千葉の鉄道、そして Now & Then

千葉の鉄道、そして Now & Then

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1353)

 

 

の続きです。しばらく間があいてしまいました。

 1991(H3)年11月26日の日立電鉄。

 川中子~常陸岡田で撮った後、モハ12に乗って茂宮にやって来ました。クルマは大橋の駅前に置いてあります。

 撮るだけではなく、旧型に乗るのも楽しみのひとつ。

 

 9:25 常北太田行のモハ16 南高野~茂宮で 

 

 

 9:44  鮎川行 モハ15 茂宮~南高野で

 

 

 10:01 常北太田行 23レ モハ9単行

 丸くて深い屋根が特徴的。

 

 

 

 10:19 鮎川行 モハ16+モハ13?→鮎川方 

 

 

 

 10:48 常北太田行 モハ12単行(後追い) 茂宮~大橋

 

 

 11:04 鮎川行 モハ9単行 大橋~茂宮

 

 11:04 鮎川行 モハ9単行(後追い)

 沿線の家並みとレール・電鉄が近いです。物理的な距離だけではなく、沿線風景に溶けこんで 地元の生活の一部になっている感じも。

 

 以降、続きます。車庫にいるであろう他の2000形(もと営団車)を見に行きます。

 

 

 

 1359)

 

 

の続きです。

 訪問日は 1989(平成元)年6月27日。 

 

 同和鉱業片上鉄道 片上駅で側線の撤去工事をみたあと、夕方に旧型客車編成が運用に就くまでのあいだに岡山県でのもう一つのローカル民鉄として名高い「下津井電鉄」(児島~鷲羽山~下津井)を訪問しました。

 その時の記録は ↓に掲載してありますのでごらんください。

 

 

 

 それから 急ぎ足でしたが 水島臨海鉄道も訪れました。

 その記事は 254)

 

 

に掲載しました。どうぞご笑覧ください。

 

 さて、夕方には山陽本線を 倉敷16:19発→和気17:06着、と戻ってきました。クハ115-1120乗車。

 瀬戸駅中線では 回送で下る途中の「ゆうゆうサロン」色のEF65 123に遭遇。「また撮れるさ」と見るだけでしたが、撮っておくべきでした。

 EF65 123(ゆうゆうサロン色)+岡山の12系10連(4+6連)・・・・オハ12 154・103・101・104+オハフ13 41←大阪方

 

 和気に着いてじっと待っていると、目的のホハフ編成が 17:29にやって来ました。

 2レ 片上 17:10→17:29 和気 17:45→18:06 備前矢田 18:07→18:37 吉ヶ原 18:39→18:44 柵原

 

 和気に到着する DD13 551+ホハフ2003+ホハフ3002+ホハフ2004(この最後部の1両のみ〆切扱い中)

 朝の1レは DD13 552牽引でしたが、選手交代。

 

 DD13 が走行中なのが上り線。一番左が下り線(片上方)、中間は中線で切り欠き式ホームの終端までだったと思います。向かって右手(南側)には ご覧のように3本(途中から4本に)の側線がありました。貨物の積みおろしに かつて使われていたようです。

 

 

 このときの片上行き下りホームには キハ303+キハ801←柵原方

 これは 休日運休の33Dで、柵原 16:40→吉ヶ原 16:42→17:25 和気 17:44→17:58 片上

 

 33D キハ303+キハ801←柵原方

 サイド気味にも撮りたくて、いったん片上鉄道鉄道のホームを出て JR山陽本線ホームから。

 簡単に行き来できたようで、たぶん片上鉄道⇔JR線間の中間改札はなかったかと思います。

 

 ふたたび片上鉄道のホームへ。

 静かな雰囲気でたたずむ 2レ 

 ホハフ2004+ホハフ3002+ホハフ2003+DD13 551→柵原方

 ホハフ2000形はオープンデッキ。ここに立ったまま乗車したいのですが、残念ながら 最後部ホハフ2004のみは〆切扱いでした。

 

 閑散に見えますが、発車前にはそこそこ乗客が集まり、たしか自分が乗ったホハフ2003の4人BOX席には4人着席していたと思います。決して がらがらというわけではありませんでした。

 

 

 片上駅ホームの南側には、西寄りでは側線が4本に分かれており、一番海寄りの1本は貨車の積みおろしのため トラック等がつけられるように砂利が のされていたと思います。

 

 さて、できれば終点の柵原(2レで18:44着)まで乗りたいところですが、そうすると和気に本日中には戻ってこれません。吉ヶ原(柵原の1駅手前)19:25始発の和気行きが最終なのでした。

 吉ヶ原まで乗り 50分近く待つか、あるいはその1本前で折り返しするか・・・

 

 その1本前に乗り戻ってこれれば、未乗だった吉備線の乗りつぶしができ、倉敷に戻って 1杯やってから倉敷22:06発の12レ「あさかぜ2号」Bハネにもぐりこめるし、そうしよう・・ということで備前矢田(18:06着)で下車。河本~天瀬のトンネル&カーブなどに好撮影地を見つけ、次回にはそのあたりに・・・とロケハンしたものの、再度の訪問の前に廃線となってしまいました。

