千葉の鉄道、そして Now & Then

千葉の鉄道、そして Now & Then

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 1356)

 

 

の続きです。1989(平成元)年6月27日、早朝の片上駅。

 

 おおむね東西方向にのびている 片側一面のホームに立って南の方を見ています。

 

 ↑左:キハ802、小坂鉄道から1984(S59)年3月にやってきました。この時は小坂鉄道花岡線(大館~花岡、1983.12.1に貨物廃止、1985.4.1旅客営業も廃止)縮小にともなうもの。地方中小私鉄への売却を除けば、国鉄ではない私企業での長距離転配属はまれ。

 

 ↑右:キハ312。もと国鉄キハ41000形の払い下げをうけたキハ3001~3003がありましたが、その同型 続番でキハ3004・3005を片上鉄道で新造。S28(1953)年6月宇都宮車輛製。のちに改造・改番で0を1個減らし 300形となりましたが、その中で区別する意味で払い下げ車が300代、新製車が310代となりました。312ということは、もとキハ3005。

 

↑右:前面が丸い流線形のキハ702。

 その向かって左に ワフ103+ワフ102(左側)

 その左側はキハ312、キハ802(左端)

 丸いキハ702が動けば その走行を撮るのがこの日の最優先課題。

 

 ↑キハ702とワフ103。

 キハ702は もと国鉄キハ07形、S42年に国鉄から3両購入し 701~703となりました。701は S48年に水島臨海鉄道に売却されキハ321となったあと S55年に廃車。キハ703は S56年にここで廃車。このキハ702への部品提供となったらしい。

 そうしてやっと生き残ってきた貴重な流線形気動車。同型が有田鉄道にもあり、湯浅~藤並~金屋口間の運用に就いていて、国鉄藤並駅の下り副本線共用ホームに止まっていたのを S51年に撮ったことがあります。再び再会を・・と半年後くらいに行ったらもう姿がありませんでした。廃車はS57.9.15とのことなので休車期間が長かったのでしょう。金屋口で長く雨ざらしになっていたそうです。

 

 

 ↑手前:キハ802、小坂鉄道から S59年3月に入線

 奥:DD13 551らしい。このころはDD13 552との2両在籍ですが、DD13 552はこのあと1レで撮影後、さらに片上で編成で見たので。

 DD13型は S40年7月から日本車輛で新造。最盛期には551~556まで在籍していたそうで、これらが全車そろう直前までは蒸機が健在だったそうです。

 

 片側一面だけの片上駅ホーム。

 鉱石の輸送方向によるのか、開業があとだった北側の方が起点。

 大正12年1月1日片上~和気間開業、続いて 同年8月10日和気~井ノ口(備前矢田の苦木寄り)13.7Kmを開業。井ノ口~柵原間の開業は 時代下って昭和6年2月1日。柵原鉱山の産出物は硫化鉄(製鉄の原料鉱)だったそう。この時点で蒸気と気動車両用だったとのこと。

 このキハ303で 片上6:21発(20D)→6:29清水着

「ふるさと」というヘッドマークがよく似合いますね。

 

 

 片上、清水、中山、和気と、和気までの10Km弱のあいだに中間駅が2駅。

 どこで降りるか決めていませんでしたが、いい雰囲気に意を決して下車しました。

 ↑清水を発車してゆくキハ303。

 

 さて、中山方か片上方か、どちらに向かうか?考えた末、沿線が広く 引きのとれる片上方へ。

 

 7:07 片上~清水で 22D キハ312

 片上6:59→7:15和気7:32→8:23棚原

 こんなローカル線にしては 約40分という短い間隔で次の便が来ました。朝方ならでは です。

 

 

 細窓16個ぶんにもおよぶ長〜いロングシート。   

 客車に近い窓とドアの配置。

 窓ドア配置は dD16D1、よく見ると左右対称ではありません。でも美しい。

 

 残念ながら 乗客はきわめて少ないです。 

 貨物が無くなったあとの業績が厳しいのは容易に想像に難くないです。

 ちなみに、鉱石輸送廃止がS62.11.1で 急激な円高によるもの。コンテナ輸送廃止が S63.3.13で、その前の時期に近隣の山陽本線の車扱い普通貨物が廃止されたことによるもの。

 最後まで残った わずかな貨物輸送は肥料輸送でしたが、それも S63.7.1 に正式に廃止。この日付は、このとき訪問した日のほぼ1年前にあたります。

 

 

