↑のつづき。

さて、土佐の昔話から『十三』の数字を見出だしたのだが、もちろんこの『十三』は阿波徳島とっても重要なキーワードである。


徳島県徳島市上八万町に鎮座する
『宅宮(えのみや)神社』。

創建年代不詳であり、延喜式神名帳に記載される式内社「意富門麻比売(オオトマヒメ)神社」に比定されている。

そして、
神世七世『大苫邊尊(オオトマベノミコト)』
を祀る全国唯一社。

この情報だけでも、凄い神社だということがわかる。


この宅宮神社には、平安時代の頃から『神踊り』が伝承されている。

県の無形民俗文化財にも指定される『神踊り』は、
五穀豊穣や悪病退散を祈願し、毎年旧暦7月16日に13地区の馬組と称す氏子によって奉納される。

そんな踊りの中に『出雲踊』というものがある。

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●出雲踊の歌詞

伊豆毛の国の伯母御の宗女
御年十三ならせます
こくちは字とおたしなむ

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少なくとも千年以上も前から受け継がれてきた踊りの歌詞に、とんでもない秘密が隠されている。

伊豆毛(イヅモ)』とは、島根県の「出雲」のことではない。

かつて、阿波徳島の海岸部にあった
「イの国の面(ツモ)」つまり、
『伊津面(イツモ)国』のこと。





そして、『十三』と『』。


魏志倭人伝には、
卑弥呼亡き後に国は乱れたが、
十三歳の与が王となり、
国は治まった

と書かれているのだ。

もっと詳しく知りたい方は、
敬愛するawa-otokoさんのブログ をご参照下さい。




そう、

この『宅宮神社』には、

一説には、卑弥呼の後継者『壱与』が祀られているとも言われているのだ。




↑でも書いた通り、西の天照『西照神社』の伝承では、『壱与(イヨ)』は伊予(イヨ)国から月読尊に連れてこられた13歳の巫女。

阿波の卑弥呼がアマテラス(内宮)だとするならば、

西からやってきた『壱与(臺與)』は
西のアマテラス(外宮)ということである。





『邪馬台国』を「ヤマタイコク」と読むのは誤りであり、後付けで「台」の字を当てはめてしまった為だと思われる。


本来は『邪馬国(ヤマトコク)』。


また、「」は「一」や「壱」と同じ
数字の「1」を意味する漢字である為、

邪馬国(ヤマコク)』と読む研究者もいらっしゃったようだ。


どちらにせよ、阿波は「イの国」であり、

邪馬壹国が阿波徳島にあった証拠のひとつなのではなかろうか。


『倭』とは本来「ヤマト」とは読まず、
『倭(イ)』と読む。



さてさて、ではなぜ阿波徳島が
『倭(イ)の国』なのか…とされる根拠をもう少し。



徳島県と和歌山県の間の海は『紀伊水道』。

和歌山県は『紀(キ)ノ国』であり、
徳島県が『伊(イ)ノ国』だった為に
その間の海が『紀伊水道』なのである。


さらに、徳島県周辺には「イ」のつく地名が点在する。

例えば、徳島市のシンボル『眉山』は、
その昔『以(イ)ノ山』と呼ばれていたり。。


徳島県が『イの国』であった証拠は、下記の地図を見れば、一目瞭然である↓


「猪ノ鼻」の「」は、
ハナから信用しない」や「出バナを挫く」などと言うように、物事の最初を意味する「端(ハナ)」のことである。

「鼻」のつく地名は、その国の「端っこ」のことなのだ。
※岬に「鼻」のつく地名が多くみつかるのは、こういう理由なのです。

つまり、「猪ノ鼻」は「イの国の端」意味。


さらに、「猪ノ頭」の地名が
徳島県山間部の神山町に一ヶ所、
美馬市小屋平に二ヶ所あり、
吉野川市に「井頭」の地名がある。

「頭」は国の中央を意味する。

つまり、
その国の中心地『神(王)の座す場所』。




大祓祝詞にはこうある。
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伊頭(イツ)の千別きに千別きて
天降し依さし奉りき
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伊頭(イツ)」は徳島県山間部の
「井頭(イノガシラ)」のこと。

神が、山の上からかき別けてかき別けて、
海岸部の「伊津面」に降臨したことが記されている。


「伊津面(イツモ)」とは「出雲」。


つまり、「井頭」の地名が残る場所こそが…



『高天原』だったのである❗




そして、『鼻』から生まれた神と言えば…



『スサノオ』しかいない。





国生み神話では、イザナギイザナミは
最初に『淡道之穂之狭別島』を生み、
次に『伊予之二名島』を生んだ。


これは『伊(イ)の国』と『予(ヨ)の国』という
「二つの名のある島」を意味していると考えられる。
※そもそも、最初に生んだ『淡道之穂之狭別島』は『淡路島』のことだと言われており、
その意味は「アワへの路」であり、
『阿波国』がメインだったことが示されている。




奈良時代初期(西暦713年)、元明天皇は令制国毎に『風土記』という地誌の編纂を命じた。

同年、「地名は良さそうな二つの漢字に変えろ」という『好字二字化令』が下された 。


『木ノ国』は『紀伊国』に、
『粟ノ国』は『阿波国』に
変えられてしまったのである。


ちなみに、全国の風土記の中で、


なぜか、



『阿波国風土記』だけが禁書になっているんですよ皆さん❗



つづく。


ではまた❗

参考資料↓




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