One of 泡沫書評ブログ -7ページ目

One of 泡沫書評ブログ

世の中にいったいいくつの書評ブログがあるのでしょうか。
すでに多くの方が書いているにもかかわらず、なぜ書評を続けるのか。
それは、クダラナイ内容でも、自分の言葉で書くことに意味があると思うからです。

天空の蜂 (講談社文庫)/東野 圭吾

¥880
Amazon.co.jp

2011年3月11日に発生した東日本大震災(正式名称は、まだ、揺れているようだが)、そして福島第一原子力発電所の事故に至るまでの、一連の災害によって被害を受けたすべての人々に深くお見舞いを申し上げます。

この一連の災害、そして原発の事故による放射性物質の飛来は、本当に人生観が変わる大きな出来事だった。個人的にも、かつて仙台に住んでいた身として、また、仙台地方に多くの知人がいることもあって、本当に他人事ではない災害だった。また、首都圏で子供を育てる身として、原子力発電所というものの危険性について、初めて、自分のこととして考える(考えざるを得ない)機会となった。

だからというわけではないが、本書は完全に流れで買った本である。ツイッター経由でどなたかが指摘していたので、急遽、買い求めて一気に読了したものだ。放射性物質が首都圏で観測された3月21日のことだ。首都圏全域は雨で、空気中に飛散したヨウ素131が大量にフォールアウトしてきたせいだろう、首都圏各地のモニタリングポストの示す放射線度は軒並み通常の数倍の値が検出されていた日だ。放射性物質に囲まれながら読むのはもう二度とないことだろう。翌日からは水道水にヨウ素が検出されるなど、首都圏に及ぼす影響も非常に大きなものとなり、大きな混乱を招いた。こうしたことも、歴史の一ページとして記録に残るだろう。

初出は1995年とかなり古い。わたしは迂闊にも知らなかったのだが、ある方のレビューによれば、本書が上梓されたわずか1ヵ月後に、高速増殖炉「もんじゅ」でのナトリウム漏洩事故が発生したという。当時は大きな反響を読んだにちがいない。今回の事故をきっかけに色々見聞きした話によると、本書のような原子力発電所の運営に対する「警鐘」は至るところでなされていることを、後付けで知った。振り返ってみると、こういうニュースはあまり記憶に残っていない。たとえば1999年に東海村で発生した臨界事故なども、今考えると相当「ヤバい」ニュースなのだが、漫然と暮らしているとどういうわけか原発の危険性とか運用のまずさというようなものは世間からは「消されて」しまっているような印象を受ける。報道されていないわけではないが、あまり、大きく取り上げられないという意味である。これも、いわゆる東電に遠慮する大手マスコミや記者クラブの報道規制によるものだろうか。昨今の「安心、安全」キャンペーンや、「ただちに健康に影響があるわけではなく、冷静な行動を呼びかけたい」という発言を見る限り、どうも「危機を危機と言えない」原子力ロビーというのは本当に存在しているのだと思わざるを得ない。


本書は著者初期の作品であるせいだろうか、本書の「小説としての魅力」はそれほどではないような気がする。わたしは東野圭吾氏の作品は2、3しか読んだことがないが、『白夜行』のような大傑作に比べれば、本書はプロットが先行した「オピニオン小説」であり、物語の完成度としては今一つだと思う。途中の描写もやや冗長で犯人(?)の動機もわかりやすすぎるという印象を持った。しかし、本書を読む価値は、ところどころにちりばめられた原子力発電所の運用の日常風景や、やけに細かく描写される原子力発電所の仕組みの話であろう。なかでも、ラストの数ページは必読と言える。作者はこのラストシーンを書きたくて本書を書いたのではないか。ヒントは「使用済み核燃料」である。

白夜行 (集英社文庫)/東野 圭吾

¥1,050
Amazon.co.jp

自分探しと楽しさについて (集英社新書)/森 博嗣

¥735
Amazon.co.jp

二度と森博嗣については語るまいと決意してから、早くも3度も禁を破ることとなってしまった(笑)。なぜ森博嗣の本を買ってしまうかというと、かれの生きざまにあこがれているからだと、正直に告白せざるを得ない。

