↑のつづき。
さて、これまで三回に渡り、隠された『十三』の数字がいかに重要だったかということを書いてきた。
阿波古代史での天照大神と豊受大神の関係性は
例えば↓下記のようになる。
☀️日孁命=天岩門別八倉比賣=卑弥呼
(天照大神)(内宮)
🌔豊日孁命=天石門別豊玉比賣=臺與(トヨ)
(豊受大神)(外宮)
卑弥呼は、『ヒミコ(13子)』。
臺與は、『トヨ(14)』。
しっかり連番になっている。
臺與
豊玉姫
豊受大神
この『トヨ』の名を持つ神様が、最初に現れたのはいつか、
それは神世七代まで遡る。
古事記では、
神世七代で最初に生まれたのが
国之常立神(クニノトコタチ)。
次に生まれたのが、
『豊雲野神(トヨクモノ)』である。
ちなみに日本書紀では、天地開闢の後に、
国常立尊、国狭槌尊が生まれ、
三番目に『豊斟渟尊』が生まれた。
記紀神話では、『トヨクモノ』の出番は名前が一度だけ登場する程度。
ワタシの知る限りだが、『トヨクモノ』が祀られる神社は少ない。
「雲を神格化した存在」と言われるように、
『トヨクモノ』を深掘りすることは、
「雲を掴むようなこと」なのである。
しかし、神様お決まりの「別の神名」で祀られ、習合されて見えなくなった可能性がある。
『トヨクモノ』は『トヨクムヌ』とも呼ばれる。
「モ」⇒「ム」
「ノ」⇒「ヌ」
母音が「オ」⇒「ウ」になるのは、縄文の血が色濃く残るとも言われる琉球方言の特徴である。
ならば、『トヨクモノ』を完全に琉球方言読みしてみよう。
『トゥユクムヌ』。
すごぉ~く沖縄っぽい神名になった(笑)
これを全て日本語に変換しなおすとこうなる。
『トヨコモノ』。
「ク」⇒「コ」になる。
そこで現れる言葉は、「コモ」。
「籠(こも)る」「隠(こも)る」などの言葉を連想させる。
御存じの方もいるだろうが…
『隠(こも)り国』とは、
『阿波』のことなんですよ皆さん❗
前回の記事で、徳川幕府が阿波の『神通滝』の調査を命じた…という話を書いたが、
何故『神通滝』だったのだろうか。
そこにはとんでもない秘密が隠されていた。
徳島県の上勝町、神山町、那賀町の境界に、
四国百名山にも名を連ねる『雲早山』がある。
全国でも有数の豪雨地帯であり、
山頂には雨乞いの神を祀る『雲早神社』が鎮座する。
そして、
名西郡神山町下分字西寺に鎮座する
『宇佐八幡神社』。
元々は『宇狭(うさ)の宮』と呼ばれていたようだ。
敬愛するawa-otokoさん のブログを引用、参考にさせて頂きます(いつもありがとうございます)。
~~~引用~~~
「宇狭」とは本来、地形上よりきた地名。
「雲早山」の山麓より流れ出て、
神通滝の流れを合わせ、
「宇狭」を通って
「鮎喰川」となる。
「宇狭」とは、川をはさんで
「北宇井」「宇井」の地名が記されている所。
両岸まで南北の峯尾がせまり
川幅がおしせまっている場所の
形容からきた地名だった。
「宇狭」よりさらに奥に「雲早山」があり、
「雲早山」を中心として祀られた
『豊雲(トヨクモ)大神(女神)』の
お社は、元々「龍(辰)の宮」と呼ばれていた。
「豊雲大神」とは、「倭奈国」時代からの
龍神、または水神とされる海人族の女神。
「雲早山」の山麓から流れ出る
「神通川」から流されて来た「龍の宮」が、
宇井の亀石に引っかかって
「宇狭の宮」となった。
※亀石は現在、御甕神社が鎮座する。
その後、「宇狭の宮」はさらに下流に流されて
「天佐自能和気神社」になっている。
~~~引用終わり~~~
この意味がおわかりになりましたでしょうか。
豊雲大神。
つまり、謎神であった『トヨクモノ』は
海人族が信仰する『龍の女神』だった。
これが『トヨ』の神名の始まりであったのである。
雲早山山頂の雨乞いの神を祀る『雲早神社』の祭神も恐らく『トヨクモノ』。
さらに、『宇狭の宮(宇佐八幡神社)』。
宇佐神社と言えば、言わずと知れた
全国に約44,000社ある八幡宮の総本社
豊前国一宮『宇佐神宮』。
鎮座地 大分県宇佐市南宇佐
