京都賞
「私はなんといっても諦めが悪いたちで、自分が正しいと信じたことをけっして諦めませんでした。そして、なにものも私の信じる道を妨げることはできませんでした」(ピナ・バウシュ)
今日は、京都国際会議場に行ってきました。京都賞 の受賞講演会に出席するためです。
京都賞というのは、京セラが主催している賞で、先端科学、基礎科学、思想・芸術の三部門において大きな功績のある人物に与えられます。ようするに、功成り名を遂げた老人、といったら失礼ですが、すでに世界的に功績が認められている人に与えられる賞なので、ほとんど意味がないように思えるのですが、有名人が来ることだけは間違いがないので、これまでにも何回か足を運んだことがあります。
今回のお目当ては、思想・芸術部門の受賞者、ピナ・バウシュ です。ピナ・バウシュは、ドイツのヴッパタール・ダンツ・テアターを率いて、これまで数々の前衛的な舞台を企画したことで知られる女性舞踊家です。ドイツ表現主義の流れを汲むといわれるその独特の舞台は、前衛的とはいっても、胸に直接釘を打ち付けるようなエモーショナルな表現に特徴があり、観る人に強烈な印象を与えます。
私は、昔この人のインタビュー記事を翻訳したこともあり、また知人がこの人のファンだったことや、私自身も舞台をみてファンになったこともあって、今回の講演に誘われて二つ返事で行くことにしました。
お話は、子どもの頃の生い立ちから、劇団の監督になった当初は理解されずに非難ばかり浴びていたこと、最近は異文化の人たちとのコラボレーションが中心になったことなど、いろいろな思い出話が中心でした。その内容は以前から知っていたのですが、やはり、その苦労の乗り越え方について話していた内容は、とても感動的なものでした。そして、創造することが、つねに未知の状況に身をさらして、その苦しい時間を乗り越えた末に手に入るプレゼントであることを、身をもって伝えようとしていました。
ただ、彼女の劇団が、現在のグローバル化による「小さな国家」化によって、地方自治体からの予算が削減され、苦しい運営を迫られているという話は、けっこう有名なのですが、今回の講演では語られませんでした。ますます市場社会化が進行する現代では、ひたすら「自己を表現する」ことを目指した彼女のような人物は、もしかするともう出てこないのではないかとも思いますが、他方で、彼女のような人物は市場とは無関係に自己を追求するでしょうし、だからこそ芸術家として大成したのだろうとも思います。
それでも彼女の話を聞くかぎり、彼女の受けた学校教育は、自己をひたすら追求することを積極的に奨励し、それが社会や仕事に役立つかどうかは問わないものだったようです。これは、現在の日本の教育の方向性とは正反対ですね、悲しいことに。
ところで、会場の国際会議場は、けっこう新しいはずなんですが、デザインは万博を思い出させる古くさいもので、いまどきちょっと恥ずかしいです。まるで「ウルトラマン」の科学特捜隊の基地みたい。まあ京都市だから仕方ないけど。
おまけ。行きがけに白いカエルが二匹ほど、階段の電球のうえにいました。前はもっと真っ白なカエルがいたのに。もし今度みつけたら、「アルビノアマガエルだ」って近所の子どもたちをだまそうかな。