千葉の鉄道、そして Now & Then

千葉の鉄道、そして Now & Then

.                                                                                       

 1343)の続きです。

 

 1988(S63)年に弘南鉄道を訪れた最大の目的は 大鰐線。

 東急からやってきていた旧型の3600形などが新型(といっても東京の電車のおさがりなのですが)に置き換えられる、という情報があったから。

 弘南の電化区間は大鰐線(中央弘前~大鰐)と弘南線(弘前~黒石)。この1988年にまず大鰐線から置き換えが始まり、のちに弘南線にも波及してゆく、とのこと。

 

 両線区の違いは そもそもの出自が違います。

 弘南線は弘南鉄道(株)が 1927(S2).9.7から徐々に開業(はじめは弘前~津軽尾上間)、大鰐線は終戦後に地元有力者や当時の市長により設立された 弘前電気鉄道(株)により 1952(S27) .1.25全線(大鰐~中央弘前)開業です。1948年5月の免許交付時は 大鰐~石川~弘前(現在の中央弘前)~高杉~板柳(JR五能線)だったようです。五能線との接続をめざしていたとは知りませんでした。

 

 車輛面を比べると、大鰐線のほうが より古い雑多な旧型が多い、という印象。よって、もともとの本体である弘南線よりも先に、大鰐線に置き換えの白羽の矢がたったということらしい。

 なので この時の弘南線は、黒石線から メインの大鰐線に乗り継ぐために乗車した、というのが実際でした。それでも 魅力的なごつい旧型ばかりで、また次回の訪問が必須となりました。セミステンレス・オールステンレス(銀色)のもと東急車6000系・7000系に置き換えられる前に。

 

 1988(S63).9.13 黒石駅1番線  12:20発の弘前行きでこれに乗って弘前へ向かいます。手前 駅の頭端側から。

 クハ3675+モハ3601→むこう弘前方

 左は側線に留置のクハ3770形(増結用?)

 

 東急での廃車は クハ3672が S56.7.13、クハ3674・3675が S55.4.23付け。東急での最後のころに 池上線・目蒲線に撮りに行ったことがあります。

 S55~56年に相次いで弘南に転籍。同じナンバーのままです。

 この3両のうち、増結用とされた3672・3674は正面貫通扉が埋められました。

 

 もと省電モハ50114➡1948年 東急クハ3675に(電装解除 先頭車化)➡1980年 弘南クハ3675に。

 

 ↑同、12:20発の弘前行き先頭車モハ3601→手前弘前方 

 モハ3600形も、クハ3600形・クハ3700形と同様、国鉄の戦災車両を東急が払い下げをうけて復旧させたもの。施工は東横車輛碑文谷工場。

 東急での修繕時に全鋼車化されて弘南に来たモハ3600形4両(3601・3602・3607(=1989.12.15廃車)・3608)と修繕時に半鋼製車体で出場した3両(モハ3612・3613・3614)のグループがあります。

 もと省電 モハ31087➡1949年 東急デハ3601に➡1980年 弘南モハ3601にという経緯。

 

 ②に留置のクハ3600形クハ3674の妻側。

 

 ②に留置のクハ3600形クハ3674の運転台側(再掲)

 前面貫通路が埋められて 下り向きの増結専用となったクハ3674は 日中はお昼寝か もうあまり使われなくなったかも?

 もと省電モハ30045➡1949年に 東急クハ3674に➡1980年に 弘南クハ3674に。

 

 ①の脇の留置線に留置のクハ3770形+奥は不明、S65(1990)年-6まで検査期限あり。

 クハ3770形は全鋼車3両(クハ3773・3774・3775)、半鋼車が6両(3776~3781)在籍。S65(1990)年6月まで検査期限ありと記載がありますが、昭和はs65年までは続きませんでした。

 

 さあ、弘前へ出発!

 お岩木やまを望みながら穀倉地帯をのんびり走り、1駅目(境松)は左側にホームがある棒駅。続く2駅目の田舎館(島式ホーム)で下りとの交換がありました。↓

 

)

 境松の次駅  島式ホームの田舎館にて、黒石行(後追い) モハ3612+クハ?→黒石方

 

 モハ3600形3612は 東急が国鉄戦災車輛の台車・台枠を利用して半鋼製車体を新造したもの。デハ3612(東急車番)は S50.7.7に東急で廃車となり、同年12月付で デハ3616とともに弘南に転籍。続いて S51年9月付で3606・3614が弘南入線。

 3606は弘南に来てからモハ3613に改番されました。3601~3608は全鋼車グループ、3612~は半鋼車グループと 弘南では区別されていたのでそれに準じた措置。

 省電モハ3037➡1951年に東急デハ3612へ➡1975年に弘南モハ3612へ、という経緯。

 

 その後、津軽尾上(つがるおのえ=島式ホーム)、柏農高校前(ホーム左側の棒駅)、平賀と進み、運用上の拠点駅へ。

 

 黒石発車時は路線は西へ向かっていましたが、境松との間に南へ向き、ここ平賀(ひらが ではなく ひらか)までは南下し、次の館田との間で90°右折して西へ向かいます。

 その平賀には「車両管理所」があり、多くの旧型車がつどっていました。  

 相対ホームの平賀の下りホームの西側です。

 右からクハ3776、クハ3774、クハ3781 (=もと東急クハ3770形)

 クハ3770形は、半鋼車3776~3781の6両と、全鋼車クハ3773~3775の3両が在籍。

 

 

 平賀発車時の右側 

 右:モハ3602(全鋼車グループ)と 左にチラリと見える凸型電機ED30形301。

 このあと、右へ大きくカーブし西へ向かいます。

 

 平賀~館田間で西方へ90°カーブし、光線が順光になりました。 

 館田で交換の黒石行(後追い) モハ3613+クハ3775→黒石方

 このあと、新里(にさと:島式)、運動公園前(ホームが右の棒駅)、東工業高前(島式だが左側のみ使用の実質棒駅)、弘前と進み、弘前駅はJRに併設。ビルの下の味気ないホームに12:48到着。

(以降、続きます)

 連日の大雪で 北陸地方~東北地方の日本海側は大変な積雪になっているようです。青森県ではおおむね平年の2.5倍もの積雪量で 家屋の倒壊があいついでいるそう。心よりお見舞い申し上げます。自衛隊の災害出動もむべなるかな。お疲れ様です。

