千葉の鉄道、そして Now & Then

千葉の鉄道、そして Now & Then

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 かつて、183・189系(幕張のグリーン車付きC編成など)が臨時列車や団体臨にも使用されていたころ、「かつうらひな祭り」「勝浦ビッグひな祭り」などの名前で臨時特急が外房線全線を走破していました。運転開始当初(1990年代前半ごろ?)は、種別は快速だったような気がします。運転日は、おおむね3月3日(ひなまつり・桃の節句)の前の2週間のあいだの土休日が中心。

 しかし、やがて勝浦止まりとなってしまい、勝浦~安房鴨川間では見られなくなりました。183系引退後にはジョイフルトレインが使用されることもあり、参考に 2016年の春臨では「リゾートやまなみ」が使用されましたが、このときもすでに勝浦止まり(運転区間は東京駅~総武快速線経由~勝浦)となっていました。列車名は 特急「かつうらひな祭り1・2号」。

 10年前のこの年は、大宮発着 武蔵野線経由の3・4号もあり、そちらは253系大宮車の6連。いずれも勝浦まで。留置は勝浦側線。

 

 それから時は流れ、久しぶりに勝浦~安房鴨川間に「かつうらひな祭り」を冠した特急が帰ってきました。ただしダブルネームで、列車名は「新宿わかしお81号(かつうらひな祭り)」(上りは同82号)というもの。

 この列車名は昨年もそうでしたが、ずっと勝浦が終点→勝浦側線に留置→そのまま折り返しで上りへ、というものでした。

 

 なお、「新宿わかしお」に号数(1・2号)がついたのは 2024年3月のダイヤ改正から。それまでは号数がないので、下り・上りの区別が列車名ではわかりませんでした。もちろん81・82号の臨時は無く、かつひなは独立した列車:特急 「かつうらひな祭り」号で東京~勝浦間。(後年には新宿~勝浦間)

 それが、今年は 増発された「新宿わかしお81・82号」と統合されたかたちで、新宿~安房鴨川間、となりました。列車名は昨年も同じダブルネームですが、勝浦~安房鴨川間 延長というのが目新しい。

 

 さて、前面表示はどうなるか?見に行ってみました。「かつうらひな祭り」の表示が出ればすばらしいのですが、見込みは薄そう。

 

 まずは「新宿わかしお1号」から。

 

2026.3.1(日) 9:34 9051M~9053M新宿わかしお1号 新宿7:22→9:36安房鴨川

 晩冬でも線路わきの雑草が高い。わかっていましたが、前面表示目的なのでまあいいか。

 NB-19 クハE257-519

 

 回9054M NB-19 クハE256-519 黄緑の回送表示。 

 折返し「新宿わかしお2号」までのあいだに 回9054Mが運転されるか ちょっと心配でした。安房鴨川の電留線が空いており、転線作業可能な5両編成なので、日によっては4番線に入ることもあるらしい、ときいていたので。

 通常 5番線には1055Mが、6番線には2231M(E131系2連)が入ります。

 この日は 回9054M(安房鴨川→安房小湊)が運転されました。たしか待っていても空振りの日も以前ありました。

 

 安房天津駅起点側のホーム末端です。

 電光表示は陽があたると見えにくいので、逆光か半逆光のところをさがしてここになりました。練習電です。

 

 2233M 上総一ノ宮9:23→10:25安房鴨川 E131 R10

 E131系は たいてい上総一ノ宮行きか木更津行きなのですが、朝晩の一部に安房鴨川発着、館山発着、上総湊発着があります。これは安房鴨川行きで、接続する内房線方面(2127M~2130M)とともに安房鴨川で双方へ折り返しとなります。

 

 

 この日メインの 9091M 新宿わかしお81号(かつうらひな祭り) NB-15

 表示は「新宿わかしお」でした。やはり というべきか。

 

9091M 新宿8:36→千葉9:20→10:16勝浦10:17→10:46安房鴨川

 安房小湊は通過ですが 上総興津は停車します。他に御宿も。

 蘇我を発車すると、次の停車駅が御宿と、44分 61.6Kmノンストップ。この間の表定速度は84Km/h!

 

 

 安房天津では 2226M上総一ノ宮行きとの交換で3分停車(10:37~10:40)

 

 10:39 2226M R10が入線

 

 この「新宿わかしお81号・82号」は、通常は木更津で前夜から停泊している「さざなみ4号」(土休日運休)用 E257系5連の間合い運用です。

 従って、前日が平日のときは 木更津7:03発 回9102M→8:30新宿、と回送。

 前日が土曜・休日のときは幕張出区で、津田沼7:50 回9336M→8:30 新宿、という回送。9091Mの新宿発車は8:36なので、時間がけっこうきつきつ。ダイヤ乱れがあると 遅延が心配になります。

 安房鴨川での 上り82号までのインターバルはどこにも回送されることなく 側線に留置、おそらく4番線へ。それがあって、シクわか1号 は回9054Mで逃げたものと思われます。 

 

 

 

 小湊鐡道の3月ダイヤ改正が発表されています。

 その予定ダイヤのポイントは・・・

① 平日・休日ダイヤの一本化

② 通常期は養老渓谷~上総中野間は1日あたり朝夕の各1往復のみに。特定日には日中に+3往復されます。その増発は11時半ごろ、14時ごろ、16時ごろ。

③ トロッコ列車は五井~養老渓谷間の1往復のみに。五井発10:37、養老渓谷発13:02。特定日運転。発表済みのぶんは運転。

④ キハ40の観光急行は掲載が無く不明。無くなるかも。

⑤ 当線史上初のパターンダイヤ採用。サイクルは40分間隔。9時以降の五井~上総牛久間にほぼ完全適用。ただし最終とその1本前の計2往復のみは 間隔がやや拡大(+10分)

 五井発が 9:13、9:53、10:33、11:13・・・

上総牛久発が 9:15、9:55、10:35、11:15・・・

 上下の交換は 上総山田で40分ごとです。

 五井9:13、牛久9:15を覚えてさえおけば あとは40分間隔で21時までは覚えられます。2時間ごとには同じ発車時刻。その後の最終を含む 2往復は間隔が+10分です。これは使いやすいです。今までは内房線への接続重視でしたが、小湊線内の利便性重視へとシフトしたかたちです。

 なお全体の本数ですが、おおむね朝方の運転間隔は少し拡大、データイムは等間隔になったことで少し増発。合計で1往復増発となりました。以上は 平日の五井~上総牛久間についてです。

 また、朝方の牛久→五井→牛久と、牛久→養老渓谷→牛久に各1往復の平日のみ運転があり これは通学対応ですね。

 休日の午前の牛久→養老渓谷→牛久に1往復の休日のみの運転があります。

⑥ デメリットも少しあります。五井以南へ行く列車について、一部に五井での停車時間がうんと伸びたものがあり、上り下りとも長いものでは15〜20分停車します。全部ではありません。上総山田交換と里見交換を両立させるのに苦心の跡が散見されます。

