こんにちは、メンタル歯科医の松谷です。

こちらにて感動・健康・美」を届けています。

 

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今年のお盆休みは、山口県萩を訪れていました。

目的は2つ。

1,遠く離れた父との旅行

2,吉田松陰先生のゆかりの地を訪れ、お盆にお墓参りなど、

所以がある場所をまわる

 

 

今回は、何回かに分け

吉田松陰先生の歴史や心理学的な側面からも

自分の行動と人生について触れていきます。

 

 

 

ここで旅行について

あなたは旅行に行くときの判断をどうしているでしょうか?

 

旅行はある意味、その土地とのご縁により導かれます。

無性に見たくなる風景、行かないと落ち着かない場所、

毎年訪れると安心できる感覚。

 

それこそが、まさに自分の直感です。

正しい直感を受け取るには幾つかの法則があります。

(詳しくは別の記事で)

 

 

しかし、その直感が鈍くなり

情報の荒波の中、近くに来た流木を必死につかんでしまう。

そのような状態になっている方が多いと感じています。

 

そうです。それは少し前、いや未だにその状況下から

抜け出せないでいる私自身のように。

 

ですから、今回の旅行は父との時間、

吉田松陰先生の生きてきた土地に集中しようと思いました。

 

 

恥かしながら、私は萩焼きが

吉田松陰先生の土地と密接に関係していたことを

実際に訪れるまで知りませんでした。

(萩焼についても後日紹介します)

 

 

 

 

皆さまも知っての通り、吉田松陰先生は日本でも

尊敬する人物として名があがる方です。

 

 

明治維新を起こした人物の多くは

吉田松陰先生はたった2年だけ開いていた

松下村塾の生徒さんです。

 

 

萩市はとてつもない場所でした!!

至る所に、日本の総理大臣のご自宅がありました。

(こちらも後ほど)

 

 

 

吉田松陰とは?

 

幕末動乱の時代に生を受け、「至誠」を貫き通し

勇敢に行動した人物画吉田松陰です。


松下村塾で多くの志士を育て

松陰は29歳という若さで亡くなりますが、

その“志”は塾生たちに受け継がれ、明治維新の原動力となりました。

「至誠而不動者未之有也」
(至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり)

松陰の短くも激しい生涯を振り返っています。

 

 

 

萩市松本村に生まれ、兵学師範の吉田家を継ぐ

松陰は、萩藩士の杉百合之助(ゆりのすけ)の次男として生まれました。

5歳の時に藩の兵学師範を代々つとめていた吉田家の仮養子となりましたが、6歳のときに養父が急逝。

 

 

松陰は吉田家を継ぎ、山鹿流兵学師範となるべく

叔父である玉木文之進の厳しい指導を受けました。

兵学と修業し、わずか11歳でお殿様に午前講義をし

大変、感心されたということです。

 

 

つづく・・・

 

 

 

 

 

 

今、この瞬間から変わるヒントを書いています!

 

 

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