 

 さて、青森県には 昭和の末期以降で廃線の憂目にあったローカル私鉄が3線区あります。

 南部縦貫鉄道(野辺地~七戸)、十和田観光電鉄(三沢~十和田市)と弘南鉄道黒石線(川部~黒石)なのですが、今回青森県を取りあげるきっかけとなったのは、なんと、もう1線区が2028年の3月末をもって廃線になることが決定(2025年12月ごろ)したから。

 地方鉄道の乗客減少はいっこうに止まる気配がない。。。悲しいことです。。

 

 当ブログでは、かつて南部縦貫鉄道と十和田観光電鉄は取り上げたことがありますので、以下にリンクを貼っておきます。よかったらご覧ください。

 南部縦貫鉄道(その1)➡2011.10.12にアップした278)の記事

 

 

 南部縦貫鉄道(その2)➡2011.11.10にアップした 285)の記事

 

 

 十和田観光電鉄➡2012.4.6にアップした338)の記事

 

 

 注:これらのリンクは、PC画面では時として開かないことがあります。その場合でもスマホ画面でなら大丈夫です。

 

 さて、国鉄の黒石線が国鉄末期の特定地方交通線大幅合理化(地方赤字線83線区や輸送密度2000人以下をバッサリ)で弘南鉄道に転換されたのが1984年11月。

 私はその4年後、S63(1988)年9月13日に訪問しました。十和田観光電鉄・南部縦貫鉄道・弘南鉄道弘南線・大鰐線との大カップリングでした。その際に 南部縦貫鉄道にも行ってましたので、その続きから始めます。

 

 S63(1988)年9月13日 七戸から乗ってきた南部縦貫のキハ102 が野辺地に到着。手前側が七戸方。

 七戸8:45→9:21野辺地 20.9Kmを所要時間 約36分720円 

 1日5往復で この折返しは9:35発。車庫がある七戸中心のダイヤで、野辺地では7分~30分くらいで折りかえします。

七戸 ➡ 野辺地 ➡七戸 (全5往復の時刻 1988-9時点)

 6:45 →7:23--7:30→8:07

 8:45 →9:21--9:35→10:10

13:15 →13:51--14:20→14:55

15:35 →16:11--16:40→17:15

17:50 →18:26--18:55→19:30

 

 ホームのへりが木製、階段のへりも木製。

 跨線橋も、南部縦貫エリアになったとたんに 雰囲気がローカルっぽくなっていました。

 

 当時まで何度か青森~北海道方面を往き来しましたが、東北本線通過時にたびたび見ていたこの光景。とうとう乗った!と感慨深かったです。

 

 南部縦貫鉄道を乗り終えて、野辺地0931発の3633D快速「うみねこ」(八戸線 鮫8:03発)乗車→9:55浅虫温泉→同10:30発の1001M「はつかり1号」(583系12両)で青森に10:45到着。たった15分ですが また583系に乗りたかったのです。青森-十和田の周遊券はありがたかった。

 

 1001Mはつかり1号 浅虫温泉で。

 クハネ583-17・・・クハネ583-2←盛岡方(奥側) 

 9連から増結された 盛アオの8M4T 12連 

 盛岡8:19→浅虫温泉10:30乗車→10:45青森 周遊券を使い自由席に15分だけ乗車。

 

 青森に10:45着の 1001Mはつかり1号 12連 

 1番線で、右は青函航路への貨物乗り入れ線。奥が海、右奥が連絡船乗り場でした。

 クハネ583-2 M'M-4 M'M-91 サロ581-1 M'M-94 サハネ583-53 M'M-59 クハネ583-17→青森方 (M'Mはモハネ582+モハネ583)盛アオ

 

 青森②10:14着の3633Dうみねこ(奥の3両 キハ22+キハ58+キハ58) の手前にキハ22の2両が付く。「うとう」のHMを付けたキハ22 343+キハ22?

 「うとう」って??。このあたりにはローカル快速で「うみねこ」「うそり」「岩木」「こはく」「たねさし」などいろいろありました。しかし「うとう」というのは列車名ではないようです。

 

 乗換5分ですが、しっかりと10:49発の3125レ「海峡5号」のED79+50系客車も撮ることができました。「はつかり1号」は仙台からの下り1番の東北新幹線を受け継いできているので各方面の接続が良いです。東北新幹線開業前にあった仙台7:00始発➡青森行きの俊足455系6連の急行1511M「くりこま1号」(全指)を引き継いだような輸送体系。

 この1511Mは 仙台7:00→一ノ関8:09→9:16盛岡9:18→八戸10:40→11:49青森 という速さ。電車急行なのに表定速度はなんと 80.43Km/h。

 

 青森⑥3125レ海峡5号 青森10:19→13:22函館 ED79 16(青函)

 

そして青森10:51発の奥羽本線弘前行き630レに乗り込みました。

 青森④ 630レ弘前行き  

 これに 青森10:51→11:31川部 と乗車。

ED75 764(秋) オハフ13 2009 オハ12 2014 オハフ13 2013

 東北地方の電化区間、北部ではどこに行っても ED75-700番台は見ることができました。

 

 川部11:45 401レ「津軽」 上野22:30→12:17青森 

 ED75 755(秋)+14系座席車のみの8両

 

 川部12:05→12:15黒石 5分後の前田屋敷停車を含め10分で着きます。 

 キハ2230に 2人乗務、乗客はきわめて少ないです。

 2230は 国鉄からの転換時に譲り受けたという。国鉄キハ22のまんまで、違うのは弘南カラーなった塗色だけ。ですが色が変わっただけで ずいぶん立派に見えますね。

 

 12:14 黒石到着直前の右側車窓。

 岩木山と近づく弘南線。自分は進行後ろ方を向いていて、左側が黒石駅。

 

 黒石到着直前の右側車窓。弘南線と合流して④到着。

 国鉄時代の黒石線はもう少し離れていたそうですが、弘南鉄道に統合されたときに駅として一体化されたそうです。とすると、左側の鉄骨の脚のホームはそのときに新規設置なのでしょう。まだ新しいです。

 

 黒石にキハ2230で12:15到着。 

 右:黒石②に留置は クハ3674で ぽつんと1両のみ。

 

