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One of 泡沫書評ブログ

世の中にいったいいくつの書評ブログがあるのでしょうか。
すでに多くの方が書いているにもかかわらず、なぜ書評を続けるのか。
それは、クダラナイ内容でも、自分の言葉で書くことに意味があると思うからです。

よつばと! 10 (電撃コミックス)/あずま きよひこ

¥630
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ビジネス街の本屋でもレジ前に専用カートが用意され、平積みされていた。もはや「知る人ぞ知る」というレベルではなくなった、押しも押されぬ超ドル箱漫画である。たしかに売れるだけはある良い漫画なので、未読の方はぜひ、読んでみてほしい漫画だ。

『よつばと!』については、以前、少しばかり評論を書いてみたことがあるが、手前味噌ながら意外にいいとこ衝いてたんじゃなかろうかと思うw どこがどう「いいとこを衝いた」のかというと、昔の書評はだらだら長くて読むのがめんどくさいので、自慢したいところを引用してみると…

「とーちゃんを中心とした、風香とあさぎ・ジャンボを交えた、甘いようで性的な恋愛に発展する可能性を秘めた萌えを感じる」

(中略)

「とーちゃんと風香を中心とした文脈というのが、『よつばと!』の本質的なヒットの原因なのではないか」


そうなのだ。図らずもわたしは、3年前にこんなくだらない妄想をしていたのだが、意外に風香ととーちゃんは本当にくっついしまうのではないか。10巻には少なくともそれをほのめかす描写が散見されるではないか。(わたしの妄想が病的になっているだけともいう)

しかし、この『よつばと!』の作風において、主役級の男女がそういう関係に発展することは大変によろしくない。『ああっ女神さまっ』などもそうなのだが、連載が続いて行くうちに、いわゆる「男女の関係」にることが作風としてタブーになってしまう、そんな雰囲気がうまれてしまうのはよくあることだ。これは漫画家の癖なのかもしれないが、わたしの観測では「日常系」の漫画はシナリオの進行上、くっついてしまうと都合が悪いという脚本上の制約を感じることがままあるように思う。(『ラブやん』などもその一種であろう。今更カズフサとラブやんをくっつけるわけにもいかないであろう) 試しにとーちゃんと風香がくっついてしまうところを想像してみるといい。そうなるともう『よつばと!』を完結させるしかないのは、ファンなら先刻承知であろう。

ということで、非常にストーリの進行上不安な感じになってきているわけであるが、せっかくなので悪乗りついでにもう一つ予言をしてみたい。わたしの予想では、おそらくこの恋愛モードシナリオのカギを握るのは「ヤンダ」である。

などと、くだらないことを書いているうちに、わたしの娘もそのうち、よつばと同じ歳になるわけだ。そう考えると、いつまでもこんな妄想をしていていいのか、考えてしまうことがある。
君の会社は五年後あるか? 最も優秀な人材が興奮する組織とは (角川oneテーマ21)/牧野 正幸

¥760
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「働きがいのある会社」ランキングというのがある。Great Place to Work Institute Japanという組織が毎年独自にサーベイしているもので、5つの軸で企業を評価し評点をつけるというものだそうだ。名付けてGPTWモデルというらしいが、この5つの軸とは、サイトによれば以下の評価軸のことを指す:

Credibility(信用)
Respect(尊敬)
Fairness(公正)
Pride(誇り)
Camaraderie(連帯感)

端的にいえば「従業員が会社や経営者・管理者を信頼し、自分の行っている仕事に誇りを持ち、一緒に働いている人たちと連帯感が持てる場所」ということで、ここでランクされるということは、相当すばらしい企業体だということである。2010年のランキングでは、モルガンスタンレーやマイクロソフトなどの「常連」を抑え、見事トップを獲ったのが、WORKS APPLICATIONというERPパッケージを製造・販売する純国産IT企業だ。本書は、この会社をゼロから創り上げたという創業者であり、CEOでもある牧野氏の書いた組織論である。

わたしが初めて牧野氏のことを知ったのは日経ビジネスのこちらの記事。そのときはもちろんWORKS APPLICATIONなどというERPパッケージの会社は知らなかったし、牧野氏のことも「なんか渋い経営者だな」くらいにしか思っていなかった。だがそれでもすばらしい会社であることはわかる。というのも、ERPという非常に難しい領域、しかも日本企業の多くは「既存業務をパッケージに合わせる」ではなく、「パッケージを現行業務にカスタマイズする」という方針が根強い。要するにオーダーメイドで、非常に細かいところまでビジネスプロセスをギチギチに詰めないと納得しない会社が多いため、こうした基幹業務システムにおいて国産パッケージのシェアを伸ばすというのは並大抵の難しさではないからだ。

