人事労務日記~所長のつぶやき~ -255ページ目

人事労務日記~所長のつぶやき~

人事労務コンサルティング事務所を経営する所長が日々の業務について思うことを綴ってます。

平成27年2月6日


  今日は金曜日。

きっとあちこちの居酒屋でサラリーマンの飲み会が

開かれるでしょう。

そして、上司や会社の悪口を魚に話が弾む

ことでしょう。


 こんな俳句があります。
「秋鯖や上司罵るために酔ふ」
今も昔も、サラリーマンが飲む酒の目的は、大半が

会社や上司に対する不満を吐き出すためなのです。

その憂さをはらすためにビールでも焼酎でも熱燗でも

なんでも飲みます。

そして、散々に悪口を言って気を晴らします。

同僚が昇進したと聞かされたときは、更に酒が進み、

悪口にも心がこもります。


  散々に飲んで朦朧(もうろう)とした頭に、フッと

奥さんや子供の顔が浮び、一瞬ハッとするものの、

頭を振って、また苦い酒を一気に口に流し込むのです。

こんな方法で自分の心にけじめをつけて何とか
サラリーマンを続けているのです。


平成27年2月5日


 今日は雪がかなり降りそうです。

前の雪が降った日はどうしただろうか?

もうきれいに忘れました。

最近、物忘れが酷くなりました。

 

  私の場合、度忘れの中で、もっとも

頻繁に登場するのが「人の名前」です。

会話の途中で急にその人のことに話が

及んでも、「どうしても名前が出てこない」

ということが珍しくなくなりました。


  “エーとあれだよ”など代名詞や人の特徴で

説明しようとすることが多くなりました。

たまたまその話題の主が、

会話の相手とも共通の知人であれば、それで

“あぁ、彼か”とお互いに名前を出さないまま

了解してしまうのです。


  でも、こんなことがたびたび起こると、

「俺も歳をとったなぁ!」と悲しくもなります。

平成27年2月3日


  最近、私は昔のことを思うことが

多くなりました。

あのときは良かったとか、あのときの

中華そばは美味しかったとかです。


  そして、過去を振り返るたびに改めて

思うのは、時間の経つ早さです。

過去は、甘美な思いとして脳に

インプットされている場面がある反面、

思い出す たびに心が後悔で痛むことも

少なくありません。


  私が過ぎ去った年月のアレコレを思うとき、

むしろ、後悔が先に立ってしまうことが多いのが

残念です。

でも、過去にさまざまなことを経験し、たくさんの

思い出を持っている人ほど、気分転換の仕方が

うまく、何事にも挫けずに立ち向かって行けるのかも

しれないと思ったりもしています。

平成27年2月2日


 これまでの自らの人生を振り返ってみたとき

「あの時こうすれば良かった」とか「あんなことを

しなければ良かった」などなど、後悔の一つや

二つは、誰もが持っていることでしょう。


  そして、「あの時に戻って、もう一度やり直したい」

との願望も併せて抱いていることでしょう。私みたいに、

もうとっくに人生の最終コーナーに入り、

「人生・諦観?」の域に達しているはずの者にも、

相変わらず日々の仕事や生活の中の、何気ない

瞬間に「あぁしまった!」ということをやってしまい、

あとで「後悔」することしばしばです。


  今、「あの時に戻ってやり直したい」と痛切に

思っている事は、中学2年の時に罹患した病気です。

あの時、あの病気にかかっていなかったら、または

早期に病院に行って、治療を受けていたら、

私の人生は全く別のものになっていたかもしれません。


平成27年1月31日


 私はサラリーマンを辞めてからもう10年以上

経ちますので、退職時の感慨などもうはるか

彼方“忘却の淵”に行ってしまいましたが、

私の友人も、第2、第3の職場も勤め上げ、

本格的なリタイア生活を迎えている人が

随分と多くなりました。


 そして実際にリタイア生活に入ってみて、

会社という「安定した居場所」を失うことが、

思っていた以上に大きな問題だと実感する人

も少なくないようです。


  何もすることもなく所在なげに家にズッと

いると気が滅入ってしまいます。

本人だけでなく奥さんも、旦那が四六時中

ズッと家にいることには息が詰まり、

どう扱ったらよいか戸惑ってしまいます。


  会社という安定した「行く場所」が無くなると、

多くのリタイア族は、朝起きたら先ず“今日は

どこに行ったらよいだろうか”という問題に

悩むようです。

だから、

「男の居場所」が、とても大切になるのですね。



平成27年1月30日


 高度成長期の成功体験がリセットされないまま

日本は、21世紀に突入してしまったようです。

だから、デフレ地獄から抜け出せない中で、

企業の中には「昔の成功体験を忘れられず」

悶々としている経営者も少なくないようです。


  「昔の成功体験を忘れられない」という現象は、

サラリーマン個々の定年後人生でも起こります。


仕事や会社中心の人生を送ってきた人ほど、定年後

をどのように過ごすかが大きな課題となります。 


 会社や組織を背負って来た人ほど、ひとりの個人として

生きていくことに戸惑いが出るようです。

例えば、定年後の「肩書き」です。「よくある」と言われて

いるのが、定年後の一寸した集会でも“私は、

○○会社の○○部長をやっていました”と

自己紹介する例です。

 