 

 改正後のダイヤを作りました。PC表示の画面をスマホで撮ると 現地での撮影でも使えるかと。

 どうぞ↓

 2026.3.14改正 (平休同一)

 

 

 注)太黒の破線は休日ウヤ、青太は休日運転、紫細は臨時(特定日運転)、紫太はトロッコ列車です。観光急行が運転されるとしたら、紫破線のダイヤと思われます。

 

 

 

 

  1345)

 

 

の続きです。

(PV数や人気は気にしません。あとで見て 資料的に少しでも意味がある記事を、と今回地味に調べてみました)

 

  S63(1988)年9月13日 弘南鉄道大鰐線 津軽大沢 13:50ごろ

 

 西側の側線に クハ1266+モハ2252 と分離してモハ3404(右)→中央弘前方 

 

 ペイントが新しく 美しいモハ3404。

 戦前存在した 目黒蒲田電鉄(現在の目黒線・東急多摩川線)が昭和3(1928)年に製造したモハ500形モハ503・504が前身。

 戦時中の東急大合併でデハ3400形デハ3403・3404となりました。神奈川中央鉄道から相模鉄道となった 大東急のグループ鉄道(現在の相模鉄道相鉄本線で東急の委託経営)にいた時期もあったそうですが、晩年は池上線で運行されていました。S32年には片運化。

 濃い緑色の晩年に目蒲線・池上線に撮りに行ったことがあります。そのときには このモハ3404自体は転出していましたが、他の3400形はたくさん撮れました。

 

 モハ3404の 弘南入線は S50.7月。寒冷地対策工事のあと12月から弘南線で運行開始。S55年に運転席の窓だけHゴム化、非貫通化。S55.12月に大鰐線へ転属。S59年に両運化。

 モハ3403+クハニ1271、モハ3404+クハニ1272 というペアを組んでいましたが、S60.10.1にクハニ1272は廃車になり、このモハ3404は単独に。

 モハ3403+クハニ1271は休車状態かで 庫の向こうに止まっているのを今回かろうじて見れました。(あとで)

 

 バックに数日前に到着したばかりの東急7000形デハ7031がちらりと見えます。この時点ではまだ改造工事中(寒冷地対策?サイドドアがはずされて施工中)で、竣工は この1か月後の1988.10.12。

 東急から来たのは7000形2両編成X4本(=8両で7031~7034、7037~7040)。他に6000形が同じ時にデハ6005+6006 の1本が入線(=1988.10.12竣工)。

 その翌年 1989年11月には 加えてデハ6007+6008も入線し、体質改善が進んでゆきます。

 

 クハ1266+モハ2252→中央弘前方(右方)

 中央は モハ2252。このときの6000形2両、7000形8両の転入により、この訪問の2か月後-1988.11.30付で廃車となってしまいます。

 

 この2250形は クハ2251・モハ2252・モハ2253の3両がありました。

 この順に経緯を記しておきます。

富士身延鉄道(のちの身延線)モハ101・モハ104・モハ105

 ➡1941年 国策買収で省電モハ93002・モハ93004・モハ93005へ

 ➡1953年 国鉄のナンバー整理で モハ1201・モハ1203・モハ1204へ

 ➡1961年 払い下げで弘南線モハ2251・モハ2252・モハ2253へ

 ➡1975.11月 大鰐線へ転属

 ➡1982.1月 モハ2251のみ電装解除 クハ2251へ

 ➡1988.11.30付でクハ2251・モハ2252・モハ2253は3両とも廃車。 

 

 

 同じ編成を大鰐側から クハ1266+モハ2252 とモハ3404→中央弘前方

 

 クハ1266は、中央弘前からここまで乗ってきたクハ1267の同僚で、クハ1260形は1266・1267の2両のみ。

 昭和3(1928)年川崎車輛製の西武鉄道モハ561・モハ560で、モハ561→クハ1266、モハ560→クハ1267。

 ➡S39.6月弘南線へ入線➡S49~50年に大鰐線へ転属。前面窓のHゴム化、サイド窓のサッシュ化がなされた以外は原形をとどめていて、サイドドアの上のカーブした雨どいが印象的。津軽鉄道のナハフ1200形とは同じ仲間でした。津軽にも同じような雨どいがカーブしたやつが いたっけな。

 改番の経緯は、西武モハ561➡1940年 改番でモハ112へ➡1948年 改番でモハ162へ➡1955年 クハ1160へ➡1964年6月 弘南線へ入線 クハ1266へ➡1975.9月 大鰐線へ転属。

 

 下車して、お願いして見学させていただきました。

 

 うるわしの凸型電機ED22形221。

 東急7000形の転入に従事していたらしく、まだ連結されたままです。

 ED221+7031+7032(左方) 少し離れてデハ7033。 

 右はモハ3404で、駅ホームからの画像はこの記事最初に載せました。 

 左はクハ二1271。

 

 ED221サイド、奥に塗装がきれいなモハ3404。

 ED221は 1927(S2)年製 ボールドウィン・ウェスチングハウス社製。信濃鉄道(現在のJR大糸線の南半分)の信濃1号機➡1937年 信濃鉄道国有化で 大糸南線➡飯田線➡1948.1月 払い下げで西武鉄道「No1」へ➡1950年 近江鉄道ED1へ➡1955年 改番で近江ED221へ➡1960.10月 一畑電鉄ED221へ➡1974.11.26付で弘南鉄道大鰐線へ。

 西武鉄道時代まではサイド中間の小さい二つの窓は無く、近江鉄道時代にあけられたそうです。

 

 右から ED221+東急デハ7031、クハ二1271(中央)+モハ3403、一番左は 快速マークのクハ1613。

クハ二1271 はもと伊那電鉄(現在の飯田線の一部)のサハ二フ404。

 ➡1943.8月 買収で省電サハ二7902へ

 ➡1958.12月 払い下げで弘南線クハニ1271へ

 ➡1977.8月 大鰐線へ転属。この訪問の翌年、1989.12.15付で廃車となってしまいます。

 

 左側奥の方から モハ105+モハ108+快速マークのクハ1613→大鰐方

 クハ1613は もと省電サハ26080➡クハ17070へ➡クハ65065へ➡国電の番号整理でクハ16449へ(鶴見線か南武線かにいたかも)➡1974年 弘南線へ譲渡クハ1613へ➡1981年大鰐線へ転属。この撮影の2か月後、1988.11.30に廃車。

 撮影時は気づきませんでしたが、すごい経歴がありました。もとは大正12~13年製。これが快速で走ったとは!