かれの主義(?)には本質的な矛盾がある。感覚的には禅の「不立文字」に近い。言葉にすると真理がするりと逃げてしまうような感覚。判りやすく言えば、かれの本を読んでもかれのようにはなれないということだ。むしろかれの本を全く読まないような人が、かれのような生き方ができるというようなイメージである。これはまさに観測することで自らが変化してしまい傍観者でいられなくなるという非常に哲学的な問題をはらんでおり、わたしのような浅学の人間には到底語りつくせない深遠なテーマだ。いきおい、内容を真摯に語ろうとすればするほど議論は抽象的になっていく。かれの語るエッセンスを一言でいえばなにか。矛盾していることを肯定しつつ矛盾をなくそうとする行為とでもいえばいいのではないか。とりあえず、わたしはそう理解することにしている。

本書はこれまでに刊行された三部作『自由をつくる 自在に生きる』『創るセンス 工作の思考』『小説家という職業』の続編ともいうべきものだが、そのどれよりも抽象的で、おそらく読者には消化不良感だけを与える内容になっている。せっかちな人間は怒りすら感じるかもしれない。「何が言いたいのかわからん!」「結局どうすればいいのか」と言ってしまいそうな人にはお勧めできない。森博嗣という変人の思考を、わざわざお金を払ってほんの少しだけトレースしてみたいという酔狂な人だけ買って読めばいいと思う。

【過去の書評】
自由をつくる 自在に生きる
創るセンス 工作の思考
小説家という職業

成金/堀江 貴文

¥1,470
Amazon.co.jp

前回『拝金』を取り上げたときには、暇だったので登場人物を実在のモデルとリンクするという酔狂なことをやっていたが、今回は残念ながら時間がないため、できない。というか、よくわからない。わたしはホリエモンよりもう少し下の世代なのだが、ITバブルの時代には地方でのんきな学生生活を送っていたため、ITバブルを称して「あの熱狂」というやつがまったくわからない。「LIGHT通信」と言われてもピンとこない。「景山」のモデルすらわからない。

よって、残念ながらこの作品の紹介をしつつ、当時の世相を解説するような書評を書きたかったのだが、力及ばず。むしろ実在のモデルとの関連を解説してくれるサイトがあれば教えてください。

ただ一つだけ確信を持って言えるのは、「鮫島」のモデルはおそらく北尾吉孝氏であろうということだ。本当に「がばちょ」と言ったのかは関係者しか知る由がないが、色々な傍証から少なくともモデルであることだけは断言できそうである。ホリエモン自ら「天敵」と語る北尾氏はまさに鮫島のイメージそのままだ。架空の物語に仮託して、少しばかりの留飲を下げたということであろうか。もしそうなら、ホリエモンもなかなかのロマンチストである。

本作は前作『拝金』の10年前という設定であり、時代背景としては2000年前後のITバブルに沸く「ビット・バレー」を舞台にした物語である。『拝金』の登場人物がそのまま時代をさかのぼって登場するため、前作を読んだ人には、プロファイルが謎だった登場人物の生い立ちがわかって、そういう意味でも楽しめる。もちろん時系列では本作が「先」だから、前作を読んでない人も楽しめる構成となっている。


・・・・・・・・


ところでわたしが本書を読んで最初に感じた感想は、「出来過ぎている」ということだ。前作は「小説ではない」とさんざ批判されたものだが、あれはいい意味での荒削りでホリエモンらしさが良く出ていた。しかし本作は良くも悪くも小説として完全に成立しており、成熟している。そう、「成熟」ということばが実にしっくりくるのだ。わたしはこの点が非常に気になって仕方がない。

ホリエモンの力は、本人の意思はともかくとして、外野から見れば明らかに「叛逆」の精神に拠るところが大きかったはずだ。キャッチフレーズでいえば「叛逆の若手」とでもいえば良いだろうか。しかし本作からはそういう怒りのようなエネルギィをまったく感じない。読後感は非常に感傷的であった。よくよく考えれば1972年生まれのホリエモンもそろそろ「不惑」を迎える歳であり、いよいよ無敵のホリエモンにも「老い」が頭をもたげてきたということなのかもしれない。かれはもう目立つビジネスはやらないとも公言しており、あとはライフワークとして宇宙開発事業に専念するといっている。熱心な堀江ウオッチャの一人として、非常に今後の動向が気になる作品であった。

