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One of 泡沫書評ブログ

世の中にいったいいくつの書評ブログがあるのでしょうか。
すでに多くの方が書いているにもかかわらず、なぜ書評を続けるのか。
それは、クダラナイ内容でも、自分の言葉で書くことに意味があると思うからです。

なんで景気が悪いんだろうね - 暇人速報


暇人速報はこういうネタを取り上げないはずなのだが、なぜかこういう経済不況ネタが上がっていた。


このコメントを眺めていると、なんだか悲しい気持ちになる。


わたしもかつてそうだったから彼らの気持はよくわかる。わたしも湯浅氏らの本を読んでずいぶんと考えさせられたものだ。だがわたしには、どうしても湯浅氏の言っていることが理解できなかった。湯浅氏は色々と「やさしい」理論で耳触りのいいことを言うのだが、「では、どうすればいいのか?」という問いに答えてくれない。


結局、わたし個人は(池田先生に感化されて)「競争を肯定して過去の成功体験そのものであるかつての産業構造を捨て、労働市場を改革して成長産業にシフトしていくしかない」という結論に達したわけだが、ここまで来るのには相当、精神的な葛藤があった。池田先生も言うように、こうした発想は直観的に理解しにくいし、第一、コモディティ化しているのが「自分自身」であることを認めなければいけない。これは相当に辛い自己認識である。したがって、どうしても「経済学無用論」とか、「インタゲやリフレによる一発逆転」とか、「中国や韓国を排他して日本のものつくり産業を守る」とかいうような論理(?)に傾いてしまいがちだ。こうした保護主義的な政策はこれまでの常識を否定しないでうまく自意識をくすぐってくれるから、よほど自戒しないと、つい「そうなのかな」と思ってしまう。



さて冒頭の引用記事をざっと読んで、ここにある「空気」をあえてわたしの拙い文章で言語化すると、こうなる:



・デフレによる物価の下落が不況の原因だと思っている

 だから、100円ショップやユニクロなどの「価格破壊」が元凶だと固く信じている


・「新自由主義」という言葉に脊髄反射的な嫌悪を感じている

 特に、小泉+竹中の構造改革によって日本経済が悪くなったという強烈な認識がある(金持ち優遇、貧乏人の切り捨て)


・潜在的なリフレもしくはインタゲ期待がある

 (日銀の金融政策によって物価上昇率が操作可能で、それによって一気にデフレが解消できると思っている)


・低成長産業から成長産業へのシフトに対する恐怖感がある

・グローバルな経済活動に対する全般的な無知と、保護主義的な性向

 基本的には内需がすべてだと思っている


・セーフティネットに対する不信感、モラルハザード

 (セーフティネットの利用者が”フリーライダー”に見える)


・企業の雇用はできれば保護的であるべきと思っている



恐ろしいくらいにマスコミの論調とマッチしている。亀井大臣が救世主に見えるのもむべなるかな、であろう。マルクスが復活するのもわかる気がする。これらは残念ながらすべて日本を停滞させる、その主な原因となっている。彼らは大手メディアを「マスゴミ」と呼んで非難するが、残念ながら確実に情報統制されている。いくらネットを使いこなしていても、情報のフィルタリングがうまくいっていなければ、簡単に既得権益層に取り込まれてしまう。情報格差は確実に存在していると思う。貧困ビジネスが隆盛するのもこのへんに原因があるのだろう。

おそらく彼らには湯浅氏やモリタクのような人たちが放つ言葉のほうが届くのだろう。だがそうした言葉が彼らに届いたとしても、きっと幸せにはなれない。その先に待っているのは緩やかな衰退だ。何度も言うがそれをあえて選択するのは否定しない。だが覚悟なき「貧しさ」は不幸になるだけだ。もし、このまま停滞する社会を厭うており、失われた活力を取り戻したいと思うのなら、一見「強者の論理」「回り道」にしか見えない「新自由主義者(?)」の提言を読んでみてはどうだろうか。


「信者」と揶揄されてもいいのでw 池田先生の著作を再度紹介しておこう。もしテレビばっかり見ているのなら、騙されたと思って一度読んでみてほしい。


希望を捨てる勇気―停滞と成長の経済学/池田 信夫
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政治さえまともになれば日本は圧倒的にアジアで独り勝ちできる - 金融日記


