人事労務日記~所長のつぶやき~ -164ページ目

人事労務日記~所長のつぶやき~

人事労務コンサルティング事務所を経営する所長が日々の業務について思うことを綴ってます。

令和元年7月8日

 

 

  私は、定年前に退職しましたが、退職後暫くは、

何もやる事がなくて、随分困った経験を持っています。

仕方が無いから、暫くは図書館通いをしましたが、

長くは続きませんでした

定職がないときの暇つぶしは、

「何か個人的な趣味を持っている人」が、強いようです。

 

  でも、何も趣味を持っていなかった人が、

「定年後に初めて趣味を作る」というのも結構キツイだろうと

思います。だから、サラリーマン人生も「そこそこの到達点」が

見えたら、定年前に早めに趣味を作っておくのも、長い

人生を和やかに過ごすためには、必要なのかもしれません。

 

令和元年7月6日

 

  私が現役サラリーマン時代、「毎日出社はして来るけれど、

会社では特に熱心に仕事をするわけでもなく、机の上に白紙の

メモ用紙を置いているだけで、文章を書くでもなくダラダラと時間を

過ごし、終業時間になるとサッと帰ってしまう」という先輩社員がいました。
所謂「窓際族」です。

 

  窓際族という言葉が生まれたのは、高度経済成長期が終わりを

告げた1970年代後半だと言われています。

窓際族の「窓際」は、「出世コースから外れて、窓際に追いやられた」

という意味から来ているそうです。

 

  当時はこのような窓際族の定義を知って、“もしかして俺も窓際族?”

とゾッとしたり、“いやいや自分は違う”と慌ててその気持ちを否定した人も

いたようです。

 

令和元年7月5日

 

  昔から「権力の老害」といえば、会社のオーナー社長の

ような「死ぬまで権力を手放しそうにないジイサンたち」のこと

を言っていました。

 

  また「職場の老害」といえば、「時代遅れの価値観を

若い世代に押しつけてくるオジサンたち」のことだったように思います。

しかし、それが最近、日本の職場のあちこちで「30代にして早くも

老害!」的な社員が激増しているそうです。

 

  彼らは同僚にすでに差をつけられ、20代社員からも追い抜かれる

一方で、新人や若手社員を相手に、日々、本質からズレまくった

説教やアドバイスをして周囲を疲れさせていると指摘されています。

 

令和元年7月4日

 

  2か月ほど前、初老の紳士がキレている現場に遭遇しました。

先日、昼食をとろうと池袋のデパート内のちょっと高級そうな

和食店に入り、何を食べるかメニューを眺めているとき、

ついさっきまで店員と穏やかに会話していた初老男性が

いきなり大声でキレはじめたのです。

 

  どうも前回食べた料理が、今回はメニューに無いことに腹を

立てたようでした。

ひと悶着のあと、私の注文を聞くために来たその店員に興味津々

だった私は、“大変ですね、ああいう人多いの?”と尋ねてみたら“

最近増えてんですよね。少なくとも二日にお一人ぐらいは……

という答えが返ってきました。予想外の多さに、私もえらくびっくり

したのを覚えています。

 

「恐るべし、キレる中高年?」…

 

令和元年7月3日

 

  随分昔に読んだ本に、「物事には表と裏がある」の例えとして

次のような言葉がありました。

・「喜びと哀しみはいつも一緒にやってくる」
・「かつてはあなたを悲しませていたものが今は、喜びになっている」
・「かつては喜びであったことに、今は涙を流している」
・「捨て去りたいほどの、煩わしさは、背負い込まされたものではなく、

  自らが選択したものだ」

 これらは、平易な例えではありますが、「物事には全て表があれば

裏がある」ということを適格に表していると思います。

 

 勿論、私にも嬉しいことと辛いことが連れ立って来たことが

あります。その夜寝るときは、嬉しいことを思い出して寝るように

しましたが・・・・・。

令和元年7月2日

 