 ちなみに快速は朝夕のラッシュ時に各2往復。停車駅は中央弘前を出ると、西弘前・千年(ちとせ)・大沢・石川・終点大鰐で、普電で28分のところを22分で結びます。

 

 左側 奥の方から モハ105(2ドア)+モハ108(画像中央)+快速マークのクハ1613→大鰐方

 中央の モハ108はもと京浜急行デハ400形。弘南入線は1968.2月で モハ108となりました。組成で前面が見えないのが残念ですが、少し見える前面窓で京急っぽさを感じます。

 

 行き止まりの一番奥に止まっているモハ105(2ドア)も快速マーク。この3両が快速幕で走るなんて、想像しただけでわくわくします。

 モハ105は もと秩父鉄道のデハ14。1958年9月に弘南へ、モハ105となりました。108と105で全く出自が違います。このへんがローカル私鉄のおもしろいところ。

 ノーシル・ノーヘッダーなだけで 大鰐線では近代的に見えてしまいます。いわゆる「バス窓」も貴重品!

 

 右は手前から モハ105(2ドア)+モハ108(元京急)+クハ1613→大鰐方 

 左は奥から クハ二1271+モハ3403(=手前側)→弘前方

 

 側線の モハ2252+クハ1266→大鰐方

 順光で撮るとよくわかりますが、昭和初期の車輛は、雨どいは車体長全長にわたっては無く、出入り口の上部のみに設置されています。左のモハ2252は直線状、右のクハ1266はカーブしています。優美なこのカーブが古典的で貴重。

 左のモハ2252は中央ドアを除きステップがありますが、もと気動車というわけではありません。もと富士身延鉄道のモハ104(→省電モハ93004→国鉄モハ1203)で、僚友モハ2251のみは 弘南に来てから電装解除されクハ2251になりました。いずれもこの2か月後に廃車。

 

 さあ、終点大鰐に行ってみましょう。

 東急の6000・7000形は大沢には7031~7033しかいなかったので、まだJR線との接続線がある大鰐にいるかもしれませんので。

 大沢駅に入ってしばらくすると14:04の中央弘前行が来ました。 

 モハ1120+クハ2251←大鰐方 右側通行です。

 

 前のモハ1120は もと省電モハ30048➡モハ11018➡モハ11124。

 1967年に弘南に来ましたが、この2か月後の1988.11.30に廃車となる運命が待っています。東急からの第1陣、第2陣転入にともなう廃車などは次号でまとめます。

 

 

 1344)

 

 

の続きです。

 

 別件ですが、今週 2026.2.9付のJR東日本のプレスリリース (PDFファイル注意)によりますと、君津市地域公共交通会議の結論事項として、久留里線 久留里~上総亀山間の代替バスへの転換(鉄道事業の廃止)届出が今年度内(2026年2〜3月)に提出されることになり、廃止の流れ、時期が決定的となりました。同区間のバス転換時期は2027年4月とのこと。久留里~上総亀山間の鉄道運行最終日は2027.3.31 か 同4月末日かは記載がありません。

 代替バスの運行費用は 18年間 JR側が負担し、便数は 現在の8.5往復からは増える見込みです。

 前々からきいていたことなので、「いつかはくるぞ」と思っており、実際昨年秋の紅葉シーズンの増発時は久留里~上総亀山間のみで撮影しておきました(当ブログ1332)1333) の記事参照)が、いよいよ時期が決まってきました。E130系気動車で合理化しても 鉄道では経費がかかるのはわかりますが とうとうか・・・

 

 これと同様に、弘南鉄道大鰐線の廃線(バス転換)もほぼ決定しており、久留里線の1年後、2028年の3月末限りとなります。そんな大鰐線の1988年にタイムスリップしてみましょう。

 

  S63(1988)9年13日 弘南線で弘前(JR弘前駅に併設)に12:48到着。

 ビルの下の味気ないホームだったので撮らずに、JR駅側に出て そのまま中央弘前駅へ歩きました。

 だいたいの位置は把握していたので、徒歩20分ほどで大鰐線中央弘前駅に到着。せっかく魅力的な街-弘前に来たのにどこも見ずに ローカル私鉄ざんまいであります。 

 中央弘前駅は独立していて脇には川が流れています。いい雰囲気なのでここで見ていると 13:18着の上りが到着。

 モハ2253+クハ1267←大鰐方

 

 こちら側モハ2253。この2カ月後の1988年の11月30日付で廃車となる直前の姿。

 廃車はもと東急のデハ6000形2両とデハ7000形が8両転入(改造竣工は 1988.10.12付)することによるもの。

 このモハ2253は もと買収国電。クハ2251・モハ2252とともにもと富士身延鉄道(のちの国鉄身延線)からの流れ。

 富士身延モハ105➡1941年 国策による買収で省電モハ93005に➡1953年 国鉄モハ1204に➡1961年 弘南鉄道弘南線モハ2253に➡1982年1月大鰐線に転籍。

 

 線路の頭端にコンパクトな駅舎がありますが、きわめてクラシックな車両に引き寄せられるように すぐに入場しました。駅舎は撮らずでしたが、内側からのようすがちらりと見えています↓

 

 ←大鰐方(手前) クハ1267+モハ2253

 ホームは島式ですが、反対側はこのころから線路はなかったと思います。

 

  クハ1260形クハ1267。

 サイドドアの上にあるカーブした雨どいがクラシック感をもりあげています。かつては車輛サイド全長にわたっての雨どいが無い車両が多く、それらはこのようにドア上だけに雨どいが設置されていました。同様な雨どいは前面にも折れ直線状に設置されています。いまや貴重なデザインで ずっと見ていたい!!

 クハ1260形はクハ1266・クハ1267の2両のみ。

 この2両、S3(1928)年川崎車輛製の西武モハ561・560が前身。改番をかさねたのちに 1964(S39)年6月 に弘南線に入線。大鰐線への転属は、1974.6月にクハ1267が、1975.9月にクハ1266が配置転換しました。両線はつながっていないので道路輸送。多分 基地があって大型車両が入れそうな弘南線平賀から大鰐線津軽大沢か石川へ、と思われます。

 前面窓・サイドドア窓・戸袋のHゴム化、サイド客用窓のサッシュ化がなされた以外は原形をとどめています。

 西武モハ560➡1940年 モハ111へ➡1948年 モハ16へ➡1955年 電装解除クハ1159へ➡1964年 弘南転籍 クハ1267。

 

 13:30発のこれに乗って津軽大沢へ向かいます。

 

 弘高下(ホーム左の棒駅)・西弘前(島式 右側通行)・城南(ホーム左の棒駅)・千年(せんねんではなく ちとせ 島式ホーム)と進みます。ここで上りとの交換がありました。