 去り行くキハ312(後追い) 22D

 右方向に数百メートル行くと 山と森にはさまれた清水駅があります。

 

  (以下、次号へ)

 

 平成元(1989)年6月27日の同和鉱業片上鉄道訪問です。

 

 この9ケ月ほど前、前年の1988年9月に同和鉱業小坂線を訪問しましたが、小坂線で使用されている キハ2100形の一部が片上鉄道に転属しているらしい・・とのこともあるし、ほかにもクラシックな車両が多く 魅力的な片上鉄道にやってきました。

 

 現地での通勤時間帯の前には 現地入りしているのがローカル私鉄訪問時の鉄則。日中になり運行本数が減る時間になると、目的の(古い)車両が車庫入りしてしまうことが多いので。

 朝イチで片上に着くにはどうするか?山陽線の上りまたは下りの一番で和気に着くか、赤穂線の上り一番で西片上に着くか?

 できた案は、「あさかぜ1号」の寝台で岡山に朝4時台着。赤穂線の初発(岡山5:21発の200M)で西片上6:03着、というもの。山陽線相生から入る赤穂線の下り一番は 西明石5:17発の925Mから播州赤穂乗り継ぎ、となり、西片上7:11着となるので、片上鉄道の朝の2本を撮り逃してしまいます。和気に着くのも上りの方が早いのですが、それでも和気6:42着(岡山6:13発の1400M姫路行き)となってしまいます。

 

 アプローチも旅の重要な一部。少し記しておきます。

 

 9レ「あさかぜ1号」はシングルDX(もとA寝台個室)、カルテット(B寝台4人個室)、デュエット(B寝台二人個室)はあるのですが、ソロ(B寝台一人個室)は まだ設定がありませんでした。8号車 B寝台4番下段(オハネフ25 128)に投宿。牽引はEF66 54(関)。

 東京駅10番への入線は 1001レ「出雲1号」が10番を18:50に発車した4分後で、次の11レ「あさかぜ3号」19:20発、用のEF66 50 が回9レをひいてきました。

 その後EF66 50は切り離され、有楽町方の待機線で待っていたEF66 54 (=出雲1号を回1001レとして牽いてきて機回しし待機していたもの)が連結され準備完了。

 11番線が無くなってしばらくしてからは このような段落ち運用になっていました。

 

 3レ「はやぶさ」の熊本回転編成と 7レ「富士」の大分回転編成にのみ オハ24 700番台「ロビーカー」が連結されていました。これはこの日の 7レ「富士」の9号車-オハ24 705。

 食堂車オシ24を改装したもので 妻面の区切りあたりや窓にオシ時代の面影が感じられます。

 入場券しか持ってないわけではなく、岡山・倉敷ミニ周遊券(千葉発で10日間有効 ¥18540)を持っていたし、ちょっとお邪魔して撮影。すぐに出ました。

 

 

 「あさかぜ1号」に乗ったら、検札時に申し出ておいて まずは「シャワーカード」を購入。30分間¥310です。

 購入時に30分の時間帯を予約します。A室・B室の2部屋あり、19:05 の発車に対して20:30~21:00 を予約しました。

 食堂車の準備がすぐではなかったので、食堂車へ行く前にシャワーを浴びたくなり、30分前のに変更できますか?と申し出ると、空いているのでOK、とのこと。B室20:00~で利用し、スッキリしてから食堂車へ。

 ビール¥440,ミックスサンドイッチ¥650、なんてのがメモに残っています。

 シャワーは最初と最後に一気に流し、途中ではあまりお湯を使わないのがコツ。途中でちょこちょこお湯を使うと、最後に流すときに終わってしまうことがあり、初めて使ったどこかの列車で困りました。「北陸」か「北斗星」か?

 平塚~湯河原あたりでシャワー、すっきりして 熱海を出てから食堂車でビールを一杯。。という流れでした。ああ~しあわせだ~!!現代の「サンライズ瀬戸出雲」では 食と呑みのサービスがないものなあ・・・

 

 「あさかぜ1号」には全室のロビーカーは連結されていませんが、小さいロビー室がありました↑  

 どこだったか?食堂車の隅か 改造で誕生したデュエットかカルテットの隅か?

