もやもや病で脳出血発症した元IT系社長の半身不随の障害者岡下俊介言いたい放題ブログ

もやもや病で脳出血発症した元IT系社長の半身不随の障害者岡下俊介言いたい放題ブログ

神戸でIT系企業の社長だったが2008年のリーマンショックの影響で脳出血発症、左半身不随障害者となる。会社は廃業、自己破産経験、一旦人生挫折。死を選択しかかり、その後離婚を経て2020年に59歳でコーチング認定試験に合格、再婚後プロコーチとして再起を目指す起業家です。

メッセージ

久しぶりに弟が千葉から帰ってきた。

父の七回忌の法要が再来週にあり、その準備も兼ねての帰省だ。

僕は僕で2年前に事実婚で再婚した相手がまもなく奈良に来るという。

その話の中、奈良に来たら、賃貸マンションかアパートに移り住むと意向を伝えると金かかるけど大丈夫とのこと

なので、コーチングに関するKindle本出版して稼ぐ意向も伝えると

そんな博打みたいないい加減な事で大丈夫か?って言われて、少しカチンときた

博打とはまた酷い言い方だな

博打なんかじゃない。

もう2年前から綿密に計画して進めてるプランだ。

まぁ、サラリーマンからしたら博打に見えるんだろうけど、細かい事話ししてる暇ない。

坂本龍馬やないけど

我が成すことは我のみぞ知る

って気分だ。


負けてたまるか

たとえ身体障害者でもね。


「人は身体を傷つけられると生きようとするが、心を傷つけられると死のうとする」

これは僕が身を持って感じている。


なぜなら、脳出血で、リハビリ病院に入院していたときのこと。入院患者は皆んな身体的に麻痺やケガをして、必死で生きようとリハビリしていた。


しかし、その後、退院して神戸のとある障害者専用マンションに移り住んだときのこと。そのマンションの管理者は最上階には精神障害者は入居させない方針。

なぜなら、精神障害者は飛び降り自殺の可能性が高いという。


事実、住んでいる際に飛び降りだけじゃなく、リストカット未遂が何度かあり、数人亡くなった。

僕は思った。

身体障害や身体に問題がある人が必死で生きようとしているにも関わらず、五体満足なのになぜ命を断とうとするのか⁈


それで、痛感した。


身体の傷より、心の傷や精神的傷の方が

はるかに怖いと・・・

トップの目を気にして・・
上司の目を気にして・・
部下の行動を逐一監視・・
行動監視される側 はやってられない
奴隷じゃあるまいし
所詮サラリーマンの保身
やってられないからまた独立起業する
個人事業主といえど、主だ!
主は自由・束縛無く生きる事ができる!
リーマンやってるヤツの気が知れんわ!

2008年11月20日14時15分

まるで昨日の事のようだ。

自分の会社の事務所

突然、後頭部に暖かいモノか流れるのを感じる

その瞬間、天井が回り出した。

脚と半身の力が抜け

椅子から崩れ落ち床に寝るような倒れた

脳出血で倒れた瞬間だ。

左半身不随の身体障害者になった瞬間だ!


水泳が得意で県大会では2位

フリッパーレースでは全国2位

という体力自慢の自分

はその瞬間消え去った瞬間でもあり

歴史になった瞬間だ。


あれからもう16年

未だに身体障害は自分に当たり前では無い

言語も話も健常者と変わらず

自動車も運転する

東日本大震災時、奈良から石巻市まで片手運転した。

周囲は自分が身体障害者である事は

当たり前になってるようだ。

でも自分は未だに五体満足の夢を見る

自分にとっては未だに当たり前にならない

車に乗ってる

健常者と変わらず話す

そのせいか

周囲は健常者扱いしてくれる

障害者扱いよりマシだけど

自分の心の内は何も理解されてない事も分かる

複雑な心境である

これが中途障害者というものなのだろう


最近というか特に今の職場は

定時なればクライアントの状況はほぼ無視して終業して帰る!

部門長が率先して帰る!

こんな事で良いのか⁈

これが日本政府が掲げる

働き方改革なのか!

僕は違うと思う。


少なくとも僕はお客様、つまりクライアントに 感謝される事が最大の喜びであり

報酬だと思っている

だから感謝される仕事ができるまでは

絶対に手抜き仕事はしたくない!


でも僕は身体が不自由だから・・

仕事でやる事が何でも遅い!