 モハ1122先頭の上りがきました。

 モハ11形1122。国鉄の戦後復旧クモハ63→クモハ73 に似た姿ですが、なんと大正うまれの もと西武車。弘南鉄道でも1両のみの存在。

 1925(大正14)年 日本車輛製省電モハ50058➡1949年8月 省電払い下げで西武鉄道へ➡西武所沢工場で改造 モハ314へ➡1958年 西武モハ328へ➡1971年10月譲渡で弘南線へ(クハ1612との2両が譲渡)➡1980年9月大鰐線へ転属。 

 

 

 この上りの後部はクハ1612。↑

 ペアを組む上り方のモハ1122とは 西武から一緒に 1971年10月に弘南線にやってきました。この1編成2両のみの存在。

 1924(大正13)年製 省電クハ65003➡1949年 払い下げで西武へ➡同年鋼体化改造で西武1319へ➡1971年10月 モハ1122とともに弘南線へ➡1980年9月 1122とともに大鰐線へ。

 

 中央弘前から16分で 津軽大沢に13:46到着↓

 クハ1267+モハ2253←中央弘前方 

 津軽大沢は島式ですが、なぜか右側通行となっています。ここで下車。

 

 検修施設がある津軽大沢。

 1両1両が個性的な旧型車がのんびりと午後を過ごしていました。

 

 下車して許可をもらったうえで 見学させていただこうと思いますが、

長くなるので 以降は次号へ

 

 

 

 1343)

 

 

の続きです。

 

 1988(S63)年に弘南鉄道を訪れた最大の目的は 大鰐線。

 東急からやってきていた旧型の3600形などが新型(といっても東京の電車のおさがりなのですが)に置き換えられる、という情報があったから。

 弘南の電化区間は大鰐線(中央弘前~大鰐)と弘南線(弘前~黒石)。この1988年にまず大鰐線から置き換えが始まり、のちに弘南線にも波及してゆく、とのこと。

 

 両線区の違いは そもそもの出自が違います。

 弘南線は弘南鉄道(株)が 1927(S2).9.7から徐々に開業(はじめは弘前~津軽尾上間)、大鰐線は終戦後に地元有力者や当時の市長により設立された 弘前電気鉄道(株)により 1952(S27) .1.25全線(大鰐~中央弘前)開業です。1948年5月の免許交付時は 大鰐~石川~弘前(現在の中央弘前)~高杉~板柳(JR五能線)だったようです。五能線との接続をめざしていたとは知りませんでした。

 

 車輛面を比べると、大鰐線のほうが より古い雑多な旧型が多い、という印象。よって、もともとの本体である弘南線よりも先に、大鰐線に置き換えの白羽の矢がたったということらしい。

 なので この時の弘南線は、黒石線から メインの大鰐線に乗り継ぐために乗車した、というのが実際でした。それでも 魅力的なごつい旧型ばかりで、また次回の訪問が必須となりました。セミステンレス・オールステンレス(銀色)のもと東急車6000系・7000系に置き換えられる前に。

 

 1988(S63).9.13 黒石駅1番線  12:20発の弘前行きでこれに乗って弘前へ向かいます。手前 駅の頭端側から。

 クハ3675+モハ3601→むこう弘前方

 左は側線に留置のクハ3770形(増結用?)

 

 東急での廃車は クハ3672が S56.7.13、クハ3674・3675が S55.4.23付け。東急での最後のころに 池上線・目蒲線に撮りに行ったことがあります。

 S55~56年に相次いで弘南に転籍。同じナンバーのままです。

 この3両のうち、増結用とされた3672・3674は正面貫通扉が埋められました。

 

 もと省電モハ50114➡1948年 東急クハ3675に(電装解除 先頭車化)➡1980年 弘南クハ3675に。

 

 ↑同、12:20発の弘前行き先頭車モハ3601→手前弘前方 

 モハ3600形も、クハ3600形・クハ3700形と同様、国鉄の戦災車両を東急が払い下げをうけて復旧させたもの。施工は東横車輛碑文谷工場。

 東急での修繕時に全鋼車化されて弘南に来たモハ3600形4両(3601・3602・3607(=1989.12.15廃車)・3608)と修繕時に半鋼製車体で出場した3両(モハ3612・3613・3614)のグループがあります。

 もと省電 モハ31087➡1949年 東急デハ3601に➡1980年 弘南モハ3601にという経緯。

 

 ②に留置のクハ3600形クハ3674の妻側。

 

 ②に留置のクハ3600形クハ3674の運転台側(再掲)

 前面貫通路が埋められて 下り向きの増結専用となったクハ3674は 日中はお昼寝か もうあまり使われなくなったかも?

 もと省電モハ30045➡1949年に 東急クハ3674に➡1980年に 弘南クハ3674に。

 

 ①の脇の留置線に留置のクハ3770形+奥は不明、S65(1990)年-6まで検査期限あり。

 クハ3770形は全鋼車3両(クハ3773・3774・3775)、半鋼車が6両(3776~3781)在籍。S65(1990)年6月まで検査期限ありと記載がありますが、昭和はs65年までは続きませんでした。

 

 さあ、弘前へ出発!

 お岩木やまを望みながら穀倉地帯をのんびり走り、1駅目(境松)は左側にホームがある棒駅。続く2駅目の田舎館(島式ホーム)で下りとの交換がありました。↓

 

)

 境松の次駅  島式ホームの田舎館にて、黒石行(後追い) モハ3612+クハ?→黒石方

 

 モハ3600形3612は 東急が国鉄戦災車輛の台車・台枠を利用して半鋼製車体を新造したもの。デハ3612(東急車番)は S50.7.7に東急で廃車となり、同年12月付で デハ3616とともに弘南に転籍。続いて S51年9月付で3606・3614が弘南入線。

 3606は弘南に来てからモハ3613に改番されました。3601~3608は全鋼車グループ、3612~は半鋼車グループと 弘南では区別されていたのでそれに準じた措置。

 省電モハ3037➡1951年に東急デハ3612へ➡1975年に弘南モハ3612へ、という経緯。

 

 その後、津軽尾上(つがるおのえ=島式ホーム)、柏農高校前(ホーム左側の棒駅)、平賀と進み、運用上の拠点駅へ。

 

 黒石発車時は路線は西へ向かっていましたが、境松との間に南へ向き、ここ平賀(ひらが ではなく ひらか)までは南下し、次の館田との間で90°右折して西へ向かいます。

 その平賀には「車両管理所」があり、多くの旧型車がつどっていました。  

 相対ホームの平賀の下りホームの西側です。

 右からクハ3776、クハ3774、クハ3781 (=もと東急クハ3770形)

 クハ3770形は、半鋼車3776~3781の6両と、全鋼車クハ3773~3775の3両が在籍。

 

 

 平賀発車時の右側 

 右:モハ3602(全鋼車グループ)と 左にチラリと見える凸型電機ED30形301。

 このあと、右へ大きくカーブし西へ向かいます。

 