 黒石① クハ3675+モハ3601→手前弘前方 

 12:20発の弘前行きで これに乗ります。

 もと東急目蒲線 池上線で使われていたデハ3600系のようです。東急時代は深緑色一色でした。

 (以降続きます)

 1341)

 

 

の続きです。

 また、この記事の多くが現存するローカル地方私鉄線区(会社としては大手の名鉄ですが ローカルエリア)ですので、

「ローカル私鉄訪問記(14)」ともいえ、当ブログ 

573)伊予鉄道高浜線と予讃線」(2014.2.19 にアップした記事)に続くもの、ともいえます。

 

 

 S63(1988)年9月6日、名鉄の西側エリアのローカル線(谷汲線・揖斐線・岐阜市内線)を訪問したあと、名鉄東側のローカル線を訪問しました。

 東側では、どこかで走行写真を撮りたいという予定はなかったので、未乗車線区の乗りつぶし中心でした。それでも今思うと、当時の名鉄の代表的な汎用車を記録することができました。

 

 新岐阜から1000系パノラマスーパーの先頭車(1号車1001 1-Aの座席)で前面展望を堪能しつつ知立まで乗車。車内の空間(前後の高い位置)のLED速度表示で、1000系のサイドビューのイラストが長く伸びたり 引っ込んで短くなったりするが目新しく 楽しい。

 14:07 知立にパノラマスーパーで到着。名古屋本線の普通または急行で豊橋方へ 2駅進んで新安城まで行き 西尾線吉良吉田行きに乗る予定だったのですが、なんと誤乗してしまいました!!

 知立駅で 吉良吉田行き2分後の14:09発車 とあり一目散に乗り込んですぐ発車。ところが思った方向と反対側に動き出す!!ぎょぎょっ!?

 乗ったのは三河線の碧南~吉良吉田方(西側から南方)へ向かう吉良吉田行きでした。西尾線吉良吉田に向かうつもりだったのでカンチガイ。

 

 どうしようか??すぐ気づいたものの車内ではあせるあせる。幸い本数が少ないと思われる猿投方ではなかったので、刈谷で戻ればなんとかなるだろう・・・と急遽計画変更。

 1988.9.6 知立14:09→14:15刈谷着。

 刈谷を発車してゆく吉良吉田行き(後追い)↑

 2738+3738→吉良吉田方

戻る列車は 反対側のホームに幸いすぐに来て 14:20刈谷発→14:26知立着  

 

 現在三河線は碧南~吉良吉田間が廃線となり、碧南~刈谷~知立~猿投となってしまったので 南側の終点は碧南となっていますが、当時は吉良吉田が終点。吉良吉田では西尾線・蒲郡線と接続していました。

 このときは「誤乗してしまった!!」と思って 刈谷で降りて 刈谷→知立と戻ったのですが、当時は まさか碧南以南が廃線になろうとはつゆしらず。今思えば、誤乗した三河線吉良吉田行きに そのまま乗り通して 刈谷~碧南~吉良吉田間の長い区間に このときに乗車しておけばよかった、と後悔します。

 

https://ameblo.jp/nagisa04/entry-11775683461.html?

 

 

 ↑ 14:26 知立に着いた三河線猿投行き

 2761-3761←碧南方  知立で 

 こんなローカル2両でも 車内はクロスシートでした。三河線はこの区間 20分ごとの等間隔運転でした。

 中京エリアは 大TOYOTAのお膝元とあって日本一の自動車社会。そんなマイカー優勢と戦うとあってか 名鉄はクロスシート比率が圧倒的に高かったです。セントレア開業後はロングシート車も増えつつありますが。

 

 知立14:26着→名古屋方からの急行新安城行きで新安城14:32着。その急行は直通で14:41発の蒲郡行きになりました。へえ~そういう直通もあるんだ!ク7303乗車。

 

 西尾線沿線は結構宅地化がすすんでおり、特徴的な光景に出会うこともなくたんたんと走ります。桜井14:52交換(←2821-3821)、米津14:58交換(特急名古屋行き ←7712-7711)、西尾15:05交換(←7205-7305+2858-3825広窓車)、福地15:20交換(←2834-3834佐屋行き)

 

 このころ、旧型の「なまず」と「いもむし」の引退が迫っていました。

 「なまず」はこの年の7月8日のダイヤ改正で大江の車庫に入場してしまったらしい。一方「いもむし モ3401形」は西尾線内にいる可能性がありそう、ということで西尾線にやってきたのですが、とうとう出会えないまま吉良吉田に着いてしまいました。

 吉良吉田駅で得た情報によると、どうも広見線での運用に備えて 4両➡2両への改造のため、工場(たぶん新川?)に入場している、とのこと。これは再トライ必須だなあ。

 

 吉良吉田に15:30ごろに到着。いもむしに会えなかった失意のまま蒲郡から帰路につきます。

 ↑は吉良吉田に入線してきた蒲郡行き。吉良吉田15:43発 

 7311-7211+7308-7208←西尾方   

 これに乗って蒲郡まで行きます。  

 

  西浦16:03 蒲郡行(手前)に乗車中  

 西浦で交換の 7303-7203+7353-7253→新安城方 

 

 16:13蒲郡着の 7208-7308+7211-7311→(終点方) 

 名鉄楽しかった!これで離れます。

 

 右下にJR東海道線が見えます。

この後 蒲郡16:22発 快速3146M浜松行き→17:18浜松17:22 766M三島行き→18:07島田、と乗り継ぎ。

 

 島田18:19始発の188M興津行き 119系4両編成 

 クモハ119-28 クハ118-20(SS8編成)+クモハ119-11 クハ118-7(SS3編成)←金谷方

 島田で三島行きを降りたのは 島田ー静岡ー興津の約43Kmほどの区間に大増発されたシティ電車を見て乗るため。このころ、JR民営化にともない 全国各地の都市圏に頻発運転の国電型ダイヤが採用されました。国鉄の最末期からうごきはあり、このあたりでは 8~12分間隔となりました。

 各地に 独自のネーミングがされ、静岡都市圏では「するがシャトル」とPRされていました。特に車両に表示はなかったかもしれませんが、駅ポスター等でわかりました。

 全国的には タウントレインとか さい来る電車とか シティトレインとか クル来るナントカ?とか、とっても把握しきれません。愛称は時刻表に掲載なかったのも多く、現地に見にゆかないと・・でした。

