ロゼッタへの道 -19ページ目

京都賞

「私はなんといっても諦めが悪いたちで、自分が正しいと信じたことをけっして諦めませんでした。そして、なにものも私の信じる道を妨げることはできませんでした」(ピナ・バウシュ)


 今日は、京都国際会議場に行ってきました。京都賞 の受賞講演会に出席するためです。

 京都賞というのは、京セラが主催している賞で、先端科学、基礎科学、思想・芸術の三部門において大きな功績のある人物に与えられます。ようするに、功成り名を遂げた老人、といったら失礼ですが、すでに世界的に功績が認められている人に与えられる賞なので、ほとんど意味がないように思えるのですが、有名人が来ることだけは間違いがないので、これまでにも何回か足を運んだことがあります。


 今回のお目当ては、思想・芸術部門の受賞者、ピナ・バウシュ です。ピナ・バウシュは、ドイツのヴッパタール・ダンツ・テアターを率いて、これまで数々の前衛的な舞台を企画したことで知られる女性舞踊家です。ドイツ表現主義の流れを汲むといわれるその独特の舞台は、前衛的とはいっても、胸に直接釘を打ち付けるようなエモーショナルな表現に特徴があり、観る人に強烈な印象を与えます。

 私は、昔この人のインタビュー記事を翻訳したこともあり、また知人がこの人のファンだったことや、私自身も舞台をみてファンになったこともあって、今回の講演に誘われて二つ返事で行くことにしました。


 お話は、子どもの頃の生い立ちから、劇団の監督になった当初は理解されずに非難ばかり浴びていたこと、最近は異文化の人たちとのコラボレーションが中心になったことなど、いろいろな思い出話が中心でした。その内容は以前から知っていたのですが、やはり、その苦労の乗り越え方について話していた内容は、とても感動的なものでした。そして、創造することが、つねに未知の状況に身をさらして、その苦しい時間を乗り越えた末に手に入るプレゼントであることを、身をもって伝えようとしていました。





 ただ、彼女の劇団が、現在のグローバル化による「小さな国家」化によって、地方自治体からの予算が削減され、苦しい運営を迫られているという話は、けっこう有名なのですが、今回の講演では語られませんでした。ますます市場社会化が進行する現代では、ひたすら「自己を表現する」ことを目指した彼女のような人物は、もしかするともう出てこないのではないかとも思いますが、他方で、彼女のような人物は市場とは無関係に自己を追求するでしょうし、だからこそ芸術家として大成したのだろうとも思います。

 それでも彼女の話を聞くかぎり、彼女の受けた学校教育は、自己をひたすら追求することを積極的に奨励し、それが社会や仕事に役立つかどうかは問わないものだったようです。これは、現在の日本の教育の方向性とは正反対ですね、悲しいことに。

 

 ところで、会場の国際会議場は、けっこう新しいはずなんですが、デザインは万博を思い出させる古くさいもので、いまどきちょっと恥ずかしいです。まるで「ウルトラマン」の科学特捜隊の基地みたい。まあ京都市だから仕方ないけど。




 おまけ。行きがけに白いカエルが二匹ほど、階段の電球のうえにいました。前はもっと真っ白なカエルがいたのに。もし今度みつけたら、「アルビノアマガエルだ」って近所の子どもたちをだまそうかな。


 



70歳になってから・・・

 先日の講演会の懇親会に来ることができなかった代わりに、夕方からミヨシさんを囲む会が開かれました。いや、ほんとうにエネルギッシュな方で、好奇心と批判精神の旺盛さ、思考のスケールの大きさに、圧倒されっぱなしの5時間でした。最後の飲み会までずっと話しっぱなしで、80歳直前の高齢であることをこちらもすっかり忘れてしまうほどでした。


 ずいぶんいろんな話題で、どの話も楽しかったのですが、最後に私たち若者(?)に次のようなアドバイスをくれました。


 「とにかく若いうちから友達をつくっておきなさい。それも、互いに悪口や批判を遠慮なく言いあえる友人を。人間は年をとると、どうしても他人から批判されることに耐えられなくなって、自分の殻に閉じこもって、ひたすら同じことばかり言うようになる。そうなると、ほんと淋しいですよ。だって、お互いに距離をとりあって、相手を避けるようになるから」。