 また、この翌年3月のダイヤ改正で、2レは吉ヶ原止まりに、翌朝の1レも吉ヶ原始発へ変更となり、吉ヶ原~柵原で客車に乗れるのはこの時期が最後となってしまいました。

 

 備前矢田であたふたと片上行きに乗り換え、車補で和気まで¥450を求め、吉井川沿いに和気へ戻ってきました。

 

 

 

 18:25、和気に着いたキハ312単行。日の長い季節なので撮れました。

 35D 柵原 17:40→備前矢田 18:07→18:25 和気 18:30→18:44 片上

 待合室の向こうにちらりと見えるはキハ801単行の36D

  片上 18:07→18:23 和気 18:31→19:13 吉ヶ原

 

 

 山陽本線にわたると、和気駅中線には 団体列車用に使われている クモロ213系「ゆめじ」が。

 クモロ211-1 モロ210-1 クハ212-8→岡山・高松方

 

 18:36着の下り列車で、乗客がおり 営業中。たまたま本線下り列車の待避中と思われます。

 その待避させた下りは自分が乗る普通列車で、それに 岡山→吉備線で総社→倉敷、と乗り、一杯やって「あさかぜ2号」で帰路へ。

 

 この項、完。

 

 

 1358)

 

 

の続きです。

 1989年6月27日の片上鉄道。清水~片上間で撮影後、清水9:01発の23D、キハ303に乗って片上に戻ります。

 

 ここは最近交換が不可になったようです。 

 今 立っているホームは使用が終わっており、こちら側のレールは錆び始めています。

 右側通行で清水駅のホームに進行してくるキハ303。これに乗れないと一大事になるので、確か手を振って合図し ダッシュした記憶があります。

 

 清水駅停止直前かと。

 いい雰囲気の駅舎でずっと見ていたい気がしましたが、そうも言っておれないです。

 軌道は、製鉄の原料鉱となる硫化鉄等の鉱石を運ぶ重量級貨物が行き来していただけあって、レールも路盤もしっかりしています。

 

 6~7分で片上に到着。

 さっそくさっき行ったホハフの客車を見に行きます。

 

 片上のホームから西側を見渡すと、なんと2編成いました。

 向かって右側が1レで 8:28に着いた ホハフ2003(手前柵原方)+ホハフ3000形(3001か3002)+ホハフ2004→奥側

 その海側にはハンプがあり、かつては盛んに入れ替え作業が行われていたものと思われます。4両かそれ以上のトラ車が勾配区間に停止しており、軌道全幅にわたる車止めで抑えています。その海側にもトラ車が7両かそれ以上留置。

 その向こうには、波止場の船へ向かうと思われる屋根付きのコンベアーが見えますが、S62.11.1に鉱石輸送廃止、S63.7.1(訪問の1年前)には肥料輸送を含む貨物全廃となったので、もう稼働していないはず。

 

 ↑同じ画像ですが、最近はスマホで閲覧する読者さんも多いようですので、スマホ画面では暗く見えることが多いので、明るく修整したものを再掲載しておきます。

 

 右:ホハフ2003(手前柵原方)+ホハフ3000形(3001か3002)+ホハフ2004→奥側

 左:手前から ホハフ2002+ホハフ3002か3001(奥)

 ホハフ2000形は17mのオープンデッキ。2001~2005の5両がありましたが、2001・2005はこの時点では廃車済み。

 2001・2002が富士産業宇都宮工場製、2003~2005がナニワ工機製で、どちらも S25年製。みな、もと国鉄の旧型車の台枠を流用しているとのこと。ホハフ2001はサハ78019から、ホハフ2002はスロ3325から、その他がナハ2300系から。

 車内はセミクロスシートで、夕方に乗りましたが 混雑だけの記憶。

 

 

 そうこうするうちに作業員氏が増えてきていました。

 なにか 通常ではない異様な雰囲気がただよってきた覚えがあります。

 片上駅のホームが左に見えますので、ホーム西側の構内踏切付近から南東方を見ています。右が国鉄キハ07形の払い下げであるキハ702。S42年に片上にやってきました。同期のキハ701は S48年に水島臨海鉄道に売却されキハ321となったが、S55年に廃車。703は 片上でS56年8月に廃車されなしたが、これはホハフ3000形の入線によるもので、旧型客車が気動車を置き換えたという珍しいケース。

 キハ702の向こうはワフ103+ワフ102。

 左はキハ312+キハ802(奥側)

 

 DD13-552とキハ801。

 清水寄りで撮った 1レの編成からホハフ2000・3000形の3両をはずしたものです。

 駅付近にはとうとうクレーン車が入ってきました。な・な・何をするんだ~!

 

 

 なんと、レールをはがし始めたではありませんか!!

