↑のつづき。
さて、雨の中、内宮を参拝し、
天岩戸神社へと向かう。
見えてきたのは『日室ヶ嶽遥拝所』。
日室ヶ嶽は皇大神社のご神体。
岩戸山とも言われている。
ピラミッドと呼ばれてしまう理由は明白である。
夏至の日に伊勢の二見浦の夫婦岩から上った太陽が、室ヶ嶽の頂上に沈むのだそうな。
『龍燈伝説』は、福島県いわき市や宮城県、広島県や隠岐など各地に残されており、一説によると龍神が竜宮からやってくるときの道標なのだそうな。
『龍燈』についてはいずれ深堀せねばなるまい。
さらにさらに下ります。
画像では伝わりにくいが、傘が役に立たなくなるほど雨が強くなってきた。
濁流で渡れねぇ~🤣
はるばる沖縄から来たんすけどね。。
しかたないから戻る。
これを「呼ばれていなかった」と言うのだろうか。
少し遠い所からご挨拶。
『天岩戸神社』
祭神 櫛御毛奴命 櫛岩窓戸命・豊岩窓戸命
神々の天下った場所。
岩窓戸命という神様は知らなかったが、どうやら別名は『天石門別神(アメノイワトワケノカミ)というらしい。
さらに、『天之手力男神(アメノタヂカラオ)』と同神だとも。
岩戸神話で、岩戸からアマテラスを引摺りだしたことで知られる神である。
しかし、なぜ、櫛岩窓戸命・豊岩窓戸命と二神になっているのだろうか。
「櫛」と「豊」のペア。
なんとなくその正体が見え隠れしてくる。
そして、もう一柱の祭神『櫛御毛奴命』。
あの熊野大社の主祭神である
『伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命』のことである。
その正体はスサノオと言われてはいるが、さてさて。
流れている川は『五十鈴川』と呼ばれており、伊勢神宮を流れる川と同名である。
神社だけではなく、その付近の名前もまるっと持っていったということだろうか。
山や川、土地の名前を移す…というのは大昔はよく行われていたのだと感じる。
たどり着けなかったことが逆に神秘的で良かった…と、思っておこう。
林道を抜けると、素敵な田んぼが見えた。
さて、事情があり、順序は逆になってしまったが、外宮に向かう為に電車に乗ろうと思ったが…
なんと40分待ちである。
ここから外宮までは徒歩で約40分…
電車を使うとさらに時間が失くなる…
ならば徒歩一択。
歩こう。
途中で『彌伽宜神社』に出会った。
雨の中、歩いて良かった。
良い雰囲気の神社だ。
内宮から40分ほど歩いただろうか。
また、良さそうな神社を発見。
『二宮神社』
祭神は丹波道主命の五子。
丹波道主命は、前述した大筒木垂根王の兄弟で、丹波に派遣された皇族だ。
四道将軍の一人に数えられており、同じ四道将軍には、桃太郎のモデルと言われる『吉備津彦命』がいる。
かぐや姫と桃太郎の不思議な繋がり。
古事記では、丹波道主命は『丹波比古多多須美知能宇斯王(たにはひこたたすみちのうしのみこ)」と表記されている。
「うし」、つまり月をトーテムとする一族なのかもしれない。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220728/13/noginohi107/d3/7b/j/o0810108015152773331.jpg?caw=800)
古事記では、
丹波道主命には4人の娘がいた。
比婆須比賣命(ひばすひめのみこと)
弟比賣命(おとひめのみこと)
歌凝比賣命(うたごりひめのみこと)
圓野比賣命(まとのひめのみこと)
一方、日本書紀では、
日葉酢媛(ヒバスヒメ)
渟葉田瓊入媛(ヌハタニイリビメ)
眞砥野媛(マトノヒメ)
薊瓊入媛(アザミニイリビメ)
竹野媛(タケノヒメ)と五女おり、
「丹波の五(イツトリ)の娘」と言った。
「おとひめ」という名も気になるところだが、
「竹野媛」の逸話は興味深い。
第11代 垂仁天皇に五女全員嫁がせたが、竹野媛だけは容姿が醜かった為に送り返されてしまったのだそうな。
悲しくも、竹野媛は自殺してしまった…
この話を知り、私の頭の中には『イワナガ姫』が浮かんだ。。
ちなみに、長女の日葉酢媛こそが、垂仁天皇との間に『倭姫』をもうけた皇后である。
伊勢神宮を創建するまでの間、
八咫鏡を順次奉斎した場所を「元伊勢」と呼ばれる。
ソレを成したのが『倭姫』。
この地にも通ったのかもしれないな多分。。
味のある龍、とても良かった。。
そして、道路を挟んだ向かいには…
やっと着いた❗
元伊勢外宮である。
つづく。
ではまた❗
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