人事労務日記~所長のつぶやき~ -344ページ目

人事労務日記~所長のつぶやき~

人事労務コンサルティング事務所を経営する所長が日々の業務について思うことを綴ってます。

平成23年9月2日


 昨日、今日と台風が来襲するかもしれないとの

ことで、身構えていましたが、東京への直撃は

ないようです。


この台風騒ぎのせいかどうか分かりませんが、電車は

いつもより混んでいたようです。


べつに座りたいとは思いませんでしたが、私が乗り込んだ

のがたまたま「優先席」の真ん前。

“どうぞお掛け下さい、なんて声をかけられたらイヤだな~”、

と内心思っておりましたが、1駅が過ぎ、2駅が過ぎ、3駅、

4駅、座っているどなたからもお声がかからないどころか、

優先席を立って降りる人がいると、サッ!と横から若い

男性が素早く座る、、、。

実に素早い動きで、動きの鈍い私なんかがとても

対応できません。


そりゃまあ、疲れているわけでもないので座りたいなんて

思ってはおりませんけれど、それにしても、杖をついた足の

悪い「みてくれ老人」が目の前に立っているんだから、

声ぐらいかけてもバチは当らないんじゃないのかなと

思いつつ自宅近くの駅まで立ったままで来てしまいました。




平成23年8月31日


 先日、ぎっくり腰でとてもいたい思いをしました。

足元でじゃれている愛犬(牝のパグ)を抱き

上げようと腰をかがめたら、グキっときてしまいました。

それからは、その痛さに七転八倒の苦しみです。


モノの本によると、ぎっくり腰には、正式な、共通の

定義がいまだなく、広い意味では、急に生じた腰痛

すべてを指すそうです。そして、ぎっくり腰の痛みの

ピークは初日MAXだそうです。

中世の西欧では、ぎっくり腰を「魔女のひと突き」と

呼んでいたそうです。
「靴下はき、洗顔、クシャミなど、日常の何げない

動作でも生じ。あれよあれよという間に。大の男が

腰を抜かし。なぜか、寝返りも出来ず。
あまりの痛さに、“もう、俺の人生も終わりだ”と泣き叫ぶ。」

然し、「10日も過ぎれば、泣き叫んでいた者が、他人事の

様に、ケロッとして笑っている。」ぎっくり腰のこの変わり様を、

魔女の仕業(ユーモアをこめれば魔女のイタズラ)に

例えていたとのことです。


昔から人はぎっくり腰に泣かされたようです。

平成23年8月30日


 昨夜は、サラリーマン時代の友人と久し振りに

飲み会をしました。         
昔話に花を咲かせたり、段々と短くなっていく

これからの生き方について語り合ったりと楽しい

ひと時を過ごせました。
飲みながらの話は、今までの自分の辿ってきた

道程とか共通の知人の動向とかにわたり、あたかも

夫々の人生を覗き見るような興味がありました。


人生とゲームというのは似ているところもあるようです。
「ゲームは楽しむため」という目的がはっきりしています。
だから、人生もゲームをするように、そのまま楽しめれば
よいのですが、そうはいきません。
長い人生を生きていれば、やりたくないことをしなければ

ならないし、失敗することもあり、その失敗した過去を

消し去ることもできません。
気にくわないからといって、リセットしてやり直すわけにも

いきません。


この辺のところがゲームとは異なり、人生の厳しさなん

でしょう。
そうした、素直に楽しめない部分、苦しいも含めて、

抱え込んでしまいながら、ゲームを続けざるを得ないのが

人間の生き方なのでしょう。


だとすれば、人生はかなり難解なゲームだということに

なります。
この難解なゲームを終了し、死ぬ間際になって
「自分の人生ゲームは結構楽しかった」と思いながら、

ゲームオーバーをしたいものだと思っています。



平成23年8月29日


 私は、歳をとったせいか寝つきがどうも悪いのです。

そして、漸く寝付いたと思っても、眠りが浅いため、

夜中によく目覚めます。

ヒトは、寝ているときに誰しも夢を見るそうです。

然し、眠りが深く朝になるまで、目覚めないヒト

(若いヒトに多いようですね)は、夢を見ていること

さえ思い出さないようです。


私は、その点、夜中にショッチュウ目覚めますので、

夢を見ているということを、実感を持って味わって

います。

夢には、自分がしたいと思っていることやら、恐怖に

思っていることなど、昼間の世界では、思いもしない

ことが現れます。

「大金持ちになって好きなものを買いに世界中を

回る夢。好きな人や憧れの人に会う夢」などなどです。

そして、いつも途中で目覚め、“あぁ、夢だったんだ。”

