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の続きです。
日立電鉄の大甕駅、S63(1988)年6月14日。鮎川に向かいます。

大甕で交換した常北太田行のモハ13形。12:54ごろ
駅員氏(または車掌)の左足の向こうに、もと気動車ゆえのサイドの裾の欠き取りがわかり、乗降口にもステップがあるようです。もと気動車の相模鉄道キハ1001~1004のどれかで、経緯は1025)の記事をごらんください。
モハ13~16の4両のうちのどれかですが、16は側線に、13は大橋で交換したので、消去法で14か15らしい。
常北太田から大甕までは 田園地帯をゆっくり進むワンマン運転でしたが、ここ大甕からは鮎川行きにも車掌氏が乗車してきました。ちなみにワンマン運転のわが国初実施は、S46年10月1日からの日立電鉄だったそうです。
周辺は、久慈浜あたりからは密集した市街地になっており、実際明らかに乗客も多くなりました。
常磐線大甕駅の西側に隣接した日立電鉄の大甕駅でしたが、次の水木駅との間で再び常磐線を超えて東側へ移ります。3回も常磐線を超える(うち1回はくぐる)という不思議さですが、その理由は、大甕駅の東側に 水戸へ向かうための用地が確保できなかったためとのこと。
常磐線の東側へ出てからは市街地のつまらない風景。大甕・水木・大沼・河原子(JR常陸多賀駅の東側至近)・桜川・起点駅-鮎川と進みます。
そういえば、小山の方から水戸線経由で夏季臨快速で「かわらご」という列車があったっけな。栃木県方面から海水浴に行くには、河原子海岸が一番近くアクセスが良かったのかな?当時は大洗への鉄道はありませんでした。いまなら鹿島臨海鉄道が便利ですが。
起点駅-鮎川に 13:07に着きました。ここにもいるいる・・・

↑鮎川のホームは島式1面のみ。そこに接して止まるは 乗車してきたモハ12(左)。
この立ち位置あたりで下車したあと、モハ12はすぐに先の方へ移動してゆきました。その向こう側に1両止まっているのですが、それはナンバー不明。
右はメモしそびれましたが、向こう側の車両の中央ドアが両開きの荷物室のようなドアなのでモハ1007~1009のいずれか。1008は大甕に居たし、1009はこのあと鮎川留置線で発見したので、これはモハ1007に違いない。
その手前は深い屋根、2連窓の窓配置、少ないクハ車であることから、クハ2503らしい。クハ2500形は2503・2504の2両しか無く、クハ2504はあとで留置線で見つけたので。
のちに資料をみたら、編成の組成はモハ1007+クハ2503(→常北太田方) とわかり、クハ2503で間違いありません。あとから特定できるのも旧型電車の楽しいところ。
このクハ2500形、S11(1936)年川崎車輛製の東京横浜電鉄(のちの東急東横線)の流線形ガソリンカーキハ1形が元祖のクハ2501と、相鉄の荷電からの流れのクハ2503 およびクハ2504の2種があります。形状が違い、クハ2501はサイドが連窓ではない上、正面は貫通形でホロ付き。
↑この写真は サイドが2枚づつの連窓なのでクハ2501ではありません。
クハ2503、クハ2504はそれぞれ出自が違い、日立クハ2503は もと青梅鉄道(現在のJR青梅線)モハ504→戦時買収で国鉄の一員に→S24年に相鉄へ→S41年 相鉄で車体新造乗せ換え→S50年 相鉄で改造(荷物電車化 電装解除) クニ2506に→相鉄でS52年に荷物輸送廃止→S52年日立入線 改番でクハ2503に。
日立クハ2504は S34.7.31に国鉄で廃車になった国鉄クハ16 121 を相鉄がS35年に譲り受け車体更新したもの。そのクハ16 121は 省電(鉄道省時代)のモハ30 129→クハ化で クハ38 079→クハ16 121という歴史があります。
相鉄入線で クニ2506と同様、S50年に荷物電車(クニ2511)となりました。相鉄でS52年に荷物輸送が廃止されると、クニ2506と同じく S52年に日立に譲渡されてきました。
相鉄クニ2506→日立クハ2503、相鉄クニ2511→日立クハ2504 です。

