その④です。
更新しようと思っていて、
すっかり忘れていました!
前回までの記事はこちらから
「その③」までは
中尊寺の参道に並ぶ建物を中心に、
合わせて御朱印を紹介してきました。
今回は
一番奥にある建物の紹介です。
旧覆堂のすぐ近くにあるのは
大長寿院です。
中尊寺の中心となる通りから離れた
奥まった場所にあるので あまり人通りがなく
静寂な雰囲気が漂っています。
大長寿院は、
中尊寺の塔頭(たっちゅう)の一つ、
西谷坊。
1107年(嘉承2年)、
藤原清衡が創建した阿弥陀堂を
その始まりとしています。
『吾妻鏡』によれば、二階大堂(大長寿院と号す)の高さは五丈(約15メートル)、本尊は三丈(約9メートル)の金色の阿弥陀像、脇には丈六(約4.8メートル)の阿弥陀像九躰が安置されていたといわれます。
1189年(文治5年)、奥州征伐の折に二階大堂を見た源頼朝は、鎌倉にこれを模した永福寺を建て、奥州藤原氏と源義経の霊を弔いました。
現在の本堂は1863年(文久3年)の再建。
本尊は胎蔵界大日如来。
『吾妻鏡』によれば、二階大堂(大長寿院と号す)の高さは五丈(約15メートル)、本尊は三丈(約9メートル)の金色の阿弥陀像、脇には丈六(約4.8メートル)の阿弥陀像九躰が安置されていたといわれます。
1189年(文治5年)、奥州征伐の折に二階大堂を見た源頼朝は、鎌倉にこれを模した永福寺を建て、奥州藤原氏と源義経の霊を弔いました。
現在の本堂は1863年(文久3年)の再建。
本尊は胎蔵界大日如来。
※中尊寺ホームページより
門の裏側には
石がビッシリと乗っかっていました!
何の意味があるのかと思って調べたけれど
よくわかりませんでした
奥に進んでいくと
大長寿院が見えてきました。
大きなモミの木がありました。
天然記念物です。
目通り周5.1m、
樹高20m、
樹齢350〜400年。
モミの木から程近いところに、
白山神社の参道へショートカットできる
小道がありました。
白山神社参道側から見た様子。
根っこが凄いです!
ある意味アートですね。
白山神社・野外能楽殿入り口。
さっそく行ってみましょう。
(1月4日は、参拝できなかったので)
能舞台は平成15年5月、
国の重要文化財に指定されました。
案の定、人っ子1人いませんでした(笑)
おかげで、ゆっくり参拝できて、
拝殿もじっくり拝見することができました。
【由緒】※wikipediaより
伝承によれば850年(嘉祥3年)に円仁(慈覚大師)が加賀国(現在の石川県)の一宮である白山比咩神社より勧請したことが始まりとされる。
勧請と同時に白山権現と号せられ円仁自ら彫った十一面観音を本尊として、その後配仏として橋爪季衡(すえひら。藤原清衡の子)の持仏運慶作の正観音と源義経の持仏毘沙門天が寄進安置されていたが、1849年(嘉永2年)の火災で焼失した。 能舞台は1853年(嘉永6年)に仙台藩主伊達慶邦によって再建された。
近世の能舞台としては東日本唯一のものであり、2003年(平成15年)に国の重要文化財に指定されている。
能舞は1591年(天正19年)、時の関白豊臣秀次と伊達政宗が社参の折に観覧に供し以来これを続行している。1876年(明治9年)には、明治天皇が東巡の折に当社に臨幸し、古式(田楽、開口、祝詞、若女、老女)能舞(竹生島)を観覧した。
【御祭神】
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
奥に可愛い十二支守護神社が
並んでいましたので、
こちらにも参拝しました。
人も旅人 我も旅人 春惜しむ
白山神社の御朱印は
今回は拝受できませんでしたので、
次回参拝したときにいただきたいと思います。
さて、せっかく平泉を訪れたことだし、
世界遺産を満喫して帰ろうと思いました。
世界遺産の平泉を巡る旅、
中尊寺を参拝した後は
義経堂と、その周辺を巡りました。
今後不定期ですが、
数回に分けて紹介していきますので
よろしかったらお付き合いお願いします