 自販機の向かい側がたしかシャワー室の2室だったと思います。自販機はビール類のみ。アルコール類も 缶コーヒー同様にボタン ポンで買える。いい時代だった・・。

 

 「あさかぜ1号」の食堂車オシ24 704(7号車)

 利用客が写らないよう 発車前に撮ったので客はいませんが、私の利用時にはそこそこ客で賑わっていたと思います。東京駅発車後すぐに、「食堂車がありますがまだ準備中で、準備ができしだいご案内いたします」という旨の放送が入り、15~20分くらいして、「準備が出来ました。お待ちしております」という旨の放送があります。下りに乗ったときはだいたいこんな流れでした。

 

 「14号車は、このあとすべての停車駅でホームをはずれますので、ずっとドア締切扱いとなります。13号車から下車してください」という旨の放送が入りました。そうか、EF66+電源荷物車カニ24+25系客車14両(欠車無し)なので計16両。長大編成なのでしかたない。

 ↓9レ「あさかぜ1号」この日の編成

EF66 54(関)

カニ24 111

オハネフ25 123(1号車)

オハネ25 212

オハネフ25 119

オハネ24 703(4号車カルテット)

オロネ25 703(5号車シングルデラックス)

スハネ25 703(6号車デュエット)

オシ24 704  (7号車食堂車)

オハネフ25 128

オハネ25 215

オハネ25 209

オハネ25 226

オハネ25 143

オハネ25 213

オハネフ25 201(14号車)

 無記名は全てB寝台開放型2段、オハネフ25は3両ありますが、全て妻面は東京方で、附属編成の切り落としを考慮したものとなっています。「あさかぜ1・4号」に限っては途中の解結はありませんが。

 

 岡山には 9レは4:05着、暗くて撮れず。続く11レ「あさかぜ3号」も4:15着で無理。それこそ機関車あわせて16両なので、先頭はホームのさらに先。停車時に前からは見れません。

 

 続いて 岡山では 関西⇔九州 の寝台特急が上って来る時間です。

 

 34レ彗星 EF65 1107(田端) 

 S50-3改正前には 5往復、S50-3以降でも 3往復を数えた「彗星」ですが、このころは1往復のみになっていました。

 都城1645→1734宮崎1736→2106大分2119→2313小倉2314→2321門司2326→2335下関2339→0500岡山0502→0726新大阪

 

 なお、S50-3改正から 次のS53-10改正までの「明星」は凄くて、なんと7往復もありました(うち1往復は座席のみの季節列車)。ほかに岡山~宮崎の臨時「夕月」も。

 

 34レ彗星

EF65 1107(田端) ↑向日町方

スハネフ15 17(9号車)向き↑

 オハネ15 42

 オハネ15 35

スハネフ15 3   向き↑

 オハネ15 21

 オハネ15 34

 オハネ15 23(3号車)

スハネフ15 14(1号車) 向き↓  全車 本ムコ(向日町)車、2号車は欠車です。

 

 1号車のスハネフ15 14 のみは海側が寝台、他は全て山側が寝台です。1号車のみが逆転の向き。これはメモっておくと 後の乗車時に役に立ちました。進行右向きで寝台を利用するには上り 下りどちらに乗るかってことです。

 JR東の田端機が使われていて驚きました。下関機との距離相殺のためらしい。

 

 36レ あかつき EF65 1133(下関)

 最新のEF65 は下関に配置されました。いうまでもなく関西~九州ブルトレ牽引が主任務。  

 「あかつき」も S50-3改正以前には7往復、50-3改正以降でも3往復(+季節の座席編成1往復)ありました。熊本方面の「明星」+長崎佐世保方面の「あかつき」併結列車も数往復。ですが、この訪問時には1往復のみに。

 

 36レあかつき 

 長崎1946→2116肥前山口2130→2227博多2228→2331門司2337→2345下関2350→0510岡山0512→0742新大阪  

 併結の4036レは 佐世保2009→2020早岐2029→2118肥前山口2130発

 

EF65 1133(下関)   ↑向日町方

スハネフ15-12 (14号車)

  オハ14-29 (13号車)

 オハネ15-9 (12号車)

 オハネ15-36 (11号車)

スハネフ15-11 (9号車) 以上 佐世保編成

   +

スハネフ15-19 (8号車)

 オハネ15-31 (7号車)

 オハネ15-11 (6号車)

 オハネ15-20 (5号車)

 オハネ15-30 (4号車)

スハネフ15-13 (1号車) 以上 長崎編成

 13号車は 座席(指)のオハ14,10号車・3号車・2号車は欠車。

 車両番号表記にはハイフン(-)があるものとないものが この時は混在していましたが、見にくいのでここではハイフン表記で書きました。

 

