

 どうも駅前で高校生たちのデモがあったようですが、細かい事情はわかりませんでした。あとで聞いたところによると、ジュシュからダンフェールまで小規模な高校生デモがあったということです。高校生たちの反年金改革の運動がますます拡大しているので、政権側もピリピリしているのでしょうか。駅を囲む20台ほどの警察車両と100人近い警官の数にびっくり。高校生たちの陽気な様子が対照的でした。

 講演会は国立建築学校でおこなわれました。ダンフェール駅のごたごたと、ストのため北駅が混乱していたので、会場に着いたときには15分過ぎてしまい、満員のなか立ち見せざるをえませんでした。

 ロゼッタへの道-Hervey  建築学校

 ロゼッタへの道-Hervey2  講演会の光景

 講演内容としてはこれまで知っていることがほとんどでしたが、自分の考えをコンパクトにまとめながら、黒板に図を書きながらシステマティックに説明する様子は、なんともアングロサクソン的だなあという印象を受けました。それより、途中多くのジョークを交えつつ、緊迫感をもって世界の現状と課題を静かに訴えるハーヴェイの語り方に感心しました。日本ではいったいどれくらいの人文社会系の学者が、世界の未来にこれほどの危機感をもって研究に取り組んでいるのか、と考えされられます。いや、とても格好いいおじいさんでした。
 物理的地理空間を超えてマーケットの空間のうちに世界を再編するGeo-Economic-Powerは、その力と速度をますます増大させ、もはや1968年とはまったく違う状況に私たちはいるのだ、という話が基調でした。中国やアメリカの最近の政策についても触れながら、地政学的にみると次の経済危機は上海で起こるだろう、という予言をして締めくくっていました。


 










社会正義

ルモンドのサイトをみてたら、こんな動画 もありました。雰囲気がわかると思います。
といっても、パリの町中を歩いているとよくわからないのですが。

他方でサルコジ大統領は、「年金改革は社会正義を目的にしている」と言って、まだまだ引くそぶりは見せません。
デモの呼びかけも盛んなので、これからどうなるのか興味深いです。

高校生の反乱

フランスでは年金問題をめぐってデモやストが相次いでいますが、さらに高校生たちが全国的に年金改革に反対する抗議運動が広がり、この二日ほど紙面を賑わしています。パリ付近でもモントルイユなんかで警察ともめたみたいです。テレビをみると自動車を燃やしたりしてました。


ロゼッタへの道  レンヌでは8000人の抗議集会

なぜ年金受給年齢の引き上げに高校生が反対しているの?という疑問があると思いますが、「老人が企業に残って働くようになればなるほど、若者の就職口がなくなる」という労働組合の説明にしたがえば、論理的には不思議ではありません。しかし、まだ就職すらしていない若者たちが、なんでそんなに一生懸命になるの?という疑問は残ります。
「労働組合が高校生を操っている」と批判する人も実際にいるようですが、現実はもっと複雑なようです。背景には、サルコジ政権が進める新自由主義的改革のために、雇用が不安定化し、高等教育の現場が荒れてきたこともあるようですが、なにより政府が若い人たちの将来をまったく考えていないことに対する怒りを表明している、と考えた方がよさそうな感じです。同じような状況でも日本とはえらい違いですね。

ルモンドの今日の記事 に社会学者のLouis Chauvelがインタビューでそうした疑問に答えていました。記事をそのまま翻訳するのも面倒なのと、著作権の問題もからむと思うので、適当に内容を縮めて超訳したものを以下に載せておきます。ほんとうにメモ代わりの適当な訳なので、恥ずかしいから引用とかリンクとかしないでくださいね。


-----以下、抄訳---
「若者たちは路上に出ていますが、それは闇雲にそうしているのか、それとも深い動機があってそうしているのか、どちらでしょうか?」
「最初に言っておきますけど、18歳から29歳の若者たちは、この30年間でもっとも広範囲な領域で不安定化した人口のうち、一番大きな割合を占めるようになっているんです。彼らは、生存状況が悪化している社会集団なのです。それは全体の5%にすぎない集団ですが、多くの問題を抱えています。実際、さまざまなデータを分析しても、フランスの若者たちはかなり損をしています。イタリアやギリシア、スペインの若者たちも状況は悪いですが、それでも地中海のそれら諸国では全体人口が減っていることもあり、若者の問題について言えばフランスよりましです。フランスには若者は大量にいて、若者たちは大量の問題に直面しています」。

「高校生たちはほんとうに操られているのでしょうか、それとも違うのでしょうか?」
「若者が操られているなんて言う前に、彼らが大きな困難に直面していることをみるべきでしょう。ご存じのとおり、高校生たちは将来に大きな不安を抱いていて、それはまったく合理的なことです。しかし明らかに、その不安と年金問題の関係は直接的なものではありません。ですから問題はこういうことです。若者たちが年金改革に反対しているのは、彼らが年金に関心をもっているためなのか、それともむしろ、現在の政府に対する不信の表明のためなのか、という問いです。この問いにはっきりと答えを与えるのは難しいでしょう」。

