人事労務日記~所長のつぶやき~ -254ページ目

人事労務日記~所長のつぶやき~

人事労務コンサルティング事務所を経営する所長が日々の業務について思うことを綴ってます。

平成27年2月19日


 物事の進行は真っ直ぐに進まず,必ず

紆余曲折があります。

こっちに行こうとしたが,思い直してあっちに

行くことがあるからです。

当初は見えていなかったものの中に、物事が

段々と進むうちにボンヤリと浮かび上がり、

そして段々とハッキリと見えてくるものがある

からです。


 人の考えられる範囲は、その人がそれまで

生きてきた経験とか常識とかいうものに縛られ、

限られてしまいますが、

人の回りの状況はそんなものに縛られず、あるがままに

刻一刻と変化してしまいます。


  人は夜道を、常識という提灯を持って歩いて

いるようなものです。提灯の灯りでは、周りが

ボンヤリして良く見えない事も多いのです。そして

物事を進めてみて、自分が当初思っていた通りに

行かないのは,どうにもならない外部要素の変化が

絡んでいることに気が付く場合も少なくありません。

そんなときは、外部の変化に合わせて自分の方が

変わらなければそれ以上は進めません。


  だから,物事を進めるほどに、人は時折紆余曲折

せざるを得ないのです。


平成27年2月18日


  『他人の不幸は蜜の味』という言葉が

あります。

人が他人の不幸を蜜の味だと考えるのは、

常に自分の幸不幸を他人との比較によって

確認しているためだと思います。


 自分だけをみて自分が幸福だと判断するほど

自信のある人はそう多くはないということでしょうか。

『他人の幸せ』はうらやましくて癪にさわるけれど

、『他人の不幸』は“自分はあの人より幸せだ”

という優越感を味わえるということでしょうか。

  だから、私みたいに裏道専門で、俺は

こんなもん”といつも思って過ごしてきた人の方が、


『他人の不幸』を心待ちにしないだけ、心穏やかに

老いていけるのかもしれません。


平成27年2月17日


  年を取ると「物忘れ」が酷くなると

いわれますが、私もそれを実感しています。

私の場合、「度忘れ」することが多いのは、

人の名前は勿論、会社の名前、駅の名前

などなどの固有名詞です。


  ついこの間も、取引先へ出かけたとき、

いつも乗り換える「駅」の名前がどうしても出て

来ませんでした。

オフィスを出た後、最寄りの駅に向かいながら、

ずっと“乗換駅の名前はなんだっけ?“と考えて

いました。


  ところが、いくら考えても出てこない。駅の様子や、

何駅目で乗り換えるかなどは、よーく知っているのに、

名前だけが出てこない。そして、しばらく経ってから

“そうだ「○○○駅」だった”とやっと思い出したのです。


実に非効率な頭になったものです。

 