 キハ702は何を想う? 本線に出る線路がこれで無くなってしまったではないか!!

 

 

 海側のトラ車が連なっている貨物側線や ハンプにつながるレールも みるみるうちに撤去が始まりました。

 

 左奥に片上駅の駅舎がみえますが、こちら側から駅舎全体をとらえたのは これが唯一の1枚でした。

 

 はがすと同時に切断作業も。これは決定的だな。

 炎を見つめながら何を想う?

 左方が検車庫方、右がトラ車の貨物側線とハンプ方です。

 

 下津井電鉄へ移動せねばならない時刻がせまっていました。ぎりぎりまで見つめていて、後ろ髪をひかれる思いで赤穂線西片上駅へ急いで、 結果間に合ったのですが、岡山に着くまでのあいだ、重~い気持ちにさいなまれた覚えがあります。

 

 (続きます)

 

 

 

 

 

 

 1357)

 

 

の続きです。

 1989(H元)年6月27日 朝の片上鉄道。

 清水~片上間にわずかに開けた田園地帯です。

 

 7:24 21D 片上行き キハ801 

 吉ヶ原6:00発→6:41 和気7:16→7:30片上 

 秋田県 小坂鉄道から S56年9月に来た 元キハ2100形 2108か2102。

(おそらく転属順から 小坂キハ2108→片上キハ801、小坂キハ2102→片上キハ802)

 

 小坂鉄道で乗った記憶がよみがえるようです。空気バネ(エアサス)のいい乗り心地、当時としては豪華なクロスシート中心の内装。

 →1350)の記事 もご覧ください。

 

 トンネルに向かうキハ801(後追い)

 このトンネルが片上~和気間のサミットになっており、トンネルの先は 下り坂の左右カーブが続き、海に近い片上に着きます。
 

 7:43 24D和気行 さきほどのキハ801が片上から戻ってきました。

 片上 7:37→7:53 和気

 北側-和気~柵原(または一駅手前の吉ヶ原まで)間の区間列車は一日2往復ありますが、片上~和気の区間列車はこの1本のみ。ではその折り返しは・・・?というと、(後にわかります)

 

 

 

 822 1レ 柵原7:03→7:54和気8:12→8:28片上 

 DD13 552+ホハフ2004+ホハフ3001か3002(元オハ35)+ホハフ2003+キハ801

 

 先ほど行った 和気止りの区間列車 キハ801 はこの1レの最後部に連結されて 片上へ回送されてきました。

 かつて国鉄にあった混合列車(機関車+客車+貨物)を彷彿とさせる貴重な3種混合!!もうこの時代には ここでしか見れなかったと思います。

 

 DD13 に、反対方向から走行してきた白いトラックがかかってしまった (ww 泣)。

 

 DD13 552 の次位は ホハフ2004、S25年ナニワ工機製。ナハ2300系の台枠を利用して車体は新造。解放式のオープンデッキがすばらしい。

 その次のホハフ3000形は国鉄オハ35形を譲り受けたもの。

 

 左から ホハフ3001か3002+ホハフ2003+キハ801。

 ホハフ3000形と同2000形の デッキ構造の違いがわかりやすい。

 

 清水駅に戻ってきました。

 9:00清水 キハ303 23D 

 柵原 7:51→8:36和気8:53→清水9:01→9:07片上

 つい一年前まで重い鉱物の貨物列車が行き交っていたので、線路・枕木・路盤ともに地方ローカルとしてはたいへん丈夫でしっかりした作り。交換駅の有効長も長く、PC枕木の比率も多いです。ただ、本数減により清水は交換不可になってしまいました。

 

 

 これを逃すと、昼過ぎまで3時間ほど列車がありません。

 なんとしてもこれに乗らなければ・・・

 手を振って合図し、シャッター押下後 ダッシュして乗り込みました。

 

 このあとは 岡山→児島、と移動して下津井電鉄へ向かいます。でもその前に、さっき行ったホハフ2000、3000型の編成がいる片上を見ておこう。和気以北は、ホハフ編成が夕方に出動するので、間に合うように戻ってきて、撮るか乗るつもり。

 

  (以下、次号へ)

 

 

 1356)

 

 

の続きです。1989(平成元)年6月27日、早朝の片上駅。

 

 おおむね東西方向にのびている 片側一面のホームに立って南の方を見ています。

 

 ↑左:キハ802、小坂鉄道から1984(S59)年3月にやってきました。この時は小坂鉄道花岡線(大館~花岡、1983.12.1に貨物廃止、1985.4.1旅客営業も廃止)縮小にともなうもの。地方中小私鉄への売却を除けば、国鉄ではない私企業での長距離転配属はまれ。

 

 ↑右:キハ312。もと国鉄キハ41000形の払い下げをうけたキハ3001~3003がありましたが、その同型 続番でキハ3004・3005を片上鉄道で新造。S28(1953)年6月宇都宮車輛製。のちに改造・改番で0を1個減らし 300形となりましたが、その中で区別する意味で払い下げ車が300代、新製車が310代となりました。312ということは、もとキハ3005。