藤沢Kazuさんがまた誤解を招くようなことをw

というか完全に釣りエントリだと思うので、釣られてはいけない。

(当たり前のことを言っているだけなのだが、わざとアンチの神経を逆なでして挑発するような言い方なので、「釣り記事」というべきだろう。)


わたしもかつて、こういう人たちの主張に大反対していたから、Kazuさんに反論するアンチの気持がよくわかる。Kazuさんに限らず、池田先生然り、ホリエモン然り、頭のいい人たちが主張する規制緩和は、要するにわれわれのようなにアタマが悪く付加価値の低い人間が、フリーな競争によってどんどん淘汰され、適正な報酬に落ち着くべきであるというのを、自ら認めないといけないということだから、あたかも人格を否定されるような気持ちになるわけだ。


「オマエは日本に居て規制に守られているからいまの収入が得られているだけなんだ。自由競争下で財の価値が適正化されれば、オマエの生みだした付加価値からすれば年収2~300万なんぞもらいすぎてるくらいだ。」


と言われているような気になるのではないだろうか。


だから、血相を変えて「それは非人道的だ」とか「人の気持ちがわからない人」とか、口をきわめて批判するわけだ。色々理屈をつけるが要するにそういうことなのだろう。「人間的でない」とか、「日本のやり方に合わない」とか言う人たちは大抵そうなのではないだろうか?


だが残念なことにKazuさんらが主張することは事実なのだろう。国や国境といったしがらみがない世界なら、単純労働によって生みだされる付加価値がミャンマーやバングラディシュで働く人と同じであれば、やはり同じくらいの報酬でないとおかしいのだ。そうなってないなら、どこかに市場の歪みがあって、既得権益として何かに守られているのだ。


このへんはわたしの拙い表現よりも以下を参照してもらった方がいいかもしれない。


第三の道について、ちきりんも深く考慮中


本文中引用させてもらうと、

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さらに、5年後に「より強い供給サイド」を持つ日本が増やす雇用とは、必ずしも“弱者を含む国民全員”ではない。その“高付加価値の供給“に参加できるのは、おそらく労働者のうちの一部にすぎないだろう。しかも“世界で勝てる企業”になった日本企業が雇いたいと考えるのは「優秀な日本人」でさえなく「優秀な人」である。


では、雇用されない人はどうなるのか?


「底辺の仕事でもらえる報酬で足りない部分は、セーフティネットで救えばよい」というのが、規制緩和論者(第二の道の主張者)の意見なんだろう。つまり、稼ぐ力のある人が稼ぎ、稼ぐ能力のない人は福祉で生きていく社会、を彼等は想定している。(“彼等”とか書いてますが、ちきりんも“第二の道”しか解はないと思ってます。)

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まあ、これがエッセンスだろう。本来は、GDPを底上げするために、さまざまな規制を撤廃して、「上のほう」にいる人たちに色々な分野で引っ張っていってもらわないといけないし、イノベーション(革命的な技術や発想によって社会や経済の仕組みに変革をもたらすこと)を起こしてもらわないと困るのはわれわれのような層なのだ。そうやって競争力をつけた経済の下で、われわれ低付加価値労働者層はそのおこぼれにあずかる(雇用を創出してもらう)か、最低限の生活を(たとえばベーシックインカムなどで)保障してもらえればそれでよしとしなければならないわけだ。


だからイノベーションをもたらす”成金”にはむしろ積極的に称賛を贈らないといけないし、付加価値を生み出した人にはインセンティブのためにもドンドン金銭的なボーナスを支払うべきなのだろう。また逆に、付加価値を生み出していないのなら、身の丈にあった生活をするべきだし、最低限の所得保障をもらえれば食うには困らないわけだから、「金持ち優遇」とかいって妬んだりするのは建設的ではないだろう。また、われわれのような層もやり方を工夫すれば、もしかしたら新たな観点で付加価値の創出ができるかもしれないので、そういうことにもっとトライしやすい環境にしていかなければならない。