過去の書評『君がオヤジになる前に』 こちらも時間があれば是非ご一読を。
日本でいちばん社員満足度が高い会社の非常識な働き方/山本 敏行

¥1,470
Amazon.co.jp

殺人的な超過労働に身をやつしており、本来はブログエントリなど書く暇があったらさっさと寝るべきなのだが、生存確認の意味も込めてひとつだけ書評したいと思う。といっても、元気がないので本論は据え置いて、ひとこと「いい本ですよ」とだけ言っておこう。とくに後半のIT活用ノウハウはかなり目からうろこ。仮にもIT産業の末端で録を食んでいる身にも関わらず、ここで紹介されているガジェット的なツールはほとんど知らなかった。かなり先進的な事例なのではないか。こういうのは水モノなので、今読むのがよろしかろう。


ちなみにというわけではないが、わたしはEC Studioでも取り扱っているESET Smart Securityのユーザだ。このアンチウィルスソフト(NOD32)はAV Comparativesというベンチマークで、かつていい成績を残していたというスグレモノだが、最近はぱっとしないようだ。まあこういうランキングは「第三者機関」と謳っていてもあまり信用ならないものだが、まあそこには深入りしないでおこう。とにかく軽いソフトウェアなので、ノートン先生の重さに辟易している向きは乗り換てみてもいいかもしれない。なお日本人に大人気の「トレンドマイクロ ウィルスバスター」はこのランキングにはノミネートすらされていません。

あと紹介されているものの中で便利なのが「RoboForm」。これは使えます。絶対買うべき。
フリーランスSEとして生きる道 (DB Magazine SELECTION)/三好 康之

¥1,764
Amazon.co.jp


年が明けてから過剰に忙しくなりほとんど本を読む時間がとれない。というよりも本を読む気力がない。ふと気付くと今年に入ってから一つもブログエントリを上げていなかったことに気付いた。こうして雇われ人は疲弊して潰れていくのかと思うと悲しくなる…ということで、随分前に読んだ本だが、今の気持ちにめちゃくちゃぴったりなので(笑)、思い出しながら書いてみることにする。


雇われない生き方としては、一番いいのは不労所得で生活できることだろう。あるいは年金生活だろうか。これらはいずれも魅力的であるが、今のわたしには縁遠い話なのでここでは割愛したい。他に雇われない生き方としては、「雇う側」になること、すなわち「経営者」になるという手がある。しかし、これもわたしのような雇われ人がおいそれと簡単に手を出せるものではないだろう。雇うと一言で言っても色々ある。自ら起業して自分が「雇う側」になるというのが最初に考えられるが、これには相当な器量が必要ではないか。非常にハードルが高そうである。一方でサラリーマン社長という手もあるが、これだと雇っているのか雇われているのか微妙なところだろう(そもそも上り詰めること自体が不可能だ)。中小企業を継いだ二代目なんかだとさらに大変だろう。そういう胃に穴が開きそうな立場になるくらいなら、わたしのようなヘタレは雇われているほうが絶対に気楽だと思ってしまう。

しかし「雇われない」だけならばもう一つ道がある。もちろん「ニート」・・・ではなくて「フリーランス」、すなわち個人事業主になることだ。本書は「フリーランスエンジニア」という生き方を実践している三好康之氏が、その実体験をもとに余すところなくノウハウを開陳してくれるという大変ありがたい本である。これは将来独立してフリーになりたい人のためのハウツー本だが、サラリーマンを続けるつもりの向きにも有用な本となるだろう。必ずしもフリーランスのためだけでない、組織の中で使えるノウハウがたくさんあるからだ。たとえばキャッシュフローに気を配ったり、お金の出入りに敏感だったり、営業力があったり、キャリアに対して自覚的であったり・・・。きっとこうしたことが実践できているエンジニアは所属する企業や組織でも重宝されるはずだ。また、お約束の確定申告や納税の方法などももちろん具体的に書いてあり参考になる。生命保険のくだりは個人的には蛇足だと思うが、全体を通して丁寧に書かれており、やっつけ感が皆無である。一読の価値はあるよ。


