1281)
の続きです。
夏の夜、23:35に身延線641M で甲府に着いたあと、下り「アルプス」が来るまでのあいだ バルブ撮影を楽しみます。長野発松本経由新宿行きの426レ がやって来る時間です。
S49(1974).7.27 0:31 甲府2番線に426レ到着 発車は1:02なので31分停車します。
甲府までは EF64 40牽引
牽引してきた EF64 40 はここで切離されてます。長時間露光をはじめたらすぐに解放されてしまいEF64は影武者に。客車だけが残ります。甲府②にて
作業員のカンテラが揺れています。
EF64 40が切り離されたあとの426レ、マニ60 2382他
ヒマなので編成後部までナンバーをメモしてゆきます。
マニ60 2382 ↑新宿方
スユニ60 2043
オハフ33 2517
オハ35 2902
オハ35 2887
オハ35 2078
オハ35 2859
オハ35 3268
オハフ35 2328 ↓長野方
どちらかの荷物車には ヒヨコがいっぱい入ったかごが一面に載せられていました。30かごくらいはあったと思います。ピヨピヨピヨ・・・とよく鳴くこと!!
426レが到着する前の時間になりますが、中線には下り貨物列車が停車中。機関車交代して 甲府からEF10 18牽引となり、426レ到着の前に発車してゆきました。
続いて EF10 28牽引の下り貨物が①番に到着、5~6分停車して 0:36に 同下り貨物発車、続いて空いていた中線に 0:33に ED61 2+ED61 4の重連で牽引の下り貨物到着、0:38 ED61重連解放、↑甲府中線に写っている貨物はこれです。
0:49 ③にEF64 33牽引の上り貨物到着、カマ交換無しで1:17発車、と夜の甲府駅はたいへん忙しそう。夜行急行 下り「アルプス」も定期2本+季節1本+臨時数本があり、下りの客車長野行き鈍行も加わりますので、待合室は深夜でも使えます。日本中の夜行列車運行区間の中間エリアにあたる停車駅では、そのように終夜営業の待合室がほとんどにありました。
426レ 甲府②、ここから牽引するEF64 14(甲?)が連結されました。0:51
発車は 1:02で、大月1:59着2:10発、高尾3:15着、八王子3:23着、新宿⑤4:23着です。
別の機会(S48年8月)に426レに乗車した時には満員でした。松本あたりではまだ余裕があったものの、諏訪あたりでは座席は全部埋まっていたように思います。友人とは別々のBOXになり、私のBOXの斜め前には ひげそりのために何度もWCに向かう不思議で不気味な20~30代男性が。剃り跡には血がにじみ、青い顔。オカマちゃんだったか アレの常習者だったか?
早く降りたい、と新宿に着くのがなんと待ち遠しかったことか。忘れえません。
中央線下り夜行は 観光地へ向かうグループや登山者が多かったですが、上り夜行はホント雑多な人々の多かったこと。帰りの観光客は ほぼいませんでした。いろんな事情をかかえ、都会に早朝に着く必要がある人びと。
乗車した甲府1:30発 6409Mアルプス6号 信濃森上行き も予想にたがわず満員でした。165系12両(前から 付属編成4両+基本編成8両)だったと思います。甲府からではとうてい座席にはありつけず、デッキの床にしゃがんで時の流れるのをひたすら待つだけ。半ば徐行運転のようなトロトロとした走りは床族でも うとうとできたと思います。
甲府では、6409M発車間際の 1:26着で 上りEF64+オールグリーン車6両編成の団体臨がやってきました。発車間際で撮れませんでしたが、
オロ60+オロ54+スロ62+スロフ62などの6両。窓には「KKヤシカ」とありました。撮りたかった・・・
甲府から1時間42分かけて 3:12 に辰野着。
飯田線の始発は早く、4:35発の222M米原行き があります。米原行き?って今では間違いじゃあないかと思われそうですが、飯田まで小駅を通過しつつ普通列車(快速ではない)として走り、飯田からそのまま 602M「伊那1号」米原行きとなります。4連で豊橋まで急行運転したあと、9:44着の豊橋で8両ほど増結し 東海道本線快速 となり12:16に米原着、です。大垣で一部は切り離されます。
