さて、日本神話において、個人的に数々の疑問がある。

そのひとつが、『黄泉比良坂』。

簡易的にまとめるとこういうお話。

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イザナギが亡くなったイザナミに会いに黄泉の国に行く。
⇒死後の姿を見られたイザナミは恥じて、イザナギを追いかける。
⇒黄泉比良坂で道を塞ぎ、イザナギとイザナミは離縁する。
⇒イザナギは「竺紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で禊祓(みそぎはらい)をする。
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●定説①
『黄泉比良坂』は島根県松江市東出雲町。

1940年、東出雲町揖夜
『神蹟黄泉比良坂伊賦夜坂伝説地』の碑が建てられた。

「揖夜(いや)」の由来は「伊賦夜坂(いふやざか)」。


黄泉比良坂の近くに鎮座する『揖夜(いや)神社』は、出雲地方で熊野大社に並び最も古く、すでに平安朝以前から知られていた由緒ある神社。
主祭神は伊弉冉命(イザナミ)。


●定説②
「竺紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」は
宮崎県宮崎市阿波岐原町。 


阿波岐原町字産母に鎮座する『江田神社』。
主祭神は伊邪那岐尊(イザナギ)。
北東にはイザナギが禊を行なったと言われる
「御池(みいけ)」がある。


定説通りなら、イザナギは島根県の東出雲町から逃げてきて、宮崎県の阿波岐原町で御祓をおこなったことになる。


それを地図上で見てみるとこうなる。


その距離およそ600km。

休み無しで歩いても5日以上かかるらしい。


仮に、その時代、宮崎県の阿波岐原町でしか神聖な御祓をおこなえなかったとして。。。


わざわざ出雲から、短時間でこの距離を歩けたとしたら、
その理由は大体4つ。


①巨人だから歩幅すげぇ。
②むっちゃ足速くて体力無敵。
③神だから空飛べる。
そもそもこの場所じゃなかった




ではここからは定説とは程遠いお話を。



まず、本当にイザナミが葬られた場所は、
現在の出雲でも、そして熊野でもなかった可能性がある。



イザナミは、
「出雲国と伯伎国との境の比婆の山に葬られた」



この「出雲」とは現在の出雲のことではなく、
阿波の古名『イの国』の海岸部にあった
伊津面(イツモ)』。


伊津面は吉野川下流域に面しており、
阿波町岩津付近を境に、
その上流を『伯伎(ハハギ)国』と呼んだ。
※実際に『伯耆神社』と彫られた祠もある。


岩津から南には阿波富士とも称される
『高越山』がある。


『比婆山』の「比」とは、「比べる」の意味。

しかし、甲骨文字の「比」は二人相並ぶ形から起こり、「親しむ」「近寄る」という意味があるのだそうな。


比婆山とは「尊い女性を祀る山」なのだ。



さらに、比婆山の語源は
「被拝(ヒハイ)山」だとする説がある。



周囲から拝まれる山。


『高越山』の西麓には「村」、
脇町の「原」、阿波町の東林はヒガシハイシ、
西林はニシハイシなど、高越山の遥拝所から出た地名が点在する。



そう。



高越山こそが、比婆山だったのだ。




イザナミは、
「伊津面国と伯伎国との境の比婆山に葬られた」


阿波町岩津は二つの国の境だった。

その境にそびえるのが、『高越山』なのである。


高越山は、7世紀には修験道の祖である役小角が来たり、弘法大師空海さんが28歳の時に修行にきたりと、古代から重要な聖地であったことは、言うまでもない。





江戸時代の阿波の歴史書『阿波志』には、
「伊射奈美神社小社美馬郡拝村山之絶頂にあり、俗に高越大権現、祭神一座、伊射奈美尊」記載されている。



平安時代(927年)に書かれた延喜式神名帳には、
全国に一社、徳島県美馬郡にのみ『伊射奈美神社』が記載されている。

これだけでも、イザナミが阿波徳島に所縁のある女神だということがわかる。




ちなみに、出雲が「黄泉の国」だというイメージがついたのは、一説によると古墳時代。
出雲出身のお相撲さん『野見宿禰』の影響のようだ。

第11第垂仁天皇の皇后である日葉酢媛命の葬儀の時、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、土師臣(はじのおみ)の姓を与えられた。


つまり、「偉い人が亡くなったからって、生きてる人も一緒に埋めるのは可哀想だから、代わりに埴輪を埋めよう」という提案をしたのだ。


生け贄制度を廃止するキッカケをつくった
野見宿禰さんは素晴らしい。


そんなこんなで、出雲出身の野見宿禰は
土師氏の祖となる。

土師氏は、4世紀末から6世紀前期までの約150年間、古墳造営や葬送儀礼に関った氏族。


土師氏の祖は島根の出雲出身。


出雲はあの世とこの世を結ぶ場所。


古事記や日本書紀が編纂される700年代には、
すでにそのイメージは根付いていたのかもしれない。




さてさて、イザナミの神陵候補地である高越山。

その山名の由来にはいくつかの説がある。


例えば、
「神津(かみつ)山」
⇒「こうつやま」
⇒「高越(こうつ)山」の転訛。



実際に、高越山の隣には『神山町』がある。






その山頂(徳島県吉野川市山川町字木綿麻山)には、式内社『伊射奈美神社』が鎮座している。
※現 高越神社 奥の院





で、ここからである。



イザナミが高越山に葬られたのであれば、イザナギはその姿を見たはず。



「見てはいけない」と言われた変わり果てた姿をイザナギに見られ、怒ったイザナミはイザナギを追いかける。


黄泉の国から逃げるイザナギ。


古事記での名シーンのひとつ、
『黄泉比良坂』。


それは、イザナギが黄泉の国から逃げてきた道のこと。




あの不思議な話が、阿波徳島にある地名の数々とピッタリはまってしまうのですが…






長くなってしまったので、次回につづく。



ではまた❗




参考資料↓

 

 




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