わたしは会社を経営したことがないので、ただの感想でしかないが、こうした国内の商習慣を踏まえたうえで、成功している例はなかなか少ないのではないだろうか。よくある米国追従型とは少し違う、あくまでの日本のベンチャーとして、日本人の創った日本企業としてのハイパフォーマンス企業の一例として特筆大書されるべきかもしれない。活字だけ追うと、やや宗教じみているという気がしないでもないが、そこで働く人たちが高い評価をしており、かつ成長を続けているというのは企業として素晴らしいことだ。これも、経営者である牧野氏のブレない企業理念と、継続する情熱のなせるわざだろう。

傍観者として無責任なことを言わせてもらえば、WORKS APPLICATIONの今後の課題は「後継者」をどう育てていくか、だと思う。「創業から守勢へ(C)貞観政要」は永遠のテーマだろう。といっても牧野氏はまだ40代。まだまだその悩みを抱えるのは当分先のことだろうが・・・。

ちなみに本書のエッセンスは前述の日経ビジネスの記事で読める。「時間対効果(C)ホリエモン」を優先する人は本書を読まずに日経ビジネスの記事で済ませてもよいかもしれないw
君がオヤジになる前に/堀江 貴文

¥1,260
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悔しいことにTwitterのRTマーケティングでまんまと乗せられてしまった。ホリエモンの本は「時間対効果」を最優先に設計されているため、価格の割に字数が少ない。だいたい1時間くらいで読み切ってしまうので非常に損した気分になるわけだ。ホリエモンは「1200円くらいけちるような奴は成功しない。時間の使い方がしょぼい」と一蹴するだろうが、はっきり言って本屋で読み切ってしまうのがいいかもしれない。(まあわたしはちゃんと買ったのでわたしは批判されないがw)

また、なんらかのホリエモン本を一冊買ったとか、あるいはメルマガ(わたしは購読していないが)などの読者も読まなくていいだろう。かれの性格や人格をどこかで読んだり、見たり聞いたりしたことがあれば、本書を読んでもとくに情報は増えない。かれが超合理的思考の持ち主で、突き抜けた思考ができる”超人”であることはもはや自明だろう。それが言葉を変えて繰り返されているだけだ。

ただ一点だけこれまでと少し違うニュアンスが感じ取れた。それは、「孤独」に対するかれの「迷い」である。

ホリエモンは自らの才覚のみを恃み、遅い人間や出来の悪い人間を徹底的に切り捨ててここまで来た。それには妻子も含まれる。わたしなどはそこまで突き抜けられるのは素直に”凄い”と思うのだが、だからと言っていますぐかれを見習って、離婚して子供を捨てるというようなことはしない。普通に家族といるのが幸せだからだ。だが、かれにはこの感覚が理解できないらしい。なぜ自分より足の遅い奴に歩調を合わせる必要があるのか、飽きないのか? それは本当に自分の望んだことなのか? と。ここまでは今まで通りだ。かれが批判されるその一番の原因はこのあたりの「情」に関することが根っこにある。日本人的にはそういう超合理主義的な生き方というのは生理的に受け付けないものなのだろう。だからホリエモンは嫌われていたのだろうが、逆にそれこそがホリエモンの強さの源泉でもあった。わたしを含む若い世代が支持するのもこのあたりの「ギラギラ感」故だろう。あの若かりし頃の松本人志をほうふつとさせる、傲慢なほどの自分の欲望に忠実なあり方。オピニオンリーダとしての風格を十二分に備えていた。

だが、本書では、ホリエモンに迷いがあったように思う。結論こそ変わらないものの、行間からにじみ出る迷いは隠せない・・・と思うのだが、まあこれはわたしの深読みのしすぎだと思うのでめいめいで確認してみてください。しかし、それにしても思い出すのはあの松っちゃんですら不惑を過ぎて「日和った」事実である。人間、年には勝てないのか・・・とわたしなどは思ったわけだが、かくいうホリエモンももう38歳であり、いつまであのスタイルで行ってくれるのか、外野としては非常に興味深い問題である。
創るセンス 工作の思考 (集英社新書 531C)/森 博嗣