 いや、ほんとうに重みのある言葉で、胸にずしりときました。さらに一言。

 「まあ、50代までは青年時代だから、あんまり気にしなくてすむだろうけどね」。


 ところで、奥さんが噂のiphoneの現物をみせてくれました。写真を撮ったりしてくれましたが、とにかくかっこよかった。




マサオ・ミヨシ講演会

 今日は大学のセミ・クローズドの研究会で、マサオ・ミヨシの講演会がありました。マサオ・ミヨシは米国カリフォルニア大学の英文学の教授ですが、日本文学の研究者としても、グローバリゼーション文化研究者としても世界的に著名な左派知識人です。日本語で読めるものとして、「抵抗の場へ 」という本があります。カリフォルニアの大火事のせいで、来日直前まで避難生活をしていたそうです。うちの大学によく来てくれました、ほんとうに。


 講演のタイトルは「アメリカの大学と教養教育」というものだったのですが、講演の内容のほうはかなり脱線して、最初は中世ヨーロッパの大学の話やアメリカの大学成立の背景の話だったのですが、途中からはグローバル化と新しい知のあり方について、かなりスケールの大きな話になって終わりました。質疑応答も環境問題からグローバリゼーションの話など、タイトルとはあまり関係のない話題が中心になったのですが、主催者が「面白ければテーマから逸れてもかまわない」と割り切ってくれたおかげで、自由闊達な意見交換がおこなわれました。


 大学という場所は昔から、一方では職業教育の場としての役割もありますが、他方では理念を追求する場としての役割も担ってきました。つまり、一方は現実への適応、他方は未来に向けた革新を準備する役割です。就職教育やら資格教育やらコミュニケーションスキルやら、現実適応のための「実学」ばかりが求められる昨今ですが、未来のための「虚学」がなければ、知というものは死んでしまいます。


 そうした意味でも、人類の未来という大きな視点から新しい知のあり方、大学のあり方、そして大学教員のあり方を説くような講演というのは、ありそうでなかなかないものですから、皆さん膝を乗り出して聞き入ってました。ほんとうは、大学ってそういうことを考えるところじゃないかと思うのですが、実際にはどんどんタコツボ化する一方です。ひるがえって本学を省みると、専門教育と就職教育は重視されているのに、肝心の教養のほうはあいかわらずの大人数講義で、情けないことしきり。まあ、まだマシなほうかもしれませんが・・・。


 終わった後の懇親会でも、今回の講演の内容から、うちの大学の今後のあり方についていろいろな意見が出て、なかなか楽しかったです。



書評

「・・・深く長い夜のはてに、出来事は到来するはずである。」(「論座」12月号、p.309)


今月号の「論座」という雑誌に、「模倣の法則 」の書評が掲載されました。評者は白石嘉治先生という方で、「ネオリベ現代生活批判序説 」という本の著者として知られる方です。

白石先生には、本書の内容をうまく要約していただいただけでなく、当時の作者の意図にくわえ、今回の翻訳出版の意図にまで踏み込んで解説していただき、とても感激してます。また白石先生は、「現代思想」の11月号の論文でも本書に触れられています。




さらに、10月28日の東京新聞では酒井隆史先生にも紹介していただきました。この短いあいだにお二人から紹介していただけるなんて、とてもありがたいことです。

帰省

週末から月曜にかけて、東京と栃木で仕事があり、さらに会津に所用で帰省してきました。

会津では、裏磐梯のホテルに泊まりましたが、とにかく夜は寒かった。

もう紅葉も終わりかけで、広葉樹はほとんど裸状態になっていました。

磐梯吾妻スカイラインという「日本道路百選」に入っているドライブウェイを案内してもらいました。

途中、安達太良山の横を通りました。


 智恵子のほんとの空だといふ。

てっぺんには「浄土平」という名前の山があるのですが、西部劇に出てくるような、ぺんぺん草も生えていない岩山で、しかも火山ガスが立ち込めていて、窓を開けて走ると頭が痛くなるというオマケつき。その名前とは裏腹に、ほとんど地獄を連想させるような山でした。


 有毒ガスのため駐停車禁止



ところで、うちの大学も浄土真宗ですが、浄土ってそういうもんなんでしょうか・・・。