 平賀~館田間で西方へ90°カーブし、光線が順光になりました。 

 館田で交換の黒石行(後追い) モハ3613+クハ3775→黒石方

 このあと、新里(にさと:島式)、運動公園前(ホームが右の棒駅)、東工業高前(島式だが左側のみ使用の実質棒駅)、弘前と進み、弘前駅はJRに併設。ビルの下の味気ないホームに12:48到着。

(以降、続きます)

 連日の大雪で 北陸地方~東北地方の日本海側は大変な積雪になっているようです。青森県ではおおむね平年の2.5倍もの積雪量で 家屋の倒壊があいついでいるそう。心よりお見舞い申し上げます。自衛隊の災害出動もむべなるかな。お疲れ様です。

 

 さて、青森県には 昭和の末期以降で廃線の憂目にあったローカル私鉄が3線区あります。

 南部縦貫鉄道(野辺地~七戸)、十和田観光電鉄(三沢~十和田市)と弘南鉄道黒石線(川部~黒石)なのですが、今回青森県を取りあげるきっかけとなったのは、なんと、もう1線区が2028年の3月末をもって廃線になることが決定(2025年12月ごろ)したから。

 地方鉄道の乗客減少はいっこうに止まる気配がない。。。悲しいことです。。

 

 当ブログでは、かつて南部縦貫鉄道と十和田観光電鉄は取り上げたことがありますので、以下にリンクを貼っておきます。よかったらご覧ください。

 南部縦貫鉄道(その1)➡2011.10.12にアップした278)の記事

 

 

 南部縦貫鉄道(その2)➡2011.11.10にアップした 285)の記事

 

 

 十和田観光電鉄➡2012.4.6にアップした338)の記事

 

 

 注:これらのリンクは、PC画面では時として開かないことがあります。その場合でもスマホ画面でなら大丈夫です。

 

 さて、国鉄の黒石線が国鉄末期の特定地方交通線大幅合理化(地方赤字線83線区や輸送密度2000人以下をバッサリ)で弘南鉄道に転換されたのが1984年11月。

 私はその4年後、S63(1988)年9月13日に訪問しました。十和田観光電鉄・南部縦貫鉄道・弘南鉄道弘南線・大鰐線との大カップリングでした。その際に 南部縦貫鉄道にも行ってましたので、その続きから始めます。

 

 S63(1988)年9月13日 七戸から乗ってきた南部縦貫のキハ102 が野辺地に到着。手前側が七戸方。

 七戸8:45→9:21野辺地 20.9Kmを所要時間 約36分720円 

 1日5往復で この折返しは9:35発。車庫がある七戸中心のダイヤで、野辺地では7分~30分くらいで折りかえします。

七戸 ➡ 野辺地 ➡七戸 (全5往復の時刻 1988-9時点)

 6:45 →7:23--7:30→8:07

 8:45 →9:21--9:35→10:10

13:15 →13:51--14:20→14:55

15:35 →16:11--16:40→17:15

17:50 →18:26--18:55→19:30

 

 ホームのへりが木製、階段のへりも木製。

 跨線橋も、南部縦貫エリアになったとたんに 雰囲気がローカルっぽくなっていました。

 

 当時まで何度か青森~北海道方面を往き来しましたが、東北本線通過時にたびたび見ていたこの光景。とうとう乗った!と感慨深かったです。

 

 南部縦貫鉄道を乗り終えて、野辺地0931発の3633D快速「うみねこ」(八戸線 鮫8:03発)乗車→9:55浅虫温泉→同10:30発の1001M「はつかり1号」(583系12両)で青森に10:45到着。たった15分ですが また583系に乗りたかったのです。青森-十和田の周遊券はありがたかった。

 

 1001Mはつかり1号 浅虫温泉で。

 クハネ583-17・・・クハネ583-2←盛岡方(奥側) 

 9連から増結された 盛アオの8M4T 12連 

 盛岡8:19→浅虫温泉10:30乗車→10:45青森 周遊券を使い自由席に15分だけ乗車。

 

 青森に10:45着の 1001Mはつかり1号 12連 

 1番線で、右は青函航路への貨物乗り入れ線。奥が海、右奥が連絡船乗り場でした。

 クハネ583-2 M'M-4 M'M-91 サロ581-1 M'M-94 サハネ583-53 M'M-59 クハネ583-17→青森方 (M'Mはモハネ582+モハネ583)盛アオ

 

 青森②10:14着の3633Dうみねこ(奥の3両 キハ22+キハ58+キハ58) の手前にキハ22の2両が付く。「うとう」のHMを付けたキハ22 343+キハ22?

 「うとう」って??。このあたりにはローカル快速で「うみねこ」「うそり」「岩木」「こはく」「たねさし」などいろいろありました。しかし「うとう」というのは列車名ではないようです。

 

 乗換5分ですが、しっかりと10:49発の3125レ「海峡5号」のED79+50系客車も撮ることができました。「はつかり1号」は仙台からの下り1番の東北新幹線を受け継いできているので各方面の接続が良いです。東北新幹線開業前にあった仙台7:00始発➡青森行きの俊足455系6連の急行1511M「くりこま1号」(全指)を引き継いだような輸送体系。

 この1511Mは 仙台7:00→一ノ関8:09→9:16盛岡9:18→八戸10:40→11:49青森 という速さ。電車急行なのに表定速度はなんと 80.43Km/h。

 

 青森⑥3125レ海峡5号 青森10:19→13:22函館 ED79 16(青函)

 

そして青森10:51発の奥羽本線弘前行き630レに乗り込みました。

 青森④ 630レ弘前行き  

 これに 青森10:51→11:31川部 と乗車。

ED75 764(秋) オハフ13 2009 オハ12 2014 オハフ13 2013

 東北地方の電化区間、北部ではどこに行っても ED75-700番台は見ることができました。

 

 川部11:45 401レ「津軽」 上野22:30→12:17青森 

 ED75 755(秋)+14系座席車のみの8両

 

 川部12:05→12:15黒石 5分後の前田屋敷停車を含め10分で着きます。 

 キハ2230に 2人乗務、乗客はきわめて少ないです。

 2230は 国鉄からの転換時に譲り受けたという。国鉄キハ22のまんまで、違うのは弘南カラーなった塗色だけ。ですが色が変わっただけで ずいぶん立派に見えますね。

 

 12:14 黒石到着直前の右側車窓。

 岩木山と近づく弘南線。自分は進行後ろ方を向いていて、左側が黒石駅。

 

 黒石到着直前の右側車窓。弘南線と合流して④到着。

 国鉄時代の黒石線はもう少し離れていたそうですが、弘南鉄道に統合されたときに駅として一体化されたそうです。とすると、左側の鉄骨の脚のホームはそのときに新規設置なのでしょう。まだ新しいです。