だから健常者が8時間でできる仕事も

8時間以上かかる!

2倍の16時間かかるかも知れない

僕はそれでいい!

お客様に感謝されるなら!

身体が不自由で遅いなら

それしか無い!

何時間働いても構わない!

お客様に感謝されるなら!

お客様に感謝されるなら!

何時間働いても構わない!

何時間働いても構わない!

今の職場はそれをさせてくれない

こんな事で良いのか!?

会社は体調管理業務があると言う

体調管理なんて自分でやる!

医者でもないくせに!

他人の体調管理なんて、

お節介にも甚しい!


こんな働き方改革を

日本政府がやっていて良いのか!?

何かが違うと少なくとも僕は思う!

マスコミはこれが世界標準だと

正当化して、それに従わない企業を

ブラック企業というレッテルを貼る!

世界標準なんて、

たかが欧米諸国のルールに過ぎない!

いつでも欧米諸国なんて

ルールメーカー気取りで

自分達に都合のいいルールを作り、

世界中に押しつける!


スポーツ界しかり

環境問題しかり

こんな身勝手な欧米のルールなんかに

日本が従って

働き方改革だの!

ジェンダーフリーだの!

体罰は悪だの!

同調なんかしていると

日本の産業も日本人も

劣化するのではないかと

少なくとも僕は危惧している




エグゼクティブコーチングだけじゃなく、通常の個人をクライアントとするコーチングでも
コーチング講習では法人や社長がクライアントのコーチングで業界経験や業界知識は必要ない、
エグゼクティブコーチングだえじゃなく、通常の個人をクライアントとするコーチングでも
個人と同等の経験や知識は必要ないと教えられた。

なぜなら、例えばエグゼクティブコーチングの場合 、企業経営がテーマなのであらゆる経営者に

必要な基本理念や経営方針、事業計画の策定の支援だから業界経験や業界知識が必要ないそうな

 

マジで言ってる?

そもそもコーチングで大切な事はクライアントに信頼され

更にはクライアント自信が自らのさまざまな本苦しい心情の本音や密やかな野望等を理解して

もらっていると感じさせる事こそがクライアントとの本当のけるのはなのか?

 

クライアントと同じ業界経験や業界知識も無しにそんなクライアントの心情を理解し、

本当の信頼関係を築ける訳ない!

 

同じ体験を,同じ心の痛み(心の痛みだけでなく,身体的痛みも)体験いると思うからこそ自分の事を

理解して貰っていると思えるのではなのか?!

 

だかこそ,同郷の人間や同じ人種、同じ国の人間同士がは和か合えると思えるからこそ

心許せる仲になれるのではないのか?!

 

ブコーチングに業界経験や業界知識は必要ない?

 

バカバカし過ぎて笑える!

 

単なる資格日ビジネスの魅力的に聞こえるキャッチフレーズに過ぎない

 

コンサルティング経験のある自分からみれば、海千山千の企業経営者に心許してもらって

信頼関係を築くなんて

そんな甘いもんじゃない!

そんな甘い考えでコーチングビジネス(ビジネスごっこ)なんてしているから

企業年金者から(何んにも知らないっんだなと)見透かされ,相手にされず

(相手にされ手無い事さえ付いていないコーチがほとんどだが)

まともな契約取れず稼げてないのが実情じゃなのか!?

稼ぎたいなら

コーチングのクライアントのにで働き経験を積め!

経験を積んで、積んで、積んで、積んで、

その業界働く事の痛みや喜びを身体で覚えるくらい

業界経験を積め!

そうすればおのずと稼げるようになる!

 

 

 