 どうしても現役時代の栄光が忘れられないことと

「定年後の自分の肩書き」をきちんと見出せない

ことから、こう言ってしまうのでしょう(私のように

サラリーマン時代に大した肩書きが無かった人は、

昔の「肩書き」には余り執着しないのですが・・・・)。


平成27年1月29日


 銀行を舞台にしたテレビドラマの「倍返し」という

半沢直樹の決めゼリフが、日頃「やられても

やり返せない」で鬱憤が溜まっているサラリーマン

にはとても痛快にみえ、今でも使われているそうです。

中には「倍返し」という言葉だけを悪用というか、

あまりにもアホ過ぎる誤用をしている人もいるそうです。

  某誌によると、「先日、都内の中堅商社で、

冷凍食品の販売納期を間違えた社員が、上司から

その間違いを指摘されるや“あなたがチェックしないからだ”

と反論し、まるで自分が正論でも吐いているかのような

態度で、部下の手柄は上司のもの。上司の失敗は

部下の責任”と捨て台詞を吐いてその場を去った。」

のだそうです。

  これは余りにもトホホなダメ社員の例ですが、

よく考えるとこういうダメ社員は「“倍返し”気取りの

今どきの若いもん」に限らず、昔からサラリーマン社会

には多かれ少なかれ居たのもしれません。



平成27年1月28日


  60歳(サラリーマンの定年)からの平均余命は、

男性が22.8年、女性が28.3年だそうです。

したがって、現在では、定年は「人生80年」の4分の3弱を

経た通過点に過ぎなくなっています。

だから、人生の最終コーナーを気持ち穏やかに過ごし、

“いい人生だった”と満足感に浸ってレースを終れる

ためには、定年後の生活を「いかに健康で、いかに

充実させて」過ごせるかにかかっていると言える

のかもしれません。


  現役時代は、ゴルフに、マージャンにと余暇を

楽しんだ人も、定年後は、「ゴルフは、飛距離が落ち、

面白くないので止めた」、「マージャンは、4人揃わない

ので、この頃はやっていない」と余暇を楽しむ機会が

無くなってしまいます。


 そこで、「何か新しい趣味を見つけなくては・・・」と

一念発起して探します。多くの人は、手頃なところで

カルチャーセンターや大学の聴講生など知的好奇心を

くすぐる趣味の利用を先ず考えるようです。


  でも、暫くすると趣味にも飽いてきて、時間を持て余す

人も少なくないようです。

やはり、何か仕事をした方が性に合うのかも知れません。


平成27年1月27日


 「老後」という言葉があります。

よく考えてみると、何とも理解し難い言葉です。
サラリーマンが、定年間近になると話題にする

「老後をどう過ごそうか?」というときの老後は、

定年後のことを言っているようです。

  あるテレビ番組の中で、九十歳半ばをゆうに

越えたお婆さんが、野良仕事に精を出しながら

亡夫の遺族年金や息子から貰うお小遣いを、

せっせと貯金しているので、リポーターが

“お婆さん、そんなにお金を貯めてどうするんですか?”

と聞いたら、“老後の為です”と答えていました。

世間的には既に十分に「老後」と思われるこの

お婆さんの言う「老後」とは、一体いつのことを

言っているのでしょうか?


  九十歳台後半で、もう十分に老いている人の

考える「老後」とは、やはり働けなくなってから後の

ことなのかもしれません。働いているうちは、

幾つになっても、まだまだ「老後」ではないのでしょう。

平成27年1月26日


  日本の多くの企業は、デフレ地獄から

抜け出せない中で「昔の成功体験を忘れられず」、

抜本的な企業体質の改革を行えていないと言われます。


  「昔の成功体験を忘れられない」という現象は、

サラリーマンの定年後人生でも起こります。仕事や

会社中心の人生を送ってきた人ほど、定年後をどの

ように過ごすかが大きな課題となります。


  会社や組織を背負って来た人ほど、ひとりの個人

として生きていくことに戸惑いが出るようです。

例えば、定年後の「肩書き」です。「よくある」と

言われているのが、定年後の一寸した集会でも

“私は、元○○会社の○○部長をやっていました”と

自己紹介する例です。


 どうしても現役時代の栄光が忘れられないことと

「定年後の自分の肩書き」をきちんと見出せないことから、

こう言ってしまうのでしょう(私のようにサラリーマン時代に

大した肩書きが無かった人は、昔の「肩書き」には余り

執着しないのですが・・・・)。