一点だけ反論というか、敢えて指摘したい点がある。こうした本を書く方は、当然のことながらフリーランスにバイアスがかかっているため、「サラリーマン」や「公務員」という雇われ人生がハイリスク(ローリターン)であると説くことが多い。もちろんミクロに見ればそうなのだろうが、JALの例を挙げるまでもなく、破綻したときに「大企業」や「役人」が優先して救済される可能性は非常に高いわけで、マクロに見ると巨大企業に属している人は必ずしもハイリスクとは言えないのではないかと思う。たとえば山一證券が破綻した際にも、山一の社員は同業に散っていっており別に首になったわけではない(山一の看板が生きる)。もちろん中小企業は違う、という意見もあるだろうが、「これからの時代、会社がつぶれるかもしれないから雇われ人はリスクが高い」というような、よくある「サラリーマンはハイリスク」的な論は少し違うのではないかと思う。フリーランスという生き方は失職リスク云々ということではなく、主に自分の力に依って生きているという自覚や自信によって、相対的に自由な精神を手に入れられるところに一番の価値があるのだと思う。
早いものでこの泡沫ブログを開設してから早3年以上が経過した。思えばブログを書こうと思った理由は単純で、読んだことを忘れてしまうので、ログ代わりに残そうと思ったのである。3日もすれば内容を忘れてしまうし、下手すると読んだことすら忘れてしまうからだ。(じつは、ブログに書いても忘れてしまうのだが)

そんなのローカルでやれよ、と言われそうであるが、あえて公開しているのは、もちろんせっかく書いたなら誰かに読んでもらいたいという下心がある。それに、文章を書く練習になるということも大きい。やってみてわかったが、やはり「公開する」というハードルがあるとそれなりにストレスがかかるため、色んな事に考えが及ぶし、練習とはいえ自分ひとりで完結するよりも勉強になる(気がする)。

ところでもう3年以上やってるのに一向にアクセス数は伸びない。もちろん書く方からすればアクセス数が多い方がうれしいが、知らない人に文章を読まれるというのは、ヘタレのわたしにとってはあまりうれしくないことでもあるので、これは評価が難しいところだ。もしどこかで間違って「はてな」なんかに引っかかってしまったら、どのくらいボロクソに言われるか…想像するのも恐ろしい。「日本のブログはひとりごとのような、どうでもいいブログがほとんどだ」と池田センセあたりは一刀両断にするが、その通りだと思う。まあどうでもいい内容だからこそ続けられるという側面もある。

だいたいそんな詮もないことを考えて書いてるのだが、ではなぜこんな便所の落書きみたいな文章を公に向かって書き続けるのか? ということについて、「ちきりんの日記」にわたしが言いたいこと(に近いこと)が簡潔な表現でまとめられていたので、ご紹介してみたい。

あなたの文章を私は読んでいます - Chikirinの日記

ちきりんさんの表現は少し感傷的すぎる気もするが、要するにブログを書くことは「王様の耳はロバ」とかと同じような効果があるということだ。要は自己満足のひとりごとなのだが、それを外に向かって自由に言えることがどれほどガス抜きになっているか、個人的な効用は計り知れない。それだけで十分なのに、一人でも読んでくれる人がいればこれはもう望外と言っていいだろう。


あと少しで2010年も終わる。もしこのエントリをここまで読まれて、かつ、新年に気持ちを新たに何かを始めようと思っている方がいたとしたら、是非とも書評ブログを開設することをお勧めしたい。本を読むことは人生の幅を広げてくれるし、読んだ本の書評を書くことで内容を覚えやすくなる。本を読む習慣も生まれる。いいことだらけ…だと思う、たぶん。

万が一、それを読んだどこかの誰かが「おもしろそうだな、わたしも読んでみようか」と思ってくれれば最高じゃないですか。


【おまけ】お世話になっている書評ブログ

成毛眞ブログ
いつもお世話になっております。元マイクロソフト社長、成毛眞氏の書評ブログ。

404 Blog Not Found - dankogai
説明不要、知らない人はモグリ。日本でおそらく一番影響力のあるdankogaiの書評ブログ。

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
わたしは文芸はあまり読まないので、じつは分野が少し違うのだが、レベルの高い本読みが集う書評ブログ。「スゴ本オフ」とか運営されています。勉強になるなぁ。
やりがいある仕事を市場原理のなかで実現する!/渡邉正裕

