↑のつづき。


さて、常世岐姫神社を後にしたワタシ。

実はもうホテルに帰ろうかとも思っていた。

ここから志紀駅までは徒歩20分以上。

足もそろそろ限界だった。


しかし、駅の近くに見つけてしまった。

なので、もうひと踏ん張り。

八尾の町をゆく。





沖縄には踏切が無いので、
踏切を見つけただけで少し嬉しい(笑)。




この景色の良さ、わかりますかね~❓️


八尾は素晴らしいところです。

心が穏やか、気分は晴れやか。


そんなこんなで、やってきたのは…


『弓削神社』である。



夕暮れの光が眩しい境内。




拝殿。

式内社(論社)
『弓削(ゆげ)神社』
鎮座地 大阪府八尾市東弓削
創建 不詳
祭神 日鷲翔矢命 
   彌加布都神
   比古佐自布都神


ここから程近い、
弓削地区の弓削神社とともに式内大社の論社。

かつては、河内国一宮の枚岡神社、
二宮の恩智神社に次ぐ三指に数えられた。


弓削地区の「弓削神社」は
物部氏の祖神である
「饒速日命」と「可美麻治命」を祀る。

ちなみに、
彌加布都神と比古佐自布都神は
『フツヌシ』の別名とも言われており、
同じく物部の祖神なのだそうな。



「弓削氏」とは、物部氏に属し
弓を製作していた氏族。

弓を削っていたから「弓削(ゆげ)」。


「湯気(ゆげ)」が語源であれば
祭祀に関わる一族だったのだが、
勘違いか…


と、思いきや、全くの無関係ではない。



奈良時代、「弓削氏」が輩出した
「弓削宿祢」という人物がいる。



「弓削宿祢」の祖神こそが
この神社の祭神『天日鷲翔矢命』


阿波忌部の祖『天日鷲命』の一族である。


忌部は元々祭祀の一族であったのだ。






この日最後に、『阿波の痕跡』に出逢えた。


それだけで、
今日の頑張りが報われた(なんでやねん)。



横から本殿。





実は、この『弓削宿祢』の近親者には
とんでもない人物がいた。


弓削 道鏡』

平将門、足利尊氏とともに
日本三悪人の一人に数えられる僧侶である。



この河内国弓削で生まれた『道鏡』は、

第46代と48代の二回天皇に即位した
史上6人目の女帝
『孝謙天皇(称徳天皇)』の病を
治したことからその信頼を得て出世した。

(すっごく)気に入られた。

そして、
宇佐八幡宮神託事件を巻き起こした
張本人である。



奈良時代、
宇佐八幡宮より称徳天皇に対して
「道鏡が皇位に就くべし」との託宣を受け、
弓削道鏡が天皇位を得ようとしたとされ、
紛糾が起こった大事件。



他にも様々な噂が囁かれており、
『道鏡』は完全に悪者扱いだ。



しかし、

「天皇位を得ようとする…」


そんなことをすれば
大罪にあたるにも関わらず、
その罪は軽かったようだ。



一説には、
天皇位を得ようしたわけでは無い
とも言われている。

あるいは、次代の光仁天皇の即位を
正当化するための作為が含まれているとも…


個人的にも、
少し疑問を持ってしまう事件である。



歴史というものは、
「勝者の歴史」。


負けた者は
「悪者」「鬼」「化け物」
といった扱いを受ける場合もある。



そんなことより、
『道鏡』が阿波忌部の血を引いている
ということの方がびっくりである。


それもまた、
歴史に飲み込まれた
理由なのかもしれませんね。




さてさて、
八尾の神社はどれも
とても素晴らしかった。


町並みも大好きだ。


後で確認してびっくりしたことが、
参拝した4社全てが
式内社(またはその論社)だったこと。



少なくとも、平安時代にはすでに、
とても重要な神社だったのだ。



八尾サイコー。

ワクワクをありがとうございます。


ワタシが八尾生まれだったら、
絶対に言ってしまう言葉がある。








「道鏡と同郷」(すみません💧)






そして、
翌日以降もさらに興味深い神社に
参拝することになった。



つづく。


ではまた❗






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