・・・と、いうような世界になったとしても、わたしのような人間が幸せになれるかどうかはまた別の話だ。主観的な幸福は、相対的な経済発展などとは本質的には無関係なのだから。仮にわたしの予想が正しいとすれば、リバタリアンの主張する「新自由主義社会」になろうが、このまま「大きな政府」路線でいこうが、グローバリズムが否応なく進む以上、能力のない人にとってはどちらも経済的にはあまり差のない未来になる気がしている。みんなで平等に貧しくなるか、わたしを含む大部分の人間が貧しくなるかのどちらかであり、どちらに転んでもあまり関係がないのかもね。

最近、民主党の政治のやり方がだんだんとわかってきた。政治経済リテラシの高い人たちは「そんなこと初めからわかってたよ」とニヒルに構えるだろうが、一般の認識では、まだ「結局何がしたいのかよくわからない」というものが大勢なのではないだろうか。テレビを見ていると鳩山首相は「ぶれている」ように見えるのだろうが、インターネットを見ていると、民主党は本質的にはまったくぶれずに、連合や公務員などの既得権益層の大きな支持をバックに、「大きな政府」路線を目指し、中福祉、超高負担の実現に邁進していることがわかる。このままいくと日本はゆっくりと衰退し、中国や韓国から冷笑されながら「かつては豊かだった、過去の国」としてさびしい21世紀を送ることになるのだろう。残念なことだ。


そんなわが国の代表、鳩山首相の理念は「友愛」というものらしい。かれのここ何ヶ月かの行動を見る限り、その崇高な理念はさておき、じつに「日本的」な政治のやり方をするなあ・・・という感じがする。かれは、井沢先生の言うところの「和」を何よりも重視する政治家だということであろう。あちらも立て、こちらも立てる。諍いが起これば仲裁する。それでもまとまらなければ先送りする。本質的なトレードオフは絶対に深入りしないという姿勢もある意味で徹底している。かつて鈴木善幸という首相がいたが、まるでかれをほうふつとさせるような柳ぶりである。


そういう意味では、かれのことを評して「ぶれている」というのも少々的外れなのかもしれない。かれの場合、確固たる理念がない、というのは間違った評価なのではないか。かれが何度も語っているように、大切なのは「友愛」だということなのだろう。あちらに困っている人がいれば駆けつけ、こちらから不満が出ればこちらにも配慮する。利害がぶつかれば両者にばらまく。こうしてみると、かれはまったくぶれていないともいえるのではないだろうか。そのつけは将来から前借しているだけなのだが、かれにとって10年後の国民は目の前にいないわけだから、どうでもいいことなのだろう。だからそんな将来の話は勘定に入っているわけがない(これは現在のシステムがそういうインセンティブしかないわけだから、一概にかれだけを責めるわけにもいかないだろうが・・・選んだのは国民なわけだし)。まあ、こうして自民党と民主党の両方ともあてにならないということが周知されただけでもよかったのではないだろうか。


ところでこうして改めて俯瞰してみると、かつて存在した「右翼-左翼」などのような二項対立でみれば、今の対立軸は「新自由主義」対「大きな政府」というふうに読み解けるのではないだろうか。当然、自民党(最近宗旨替えをしたようだが・・・)や民主党、国民新党、社民党は「大きな政府」だ。社会民主主義だか共産主義だかわからないが、これらの人たちはとにかく規制と統制経済が好きで、弱者を見捨てておけないのが特徴だ。この世には無謬の理想世界がどこかにあり、そこに至るまでには政府が主導して道を整備していかなくてはならないと思っている。民衆は愚かであり、国家や指導者、官僚がやさしく導いていかなくてはならないとたぶん本気で思っているのだろう。残念ながらわが国はこうした行き方のほうに心情的になびきやすい。わたし自身も、かつてそうだった。悪いことにこうしたモデルは「坂の上の雲」とか「官僚たちの夏」みたいな感じで、かつての成功体験が亡霊のようにこびりついている。ひとつのビルドゥングスロマンになっているわけだ。そりゃ、シンパシーも感じてしまうのも仕方がないだろう。「清貧」「日本の底力」「技術力」「科学力」「ものつくり」「終身雇用」「年功序列」「正社員」「社会保障」・・・まあ、こうしたキーワードを並べられると、なかなか面と向かって反論することは難しいだろう。


