さて、本日は少し角度を変えて、土佐高知の昔話を。
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高知県香美(かみ)市香北町にある
「轟の滝」の伝承
『玉織姫』
その昔、平家の落人の一門「平良種」は、この地に逃げ延び、「伊和三太夫」と名を変えて
「柚の木の山里」で暮らしていた。
その一人娘『玉織姫』は大層美しく、また、機織りの名人であった。
ある日、玉織姫が川の向こうに機織り道具を返しにいったまま、夜になっても家に帰ってこなかった。
心配した伊和三太夫は、轟の滝の滝壺に大蛇が棲んでいるという話を思いだし、家伝の名刀を持って滝まで走った。
そして、名刀を口にくわえ、滝壺めがけて飛び込んだ。
すると、水の底には、乾いた岩盤の世界が広がっており、玉織姫が待っていた。
玉織姫は、秀麗な若侍を夫として紹介した。
そして、三日間、宴を開いて伊和三太夫をもてなした。
実は、この若侍こそ大蛇の化身であった。
三日後、伊和三太夫は、娘の玉織姫に一緒に帰るよう促したが、玉織姫は、自らの織った絹の巻物六反を形見に渡し、親の元を離れることを詫び、永遠の別れを告げた。
山里に戻った伊和三太夫は、三年の月日が経過していることに驚いた。
その後、三太夫の住む柚ノ木の里には平和な日々が訪れ、繁栄していったのだそうな。
そして、いつの頃からか、滝壺の近くには繁栄と幸福の女神として、玉織姫が祀られる轟神社が建てられている。
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さてさて、お気づきのとおり、このお話には様々なメッセージが込められております。
キーワードを並べてみましょう。
●平家の落人
●伊和三太夫
●機織りの姫
●柚の木
●大蛇(イケメンの若者)
●滝壺の世界
●三日間⇒三年間
このキーワードをひとつひとつ考えてみると面白いことがわかる。
●平家の落人
⇒源平合戦で破れた平家の一族は、山間や僻地に隠遁した。
平家の生き残りの伝承は全国にあり、もちろん四国にも、阿波徳島を中心に伝えられている。
●伊和三太夫
⇒「伊和」は阿波などの地域に所縁があると思われる。
播磨国風土記の「伊和大神」は「大国主」と同神とされており、そのルーツは阿波徳島だとする説がある。
●機織りの姫
⇒数々の日本の伝承には機織りの女神が登場する。
「玉織姫」の名も、その女神達を連想させる神名。そして「機織り」の「機(ハタ)」は、
「秦氏」の「秦(ハタ)」である。
●柚の木
⇒「柚(ゆず)の木」の地名には「弓月(ゆづき)君」が見え隠れする。
日本書紀では、「弓月君」が多数の民を率いて渡来し、山城国葛野郡の「太秦(うずまさ)」辺りを本拠とした。
つまり、「秦氏」のことである。
玉織姫が織った「絹の巻物」も、秦氏との関わりを匂わせている。
●大蛇(イケメンの若者)
⇒「蛇の妻になる」とは、蛇体の「大物主」と
「倭迹迹日百襲姫」の話に通じる。
この姫の名が「倭(ヤマト)」であり、
「大和(ヤマト)」ではないことが重要。
また、大物主の妻は「活玉依毘売」または
「玉櫛媛」であり、
「玉織姫」の名とも関連性がある。
「タマヨリ」と「タマオリ」の音も酷似する。
~~万葉集~~~
玉櫛笥(たまくしげ)見諸戸山(みもろとやま)を行きしかばおもしろくしていにしへ思ほゆ
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※見諸戸山=大物主が祀られる三輪山のこと。
※玉櫛笥=浦島太郎が竜宮城から持ち帰った
「玉手箱」は、元々「玉櫛笥(たまくしげ)」と呼ばれていた。
●滝壺の世界
⇒「竜宮城」でしょうこれは。
●三日間⇒三年間
⇒やっぱり「竜宮城」でしょう。
浦島伝承は基本的に、竜宮と現世では時間の流れが違う…という設定になっております。
恐らくだが、平家の落人の伝承に、その土地の伝承などが混ざりあって出来たのが『玉織姫』の話だと思われる。
あまり考えたくはないが、主人公の大切な娘が滝壺に落ちてお亡くなりになった。