 岡山に来たら まずは一番に撮りたかったのが、高松行きのマリンライナーでデビューしたての クロ212を含む213系。

 クロ212は、帯の色が5+1色もあって、在岡山中にできればコンプリートしたい。オレンジ、イエロー、黄緑・・・(+1色とは、ゆめじ色のユニット クロ212-1001+モロ210-1+クモロ211-1)

 

 3121M マリンライナー1号 岡山(11番線発) 5:23→6:29 高松

 岡山は山陽線下りが7~9番(8番は主に赤穂線用切欠きホーム)で、山陽上りが12・13番。瀬戸大橋線は10・11・西11番(切欠き)で山陽上下本線に抱き込まれています。12番線で始発の200M(岡山5:21→6:31播州赤穂)車内から。

 

 最近 この写真をみたとき、パッと見に岡山駅とはわかりませんでした。現在のようすと全く違い、昔の雰囲気があちこちに感じられます。

 

 3121M マリンライナー1号  

 高松方1号車がパノラマグリーン車指定席、2号車が普通車指定席

クロ212-4 (1号車) ↑高松方

サハ213-10

クモハ213-11

クハ212-3

サハ213-3

クモハ213-3

クハ212-1

サハ213-1

クモハ213-1 (9号車)

 時刻表後部には全国の特急列車・寝台列車・新幹線の「編成ご案内」が掲載されていますが、快速列車でもこの「マリンライナー」は 快速「海峡」(津軽海峡線)とともに掲載列車でした。

 

 岡山から赤穂線へ直通する200M(岡山 5:21→6:31 播州赤穂)の岡山車115系(3+3連)で出発。何の変哲もない湘南色の115系だったし撮ることはありませんでした。

 200M

クモハ115-1508 ↑播州赤穂方 

 モハ114-1117

 クハ115-1078

クモハ115-1548

 モハ114-1204

 クハ115-1239

 

 西片上に 6:03に到着。さて片上鉄道はどっちか?

 西片上に着く前に 南北に走る片上鉄道と交差したのを見ていましたので、西片上駅から 赤穂線のすぐ北側を 西へ沿って並走する国道2号線をトボトボと。歩道は狭いし、トラックの通行は多いし、雨が上がった後というのもあり 難儀しました。

 片上鉄道が赤穂線をアンダークロスするあたりで細道をつたって片上鉄道線へ降り、用水路に沿って住宅街を南の方へ。しばらくすると突然あたりが開け、そこが片上駅なのでした。

 

 いるいる!クラシックな気動車たち。

 

 キハ303。もうホームに据え付けられていて、これが 6:21発の柵原(やなはら)行きに違いありません。

  赤穂線で西片上に着いてから わずか18分でこの柵原行きは発車します。時間が無いので駅構内をざっと撮り すぐ乗り込みました。

 

 検修中?のキハ802。同和鉱業小坂線からはるばるやってきた、もとキハ2100形。    

 キハ802は小坂鉄道花岡線廃止の S59年3月に入線。小坂鉄道の優秀車です。

 向こうはDD13 551。国鉄のDD13 と外観は同じですが、勾配区間で鉱石列車を牽引するため、減速機の歯車比を大きくし 100psパワーアップされて 1200PSとなっています。

 

 (以下、次号へ)

 

 

 

 

 

 

1354)

 

 

の続きです。

 

 2026.4.22 10:47 安房鴨川⑤番線から②番線への転線中(後追い)

 ③は10:21着2127M(上総湊9:00始発)のE131系4連R2(上総湊方)+R?

 

 

 10:59 安房鴨川~安房天津 E233系C3編成が上ります。

 もと 八トタH49編成の1~6号車を 号車番号を逆にふったもので、先頭1号車はクハE232-507。

 

 よくねらったつもりでしたが、メッシュの網が・・・(泣)

 

 

 

クハE232-507 (1号車) ↑幕張方

モハE232-249

モハE233-249

モハE232-49

モハE233-49

クハE233-49 (6号車) 手前 下り方(後追い)


 ここで残念なお知らせ

 GW中の5月2〜5日に予定されていた 255系の「新宿わかしお1-2号」「わかしお83号」はE257系5連に変更となりました。Be-3の不具合(故障)によるもの。発売済みのグリーン券は無手数料で払い戻しされます。

 