 

↑右:前面が丸い流線形のキハ702。

 その向かって左に ワフ103+ワフ102(左側)

 その左側はキハ312、キハ802(左端)

 丸いキハ702が動けば その走行を撮るのがこの日の最優先課題。

 

 ↑キハ702とワフ103。

 キハ702は もと国鉄キハ07形、S42年に国鉄から3両購入し 701~703となりました。701は S48年に水島臨海鉄道に売却されキハ321となったあと S55年に廃車。キハ703は S56年にここで廃車。このキハ702への部品提供となったらしい。

 そうしてやっと生き残ってきた貴重な流線形気動車。同型が有田鉄道にもあり、湯浅~藤並~金屋口間の運用に就いていて、国鉄藤並駅の下り副本線共用ホームに止まっていたのを S51年に撮ったことがあります。再び再会を・・と半年後くらいに行ったらもう姿がありませんでした。廃車はS57.9.15とのことなので休車期間が長かったのでしょう。金屋口で長く雨ざらしになっていたそうです。

 

 

 ↑手前:キハ802、小坂鉄道から S59年3月に入線

 奥:DD13 551らしい。このころはDD13 552との2両在籍ですが、DD13 552はこのあと1レで撮影後、さらに片上で編成で見たので。

 DD13型は S40年7月から日本車輛で新造。最盛期には551~556まで在籍していたそうで、これらが全車そろう直前までは蒸機が健在だったそうです。

 

 片側一面だけの片上駅ホーム。

 鉱石の輸送方向によるのか、開業があとだった北側の方が起点。

 大正12年1月1日片上~和気間開業、続いて 同年8月10日和気~井ノ口(備前矢田の苦木寄り)13.7Kmを開業。井ノ口~柵原間の開業は 時代下って昭和6年2月1日。柵原鉱山の産出物は硫化鉄(製鉄の原料鉱)だったそう。この時点で蒸気と気動車両用だったとのこと。

 このキハ303で 片上6:21発(20D)→6:29清水着

「ふるさと」というヘッドマークがよく似合いますね。

 

 

 片上、清水、中山、和気と、和気までの10Km弱のあいだに中間駅が2駅。

 どこで降りるか決めていませんでしたが、いい雰囲気に意を決して下車しました。

 ↑清水を発車してゆくキハ303。

 

 さて、中山方か片上方か、どちらに向かうか?考えた末、沿線が広く 引きのとれる片上方へ。

 

 7:07 片上~清水で 22D キハ312

 片上6:59→7:15和気7:32→8:23棚原

 こんなローカル線にしては 約40分という短い間隔で次の便が来ました。朝方ならでは です。

 

 

 細窓16個ぶんにもおよぶ長〜いロングシート。   

 客車に近い窓とドアの配置。

 窓ドア配置は dD16D1、よく見ると左右対称ではありません。でも美しい。

 

 残念ながら 乗客はきわめて少ないです。 

 貨物が無くなったあとの業績が厳しいのは容易に想像に難くないです。

 ちなみに、鉱石輸送廃止がS62.11.1で 急激な円高によるもの。コンテナ輸送廃止が S63.3.13で、その前の時期に近隣の山陽本線の車扱い普通貨物が廃止されたことによるもの。

 最後まで残った わずかな貨物輸送は肥料輸送でしたが、それも S63.7.1 に正式に廃止。この日付は、このとき訪問した日のほぼ1年前にあたります。

 

 

 去り行くキハ312(後追い) 22D

 右方向に数百メートル行くと 山と森にはさまれた清水駅があります。

 

 (以下、次号へ)

 

 平成元(1989)年6月27日の同和鉱業片上鉄道訪問です。

 

 この9ケ月ほど前、前年の1988年9月に同和鉱業小坂線を訪問しましたが、小坂線で使用されている キハ2100形の一部が片上鉄道に転属しているらしい・・とのこともあるし、ほかにもクラシックな車両が多く 魅力的な片上鉄道にやってきました。

 

 現地での通勤時間帯の前には 現地入りしているのがローカル私鉄訪問時の鉄則。日中になり運行本数が減る時間になると、目的の(古い)車両が車庫入りしてしまうことが多いので。

 朝イチで片上に着くにはどうするか?山陽線の上りまたは下りの一番で和気に着くか、赤穂線の上り一番で西片上に着くか?