¥735
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前回『自由をつくる 自在に生きる』の書評をした際に、これでもう森博嗣については語らないぞと思っていたのだが、その決意もむなしくつい買ってしまった。これはもうドツボにハマっているという状況だろう。こうしてまた、森氏の口座にチャリンチャリンと信者のお布施が振り込まれていくわけである。きっとレールの材料費の一部にでもなるのだろう。結構なことだ。以前私は『S&Mシリーズ』という一連の作品(短編含めて12冊くらいだったと思うが)を、一度新刊で買い、古本屋で売りさばいたのちに、もう一度新刊で買いなおしたという経緯がある。それくらいお布施をしている頭の弱い在家の信者なのである。(それ以外のシリーズは悔しいのでまったく読んでいないが)

ところで本書にしろ『自由をつくる 自在に生きる』にせよ、これはいったいなんのジャンルなのだろうか。森ファンなら本にいちいちジャンルなんか要らないさ、というかもしれない。ジャンルなどという本質的でない分類などに踊らされているようではものごとの本質は見えない。良い本は良い本、それでいいじゃないか、と。

だがわたしは断言しよう。これは「自己啓発」の本である。誰が何と言おうと自己啓発そのものである(笑)。功成し遂げた天才といえども、やはり功成し遂げたがゆえに人生訓めいたことを書いておきたくなったのだろう。要するにさいきんの若い者は・・・というような話である。しかし世に数多ある「成功者の自慢話」「おじさんたちの訓示」みたいな本を想定されると、ちょっと違うような気もする。ひとことでいえば、「ものをつくる」という点を究極まで考えていく、かれ独自のその思考プロセスを開陳しているという本なのではないだろうか。

ここまで高みにくると一種の宗教的な香りすらしてくるが、森氏のような超合理的思考の持ち主の場合は「教祖」というより「求道者」というイメージの方が近い。うまく説明できているかどうかわからないが、とにかくそういう本である。
上杉隆の40字で答えなさい  ~きわめて非教科書的な「政治と社会の教科書」~/上杉 隆

¥1,155
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ツイッターで「~してみる私」「質問した」「わかった速報」などのふざけた(←褒め言葉)ツイートを連発する”タブーなき”ジャーナリスト、上杉隆氏が、ツイッター時代を反映して(?)140字どころか40字で社会を解説してみるという試み。ふだんテレビしか観ていないので、活字を追うのがシンドイという人たちには非常にオススメできる本である。もちろん、最近ツイッターばかりで長い文章を読むのがツライという「元」読書家の人たちにもオススメであるw

著者の簡潔な表現は面白いが、不遜を承知で言えば書いてあることは「メディア・リテラシ」という言葉を知っている人からすると常識の部類に入るものが多い。もちろん個別のトピックすべてを知悉しているなどと威張っているのではなく、要するにメディアは疑ってかかれという当たり前のことをエンターテイメントとして書いているわけだ。あとがきをみるとこうある。


さて、本書の読者が、日々接するニュースに少しでも疑問を持っていただくきっかけになれば、望外の喜びです。その先には必ずや「あぁ、こんなことでも洗脳されていたのか」という発見があるはずです。いま気づかなくてもいいのです。つねに健全な懐疑主義を忘れないでください。いつかわかれば―――。もちろん、筆者の書いた内容も含めて。


「筆者の書いた内容も含めて」というのが、健全なメディア・リテラシというものであろう。


あまりに短すぎて、しかも簡潔なので、簡単に要約されてネットにアップされてしまうのではないかと心配したが、初版からわずか15日で二刷目がかかっていることを知り、心配して損したと思う私。著者はツイッターによればゴルフ三昧(?)の楽しい毎日を送っているようで、うらやましい限りである。
デフレの正体 経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)/藻谷 浩介

¥760
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買って読み始めて、なんかどこかで見たことがあるなと思いながらページを繰っていたのだが、以前のエントリで書いたように、dankogaiが紹介していたのを断片的に読んでいたわけだ。わたしのしょぼいブログも備忘録くらいにはなるようだ。

本書のあたらしいところは、「絶対数」という視点で経済を論じているところだろう。その反動なのかどうか、「率」を持ちだすマクロ経済学をことさら敵視しており、随所で経済学者をdisるのが気になる。これについてはわれらが池田先生がすでに冷徹な評価を下していた。「こんな床屋政談はテレビのワイドショーだけにしてよ」と言わんばかりだw