 E233系0番台6両編成が 黄色と水色ラインの房総色になって、本日 外房線を試運転中です。

 もと豊田車両センター(八トタ)の もとH49編成のうちの東京方6連です。H49はもともと 10両貫通編成ではなく 6連+4連(→大月方)です。青編成の6連とも異なります。

 安房鴨川②発10:55頃、1053M「わかしお3号」の到着と入れ違いに外房線を上ってゆきました。

 

 

 10:21  2127M(上総湊始発の安房鴨川行)E131系4連が③に到着。

 ごらんのように、もし前面が見えないホーム中間に立っているとすると、E131かE233 かは 区別がつきにくいです。

 

 

 

 逆光ですが 、⑥のE131系R11編成と並びます。

 R11は線路設備モニタリング装置搭載で クモハE131-81+クハE130-81→木更津・幕張方)

 

 

 

 

 

 

 ↑左:1号車、WCが設置されました。外部カメラも。

 下部に水(汚水)タンクも確認できます。排出口は両側に。

 

 

 ↑2号車 モハE232-249

 

 左奥の②番のE131は 2233M(チミ9:23→10:25アワ)→折返し 2226M(アワ10:34 →11:34チミ)で 80番台のR12です。

 見かけたいと思ったときにはなぜか来ない 線路モニタリング装置付きの80番台R11・R12編成。ですが この時点で⑥にいるR11とともに、両者が同時につどいました。

 

 ⑥はR11。助手席側に黄色いボードを置いていて、この時まさに運転士の研修中です。このときは 勝浦向きの運転台で、動作きびきびとしておりました。

 

 10:30頃、5番から2番に転線開始。

 

 

クハE233-49 (6号車) ↑安房鴨川方

モハE233-49

モハE232-49

モハE233-249

モハE232-249

クハE232-507 (1号車 WC付き) ↓幕張方

 

 今日の午後~夕方に千葉・幕張あたりで目撃できるのでは?

 

 老朽化した209系の置換えが近づいています。

 この試運転が初日なのか何回目かはわかりません。

 なお209系 6連は もともとC601~C626でしたが、もうずいぶん減りつつあります。4連は当初に比して増えており、当初C401~C442までだったのが C448まであります。(当初=2009年から配置され始めた209系2000・2100番台が揃って 113系が全廃されたとき)

 

 留置線から本線に出たので もしや発車は近いかと思われますが、発車時刻は不明。

 この時間は1053M 「わかしお3号」がまもなく①に到着する時刻。おそらく1053Mを待って発車するのでは?と予想し、安房天津方へ向かおうかと

 

 できれば走行も撮りたいもの。はたして間に合うのか?

  (以下、次号で)

 

 1352)

 

 

の続きです。

 

 1991(H3).11.26 の日立電鉄。

 大橋~茂宮間の原っぱのあと 久慈浜駅脇の検修所を見に行く前に 川中子、茂宮、南高野あたりの田園地帯をうろうろ。だんだん1両編成が増えてゆく時間になってきました。

 クルマ移動だけではつまらないので、駅付近に置いての 電車乗車も組み合わせて移動します。

 1991.11.26 7:51 常北太田行 クモハ110+クハ109←鮎川方

 茂宮~大橋にて

 

 

 8:14 100系が折返してきた鮎川行 クモハ110+クハ109→鮎川方

 

 

 8:18  常北太田行は静鉄から来た351系 

 クモハ352+クモハ351←鮎川方 茂宮~大橋

 クモハ110形には車体下部の裾しぼりがありますが、クモハ351系はストレート車体。S59年10月に静鉄からやってきました。

 この足回りは1930(S5)年新潟鐵工所製の もと鶴見臨海モハ18・19(➡国に買収後に可部線モハ1500・1503へ)のものを流用。静鉄入りはS32.8。S43.10月に静鉄長沼工場で新製車体に乗せ換えられています。日立入線時にワンマン装置は撤去されました。

 

 

 

 

 ↓西へ移って川中子~常陸岡田へ

 バックが森で いい雰囲気。

 8:53 下り常北太田行 モハ15単行(後追い)

 

 モハ13形(モハ13~16)は S10(1935)年10月 汽車会社製の日本初の総括制御システムの電気式気動車キハ1000形1001~1004。相模鉄道 茅ヶ崎~橋本間で活躍のあと、買収に伴って神奈川中央の横浜~海老名間に。その際に電動車化されてモハ1001~1004に。改番でデハ1051~1054に。S23(1948)年に日立電鉄にやってきました。