思うのです。


そして、夢の世界の楽しい状況から徐々に現実の

厳しい状況に思いが至り、顔をしかめながらベッドから

起きるのです。




平成23年8月27日


 朝の通勤時、広い靖国道路で車の流れが

途絶えた時を見計らって,小走りに道を横断

している人をよく見かけます。

見ていると,道幅の4分の3ほど行ったところから,

ゆったりと歩き始めます

同じ場面をこれまでに幾度となく見てきましたが,

ほぼ同じパターンで,渡りきるまで走り続ける人は

ほとんど見かけません。


ほぼ渡ったという見なしによって,後は詰めをするだけ

という状況判断をしているのでしょう。

最後まで走りきればいいのにと,何時も思います。


道路、特に広い幹線道路は危険な場所だから、

早く引き上げることが安全の最低条件です。

ぐずぐずすると命取りになる可能性もあります。


一事が万事という言葉に沿えば,このような行為は、

仕事の途中で気を抜くことにも繋がるでしょう。

私は、仕事にかかったら一気呵成にやり遂げるのを

好みます。

あと少しという段階で緊張を解くのは仕事を効率的に

やり遂げるという観点からは手抜きみたいに感じるからです。

平成23年8月26日


 また、台風が来るんだそうです。

ここのところ、梅雨に戻ったような雨模様の

天気が続いています。


今の世の中、何が起こるか分からないように

なってしまいました。

大物芸能人が突如引退会見を開いたり、

どんぐりの背比べのような似たり寄ったりの人を

総理大臣に選ぶ代表選挙が騒がれたり、

そこに闇将軍が関与したりと

ニュースを追うのがむなしいような情報が毎日

流れています。


ところで、

中国人の理想は「ルールを越えたVIP待遇を

受けられるような人になること」という話を聞いたこと

があります。

このためには富と徳を得ると同時に、そのことを世に

示さなければなりません。

相手に自分のそういうイメージを植え付けることによって、

相手の態度が変わり、コネが生まれて、特別の扱いを

受けられるという考え方だそうです。


でも、民主党の闇将軍は、「自分が、ルールを越えた

VIP待遇を受けられること」を代表選挙応援の条件に

するのだそうです。


日本も中国も権力欲については、同じなのですね。



平成23年8月25日


 今日も雨模様の中、家から客先に直行し、

客先近くのラーメン屋で昼食をお昼を済ませてから

オフィスに出ました。

ここのところ鬱陶しい日が続きます。

そして、毎日まいにち、変り映えのしない日も続きます。


然し私は、毎日の通退勤時の電車の中で、本当に

色々な人生模様を垣間見させて頂いております。

先日、夕方の帰宅電車の中、何時も通りに吊り皮に

ぶら下がっているとプーンとアルコールの匂いがしました。

途中駅で降りていったその匂いの主を見ると、定年を

過ぎたくらいの年配の男性でした。


“平日の、夕方六時半になる前から酒を飲んで酔っ払う

なんて、随分とぜいたくな毎日を過ごしているもんだ” との

思いが私の頭に浮かんでいました。

でも、それにしてはプラットホームをトボトボと 歩く、

「その人の後姿はどこか寂しげにも」私には映ったのでした。

その肩は何かズッシリと重いものを担いでいるようでした。


「人それぞれが夫々の人生を歩いている」

と当たり前のことを思い出させる光景でした。

平成23年8月24日


 政治が混迷し、市場が下落し続けています。

一体今後どうなるのかという不安が社会を覆って

います。

そんな中でも時間と季節は、タンタンと移り変わって
行きますし、人はドンドンと年をとって行きます。
私もドンドンと歳をとってきたせいでしょうか、

「他人への思いやり」ということがとても気になっています。


朝晩の通勤電車では、障害のある方とかお年寄りとかが

乗り込んできても、優先席に悠然と座っている屈強な若者

やら人目はばからず化粧に余念のない若い女性とかが

あふれかえっていますし、また、電車の乗り降りでも気に

なる事があります。
電車を降りるとき、多くの若い人たちは電車が駅に止まって

人が降り始め、最後の人が降りる頃に、やっとヨイショとばかり

に席を立ち、電車を降りるのです。混んでいるときなど、駅で

待っていた人が乗り始めるので、ドアのところで押し合いに

なったりしています。


道路では、携帯やらスマホやらを見ながら歩いている人が

人の流れを妨げています。どうして、弱い立場の人に優先席を

譲ったり、駅に着く前にドアの前に行ったおいたり、道を歩くとき

ぐらい携帯を見ないようにしたり、こんな他人への「チョッとした

思いやり」ができないのでしょうか?


私にはとても不思議に感じられるのです。




平成23年8月23日


 私は、クライアント訪問などのため外出する

ほかは、オフィスでそれこそジッとパソコンを眺めながら、

仕事をし (こういう文章を書くのも、また顧客からの

依頼事項を調査し、報告するのもみんな今はパソコン

を使いますね)、一日を過ごすことがあります。


そういう日は、身体は疲れていないのに頭も目も

本当に疲れ、夕方にはグタッとしてしまいます。

ですから、途中でよく気分転換を試みます。


“今、気分が爽快なので、ここで気分転換して不快な

気分にしよう”、などと考える人などあるわけがありません。

となれば、気分転換とは“今の不快な気分を爽快な

気分に転換すること”を期待するための行為と言えそうです。

それでも、気分転換の方法が人によって、そして同じ人でも

日によって違うのはどうしてなのでしょうか?


私の場合は中々気分転換ができず、ここのところ夕方

になると首の周りが痛くなります。

だから、最近はその首に痛さから本当に首がうまく回らな

くなってきました。


明日、整形外科に行こうと思っています。

平成23年8月22日


 今年3・11の大震災で破壊され尽くした

東北被災地の瓦礫の山をテレビで見ていると、

私の頭におぼろげに残っている戦災に焼け

残った東京の下町の町並みが重なって

浮んで来ます。


でも、今と昔とで一つだけ大きく違うところがあります。

それは、大人たちの顔つきです。

被災地の方々は、一向に進まない復旧・復興に

苛立ちを募らせ、暗い顔をされる方が多くなった

ようですが、終戦後の当時の大人たちはみんな

元気で明るい顔をしていました。

戦争という重苦しく押さえつけられていた時代が終り、

これからは「前とは違う新しい時代が来る」という期待

に心を膨らませていたからでしょうか。


随分前に亡くなった私の父親が仲間の大人たちと

よく冗談を言い合いながら奥の金歯が見えるほど

大口を開けてゲラゲラ笑っていたのを思い出します。



きっと人は、どんなに辛い目にあっても、「その辛さは、

いつかは終る」ことを知り、「将来への期待やら希望やら」

が持てれば、どんな辛さも乗り越えられるのでしょう。