人事労務日記~所長のつぶやき~ -281ページ目

人事労務日記~所長のつぶやき~

人事労務コンサルティング事務所を経営する所長が日々の業務について思うことを綴ってます。

平成26年1月31日


 元気な団塊の世代が、会社を定年退職

し始めていますが、それ以来日本全国に、

ちょっとはた迷惑な「困ったおじさんたち」が

増えて来ているそうです。


勿論、この世代は「企業戦士」としてガムシャラ

働き、日本の高度成長期を引っ張って来た世代

ですから、ひ弱な今の若者に比べれば、エネルギッシュで、

自信満々で、我の強さを併せ持っています。

そして、年金や退職金には恵まれ、経済的にも余裕が

あって、心身ともにまだまだ元気一杯な世代です。


ふところが暖かくて元気一杯なだけに、枯れる気など

毛頭なく、まだまだ現役時代の輝かしい残照に浸って

いたくて、周りからどうしたら自分の凄さに感心して

貰えるかに頭を悩ませている世代でもあります。


つまり、「自分の存在を誇示したがるおじさんたち、

」って言うか、「人にかまってほしいおじさんたち」って言うか、

要するに、「はた迷惑なおじさん」と周りから見られてしまう

人たちなのです。


私も電車の中などでよくこういったおじさんたちと一緒になります。

そんなときは、目を合わせず寝た振りをすることにしています。

平成26年1月30日


 私は小さい頃から犬が好きで、今も愛犬と

一緒の生活をしています。

今の愛犬は♀のパグで名前を「ハナ」と言います。


「ハナ」は先代の「タロー」とは異なり、“家を守ろう”

