白衣を着ない医者だった。
サスペンダーが好きな医者だった。
ざっくばらんな医者だった。
小児科医の毛利子来(たねき)さんが、先月26日亡くなった。
享年87。この世でも自由人だったが、束縛のないあの世では、
ますます自由を謳歌していることだろう。
子来を「たねき」とは読んでもらえないので、自ら「たぬき先生」と称していた。子来~子どもが来る~小児科医になるべくしてなった名前だ。
京都市の昼間里親制度発足五十周年の記念行事に招かれ
対談したことがある。2000年10月1日のことだ。
このとき、「病気になったほうがいい」「けがをしたほうがいい」と公言してはばからなかった。病気をすれば免疫力もつくし、この程度なら大丈夫という判断力もつく。怪我をしたら次に同じ怪我をしない術も覚えるというのだ。
小児科医なのに、インフルエンザワクチン接種を奨励しなかった。
型にはまった医療や育児に疑問を投げかけ続けた。
大人にも子どもにも境界線はいらない持たないという考えの人だった。
自らにも境目はないと思っていた。
赤ん坊みたいな気持ちになって人に甘えてみたり、ワガママ言ったり、いたずらしたり、青年の客気にかられて喧嘩したり、世の中に文句を言ったりする。女性的要素があって、少女のような恥じらいもあった。老人の達観もあれば、中年の嫌らしさもあって、いろんな年齢や性別をワープして生きている。制度上の年齢でなく、実際の気分としては赤ん坊から年寄りまでいろんな年代の気分を毎日くるくる変えて生きている。そんな愛すべき人だった。