ちなみに本書は講演を編集して書きおろしたというだけあって、文脈が散漫で、口語体で軽妙に語る形式であり、本を読み慣れていると逆に鼻につく。せっかくの内容なので、きちんと文語体で再編集してほしかった。(と言っても、マーケティング上、わざとそうしたのかもしれないが)


それにしてもこういう本を読んで思うのは、データを示されてもなかなかそれを検証することが難しいという事実だ。もちろんリテラシの高い個人は常に一次ソースに当たる癖がついているのだろうが、ほかに本業のあるわれわれのような俸給者が、ジャーナリストや学者と同じレベルでデータの検証をするのはなかなか難しいものがある。よく自分でデータに当たらないとダメだみたいな言説をみかけるが、自分の専門分野でもないところでそれをやるのは正直いって難しい。そういう意味で、経済理論は結局「誰を信じるか」、という問題なのかもしれない。
自由をつくる自在に生きる (集英社新書 520C)/森 博嗣

¥714
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本業(?)で功成し遂げた人が余技でちんたら書いた「エッセイ」を読むことほど情けないことはない。著者にとってこれはもう固定客が見込めるおいしい仕事で、別に読者をそれほど意識せずとも、買う層は端から「ファン」なのだから好き勝手書いてもまったく問題はないからだ。内容も普段から考えていることをちんたら書くだけでいいのだから時間もかからない(と思う)。売る方(編集者)も一定のロットが見込めるわけだから編集も楽だ(と思う)。

本書はそういう類の本である。氏を良く知る人であれば概ね「もうわかりきっている」内容であり、わざわざ700円出して求めるほどの内容はない。逆に氏を良く知らない人ならば、こんな本質的なことばかり書いてある本を読んでもさっぱり共感できないだろう。そういう意味でまことにニッチな本であると言えよう。


ご存じのように著者の森博嗣氏は第一回メフィスト賞を受賞し、一躍ベストセラ作家の座に躍り出た「元」名古屋大学工学部の学者である。趣味の模型製作のための資金を稼ぐために、割のいいアルバイトとして狙って書いた本がバカ売れしたという稀有な才能の持ち主だ(それまで小説を書いたことすらなかったのに)。ずいぶん稼いだので今では本業の学者も辞めてしまい、予定通り趣味に生きるという、まさに橘玲氏のいうところの「ファイナンシャルフリーダム」を手に入れたうらやましい御仁である。出す本出す本売れるくせに、「作家はあくまでアルバイト」と言ってはばからないその姿勢は、世の「作家志望」の貧乏人の羨望と嫉妬を一身に集めている。日垣隆氏と並んで、いつ暗殺されてもおかしくない「自由人」であるw

日常の業務を堅実にこなしつつも、将来の生き方を模索するという方には絶好のロールモデルとなろう。しかし一方で、日常に疲れたサラリーマンや、生きる道を見失っている学生などにはお勧めできない。あまりの「劇薬」ぶりが、逆におかしな方向に行きかねないからだ。本書は確かにひとつの「現代のロールモデル」を示すものだが、普段から現状に不満や不安しか持ってない人が読むと「俺の人生っていったいなんなんだろう・・・」と逆に価値観崩壊してしまうのでは(と思う)。


もしよければ合わせてこちらもどうぞ。

過去の書評 - 『小説家という職業』
タクティクスオウガ 運命の輪 特典 オリジナルタロットカード付き/スクウェア・エニックス

¥5,980
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ここのところまたしても仕事で激務に追われ体調を崩してしまった。昼飯も抜いて一日15時間以上ほとんど休みなく神経をすり減らし、土日も働きながら、たまに夜明けを会社で迎えたりしていれば、体調を崩さない方がおかしい。こういう働き方をしたところで生み出すものはたかが知れているのだが、これ以外の方法がわからない。よく海外の企業文化は素晴らしい、みたいな話を聞くが、本当のところどうなのかぜひとも知りたいものだ。一説によれば、海外では顧客も「お互い様」ということで、理不尽な要求をせず、こうした殺人的なスケジュールにならないのだという。わたしはドメ企業でしか働いたことがないので、これらの風説の真偽のほどはわからないが、これがもし事実だとすれば、万難を排して海外に移住したい…