「若者たちは年金改革を理解していないのだから情報を与えなければならないと言っている人々は、若者たちをみくびりすぎているのではないでしょうか?」
「高校生たちは今回の年金改革を理解していないわけではありません。現在20歳の若者たちが年を取ったときには70歳まで年金をもらえないというのは誰かに予想してもらうまでもありません。現在の若者が70歳にならないと年金をもらえなくなる2060年には、現在の政治家は誰も責任を取らないでしょう。若者たちは自分の将来を真剣に考えていますし、それは正しいことです。しかし左派であれ右派であれ、誰も若者たちに対して、彼らの将来像を示すことができないのです。政治で重要なのは2012年であって2060年じゃないですから。だから高校生たちが不安を表明するのは、まったく正しいんです。逆に、彼らの不安の表明が政治家たちに利用される危険があるように思いますね」。

「若者たちは年金改革が彼らの就職口を狭めることになると言っていますが、どう思いますか?」
「それは知っています。それは、とくに労働組合の議論ですが、150万人の老人が働けば、150万人の若者が働けなくなる、という考えですね。しかし国際的なデータ比較をしてみると、その考えはあまりに単純すぎます。たとえばノルウェーでは、若者はもっと早い時期から働き、老人はもっと年を取るまで、よい条件で働いています。しかも、ほとんど完全雇用です。そういうことも可能なのです。それでも、私たちは24時間でスウェーデン人になることはできません。スウェーデンモデルであれ、デンマークモデルやノルウェイモデルであれ、フランスよりましな集団的責任にかんする観念がなければ、成り立たないでしょうね」。

「若者たちの不安は何に由来するのでしょうか?どうやったら彼らの不安を鎮めることができるのでしょうか?」
「この30年をみると、フランスの若者たちの不安は失業率が20%を超え始めたあたりから高まっています・・・2009年12月には25歳以下の若者の失業率は26%という歴史的水準に達しています。問題は失業以外にもあります。大学卒業資格の取得者はとても増えたにもかかわらず、見習い期間の長期化、雇用の不安定化は進む一方ですし、とりわけ給与水準の低下は深刻で、若者たちがもらう給料では。いくら働いても満足に生活することさえできなくなっています。そうしたこと全部が若い世代に対して、自分たちが見捨てられているという強い感情を抱かせているのです」。

「現在の若者たちの反乱は、68年5月の若者たちの状況とくらべると、どこが同じでどこが違うと思いますか?」
「2010年と1968年では状況はあまり重ならないと思います。1968年は貧しい状態から急速に豊かになった時代でした。大人たちは戦争を経験者で、新しい世代の若者たちは消費社会に宇来ているまったく新しい世代でした(彼らは大人になってすぐに車を買う最初の世代です)。もはやスラムもあばら屋もなくなりかけて、住生活も向上していました。1968年というのは、大量生産・大量消費の時代に向かう社会で起こった反乱です。現在は、むしろ反対に向かっています。この二十年間に起こった若者たちの抗議は、けっきょく状況を変えることはできませんでした。この点では、1968年はまったく例外的な運動だったと言えるでしょう。CPE(contrat premiere embauche)に反対した1996年の運動を思い起こしても、たしかに若者たちは例外的なまでに大きな運動を起こしましたが、けっきょくのところ失業問題や経済状況を変えることはできませんでしたし、若者たちは政治の世界から見捨てられ、何も起こらなかったかのように扱われたのです」。

「若者たちの抗議は、彼らの将来を守ろうとしない年長の人々への不信とみてよいのでしょうか?」
「フランスではこの三十年のあいだに三種類の若者たちが出現しました。第一の若者は、高校生から若い大学生、つまり16歳から23歳の若者たちです。第二の若者は、仕事に就いたばかりか仕事に就き始める若者たちで、23歳から28歳の若者です。ところが現在では、第三の若者が出現しています。つまり28歳から35歳、あるいはもっと高い年齢までの若者です。彼らは親からまったく自立して暮らしていて、バカンスに出かける人々です。驚くべきことは、この三十年のあいだに第二の若者と第三の若者たちが一番苦しいめにあっているのに、その世代の政治家がほとんどいないことです。1981年には40歳未満の政治家は100人はいましたが、現在では1ダースほどしかいません。政界でも労働組合でも、労働問題に活動的なヤングアダルトはとても少ないのです。人口のこの部分の人々は大量にいるにもかかわらず、政治に反映されることがないのです。この三十年間の若者たちの運動をみると、そもそも高校生や大学生たちは、現在の運動に参加している第二・第三の若者が抱えている問題にまだ直面していないのです。もっとも苦しい状況にいるのは第二・第三の若者たちであり、彼らは現実の経済的困難に直面しています。その困難というのは、先にも述べましたが、不安定な雇用、低い賃金、家賃の高騰によって、現在の状況では家族をつくることができないという困難です」。