 

 黒石にキハ2230で12:15到着。 

 右:黒石②に留置は クハ3674で ぽつんと1両のみ。

 

 黒石① クハ3675+モハ3601→手前弘前方 

 12:20発の弘前行きで これに乗ります。

 もと東急目蒲線 池上線で使われていたデハ3600系のようです。東急時代は深緑色一色でした。

 (以降続きます)

 

 

 1341)

 

 

の続きです。

 また、この記事の多くが現存するローカル地方私鉄線区(会社としては大手の名鉄ですが ローカルエリア)ですので、

「ローカル私鉄訪問記(14)」ともいえ、当ブログ 

573)伊予鉄道高浜線と予讃線」(2014.2.19 にアップした記事)に続くもの、ともいえます。

 

 

 S63(1988)年9月6日、名鉄の西側エリアのローカル線(谷汲線・揖斐線・岐阜市内線)を訪問したあと、名鉄東側のローカル線を訪問しました。

 東側では、どこかで走行写真を撮りたいという予定はなかったので、未乗車線区の乗りつぶし中心でした。それでも今思うと、当時の名鉄の代表的な汎用車を記録することができました。

 

 新岐阜から1000系パノラマスーパーの先頭車(1号車1001 1-Aの座席)で前面展望を堪能しつつ知立まで乗車。車内の空間(前後の高い位置)のLED速度表示で、1000系のサイドビューのイラストが長く伸びたり 引っ込んで短くなったりするが目新しく 楽しい。

 14:07 知立にパノラマスーパーで到着。名古屋本線の普通または急行で豊橋方へ 2駅進んで新安城まで行き 西尾線吉良吉田行きに乗る予定だったのですが、なんと誤乗してしまいました!!

 知立駅で 吉良吉田行き2分後の14:09発車 とあり一目散に乗り込んですぐ発車。ところが思った方向と反対側に動き出す!!ぎょぎょっ!?

 乗ったのは三河線の碧南~吉良吉田方(西側から南方)へ向かう吉良吉田行きでした。西尾線吉良吉田に向かうつもりだったのでカンチガイ。

 

 どうしようか??すぐ気づいたものの車内ではあせるあせる。幸い本数が少ないと思われる猿投方ではなかったので、刈谷で戻ればなんとかなるだろう・・・と急遽計画変更。

 1988.9.6 知立14:09→14:15刈谷着。

 刈谷を発車してゆく吉良吉田行き(後追い)↑

 2738+3738→吉良吉田方

戻る列車は 反対側のホームに幸いすぐに来て 14:20刈谷発→14:26知立着  

 

 現在三河線は碧南~吉良吉田間が廃線となり、碧南~刈谷~知立~猿投となってしまったので 南側の終点は碧南となっていますが、当時は吉良吉田が終点。吉良吉田では西尾線・蒲郡線と接続していました。

 このときは「誤乗してしまった!!」と思って 刈谷で降りて 刈谷→知立と戻ったのですが、当時は まさか碧南以南が廃線になろうとはつゆしらず。今思えば、誤乗した三河線吉良吉田行きに そのまま乗り通して 刈谷~碧南~吉良吉田間の長い区間に このときに乗車しておけばよかった、と後悔します。

 

https://ameblo.jp/nagisa04/entry-11775683461.html?

 

 

 ↑ 14:26 知立に着いた三河線猿投行き

 2761-3761←碧南方  知立で 

 こんなローカル2両でも 車内はクロスシートでした。三河線はこの区間 20分ごとの等間隔運転でした。

 中京エリアは 大TOYOTAのお膝元とあって日本一の自動車社会。そんなマイカー優勢と戦うとあってか 名鉄はクロスシート比率が圧倒的に高かったです。セントレア開業後はロングシート車も増えつつありますが。

 

 知立14:26着→名古屋方からの急行新安城行きで新安城14:32着。その急行は直通で14:41発の蒲郡行きになりました。へえ~そういう直通もあるんだ!ク7303乗車。

 

 西尾線沿線は結構宅地化がすすんでおり、特徴的な光景に出会うこともなくたんたんと走ります。桜井14:52交換(←2821-3821)、米津14:58交換(特急名古屋行き ←7712-7711)、西尾15:05交換(←7205-7305+2858-3825広窓車)、福地15:20交換(←2834-3834佐屋行き)

 

 このころ、旧型の「なまず」と「いもむし」の引退が迫っていました。

 「なまず」はこの年の7月8日のダイヤ改正で大江の車庫に入場してしまったらしい。一方「いもむし モ3401形」は西尾線内にいる可能性がありそう、ということで西尾線にやってきたのですが、とうとう出会えないまま吉良吉田に着いてしまいました。

 吉良吉田駅で得た情報によると、どうも広見線での運用に備えて 4両➡2両への改造のため、工場(たぶん新川?)に入場している、とのこと。これは再トライ必須だなあ。

 

 吉良吉田に15:30ごろに到着。いもむしに会えなかった失意のまま蒲郡から帰路につきます。

 ↑は吉良吉田に入線してきた蒲郡行き。吉良吉田15:43発 

 7311-7211+7308-7208←西尾方   

 これに乗って蒲郡まで行きます。  

 

  西浦16:03 蒲郡行(手前)に乗車中  

 西浦で交換の 7303-7203+7353-7253→新安城方 

 

 16:13蒲郡着の 7208-7308+7211-7311→(終点方) 

 名鉄楽しかった!これで離れます。

 

 右下にJR東海道線が見えます。

この後 蒲郡16:22発 快速3146M浜松行き→17:18浜松17:22 766M三島行き→18:07島田、と乗り継ぎ。

 

 島田18:19始発の188M興津行き 119系4両編成 

 クモハ119-28 クハ118-20(SS8編成)+クモハ119-11 クハ118-7(SS3編成)←金谷方

 島田で三島行きを降りたのは 島田ー静岡ー興津の約43Kmほどの区間に大増発されたシティ電車を見て乗るため。このころ、JR民営化にともない 全国各地の都市圏に頻発運転の国電型ダイヤが採用されました。国鉄の最末期からうごきはあり、このあたりでは 8~12分間隔となりました。

 各地に 独自のネーミングがされ、静岡都市圏では「するがシャトル」とPRされていました。特に車両に表示はなかったかもしれませんが、駅ポスター等でわかりました。

 全国的には タウントレインとか さい来る電車とか シティトレインとか クル来るナントカ?とか、とっても把握しきれません。愛称は時刻表に掲載なかったのも多く、現地に見にゆかないと・・でした。

 頻発運転国電型ダイヤ用に 103系1000番台(常磐緩行線~千代田線直通車)の短縮改造車(105系)もでましたが、ここでは新製119系。のちに飯田線に転用されてゆきます。  