 S30年にビューゲル化、S35年にパンタ化。S40年2月の車体更新で 従来の流線形から切妻形になりました。

 

 

 どうしても乗りたくなってきたのだと思われます。ここ川中子から茂宮まで乗りました。

 川中子 8:59発のこの上りに乗ります。

 川中子のホームに入線してくるモハ12。

 鮎川方の顔が特徴的でかわいい。中央ドアは貫通路にはなっていません。

 

 9:05に茂宮着。発車してゆく鮎川行きモハ12。

 こちら側は貫通路を備えた全く違う顔。

 姉妹車のモハ11は、2両編成の常北太田方に組成されているのを朝の通勤時に目撃しましたが、このモハ12を2両以上に組成したのは(3回の訪問ですが)1回も見たことが無く、貫通路はあるものの 全く使用されてないようです。

  (以降、続きます)

 

 

 

 

 1351)

 

 

の続きです。

 大橋の架道橋で 4両編成を カメラの電圧降下で撮り逃す というくやしい思いをしたので、いっそ場所を変えることにしました。

 10レの大橋駅停車中に急いで追い越して 大橋~茂宮間の原っぱへ移動。

 

 1991(H3)11.26 7:21 10レ モハ1003+モハ1006→大甕方 

 休日運休です。 大橋~茂宮で。

 

 休日運休は 朝に以下の2.5往復ありました。使用編成は2本。

常北太田➡ 大甕 ➡ 鮎川

 6:24 →6:47-6:47→7:00

 7:09 →7:32-7:38→7:51

 大甕➡鮎川

 7:26→7:39

 鮎川➡ 大甕 ➡常北太田 

 6:26→6:38-6:38→7:03

 7:03→7:16 止

 

 ちなみに、撮り逃した4連の編成を記録しておきます。↓

 モハ1004+モハ1002+サハ1501+モハ1005→鮎川方

 中間のモハ1002は運転台撤去済みで、2+2連に分割ができず、4連固定化されたようです。

 

 

 10レの後部-モハ1003も撮りたく 振ってみましたが、本逆光でダメダメ。

 行く手の平たい部分は ここで交差する常磐自動車(E6)の築堤。日立南太田I.C.の少し北側にあたります。

 

 7:23 常北太田行がきました。もう出会えた 営団地下鉄丸ノ内線から来た2000形 

 モハ2002+クハ2211←鮎川方(右方)

 前から撮ると 前の写真のように本逆光になってしまうので、後追いのみにしました。

 

 この日が運行初日とのことで、時間から言って、この下り列車が2000形の一番列車かと思われます。

 他の編成も来ているはずで、あとで久慈浜・大甕・鮎川へと訪ねることにします。

 

 前面の行先表示器には「鮎川」とありますが これは明らかに間違いで、この列車は常北太田行。ネガのコマ順に掲載していて、左が常北太田方。

 それまでの日立電鉄の旧型車にはこのような表示器は無く、もしかしたら 乗務員氏が出発時に確認を忘れたのかもしれません。

 

 7:31 鮎川行き 

 クハ2501+モハ1001→鮎川方

 これらの旧型たちは じきに淘汰されてしまうのでしょう。

 

 

 

 

 

 クハ2501+モハ1001→鮎川方

 車体長の違いがわかりやすい。クハがモハよりも長いのは、名鉄黒野線でもそうでした。

 

 7:44 モハ2002+クハ2211→鮎川  大橋~茂宮

 7:23に下った常北太田行が折返してきました。

 

 通勤時間帯とあって 乗客は多そうです。地方ローカル私鉄が混んでいると、無性にうれしくなります。

 

 

 (以降、続きます)


 

 1330)

 

の続きです

 

 先日、NHKの人気番組「プロジェクト X」で放映されたのは、日立の最弱小部門だった鉄道事業 その下松工場の大逆転の物語ーイギリスの高速鉄道事業への参入、イギリス版新幹線 CLASS395 の開発の物語 でした。1990年代には、日立のなかで鉄道事業というのはあまり顧みられなかった部門だったそうで、日立本体の経営の足かせにならないようあっさりと廃止されてしまった日立電鉄。今さらながら残念です。

 

 2回めの日立電鉄訪問から約2年1か月、営団地下鉄から2000形が日立電鉄に転籍し営業を始める、との報が入ってきました。

 これで 愛すべき旧型電車たちが引退➡廃車解体、となってゆくのは確実。

 急遽3回目の訪問を実行することにしました。

 