と、常々思ってはいるのだが、日本にはこのような素晴らしいゲーム文化があるので、なかなか国を棄てる気になれないw ということで今日ご紹介したいのは11月11日に発売される「Tactics Ogre 運命の輪」である。

オッサンには先刻ご承知のように、本作は今から15年前の1995年に、今はなき「Quest」が発表したスーパーファミコン用ソフトのリメイクである。『タクティクスオウガ』は、『伝説のオウガバトル』などをはじめとする、一連の『オウガバトルシリーズ』の中でも最高傑作と名高い作品で、いわゆる「シミュレーションRPG」というジャンルのエポック的なタイトルである。

まあ辞書的な評判はWikipediaでも見ていただくとして、「またリメイクかよ」「またスクエニかよ」と莫迦にせず、もしちょっとでも興味があるなら是非買ってプレイしてみてほしい。オススメする理由は、数多く売れれば『オウガバトルシリーズ』の続編が出るかもしれない、ということもあるが、そもそもこのゲームは掛け値なしに面白いからだ。ただし、やや難易度が高いので、こういうシミュレーションゲーム自体がニガテという人は止めておいた方がいいかも。

ま、社会人として一番貴重な「時間」をドブに捨てる覚悟のある人は…是非。
名前のない女たち最終章~セックスと自殺のあいだで (宝島SUGOI文庫)/中村 淳彦

¥480
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あなたがもし、「女は食うに困れば、最後に体を売るっていう手がある」などという「前時代的」な考えを持っているとしたら、その考えは早いところ改めた方がいい。電子出版で新聞、雑誌が滅びるとかいう前に、すでにアダルトビデオ業界を始めとする性風俗産業は、ものすごい過当競争と価格破壊によって行きつくところまでいってしまった。氾濫するポルノにただ眉をひそめるようなナイーブな「PTA」の皆さんには想像もつかないだろうが、もはや性風俗産業は明らかに供給過多に陥っており、その「商品」である女性たちの悲惨さは、もはやわたしなどには想像もつかない。それでも、ジャーナリストのようにちゃんと調べたわけではないが、日々氾濫するAVの数と内容(の変化)を見ていれば、現状を「性搾取」などという生易しいことばで語ることはとてもできないだろうとは、断言してもいい。もしかしたら、途上国におけるそれよりも悲惨な光景が広がっているかもしれない。はっきり言って、今のAVの半分は、とても「抜く」気になれないモノであふれているのだ。


本題に入る前に、「企画」と「単体」との違いについて少し書いておく。知っている人は飛ばしてほしい。


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「単体」とは、主演する女優の名前が前面に出る、いわば女優によって売り出す作品だ。それほどAVに詳しくない人がイメージする「AV」というのはほとんどこちらだろう。こういう作品のことを俗に「単体作品」と呼び、それに出演するのが「単体女優」というわけだ。彼女たちは、もちろん一昔前と違ってハードなプレイを要求されるし、どんなに可愛くても、手を抜くことは許されない。手を抜けば、即、人気が落ちて、売れなくなってしまう。過激さは年々エスカレートして、あっという間に消費しつくされてしまう。そんな激しい競争のなか、長年トップに居続けられるのは、本当に一握りのトップアイドルだけだ。そういう意味で、もちろんきつい商売なのは間違いないのだが、少なくとも後述する「企画」よりは恵まれているといえる。


一方で、「透明人間になった僕が~」とか、「泥酔した女性を~」というような、いわゆる企画が先行して女優がキャスティングされるというのが「企画AV」である。こうした作品では、あくまで企画が先行するため、出演する女優の名前はクレジットされないことが多い。もちろん、企画でも、美形だったり、何か特徴をもっていれば名前が売れることもあり、場合によっては「単体」クラスに格上げされるというまれな例もあるのだが、ほとんどの場合は、本当に、最後まで名前が出ることはない。すなわち、文字通り「名前のない女たち」なのである。


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この「名前のない女たち」シリーズは、(元)エロ雑誌ライターである著者が、いわゆる「企画モノ」に出演する女性たちへの取材を通してこの辺りの状況を活写するルポタージュ…だと思うのだが、じつはわたしはこのシリーズをちゃんと読んでいない。本作は同著者による同シリーズ三部作の最後の作品になるわけだが、実は前作の存在を知っていながら、読むのが怖くて敬遠していたのである。


