天空の蜂 | One of 泡沫書評ブログ

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すでに多くの方が書いているにもかかわらず、なぜ書評を続けるのか。
それは、クダラナイ内容でも、自分の言葉で書くことに意味があると思うからです。

天空の蜂 (講談社文庫)/東野 圭吾

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2011年3月11日に発生した東日本大震災(正式名称は、まだ、揺れているようだが)、そして福島第一原子力発電所の事故に至るまでの、一連の災害によって被害を受けたすべての人々に深くお見舞いを申し上げます。

この一連の災害、そして原発の事故による放射性物質の飛来は、本当に人生観が変わる大きな出来事だった。個人的にも、かつて仙台に住んでいた身として、また、仙台地方に多くの知人がいることもあって、本当に他人事ではない災害だった。また、首都圏で子供を育てる身として、原子力発電所というものの危険性について、初めて、自分のこととして考える(考えざるを得ない)機会となった。

だからというわけではないが、本書は完全に流れで買った本である。ツイッター経由でどなたかが指摘していたので、急遽、買い求めて一気に読了したものだ。放射性物質が首都圏で観測された3月21日のことだ。首都圏全域は雨で、空気中に飛散したヨウ素131が大量にフォールアウトしてきたせいだろう、首都圏各地のモニタリングポストの示す放射線度は軒並み通常の数倍の値が検出されていた日だ。放射性物質に囲まれながら読むのはもう二度とないことだろう。翌日からは水道水にヨウ素が検出されるなど、首都圏に及ぼす影響も非常に大きなものとなり、大きな混乱を招いた。こうしたことも、歴史の一ページとして記録に残るだろう。

初出は1995年とかなり古い。わたしは迂闊にも知らなかったのだが、ある方のレビューによれば、本書が上梓されたわずか1ヵ月後に、高速増殖炉「もんじゅ」でのナトリウム漏洩事故が発生したという。当時は大きな反響を読んだにちがいない。今回の事故をきっかけに色々見聞きした話によると、本書のような原子力発電所の運営に対する「警鐘」は至るところでなされていることを、後付けで知った。振り返ってみると、こういうニュースはあまり記憶に残っていない。たとえば1999年に東海村で発生した臨界事故なども、今考えると相当「ヤバい」ニュースなのだが、漫然と暮らしているとどういうわけか原発の危険性とか運用のまずさというようなものは世間からは「消されて」しまっているような印象を受ける。報道されていないわけではないが、あまり、大きく取り上げられないという意味である。これも、いわゆる東電に遠慮する大手マスコミや記者クラブの報道規制によるものだろうか。昨今の「安心、安全」キャンペーンや、「ただちに健康に影響があるわけではなく、冷静な行動を呼びかけたい」という発言を見る限り、どうも「危機を危機と言えない」原子力ロビーというのは本当に存在しているのだと思わざるを得ない。


本書は著者初期の作品であるせいだろうか、本書の「小説としての魅力」はそれほどではないような気がする。わたしは東野圭吾氏の作品は2、3しか読んだことがないが、『白夜行』のような大傑作に比べれば、本書はプロットが先行した「オピニオン小説」であり、物語の完成度としては今一つだと思う。途中の描写もやや冗長で犯人(?)の動機もわかりやすすぎるという印象を持った。しかし、本書を読む価値は、ところどころにちりばめられた原子力発電所の運用の日常風景や、やけに細かく描写される原子力発電所の仕組みの話であろう。なかでも、ラストの数ページは必読と言える。作者はこのラストシーンを書きたくて本書を書いたのではないか。ヒントは「使用済み核燃料」である。

白夜行 (集英社文庫)/東野 圭吾

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