 1991(平成3)年11月26日(火)に訪問。このときは夜明け前の常磐道をとばして行きました。

 

 まずは早朝の川中子~大橋間の大橋架道橋から。

 

 1991.11.26 6:35 鮎川行きの351形

 クモハ352+クモハ351→鮎川方

 2M編成ですが、クモハ352のパンタは降下中。

 

 側面の裾絞りは無く平面、裾の最下部末端に小さい Rがあります。当時の阪急や阪神の車などと同様。

 車体は もと静岡鉄道長沼工場製で、1984年10月に静鉄から日立へ転籍。ナンバーは静鉄時代のままです。

 入線当初はシルバーに青帯の静鉄色でしたが、1987年にこの色になりました。

 

 裾しぼりがないものの 113系に似た車体なのに 台車はずいぶんクラシックで重そう。あとで調べてみたら、1930(昭和5)年新潟鉄工所製の もと鶴見臨海鉄道のモハ18・19(→国鉄買収後に可部線に移動 可部線モハ1500・1503に)の足回りを流用しているとのこと。主電動機・制御器は100系(クモハ110+クハ109)と同一で、静鉄時代のワンマン装置は日立入線時に撤去されました。

 

 

  6:36 クハ2501+モハ1001←鮎川方  大橋~川中子で

 左のクハ2501は もと昭和11(1936)年製 川崎車輛製の流線型ガソリンカーキハ1形のキハ4。S15年にガソリン不足のため神奈川中央(神中)鉄道へ譲渡、大東急時代のクハ1122を経て、S22年に相鉄クハ2502に。S26年に車体改造でこの姿に。日立には S35年11月に入線し、S36年にクハ2501 となりました。

 

 同列車後部のモハ1001を後追い。もと小田急車で、小田原線全通時の 昭和2年日本車輛製。その後のうごきは前の記事に書いています。

 

 

 

 6:48 クモハ110+クハ109→鮎川方 

 S40年8月静鉄長沼工場製で、棒連結器で結ばれた2両固定編成。113系のように裾が絞られている点がクモハ351形との違いです。

 日立への入線は まだ新しい新製14年後のS54年12月。ナンバーは静鉄時代のまま。

 入線時には、このクハ109はクモハ109でした。S56年に電装解除。

 静鉄から 熊本電鉄に行った同僚が6両あり、熊本では 500系モハ600形となりました。

 

 

  6:51 大橋で交換してすぐに7レ鮎川発 常北太田行が下ります。 

 7レ モハ1003+1006←大甕方  この列車は休日ウヤです。

 

 

 モハ1003+1006←大甕方 の後追い

 

 7:17 10レ モハ1003+1006→大甕方 休日ウヤ 

 6:51に行った常北太田行が鮎川行きとして折り返してきたものです。

 

 実は この前に行った上り7:03ごろの鮎川行きが朝方唯一の4連でした。

 4両編成は一日に1往復しか無く、戻りの常北太田行は夕夜間になり暗い。走行を撮れるのはこの1本のみなのですが、なんと!寒さによる電池の電圧降下で撮れませんでした(泣 泣)その4連が目的でこのときはやってきたのですが、なんということだっ!

 ホントくやしかったのですが、ナンバーのみは記しておきます。

 モハ1004+モハ1002+サハ1501+モハ1005→鮎川方

 前回、S63年6月に鮎川電留線で見た組成そのままでした。あのとき、この4連の走行をぜったい撮りたいと誓ったのに・・・。

 

 くやしいので、いっそ急いで場所を変えることにしました。この10レのあとは単行が増えるという予想もありましたので、大橋で少しだけ長く停車する10レを追うことにします。

(以降続きます)

 

 

 

 

1349)

 

 

の続きで、1988年9月13日(火) の記録です。

 弘南鉄道大鰐線訪問のあと、485系特急「たざわ24号」で大館に15:30到着

 小坂鉄道の小坂行きは 15:05に発車してしまった時間です。次は16:35発まで無い。

 それを待ってもいいし、そうすると、

 大館16:35発→17:11小坂着→9分後に発車する大館行き最終に乗って 小坂17:20発 →17:56大館着・・・うん、本数が少ないわりには よくできたスケジュールだっ。

 

 そうなると、上野に戻ってくるのは「あけぼの2号」か「あけぼの4号」に限られます。当日の寝台券は、不覚にも 予定が未定だったので 確保してありませんでした。さらに寝台で爆睡してしまってももったいないし。