 頻発運転国電型ダイヤ用に 103系1000番台(常磐緩行線~千代田線直通車)の短縮改造車(105系)もでましたが、ここでは新製119系。のちに飯田線に転用されてゆきます。  


 

 

 1340)

 

 

の続きです。

 

 本揖斐から新岐阜に着いたのが 12:08。

 参考までに、本揖斐~岐阜駅前間の駅を記録しつつ乗ってきました。

 本揖斐◎ 清水(きよみず) 中之元 黒野◎ 相羽 下方 政田〇 真桑 美濃北方〇 北方千歳町 北方東口 又丸 尻毛(しっけ)〇 旦ノ島 近ノ島 忠節◎ 西の町 千手堂・・・ 徹明町・・ 新岐阜◎ 岐阜駅前

 (◎=拠点駅、〇=交換可、他は棒駅。忠節~岐阜駅前は路面区間で複線、・・・は路面区間で途中に電停あり)

 尻毛?続いて またまる?初めて聞いたときにはおもわずふきだしてしまいそう。

 

 パノラマスーパー1000系の先頭車最前席の予約が 1時間後の列車を選んだことによって可能になりました。それまでは新岐阜駅発着の列車を撮影。

 

S63(1988)年9月6日 12:15頃 新岐阜 

 右③ 12:30発 高速豊橋行#5407他  

 左② 急行豊橋行#7104他

 

 右③ 12:37発 急行豊橋行 #5705他  

 左② 回送になるパノラマカー #7009他 

 回送後 運用されるであろう「知立行」をもう掲出。

 

 

 12:35着 豊橋からの特急パノラマスーパー1000系  折返しは回送。

 

 このように、この位置からは JR岐阜駅は全く見えませんでしたが、後の再開発によってこのビルは無くなり 駅前広場が大きく広がり、JRの高架化で大きな新幹線駅のようになったJR岐阜駅が見渡せるようになりました。JRはこのあたりから西側は長ーい直線なので、最高速度で爆走通過する長ーい貨物列車は見ものです。特に夜間。

「サンライズ瀬戸出雲」は120〜130Km/h で岐阜駅を矢のように 流星のように通過! ちなみに、上下「サンライズ〜」は至近の木曽川橋梁付近ですれ違います。定時なら数分差で上り下りの順で続けて見れるでしょう。

 

 12:37 ③から急行豊橋行#5705他 が発車  

 左② 回送になるパノラマカー#7009他 

 

①12:35着  豊橋からの特急1000系パノラマスーパー  折返しは回送

 

1241③着の急行(新羽島発 羽島線・竹鼻線経由) #6212+6012←新羽島方

 

 ②へ回着の1000系 1104-1154-1054-1004←豊橋方  

 折返し12:47発の特急になります。回着なので通過灯は滅。

 

  右: ②へ回着の 1104-1154-1054-1004←豊橋方  

 折返し12:47発の特急に 

 

 右③ 12:46着の急行 #5310(豊橋方)他  

 左② 12:47発 1004Fパノラマスーパー 豊橋行 ライトが美しい。

 

 12:47発 1004Fパノラマスーパー豊橋行 後追い 

 1104ー1154ー1054ー1004→豊橋方

 

 12:53着の普通は 13:01回送で発車(後追い) 

 6902-6802→笠松方

 

 13:04③着の急行 7516-7565-7552-7651-7666-7515←笠松方 

 折返しは 13:07発 急行豊橋行

 

 13:06②着のパノラマスーパー  

 1107-1157-1057-1007←豊橋方   

 折返しは回送。

 後に1000系は 4両が2両X2本に分割され、岐阜向きの2両は方転されて豊橋向きになってしまいました。新造の1200形や1300形などと併結され6連に成長したわけですが、岐阜方向きの前面展望は見れなくなりました。

  

 ③急行豊橋行 7516-7565-7552-7651-7666-7515→豊橋方    

 左②は1007F 回送へ 

 

 1000系(1101-1151-1051-1001←笠松方)  が①へ回着。  

 折返し13:17発 豊橋行き

 さあ、これに乗車しますよ。

 

 ① 1001-1051-1151-1101←岐阜方   

  折返し13:17発 豊橋行き

 

 ① 1001-1051-1151-1101←岐阜方  

 

 新岐阜13:17発 特急豊橋行 

 1001 1号車1-A 取れてます。 

 トップナンバー車のトップナンバー座席に乗って→新名古屋13:45→14:07知立着 

 知立から新安城(パノラマスーパーは通過)へ行き、西尾線~蒲郡線のローカルを乗り継ぎ、JR蒲郡から東海道線で帰る予定。静岡からは新幹線で東京へ。

 

 1339)

 

 

の続きです。1988(S63).9.6訪問

 名鉄揖斐線と谷汲線の分岐駅-黒野から 谷汲線の谷汲行きに乗り、終点-谷汲まで乗り通しました。黒野9:52発→10:17谷汲着 モ755。

 

 地方都市ふうの郊外をぬけ、田園地帯を北へ。全駅は以下の順。

 黒野 黒野北口 豊木 稲富 更地(さらじ) 北野畑(〇=交換可) 赤石 長瀬 結城 谷汲、と11.2Kmに9駅(起点黒野を含めると10駅)を所要25分、¥310です。

 

 稲富あたりまではもっぱら田園地帯。更地あたりで根尾川に近づくはずですがあまり川面は見えなかったような。北野畑は交換可能駅ですが上りは来ず。

 更地~北野畑~赤石あたりでは根尾川の右岸を行きますが、対岸には樽見線(のちの樽見鉄道)が走っているはず。樽見線でいうと対岸至近は 織部~木知原~谷汲口にあたり。気を付けて見ていましたが、向こうは非電化なので見つけにくかったです。北野畑~赤石あたりでは薄暗い森の中に突っ込んでゆくシーンもあったような。

 

 結城あたりでやや広まった平地が広がったと思ったらすぐに山裾にぶつかり もう行き止まり状態。そこが終点-谷汲でした。谷汲山華厳寺の門前町で、駅のすぐさきは もう上り坂だったと思います。

 

 10:17 終点-谷汲に到着。

 駅出口へは上り階段になっていて、もうこれ以上は進めません。

 その階段上から モ755。

 