というのも、本のタイトルから中身はある程度想像でき、嫌な気分になるのが目に見えていたからだ。ここに登場する彼女たちが「ブランド物を買うためのお金が欲しくて安易な気持ちで体を売った」みたいなレベルの話ならどれほど考えるのが楽だろうか。「最近の若い連中は体を大事にしない」などと、訳知り顔のオッサンやオバサンの顔を勝手に想像して勝手にムカついてしまう。いや、もちろんわたし自身も、現時点では食うには困らない生活をしており、過去にもこうした悲惨な状況に陥ったことはない。要するに安全圏から評論するという点では同じ穴の狢なのだ。きれいごとを言うつもりはさらさらなく、むしろ企画モノのAVも結構観ているので、むしろ性搾取に「協力」している類だろう。しかし、いやむしろ、だからこそ、こういう世界があることを単純にモラルの問題とかに還元しようとする「PTA」的な人間には腹が立つし、性風俗というものの「価値」が、ここまでインフレを起こして低下しているという事実を知らずに、過去の価値観を持ちだす感性にも頭にくるのだ。もちろん罪悪感から八つ当たりしているという部分も多分にあるのだが、とにかくそういう複雑な感情を、わざわざ本を買ってまで味わおうという気にはなれなかったのだ。


ではなぜ最終作となった本作だけは買ったかというと、本書には「M」というAV女優が登場していたから、である。


AVに詳しい人はご存じのとおり、「M」とは某アイドル系AVレーベルから売り出したが、なかなかパッとせず、その後だんだんとハード路線に転向していったというAV女優のことだ。わたしは彼女の作品を見たことがないのだが、そのうちハード路線で有名な某Dというレーベルの作品で、彼女がその作品の「要求」を満たすことができなかったという「事件」のことは知っている。そしてその後、精神を病んだ彼女が自ら命を絶ったことも。


わたしにとって、彼女の存在はインフレを起こしているAVの象徴のようなものだった。状況からしてとても彼女に欲情する気持ちにはなれないが、それでも(他の)AVは観てしまう。これはもう原罪のようなもので、この年になってもまだ性とかAVとかを考えると罪悪感と諦観のような気持ちにさいなまれることがある。そんな中、平積みになっていた本書をパラパラとめくっていて、彼女の名前を見つけたときに、本書と向き合わなければならないような気がして、つい本書を買ってしまったと、まあそういうわけである。


じつは本書には「企画AV女優」だけではなくて、もっと広範に、性風俗の「底辺」でうごめく女性たちも登場する。といっても、もはやこの辺の境界ははなはだあいまいだから、キャバクラやヘルス、ソープランドといった営業型の風俗と、企画モノのAVはほとんど同義なのかもしれない。両者はほとんど地続きだ。基本的には「春をひさぐ」というスタイルに変わりない、この偏見まみれの仕事しかできない彼女たちには、本当に言いようのない悲哀が漂っている。聞けば多くの女性たちが、まるで判を押したように、生まれたときから壮絶な人生を歩んできたことがわかる。中流家庭に育った人間には想像もできないような、家庭内暴力、近親相姦、レイプ、借金、消費者金融、パチンコ、そして、精神病。


AVを注意して観れば、多くのAV女優の手首にはリストカットの後があることに気づくだろう。ブログをみれば、拒食症や過食症、精神安定剤などの記述はよくみかけるし、精神的に病んでいることがうかがえるエントリもアップされたりするのもみかける。そこまでして、彼女たちはなぜAVに出演するのか。もちろん一義的にはお金のため、であることがほとんどだろう。借金の返済から、生活費を稼ぐまでさまざまだが、どういうわけか、昔聞いた「東北地方での冷害で、農家から売られた娘たち」というような陰鬱さとは違う、もっと現代的な闇がここにはあるような気がする。その証拠に、本書に書かれているように、金や愛では彼女たちを「落籍」させることができない。彼女たちと「普通の社会」の間には、何とも表現しようのない断絶が存在するのだろう。そしてそれは、わたしのように安全圏から性を消費するようなやつらには一生わからないし、もちろん彼女たちを救うことなんてできるわけがない。


ちなみに映画は観てません。
残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法/橘玲

¥1,575
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はい、もちろんあの藤沢Kazuさんが紹介していたからですw

