早いもので12月。
炬燵でみかん。
鍋が美味しい。
加湿器の調子がいまいち。
今回は「秋」シリーズ最後です。
結構壮大な展示のため、文書長いです…😅
イヴ・サンローラン展に行ってきました。
イヴ・マチュー=サン=ローラン[1936-2008]
3月に現代美術館のクリスチャン・ディオール展に行ったのがきっかけで、
イヴ・サンローラン展も見ておきたいと思いました。
1955年、アシスタントとして雇われ、
1958年、21歳でクリスチャン・ディオールの2代目として鮮烈なデビューを果たされました。
長身でスマート
ファッション界の王子と言われていたそうです。
この時発表されたのは
トラペーズ(台形)ライン
その後、
ピーコート
パンツスーツ
タキシード
サファリルック
シースルーなど
現在当たり前のように
女性が取り入れているファッションの礎は
実はYSLが作り出したものだったのですね!
今回の展示は
スタイル110体
それぞれのスタイルに合わせたアクセサリー
ドローイング
写真などです。
実物をじっくり観察できる展示になっており、どのデザインも洗練されていて素敵でした。
特にピーコートの前衛的かつ上品さを兼ね備えた感じはうっとりしてしまいます。
展示の序盤は写真と子供時代の作品から。
13歳にして
「愛について語るのはなぜ?」
などという、イラストも添えた書籍を制作していました。
イラストがオシャレ。
16歳頃には、
ペーパードールを制作。
母親のファッション雑誌から切り取ったモデルに、ドレスやアクセサリー、帽子やバッグの小物まで、とても正確につくられています。
ファッションショーさながら、
モデルとデザインの名前などを示したプログラムまで制作していたそうです。
これは、ぜひ「博士ちゃん」に出演してほしい。
17歳で服飾の学校へ入学。
その後書籍の挿し絵なども描いたりしていましたが、
パリで開催されるコンクール、ドレス部門で1位を獲得したことがきっかけとなり、1955年にクリスチャン・ディオールのアシスタントとして迎え入れられました。
その2年後にクリスチャン・ディオールの急逝により名跡を継ぐことになります。
もともと、ディオールは彼の才能を見込んでおり、後継者として指導していたそうです。しかし、思いがけず半ばで後を継ぐことになってしまいました。
若干21歳でその重圧は高いものだったと思いますが、トラペーズラインを発表するなど、彼は見事に期待に応えることができたようです。
なぜ、3年という短い期間でメゾンを去ることになったのかは詳しく触れられていませんが、オーナーは別の後継者を考えており、確執があったようです。
その別の後継者とは、三代目となるマルク・ボアンです。
相性の悪いオーナーが裏で手を回していたとも言われておりますが、イヴ・サンローランは徴兵され、その後精神病院へ。
ディオールを退職させられてしまった?ようです。
治療後、1961年に恋人である資産家ピエール・ベルジェの出資で自身のブランドとなる「イヴ・サンローラン(YSL)」が設立されました。
ディオール出身の技術者が大半の小規模なチームを結成して多くのデザインを作り出し、1962年1月に開催されたショーにて紺色のピーコートと白のプリーツパンツにミュールを合わせたスタイルが発表さました。
デザインは直筆のスケッチから始まり、コレクションのために選ばれたスケッチに、仮縫いの際にテキスタイル見本やアクセサリーをどのようにつけるかなどの指示が入って仕様書(バイブルページ)となります。
コレクションでは、さらに必要な情報を加えてこれらを一覧にしたコレクションボードが作成されます。
展示では、仕様書(バイブルページ)やコレクションボードも拝見できました。
実際の洋服や帽子と比べて見るのも興味深いです。
仕様書(バイブルページ)についてですが、1964年の時点ですでにデザインを財産として保存するという考えに至っており、全て保存されていたのだそうです。
YSLは2002年にメゾンを閉じますが、その後財団となり、2017年に美術館、「ミュゼ・ド・フランス」に認定され、コレクションは不可侵かつ絶対的で、押収されないことが保証されました。
ピエール・ベルジェとイヴ・サンローランは50年もの間、恋人としてパートナーとして信頼関係にありましたが、美術品のコレクションも後に「美の宇宙」と呼ばれるほどのものだったようで、このようなところからデザインを文化遺産として遺したいという考えに至ったのかもしれませんね。
それぞれのスタイルに合わせたアクセサリーも見所満載でした。イヴ・サンローランはアクセサリーについて
「ドレスはシンプルに、アクセサリーは風変わりな感じにするのが好きなんだ」
とおっしゃっています。
しかし、自身がデザインすることはなく、信頼できる専門家におまかせしていたそうです。
その他、織物、刺繍、染色なども職人との協働でした。
やはりそのためには自分のデザインやイメージを的確に伝えられる能力に長けた人であり、パートナーはもちろん、チームにも恵まれた人だったのかもしれません。
YSLといえば、スタイリッシュで現代的な装いの印象がありますが、古典風なボリューム感のあるドレス(イブニングガウン)や、花嫁衣装、舞台衣装なども手掛けていました。
特に舞台衣装では、舞台装置までスケッチしたものもあり、自由に創造性を働かせていたのかなという感じをうけましたが、花嫁衣装のほうが奇抜な感じに仕上がっているのが私の中ではツボでした。
世界の様々な国をモチーフとしたデザインも展示されていました。
しかし、それらは実際にその地を訪れたものではなく、「想像上の旅」だそうです。
彼はモロッコのマラケシュをとても気に入り、自宅を構えていたようですが、それ以外はあまり旅行を好まなかったようです。
日本がテーマのデザインもありましたが、彼らの趣味である美術品や書物から着想されていたようです。
しかし、自身のブランドを立ち上げて間もない1963年にピエール・ベルジェらとともに来日し、東京と京都を訪れたそうです。
その際、東京や大阪でショーも開催され、西武百貨店と販売契約を結んだそうです。
百貨店との契約の下りはブランドあるあるですね。
ちなみに、YSLではオートクチュールに「プロトタイプ」と「顧客のための仕立服」がありましたが、プレタポルテが主流になることにも目をつけており、1966年には既製服ラインを出しています。
また、化粧品のラインもありました。
展示のラストは
「アーティストへのオマージュ」です。
2002年に引退を発表し、
「モードの帝王」としての40年間の活動に終止符が打たれました。
同年に「彼以上の才能を、後継者にも見つけることは不可能」とされ、オートクチュールメゾンも閉じられました。
(プレタポルテ、化粧品のラインは、1999年にグッチに売却しています。)
その後はモロッコのマラケシュにある自宅で過ごし、2008年にこの世を去りました。
また、長年のパートナーであるピエール・ベルジェは、イヴ・サンローランの全てを保存し、後世に伝えるという熱い意志のもと、前述の財団を設立し、文化遺産として遺すことに貢献した後、2017年10月、パリとマラケシュ2ヶ所の美術館が開館する目前の9月にこの世を去っています。
ディオールのテーマパークだった展覧会とはまた変わり、内容たっぷり、お腹(頭?)いっぱい、図録もずっしり、大満足の内容でした。