という気概より、“家族と遊ぼう”との気持ちの方が

強い活発な子です。



私も「群れる派」ですから、家人が留守の家に独りで

いると,何かしら人の声が恋しくなり,見もしないテレビ

をつけて、「ハナ」と所在なげに眺めていたりします。

夜はまいにち、私の横に引っ付いて座る「ハナ」を

相手に一杯やりながらテレビを眺めて楽しんでいます。


犬は人より短命と云われますが、「ハナ」は未だ5歳。

あと10年は生きるでしょう。私とどちらが先に旅立つかは、

「神のみぞ知る」です。

「運任せ」のこんな生活があとどの位続くか分りませんが、

出来るだけ長く続けばよいとまいにち祈っています。


平成26年1月29日


 『旅は道連れ、世は情け』と言われるように、

一緒に旅をする友人や家族がいてくれたら

『人生の旅』の楽しさは倍増するかもしれませんが、

それでも結局は、「自分の人生」は、自分一人の

旅であることに違いはないのです。

人生という旅は、本人が自分のために考え、悩み、

決断して歩いて行く「長旅」だからです。


だから、人生を共にする人と出会い、結婚し、

一緒に『旅』する間柄になっても、夫々が夫々の

人生航路を旅しているのだということをわきまえて

おくことが肝心です。


長い間一緒に旅してきた「連合い」は、「死ぬまで

自分と同じ人生を歩いて行くもんだ」と勝手に

思い込んでいるサラリーマンご同輩は、退職後に

酷い目に会うこともあるようです。


自分の人生は、自分自身の旅であることを改めて

知る必要もあるようです。

平成26年1月28日


 先日、急な入院をした妻も、先日、無事に

退院出来ました。


妻は、家事やら92歳になる実母の介護やらで、

疲労の蓄積がピークに達して体調不良になった

ようです。

幸い妻の体調不良も大事には至らず、健康

を取り戻し、無事に退院することが出来、
ホッと一安心です。

それまで家事は一切しなかった私も、妻の疲労

に少なからず関係したようで、反省しきりです。

年を取って来ると、気は若いときと変わらなくても、

身体は着実に衰えて来るということ、だから
一層、夫婦で労わりあうことの大切さを改めて

思い知らされた妻の入院でした。




平成26年1月27日


 「人に悩みはつきもの」とよく言われます。

悩みも一つであれば、「グッと飲み込んで」

なんとか堪えたりすることもできます。

でも、悩みが二つ、三つと重なってくると、

四六時中どれかの悩みに囚われて、頭が

一杯になり、身動きがとれなくなってしまいます。


そんなときでも、しばらくの間であれば、なんとか

しのげますが、長引くと、どうしようもなくなります。

そんなときが、自分なりのストレス解消法の

出番です。


私の場合は、妻と愛犬との毎夜の晩酌です。

テレビを見ながら番組の悪口を言いのが

ストレス発散法です。

初めは黙って聞いている二人ですが、グダグダと

悪口が長引くと頃合を見て妻が、

“分った、分った。はい終わり!”と声をあげ、

その声に驚いた愛犬のハナちゃんが“ワン”と

続きます。


それで、その日の愚痴は終わりです。

その後、私は黙ってテレビを見、残りの酒をぐびぐびと

飲んで、晩酌は終わりとなります。そして翌日は、

サッパリとした顔でまた仕事に出かけるのです。

平成26年1月25日


 日経新聞のコラム「さらりーまん生態学」において、

大分前になりますが、作家の江波戸哲夫氏が

「企業には“なるほど男”と“そりゃ違う男”がいる。

前者は他人の意見を聞いてなるほどと受け止めて

から意見をいう男。

後者は最初からそりゃ違うね、と反論を始める男」

と書いておられました。


確かに、私の会社生活でこれまで付き合ってきた

人たちを思い浮かべてみても、このように大別

できる人が多いとガテンがいきます。


特に物知り顔で、いつも「自分より頭の良い奴は

いない」風を装っていた某氏には私も会議などで

随分と不愉快な思いをさせられましたが、

会社を定年退職した今でも物知り顔をしているのかな

と時々思ったりしています。




平成26年1月24日


 遺伝と環境が性格に与える影響について

調べるために、「違う環境で育った一卵性双生児

を60年間追跡した調査によると、違う環境で

育ったにもかかわらず、驚くほど性格が似通っていた」、

という報告がされたことがあるそうです。

これは、人間の性格を決める要素として、いかに

遺伝による影響が大きいか、を示すものです。

しかし、本当に人は変われないのでしょうか?


基本的な性格は変わらないとしても、世の中には、

「環境の変化に応じて態度を変える性格の人」は

数多く存在します。

つまり、五十を過ぎた場合、基本的な性格が

変わる人は稀であっても、「態度を変える性格を

持った人」はいくらでもいる、ということは実感として

誰もが感じているのではないでしょうか?


やはり、人は環境によっても変わるもんだと思います。

だから、誰もがより良い自分を目指して切磋琢磨

出来るのでしょう。




平成26年1月23日


 孔子は早くに父親を亡くして母子家庭で

育ったため、青春時代は生活のためにあらゆる

職業を経験したそうです。

そのこともあってか、富貴を求める人の気持ちを

否定はしなかったそうです。



・・・・・・足りないものがあれば、それを手に入れたく

なるのが人情です。

金に困らなくなるために財産が欲しい、そのために

はサラリーマンなら出世するのが一番と考えても

不思議ではありません。


そして大多数のサラリーマンは、実際は富貴には

至らぬまま一生を終わるわけですが、それでも老境に

入って振り返るとき私のような平凡な者でも、

“自分の人生もまんざらでは無かった”と思うようです。

だから、人は富貴にならなくても十分に幸せを得られる

のかもしれません。


平成26年1月22日


 定年退職後、多くのサラリーマンは、

“会社にはもう行けないし、家にも安閑

としていられない。だからといって、どこにも

替わりの居場所がない、行く場所が無い”

と悩むようです。



では、どんな「男の居場所」を確保できるのでしょうか?

手近なところでは、喫茶店があります。

私もよく行く駅前のドトールなどのコーヒーショップでは、

特に午前中はサラリーマンに混じってシニア世代を

アチコチに見かけます。

「新聞を広げる人、本を読む人、何か分からないけれど

テキストで勉強している人、そしてボーっと何か考え

込んでいる人」さまざまな姿を見かけます。


何の準備もしないで定年を迎えてしまった人の

「男の居場所」は、先ずは喫茶店が多いようです。

そしてもうひとつ、定年後に多くの人が一度は向かう先に、

図書館があります。

私もサラリーマン退職後、一時毎日のように

(電車に乗って)通った日比谷の都立図書館では、

昼間の新聞閲覧コーナーはオジサン族が占拠して

いましたし、閲覧室では、雑誌を抱えて居眠りする

シニアをよく見かけたものでした。


今も多分同じような光景が繰り広げられていることでしょう。


平成26年1月21日


 この間、随分久し振りに私の生まれ育ったところ

行って来ました。
私の実家は、今は、亡くなった兄の嫁さん一家が

住んでいるので、チョッと顔を出すのが億劫に

なっています。
でも、生まれ育ったところというのは、やはり懐かしい

ものです。


仕事とか人生とかでヒョッとつまずいたとき、やはり頭

に浮かんで来るのは幼い頃、自分が遊んだ場所の

風景とか母親の顔とかになります。

久し振りに訪れた故郷は、随分変っていました。
見慣れない建物とか店がある一方で、あったはずの

建物とか店が無くなっていました。
然し、町の大通りを貫いている道路は昔と同じような

たたずまいをしていました。

時が流れ、人は変わっても記憶の中にある風景は

懐かしいものです。


記憶の中にある風景を思い出しながら、とぼとぼと

ただ歩き続けた日でした。