中身の確認もせず指名買いし、速攻で読み切ってしまった。

本書はいわゆる「幸福論」の一種なのだが、もちろん橘玲さんが描くのだから、読む人によっては「身も蓋もない」ことがずけずけと書いてあるトンデモナイ本だ。しかし、だからこそ、藤沢Kazuさんのような皮肉屋にはたまらないのだろう。本書のエッセンスについてはKazuさんのエントリがじつにうまくまとまっている。というかKazuさんのダイジェストを読めば本書を買う必要すらないかもしれない。普段から「金融日記」を愛読しているような人は、読んでもあまり新鮮味がないかもしれない。


なので、ここでは本書を読んでわたしが思ったことを少し書いてみたい。書評というより読書感想文である。(いつも読書感想文だろ!という突っ込みはおいておいて)


幸福というのは捉え難い概念で、本書でも専門家の研究結果が色々と引用されているが、門外漢にとって、アカデミックに「幸福を定量的に計測する」というのは、たとえ話でも理解しにくいものだ。結局、直感的にわかることとして、幸福というのは主観的かつ相対的なものだということだろう。ビル・ゲイツには嫉妬しないが、同期が先に昇進するのには納得がいかないというようなやつである。友達が結婚すると嫉妬するが、海の向こうのセレブリティが幸福な家庭を築いていても何とも思わないだろう。

というわけで、われわれのような小市民が、そのミクロな人生を取り上げてみれば、こうした中で相対的にマシな状況を維持するには、このまま今いる会社にしがみつく方が明らかに経済合理的であることは自明だ。しかし、残念ながらその生き方はどう考えてもそれは自らの本質的な幸せに結びついていないことが多い。かといって、その楔から放たれて(たとえば独立・起業するとか、フリーランスとなる等)経済的に成功する自信もあてもない。しかもほとんど失敗することが目に見えているうえ、失敗したときにどうやってアイデンティティを保てばいいのかもわからない。コミュニティから離脱した「裏切り者」のそしりを受けつつ、経済的な困窮を受け入れるなんて「凡人」や「一般大衆」にできるわけがない。

結局、こうしたことが積み重なっていくと、「今のそこそこ良い暮らしを手放したくないが、これは決して幸福なんかじゃない。かといって、完全な不幸でもない」という後ろ向きな状況をつくりだしていく。どっちつかずの無為な人生が、これからも永遠に続いて行くだけであろう。そういう人はおそらく大量に居るだろう。

では、たとえばホリエモンやひろゆき、そこまでいかなくとも、一般に成功者と言われる人たちと、われわれのような「現代の囚人」との違いは何なのだろうか?

そもそもホリエモンやひろゆきなどのような層、もちろん藤沢さんもその中に含まれるだろうが、自分の中にぶれることのない強烈な人格が確立されている人は、結局どういう状況にあってもそれなりに自分で納得し、周囲から見てもうらやまれるような人生を送るのだろうと思う。こうした本でいちいち説明するまでもなく、人生に対する哲学がおおむね確立されていて、こういう本を読んでも読まなくても結局幸せな人生を送るわけだ。

もう少し判りやすい言葉で言いかえてみよう。たとえばホリエモン。かれなど、一連のライブドア事件で天国と地獄を見てきたわけだが、200億以上の資産を手放した今でも、結局一般人が想像するには少々難しい額の収入を得ており、毎日自分のペースで面白おかしく、やりたいように生きている。それなのに多くのファンを獲得し、かれの周りには良い評判が溢れているだろう。(同じくらい悪評もあるだろうが)

藤沢さんなどもそうだろうが、こういう人は結局どういう状況になっても自分の生き方がぶれず、マイペースで色々やっている間にまたぞろ復活してくるというような気がする。たとえば、藤沢さんが今の外資系投資銀行を首になったとして、困窮して今の市場経済をにおける格差を嘆くだろうか? おそらく、一度文無しになったらなったで、落胆するだろうが、まあそれはそれとして納得し、そこからまたやりたいように何かを始め、いつの間にか評判を獲得し、なんだかんだ幸せになっているに違いない。(もちろん金も手にしているだろう)

…と、いうようなことを考えながら、本書を閉じた。



随分と面倒くさい自分語りになってしまった。まあ、わたしの場合は、それほど不満も感じていないが、それほど今の状況に満足しているわけでもない、典型的な「一般大衆」ですw


貧乏はお金持ち──「雇われない生き方」で格差社会を逆転する/橘 玲

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過去の書評


「黄金の羽根」を手に入れる自由と奴隷の人生設計 (講談社プラスアルファ文庫)/著者不明

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お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 ― 知的人生設計入門/橘 玲

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