 できた案は、「あさかぜ1号」の寝台で岡山に朝4時台着。赤穂線の初発(岡山5:21発の200M)で西片上6:03着、というもの。山陽線相生から入る赤穂線の下り一番は 西明石5:17発の925Mから播州赤穂乗り継ぎ、となり、西片上7:11着となるので、片上鉄道の朝の2本を撮り逃してしまいます。和気に着くのも上りの方が早いのですが、それでも和気6:42着(岡山6:13発の1400M姫路行き)となってしまいます。

 

 アプローチも旅の重要な一部。少し記しておきます。

 

 9レ「あさかぜ1号」はシングルDX(もとA寝台個室)、カルテット(B寝台4人個室)、デュエット(B寝台二人個室)はあるのですが、ソロ(B寝台一人個室)は まだ設定がありませんでした。8号車 B寝台4番下段(オハネフ25 128)に投宿。牽引はEF66 54(関)。

 東京駅10番への入線は 1001レ「出雲1号」が10番を18:50に発車した4分後で、次の11レ「あさかぜ3号」19:20発、用のEF66 50 が回9レをひいてきました。

 その後EF66 50は切り離され、有楽町方の待機線で待っていたEF66 54 (=出雲1号を回1001レとして牽いてきて機回しし待機していたもの)が連結され準備完了。

 11番線が無くなってしばらくしてからは このような段落ち運用になっていました。

 

 3レ「はやぶさ」の熊本回転編成と 7レ「富士」の大分回転編成にのみ オハ24 700番台「ロビーカー」が連結されていました。これはこの日の 7レ「富士」の9号車-オハ24 705。

 食堂車オシ24を改装したもので 妻面の区切りあたりや窓にオシ時代の面影が感じられます。

 入場券しか持ってないわけではなく、岡山・倉敷ミニ周遊券(千葉発で10日間有効 ¥18540)を持っていたし、ちょっとお邪魔して撮影。すぐに出ました。

 

 

 「あさかぜ1号」に乗ったら、検札時に申し出ておいて まずは「シャワーカード」を購入。30分間¥310です。

 購入時に30分の時間帯を予約します。A室・B室の2部屋あり、19:05 の発車に対して20:30~21:00 を予約しました。

 食堂車の準備がすぐではなかったので、食堂車へ行く前にシャワーを浴びたくなり、30分前のに変更できますか?と申し出ると、空いているのでOK、とのこと。B室20:00~で利用し、スッキリしてから食堂車へ。

 ビール¥440,ミックスサンドイッチ¥650、なんてのがメモに残っています。

 シャワーは最初と最後に一気に流し、途中ではあまりお湯を使わないのがコツ。途中でちょこちょこお湯を使うと、最後に流すときに終わってしまうことがあり、初めて使ったどこかの列車で困りました。「北陸」か「北斗星」か?

 平塚~湯河原あたりでシャワー、すっきりして 熱海を出てから食堂車でビールを一杯。。という流れでした。ああ~しあわせだ~!!現代の「サンライズ瀬戸出雲」では 食と呑みのサービスがないものなあ・・・

 

 「あさかぜ1号」には全室のロビーカーは連結されていませんが、小さいロビー室がありました↑  

 どこだったか?食堂車の隅か 改造で誕生したデュエットかカルテットの隅か?

 自販機の向かい側がたしかシャワー室の2室だったと思います。自販機はビール類のみ。アルコール類も 缶コーヒー同様にボタン ポンで買える。いい時代だった・・。

 

 「あさかぜ1号」の食堂車オシ24 704(7号車)

 利用客が写らないよう 発車前に撮ったので客はいませんが、私の利用時にはそこそこ客で賑わっていたと思います。東京駅発車後すぐに、「食堂車がありますがまだ準備中で、準備ができしだいご案内いたします」という旨の放送が入り、15~20分くらいして、「準備が出来ました。お待ちしております」という旨の放送があります。下りに乗ったときはだいたいこんな流れでした。

 

 「14号車は、このあとすべての停車駅でホームをはずれますので、ずっとドア締切扱いとなります。13号車から下車してください」という旨の放送が入りました。そうか、EF66+電源荷物車カニ24+25系客車14両(欠車無し)なので計16両。長大編成なのでしかたない。

 ↓9レ「あさかぜ1号」この日の編成

EF66 54(関)

カニ24 111

オハネフ25 123(1号車)

オハネ25 212

オハネフ25 119

オハネ24 703(4号車カルテット)

オロネ25 703(5号車シングルデラックス)

スハネ25 703(6号車デュエット)

オシ24 704  (7号車食堂車)

オハネフ25 128

オハネ25 215

オハネ25 209

オハネ25 226

オハネ25 143

オハネ25 213

オハネフ25 201(14号車)

 無記名は全てB寝台開放型2段、オハネフ25は3両ありますが、全て妻面は東京方で、附属編成の切り落としを考慮したものとなっています。「あさかぜ1・4号」に限っては途中の解結はありませんが。

 

 岡山には 9レは4:05着、暗くて撮れず。続く11レ「あさかぜ3号」も4:15着で無理。それこそ機関車あわせて16両なので、先頭はホームのさらに先。停車時に前からは見れません。

 

 続いて 岡山では 関西⇔九州 の寝台特急が上って来る時間です。

 

 34レ彗星 EF65 1107(田端) 

 S50-3改正前には 5往復、S50-3以降でも 3往復を数えた「彗星」ですが、このころは1往復のみになっていました。

 都城1645→1734宮崎1736→2106大分2119→2313小倉2314→2321門司2326→2335下関2339→0500岡山0502→0726新大阪

 

