君がオヤジになる前に | One of 泡沫書評ブログ

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君がオヤジになる前に/堀江 貴文

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悔しいことにTwitterのRTマーケティングでまんまと乗せられてしまった。ホリエモンの本は「時間対効果」を最優先に設計されているため、価格の割に字数が少ない。だいたい1時間くらいで読み切ってしまうので非常に損した気分になるわけだ。ホリエモンは「1200円くらいけちるような奴は成功しない。時間の使い方がしょぼい」と一蹴するだろうが、はっきり言って本屋で読み切ってしまうのがいいかもしれない。(まあわたしはちゃんと買ったのでわたしは批判されないがw)

また、なんらかのホリエモン本を一冊買ったとか、あるいはメルマガ(わたしは購読していないが)などの読者も読まなくていいだろう。かれの性格や人格をどこかで読んだり、見たり聞いたりしたことがあれば、本書を読んでもとくに情報は増えない。かれが超合理的思考の持ち主で、突き抜けた思考ができる”超人”であることはもはや自明だろう。それが言葉を変えて繰り返されているだけだ。

ただ一点だけこれまでと少し違うニュアンスが感じ取れた。それは、「孤独」に対するかれの「迷い」である。

ホリエモンは自らの才覚のみを恃み、遅い人間や出来の悪い人間を徹底的に切り捨ててここまで来た。それには妻子も含まれる。わたしなどはそこまで突き抜けられるのは素直に”凄い”と思うのだが、だからと言っていますぐかれを見習って、離婚して子供を捨てるというようなことはしない。普通に家族といるのが幸せだからだ。だが、かれにはこの感覚が理解できないらしい。なぜ自分より足の遅い奴に歩調を合わせる必要があるのか、飽きないのか? それは本当に自分の望んだことなのか? と。ここまでは今まで通りだ。かれが批判されるその一番の原因はこのあたりの「情」に関することが根っこにある。日本人的にはそういう超合理主義的な生き方というのは生理的に受け付けないものなのだろう。だからホリエモンは嫌われていたのだろうが、逆にそれこそがホリエモンの強さの源泉でもあった。わたしを含む若い世代が支持するのもこのあたりの「ギラギラ感」故だろう。あの若かりし頃の松本人志をほうふつとさせる、傲慢なほどの自分の欲望に忠実なあり方。オピニオンリーダとしての風格を十二分に備えていた。

だが、本書では、ホリエモンに迷いがあったように思う。結論こそ変わらないものの、行間からにじみ出る迷いは隠せない・・・と思うのだが、まあこれはわたしの深読みのしすぎだと思うのでめいめいで確認してみてください。しかし、それにしても思い出すのはあの松っちゃんですら不惑を過ぎて「日和った」事実である。人間、年には勝てないのか・・・とわたしなどは思ったわけだが、かくいうホリエモンももう38歳であり、いつまであのスタイルで行ってくれるのか、外野としては非常に興味深い問題である。