大和国の佐保めぐり⑩ ~春日大社~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

興福寺(こうふくじ)から
三条通りにもどって

春日大社(かすがたいしゃ)
入ってゆきます。



一の鳥居をくぐると、すぐ
影向の松(ようごうのまつ)の
跡地がありました。



春日大明神が翁の姿であらわれ
舞を舞った地だそうです。

伝統芸能とも

ふかく関わるようですね。

 


 

能舞台の背面(鏡板)には

松の絵が描かれていますが

それはこの、春日大社の

影向の松がモデルだといいます。

 

それほど素晴らしい松

だったようです。

しかしながら、平成7年に

枯れてしまったらしく

となりには、後継の松が

植えられているようです。

 



春日若宮おん祭(かすがわかみやおんまつり)
という大祭では

春日大社若宮の神
参道の御旅所へ渡るといいます。

 



そのときには、

さまざまな伝統芸能が
奉納されるようですが

演者たちはまず
影向の松で舞を披露してから
御旅所へ向かうといいます。

 

若宮の創建以来、

900年ほど続いている祭

のようですね。

 

 

御旅所すぎると、参道は

壺神(つぼがみ)神社あたりで

すこし南にそれてゆきます。

 

 

ちいさな祠なので

通り過ぎでしまいそうですが、

 

お社にしたには

お地蔵様のような

磐座があるようです。

 

前回訪れたときには、

まったく気づかなかったので

ようやくお会いできましたキラキラ

 

とはいえ、これはいったい

なんなのでしょうね。

 

 

社には醸造の神として

酒弥豆男神(さかみずおのかみ)

酒弥豆売神(さかみずめのかみ)

を祀るといいます。

 

酒造りをひろめた
渡来人のことともいうようですが

さて、どうでしょう。
 



春日大社の創建は
710年ごろ平城京守護のため

御蓋山(みかさやま)
鹿島(かしま)神宮の
武甕槌命(たけみかづち)
祀ったのがはじまりだそうです。

768年には
ふもとに社殿がつくられ

山頂に祀られていた
鹿島の武甕槌命だけでなく

香取(かとり)神宮の
経津主命(ふつぬし)と

枚岡(ひらおか)神社の
天児屋根命(あまのこやね)
比売神(ひめ)の

4座を合わせ祀った
といいます。

 



とはいうものの、御蓋山ではほかに

古い遺跡もみつかっているらしく
 

祭祀そのものは、

奈良時代以前から行われていた

ともいうようです。

 



春日大社の回廊の
南西には、摂社・

榎本(えのもと)神社
祀られているのですが

こちらが、もとの
「地主神」ともいわれていて

あとからやってきた

武甕槌命と土地を交換した

という伝承もあるそうです。

 



現在では
猿田彦大神(さるたひこ)
祀られていますが、

もとは
巨勢姫明神(こぜひめ)という
女神が祀られていたらしく

和邇(わに)の地に暮らしていた
巨勢祝(こせのほおり)や

春日野に暮らしていた
春日(かすが)氏とのつながりも
あるのだといいます。

 



さて、

春日大社に祀られているのは

武甕槌命
経津主命
天児屋根命
比売神

の4座だといいますが、

 

古事記・日本書紀からでは
なぜこのかたがたが

合わせ祀られているのか
よくわからないようです。



ホツマツタヱによると、
4座は親族だったようですね。




つはものぬしと 
ふつぬしと
たけみかつちに

たまかえし
 

さるさるさわに
おこるみちかな


ツハモノヌシ(兵主神)と
フツヌシ(経津主神)と
タケミカツチ(武甕槌神)によって

 

「魂還(たまかえし)」という

乱れた魂魄を清らかにして

天上界に還す秘術が

猿更沢(さるさるさわ)
生まれたといいます。

 

このかたがたは、
ハタレ(反乱軍)の動乱
活躍した武将で

ハタレの魂を鎮めるため
祓い清めの法として

 

『タマカエシ』を

完成させたようですね。
 



ゐちちがえなむ
たまかえし

ここすとのねお
ぬすぶふみ

こことむすびの
なにすゑて
かすがとのとぞ


ヰチヂが
タマカエシの術を継ぐと

ココストの奥義を
文書にまとめあげたことから

ココトムスビ(興台産霊神)
という称え名とともに

春日殿という土地(社?)も
賜ったといいます。

 

ヰチヂとは、どうやら
ツハモノヌシの一人息子・逸材の息子
ともとれそうです。

 

また、「ココスト」とは

タマカエシをおこなう者のことで、

 

タマカエシの心構えや精神を

「ココストの道」といったようです。

 

祓い清めの専門職が生まれた

ということでしょうか?