 なお、S50-3改正から 次のS53-10改正までの「明星」は凄くて、なんと7往復もありました(うち1往復は座席のみの季節列車)。ほかに岡山~宮崎の臨時「夕月」も。

 

 34レ彗星

EF65 1107(田端) ↑向日町方

スハネフ15 17(9号車)向き↑

 オハネ15 42

 オハネ15 35

スハネフ15 3   向き↑

 オハネ15 21

 オハネ15 34

 オハネ15 23(3号車)

スハネフ15 14(1号車) 向き↓  全車 本ムコ(向日町)車、2号車は欠車です。

 

 1号車のスハネフ15 14 のみは海側が寝台、他は全て山側が寝台です。1号車のみが逆転の向き。これはメモっておくと 後の乗車時に役に立ちました。進行右向きで寝台を利用するには上り 下りどちらに乗るかってことです。

 JR東の田端機が使われていて驚きました。下関機との距離相殺のためらしい。

 

 36レ あかつき EF65 1133(下関)

 最新のEF65 は下関に配置されました。いうまでもなく関西~九州ブルトレ牽引が主任務。  

 「あかつき」も S50-3改正以前には7往復、50-3改正以降でも3往復(+季節の座席編成1往復)ありました。熊本方面の「明星」+長崎佐世保方面の「あかつき」併結列車も数往復。ですが、この訪問時には1往復のみに。

 

 36レあかつき 

 長崎1946→2116肥前山口2130→2227博多2228→2331門司2337→2345下関2350→0510岡山0512→0742新大阪  

 併結の4036レは 佐世保2009→2020早岐2029→2118肥前山口2130発

 

EF65 1133(下関)   ↑向日町方

スハネフ15-12 (14号車)

  オハ14-29 (13号車)

 オハネ15-9 (12号車)

 オハネ15-36 (11号車)

スハネフ15-11 (9号車) 以上 佐世保編成

   +

スハネフ15-19 (8号車)

 オハネ15-31 (7号車)

 オハネ15-11 (6号車)

 オハネ15-20 (5号車)

 オハネ15-30 (4号車)

スハネフ15-13 (1号車) 以上 長崎編成

 13号車は 座席(指)のオハ14,10号車・3号車・2号車は欠車。

 車両番号表記にはハイフン(-)があるものとないものが この時は混在していましたが、見にくいのでここではハイフン表記で書きました。

 

 岡山に来たら まずは一番に撮りたかったのが、高松行きのマリンライナーでデビューしたての クロ212を含む213系。

 クロ212は、帯の色が5+1色もあって、在岡山中にできればコンプリートしたい。オレンジ、イエロー、黄緑・・・(+1色とは、ゆめじ色のユニット クロ212-1001+モロ210-1+クモロ211-1)

 

 3121M マリンライナー1号 岡山(11番線発) 5:23→6:29 高松

 岡山は山陽線下りが7~9番(8番は主に赤穂線用切欠きホーム)で、山陽上りが12・13番。瀬戸大橋線は10・11・西11番(切欠き)で山陽上下本線に抱き込まれています。12番線で始発の200M(岡山5:21→6:31播州赤穂)車内から。

 

 最近 この写真をみたとき、パッと見に岡山駅とはわかりませんでした。現在のようすと全く違い、昔の雰囲気があちこちに感じられます。

 

 3121M マリンライナー1号  

 高松方1号車がパノラマグリーン車指定席、2号車が普通車指定席

クロ212-4 (1号車) ↑高松方

サハ213-10

クモハ213-11

クハ212-3

サハ213-3

クモハ213-3

クハ212-1

サハ213-1

クモハ213-1 (9号車)

 時刻表後部には全国の特急列車・寝台列車・新幹線の「編成ご案内」が掲載されていますが、快速列車でもこの「マリンライナー」は 快速「海峡」(津軽海峡線)とともに掲載列車でした。

 

 岡山から赤穂線へ直通する200M(岡山 5:21→6:31 播州赤穂)の岡山車115系(3+3連)で出発。何の変哲もない湘南色の115系だったし撮ることはありませんでした。

 200M

クモハ115-1508 ↑播州赤穂方 

 モハ114-1117

 クハ115-1078

クモハ115-1548

 モハ114-1204

 クハ115-1239

 

 西片上に 6:03に到着。さて片上鉄道はどっちか?