¥1,575
Amazon.co.jp

先日エントリに挙げた『35歳までに読むキャリア(しごとえらび)の教科書』が非常に興味深かったので、すぐに書店に出向き著者の本を2冊ほど手に入れた。本書はそのうちの一冊である(なぜか「退職」のコーナに陳列されていたw)。初出2008年10月なので、『35歳~』よりも前に書いた作品になるようだ。前著(時系列でいえば「次」だが)と同様、著者のポジションは明快であり、複線型のキャリア、すなわち「できること」と「やりたいこと」の中間で、カネを稼ぎつつやりたいことをやろう、というもので、そのための実例を示すというのが本書の骨子だ。著者自身の体験をベースに書かれており、新卒で入った記者時代から、転職を経てMyNewsJapanの立ち上げ~軌道に乗せるまでの具体的な経緯が記されている。著者の経歴については『35歳~』でも少し触れられているので、重複している部分もあるのだが、実体験がより具体的に描かれているところが前著と異なる。

ただ内容は非常に参考になる一方で、おそらく多くの人にとってはかなりハードルが高いロールモデルになるだろう。渡邊氏のキャリアは慶応SFC→日本経済新聞の記者→プライスウォーターハウス(後のIBMビジネスコンサルティングサービス)でコンサルタント→独立企業(MyNewsJapan)という、かなり「華々しい」経歴となっている。言及する企業名も大企業が中心で、中小企業や高卒のような立場からすると「俺たちはスタートラインにすら立ててないんじゃないか?」という感想(というより反感か?)を抱かせることになるのではないか。もしかしたら、渡邊氏の戦略としてはそういう層をマーケティングの対象外としているのかもしれないが、むしろそういう層の人ほど、日本経済の衰退による影響からは逃れられない。自らの出自やこれまでの経歴を嘆く必要があるなら、やれることをやるべきだ、という意味なのかもしれないが、このへんの考え方については著者に聞いてみたいところだ。

とはいえ、まだ2冊しか拝読していないが、著者の裏表のない実直なスタイルが垣間見えて非常に好感が持てる。想像するに、渡邉氏はおそらくあまり社交的でなく、初見ではものすごく対応が面倒な方(失礼!)ではないかと推測するのだが、ご自身の立場が明確であり、実務をおろそかにしていないところがとても好ましく思える。わたしの感覚では「プロフェッショナルに徹している」という感じか。(勝手な人物評で申し訳ないが…) 個人的には、耳に痛いことをずけずけという人を評価しがちなので、的外れだったらすみません。

本業のジャーナリストとしての仕事の内容については判断できないので、興味のある方は是非「MyNewsJapan」で確認してみてはいかがだろうか。わたしは故あってまだ会員登録していないが、本当の意味での「タブーなき」ジャーナリズムを実現している稀有なサイトではある。一見の価値ありであろう。
35歳までに読むキャリア(しごとえらび)の教科書 就・転職の絶対原則を知る (ちくま新書)/渡邉 正裕

¥861
Amazon.co.jp

一時期、「カツマー」なる象徴的なことばがネットをにぎわしたことがあった。もともとは経済評論家の勝間和代氏の著作に共感し、自己実現やキャリアといった、自己啓発的な文脈で自分磨きに励む女性たちのことを指す意味合いで使われていたことばだが、勝間氏のプレゼンスが増すに従い、自己啓発の持つ「宗教的」な部分にスポットがあてられるようになってしまった。今では、カツマーといえば「自己啓発マニア」「教祖に搾取されて、自分たちは永遠に年収10倍になれない庶民」というような文脈で、有り体にいえばdisる意味の方が多くなってしまった感がある。

勝間氏の本は2冊くらいしか読んだことがないので聞きかじりで恐縮だが、「自己啓発」の系譜でいえば、勝間さんはむしろ直球ど真ん中であり、『7つの習慣』や、『思考は現実化する』みたいな流れをそのまま引き継いでいるに過ぎないのではないだろうか。ものすごく単純化して言えば、自己啓発の要諦は「前向きに生きて努力を続けよう。そうすれば結果はついてくる」みたいな話が、さまざまな趣向で手を変え品を変え、繰り返し語られるだけだろう。このフレームは、教祖(著者)に煽られた信者(読者)は、教義を信じて実行するが、信者が失敗するも成功するも信者の心がけ次第であり、基本的には一方的に搾取されるだけであるという、一種宗教的な要素を本質的に抱えている。カツマー現象に対する反発も、こうした「自己啓発のダークサイド」に対する気持ち悪さがその奥底にあるのだと、わたしは常々感じている。