よほどのマニアでない限り 通しで乗ることはなさそうですが、これが東海道本線(豊橋以東)および中央西線が不通時に 東京と名古屋~関西を結ぶ バイパスルートとして機能していました。新宿発23:45の定期最終「アルプス8号」413M に乗ると、辰野4:24着。11分接続で1回乗り換えるだけで、あとは米原まで直通なのです。素晴らしい!中央西線経由だと夜行「ちくま」になるので、新宿19:00発の松本行き最終「あずさ」に乗り、松本で1時間ほど待つ必要があります。
↓は未明の辰野駅(西側の側線)で待機中のED18 2。
このときには ED17は引退していたと思いますが、ED18・ED19は飯田線で最後のふんばりを見せており、この時の目的のひとつでもありました。両者とも撮りたいですが、特にサイドの通風口が特徴のED18を渇望していました。さっそく出会えて感激。
辰野駅の西側には5本くらいの側線があり、運用上の基地だったり 貨物の操車だったりをしていたと思います。↓も出庫前で、足回りの点検中のようです。
1974.7.27 未明の辰野駅 1222M 辰野4:51→11:54豊橋
普通列車ですが、田畑・下島・赤木・大田切のみは通過で 他は全駅に停車。豊橋まで7時間以上かかります。
クモハ54008+クモハ50000+クユニ56002+クモニ83102(静トヨ)→豊橋方
運用上は 荷物車である前1両と クユニ56を含む後部の3両の併結となっています。これら郵便荷物車を含む運用は豊橋電車区、荷電なしでは他に伊那松島電車区(静ママ)の所属・運用もありました。
1222Mの2両目
40系のクハニ67003を改造したクユニ56002。なぜか「クモユニ」との車体記載(表記)から「モ」だけを塗りつぶしていました。
S27.4.15豊川(日車)改造、WC取付と半室クロスシート化が行われたということです。
1222Mの飯田方から3両目:クモハ50000
50形トップナンバーである50000。気になるナンバーで、どこかにいることはわかっていましたが、さっそく会えてうれしい。
50形は木造車体の鋼体化改造車でかなりのオールドタイマーです。クラシックな重そうな台車!!
↓ナンバーが読めるように拡大してみました。
クモハ54008 辰野4:51発の1222Mの4連最後部
車体サイドの反射が美しくて撮った記憶がありますが、なぜカラーでホームの植栽を配置したのかわかりません。早朝の涼しさに 気持ちよく舞い上がっていた(笑)かもしれません。
豊橋着は11:54、乗り通したら尻や腰が痛くなることは疑いない。
辰野4:35発の 上り初発222M~急行602M伊那1号 大垣行 クハ165-126
豊橋で下り方に8両増結され12両編成になります。そちらに乗り移れば米原まで直通します。
飯田までは普通列車ですが小駅の通過駅が多く、普通列車区間でも15駅通過します。
ぽつぽつと乗車があり、画角にも入っています。
手前辰野方から、クハ165-126 モハ164-835 モハ165-13 クハ165-135→豊橋方(名カキ)
これに40分乗車して 5:15着の宮田で下車。
宮田の辰野寄り 5:27 クモハ42013
下り初電の221M駒ヶ根5:21発
クモハ42013 クモハ42008 クハ56011←駒ヶ根方
42系は2ドア車。関西急電の流をくむ名車だったと思います。無骨でさらにホロが付き すばらしい!!
5:41 1222M 宮田(飯田側)で
クモニ83102・クユニ56002・クモハ50000・クモハ54008←辰野方
辰野でメモしたのでナンバーはわかります。豊橋電車区所属車
1222M後追い クモハ54008 宮田~大田切で
クモニ83102・クユニ56002・クモハ50000・クモハ54008←辰野方
これから大田切~駒ヶ根まで歩きます。沿線の田園地帯は朝ツユがびっしりで、ズックの靴がびしょびしょになった鮮明な記憶が。まもなく下り貨物がやって来ます。
(以降続きます)