↑のつづき。

さて、徳島市街の旅はつづく。


事代主神社から20分ほど歩く。




見えてきた。


『金刀比羅神社』である。


高さ約10メートルの石灯籠は日本最大級。

すごい。


昔は海岸線が今より内陸にあった為、この石灯籠の灯りは、海からも見えた。
入港する船は、この灯りを頼りにしていたのだ。



昔の灯台ってことですね。





一の鳥居。

狛犬の腰の角度が良い。




社務所。


二の鳥居。
青銅で造られているようだ。



手水舎かな?


徳島の街を見渡せる、ちょっとした天空鳥居。



陶器の灯籠。
珍しい。



貫禄のある狛犬。


神馬と狛犬のコラボ。



境内社
『皇大神宮』



角度のある階段の上に本殿。
あそこまでは行けませんね。



皇大神宮の中には狸の神様がいらっしゃる。


阿波の狸、
『お四つ大明神』と『お六つ大明神』。



たくさんの小さな祠が鎮座していた。



拝殿。

『金刀比羅神社』
鎮座地 徳島県徳島市勢見町
祭神 大物主命

阿波三金比羅の一社に数えられている。

拝殿の造りや色合いには、どこか『海神』の匂いがする。


時は西暦1616年、
尾張国生まれで信長や秀吉にも仕えた大名
蜂須賀 家政が阿波守となったあと、徳島城の鎮守として勝占町から移された。
※ちなみに織田信長のルーツは忌部氏

「勢見(せいみ)」の地名は、眉山の一部であり、この神社の鎮座する勢見山からきている。

勢見山の名の由来は、源義経が小松島に上陸し、
軍勢を見たことから「勢見」と名付けられたのだそうな。
本来は、この神社の元々鎮座していた勝浦の鉢伏山のことを勢見山と呼んでいた。

神社だけでなく、地名や山名まで移すとは。

昔は、こういったことが全国で日々行われていたのだから、そりゃ歴史もややこしくなるってもんだ。


徳島と奈良の地名に共通点があるのも、そういうことなのだ。


そして、『倭』と『大和』は明確に違うのだ。

拝殿から境内を眺める。

とっても良いところだ。

晴れたし☀️



さて、こんぴらさんの総本社は
同じ四国の香川県仲多度郡琴平町に鎮座する
『金刀比羅宮』である。

祭神の大物主は、神仏習合で金毘羅大権現と同化され、後の明治初年に神仏分離された。

金刀比羅宮の鎮座する琴平山は『象頭山』と呼ばれ、琴平街道から見ると象の頭のように見えるから象頭山と言うわけだ。

ちなみに、ちょうど象の目の部分に金刀比羅宮があるのだそうな。


こんぴらさんはインドの神様『クンビーラ』がルーツ。

なんと、インドにも似た山容の象頭山(伽耶山)があり、それをモデルにしたのが香川県の象頭山なのだ。


神仏習合とは、多様な民族の神の融合なのである。
※そもそも、元々はひとつの神話だったと思いますがね。


そんなわけで、現在の全国のこんぴらさんの祭神は『大物主』なわけだが、この神様もまた、諸説入り乱れている謎の神である。


せっかくなので、昨年の茨城出張の際に知った神社をご紹介。

茨城県には、全国670社ほどある『大杉神社』の
総本社がある。
通称あんばさま。
祭神は『大物主櫛甕玉大神』。

その鎮座地は茨城県稲敷市阿波(あば)。


『あんばさま』の由来は恐らく「阿波(あば)」。

あんばさまとは、関東地方から東北地方へかけての太平洋岸の漁村で信仰されており、海上・水上安全の神様。


『大物主』もまた、海上守護の神である。


日本神話では、大国主が国作りに悩んでいた時、海の向こうから光輝く神が現れてこう言った。

「我を青垣の東の山の上に奉れば、国造りはうまく行くぞ」。


この光輝く神こそ『大物主』。



「倭」とは阿波徳島。



「青垣」とは阿波の青石を積んだ石垣。



海上守護の神「あんばさま」は「阿波さま」。



『大物主』は『阿波』からやってきたのかもしれませんね。






拝殿を右側から。
境内はさほど広くないが、社殿は思ったよりも立派だ。



横から本殿。

千木は男千木。

さもありなん。



さてさて、この先にはまだ進む道があり、
実はワタシがここに来た目的も、この先にある。


まだまだ階段登りまっせ。


つづく。

ではまた❗




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