1343)の続きです。
1988(S63)年に弘南鉄道を訪れた最大の目的は 大鰐線。
東急からやってきていた旧型の3600形などが新型(といっても東京の電車のおさがりなのですが)に置き換えられる、という情報があったから。
弘南の電化区間は大鰐線(中央弘前~大鰐)と弘南線(弘前~黒石)。この1988年にまず大鰐線から置き換えが始まり、のちに弘南線にも波及してゆく、とのこと。
両線区の違いは そもそもの出自が違います。
弘南線は弘南鉄道(株)が 1927(S2).9.7から徐々に開業(はじめは弘前~津軽尾上間)、大鰐線は終戦後に地元有力者や当時の市長により設立された 弘前電気鉄道(株)により 1952(S27) .1.25全線(大鰐~中央弘前)開業です。1948年5月の免許交付時は 大鰐~石川~弘前(現在の中央弘前)~高杉~板柳(JR五能線)だったようです。五能線との接続をめざしていたとは知りませんでした。
車輛面を比べると、大鰐線のほうが より古い雑多な旧型が多い、という印象。よって、もともとの本体である弘南線よりも先に、大鰐線に置き換えの白羽の矢がたったということらしい。
なので この時の弘南線は、黒石線から メインの大鰐線に乗り継ぐために乗車した、というのが実際でした。それでも 魅力的なごつい旧型ばかりで、また次回の訪問が必須となりました。セミステンレス・オールステンレス(銀色)のもと東急車6000系・7000系に置き換えられる前に。
1988(S63).9.13 黒石駅1番線 12:20発の弘前行きでこれに乗って弘前へ向かいます。手前 駅の頭端側から。
クハ3675+モハ3601→むこう弘前方
左は側線に留置のクハ3770形(増結用?)
東急での廃車は クハ3672が S56.7.13、クハ3674・3675が S55.4.23付け。東急での最後のころに 池上線・目蒲線に撮りに行ったことがあります。
S55~56年に相次いで弘南に転籍。同じナンバーのままです。
この3両のうち、増結用とされた3672・3674は正面貫通扉が埋められました。
もと省電モハ50114➡1948年 東急クハ3675に(電装解除 先頭車化)➡1980年 弘南クハ3675に。
↑同、12:20発の弘前行き先頭車モハ3601→手前弘前方
モハ3600形も、クハ3600形・クハ3700形と同様、国鉄の戦災車両を東急が払い下げをうけて復旧させたもの。施工は東横車輛碑文谷工場。
東急での修繕時に全鋼車化されて弘南に来たモハ3600形4両(3601・3602・3607(=1989.12.15廃車)・3608)と修繕時に半鋼製車体で出場した3両(モハ3612・3613・3614)のグループがあります。
もと省電 モハ31087➡1949年 東急デハ3601に➡1980年 弘南モハ3601にという経緯。
②に留置のクハ3600形クハ3674の妻側。
②に留置のクハ3600形クハ3674の運転台側(再掲)
前面貫通路が埋められて 下り向きの増結専用となったクハ3674は 日中はお昼寝か もうあまり使われなくなったかも?
もと省電モハ30045➡1949年に 東急クハ3674に➡1980年に 弘南クハ3674に。
①の脇の留置線に留置のクハ3770形+奥は不明、S65(1990)年-6まで検査期限あり。
クハ3770形は全鋼車3両(クハ3773・3774・3775)、半鋼車が6両(3776~3781)在籍。S65(1990)年6月まで検査期限ありと記載がありますが、昭和はs65年までは続きませんでした。
さあ、弘前へ出発!
お岩木やまを望みながら穀倉地帯をのんびり走り、1駅目(境松)は左側にホームがある棒駅。続く2駅目の田舎館(島式ホーム)で下りとの交換がありました。↓
境松の次駅 島式ホームの田舎館にて、黒石行(後追い) モハ3612+クハ?→黒石方
モハ3600形3612は 東急が国鉄戦災車輛の台車・台枠を利用して半鋼製車体を新造したもの。デハ3612(東急車番)は S50.7.7に東急で廃車となり、同年12月付で デハ3616とともに弘南に転籍。続いて S51年9月付で3606・3614が弘南入線。
3606は弘南に来てからモハ3613に改番されました。3601~3608は全鋼車グループ、3612~は半鋼車グループと 弘南では区別されていたのでそれに準じた措置。
省電モハ3037➡1951年に東急デハ3612へ➡1975年に弘南モハ3612へ、という経緯。
その後、津軽尾上(つがるおのえ=島式ホーム)、柏農高校前(ホーム左側の棒駅)、平賀と進み、運用上の拠点駅へ。
黒石発車時は路線は西へ向かっていましたが、境松との間に南へ向き、ここ平賀(ひらが ではなく ひらか)までは南下し、次の館田との間で90°右折して西へ向かいます。
その平賀には「車両管理所」があり、多くの旧型車がつどっていました。
相対ホームの平賀の下りホームの西側です。
右からクハ3776、クハ3774、クハ3781 (=もと東急クハ3770形)
クハ3770形は、半鋼車3776~3781の6両と、全鋼車クハ3773~3775の3両が在籍。
平賀発車時の右側
右:モハ3602(全鋼車グループ)と 左にチラリと見える凸型電機ED30形301。
このあと、右へ大きくカーブし西へ向かいます。
平賀~館田間で西方へ90°カーブし、光線が順光になりました。
館田で交換の黒石行(後追い) モハ3613+クハ3775→黒石方
このあと、新里(にさと:島式)、運動公園前(ホームが右の棒駅)、東工業高前(島式だが左側のみ使用の実質棒駅)、弘前と進み、弘前駅はJRに併設。ビルの下の味気ないホームに12:48到着。
(以降、続きます)



























































































