 パンタの後ろに見える建物が駅舎本屋。島式のホームで、向かって右側にもう1線。

 

 駅前広場はコンパクト。

 振りかえって駅舎を見ると、階段の下にはモ755が顔を見せています。

 終点ですが、駅前 直前に車は乗りつけられないようです。

 

 

 モ755は 8分で折り返します。これを逃すと1時間後になるので、谷汲に後ろ髪をひかれつつ乗車しました。30~40分後があれば周辺の散策にちょうど良いのですが。

  谷汲10:25→10:48黒野

 

 黒野到着の直前、モ514+モ515→揖斐方  はまだ留置中。

 午後の市内線乗り入れ運用(多分2両編成)にはこれが走るのだろうか?老齢ゆえに、閑散な運用で車体をもたせているのかもしれません。

 

 10:48 黒野③にモ755で到着(画角の外、右側)。奥の方が本揖斐方   

 左① :黒野始発の本揖斐行モ758、向こうに発車します。

 右② :黒野始発 岐阜駅前行 モ770型急行

 前後に分岐器があり 架線高は同じはずなので、両車のパンタの伸びの違いで車体高の差異がよくわかります。

 1番線の本揖斐行きに乗車して 終点-本揖斐まで行きます。 

 

 黒野に留置のモ514+515。この脇を抜けて、大きな川を渡ってたった8分で本揖斐に到着。黒野10:50→10:58本揖斐 モ758乗車

 途中駅は2駅のみで 黒野 中之元 清水(きよみず) 本揖斐 の順。 

 

 本揖斐に着いたモ758。

 谷汲のように、ここも線路終端(どん詰まり)の先に駅舎をかまえています。ここまでの全通時には先に延伸する予定が全く無かった、ということですね。

 

 

 線路終端の先に構える本揖斐駅舎。

 なんとなく、一畑電車 出雲大社駅を連想させるいい駅です。廃線となったのは本当に残念!!

 

 はじめは、本揖斐から 近鉄揖斐駅(のちの養老鉄道揖斐駅)に歩いて、大垣に出て名古屋まで一周する予定でした。しかし揖斐線~岐阜市内線の風情がすてがたく もう一度乗りたくなり、本揖斐→黒野→忠節→新岐阜、ともう一度乗ることにしました。

 

 本揖斐発車前のモ758

 ホームとの段差が大きい。年寄りは顧客でしょうが 足が弱くなったら乗れないだろうな。

 本揖斐11:17→11:25黒野11:30→忠節以降直通の急行→12:08新岐阜、と乗り継ぎしました。所要時間なぞ関係ありません!!でもローカルとしては結構速い。

 揖斐→県庁所在地-岐阜、と考えると、大垣でのJR乗換は時間がまちまちなので、ちゃんと黒野で急行に接続する名鉄の方が信頼性が高いですね。

 

 黒野②にて、ステップが大きく出ているモ771+770←黒野方

 うれしい設備。路面区間に入ると このステップが一段ぶん低い位置に下ります。路面走行中は収納されます。

 奥が本揖斐方。

 770形は連接車。連接部の台車の上には 平らな大きな円盤があり、急カーブ走行を支えています。曲がる時に車体と円盤間がずれ動くので危ないのか?と思い 試したりしましたが、そのへんはうまく出来ていました。路面区間の急カーブ、車体イン側とアウト側の動きは見ていて飽きません。

 

 12:08 岐阜市内線の新岐阜電停に到着。すぐそばの名鉄名古屋本線新岐阜駅に入ると、モ770形の姉妹車といえる 複電圧車モ880形が新岐阜で客待ち中↓

 

 一番北側のホームにいるのは 美濃町線新関行 で、

 新岐阜方から モ889+モ888→新関方

 新岐阜→各務原線 田神→市之坪→美濃町線 競輪場前→新関、と行きます。

 低いホームで、多分路面区間に近い低さ。ステップが出ていますが、車内の床よりも一段低い位置に出ているのに注目。1枚前の770形at黒野 と比べてみてください。どちらも路面区間走行時(停留所間)は引っ込みます。

 

 このあと、しばらく新岐阜駅で名古屋本線の各列車を見物。

 その後の目的として

①デビューしたばかりの パノラマスーパー1000系 を見て、さらに先頭車の一番前(展望席)に 乗ること。

②名鉄の西部のローカル線を見たばかりですが、この勢いで東部のローカル線(三河線・西尾線・蒲郡線)を見たり乗ったり・・・。

 さて、どういうスケジュールを組むか??

 

(以降、続きます)

 

 

 

 

 

 1338)

 

 

の続きです。

 S63年9月に初めて訪ねた 名鉄揖斐線・谷汲線。

 両線の分岐駅-黒野です。小雨で暗い。

 

 1988.9.6 朝9時すぎの黒野

 揖斐線隣の側線に停車中の モ514+モ515→本揖斐方(向こう側)   

 黒野2・3番線から見た光景です。

 輪止めが かましてあり、しばらくの間留置状態かも。

 

 この時点では、2番線に モ513+モ511+モ512(→本揖斐方)が停車中。510形全5両がこの時 黒野に集結。

 9:17発の本揖斐行き単行モ758 が発車していったあと、510形の3連は忠節方から転線し、駅の北側 脇の庫に入ってゆきます。 

 

 2番線から転線開始の モ513+モ511+モ512(手前側)を後追い撮影。

 線路は右から順に1・2番線

 ぶれてすいません。載せない とおもったのですが、黒野駅の起点方の風景がわかるのはこれしか無かったので。

 

 検修庫に入りつつあるモ512+モ511+モ513(→手前 新岐阜方)

 まだゆっくり移動中です。

 

 9:28 右:谷汲からの単行がゆうらゆうら揺れながら ゆっくりと3番線(庫に近い側)に到着してきます。モ759  

 脇にモ514+515(→向こう本揖斐方)、その右の左へカーブしつつ遠ざかる線路が本揖斐方への本線。

 

 続いて 9:30  岐阜駅前方からの各停2連(連接車)が2番線に到着 。黒野①そばの構内踏切から

 モ770+モ771←新岐阜方(奥側)