  作家の童門冬二さんが執筆された「サラリーマン生態学」の中で、大変興味

深い話があります。
 「Qさんは万年課長だ。人事異動期になると、獅子奮迅の活躍をする。

自分ではなく部下の売り込みだ。そのセリフが、『オレのような無能課長を

支えてきた有能社員だ。ぜひ昇進させてやってくれ』というキマリ文句。
けっこうQさんの主張は通る。
そのため、『社で出世するなら、まずQさんの部下になれ』というような

冗談が半分本気でささやかれている。」
 
 上記のような話ですが、特に現在サラリーマンの方なら、いや既に

引退されている方、退社された方等々も、「なるほど」と身に覚えのある方が

多いのではないでしょうか?
 

 

令和元年7月1日

 

  「人生は所詮ギャンブル」という説には、一部に根強い支持

があるようです。

確かに受験も就職も、その他人生の重要な節目には、

二者択一の選択を求められることがあります。散々迷ったりしますが、

最後はどちらかを選びます。そして、決断した後で大体は、

“やっぱりあっちの方が良かったかな?”と後悔します。

 

  究極の選択(ギャンブル?)は「結婚」かもしれませんが、普通は

結婚後、直ぐには選択を間違えたとは口が裂けても言えないので、

お互いにおくびにも出しません。

そして精一杯「この結婚は正解だった」と思い込もうとします。

でも、心の奥底には段々と相手への不満が積み重なってきている

かもしれません。

 

  普通はこんな不満が積み重なっても、結婚生活そのものを

清算しようとまでは思い至らないのでしょうが、我慢に我慢を

重ねていると何かを切っ掛けにぽっきりと心が折れてしまうことも

あるようです。

 

 

令和元年6月28日

 

 年齢を重ねてくると身体には色々と不都合なことが

起きてきます。

特に最近は、頭の反乱が目立つようになりました。

昔の友人と久しぶりに会って一杯やっているとき、

サラリーマン時代の同期入社社員の噂話になって

“ほら、アレ、アレ。ちょっと小太りで眼鏡かけていた人。

名前は何て言ったっけな、アノ人どうしてる?……”、

“もしかして○〇のことかな?”。“そうそう○〇、そうだ

○〇だったね。”。

 

  なんて調子で、ここのところ、私は会話をしている最中に、

人の名前が一向に出てこなくなりました。

その人の顔は、昔のままの姿で浮かんでくるのですが、

名前は一向に出てこない。こんなシーンにしょっちゅう

出くわすようになってしまいました。

 

令和元年6月27日

 

  他人の自慢話は、聞いている方には余り面白いもの

ではありません。しかし、話している方は自慢話に夢中となって、

大抵他人の迷惑にまで考えが及ぶことはありません。

 

  そして、そんな自慢話を得意としているのが「中高年」

だと言われているのです。

たしかに、私が未だ若手の頃にも、飲み会などで当時の

「中高年」上役からさんざん自慢話を聞かされたものです。

 

  “なるほどなるほど”、“すごいですねー”などと相槌を

打ち乍らの酒は美味いはずもなく、飲み会が終わって

自宅に帰る頃にはぐったりとしたもんでした。

 

  しかし、話した当人は、当然ながら満足げにドヤ顔を

していました。

 

令和元年6月26日

 

  学校の先生たちの研修会で議論されるものに、

次のような例話があるそうです。

「蜘蛛の巣に蝶がかかっていたので、可哀想に思った幼稚園

の先生はその蝶を逃がしてやりました。


それを見ていた園児の一人が食ってかかってきて、

“先生!そんなことをしたら、蜘蛛がかわいそうじゃないか?!”

と叫びました。

 先生は一瞬、“いやなことを言う子だ”と思いましたが、

よくよく考えてみたら、

“その子の言うことにも一理ある。せっかくの餌を逃がされて

蜘蛛は腹をすかせたに違いない”。

だとすれば、“自分は蝶を助けて、蜘蛛を虐めたことになるので

はないか”とも思ったからです。」