一方の「新自由主義」は非常に分が悪い。何しろ大マスコミのほとんどを敵に回しているのだから、印象操作だけでもう完全にアウトだ。戦わずして敗北しているという感じだ。貧しい我々から搾取する拝金主義の成金たちが、利益第一主義のもと既存の日本社会の文化を破壊している、というものだろう。しかも悪いことに、かれらの主張することは日本の文化的な倫理観に真っ向から反することばかりで、直観的に受け入れがたいことが多い。「経済合理的」「市場経済」「イノベーション」「規制緩和」「流動性」「自由競争」・・・ぱっと見でつい拒否反応を起こしてしまうのも頷ける。


とはいえ、なるべくテレビを見ないようにしてインターネットばかり見るようになったら、ノイズがなくなって、どう考えても日本が今後も世界でプレゼンスを発揮していくためには、この「新自由主義」と揶揄されるような「小さな政府」路線でやっていくしかないと確信するようになる。今でもまだ「大きな政府」に何かを期待しているという人はどうなのかなと。細かい戦術には巧拙があるだろうが、大きな戦略としては「新自由主義」で今後も成長を目指すのか、それとも「大きな政府」路線でみんなで平等に貧しく暮らすことにするのかの二者択一だろう。そういう意味では後者の生き方も一つの貴重な選択肢だから、あえてそれを目指す民主党のやり方は否定しない。ただし、後になって「こんなはずじゃなかった」とだけは言わないようにしたいものだ。

出版不況と言われる昨今であるが、わたしはヤングマガジンを応援している。わたしはヤンマガとはもうかれこれもう10年以上の付き合いになる、超がつくほどの優良なロイヤルカスタマである。10年来、一冊も欠かさず買っているのだから講談社はわたしに粗品くらいくれてもいいのではないか。(思えばずっと昔、講談社にエントリーシートを出したこともあった・・・門前払いを食らったが、それでもけなげにヤンマガを買い続けているわたしに、講談社は誠意を見せるべきだw)


それはさておき、新年2号めとなる(雑誌の慣行?)今週号では「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」の連載がスタートしたようだ。あまりチェックしていなかったのでビビった。オリジナルストーリかと思いきや脚本はアニメとまったく一緒のようす。それどころか第一話では細かいセリフ回しなどの演出も含めすべてアニメ準拠のようだ。キャラクターデザインもアニメ準拠だ。(原作ファン、残念! わたしはアニメのキャラクターデザインのほうが好きだからこのほうが好い)


またお騒がせ作家木多康昭の人気漫画「喧嘩商売」もいよいよ盛り上がってきて、第二部スタートといった感がある。これまで張りまくった伏線がいよいよ回収モードになるのだろうか。トーナメントの候補者に山本陸がノミネートされていないのはなぜだろうか? 作者も忘れてしまったのかw


あと、どうでもいいことだが「ユキポンのお仕事」で出てくる犬彦さんこと「ダーシェンカ」さんが池田先生に超似てるw


と、いうことでこの漫画不況においてヤンマガはやっぱり熱い。ビッグコミックなんて買ってないで、ヤンマガを買おう。

後宮小説 (新潮文庫)/酒見 賢一
¥500
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「腹上死であった、と記載されている」という書き出しで始まるこの第一回ファンタジーノベル大賞受賞作は、すでに20年前のものとなっているにもかかわらず、今読んでもぜんぜん古臭さを感じさせない。どうやら多くの「書痴」たちから絶賛されているようだ。わたしは「文学賞メッタ斬り 」でこの本を知ったクチだが、口の悪い豊崎氏と大森氏がほめているくらいだから、その面白さが容易に想像できるというものではないか。


この本はダイジェストで語るとその価値が半減するから、しない。とにかく読んで損はない類の本で、500円で買えるのだから是非一度読むべきだろう。なんというか、この本のシナリオに触れずにこの本の魅力を論じきれないところがもどかしい。


ところで、細かい経緯はネットで調べるとすぐ出てくるのでここでは省略するが、この本はアニメ化もされている。何をトチ狂ったか知らないが、わたしは「後宮小説」を読んだ勢いで、ついアマゾンのカートに入れてしまった。


