さて、8月以来の出張は茨城県水戸市。

前日入りした12月25日は奇しくもクリスマスだった。


町で見かけたツリーのてっぺんの五芒星は、フラグだった🚩


🎄🎄🎄🎄🎄🎄


那覇空港⇒羽田空港⇒品川駅⇒水戸駅…

と、思っていたが、太陽も昇らないうちに家を出たかいがあり、昼過ぎには水戸市に到着できる。

そこで、少し予定を変更し、水戸を通りすぎて大甕駅までやってきた。

『大甕神社』に参拝するためである。

大甕駅から徒歩15分。



たどり着いた。





天気に恵まれた。



手水舎。



拝殿。



『大甕神社』
鎮座地 茨城県日立市大みか町
社格 旧村社
主祭神 建葉槌命(たけはづちのみこと)
地主神 甕星香々背男(みかぼしかがせお)
創建 皇紀元年(紀元前660年)と社伝にあり
別名 大甕倭文神宮


星の神カガセオの神社にやっとこれました。







拝殿の右奥に岩山がある。






『八坂神社』





『大杉神社』。


この先が岩山。




この岩山が、甕星香々背男の荒魂を鎮めたとされる『宿魂石』。


鎖場。

「もじずり石」という。

この鎖がないと、本殿には行けない。


しかし、すごい角度である。
冒険心をくすぐる。

この岩山、なんと五億年前の地層。
まだ、恐竜もいない時代だ。
ロマンの垣根を飛び越える時代だ。


『稲荷神社』


見えてきた。





これが大甕神社の本殿。


しかし、少なくともワタシが参拝してきた拝殿がある神社は、基本的に拝殿までしか行けず、その後ろ側にある本殿には近づくことが出来なかったはずだ。

本殿に行けるのは珍しいのでは❓️



岩の急斜面を降りて戻る。


ありがとうございました。


降りている途中に「なんだあれ❓️」と思った。
原始人の巨大なお金みたいな…


『境界石』というらしい。



裏側怖い❗


「ふるべゆらゆらとふるべ」

十種神宝を振りながら唱えると、死者を甦らせるというアレだ。


しかし、当社の神紋はインパクトがある。

陰陽道の匂いがする。

先ほどの「境界」という言葉や神紋の五芒星や八芒星からも、なにかしらの結界が張ってあることがうかがえる。





やはり結界が張ってあった。

『宿魂石』とは、支配を広げる朝廷「大倭国」と、高天原に例えられる『日高見国』との境界に見立てられた、巨大は磐座なのだそうな。



『天満神社』。



当社の森も素晴らしかった。

森とは杜(モリ)である。




天の岩戸神話に登場する長鳴鶏。

とても立派なニワトリさんである。

茨城には『鬼渡神社』という神社があり、「おにわたり」は「にわとり」が転化した言葉だという説もあるようだ。

個人的には、逆なんじゃないかな…と思う。

鬼といえば鬼門。
鬼門の方角は北東であり、ニワトリは酉だから西。
鬼門から裏鬼門までを渡ることの出来る存在。

「鬼を渡る」⇒「オニワタリ」⇒「ニワトリ」。


渡る世間は悪い鬼ばかりじゃないのよ🤣




式年大祭『御濱降神事』は申・寅の年におこなわれる。
6年に一度というわけだ。




甕星香々背男社。

ロゴかっけー。




社務所でもある『儀式殿』は工事していた。



七福神巡りならぬ、ドラゴンボー◯のような玉集め企画を最初に発案した方ってすごいと思う。
(ワタシはやらないが。時間無いし)


さて、大甕神社はこれで終りません。



道路の向かいには『久慈浜稲荷神社』。


落ち葉が頭に乗っかっている。

変化の妖術でも使うのだろうか。



祖霊殿へは、スズメバチの巣があるため立ち入り禁止。

恐るべし。


スズメバチの戸締まり。。



そして、

この坂をさらに登る。

風神山のハイキングロードなのだそうな。

カゼノカミヤマって名前カッケー。

常陸の国のセンスが大好きである。

そう言えば、宿魂石は『雷神石』とも呼ばれていたのだとか。

風神雷神は元をたどればとんでもなく大昔の神様に行き着く。

センスだけではすまないのかもしれない。



まだ登る。

ここは良いところだ。



芒ってなんか良い。


あった❗


大甕神社の『古宮』。




この古宮は、1695年まで本殿が鎮座していた。

水戸藩主徳川光圀の命により、現在の宿魂石の頂上に遷座されたのだそうな。

徳川光圀つまり黄門様は、常陸国二ノ宮『静神社』や、三ノ宮『吉田神社』の修造を助け、神主を京に派遣して神道を学ばせ、神仏分離を徹底させた。

ちなみに静神社の祭神も『建葉槌命』である。


大甕神社の入り口に戻ってきた。

目立たないところにたたずんでいたのは、
『道祖神』かな。


さて、本来ならここからが考察タイムなのだが、まだやめておきます。


と、いうのも、星の神『カガセオ』が祀られている神社は、ここだけではないからである。


そして、後日その神社へ参拝いたす。


もう何社か記事にした後にまとめようと思いますが、ほんの触りだけ。


下総国一宮香取神宮の祭神『経津主神(フツヌシ)』と常陸国一宮鹿島神宮の祭神『武甕槌神(タケミカヅチ)』の国譲り最強ペアの二柱でも、カガセオを服従することは出来なかった。
そこで、『倭文神建葉槌命(タケハヅチ)』が使わされ、見事カガセオを服従させた。


ここで誰もが気づくことは、なぜ武神でも従わせることが出来なかったのに、織物の神タケハヅチが従わせることが出来たのだろうか…ということ。

タケハヅチは織物の神。

それも『機織り』の神である。

機織りの神が悪神カガセオを従わせることが出来た理由を考えるにあたり、いくつかポイントがある。

●機織りの技術が日本に伝来したのはいつか
●機織りは何処から誰が持ってきたのか
●カガセオが生きた時代に日本に機織りはあったか
●大甕神社の神紋に星が用いられたのは何故か


タケハヅチの「タケ」は「建」ではなく「武」であり、「ハ」は「刃」で、実は武神だったという説もあるが…


また、カガセオは甕星香々背男という漢字が当てられており、大甕の「甕」だが…

「武」と「甕」の両方の字が当てられている神様がいる。





ご存知『武甕槌神(タケミカヅチ)』である。


この神…


恐らく、一つ柱の神ではない。





そんなことばかり考えているクリスマス🤣


いやー面白い神社でした❗


つづく。


ではまた❗





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