さて翻って本書である。ビジネス書の一種ではあるが、題名からも明らかなようにこれも「自己啓発」の一種だろう。そういう意味では、ビジネス書と自己啓発本の区別は未だにつかないが、最近この手の本をよく読むようになった。今年に入って何冊読んだだろうか。なぜ、こうした自己啓発系の本を乱読するのかといえば、もちろんわたし自身が今のビジネスに行き詰まりを感じているからに他ならない。つまり「カツマー」なのである。といっても勝間教には入信しなかったが、教祖はネット上にたくさんいる。自分にぴったりの教義を探しては、託宣を与えてくれる教祖を探し続けているわけだ。これまでも池田信夫氏、城繁幸氏、ホリエモンなどといった「アルファブロガー教(?)」や、Twitter上で見かけた「英語教」、「海外留学教」などの新興の派閥に入信したりしていたわけだが、どういうわけだかわたし自身の暮らし向きは一向に改善しない。その答えはもちろん「行動を起こさないから」である。

もちろんこれは一種の諧謔であって、だから「自己啓発は宗教なんだ」と一方的に断じられるとこまる。そんなことを言えば戦後の「終身雇用教」だって十分に宗教的だ。社長室に神棚が飾られていたとか、信者全員で旅行に行くとか、教義の力強さでいえば自己啓発系など足元にも及ばないだろう。要するに「動機」に踏み込んだ話は、見方によってはどうしても「煽り」「洗脳」という側面が付きまとうということが言いたいわけである。


話がそれたようだ。冒頭に変なことを書いてしまったせいで、本書が最近よくある『○○歳までに○○しなさい』系の本だと思われると著者に申し訳ない。ただ最近は文章を短くすることをモットーにしているので、駆け足で内容を俯瞰しよう。結論だけ先に言うと、「学生のうちに読んでおくのがいい」。

簡単に要約しよう。「いい大学を出て大手に就職して終身雇用・年功賃金・職能給を前提としたキャリア」というモデルが崩壊したにも関わらず、多くの学生や現職のサラリーマンたちはこれ以外の価値観を見いだせずに閉塞感にあえいでいる。こうした状況にあって自己防衛していくにはどうしたらいいのか? こうした時代においてキャリアを順調に築いている人はどのような働き方をしているのか? 本書はこの問題について考え方のプロセスと、いくつかのロールモデルを示している。本書はそういう本である。

最後に、個人的に面白いと思ったところをいくつか引用して終わりにしたい。(都合により一部改変しています)

―――…ドイツ陸軍を再建した立役者として知られる軍人、ハンス・フォン・ゼークトが提唱したものとして一般に流布されている有名な理論がある。ゼークトは本書と同様、「動機」と「能力」に注目しており、その有無で、部下である軍人たちを、4種に分類している(中略)

①有能な怠け者(能力アリ、やる気ナシ)。これは「前線指揮官」に向いている。
②有能な働き者(能力アリ、やる気アリ)。これは「参謀」に向いている。
③無能な怠け者(能力ナシ、やる気ナシ)。これは「連絡将校」「下級兵士」に向いている。
④無能な働き者(能力ナシ、やる気アリ)。これは銃殺するしかない。(70-71ページ)

―――…”人生の意味や目的論”は、正論であるが故に逃げ場がなく、若者を追い詰めるようだ。(中略)これは「自分は何がしかの人にならねばならない、それが自己実現であり、人生の目標なのだ」と大それた誤解をしている人が多いことによる。この誤解とは、客観的に目に見える成功こそ目標にすべきだ、と考えている点にある(中略)目標を決める時期についても、大学3年の就活の時点で、ましてや孫(引用者註:正義、ソフトバンク社長)氏のように10代で、がっちり目的を決める必要はない。働くことに意味や目的を見出す作業を続け、20代後半、遅くとも30歳くらいまでに、おおまかな「登りたい山」を決めることを目標にすればよい。真逆に振れて、「労働に意味なんかない」と投げやりになるのが一番良くない。(102-103ページ)