雲のように風のように [DVD]
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アニメはどちらかというと好みではない。昔の作品らしく、作画や演出は丁寧につくりこまれていて好感が持てるものの、作品の持つ「軽やかな淫靡さ」が完全に去勢されているところがマイナス評価だ。まあ子ども向けの作品なのだから、「後宮」という音のもつ響きを再現するわけにもいかなかったのだろうが、今から考えるとそれほど規制もなかった時代なのだから、もっと突っ込んだ表現をしてくれてもよかったと思う。と、酷評したようだが、原作の持つ「軽さ」が活き活きと再現されているところは素晴らしいと思う。(「軽さ」と書いたが、本書の解説に高橋源一郎氏がこの作品の「軽さ」をもっと詩的に解説している。そちらを参照されたい)

書こうと思ったネタがホリエモンとかぶってしまった。これホント。ホリエモンが書いたからじゃないよ!


ノーベル賞の野依氏、蓮舫氏らの「スパコン、世界一になる必要あるのか」発言に憤慨 - 痛いニュース

政府に頼るのをそろそろやめないか。 - ホリエモンblog


「痛いニュース」はやはり大変興味深い。


このニュースの骨子は、政府の予算によってスパコン事業を行っていることに対して、「仕分け人」である蓮舫議員らが「一時的にトップを目指すことに意味があるのか」と、世界一不要論を展開し、予算の削減を命じたとのこと。しかしノーベル章を受章した野依氏などは、「(スパコンなしで)科学技術創造立国はありえない」と憤慨しているということ、だそうだ。


これに対し、痛いニュースのコメント(2ちゃんねるのコメントを管理人が抜粋したもの)では、蓮舫は何もわかっていない、技術立国日本の生命線だ、などというような意見がほとんどであって、誰も国の予算でスーパーコンピュータをやるのは無駄だからやめろ、というような話が見られないのが特徴である。


たしかにスーパーコンピュータ事業などは営利目的ではなかなか難しい分野だと思われるが、はたしてシグマ計画のような「前科」がある領域で、本当に政府主導での補助金がプラスに働くのかどうかは検証されていいと思う。とにかく「補助金ありき」というのが実に微妙だと思う。こういう国威発揚型の、いわば古臭い垂直統合型補助金思想は、まったく無駄ではないと思うが、農政と同じようにこれでは技術的にダメな国産ITゼネコンが潤うだけのような気がするのだが、どうなのだろうか?


つまり蓮舫議員らによる「一位になってどうするのだ?」ということに対して、こういうのは一番を目指さないと意味がないだろうと憤慨するのは理解できるのだが、だからといって政府に金をたかることを正当化するのはちと弱いと思うのだ。スパコン事業が国益にかなうというのなら、やはりそこには短期なり長期なりで、投資の回収計画が立案されていないと税金を投入するのはためらわれるだろう。とにかくメンツだけで数百億投入するというのは、稚拙と言われても仕方がないのではないだろうか。


なんというか、基礎研究の分野はコストを度外視することが正しい、みたいな風潮で違和感を感じる。一面では真実を表しているとは思うが、だからといってそこに甘えることを正当化するのは間違っているだろう。あまりにもコスト意識が大雑把すぎると思う。


この分野はあまり良く知らないのだが、直観的に言って、本当にスパコンの高速性がさまざまな分野で役立つというのなら、それは当然事業化できるはずで、そうするとやはりホリエモンが主張するように、技術をビジネスにつなげる、もっと言うとカネにできる戦略を考えることができるようにすべきであり、そのための人材を育成するとか、規制をなくすとかの発想の方が建設的だと思われる。コスト意識のないところに「国の威信」とかいうような無駄な変数が入ってしまうと、何でもいいからとにかくつくっちまえ、ということにならないだろうか?