後にその娘さんが神格化され、轟神社に祀られることになったのではなかろうか。
この土佐の山奥には、昔から多様な民族かやってきたのである。
さてさて、問題は、浦島太郎や大物主の伝承と酷似した内容が、なぜ混ざっていったかということだ。
浦島太郎の昔話は、丹後半島の伝説にあるように、「海部氏」が深く関わっている。
※ちなみに徳島県の海部郡は、高知県との県境にある。
丹後は現在の京都府にあり、
「秦氏」の本拠地である太秦も京都府。
※ちなみに香美市には秦山町の地名がある。
高知市にも秦南や秦泉寺などの地名も。。
そこに絶妙に絡んでくるのが、『大物主』。
大物主は別名
『倭大物主櫛甕魂命』。
-『倭』-
一文字で「倭(ヤマト)」とつくのは奈良(大和)ではなく、阿波徳島のことだ。
例えば、『大国魂』の神社。
●大和坐大国魂神社(奈良)
●大和大国魂神社(淡路島)
●倭大国玉神社(徳島県)
明確に「倭(ヤマト)」と「大和(オオヤマト)」を区別している。
「倭」は元々「倭(イ)」であり、『イの国』は阿波徳島を中心とした四国だったのである。
-『櫛』-
玉櫛笥(たまくしげ)に繋がることはいうまでもない。
-『甕』-
轟の滝があるのは高知県香美(かみ)市。
「かみ」は「神」に繋がるとともに、
ひっくり返したら「みか」になる。
この一帯には、『星神社』が点在する。
星神社の祭神と言えば、
『甕星香々背男』である。
大昔、神と人の住む境界として「大甕」が埋められていたとも言われている。
竜宮城(神々の住む山)と人里の境界線に
『甕(ミカ)』に関連する地名がついた…
とも解釈できる。
-『大物主』-
大物主と同一神として有力なのが、御存じ
『櫛甕玉(くしみかたま)饒速日尊』。
「櫛」「甕」「玉」の字を揃えているこの神は
『物部氏』の祖神である。
また、奈良市石木町に鎮座する『登彌神社』では、
『登美饒速日命(トミノニギハヤヒノミコト)として祀られている。
さて、これらの点は、ひとつの数字で線のように繋がる。
●登美(トミ)=
十(ト)+三(ミ)=十三
●櫛(クシ)=
九(ク)+四(シ)=十三
●土佐(トサ)=
十(ト)+三(サ)=十三
全て『十三』で繋がってくるのだ。
-『十三夜』-
旧暦8月15日 十五夜
旧暦9月13日 十三夜
月見と言えば十五夜を思い浮かべるが、昔から十五夜の月を見て十三夜を見ないのは、
「片月見(かたつきみ)」と呼び、縁起の悪いものだとされてきたのだそうな。
また、元々十五夜の月見は中国の風習であった。
しかし、旧暦8月15日は、日本では台風や長雨が降る季節であり、月が雲に隠れてしまうことが多かった。
その為、ひと月ずらして晴れる確率の高い旧暦9月13日を『十三夜』としてお月見をする風習が出来たのだそうな。
そう、十三夜は日本生まれなんですよ皆さん❗
満月ではなく、「少し欠けている月」もいうのも風流としてとらえるのが、ワタシ達日本人なのです。
🌔
とにかく、
『十三』が月に関係していることから、
「土佐」も、
そしてオオゲツヒメの「阿波」も、
浦島太郎に関連している(ウラは鬼の古名)、
「海部氏」も、
「モノ(鬼の古名)」とつく「物部氏」も、
すべて『月』が関わってくるのである。
鬼の角は三日月ですしね🌙
そしてそして、欠けた月の中で一番輝いているのが、『十三夜月』。
つまり、
『甕月(ミカヅキ)』ってことですね🌕️
つづく。
ではまた❗
●おまけ
『13』は西洋では忌み数と呼ばれ、縁起の悪い数式だとされてきたようだが、
「十三」は「富(とみ)」にも繋がる言葉であり、ほ本当は縁起が良いのです。
キリストの磔刑の日が13日の金曜日、ユダが13番目の弟子などは近世に考えられたデマであり、
聖書には、処刑の日を特定できる記述はなく、
ユダが「12人の弟子の一人」としか書かれていない。
13という数に不吉なイメージを持たせたのはどんな団体かは…
もうおわかりですね🤣
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