 路面区間(併用軌道)にも乗り入れるので車体幅が細いのですが、車体長が短いせいか そうは感じさせません。並ばないとわからないくらい。

 普通鉄道区間なのでステップを高い方の位置に突き出したままやってきました。それが路面電車区間に入ると、道路(併用軌道)を走行中は引っ込み、停留所では突き出たうえ低い位置に下がっていたと思います。動きをじっくり見てみようと思っていたのですが、わずかに乗り降りした岐阜駅前、新岐阜で気づいたときにはもうそうなっていて、動画を撮るなどはできませんでした。

 

 谷汲からやってきた モ759単行。これは忠節まで行きます。

 谷汲~黒野(谷汲線)は日中は1時間に1本の運転のみ、しかもみな単行。黒野発毎時52分、谷汲発毎時 25分、所用時分25分、運賃¥310でした。

 中間の北野畑でのみ交換可能ですが、日中は1両のみが行ったり来たり。

 日中の黒野~忠節は急行2連 黒野発岐阜駅前行き(モ770型)と 単行(黒野~忠節 または谷汲か本揖斐~忠節)で運転 、各30分間隔。

 

 揖斐線隣の側線に留置中の モ514+515→本揖斐方(右)

 

 このツートンカラーの2連が 岐阜市内線(併用区間)を走行する姿をぜひ見てみたい・・ということで、次回訪問の課題ができました。

 

(以降、続きます)

 

 

 

 

 1337)

 

 

の続きです。

 

 名鉄揖斐線 美濃北方で交換の上り忠節行きです。

 モ510形の3両編成を後追い撮影。

 

 S63(1988)年9月6日 7:51ごろ 美濃北方 

 モ512+モ511+モ513→忠節方

 513だけはリバイバルのツートンですが、他は赤一色。デザインイメージで、赤一色となると前面の頭部が重く しかめっつらな印象。

 通勤時間帯真っただ中で 車内は混雑。雨で湿気が高くガラスはみな曇っています。

 

  1988.9.6 8時すぎの美濃北方~真桑にて 下り黒野行き  

 ク2300形が長いのが気になっていましたので サイドから撮れる地点を探したら、好都合な築堤があったのでそこで。こんなに長さが違う車両を1編成に組んでいるのも珍しい。

 モ751+モ702+ク2323→黒野方  

 

 

 8:15頃の下り黒野行き、進行方向は右(➡)です。

 モ752+モ703+ク2326→黒野方  

 7:33に自分が美濃北方に着いたときに 交換で出て行った上りが、忠節で折返して下ってきました。 

 

 510形の3両編成が忠節から戻って来るあいだに、この付近で南北に交差する樽見鉄道の下りに貴重な客車列車がありました。樽見鉄道ではほとんどが軽快気動車の1~2両かと思いますが、大きな輸送力が必要な 朝の通学列車に定員が多い客車列車が運用されていました。

 これらを増強して、のちに「薄墨桜見物列車」が大きく増発されますが、この年はまだ国鉄樽見線からの転換直後だし、終点は神海(国鉄時代の美濃神海)で薄墨桜の樽見まで全通していなかったので、まだありませんでした。

 

  8:32 樽見鉄道 美江寺~北方真桑 

 207レ  TDE10 2+旧客2両  

 大垣 8:12発→8:45 本巣着 

 

 そぼ降る雨・・・時間もあまりない。

 都合よいことに揖斐線の築堤があったので、その下で雨宿りしながら撮影。本当は見渡しのきくインカーブがあればよかったのですが。

 

 

 おおっ、貫通路までぎっしり!

 北方真桑には高専があるのでそこへの通学生かも。

 別の機会に、水鳥からの帰り 午後3~4時台だったかに北方真桑を通った時も、乗車してくる高校生が大変多かったのを思い出します。その時は、12系客車で通えるなんてなんとうらやましい・・という記憶があります。

 

 

 8:48 モ770型2連(連接車固定編成) 下り黒野行き 

 美濃北方~真桑

 短くてかわいい

 

 8:59 美濃北方に着いた上りを後撃ち 

 ク2326+モ703+モ751→向こう忠節方 

 構内踏切、路面に直通する車両も来るので 低いホームが雨に濡れる。ローカル私鉄のいい雰囲気があふれています。

 

 ク2326+モ703+モ751→忠節方 

 モ゙751は前面がアルミサッシで、改造とはいえ目立ってカッコいい。外へ突き出すステップはありません。

 

 右:忠節発の黒野行き510形3連

 モ512+モ511+モ513←忠節方

 700形 750形には無い、外側に突き出すステップが510形には装備されています。

 併用軌道区間へ乗り入れるので510形は車体が細く、忠節以西の普通鉄道区間(揖斐線内)でホームとの間が広く空くから。

 普通鉄道区間では、駅間でも車両限界に余裕があるため 横へ出しっぱなしで走行していました。それが忠節以東の併用軌道(岐阜市内線)へ入ると、停留場の乗り降り時にはステップが低い位置に降り 乗り降りしやすく、停留場間では 自動車との接触を避けるために引っ込むという優れもの。1990年4月に引っ込んだ状態での併用軌道走行を撮ることができました。後日掲載します。

 

 美濃北方9:01発のこれに乗って下り、黒野(谷汲線・揖斐線の分岐駅)へ向かいます。

 外側がツートンでも車内は同じ。なので、赤一色の先頭車(モ512)に陣取り、車内も撮影しようかと。正直、貫通路が無いので 一度乗ってしまうと移動しずらく、乗車直前まで迷いました。

 

 ↑↓モ512の車内、新岐阜側(向き)です。

 通勤方向と逆なので ガラガラにすいています。

 クロスシートの2人用・1人用がごらんのように並んでいます。海側が2人用。

 隣りに見えるはモ511。

 

  これで路面区間にも乗り入れるんだ、スゴイ。

 次回はぜひ路面区間でも撮らなければ。市内線への乗り入れは1日1往復しかありません。この年の平日は。

 

 モ512の先頭方

 車内から見ると 先頭部は国鉄モハ52のような5枚窓ですが、路面電車をもしのぐような開放的さ。

 

 美濃北方から西へ、さらに北西方向へ13分走って 黒野に到着。9:14

 地方ローカル私鉄としては規模が大きな駅でびっくり。コンパクトな島式のホームが2面並列で、さらにその脇には検修庫や検修施設が併設されていました(岐阜に向かって左側)。

 