あとホリエモンは技術とビジネスをつなげる部分を担う人材こそが不足しているのであって、こまごまとした実際の研究をされている人にビジネスをやれ、と言っているのではないと思う。


などとつらつら思っていたのだが、単に池田先生のblogに書いてあった ことが頭に残っていただけだった。記事を読んだことをすっかり忘れて、自分で考えたような気になっているから恐ろしい。わたしはただの池田教の信者・・・orz。



2009.11.16追記 池田先生もこのニュースに反応していました。


沈没した「スパコンの戦艦大和」


さすがは池田先生、2年経ってもぜんぜん変わっていません。断言しています。信者は安心しますw


これに対する反論としては、やはり


「基礎研究は営利を生みにくいし、効果は必ずしも計測可能ではないのだから(過程が重要なのだから)、経済的に利益を生まないからといって研究を止めるのは技術立国日本の損失だ」


というようなところが一番多いような気がする。つまり国策上有用なのだからコストを度外視して投資をしろということであろう。(というより、計測不可能、ということで開き直っているのか?) インターネットですらもとは国策だったのだから(これはARPANET などのことを指していると思われる)、国が主導して技術のひな型を作ること、あるいは研究そのものが生みだす成果物はもとより、副次的に生みだされる「副産物」にも意味があるというような論調だろう。


補助金賛同者にはこういう発想が一番多いと思う。1960年代の発想といえばいいのか、「坂の上の雲」の時代はとうに終わったのだが、やはりこういう「国が主導して純国産のスゴイ技術が世界を制覇する!」みたいなストーリが大好きな人が多いのだろう。「努力する過程に意味がある」みたいなのも、みんな大好きなのではないか。でなければ、「コストは度外視」としか言えないような理屈を口にすまい。それなら、むしろ技術者がスキにチャレンジできて、チャレンジャーに対する投資が容易になり、失敗してもやり直しができるような構造をつくったほうがよほど意味があるだろう。なぜ国が丸抱えして巨大な大砲をつくるという発想にしかならないのか。


池田先生が危惧するのは、ある意味では「たかが数百億」の金銭的な無駄よりも、これにぶら下がる研究者や技術者の時間や能力が浪費されることだと思う。人的資本こそは何物にも代えがたいが、優秀な人材が競争力のない分野の研究に何年も関わっていると、それこそ結果的に無駄な人材がたくさん生みだされてしまう。有能な研究者や技術者がもっと自由に研究開発ができ、やり直しがきくような世界を望みたい。理研にいないと研究ができないような環境こそが問題なのではないのか。

M&A新世紀 ターゲットはトヨタか、新日鐵か?/岩崎 日出俊
¥1,575
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金融日記で藤沢Kazuさんが紹介していたので、遠出したついでに、旅のお供で買ってみた。


案外字が大きいので、2時間くらいで読み切れる。正直言ってテクニカルな部分は少し飛ばしたのだが、M&Aという手法がいかに資本主義において重要であるのか、また、投資銀行というのが何をしているのかというのが非常によく判る一冊だった。


この本からは著者の熱い思いは伝わってくる。著者のようにグローバルな世界を相手にビジネスをしている人から見ると、世界の潮流から大きく乖離した日本経済の停滞がよりはっきりと認識されているに違いない。著者はM&Aのプロフェッショナルとして長年実務に携わった確かな経験をもとに、非常にテクニカルな話をわかりやすく書いてくれている。実際にあった案件(ディールというらしい)をネタにしているから、われわれのような素人にとってはテレビの報道で知り得ない「実態」が見えて非常に興味深い。スティール・パートナーズの仕掛けたブルドックソースのTOBしかり、キリンとサントリーの合併しかりだ。詳しくは本書を見てからにしてほしいが、テレビや雑誌に書かれているようなものとは違う「真相」が書いてあるので、まあ見てからのお楽しみということで。大前研一氏の文章 などと比べてみたら面白いかも。


著者は専門家=プロフェッショナルとして、M&Aにかかわるテクニカルなこと(TOBやMBO等)を淡々と描いているため、よくある湿っぽい話が一切なく、非常にさっぱりとして読んでいて気持ちいい。こういう人は、おそらく意識せず「フェアでオープンな競争」が、成長を促し、それが何よりも素晴らしいことだと信じているのだろう。「会社はだれのものか」なんていう、日本では一種の「禅問答」になる問いも、著者に言わせれば「会社は株主のものだから、株主が適正な利益を得られるようにフェアでオープンな市場で、合理的な経営ができる経営者が経営するのが妥当でしょ?」ってなものなのではないだろうか。こういう発想はまさに「アメリカ的」だが、「家族的経営」とかを称揚する人からするとトンデモナイ考えに映るだろう。


