↑のつづき。

さて、忌部神社を後にしたワタシは、さらに徳島の町を歩く。

20分程は歩いただろうか。


『錦竜水(きんりょうすい)』。

眉山の麓の湧水。

地元の方が水を汲んでいた。

さぞ、市民に愛される素晴らしい水なのだろう。

飲んでみたかったなぁ。



眉山の麓には、神社だけでなく、お寺さんもたくさんある。



到着。

『春日神社』である。





手水舎。

そして、今回の目的地。

それは春日神社の境内にあった。



延喜式神名帳に記載される式内社
天石門別豊玉賣売神社の論社
『豊玉賣売(とよたまひめ)神社』。

鎮座地 徳島県徳島市眉山町大滝山
    (春日神社境内)
祭神 天石門別豊玉比賣




驚くべき由緒書↓
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豊玉比賣神社の御祭神は天石門別豊玉比賣であります。此の神は「古事記」神代記物語中、実に多くの頁を費やし、種々の寓話を述べられている大女王です。それにまた神武天皇の出生に連る山彦、海彦をも記しています。わが国天皇家生の歴史はこの海人族の大女王を無視しては成立しません。山幸彦は倭城(現・脇町)の住人です。隠国といわれ、倭は言挙げせぬ国などと称され、発言を封じられていた阿波国ですが事実の前にはさからえなかったのでしょう。醍醐天皇の御代に定められた延喜式神名帳では、日本国内で阿波一国にのみ奉祀せられています。日孁命と同様、天石門別豊玉比賣が豊日孁命の殯宮、同じく式内社綿津見豊玉比賣神社が「古事記」海幸彦、山幸彦の物語中に出てくる籠王宮の宮殿跡を社地として祀られています。