サラリーマン社長や管理職は保身に走る事が多々あるみたいだ。例えば売上数字の改ざん、ウソの報告書等・・・

これら保身行動をなぜするのか考えて、

気が付いた。

要するに自分かより上の立場の人(サラリーマン社長なら先代社長や株主、管理職なら、その管理職の上司)に叱られたくないからなのだろう。

僕は自分で会社を立ち上げたいわゆる創業社長で上場会社でもなかったから、先代社長や株主等叱られる人もいなかった。

だから売上数字改ざんしたところで何のメリットもない。

売上数字改ざんするようなサラリーマン社長ってホント気楽で、くだらないと少なくとも僕は思うのだ。

約束を守らない人は当然のことだけど

ビジネスでは信用できない。

ビジネスだけでなく、

人間関係も壊れてしまう。

約束を破られた時、

僕は怒らない、責めもしない。

僕はそんなに偉い人じゃないから・・

じゃあ、どうするか・・・

静かにその人を戒めず、

たとえ近くに居ても

何もせず、話しかけもせず

知らぬふりをするだけ

目の前に居ても知らぬふりをする。

これはあのブッダ(釈迦)の教えの乱暴者への罰のいわゆる「無視」である。

あのブッダ(釈迦)は言ったそうだ。

乱暴者のチャンナにブッダ(釈迦)が命じた罰は「ブラフマダンダ」というもの。

それは

「乱暴者は自分の思ったことを

何でも言って良いが比丘達(ブッダの弟子達)は乱暴者に話しかけてもいけないし、戒めても教えてもいけない」

と言うもの・・・

つまり無視せよと言ったらしい。

無視こそ、最大の罰だからだそうだ。


なぜ、無視が最大の罰になるかと言えば、

無視は「人の心を殺すこと」だからだそうだ・・・


身体障害者である僕には殴る事も蹴りを入れる事もできない。

大声で怒鳴り散らすことさえ身体が辛い。

でも無視なら身体障害者の僕でもできると、

ブッダの教えの「真理の言葉」ダンマパダを読んだ時、そう思ったからだ。


IT系の会社経営をしていた僕が言うのもおかしいけれど・・

 

最近特にデジタル化、IT化による効率化、

 

そしてAI活用による・・やっぱり効率化が加速している気がしている

 

2008年、脳出血による半身不随の障害者となってから約15年

 

僕はいつもゆっくりだ・・

 

慌てると転倒するから・・

 

健常者の頃

 

よく走った・・

 

電車に乗り遅れる!から・・

 

時間に間に合わない!から・・

 

本当によく走った・・

 

体力も人一倍自身もあった・・

 

でも今は・・走れない・・

 

だから・・

 

時間に遅れそうになると・・

 

走らない・・・走れないから・・

 

その代わり。事前に遅れると了承を取る

 

それで充分・・約束の時間に間に合わないけど・・

 

何も無理して約束の時間に到着してくても・・

 

それでいい・・充分だ

 

了承さえとれば、あとはのんびり・・

 

自分のペースだ・・

 

考え事までできるのだ・・

 

そんな今の自分を鑑みると・・

 

健常者の頃、走っていたのは何だったんだろう・・

 

と不思議に思う・・

 

そう考えると・・

 

IT化による効率化、IT化による効率化、

 

そしてAI活用による・・やっぱり効率化

 

って必要?

 

ゆっくり考える暇もなくなる・・

 

確かにChatGPTは便利だ

 

だから、思考が深まるのか?

 

真逆ではないのか?

 

AIに任せっ切り・・

 

思考力が浅くなるのでは?

 

僕から見るとChatGPT、いわうる生成AI

 

所詮プログラムに過ぎない・・

 

所詮過去のデータベースの自然言語の組み合わせ見合わせに過ぎない・・

 

未来予測や新発見は無理だろう

 

AIを怖がる人もいる

 

でもAIなんて所詮プログラムに過ぎないから

 

少なくとも僕は怖くない

 

人の感情も理解出来ない

 

表面上、自然言語処理だからその自然言語の

 

組み合わせによるAIが生成する文章を読むと人

 

の感情を理解できているように見える

 

そう見えるだけ・・

 

そんなに情報収集して効率化して

 

幸せになれるのだろうか?・・

 

何か違う気がするのは僕だけだろうか?

 

IT系の会社経営をしていた僕が言うのもおかしいけれど・・

 

最小の努力で最大の効果

 

その真逆の・・

 

最小の効果のために、最大の努力をする

 

それでも問題ないような気がする

 

むしろその方が(生き方としては)美しい気がするのは僕だけだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お金を頂いているという事はプロである。

たとえ1円でもお金を頂いているという事はプロである

プロである限りはビジネスの基本を守らなければならない。

契約はもちろんの事、約束事は決して私事で破棄してはいけない。

簡単な話、アポイントメントの時刻を守る=ビジネスの約束事


1円でも頂いている限り、ボランティアではない。プロ意識を持て!


これは私の師匠にあたるIT系企業の社長から耳にタコができるくらい口酸っぱく言われていた事だ。


コーチングビジネスをスタートした今、

大切にしたいと思うのだ、

たとえ、身体障害者でもそれは同じ!