ところで作中にはミッタルの逸話が多いが、おそらくミッタルの成り上がりぶりは著者をしてものすごくアツくさせる話題なのだろう。たしかにミッタルの快進撃は後から振り返るとまるで嘘のようだ。「鉄鋼」といういかにも古臭い、保守の典型のような産業で、わずか30年で世界のトップに立ってしまったのだから。しかし、ミッタルをはじめインベブやH&Mのような、伝統的に見ればまさに「小国」が、M&Aによって今や世界を席巻しているのだから、まさにこれこそが、著者のいう「M&A新世紀」なのだろう。


知識が及ばないため、うまく書評が書けません。とりあえず読んでみてください。

かつてこんな記事を書いた。危険運転致死罪が適用されるのかどうかという、福岡の例の事件についてである。


それでもボクはやってない


そのあとホリエモンのブログ池田先生のブログ を読んで、じつに自分が浅はかであったかを痛感するにいたった。どうでもいいのだが、ザンゲしておきます。踊らされて済みませんでした。


「飲酒運転なのだから厳罰で当然」たしかにわたしもそう思っていた。一罰百戒的な、まあ見も蓋もない言い方をすると「見せしめ」である。こういう発想が実に日本的でしっくりくるのだ。これはDNAレベルで刷り込まれているのかな? まあそんなわけで、過去にかなり感情的に書いてしまったことを恥じ入る限りだ。うまく説明できないのだが、この脊髄反射的な厳罰化で飲酒運転による被害が減るとは思えなくなった。コメント欄には過去のわたしのような脊髄反射人間がたくさんいる。厳罰化の根拠は「だって人が死んでるんだよ」くらいで、確かに感情論としては首肯できるが、法運用としてはいささか不安のある意見である。


こういうのも池田先生のいう「一段階の論理 」、ってやつなのか。やっぱり、テレビは見ないに限る。かなり気をつけていても、テレビには相当強力なバイアスがかかっているから、素人は引きずられて馬鹿になる。これを防ぐには、テレビを見ないことが一番手っ取り早い。

ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書)/池田 信夫
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池田さんの本なので、とりあえず読まねばならぬと思い、会社近くの本屋で入手した。


経済学の素人には敷居が高い


・・・池田先生、正直、難しすぎてよくわからないです。


わたしのような情報弱者は、既存の大マスコミによる報道によって、「新自由主義」や「フリードマン」という「記号」にノイズが入りすぎているため、経済学者にとっては当然の流れが頭の中で整理できない。そこへきてさらに「メンガー」「「ポパー」「ウィトゲンシュタイン」とか言われてもますます混乱するだけである。「マルクス」「ケインズ」すら、ちゃんとした系譜としてとらえられていないのに、この上さらに初見の学者の名前をさも自明のように語られても、サラリーマンは困惑するだけだ。


読み終わった後はなんとなくわかるが、あとから書評としてまとめようとするとわからなくなる本の典型といえる。この本は、おそらく経済学部の学生などの専門家予備軍が、アダム・スミスから現在までに至る経済学の歴史を俯瞰するための手引きのように使うのが一番なのではなだろうか。


経済学は「政治システム」の上流設計


それにしても世の中には自称も含めて多くの経済学者が居るが、これほど人によって主張が異なる学問も珍しい。だから、素人にとっては誰が本物で誰が偽物なのか判断することが非常に困難で、たいへん困るのである。あれほどスゴイと思っていたケインズも、実はルーズベルトがケインズの論文を読んで「ニュー・ディール」を行った事実はなく、The Great Depressionから立ち直ったのは第二次大戦の特需によるものだというから、もう何がなんだかさっぱりである。


わたしの思うところでは、経済学は純粋に数理モデルなので、モデルによって導かれる結論には誤りはないが、その前提条件の設定や数式に加える変数の有無によって描き出す世界が違うのではないかと思う。したがって、経済学は目指すべき未来に対し、どのように社会構造を作るべきか、という「論理設計」を行う言語であって、それが事後的に現実と合っていたとか間違っていたとか言って役に立たないというのは、ナンセンスのような気がしてきた。