 

 

 1340)

 

 

の続きです。

 

 本揖斐から新岐阜に着いたのが 12:08。

 参考までに、本揖斐~岐阜駅前間の駅を記録しつつ乗ってきました。

 本揖斐◎ 清水(きよみず) 中之元 黒野◎ 相羽 下方 政田〇 真桑 美濃北方〇 北方千歳町 北方東口 又丸 尻毛(しっけ)〇 旦ノ島 近ノ島 忠節◎ 西の町 千手堂・・・ 徹明町・・ 新岐阜◎ 岐阜駅前

 (◎=拠点駅、〇=交換可、他は棒駅。忠節~岐阜駅前は路面区間で複線、・・・は路面区間で途中に電停あり)

 尻毛?続いて またまる?初めて聞いたときにはおもわずふきだしてしまいそう。

 

 パノラマスーパー1000系の先頭車最前席の予約が 1時間後の列車を選んだことによって可能になりました。それまでは新岐阜駅発着の列車を撮影。

 

S63(1988)年9月6日 12:15頃 新岐阜 

 右③ 12:30発 高速豊橋行#5407他  

 左② 急行豊橋行#7104他

 

 右③ 12:37発 急行豊橋行 #5705他  

 左② 回送になるパノラマカー #7009他 

 回送後 運用されるであろう「知立行」をもう掲出。

 

 

 12:35着 豊橋からの特急パノラマスーパー1000系  折返しは回送。

 

 このように、この位置からは JR岐阜駅は全く見えませんでしたが、後の再開発によってこのビルは無くなり 駅前広場が大きく広がり、JRの高架化で大きな新幹線駅のようになったJR岐阜駅が見渡せるようになりました。JRはこのあたりから西側は長ーい直線なので、最高速度で爆走通過する長ーい貨物列車は見ものです。特に夜間。

「サンライズ瀬戸出雲」は120〜130Km/h で岐阜駅を矢のように 流星のように通過! ちなみに、上下「サンライズ〜」は至近の木曽川橋梁付近ですれ違います。定時なら数分差で上り下りの順で続けて見れるでしょう。

 

 12:37 ③から急行豊橋行#5705他 が発車  

 左② 回送になるパノラマカー#7009他 

 

①12:35着  豊橋からの特急1000系パノラマスーパー  折返しは回送

 

1241③着の急行(新羽島発 羽島線・竹鼻線経由) #6212+6012←新羽島方

 

 ②へ回着の1000系 1104-1154-1054-1004←豊橋方  

 折返し12:47発の特急になります。回着なので通過灯は滅。

 

  右: ②へ回着の 1104-1154-1054-1004←豊橋方  

 折返し12:47発の特急に 

 

 右③ 12:46着の急行 #5310(豊橋方)他  

 左② 12:47発 1004Fパノラマスーパー 豊橋行 ライトが美しい。

 

 12:47発 1004Fパノラマスーパー豊橋行 後追い 

 1104ー1154ー1054ー1004→豊橋方

 

 12:53着の普通は 13:01回送で発車(後追い) 

 6902-6802→笠松方

 

 13:04③着の急行 7516-7565-7552-7651-7666-7515←笠松方 

 折返しは 13:07発 急行豊橋行

 

 13:06②着のパノラマスーパー  

 1107-1157-1057-1007←豊橋方   

 折返しは回送。

 後に1000系は 4両が2両X2本に分割され、岐阜向きの2両は方転されて豊橋向きになってしまいました。新造の1200形や1300形などと併結され6連に成長したわけですが、岐阜方向きの前面展望は見れなくなりました。

  

 ③急行豊橋行 7516-7565-7552-7651-7666-7515→豊橋方    

 左②は1007F 回送へ 

 

 1000系(1101-1151-1051-1001←笠松方)  が①へ回着。  

 折返し13:17発 豊橋行き

 さあ、これに乗車しますよ。

 

 ① 1001-1051-1151-1101←岐阜方   

  折返し13:17発 豊橋行き

 

 ① 1001-1051-1151-1101←岐阜方  

 

 新岐阜13:17発 特急豊橋行 

 1001 1号車1-A 取れてます。 

 トップナンバー車のトップナンバー座席に乗って→新名古屋13:45→14:07知立着 

 知立から新安城(パノラマスーパーは通過)へ行き、西尾線~蒲郡線のローカルを乗り継ぎ、JR蒲郡から東海道線で帰る予定。静岡からは新幹線で東京へ。

 

 1339)

 

 

の続きです。1988(S63).9.6訪問

 名鉄揖斐線と谷汲線の分岐駅-黒野から 谷汲線の谷汲行きに乗り、終点-谷汲まで乗り通しました。黒野9:52発→10:17谷汲着 モ755。

 

 地方都市ふうの郊外をぬけ、田園地帯を北へ。全駅は以下の順。

 黒野 黒野北口 豊木 稲富 更地(さらじ) 北野畑(〇=交換可) 赤石 長瀬 結城 谷汲、と11.2Kmに9駅(起点黒野を含めると10駅)を所要25分、¥310です。

 

 稲富あたりまではもっぱら田園地帯。更地あたりで根尾川に近づくはずですがあまり川面は見えなかったような。北野畑は交換可能駅ですが上りは来ず。

 更地~北野畑~赤石あたりでは根尾川の右岸を行きますが、対岸には樽見線(のちの樽見鉄道)が走っているはず。樽見線でいうと対岸至近は 織部~木知原~谷汲口にあたり。気を付けて見ていましたが、向こうは非電化なので見つけにくかったです。北野畑~赤石あたりでは薄暗い森の中に突っ込んでゆくシーンもあったような。

 

 結城あたりでやや広まった平地が広がったと思ったらすぐに山裾にぶつかり もう行き止まり状態。そこが終点-谷汲でした。谷汲山華厳寺の門前町で、駅のすぐさきは もう上り坂だったと思います。

 

 10:17 終点-谷汲に到着。

 駅出口へは上り階段になっていて、もうこれ以上は進めません。

 その階段上から モ755。

 

 パンタの後ろに見える建物が駅舎本屋。島式のホームで、向かって右側にもう1線。

 

 駅前広場はコンパクト。

 振りかえって駅舎を見ると、階段の下にはモ755が顔を見せています。

 終点ですが、駅前 直前に車は乗りつけられないようです。

 

 

 モ755は 8分で折り返します。これを逃すと1時間後になるので、谷汲に後ろ髪をひかれつつ乗車しました。30~40分後があれば周辺の散策にちょうど良いのですが。

  谷汲10:25→10:48黒野

 

 黒野到着の直前、モ514+モ515→揖斐方  はまだ留置中。

 午後の市内線乗り入れ運用(多分2両編成)にはこれが走るのだろうか?老齢ゆえに、閑散な運用で車体をもたせているのかもしれません。

 