平成27年2月16日


 ひとには、みんな懐かしい「想い出」があります。
「生まれ育った郷里・・・・、懐かしの新婚旅行・・・、

みんなで行った家族旅行・・・・。」などなど、

折に触れ、甘酸っぱく、そして切なく想い出します。
そして時々、無性に「あの場所に、もう一度行ってみたい!」

と思うのです。

  まさに「“ふるさと”は、ひとの心のよりどころ」です。

私も、毎日まいにちの慌しい生活の中でちょっと疲れたときや、

ムシャクシャしたときなど、ひょんと“ふるさと”のことが頭に

浮かぶことがあります。


 そして、

その頭の”ふるさと”には、いつもニコニコ笑っている子供の

頃の母親が居ます・・・・

そのとき、いつも思います。

「そのうち行ってみようかなぁ!」と。


平成27年2月14日


  私は、テレビ好きで夕食時にはテレビを見ながら、

一杯やっています。

中でも、政治討論番組が好きで議論が白熱すると

一瞬飲むのを忘れて聞入ったりします。



  しかし討論中には、必ず双方の言葉が噛み

合わない場面が出てきます。

質問する論者と答弁する論者の言葉がキャッチボール

されないのです。

質問者がイエスかノーかを問いかけているのに,

答弁する側はそれには直接答えず,その質問に

関連する周辺状況の説明に終始するのです。


  攻めと守りの立場は分かるのですが,テレビの

後には私のような沢山の庶民がその討論を見ています。

テレビ画面の後に居るこのようなモノ言わない庶民を念

頭に、明快で誰にでも分かるような堂々とした議論を

期待したいものです。


平成27年2月13日


  私の友人の某氏は、定年を迎えるとき“3つの

不安”があったそうです。

“ひとつ目は、毎朝決まった時間に起きて会社に行くと

いう規則正しい生活が無くなるので、「生活のリズムが

作れるかどうか」ということ。

 二つ目は、幾ら好きなことに打ち込める時間がある
とはいっても、「趣味だけの生活は退屈で、やがて

飽きてしまうのではないか」という懸念
 そして三つ目は、やはり社会の中で働いていないと、
「時代や時流に乗り遅れて
しまうのではないか」という漠然たる不安”だったそうです。


そして、何よりショックを受けたのは、定年後はずっと


一緒に生活するはずの奥さんからの“定年後は何をするの?”

との問いかけだったそうです。


 実際、多くの人が「定年後になにをするか」で悪戦苦闘

しているのです。

長生きが当たり前になった昨今では、なおさら厳しい命題

となったようです。

平成27年2月12日


  随分昔に読んだ本に、「物事には表と裏がある」

の例えとして次のような言葉がありました。

・「喜びと哀しみはいつも一緒にやってくる」
・「かつては喜びであったことに、今は涙を流している」


 これらは、平易な例えではありますが、「物事には

全て表があれば裏がある」ということを言っているのでしょう。

コインに表と裏があるように、人生にも表と裏があります。

  もっとも私は、華やかな表の人生を余り経験せずに、

専ら裏道をとぼとぼと歩いてきましたので、そんなには

表と裏の実像に差はありません。

そして、“まぁ、俺はこんなもん”といつも思って過ごして

きましたので、境遇の変化にもあまり動じません。


 現役のころ、華やかであった人ほど退職後の境遇の

変化にたじろいでいるようです。

平成27年2月11日


 日本経済がなかなか過去の最盛期

越えられないのは、経営者が昔(高度成長期)の

成功体験を忘れられず、抜本的な体質改善が

行われないからと言われます。


 「昔の成功体験を忘れられない」という現象は、

サラリーマン個々の定年後人生でも起こります。

仕事や会社中心の人生を送ってきた人ほど、

定年後をどのように過ごすかが大きな課題となります。

会社や組織を背負って来た人ほど、ひとりの個人

として生きていくことに戸惑いが出るようです。

 例えば、定年後の「肩書き」です。「よくある」と

言われているのが、定年後の一寸した集会でも

“私は、元○○会社の○○部長をやっていました”

と自己紹介する例です。どうしても現役時代の

栄光が忘れられないことと「定年後の自分の肩書き」

をきちんと見出せないことから、こう言ってしまうのでしょう。


人は自己を変えるのは、なかなか難しいようです。



平成27年2月10日

 

  最近、記憶力がメッキリ衰えてしまったことを実感しています。

いや、正確に表現すれば、

「記憶する」というよりも「思い出す」という能力に大分

劣化現象が生じて来ているようなのです。


  “たった今まで掛けていたメガネの置き場所を忘れる”、とか、

“あることをしようとリビングに行ったらリビングに着いた時に

その用事が何であったのか忘れてしまった”、などなどのことが

日常茶飯事的に起きるのです。


 その度にイライラして、自分の老化に八当たりりしています。

「困ったもんだ」


平成27年2月7日


 「縁は異なもの味なもの」という言葉もありますが、

誠に変幻自在な縁の有り様は、生きていく上で

何度も経験させられます。


 長いサラリーマン生活をしている中では、縁を切るか

深めるか、そんな局面に立つ場合もあります。

私も昔、サラリーマン時代に仕事上のことで、

一度ならずに同一人物から口汚く怒鳴られたことが

あります。

その際、その人とは「金輪際2度と会うまい」と思い、

心の中で縁切りしたことがありました。


  その後噂は他の人から聞く事がありましたが、

果たしてその人とは2度とお目にかからずにもう

数十年が経ってしまいました。


 縁とは異なものであると同時にしつこい心の葛藤を

反映する場合もあるようです。