↑起点-鮎川駅ホームから北側を見渡すと、先端部は行き止まりの留置線になっていました。右隅は乗ってきたモハ12ともう1両。中央がモハ11+クハ2504+モハ1009(=奥のほう メモから)
左は手前がクハ2501らしい。サイドに回れないので正確に確認はできませんが、深い屋根、2連でない窓配置、貫通型のクハ車であること、ガーランドベンチレータの形状から クハ2501に間違いない。
このクハ2501、S11(1936)年川崎車輛製 東京横浜電鉄(のちの東急東横線)の流線形ガソリンカーキハ1形のキハ4。
変電所増強節約(不足)のため、キハ1形ガソリンカーは8両製造されたそうですが、ガソリンの配給制限により S14~15年に神中鉄道と五日市鉄道に譲渡。神中線(神奈川中央鉄道 横浜~海老名)ではキハ4からキハ2へ改番→S24年7月にクハ化 クハ1122へ→S26年10月車体改造→S35年11月日立電鉄移籍→S37年1月車体更新で鮎川側に貫通路設置。
クハ2501に続いてクハ2502(=日立でのナンバーで もと相鉄クハ2504)も続いて S36年11月に日立へやってきましたが、そちらはS56年4月に廃車されました。

鮎川駅の駅舎は海側に立地していました。
右側に隣接して建物(社屋?)がありますが、その右側の線路末端のほうに留置線があるのが構内から見えていましたので、すぐに行ってみることにします。

留置線の途中には踏切があり、並走する常磐線の西側まで続いていたと思います。
↑その踏切から鮎川駅方を見た場面。この向かって右手に常磐線が並走しています。
左:手前(北側)から モハ1009+クハ2504+モハ11→常北太田方
モハ1009は中央ドアが荷電のままの大型2枚ドア。
右:サイドが見えないのでナンバーは不明ですが、手前側は元小田急のモハ1形なのが確実。この奥が鮎川駅ホームで、そちらから次の車両はクハ2501なのがわかります(2枚前の画像参照)ので、これはモハ1001+クハ2501(→常北太田方)に違いない。
このように モハ1001形は同じ形式といっても、サハ1501を含めると 形状から4つのグループに分類されます。1001~1003、1004~1006、1007~1009(中央が荷電の大型2枚ドア)そしてサハ1501。

この留置線途中の踏切から北方を見るとさらに2本の留置線が延びており、常磐線寄りの1本に4連が。朝夕のラッシュ時のみに出動する4連らしい。サハを含む固定編成です。
手前から モハ1004+モハ1002+サハ1501+モハ1005→奥の方北側(JR日立駅方)
もと小田急モハ1形 全通時に新製された日本車輛 昭和2年製の雄姿!!
歩き回ってメモりましたが、よほどの事がない限り解除されない4連固定編成です。これが走行する朝ラッシュ時にもう一度来なければ・・・。

モハ1004+モハ1002+サハ1501+モハ1005→手前北側(JR日立駅方)
向こうの2本は先に紹介した2本、右手には常磐線(複線)が並走します。
これでおおいに満足し、JR日立駅まで歩くことにしました。
ここは常陸多賀~日立の中間で、距離としては常陸多賀のほうが近いものの、日立駅へ向かう道の方が海岸沿いの1本道でわかりやすく、歩いていて気持ちよさそうなので。
またこれら個性的な車両に会いに来ることにします。(実際 1年後と 3年後に再訪問しました)
(以下、おまけです)
この日、鮎川で撮影したあと、海岸通りを北へ歩いて JR日立駅までやってきました。
当時は駅スタンプの収集にも凝っていて、さて日立駅ではどこにおいてあるのか?と探しました。
日立駅は13~15両分はあろうかと思われる長~いホーム。出入口は両端にあり ホーム中央にはありませんでした。南端が海岸口で海側へ、北側が北口で山側へといった構造。間違えたら長~いホームをえんえん歩かねばなりません。スタンプは幸い海岸口(南側)にありました。
時間があったので、高萩の電留線を見て、さらにスタンプ設置駅である磯原、平駅(現在のいわき駅)まで行き、上り特急で戻ったと思います。
高萩の電留には 特にめぼしい車両は無く、そのときに上って行った「ひたち28号」を撮影↓
高萩14:22

上野寄り1号車 クハ481-311

↑ひたち28号 (後追い) クハ481-36 高萩で
クハ481-311 (1号車) 水カツ K編成
モハ484-49
モハ485-49
サロ481-1007
モハ484-37
モハ485-37
モハ484-59
モハ485-59
クハ481-36 (9号車)
(以降 次号へ)