 10:48 黒野③にモ755で到着(画角の外、右側)。奥の方が本揖斐方   

 左① :黒野始発の本揖斐行モ758、向こうに発車します。

 右② :黒野始発 岐阜駅前行 モ770型急行

 前後に分岐器があり 架線高は同じはずなので、両車のパンタの伸びの違いで車体高の差異がよくわかります。

 1番線の本揖斐行きに乗車して 終点-本揖斐まで行きます。 

 

 黒野に留置のモ514+515。この脇を抜けて、大きな川を渡ってたった8分で本揖斐に到着。黒野10:50→10:58本揖斐 モ758乗車

 途中駅は2駅のみで 黒野 中之元 清水(きよみず) 本揖斐 の順。 

 

 本揖斐に着いたモ758。

 谷汲のように、ここも線路終端(どん詰まり)の先に駅舎をかまえています。ここまでの全通時には先に延伸する予定が全く無かった、ということですね。

 

 

 線路終端の先に構える本揖斐駅舎。

 なんとなく、一畑電車 出雲大社駅を連想させるいい駅です。廃線となったのは本当に残念!!

 

 はじめは、本揖斐から 近鉄揖斐駅(のちの養老鉄道揖斐駅)に歩いて、大垣に出て名古屋まで一周する予定でした。しかし揖斐線~岐阜市内線の風情がすてがたく もう一度乗りたくなり、本揖斐→黒野→忠節→新岐阜、ともう一度乗ることにしました。

 

 本揖斐発車前のモ758

 ホームとの段差が大きい。年寄りは顧客でしょうが 足が弱くなったら乗れないだろうな。

 本揖斐11:17→11:25黒野11:30→忠節以降直通の急行→12:08新岐阜、と乗り継ぎしました。所要時間なぞ関係ありません!!でもローカルとしては結構速い。

 揖斐→県庁所在地-岐阜、と考えると、大垣でのJR乗換は時間がまちまちなので、ちゃんと黒野で急行に接続する名鉄の方が信頼性が高いですね。

 

 黒野②にて、ステップが大きく出ているモ771+770←黒野方

 うれしい設備。路面区間に入ると このステップが一段ぶん低い位置に下ります。路面走行中は収納されます。

 奥が本揖斐方。

 770形は連接車。連接部の台車の上には 平らな大きな円盤があり、急カーブ走行を支えています。曲がる時に車体と円盤間がずれ動くので危ないのか?と思い 試したりしましたが、そのへんはうまく出来ていました。路面区間の急カーブ、車体イン側とアウト側の動きは見ていて飽きません。

 

 12:08 岐阜市内線の新岐阜電停に到着。すぐそばの名鉄名古屋本線新岐阜駅に入ると、モ770形の姉妹車といえる 複電圧車モ880形が新岐阜で客待ち中↓

 

 一番北側のホームにいるのは 美濃町線新関行 で、

 新岐阜方から モ889+モ888→新関方

 新岐阜→各務原線 田神→市之坪→美濃町線 競輪場前→新関、と行きます。

 低いホームで、多分路面区間に近い低さ。ステップが出ていますが、車内の床よりも一段低い位置に出ているのに注目。1枚前の770形at黒野 と比べてみてください。どちらも路面区間走行時(停留所間)は引っ込みます。

 

 このあと、しばらく新岐阜駅で名古屋本線の各列車を見物。

 その後の目的として

①デビューしたばかりの パノラマスーパー1000系 を見て、さらに先頭車の一番前(展望席)に 乗ること。

②名鉄の西部のローカル線を見たばかりですが、この勢いで東部のローカル線(三河線・西尾線・蒲郡線)を見たり乗ったり・・・。

 さて、どういうスケジュールを組むか??

 

(以降、続きます)

 

 

 

 

 

 1338)

 

 

の続きです。

 S63年9月に初めて訪ねた 名鉄揖斐線・谷汲線。

 両線の分岐駅-黒野です。小雨で暗い。

 

 1988.9.6 朝9時すぎの黒野

 揖斐線隣の側線に停車中の モ514+モ515→本揖斐方(向こう側)   

 黒野2・3番線から見た光景です。

 輪止めが かましてあり、しばらくの間留置状態かも。

 

 この時点では、2番線に モ513+モ511+モ512(→本揖斐方)が停車中。510形全5両がこの時 黒野に集結。

 9:17発の本揖斐行き単行モ758 が発車していったあと、510形の3連は忠節方から転線し、駅の北側 脇の庫に入ってゆきます。 

 

 2番線から転線開始の モ513+モ511+モ512(手前側)を後追い撮影。

 線路は右から順に1・2番線

 ぶれてすいません。載せない とおもったのですが、黒野駅の起点方の風景がわかるのはこれしか無かったので。

 

 検修庫に入りつつあるモ512+モ511+モ513(→手前 新岐阜方)

 まだゆっくり移動中です。

 

 9:28 右:谷汲からの単行がゆうらゆうら揺れながら ゆっくりと3番線(庫に近い側)に到着してきます。モ759  

 脇にモ514+515(→向こう本揖斐方)、その右の左へカーブしつつ遠ざかる線路が本揖斐方への本線。

 

 続いて 9:30  岐阜駅前方からの各停2連(連接車)が2番線に到着 。黒野①そばの構内踏切から

 モ770+モ771←新岐阜方(奥側)

 路面区間(併用軌道)にも乗り入れるので車体幅が細いのですが、車体長が短いせいか そうは感じさせません。並ばないとわからないくらい。

 普通鉄道区間なのでステップを高い方の位置に突き出したままやってきました。それが路面電車区間に入ると、道路(併用軌道)を走行中は引っ込み、停留所では突き出たうえ低い位置に下がっていたと思います。動きをじっくり見てみようと思っていたのですが、わずかに乗り降りした岐阜駅前、新岐阜で気づいたときにはもうそうなっていて、動画を撮るなどはできませんでした。

 

 谷汲からやってきた モ759単行。これは忠節まで行きます。

 谷汲~黒野(谷汲線)は日中は1時間に1本の運転のみ、しかもみな単行。黒野発毎時52分、谷汲発毎時 25分、所用時分25分、運賃¥310でした。

 中間の北野畑でのみ交換可能ですが、日中は1両のみが行ったり来たり。

 日中の黒野~忠節は急行2連 黒野発岐阜駅前行き(モ770型)と 単行(黒野~忠節 または谷汲か本揖斐~忠節)で運転 、各30分間隔。

 

 揖斐線隣の側線に留置中の モ514+515→本揖斐方(右)

 

 このツートンカラーの2連が 岐阜市内線(併用区間)を走行する姿をぜひ見てみたい・・ということで、次回訪問の課題ができました。

 

(以降、続きます)