 9:14黒野に終着した モ513+モ511+モ512→揖斐方(右方)突き出した乗降ステップにも注目。ワンマンという表示はまだありません。

 この3両編成に隠れていますが、後ろには3分で接続の 本揖斐行き単行が控えています。

 小さいながらも丸い石積みのホーム、構内踏切(向こう側)などいい雰囲気です。 

 

 隣りホームから単行の本揖斐行きが発車してゆきます(右、後追い)

 その左(南)側にはモ510形の 514+515(→右 本揖斐方)

 モ513+モ511+モ512 はこの時点で2番線にいますので、モ510形全5両が今ここに集結したことになります。

 谷汲口方は 向かって右方(北方)へ分岐します。架線柱の右側にわずかに見えています。

 

 このあと谷汲口と本揖斐へも向かいます。長くなるので、以降 続きます

 

 

 

 

 

 

 1335)までは茨城県の消えたローカル私鉄の記録をまとめてきましたが、ここらで趣きを変えて岐阜県に飛ぼうと思います。1336)でうまづら電車 名鉄モ510形(静態保存車 丸窓電車とも)を掲載した流れにそってゆきます。

 

 岐阜県は、愛すべきローカル私鉄の宝庫でした。

 いずれも大手の「名鉄」の線区でありながら、かつての古き良き時代を彷彿とさせるローカル線区。会社としての名鉄としては経営面では重荷になっていたようで、いつ無くなってもおかしくないような線区であり、(ゆえに名鉄のオールドタイマーが寄せ集められたた感があり)レトロ電車の宝庫でした。これはよく見ておく価値がありそう、と数回訪問しました。

 

 最初の訪問は1988(昭和63)年9月。

 JRの発足後1年半、秋には「オリエントエクスプレス」が来日する、というニュースを聞いていたかもしれません。そちらで忙しくなる前に、じっくりと名鉄のローカル線に行っておこうと。

 

 全く初めてのローカル線にはワクワクします。それは幹線系線区の比ではありません。詳細な情報を持ち合わせていないこともあるし、歴史ある車両がいまだ現役という驚き、古き良き周辺の光景(ストクチャー)など、小私鉄であればあるほど感動は大きい気がします。

 

 1988(S63)年9月4日 東京駅10番線 23:25発の375Mで出発。1800円ほどで大垣までグリーン車に乗れるとあって、もちろん普通列車用グリーン券を用意しました。乗った5号車は もと幕張配置のサロ165-130~に近いナンバー、サロ165-126(JR東海 静岡車)。うわっ、これは懐かしいな。安心感半端ない!5号車8-D席がこの日の宿。

 

 昭和63(1988)年9月5日、東京10番線23:25発の375M大垣行 11号車のクハ165-177 

 大井川鐡道(金谷)以西(豊橋・名古屋・岐阜・関西方)に向かう時は、急がないときはだいたいいつもこれでした。当日の編成です↓

すべて海カキ車、のちに静岡担当になるかと思いますが、このころはまだ大垣電車区所属。

クハ165-177 (11号車) ↑東京方

モハ165-15

モハ164-837

クハ165-182 ↓以上は附属編成ですが このころははっきりとは区分されていません。のちに8+3に分割できるようになります。静岡配置以降?

   +

モハ165-20

モハ164-83

サロ165-126(8-D)

サロ165-108

クモハ165-50

モハ164-509

クハ165-124 (1号車) ↓大垣方

 

 4号車の5号車寄りは車掌室、5号車の4号車よりは化粧室(原則で、この5号車は反対側かも) 

 ↑東京10番、右方へ発車する直前

 

 岐阜には6:44到着↑

 まだ高架前でいい雰囲気。正面出入り口は向かって右方(北側)

 高山本線乗場は、今は中線状態(東海道上下の間)ですが、平地のこの頃は一番北側だったような。

 

 さっそく駅前で岐阜市内線を。

 「岐阜駅前」という電停が終点、いや起点ですが、本拠は直角に左へ曲がった次の新岐阜という電停。名鉄新岐阜駅(ターミナル)のまん前に新岐阜電停がありました。これは超便利だっ。

 

 S63(1988)年9月6日 6:50頃 岐阜市内線新岐阜で  岐阜駅前行き上り

 新車の770形が来ました。モ776+モ777→岐阜駅前方 

 揖斐線の黒野まで入れるし、市内の路面電車区間も走れる複電圧車で、併用軌道の市内線と普通鉄道の区分点で切換えしていたはず。(東へ向かう田神線〜各務原線)→コメントで指摘ありがとうございます

 バックの右側のビルが名鉄新岐阜ターミナル。

 

 こんな高性能車(おそらく他車より高額)を投入したくらいなので、市内線~揖斐線は安泰だな、と思っていましたが。

 

 徒歩で岐阜駅前という電停へ戻り、同6:58発の忠節行き(モ574)に乗車。

 どっちへ行くのか。見るもの聞くもの初めてばかりで楽しいこと!!

 徹明町での 関・美濃市方面へも行ける分岐(電車は新岐阜からの美濃町線(普通鉄道線)新関・関行きに競輪場前で乗換え)をしっかり確認し、長良川を忠節橋で渡って大きく90°くらい左折し、7:12に忠節に到着。

 

 乗ってきたモ574 忠節の下り本線ホームで。奥の方が新岐阜方。

 雨になってしまいました。

 

 下りで終着のモ574(手前)の向こうには、黒野からやってきた上り岐阜駅前行きモ770形2連が到着。この位置で下車客をおろしています。7:14ごろ

 奥の方が黒野方。

 

 すぐにモ770形は市内線上りホームへ乗客を乗せたまま移動し、市内線上りホームで新たな乗客を乗せ 新岐阜方へ出発。

 下車客と乗車客を分離した こういう運用は私鉄ならでは です。国鉄なら車両を動かさずに客を歩かせる、ですね。

 

 忠節では、揖斐線の専用切り欠きホームが南側にとなりあっていました ↓

 

 忠節の切り欠きホームは 島式の2線(1番線・2番線)がありました。路面電車にあわせてホームが低い。

 2番線にとまっているのは忠節始発の黒野行き、忠節②で

 ク2327+モ704←忠節方

 