―――(働く動機を探す方法を一通り紹介したうえで)最後に、実社会での就業経験こそが最良の発見方法だということを強調したい。社会の荒波の中で自分と向き合い、他者との比較のなかで本当の自分を発見していくのである。(中略)まずは働く。学生という身分は学校から見たら「お客さん」であり、お金を払う側にいる。「稼ぐ側」と「払う側(お客さん)」の立場の違いは決定的で、稼ぐということは必然的に付加価値が求められるのだから(規制業種ではこれが弱いのが問題だ)、能力のストレッチが不可欠となり、負荷がかかる。その過程で、「この仕事は下らない」「やりがいがある」などと価値判断がなされ、内なる動機が顕在化してゆく。動機が先ではなく、仕事の負荷が先なのだ。(124-125ページ)



わたし自身、働いてみて感じた実感とマッチする部分が多い。そういう意味で、歳をとってから読むには惜しい本だ。対象読者が学生というのはそういう意味である。
本は10冊同時に読め!―本を読まない人はサルである!生き方に差がつく「超並列」読書術 (知的生.../成毛 眞

¥560
Amazon.co.jp

いつもお世話になっている成毛さんの読書本。安いので買ってしまった。

このエントリを上げるかどうかは随分悩んだ。わたしは書評で本をけなすことはあまりないが、この本はお世辞にもよい本とは言えない。もちろん成毛さんの書評は抜群にすばらしい。成毛ブログで紹介されていたから買ったという本は多い…のだが、本書はどうにもこうにも、「成功した人が(結果から)逆算して自分の人生の自慢をする」以外の何物でもないように思える。本書は期待値が高かったために、逆に雑な作りが非常に気になった。これではやっつけ本だと言われても仕方があるまい。

アマゾンのレビューでは、内容が傲慢だからという意見もあるが、そういうところは気にならないものだ。成毛さんは「大人げない」ところが魅力なのだから。むしろ残念なのが、ここまで読書をされているにもかかわらず、本書からは「教養」のようなものがあまり滲み出てこないところである。あの書評のクオリティと比べると…という気持ちになるわけだ。もうすこし手を抜かないで書いてほしかったというのが本音である。

ところで本書によれば成毛さんの自宅の蔵書は約15,000冊だそうだ。我らが日垣さんは50,000冊と言っていた。dankogaiも30,000冊とか何とか、似たようなことを言っていた。つまり本を読む、それもけた違いに読む人は、凡人とは違う生き方が可能ということであろう。うらやましい話である。わたしは億万長者になりたいと思ったことはない(本当はちょっと思ったことがあるw)が、本に使う金と時間が有り余るくらいの生活はしたいと願っている。具体的には、年間の本代として200万円くらいは余裕で賄える生活をしてみたい、と思う。どうせ世の中に存在する本は一生かかっても読み切れない。であるならば、本屋で見かけた本を片っ端から目を通すくらいの贅沢はしたいと思う次第である。

なお、本書最大の謎は、出版年月日や版数がなぜかカバーの「ベロ」の部分に記載されていることである。10刷目でした。売れてるなぁ。
エースの品格 (小学館文庫)/野村 克也

¥500
Amazon.co.jp

本を買う時に値札を気にするようになったのは最近のことだ。これは「読書家」としてたぶんヤバイ状況だと思う。本業がさえない俸給者なので致し方ない面もあるが、せめてもの矜持として値札くらい気にせず本を読める立場になりたいものだ。

そういうみみっちいことを考えていると、書店に立ち寄ってもつい専門書コーナや新書コーナを避けてしまうようで、平積みされてる文庫本コーナをなんとなくうろついていたら発見したのが本書だ。今回エントリをしたためるにあたり、改めて表紙をまじまじと眺めてみたのだが、じつに恥ずかしいタイトルである。正直書店で手に取った時は値札しか観ておらずタイトルはあんまりよく見てなかった。ということでさっき初めてタイトルに気づいたのだが、そういうこともあるのだな、と。

内容はまあよくある(?)おじさん向けの野球マネジメント本と言えばいいのか。想像するに、おそらく同じような本をあちこちで出しているのではないだろうか。気になったのは、ゴーストライタが書いたのか、それとも本人がワープロしたのかという点だが、たぶん前者であろう(と邪推する)。真偽はどうあれ、忙しい著名人の回顧録は一定の需要があるはずなので、こういう領域こそ、ライタとしての需要があるのではないかと思った次第である。まったくもって的外れな書評であるがw

216ページ/500円/1~2時間といったところか。別にオススメするような本ではないのだが、悔しいのでエントリにまとめてしまった。野球ファンなら買ってみてもいいかもしれない。