人事労務日記~所長のつぶやき~ -318ページ目

人事労務日記~所長のつぶやき~

人事労務コンサルティング事務所を経営する所長が日々の業務について思うことを綴ってます。

平成24年8月23日


 先日、定年退職した後、全く仕事に就かなくなった

人の1/3程度はアルコール依存症になってしまうとの

調査結果を目にしました。


定年後、毎日、家にいるようになっても奥さんはパート

に出て不在だし、子供は独立して不在で、家には一人

で残されてしまいます。

何か趣味でもあればよいのですが、生憎、「現役時代は、

企業戦士と言われ仕事しごとの毎日を過ごし、仕事以外

に打ち込む趣味もない」とすると、会社に行かない毎日を、

本当にどう過ごすかが悩みの種となるようです。

そしてそんなときに、飲んで、酔えば酔うほどに憂さを

晴らしてくれ、浮世を忘れさせてくれる酒に救いを

求めるようです。


現役のときは、会社で仕事に神経をすり減らし、

めでたく定年退職したら、毎日することが無いために

神経をすり減らし、挙げ句の果てには「アルコール依存症」

になってしまうとしたら、なんと寂しい企業戦士の人生では

ありませんか!

平成24年8月22日


 「弱り目に祟り目」、「好事魔多し」と、昔から

「“生きている”ということは、厄介なもんだ」ということを

現す言葉があります。

「とかく、浮き世の風は冷たいもの」ともよく言われますが、

嫌なことが次から次へとこれでもかと言わんばかりに

降り掛かってくると、“自分はなんて運がないんだろう”と

思ってしまいます。


自分の思い通りに「ことが運ばない」のは誰でも経験する

世の常としても、思いもしなかった想定外のことが次から

次へと飛び込んでくるのはかないません。

思いもしなかったことに直面させられるのは、思わなかった方

の落ち度といえばそれまでですが、それが重なってしまうと

嫌になってきます。


こんなときは、起きてしまったことは“仕方がない”と

アッサリと受け入れて、心機一転、それを克服すべく

再トライするしか手がありません。

“なんて自分は運が悪いのか”と誰かにグダグダと愚痴を

こぼし、「心の憂さ」をキレイサッパリと晴らしてから、再出発です。


でも、そのためには、愚痴をこぼせる相手を見つけておくことが

とても大切になるんですね!

厳しい世の中を生き抜いていくには、これが大切とは

分っているんですが、実際には中々巡り合えません。

平成24年8月21日


 今さっき取引先訪問から帰りました。

冷房の効いたオフィスから炎天下の道路に

出るとドッと汗が吹き出ます。

オフィスについてからも暫くは汗拭きに時間を

とられます。

身体中が汗だらけで不快です。


天気予報によると、残暑はしばらく続きそうです。

それにしても厚い!