 西片上に着く前に 南北に走る片上鉄道と交差したのを見ていましたので、西片上駅から 赤穂線のすぐ北側を 西へ沿って並走する国道2号線をトボトボと。歩道は狭いし、トラックの通行は多いし、雨が上がった後というのもあり 難儀しました。

 片上鉄道が赤穂線をアンダークロスするあたりで細道をつたって片上鉄道線へ降り、用水路に沿って住宅街を南の方へ。しばらくすると突然あたりが開け、そこが片上駅なのでした。

 

 いるいる!クラシックな気動車たち。

 

 キハ303。もうホームに据え付けられていて、これが 6:21発の柵原(やなはら)行きに違いありません。

  赤穂線で西片上に着いてから わずか18分でこの柵原行きは発車します。時間が無いので駅構内をざっと撮り すぐ乗り込みました。

 

 検修中?のキハ802。同和鉱業小坂線からはるばるやってきた、もとキハ2100形。    

 キハ802は小坂鉄道花岡線廃止の S59年3月に入線。小坂鉄道の優秀車です。

 向こうはDD13 551。国鉄のDD13 と外観は同じですが、勾配区間で鉱石列車を牽引するため、減速機の歯車比を大きくし 100psパワーアップされて 1200PSとなっています。

 

 (以下、次号へ)

 

 

 

 

 

 

1354)

 

 

の続きです。

 

 2026.4.22 10:47 安房鴨川⑤番線から②番線への転線中(後追い)

 ③は10:21着2127M(上総湊9:00始発)のE131系4連R2(上総湊方)+R?

 

 

 10:59 安房鴨川~安房天津 E233系C3編成が上ります。

 もと 八トタH49編成の1~6号車を 号車番号を逆にふったもので、先頭1号車はクハE232-507。

 

 よくねらったつもりでしたが、メッシュの網が・・・(泣)

 

 

 

クハE232-507 (1号車) ↑幕張方

モハE232-249

モハE233-249

モハE232-49

モハE233-49

クハE233-49 (6号車) 手前 下り方(後追い)


 ここで残念なお知らせ

 GW中の5月2〜5日に予定されていた 255系の「新宿わかしお1-2号」「わかしお83号」はE257系5連に変更となりました。Be-3の不具合(故障)によるもの。発売済みのグリーン券は無手数料で払い戻しされます。

 

 E233系0番台6両編成が 黄色と水色ラインの房総色になって、本日 外房線を試運転中です。

 もと豊田車両センター(八トタ)の もとH49編成のうちの東京方6連です。H49はもともと 10両貫通編成ではなく 6連+4連(→大月方)です。青編成の6連とも異なります。

 安房鴨川②発10:55頃、1053M「わかしお3号」の到着と入れ違いに外房線を上ってゆきました。

 

 

 10:21  2127M(上総湊始発の安房鴨川行)E131系4連が③に到着。

 ごらんのように、もし前面が見えないホーム中間に立っているとすると、E131かE233 かは 区別がつきにくいです。

 

 

 

 逆光ですが 、⑥のE131系R11編成と並びます。

 R11は線路設備モニタリング装置搭載で クモハE131-81+クハE130-81→木更津・幕張方)

 

 

 

 

 

 

 ↑左:1号車、WCが設置されました。外部カメラも。

 下部に水(汚水)タンクも確認できます。排出口は両側に。

 

 

 ↑2号車 モハE232-249

 

 左奥の②番のE131は 2233M(チミ9:23→10:25アワ)→折返し 2226M(アワ10:34 →11:34チミ)で 80番台のR12です。

 見かけたいと思ったときにはなぜか来ない 線路モニタリング装置付きの80番台R11・R12編成。ですが この時点で⑥にいるR11とともに、両者が同時につどいました。

 

 ⑥はR11。助手席側に黄色いボードを置いていて、この時まさに運転士の研修中です。このときは 勝浦向きの運転台で、動作きびきびとしておりました。

 

 10:30頃、5番から2番に転線開始。

 

 

クハE233-49 (6号車) ↑安房鴨川方

モハE233-49

モハE232-49

モハE233-249

モハE232-249

クハE232-507 (1号車 WC付き) ↓幕張方

 

 今日の午後~夕方に千葉・幕張あたりで目撃できるのでは?

 

 老朽化した209系の置換えが近づいています。

 この試運転が初日なのか何回目かはわかりません。

 なお209系 6連は もともとC601~C626でしたが、もうずいぶん減りつつあります。4連は当初に比して増えており、当初C401~C442までだったのが C448まであります。(当初=2009年から配置され始めた209系2000・2100番台が揃って 113系が全廃されたとき)

 

 留置線から本線に出たので もしや発車は近いかと思われますが、発車時刻は不明。

 この時間は1053M 「わかしお3号」がまもなく①に到着する時刻。おそらく1053Mを待って発車するのでは?と予想し、安房天津方へ向かおうかと

 

 できれば走行も撮りたいもの。はたして間に合うのか?

