↑のつづき。



さて、

大阪を拠点とする関西出張の旅はつづく。


初日は東大阪市、
2日目は八尾市と
大阪府東側の素晴らしさを学んだ。


そして、3日目。

この日は京都でのお仕事。

京都府ではどの神社に行こうかなぁ
と思っていたが、あまりの人の多さに
ビビったワタシは、仕事が終わり次第
すぐに大阪に逃げ帰えろうとした。


根っからの田舎者である。


それならば、せめて
京都よりの大阪を堪能しようと
茨木駅で途中下車した。


大阪府の北側に位置する茨木市は
日本でも有数の古墳郡地帯なのだそうな。

古代、日本最大級の銅鐸工場があり、
ここで造られたと思われる銅鐸は
近畿地方どころか、なんと
四国でも出土している。


茨木市はワクワクの宝庫である。


茨木駅から徒歩十数分。



茨木駅に降り立ったのは、
この神社に参拝したかったからだ。





神社といったら、
参道は登りの階段があるイメージだが、
下りの階段だった。

たまにこういう珍しい神社もあるらしい。



拝殿。

『茨木神社』

鎮座地 大阪府茨木市元町
祭神 建速素盞嗚尊
配祀 天児屋根命 誉田別命


創建に関しては、後述します。

なぜなら、この神社の創建は
実は別の社にあるからである。



横から本殿。

千木は男千木、奇数(七本)の鰹木。

スサノオさんの神社。


後ろから本殿。





境内社
『愛宕神社』
祭神 火産霊神





『皇大神宮』
祭神 天照大御神 






『稲荷神社』
祭神 宇迦御魂神 猿田彦命



その他にも多くの末社が鎮座していた。



そして、本日の目的である神社は
茨木神社本殿の裏にあった。






茨木神社奥宮
式内社
天石門別神社
祭神 天手力男命
配祀 天宇受売命 豊国神 東照神


茨木神社ホームページより↓

当神社の創祀は、
当社由緒書によると
「大同二年(807年)、
坂上田村麻呂が荊切の里をつくりしとき、
天石門別神社が鎮座された」

天石門別神社を創祀した経緯や情況、
坂上田村麻呂公との関係等については、
資料がなく、明らかになっていない。


のだそうな。



少なくとも、この茨木神社の始まりは
天石門別神社であり、
延喜式神名帳に記載される
式内社も、天石門別神社の方なのである。


奥宮が元宮なのは、
よくあることなのだ。


※個人的には『奥宮』という響きが大好き。




そして、



↑の書籍によると、

この神社もまた、『阿波の痕跡』なのだそうな。



阿波国の延喜式内社に記載されている

●天石門別八倉比売神社 

●天石門別豊玉比売神社 




また、徳島県の佐那河内村に鎮座する
天岩戸別神社(別名 三社皇太神宮)。

祭神はこの神社と同じく
『アメノタヂカラヲ』。


先代旧事本紀よると、
タヂカラヲは「佐那県(さなのあがた)に坐す」。



さらに、
土佐国(高知県)の式内社には
天石門別安国玉主天神社』がある。


岡山県にも美作国式内社『天石門別神社』。

※「美作(みまさか)」の「みま」は
徳島県の「美馬(みま)郡」に通じる。
徳島県美馬郡つるぎ町には
『天磐戸神社』が鎮座している。

美作市には、徳島と同じく
吉野川』が流れている。


昨年参拝した、京都府の福知山市の元伊勢にも
『天岩戸神社』が↓
祭神は櫛岩窓戸命と豊岩窓戸命。


「クシ(9+4=13)」
「トヨ(10+4=14)」



昨日参拝した
八尾市の『岩戸神社』。

個人的には、
この茨木市の天石門別神社含め、
数々の「天石門別の社」が
阿波徳島から勧請された可能性は
十分にあると思う。




岩戸をこじ開けた『タヂカラヲ』。


そして、祭神は櫛岩窓戸命と豊岩窓戸命。


岩窓戸神は、タヂカラヲと同一視されている。



古語拾遺には、こう記述されている。
「両神は天太玉命の子である」


天太玉命は忌部の祖。

そのルーツは『阿波』である。




後ろから本殿。

その向こうに見えるのが茨木神社。


ホームページによると、
この神社には興味深い社伝が残されている。

社伝によると、
高槻城主高山右近が、
織田信長に倣い神社仏閣を焼却するに際し、
信長が、天照大御神、春日大神、八幡大神
及び、信長の産土神である
『牛頭天王(素盞嗚大神)』の諸社は
焼くべからずとしたので
牛頭天王を祀ると詐称して
焼却を免れたと伝えられている。


つまり、祭神を牛頭天王と偽ることで
神社は破壊されずに済んだ。


こういったことは、よく行われていたらしい。



「信長の破壊の対象にならなかった神社は
 元々は別の神が祀られていた」


と、いう可能性があるからである。




面白いのが、織田信長の産土神が
『牛頭天皇(スサノオ)』だということ。


織田信長のルーツは実は、
『忌部氏』である。



忌部とスサノオの交わる土地は、
たったひとつしかないのでは…


と、思ったりして。。




阿波国の最も重要な神社のひとつ
『天石門別八倉比売神社』の摂社は、

箭執(やとり)神社
祭神 櫛岩窓命 豊岩窓命

松熊神社
祭神 手力男命 天宇受女命



『阿波の痕跡』を探す旅は
一筋縄ではいかなそうだ。


そして、

それはとても「楽しいこと」なのだ。




『石(イワ)』は何も言わ(イワ)ない。



それでも、こちらから語りかける。




それはきっと、

とてもステキなことなのである。




それでは、引き続き、
茨木の町をいってみよー(^ー^)




つづく。


ではまた❗





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