激しい暑さでつい体調を崩しがちです。

この時期、いわゆる夏バテが出やすい時期でも

あります。

昨日の夜は冷房を入れずに寝たので、暑くて

良く眠れず、少々バテ気味です。


夏バテとは特定の病気ではなく、疲れに起因する

のだそうで、「身体がだるい、胃腸の調子が悪い、

気力(集中力)がないなどの症状を総称している

のだそうです。

そして、その原因の一つが室内と室外の温度差。

身体は、自分の状態を一定に保とうとするから、

暑いときには汗をかいて体温を下げ、寒くなると

今度は冷えないように血管を収縮させて、体温を

上げる方向に調整しようとします。

夏の暑さで体が疲れている時に短い時間で大きな

温度差を経験すると、身体の反応が鈍くなってしまう

ことがあり、夏バテするそうです。


私は、こんな暑さの中、多いときは日に数回

冷房の効いたオフィスと炎天下の外とを行き来

しています。

元々身体の反応は鈍いのですから、夏バテするのも

当然かと改めて納得しています。





平成24年8月20日


 お盆休みも終って今日から通常通りという人も

多いようです。

朝の通勤電車も元のように大混雑となりました。

そんな中にチラホラと子供連れの姿も見かけました。

もう直ぐ夏休みも終わりなので、どこかに遊びに

出かけるのかもしれません。



私の学童時代にも「夏休み」がありました。

私の夏休みは、朝のラジオ体操から日が落ちるまで、

汗だくになりながら外で遊びまわっていたように思います。

今の時代のように、家庭内のゲーム機など未だ

ありませんでしたし、クーラーなどもってのほかです。

自然がテレビゲームであり、木の木陰がクーラーでした。


しかし、それら私の夏の思い出は、幼少や学生時代

のことばかりで、社会人になってからの「夏の思い出」

というものがないことに最近気が付きました。

あったとしても、スーツを着て、汗だくになりながら

営業していることぐらいで、楽しい思い出とは程遠い

ものなのです。


ぞして、最近の「夏の思い出」に思いを巡らせると

全く「思い出」がないのに改めて驚いています。

夏も冬も変わらず、自宅とオフィスと顧客先との

間を行ったり来たりしているだけなのです。

歳をとると段々と「新しい思い出作り」に苦労する

ようです。





平成24年8月18日


 今日も猛烈に暑いですね。

おまけに今日は、オフィスの最寄の地下鉄駅から

出たとたんに猛烈な雷雨となりました。

オフィスに着く頃は、雨と汗で身体中がビッショリと

なってしまいました。


暑さのせいかどうか分りませんが、私は最近とみに

頭への血の巡りが悪くなっているように感じます。

通い慣れている駅からオフィスへの道路の一角が

空き地になっていても気がつきません。

ある日、ふと気がついて、“以前には確かに何かの

建家があったはずなのだが”と思っても、どんな家で

あったのか、店であったのか、全く思い出せないのです。


また、歩いていると挨拶をされることがありますが、

どなただったか思い出せないこともよくあります。

そんなときは、得意のあいまいな笑いでごまかしますが、

後で一生懸命誰だったか思い出そうとします。

思い出せれば、なるほどと手を打って一件落着なの

ですが、思い出せないととても気分が悪くなります。



人間も年をとってきて、頭への血の巡りが悪くなると、

自分自身の頭の巡りが思うようにいかずに、

イライラすることがとても多くなります。

だから、年寄りには短気な人が多いんでしょうね。

平成24年8月17日


 未だ暑い日が続きますが、暦の上では

もう秋です。

そういえば、朝晩は随分涼しい風が吹くように

なりました。


四季に恵まれた日本は、人生の変わり目を

寿くように、木々の花々や緑が一斉に移り

替わります。

そして、人生の変わり目に際し、昔から多くの

人が詩や歌を詠んできました。

それらを振り返ってみると改めて「別れの詩」には

傑作が多いことに気がついたりもします。


“花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ”は、

井伏鱒二による漢詩の名訳ですし、

中島みゆきの名曲『時代』の、“めぐるめぐるよ 

時代はめぐる 別れと出会いを繰り返し”も、

心に染みてくる詩です。

そして、

“今日は倒れた旅人たちも生まれ変わって歩き出すよ”

の部分は、聞くたびに元気が湧いて来るようです。


私も随分と長く人生を生きてきて、随分と多くの

「別れ」をしてきました。

時々今でも、別れた後全く音沙汰が無くなった人が

「今どうしているかなぁ」とフッと思ったりします。

平成24年8月16日


 人生は、偶然な縁の繋がりで彩られています。

「あのとき・・・・・と出会わなかったら・・・」とか

「あのとき・・・・・と別れていたら・・・」とかの話は

誰にでもあることだろうと思います。


「縁は異なもの味なもの」という言葉もありますが、

誠に変幻自在な縁の有り様は、生きていく上で

何度も経験させられます。縁を切るか深めるか、

そんな局面に立つ場合もあります。


昔、サラリーマン時代に仕事上のことで、一度ならずに

同一人物から口汚く怒鳴られたことがあります。

その際、その人とは「金輪際2度と会うまい」と思い、

心の中で縁切りしたことがありました。

その後、噂は他の人から聞く事がありましたが、

果たしてその人とは2度とお目にかからずにもう数十年が

経ってしまいました。


縁とは異なものであると同時にしつこい心の葛藤を

反映する場合もあるようです。

平成24年8月15日


 今日は終戦記念日です。

この時期になると毎年韓国が「謝れ、あやまれ」

と日本を攻めたて、世情が騒がしくなります。

靖国神社の周りは、機動隊のバスがズラリと並び、

右翼の外宣車が大音響の軍歌を鳴らしながら

走っていきます。



長時間パソコンに向かって細かい字を見ていたり、

また書類と格闘したりしていますと、どうしても目が

疲れてきます。

そんな時、ふと窓から見える木々の緑にホッとしします。

よく、緑が目にいいと言われますが、それは緑色が

目にいいというよりも、自然を眺め、遠くの風景を見る

ことで、結果的に目の神経と筋肉を休めるからというのが

定説だそうです。


それは兎も角として、

こんな世情の煩さの中、青い空に浮ぶ白い雲と木々の

緑のコントラストをボンヤリと眺めていると浮世の嫌なことも

束の間忘れるのは事実です。


こんなことを思いながら、

私は、今日も平々凡々な一日を過ごすつもりです。





平成24年8月14日


 「物事には全て表があれば裏がある」とよく言われます。

だから、

長いサラリーマン生活を終えて、毎日が日曜日になった

かつての企業戦士が、朝起きてどこにも行くところがなく、

家でグズグズしているとき、


“どこか出かけるところはないの?”、

“何かすることはないの?”

と直ぐに聞こえる妻の厳しい声にも、単に

“うるさいなぁ”と腹立たしく思うだけでなく、

“妻はただ単に邪険にしているだけでもない。

「会社人間」だった自分が、生きがいをなくして、

家に「引きこもり」になったらどうしよう”、

“体力が弱って病気になったらどうしょう”

などと心配してくれているんだ“


とその言葉の裏側を慮ってみると、そんなに腹も立たない

かもしれません。


もっとも、私はそんな複眼で物事を見るような人間には

とうとうなれませんでしたので、そんな妻の叱声を聞いたら、

そのままに捉え、たちまち逆上してしまうでしょうが・・・・・

平成24年8月13日


 私は元来ものぐさなので、人にものを

頼むことは不得手です。人に何も頼まずに

いられたら楽なのかもしれませんが、

そういうわけにもいきません。

しかも我々が人と接するとき、 その目的の

大部分は何かを頼むためであることが多いように

思います。その頼み方によっては、まったく相手に

通じないこともあります。


スーパーに入ると、「いらっしゃいませ」という店の

スタッフの声がします。その言葉には、

“ご来店ありがとうござい ます”という歓迎の意味が

込められています。
しかし、店の中に入って、品定めをしているときでも

“いらっしゃいませ”と言われることがありますが、

それはたいてい“どいてく ださい”という意味も

込められているようです。

直接“どいてください”と頼むより、「どいたほうがよさ

そうだな」と、客に気付いて貰いたいために、その意を

込めて“いらっ しゃいませ”と言っているのでしょう。

この方が「気持ちよくどいてくれるだろう」と人間の

心理を利用しているだろうと思います。


とすれば、この人間の心理を利用して電車の優先席を

占領している「優先的に座るほど、身体が弱っていない」

人たちに気持ちよく席を譲って貰える方法は無いんでしょうか?