  (以下、次号で)

 

 1352)

 

 

の続きです。

 

 1991(H3).11.26 の日立電鉄。

 大橋~茂宮間の原っぱのあと 久慈浜駅脇の検修所を見に行く前に 川中子、茂宮、南高野あたりの田園地帯をうろうろ。だんだん1両編成が増えてゆく時間になってきました。

 クルマ移動だけではつまらないので、駅付近に置いての 電車乗車も組み合わせて移動します。

 1991.11.26 7:51 常北太田行 クモハ110+クハ109←鮎川方

 茂宮~大橋にて

 

 

 8:14 100系が折返してきた鮎川行 クモハ110+クハ109→鮎川方

 

 

 8:18  常北太田行は静鉄から来た351系 

 クモハ352+クモハ351←鮎川方 茂宮~大橋

 クモハ110形には車体下部の裾しぼりがありますが、クモハ351系はストレート車体。S59年10月に静鉄からやってきました。

 この足回りは1930(S5)年新潟鐵工所製の もと鶴見臨海モハ18・19(➡国に買収後に可部線モハ1500・1503へ)のものを流用。静鉄入りはS32.8。S43.10月に静鉄長沼工場で新製車体に乗せ換えられています。日立入線時にワンマン装置は撤去されました。

 

 

 

 

 ↓西へ移って川中子~常陸岡田へ

 バックが森で いい雰囲気。

 8:53 下り常北太田行 モハ15単行(後追い)

 

 モハ13形(モハ13~16)は S10(1935)年10月 汽車会社製の日本初の総括制御システムの電気式気動車キハ1000形1001~1004。相模鉄道 茅ヶ崎~橋本間で活躍のあと、買収に伴って神奈川中央の横浜~海老名間に。その際に電動車化されてモハ1001~1004に。改番でデハ1051~1054に。S23(1948)年に日立電鉄にやってきました。

 S30年にビューゲル化、S35年にパンタ化。S40年2月の車体更新で 従来の流線形から切妻形になりました。

 

 

 どうしても乗りたくなってきたのだと思われます。ここ川中子から茂宮まで乗りました。

 川中子 8:59発のこの上りに乗ります。

 川中子のホームに入線してくるモハ12。

 鮎川方の顔が特徴的でかわいい。中央ドアは貫通路にはなっていません。

 

 9:05に茂宮着。発車してゆく鮎川行きモハ12。

 こちら側は貫通路を備えた全く違う顔。

 姉妹車のモハ11は、2両編成の常北太田方に組成されているのを朝の通勤時に目撃しましたが、このモハ12を2両以上に組成したのは(3回の訪問ですが)1回も見たことが無く、貫通路はあるものの 全く使用されてないようです。

  (以降、続きます)

 

 

 

 

 1351)

 

 

の続きです。

 大橋の架道橋で 4両編成を カメラの電圧降下で撮り逃す というくやしい思いをしたので、いっそ場所を変えることにしました。

 10レの大橋駅停車中に急いで追い越して 大橋~茂宮間の原っぱへ移動。

 

 1991(H3)11.26 7:21 10レ モハ1003+モハ1006→大甕方 

 休日運休です。 大橋~茂宮で。

 

 休日運休は 朝に以下の2.5往復ありました。使用編成は2本。

常北太田➡ 大甕 ➡ 鮎川

 6:24 →6:47-6:47→7:00

 7:09 →7:32-7:38→7:51

 大甕➡鮎川

 7:26→7:39

 鮎川➡ 大甕 ➡常北太田 

 6:26→6:38-6:38→7:03

 7:03→7:16 止

 

 ちなみに、撮り逃した4連の編成を記録しておきます。↓

 モハ1004+モハ1002+サハ1501+モハ1005→鮎川方

 中間のモハ1002は運転台撤去済みで、2+2連に分割ができず、4連固定化されたようです。

 

 

 10レの後部-モハ1003も撮りたく 振ってみましたが、本逆光でダメダメ。

 行く手の平たい部分は ここで交差する常磐自動車(E6)の築堤。日立南太田I.C.の少し北側にあたります。

 

 7:23 常北太田行がきました。もう出会えた 営団地下鉄丸ノ内線から来た2000形 

 モハ2002+クハ2211←鮎川方(右方)

 前から撮ると 前の写真のように本逆光になってしまうので、後追いのみにしました。

 

 この日が運行初日とのことで、時間から言って、この下り列車が2000形の一番列車かと思われます。

 他の編成も来ているはずで、あとで久慈浜・大甕・鮎川へと訪ねることにします。

 

 前面の行先表示器には「鮎川」とありますが これは明らかに間違いで、この列車は常北太田行。ネガのコマ順に掲載していて、左が常北太田方。

 それまでの日立電鉄の旧型車にはこのような表示器は無く、もしかしたら 乗務員氏が出発時に確認を忘れたのかもしれません。

 

 7:31 鮎川行き 

 クハ2501+モハ1001→鮎川方

 これらの旧型たちは じきに淘汰されてしまうのでしょう。

 

 

 

 

 

 クハ2501+モハ1001→鮎川方

 車体長の違いがわかりやすい。クハがモハよりも長いのは、名鉄黒野線でもそうでした。

 

 7:44 モハ2002+クハ2211→鮎川  大橋~茂宮

 7:23に下った常北太田行が折返してきました。

 

 通勤時間帯とあって 乗客は多そうです。地方ローカル私鉄が混んでいると、無性にうれしくなります。

 

 

 (以降、続きます)