わが国の国始めの基礎を不動のものとしたこの大女王の神名の上に天石門別と延喜式で記されています。はるか太古、神々の神話時代(高天ヶ原時代)から天石門の外界に現れたの意味で、この神より後人皇の歴史となってきます。倭国天皇の皇統に君臨するのが日孁命、豊日孁命であることが歴然としています。
~~~~~~~~~~~~~~

重要だと思われる箇所を太字にしております。

ワタシなりに解読していこう。


かつて、この徳島市の城山のどこかに
『天石門別豊玉龍王宮』という神社があったという。
明治までは、徳島城内に『竜王宮』として鎮座しており、その後、伊賀町の国瑞彦神社へ合祀。

さらに忌部神社へと還され、近年になり現在の春日神社境内へ鎮座することとなった。

まるで元伊勢の『天照』『豊受』のように移動が激しい。

阿波古代史を語る上では、その第一人者の御一人
awa-otokoさん のブログにはとても重要なことが書いてあるので、参考にさせて頂いております。


この豊玉賣売神社の由緒書きにはこうある。

「日孁命と同様、天石門別豊玉比賣が豊日孁命の殯宮」

先日参拝した八倉比賣神社の由緒書きを思い出してみる。

まとめるとこうなる↓

天岩門別神(タヂカラヲ)の子が
天岩門別八倉比賣(大日孁)(天照)。
奥の院の祠は『卑弥呼の墓』とも言われている。
天岩門別八倉比賣をその時代の『卑弥呼』と仮定した場合、
「日孁命と同様、天石門別豊玉比賣が豊日孁命の殯宮」の記述を素直に読むと、

日孁命と豊日孁命は別の神。

つまりこうなる。

☀️日孁命=天岩門別八倉比賣=卑弥呼
🌔豊日孁命=天石門別豊玉比賣=臺與(トヨ)

卑弥呼の後継者で13歳の女王『トヨ』である。

どういうことかというと、アマテラスは大きく分けて二種類いらっしゃる。
太陽神(男神?)と、太陽神を降ろす巫女である。

巫女の方のアマテラスが、卑弥呼であり、臺與。

太陽神から力を頂く巫女は、太陽光に照らされてこそ存在を認識出来る『月』さながら。

つまり、『オオゲツヒメ』なのだ。

オオゲツヒメもまた役職名であり、正史ではアマテラスら三貴子よりも前に登場する女神。

そして、オオゲツヒメは『阿波』の別名である。


では、天石門別豊玉比賣=『臺與(トヨ)』がどこからやってきたかということだが…



ヒントはこの春日神社の鎮座地『大滝山』にヒントがあった。
    


徳島の大滝山はひとつではなかったのだ。


もうひとつの大滝山。

それは徳島県美馬市町と香川県高松市塩江町の県境にある標高946mの大滝山である。
※前記した由緒書きの倭城(脇)とも繋がります。


この大滝山の頂上付近に『西照神社』が鎮座している。
延喜式神名帳に記された田寸神社(たきじんじゃ)の論社とされる古社である。

別名『月神の宮』。

『西照』とは「西のアマテラス」を意味している。


主祭神 月夜見大神。
配神 
宗像三女神の
田寸津姫命 田心姫命 市杵島姫

社伝によれば、夜の食国(よるのおすくに)を統治する月読尊が、大和国方面の監視役として田寸津姫命を大滝山に遣わし、ここから瀬戸内海の監視をさせたことが当神社の起源であるとする。

大滝山の「滝」とは『田寸津姫命(タギツヒメ)』のこと。

宗像三女神の一柱であるタギツヒメとは
滝の女神『瀧津姫』だったのだ。


そして、月読尊が治めた『夜の食国』とは、
『予の食国』。

阿波より西、つまり日が沈む国。
倭(イ)の夜の国。
※倭とは阿波のことです。


『伊予の国』のことである。



伊予国とは現在の愛媛県。

愛媛県今治市古谷には式内名神大社に比定される
『多伎(タキ)神社』が鎮座している。

別名『瀧の宮』。

祭神は
多伎都比売命(タキツヒメ)
多伎都比古命
須佐之男命

タギツヒメが月読に連れられて伊予国からやってきたことは明白である。


そして、卑弥呼の後継者『トヨ』の別名は

『壱与(イヨ)』。


伊予(イヨ)国から月読尊に連れてこられた13歳の巫女
『タギツヒメ』こそが…


卑弥呼の後継者
『壱与(臺與)』だったのである。

 


イヨ=トヨ=タギツヒメ。


その女神は天岩門別八倉比賣からアマテラスの役割を引き継いだオオゲツヒメ。


二代目アマテラス。


そして、「天岩門別」の名を継いだ
日孁命(天石門別玉比賣)』だった。



さらにややこしいことに、オオゲツヒメは
受姫』と同一視されている。



卑弥呼の後継者『トヨ』は二代目アマテラス
『豊受姫』だったのである。

伊勢神道の根本経典と言われる『神道五部書』の
『豊受皇太神御鎮座本記』には、はっきりと
「阿波からやってきた」と記載されている。


豊受姫とは伊勢神宮外宮の祭神『豊受大神』。

内宮はもちろん、『天照大御神』。


なぜ内宮と外宮で祭神が違うのか…という疑問はここで解ける。


阿波国出身の『天照大御神』と
阿波国出身(伊予)の『豊受大神』。

だから、宮と宮なのだ。



つまり、伊勢神宮に祀られている二神は
どちらも日の巫女『アマテラス』だったのである。



そして、さらにややこしいことに、
『賀志波比売命』は天照大神の幼名だとされている。


さらに、徳島県阿南市に鎮座する
『峯神社・巖座龍宮総宮社』の祭神は
『木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)』。

祭神の謂れには、これより北の津乃峰山には、
木花開耶姫の姉である、『賀志波比売命』が祀られていると説明されている。

木花開耶姫の姉とは『イワナガヒメ』。

つまり、賀志波比売命とは『イワナガヒメ』のこと。

そして、『オオゲツヒメ』である。



すると、卑弥呼の後継者『イヨ(トヨ)』とは、
=オオゲツヒメ
=タギツヒメ
=豊日孁命
=天石門別豊玉比賣
=イワナガヒメ


さて、よくわからなくなってきたところで、
『倭(イ)の国』のことをおさらい。

『倭』は「ワ」と呼んでいるが、
本来は「イ」と読む。


そして、『倭(イ)』とは『阿波国』のこと。


「阿」つまり「ア」は始まりの音を表す。



『阿波(アワ)』は「始まりのワの国」とも解釈出来る。


と、いうことは、この場合、
「イ」と「ア」は同義語となる。

さらに、「イ」の次に「ワ」が続いた場合、
これを神名で変換すると、とても面白いことがわかる。

例えば、


ワレヒコ(神武天皇)』⇒『アワレヒコ』

ワオオカミ(大国主)』⇒『アワオオカミ』



そして、


ワナガヒメ』⇒『アワナガヒメ』になるのだ。



大昔、徳島には『アワ国』と『ナガ国』があった。


卑弥呼の後を継いだ伊予の女神『イヨ』は、
この二つの国を統べたのかもしれない。


イ(ア)ワナガヒメ』として。


ちなみに伊予国一宮は『大山祇神社』。


祭神は『大山祇神』。


イワナガヒメの父神であることは、言うまでもない。

※ちなみに、『播磨国風土記』では、妹のコノハナサクヤ姫は、伊和大神(大国主神)の妻とされております。
※また、宮下文書では、『愛媛』はコノハナサクヤ姫のこととされております。




邪馬台国論争は江戸時代から続いており、大きく分けて『九州説』と『畿内説』があり、いまだにその論争は続いているらしい。


なぜそこに『四国説』は割って入れないのだろうか。

ワタシは第73世武内宿禰こと、竹内 睦泰さんの書籍を読んでみた。

そこには、卑弥呼は『倭迹迹日百襲姫命』のことで、臺與(トヨ)は『豊鍬入姫命』のことだと書いてあった。
※倭迹迹日百襲姫命=第7代孝霊天皇の皇女
※豊鍬入姫命=第10代崇神天皇の皇女


それも間違いではないのだろう。


敬愛する竹内 睦泰さんの口伝だし。

(この方々も阿波出身ぽいし)




そもそも西暦は(実は)狂わされている。


現在の西暦や、皇紀だけでは年代は読み解けないのであろう。

神武天皇の即位年のカラクリや、一年を二年で数える春秋歴なども影響していることだし。



また、書籍にはこうも書いてあった。

記紀では、
「『神功皇后』を卑弥呼にしたかった」と。



なるほど。



だから、神功皇后の妹は『姫』なのだ。



卑弥呼亡き後、男王により乱れた国を救ったのが
13歳の『壹與(イヨ、トヨ)』だった。


「ヒミコ⇒トヨ」という成功事例は、そのままフォーマットとなり、「日ノ巫女を継ぐ者には『トヨ』の名をつけると良い」ということになったのではなかろうか。


このフォーマットを継続することが、後の世で邪馬台国論争を長引かせることになったのかもしれませんね。




さてさて、話は長くなりましたが、まだ春日神社の境内社。


次回は、徳島の春日神社をまわります。


この春日神社には祀られてますからね。





『比売神』が❗




つづく。


ではまた❗





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