1235)旧型国電を訪ねる旅(8)身延線3回目の訪問-2 平野から山岳区間へ(S56年) | 千葉の鉄道、そして Now & Then

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 12月になりました。

 今年の総まとめ というわけではありませんが、当ブログの現在位置なり 全体像をまとめてみたいと思います。 

 

 現在長期連載中や 書きかけ途上(続きをアップする予定あり)の記事は以下の10タイトルあります。

・2023年1月の三岐鉄道北勢線・三岐線訪問記

・「房総を訪れたジョイフルトレイン」

・「パノラマ車が好き」

・「さよなら583系」

・「富士急ー歴代の車両とJRからの乗り入れ車」

・昭和末期~平成初期の銚子電鉄

・「わか・さざ50年史」

・「旧型国電訪問記」

・「苦労多かる(懐かしの)ローカル私鉄訪問記」

・昭和55年ー小雪舞う東海道線山崎

 これらには、書いていたことを忘れ去られそうなもの、休眠中と見られそうなものもありますが決してそうでは無く、過去撮影の写真(画像)をフォルダーにまとめつつあります。いわば準備中なんです。

 ずいぶんとっちらかってしまい、いわば脳内が分裂症状態(泣)。しかし おいおい書いてゆきます。

 

 では「旧型国電訪問記」のうちの、昭和56年7月、身延線3回目の訪問記に戻ります。

 1187)

 

 

の続きです。

 連続して見るには テーマ別一覧「★懐かしのローカル線 国鉄・JR編」からお入りください。

 

 

 1981(S56)年7月20日 12:51 源道寺駅(富士宮の南隣駅)の南側にて。   

 246M 西富士宮12:45→13:07富士

 先頭がクハ47053の4連 が富士山裾野の勾配を降りてきます。 

 2学期の終業式が終わっての下校時間にあたったようです。さあ夏休み・夏草茂る・・ 

 

 

 246M クハ47053・クモハ51+クハ47・クモハ51814←西富士宮方  源道寺で 

 

 246M後追い。クモハ51814。

 運転席側の窓は、Hゴム固定化改造されてると思われます。

 身延線のトンネルは、中央本線と同様に断面が小さいので、電動車のパンタ部分は、数センチ低く平らになった800番台低屋根タイプ。それもあってか、甲府付近の中央本線短距離列車(塩山〜甲府〜韮崎)にも共通運用されていました。

 

 場所を変えて山越え区間へ。

 富士駅を出発して 富士宮~甲府へ向かう下り列車は、西富士宮駅を出ると勾配を登りながら ぐるっと左へ左へとカーブを切り 進路を南へ向けます。沼久保~芝川は西富士宮よりも3Kmくらい南側に位置します。そんな西富士宮~沼久保の中間地点あたりです。 

 13:30  633M 甲府行 クモハユニ44802 西富士宮~沼久保で。

 身延線名物のクモハユニ44が先頭に立っています。うれしい!!

 

 13:30 633M 富士13:02→甲府着15:42  

 こちら側最後部はクハ47 003。

 向こう側先頭クモハユニ44802 の特徴的な窓配置がわかります。 

 

 633Mをサイド気味にもう1枚。

 向うから クモハユニ44802・・・・クハ47 003。

 

 13:48 628M 甲府11:32→14:18富士  

 先頭はクハ55 316、 2両目はクモハ51。

 大糸線にも多く配置されていたクハ55。両数が多かったのかいろいろな顔が存在して楽しいです。でも改造でこんな顔つきになっちゃった316 は貴重でした。運転席側の窓の小さいこと!他のHゴム化改造車とサイズが異なります。さらに貫通路窓の大きいこと!

 

 13:48 628M 最後部のクモハ51。

 こちら側の窓も3枚とも大きさが異なります。運転席側の窓は Hゴム固定化改造。寒い時期にスキマ風が顕著な制御車個々の 運転席側だけ施工されたもののようです。

 4連で向うから クハ55316・クモハ51+クハ47・クモハ51。

 本来(晴れ)なら、ここでは霊峰富士がバックにど~んと配せるハズの所なのですが、この日は雲の中で残念。

 明日の 日の出時刻には、その山頂に立つぞ!!

 

 このあと、同行で富士登山をする友人と富士急河口湖駅で待ち合わせしていました。

 無事合流して夜景を撮ったり 車内で数時間休んだあと、富士スバルラインをクルマで登り、深夜から登山開始。小御岳口から登って8合5勺で小休止。無事山頂で御来光を迎えました。

 

 身延線の3回目訪問は これで終わります。

 次は身延線の1回目訪問(S49年)の記事、そして飯田線の訪問へと続きます。