創建 725年
主祭神
八幡大神(応神天皇)
比売大神
神功皇后
その中でも、ど真ん中に祀られる
『比売大神』の正体は、宗像三女神説や玉依姫説などと諸説ある謎の女神。
宇佐神宮の元宮もまた諸説あり、
大分県中津市の『薦(こも)神社』などがある。
もう一度言います。
阿波は、「隠(コモ)り国」と呼ばれていた。
そう、宇佐神宮の本来の元宮は
「阿波にあった」という説があるのだ。
宇佐神宮の祭神は、
八幡大神(応神天皇)
比売大神
神功皇后
これは基本中の基本である。
●神功皇后の秘密
本名は『息長帯比売命(オキナガタラシ姫)』。
「息長」とは「海に潜っている息が長い」、
つまり、潜るのが上手な海人族のこと。
そして、
「帯(たらし)」とは、
阿波特有の古代からの言葉で、
海の中でつける、身体よりも長い布のこと。
つまり「ふんどし」のことである。
息長帯比売命は、阿波出身の海人族だった。
●応神天皇の生まれ故郷
徳島市加茂名町に鎮座する『産八幡神社』。
創建年代不詳であり、
祭神は、
品陀和気命(応神天皇)
誉田別命
息長帯比売命(神功皇后)
元は「宇弥(うみ)の宮」と称されていた。
「産み」という字が当てられている理由は、
応神天皇の誕生の地の伝承がある為である。
実際に、応神天皇が産まれた場所は
「宇美(ウミ)」なのだそうな。
※定説では福岡県の宇美町だとも言われておりますが。。
母親の神功皇后は、新羅遠征から帰り、産気付き、この「宇弥(うみ)の宮」で応神天皇を産んだ。
神功皇后の伝承では、
皇后は臨月の身でありながら、
新羅遠征を果たし、
腰に卵型の月延石(鎮懐石)を巻き付けて
お腹を冷やし、
出産を15ヶ月まで遅らせたのだそうな。
※通常は約10ヶ月
神功皇后はあくまで人間であり、出産を15ヶ月まで遅らせることなど不可能である。
なぜそのような伝承を残さなければならなかったのかを、考える必要がある。
夫である仲哀天皇はすでにお亡くなりになっていた。
普通に出産をしまった場合、つじつまが合わなくなってしまうのだ。
妊娠~出産までの期間を「15ヶ月」にしなければならなかった。
そう、神功皇后が産んだ応神天皇。
その父親は、仲哀天皇ではなかった。
一説によると、応神天皇の本当の父親は…
神功皇后の側近、
『武内宿禰(タケノウチスクネ)』❗
●武内宿禰の墓陵
「宇弥の宮」の西、以の山(眉山)の西の耳原に、
亀の甲羅の形をした小峰にあり、
「以の山 甲羅峯」と呼ばれる。
それが、武内宿禰の墓陵なのだという。
だから、武内宿禰は
『高良(甲羅)大明神』と呼ばれたのである。
※「亀石」と「甲羅」がリンクしていることも面白い。
「宇弥の宮」のある眉山の真北、
徳島市には現在も『応神町』の地名が残る。
なにかしらの理由がなければ、恐れ多くてこんな町名は国から認められないはずである。
応神町は、応神天皇が幼い頃を過ごした場所だった。
応神町古川高良には『高良神社』が鎮座している。
祭神は高良大明神すなわち、『武内宿禰』。
応神天皇の本当の父親である。
<まとめ>
宇佐神宮の元宮の元々宮は、
阿波の『宇狭の宮』だった可能性がある。
そして、『宇狭の宮』の元宮は、
豊雲大神(トヨクモノ)が祀られていた
『龍の宮』。
豊後国と、宇佐神宮の鎮座する豊前国は、
7世紀に分裂する前は「豊国」と呼ばれていた。
『トヨクモノ』の別名は、
『豊国野尊』という。
龍の女神『トヨクモノ(豊国野尊)』。
宇佐神宮の『比売大神』の元祖は、
縄文時代の龍の女神だった。
龍の女神は、
連番により受け継がれている。
ヒミコは『13』
トヨ(イヨ)は『14』
そして、神功皇后は『15』
そのナンバー0は、
神世の原初の女神、
『トヨクモノ(豊国野尊)』だったではなかろうか。
これが、姫大神の話。
『秘め(ヒメ)事』である。
なんちって(*´∀`)
つづく。
ではまた❗
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