人事労務日記~所長のつぶやき~ -321ページ目

人事労務日記~所長のつぶやき~

人事労務コンサルティング事務所を経営する所長が日々の業務について思うことを綴ってます。

平成24年7月14日


 石川啄木の「一握の砂」の中の

「我を愛する歌」で


「はたらけど
 はたらけど猶わが生活(くらし)樂にならざり
 ぢつと手を見る」

という歌があります。


最近は、国際間の企業競争が激化し、企業も

生き残りのため、生産効率の悪い中高年には

厳しい施策を打ち出すところも少なくありません。


ワーキングプアという事例も世間的に珍しくはなく

なってきました。

平成のこの世でも、石川啄木の世界がまだまだ

健在のようです。

当然に啄木の時代と今では生活のレベルを見れば

かなり違います。

然し、その時代に住む人にとって、「今の世で、他人

と較べた自分の暮らし」への感じ方は変わらないだろう

と思うのです。


暮らしの厳しさへの感じ方は、他人と較べてみて、

楽になったり、辛くなったりするからです。





平成24年7月13日


 今日の朝の通勤時、私の横に座っていた若い女性が

途中駅で降りました。通勤時の満員電車だったので、

直ぐに太ったおばさんが空いたその席に腰を降ろしました。

ところが、これが結構きついかったのです。


ぐいぐいと、そのおばさんはおしりを押し付けてきました。

わずかな隙間に座ろうとする図々しい人だとの思いも

ありました。しかし私はその時、そうでは無いような気が

したました。つまり図々しさの問題ではなく自己イメージ

の問題なのだと思ったのです。


そのおばさんも、途中駅で若い女性が席を立ったとき、

その空いた隙間に自分が座れるかどうかシミュレーション

をしたに違いないのです。

つまり若い女性の代わりにまずイメージした自分を座らせ、

その結果、座れるという結論に達したのでしょう。

ところが実際は思ったよりきつかったのです。


この食い違いの原因は、実際の自分はイメージしている

自分より太いことなんでしょう。

でも、それを認めるわけにはいかない。だから、おしりを

押し込む行為となったのでしょう。



平成24年7月12日


 政治もい経済も低迷し、「日本病」などと揶揄される

バブル度の日本。

こんな時代だからこそ、日本の高度成長期ごろの元気さを

改めて思い出します。


私がテレビを初めて見始めた頃、今でも鮮明に覚えている番組は、

大相撲の両雄であった栃錦と若乃花の「栃若決戦」です。

両雄が勝ち進み千秋楽にいよいよ雌雄を決する、ということで、

世の中は盛り上がっていました。

私も人並みに盛り上がり、手に汗を握って電気屋の店頭に

置いたあったテレビに見入ったものでした。



そのころはまた、プロレス全盛時代でもありました。

プロレスの試合の流れはほぼ毎回同じで「最初痛めつけられて

いた力道山が、やがて逆襲に出て、最後の場面で空手チョップ

を振るって、外人レスラーをコテンパンにやっつける」というものでした。

力道山が空手チョップを振るい出すとテレビの前の観衆は

大喝采して、日頃の生活の鬱憤を晴らしていました。


あのころは、テレビの力道山や栃若の活躍に「今に見ていろ」の

自分の思いを託していたのかもしれません。


活況に満ちた愉快な時代でした。

あの時代を懐かしく思い出します。



平成24年7月11日


 先日、関与先からの帰り、偶々駅に滑り込んで

きた特急電車に飛び乗ったことがあります。

そうして、ヤレヤレと席に座ったら前に座っていた人と

会いました。

前に見た事がある人だなと思っていたら、何となんと

その人は、もう20年位会った事がなかったサラリーマン

時代の同僚でした。


偶々その人は、その日が奥さんと一緒に、小旅行

に行った帰りとのことでした。

聞けば、その人は、もう定年で仕事は止め、今は、

悠々自適の生活をしているそうです。


本当に人生は、思いがけないことが起こります。

若し、私がその日、仕事で遠方に行かなかったら・・・

若し、私の帰りの時間帯がチョッとづれていたら・・・

若し、私が思い切って特急電車に乗り込まなかったら・・・

 若し、私の席が違う場所であったら・・・・


私の人生で、その人とは2度と出会うことはなかったでしょう。


「人生は、本当に偶然の積み重ね」かもしれませんね。




平成24年7月10日


 「物事には全て表があれば裏がある」

と言われます。


だから、

「長いサラリーマン生活を終えて、毎日が

日曜日になったかつての企業戦士が、

朝起きてどこにも行くところがなく、家で

グズグズしているときに、

“どこか出かけるところはないの?”、

“何かすることはないの?”

と直ぐに聞こえる妻の厳しい声にも、単に

“うるさいなぁ”と腹立たしく思うだけでなく、

この言葉の裏側には、
「会社人間」だった夫が、生きがいをなくして

 家に「引きこもり」になったらどうしよう”、

“体力が弱って病気になったらどうしょう”、

“やることも無く毎日ボーっとしていて早くホケないかしら?”