 


天照大神は、
タマカエシの秘術に
とても感謝していたようで


よろものきれど
たまかえし
みたれをとけは
かみとなる

ここちかすが
さとのなも
をきながもりも
たまわれは



おおくのハタレを斬っても
タマカエシによって
 

魂の乱れを解いたらなば

ハタレだろうとみな
魂のふるさとに帰ることができる

 

わたしの心は、とても
清々(すがすが)しくなった

 

というと、

ツハモノヌシの

統治していた土地を

 

カスガ」と名を改めて

たまわったといいます。


『スガ』というのは、
ソサノヲ(素戔嗚尊)

出雲(いずも)にひらいた
 

「須賀(すが)」神社の由来

『スガハ』の「スガ」とおなじようです。

 

 




かとりかいもと
あさかひめ

こことむすひの 
つまとして

うむかすがまろ


香取(フツヌシ)の妹・
アサカ姫を

ココトムスビ(ヰチヂ)の
妻として

産まれたのが
カスガマロだといいます。

カスガマロが、のちの
アマノコヤネ(天児屋根命)

だといいます。



やがて、天児屋根命が
ヰチヂを継いだらしく


かすかとの
あまのこやねは

よにひいて
かすかのかみと
なおたまふ


カスガの地を治める
アマノコヤネは

万事に秀でていて
カスガの尊という
称え名をたまわったようです。

これが、いまものこる

春日神・春日明神のこと

のようですね。

アマノコヤネに
タケミカツチは一人娘の
ヒトリ姫を嫁がせたといいます。

こうして、

タマカエシの術をあみだした

かたがたの系統がひとつに

集約されていったようですね。

 



ふつぬしの
かとりのみちお
ことことく
こやねにさつけ
かくれます


フツヌシは
香取の道(土地・統治)をことごとく
 

アマノコヤネに授けて

亡くなったようです。


かしまのみちの
おくもみな
こやねにさつく


鹿島の道の
奥(奥義・書・土地・統治)も

アマノコヤネに授け


かすかとの
たまかえしなす
おくのりも
こやねにさつく


ヰチヂが治めていた

カスガの地も
タマカエシの奥法も
 

アマノコヤネに

授けられたようです。

これらすべての
地位と権力と名声が

アマノコヤネひとりに
集中したようです。



また、
アマノコヤネとヒトリ姫が
子を授かるためには

アマノコヤネが語ったという
御種文(みたねふみ・代継文)が

もちいられたようです。


子を授かるための
さまざまな注意や心がけを
こまかく記したもので、

女性の象徴でもある
「月」の運行を重視していて

ムツキ・キサラギ・ヤヨイなど
月の呼び名も

 

子を授かるため

注意事項からきているそうです。



つきのなも
たえのおくのり


月の名もすべて
妙なる奥義のひとつ
だというのでした。



興福寺が山号として

「月輪山(がちりんざん)」をかげたとき
不思議なことがつづいたのは

やはり、

「月」の文字を掲げたのが

理由なのかもしれません。

こうして、生まれたのが
春日大社の若宮で祀られている

オシクモ(天押雲根命)
だといいます。

 

春日大社でもはじめは、

アマノコヤネを祀る第3殿と

ヒメカミを祀る第4殿のあいだに

小さく祀られていたといいますが

 

これを、若宮社として

社殿を築いてうつしたのが

 

春日若宮おん祭

(かすがわかみやおんまつり)の

はじまりのようですね。

 

 

さらに、
オシクモの子である
アメタネコ(天種子命)は

 

初代・神武(じんむ)天皇

につかえて

中臣の姓のさきがけとなる
称え名をたまわったようですね。


たねこもみをや
わかひこか


なおきかかみの
ことつけは
 

なおりなかとみ 
かみたまふ


アメタネコの祖父・

アマノコヤネ(本名・ワカヒコ)から

 

直き鏡臣(左大臣)の

職を継いで

 

すばらしいことを

成したことから

「直り中臣尊」という
称え名をたまったようです。
 

こうして、

アマノコヤネの一族はここ

春日の地を治めていたようです。

 

中臣氏がやがて

藤原氏となって、

 

ふたたびこの地で

繁栄していったようですね。

 

ただ、

「カスガ」という言葉が

「春日(はるひ)」という表記になるのは

またのちの話のようです。

 

 

大和国の佐保めぐり⑪ へ つづく

 

 

 

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