 ②の始発黒野行き ク2327+モ704←忠節方

 このク2300形+モ700形の組み合わせが揖斐線では基本。ク2300形は明らかに車体長が2~3m長い。こんなに長短の違いがあるのは珍しいです。

 右側①(終端ホーム)にちらっと写っているのはモ750形を新岐阜方に増結した2M1Tの3連で、ラッシュ時の増結かもしれません。3両でも車内は混んでいました。

 ク2323+モ702+モ751←忠節方

 

 美濃北方に7:33に到着。

 ここで交換の上り忠節行きがすぐに発車してゆきます。

 7:33上り ク2326+モ703+モ752→忠節方 (後追い)

 ク2326は長いのがよくわかります。

 

 美濃北方で次を待つとモ513(リバイバルのツートンカラー)先頭の上り3連がきました。7:50美濃北方

 732レ モ510形の運用は把握していました。黒野を起点に、朝の忠節往復1往復(732レ~833レ)、夕方の岐阜駅前往復1往復の、一日たった2往復のみでした。岐阜駅前には1日に1回しか顔を出しません(岐阜駅前に16:16~16:24 1502レ~1603レ)

 

 

 1988.9.6 7:50  モ512+モ511+モ513→忠節方  

 美濃北方 732レ

 下り方にク2300形を連結した3連かも、と思っていたら、モ510形ばかりの3連で興奮!!

 

 湿気が多い雨の日、ガラスは人息れで曇っていますが、乗客多数なのがわかります。

 初めてこの貴重な丸窓電車を間近で見れて大興奮。これは折り返しの下りも撮らなければ・・・。

 

 

 左:モ511、右:モ513

 同じ赤でも 名鉄カラー(左)とリバイバルのツートンの赤は明るさが違います。

 

 下りのモ770形(モ776+777)と交換してまもなく発車。

 

 

 美濃北方を発車してゆくモ512+モ511+モ513→忠節方  

 (続きます)

 

 

 

 

 

 

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 今年は午年(うまどし)

 最初の投稿として、今でも岐阜駅前に鎮座している「うまづら電車」名鉄モ510形を。

 この電車を「うまづら電車」といったのはたしか紀行作家の宮脇俊三氏だったかな

 

 JR岐阜駅前(北口)にはペデストリアンデッキが展開していました。

 名鉄岐阜駅の方へ向かってゆくと、駅前広場の東側の一角にモ510形を発見。

 車内のカラフルな傘が気になりますが、このモ513をじっくり見てやろうと。

 

 

 

  東側のエンドです。

 「 #GIFU」の文字は近くに立つとうまく読み取れません。この立ち位置に立ったときだけこういうふうに見えます。野球中継で、マウンドに立つピッチャーの右下に見えているロゴCMのアレです。(正式な呼び名はわかりません)

 

 

 

 

 大正15(1926)年製、モ510形として、モ511~モ515の5両が製造されました。

 末期は揖斐線・谷汲線~岐阜市内線の直通電車として、岐阜駅前~新岐阜~忠節~黒野~本揖斐、黒野~谷汲口 などで運行。赤X白のツートンカラーはもとの色をリバイバルしたもので、その前は名鉄カラーの赤一色でした。一時濃い緑の一色の時代もあったかも?。

 平成17(2005)年に上記の線区は惜しまれつつ廃線。モ510形は約80年弱もの長いあいだ活躍しました。その14年後の令和元(2019)年に岐阜駅北口広場10周年記念としてここに展示となりました。

 この位置は、岐阜市内線が廃線にならなければ乗り入れる予定とされていた位置、とのこと(広場の掲示による)

 

 パンタのある側(西側)

 こちらのヘッドライトは滅状態。好みに応じて撮り分けられます。

 

 

 モ510形をはじめ、岐阜市内線~揖斐線系統で運用の旧型電車を撮りに 何度か かよったことがありますので、次回以降 数回にわけてまとめてゆこうと思います。

 

 

 

 

 

 1334)

 

 

の続きです。

 筑波鉄道 常陸北条駅の南側で 営業最後の日をむかえていました。

 

 筑波山をバックに 筑波駅付近を望める原っぱで下り・上りを撮り、常陸北条の南側で上りさよなら列車を見送ったあと、次の上り定期列車を待っていました。

 

 1987(昭和62)年3月31日 

 常陸北条駅 11:45発の 上り土浦行き

 キハ761+キハ821←岩瀬方

 10:47に撮った下りが岩瀬で折返してきたものです。

 この時間、常陸北条時点での上りは 10:56頃発(定期列車)、11:07発(さよなら臨時列車)、この11:45発(定期列車) と3本続いていてラッキー。駅での撮影者数人。

 画角から、国道125号線の陸橋に登ったものと思います。

 

 1987.3.31 常陸北条駅 11:45発車 の上り土浦行  

 キハ821+761→土浦方

 

 右:キハ761 もと雄別鉄道のキハ49200形。タイフォンがヘッドライトの脇という高い位置にあるのが道産子の証し。雪対策ですね。

 左:キハ821 もと国鉄のキハ10 47です。国鉄にいたままだともうとっくにボロボロになっていたはずで、筑波鉄道に来ていい状態を保っているようです。車内・座席が狭いのは仕方ないです。屋根の銀色がすばらしい。

 

 同列車を真上から見送ります。奥のほうが土浦。

 廃線後は行ってはいませんが、路盤の多くがサイクリングロードになっているようです。この辺を筑波山を前に見て走れば 気持ちよさそう。

 

 常陸北条11:54の下り キハ301+505→岩瀬方 

 常陸小田~常陸北条

 10:53に見た上り土浦行が、土浦で終点方にキハ505を増結して戻ってきました。

 キハ500形は 1959年日本車輛東京支店製の両運18m車。503~505の3両ありますが、503と504はこの日「さよなら列車」に使用されており、残ったこの505も増結に、とフル回転です。

 筑波生えぬきのフラッグシップ車!504と505 はエアサス!

 

 

 同じ列車を後追い撮影。常陸北条へ入線してゆきます。

 キハ301 は もと国鉄キハ30 16(前面強化済み)ですが、屋根が銀色に輝き 手入れの良さを思わせます。すばらしい!!

 

 

 

 さて、そろそろ東北本線の「こんにちは JR北海道号」を撮りに移動しなければ・・

 しかし、(北関東の東西方向の道は意外と渋滞が激しく)構想していた地点では間に合わないかも、と心配になってきました。撮影地点を変えるか?さあ どうする・・・?

 

 (以降、続きます)