などと妻が心配してくれているんだ“

と裏側の妻の切実な願いを察すれば、厳しい声にも

そんなに腹も立たないかもしれません。


もっとも、私はそんな複眼で物事を見るような人間には

とうとうなれませんでしたので、そんな妻の叱声を聞いたら、

そのままに捉え、たちまち逆上してしまうでしょうが・・・・・




平成24年7月9日


 大津市で起きたいじめによる自殺問題が、

大きく報道されています。

そのいじめの陰湿さに吐き気さえ感じました。

教師は勿論のこと、周りの人達は本当にこんなに

激しく行われていたいじめを知らなかったのか?
何で助けられなかったのかととても残念に思って

います。

 

大分前ですが、子供が学校で苛められている

ことを知った親が学校に乗り込んだ事件を

思い出します。


「学校で子供がいじめられていることを知った

 保護者らが学校に押し掛け、授業中の教室に

 入り、いじめた方の5人を廊下に連れ出し、

 平手打ちを食らわせ、さらにいじめられていた方の

 子供にも、どうしてやり返さないのか、と言いながら

  殴った」


というニュースでしたが、陰湿ないじめに辟易していた

人達は、この保護者らの行為に内心拍手したそうです。


親御さんがこんな極端な行動に出なくても済むように

学校の教師が、もっといじめに敏感になり、「いじめ

を許さない」との方針の下有効な対策を採ることを

切に期待します。




平成24年7月7日


 この間、随分久し振りに私の生まれ育ったところに

行って来ました。
私の実家は、今は、亡くなった兄の嫁さん一家が

住んでいるので、チョッと顔を出すのが億劫になっています。
でも、生まれ育ったところというのは、やはり懐かしいものです。
仕事とか人生とかでヒョッとつまずいたとき、やはり頭に

浮かんで来るのは幼い頃、自分が遊んだ場所の風景とか

母親の顔とかになります。


久し振りに訪れた故郷は、随分変っていました。
見慣れない建物とか店がある一方で、あったはずの建物

とか店が無くなっていました。
然し、町の大通りを貫いている道路は昔と同じような

たたずまいをしていました。
その昔ながらの道を、幼い頃を思い出しながらトボトボと

歩いて行きました。

そして、昔の名前のラーメン屋を見つけ、入ってみましたが、

中のたたずまいと店の人はスッカリ変わっていました。

ラーメンの味もまた変わっていました。



でも、久し振りの故郷を訪れて、懐かしさで胸をいっぱい

にしながら、帰宅しました。

“さぁ、また明日から頑張ろう”と思いながら・・・




平成24年7月6日


 梅雨前線が各地で大雨を降らしているようです。

東京でも昨夜から早朝にかけて凄い雨が降って

いました。昼間もここ数日はドンヨリとした天気が

続いていますが、湿度が高く、暑い日が続いています。

今日もドンヨリとした天気で、昨日よりチョッと暑さも

和らいでいるようですが、それでも厚い!


午前中に関与先に所要で出かけましたが、汗ビッショリ

となってオフィスに戻りました。

只でさえ、不快なこんな時期に更に不快度を高めて

いるのが最近の「ながら歩き族」です。


中でもとみに増えているのが、「スマホ見ながら歩き族」

です。若い男女に頻繁に見られます。朝のラッシュ時間

にひとの流れが途切れる部分があると、ぞこにh殆んどが

「スマホ見ながら歩き族」がいます。スマホを見ながら

歩いているので、当然速度が遅くなるからです。


何でそんなに歩く時間をも惜しんで、スマホを見なくては

ならないのか、私には理解が出来ません。

「サッサと歩いて時間を作り、目的地に着いてからスマホを

見れば、良いのに」と何時も思っています。

平成24年7月4日


 私は滅多にないのですが、極たまに人から

ほめられる事があります。

そんなときは、“イヤイヤ大したことはないんですよ”

と否定をしないと、厚かましい自信家だと誤解されそうな

気がするからですが、以下のような意味の言葉を読んだ

からです。


それは、

「褒められてそれを否定するのは、もう一度褒めてもらい

たいからだ」という言葉です。

この言葉は、正確には誰の言葉か不明なのだそうですが、

どうも、『パスカルの原理』のパスカルの言葉らしいということです。


さすが『考える葦』のパスカルです。

私はこのパスカルさんのおかげで、滅多に褒められることが

ないのに、たまたま褒められたときには、このように応えることに

しました。
また、ある人は、「謙遜する人が謙虚であるとは限らない」

とも言っています。


どうでもいいようなことですが、「人と人との感情の交響曲」で、

成り立っている浮世の付き合いでは、結構こんなことが大切

なのかもしれませんね

平成24年7月3日


 私の知り合いで、大手企業を定年退職し、

それ以来、趣味の音楽鑑賞と男の料理に励

んでいた人がいます。

でも、毎日、音楽鑑賞だ、料理だと言っていられた

のも2ヶ月ぐらいでした。

後は、やはり家でゴロゴロとしながらのテレビ鑑賞の

時間が長くなったようなのです。

男の料理も最初の内だけで、間もなく昼食も夕食も

奥様のつくられるのを待つようになってしまいました。


一方の奥様は、友人も多く社交家で、「外に行きたい

けれど、夫が家でテレビ鑑賞するようになると思うように

出かけられない」ということで、不満を募らせていきました。

そして、ある日、「ストレスが積もりに積もって、とうとう

爆発してしまった」とのことです。


企業戦士として、仕事を第一に生活してきた団塊の

世代の男は、定年まで、一生懸命に外で働いて

、「さあ定年だ、ノンビリしよう」と思っても、そんなに

ノンビリできる場所はないのですよ。


考えてみると、「男の居場所」って本当にあまりない

ようですね。