一番の大上段に来るべきなのは政治、つまり「この国はどうあるべきか」という「要件定義」であって、経済学はその要件を満たすために「ではどうやってシステムを設計するか」を記述するという「設計」といえるのではないか。こう考えていくと、さしずめ政策は「実装」であり「コーディング」であるわけで、ここを官僚をはじめとする事務官が担当するというわけだ。(設計書通りにコーディングをしないのはプログラマによくあることだろう。)


こう考えると経済学というものがそこそこ理解できるのだが、専門家の方はどう思われるだろうか? まあ、こういう思いつきは素人だから放言できることではある(笑)。


資本主義のもろさ


ところで、頭の弱いわたしにも唯一理解できたのが、本文167-168ページにある次の一節である。


「―――利己的な行動を「合理的行動」と称して肯定し、独占欲に「財産権」という名前をつけて中核に置く資本主義の基礎は、意外に脆いかもしれない。ハイエクもシュンペーターも、資本主義が崩壊するとすれば、その原因はこうした倫理的な弱さだと考えていた―――」


こういうのを読むと、池田先生は決して一般に悪意をもって言うところの「新自由主義者」でもなんでもないと思うのだが、どうなのだろうか。結局、人間のもつ「不公平感」という社会的な歪みはどのような社会になってもなくなることはないと、よくよくわかった上でのあの発言だと思うのだが・・・


みんなで公平に貧しくなる国と、大きな格差は生まれてもいいからみんながそこそこ暮らせる国と、どちらがいいか? と問われれば、わたしなどは間違いなく後者だと思うが、もしかしたら本質的な幸福は前者の国にこそあるのかもしれない。

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エクセレント中小企業はアブナイ団体と紙一重?

日経BPで読んでいたコラムで名前を知っていたメガネ21(トゥーワン) 。何やら怪しげな雰囲気がする会社だと思っていたのだが、よくよく読んでみると、やっぱり、”エクセレントカンパニー”なのではないか、と思うようになった。

まあ、しかしこれは一歩間違えれば怪しげな宗教団体だろう。著者の平本さんはそのあたりをよくよくわかっているらしく、価値観が同じ人間で集まることが重要で、この価値観にそぐわない人はほかの仕事をするべきだ、と繰り返し念を押している。別に社員にやさしくなんかない、とも語っている。読むとわかるが、いわゆる一般によく見られるような企業からすると、ものすごく異端に映る経営を続けている。

もしかしたら、経営者というのは少しずれているくらいがちょうどいいのかもしれない。とくに、中小企業だとその傾向が顕著だという印象がある。武蔵野 の小山さんなども、一部では社畜ブラック企業と言われたりしているが、離職率は圧倒的に低く、この不況下にあっても業績は非常に堅調のようだ。平本さんも小山さんと似たようなことを言っている気がする。エクセレント中小企業の経営層はこんな人ばっかりなのだろうか?

サラリーマンは見習ってはいけないw

多くのサラリーマン企業は、こうした超パワフルでユニークな経営者もしくは経営陣はほとんどいないだろう。通常、ある程度成長した企業にはこうした異端派は敬遠され、調整型の人間がトップに選ばれるのではないか。よく、こうした保守的な性格を揶揄して”サラリーマン経営者”などと揶揄されることも多いが、そうしたトップがいる企業においては、この本に書いてあるようなことを真似すると組織が崩壊するかもしれない(そもそも真似できないと思うが)。


ビジネス書のコーナーに並ぶこの手の「経営指南本」は、だいたいこういうのが多い気がする。吉越浩一郎さんの本 などもそうだろう。ここまでエクセレントな経営が多くの日本の企業に浸透するというのは、ちょっと考えにくい。ということで、要するにこういう本は、将来起業して経営をやろうと思っているような人でもない限り、「遠い国のおとぎ話」として読むのが正しいのではないだろうか。これは、サラリーマンは見習ってはいけないかもw


「残業ゼロ」の仕事力/吉越 浩一郎
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