「若者たちの運動は政府を動揺させるでしょうか?この「若さ」の運動に力を与えているのは何なのでしょうか?」
「1963年にレピュブリック広場の最初のコンサートで、歌手のジョニー・ハリデイは『老人がなぜ俺たちを怖れるか、君たちはその理由を知っているか?それは俺たちが多いからだ』と言いました。しかし2010年のフランス社会では、もはや巨大産業の建物は門を閉じてしまい、労働者を大きな社会運動へと導いたはずの大工場は存在しません。現在、同じ場所に多くの人がいるような大建築物は、高校と大学です。だから大人数教育をおこなっている高校と大学は、あらゆる政府にとって、たとえ左派であれ右派であれ、ニトログリセリンなのです」。

「1968年世代と今日の若者たちのあいだに対立があるのではないでしょうか?この二つの世代は深いところで対立しているのでは?」
「実際に目に見えるところだけをとっても、この二つの世代はまったく異なっていますし、両者の利害は深い部分で対立しています。60歳から退職金を支払うこと、低学費の大学に巨大な投資をおこなうこと、若者たちが許容できる給与を支払えるように新しい世代の雇用のために巨大な投資をおこなうこと、それらを同時に実行するのは難しいでしょう。実際、さまざまな利害の対立は問題ですが、同じように、現在60歳の世代の集団的責任も問題です。68年世代が若かった頃には、大量失業なんて問題はありませんでしたし、とりわけ大量の若者が失業するなんて考えられませんでした。25歳かそれより前の年齢で給料をもらえば、住居も手に入りましたし、職位も上がる一方でした。雇用は安定していて、働けなくなったら年金暮らしが約束されていました。つまり、彼らは社会が獲得したものをすべて自分たちのために使える世代なのです。しかし現在の若い世代は、このような天国からますます遠ざかっています。世代をまたぐ責任について別の問題を挙げると、それは現在の診断書がでてからすでに10年が過ぎている、ということです。つまり、もはや「私は知らなかった」という言い訳は通用しなくなって10年たち、「何もしない」なんて許されなくなって10年たったということです。1999年のトゥラド報告を思い出してみると、そこでは2010年には完全雇用がふたたび達成され、1年に2%ずつ給与が上昇するので、年金問題は存在しなくなる、なんて書かれていました。それで実際に2010年になったわけですが、トゥラド報告の診断書がまったく現実から離れてしまっていることが明らかです。2010年の期日がきた現在、予測できなかった世代には、責任があります。私が怖れるのは、この予測能力のなさが2020年にも繰り返されるのではないか、ということです。また、これから10年のあいだに若者たちの失業がさらに大規模化することも怖れています。」


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 大量生産・大量消費時代の始まりに起こった68年の運動と、消費社会の行き詰まりで起こった今回の運動は、たしかに正反対の側面がありますね。この40年のあいだに何が起こったのか。それより問題なのは、この二つの世代のあいだの30~50代の人たち、とくにバブル世代のような気がします。私もそうですが。リストラにあったり大変なのに、自殺する以外に抵抗の手段がないっていうのは、なんとも情けない話です。


空は真っ黒に

久々の更新です。

 もう一年以上ブログを休んでしまいました。
 大学の業務がかなり忙しくなったことにくわえ、四月からフランスに在外研究に行かなければならないこともあって、とてもブログなんて書いている時間なんてありませんでした。
 しかも持病のせいで体調が悪く、さらに大学内のゴタゴタでうんざりすることも多くて、とても書こうという気分になりませんでした。
 それですっかり忘れていたのですが、フランスでインターネットで検索したら、たまたま自分の書いた記事にヒットして、ようやく思い出したわけです。
 「俺、こんなこと書いてたっけ?」と思うくらいに、ほとんど内容も忘れていました。
 夏からふたたび体調が悪いのが続いているので、気分を変えるのに、ひさしぶりに書いてみようかと思った次第です。まあ、そんなに頻繁に書かないと思いますが。
 もうひとつの理由は、実際に私が海外にいることを職場から疑われることがないわけでもない(というか、実際にあったし、今後もあるでしょう)ので、厄介事になるのを避けるためにも、私が在外研究で海外にいる証拠になる程度には記録しておく必要があることです。ほんとうにばかばかしいのですが。

 そういう国内の事情をフランス人の大学の研究者たちに話していたときに、そのひとりから教えてもらった格言が・・・。

 Si tous les cons volaient, ils feraient nuit. / Frédéric Dard

 馬鹿がみんな空を飛んだら、夜がくるだろう(空は真っ黒になるだろう) /フレデリック・ダール

 ところでパリは交通スト二日目に突入しました。
 パリが誇る迷路のような地下鉄(メトロ)も、郊外とパリを結ぶ産業の大動脈であるRERも、フランス国内の鉄道路線も、ストのせいで本数が減ったり、線によっては使いものにならなくなっています。
 年金制度改革に反対する労働者側にたいして、新自由主義的な改革を推し進めるサルコジ政権側が強引に押し切ろうとしたために、とうとうこんなことになってしまいました。ほんとうに問題ばかり起こしているサルコジ氏には引退していただきたいものです。


ロゼッタへの道  自宅近くのDaguerre通り。




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