 このころの感覚では、看板列車の寝台特急はずっと残るはずだし、「あけぼの」は24系の定期が2往復、さらに臨時も2本増発されることもあるし 今後も乗る機会はあるだろう。それよりも1往復だけの座席急行「津軽」が ややもすると廃止になりそうな切迫感がありました。ここは大館→上野、と長距離を座席急行に揺られてゆく最後の機会になるかもしれない。14系座席車「津軽」に乗り納めのつもりで乗っておきたい・・・というのが優先し、上記の案はボツに。

 

 402レ「津軽」の大館発車は17:20。(青森発は15:54、上野5:54着)

 それに乗るには、小坂15:50→16:26大館、という1本前の小坂鉄道に乗らなければならない。

 大館に着いた15:30から 20分で小坂までワープできるはずもなく、どうするか??

 

 考えたあげく、中間の雪沢温泉まで タクシーをとばし、雪沢温泉→大館、の区間を小坂鉄道に乗る案にたどり着きました。雪沢(ゆきさわ) という地名にもおおいにひかれました。

 

 大館駅前から中央タクシーに乗り10Kmほど東へ走ります。T運転手とは話しこみ、料金¥2160を支払い、着いたのは16時前頃だったかと思います。

 幸い県道に近い場所に 雪沢温泉駅は位置していて、ここまで来た証拠写真(顔面は修整済) を撮り、好天の無人駅を満喫。近くの道路の通行は少なく、周囲は静まり返っていたと思います。

 

 次の大館行きは16:13発。小坂15:50→雪沢温泉16:13→16:26大館、です。

 JR大判時刻表によると、大館行きが下り、小坂行きが上りのようです。見渡したところ、温泉施設は近くにはないようです。

 

 16:13発の大館行き が山あいから顔を出しました。単行です。

 雪沢温泉駅周辺の光景を知っていたわけではないのですが、新沢(しんさわ)・小坂方に 光線がいいS字カーブがあり、幸運でした。

 

 

 

 こんな 何もない山中でもさみしくないのは 現役のローカル鉄道が走っているという信頼感があるから。しかし、もしこれに乗り遅れたらそれは大変!!

 

 ホームに停止の寸前です。

 撮った後、乗り遅れたら大変なので 合図しながらダッシュして これに乗り込みました。こんな駅から乗れただけで おおいに感動した記憶が鮮明です。

 

  キハ2101の車内。

 西へ走る車両。光線の向きから、前の方に立って後方を撮ったものと思われます。

 車掌が乗務しており、乗客は2名のみ。ドア間の中央部に4人掛けのボックスシートが左右各5組。その脇に3~4人のロングシート。そしてドア、片側2枚です。その外側にもボックスシートが左右各1組。座席定員はクロス部片側7組なので56人。ロング部が14~16人くらいかと。

 

 大館に着いたキハ2101。

 昭和37(1962)年4月 日本車輛で新造。2101・2102の2両が当初投入されました。

 S37年10月1日に改軌が完成する前は軌間762mmのナローゲージ、SLもでした。2100形は改軌時から運行開始したようです。

 車内、外装ともによくできた名車です。気動車は排気で汚れやすいですが、屋根の銀色がすばらしい。手入れの良さが感じられます。

 2100形は後に2107まで 7両の陣営となります。2104だけはなぜか故障が多かったそうで、(4を嫌って)2108に改番。

 2102・2108の2両は S56~59年に同和鉱業片上鉄道(岡山県)へ移籍、片上鉄道キハ801・802に。2105~2107は S63年にワンマン化改造、非ワンマンで残るのは2101・2103の2両で、これは予備車的な扱いとのこと。

 貨物列車はこの頃には 小坂精練での精錬過程で回収される硫酸の輸送が中心。硫酸は道路のローリー輸送では安全性に難があるため。従って 大館→小坂は空車だったかも。

 

 

 JR大館駅の南方に位置する 小坂鉄道の大館駅。

 その南側には、小坂から到着するタキ車用のヤードが大きく広がっていました。JR線とはこの西側でつながっていたと思います。

 このヤードのスペース、現在の地図を見ても そのまま大館駅の南側(御成町の南)にスペースとしては残っているようにみえます。

 

 

 小坂鉄道の大館駅 駅舎。シンプルな作りで、キハ2101の顔が改札口から ちらりと。

 ↓は S63年夏当時の時刻表です。次回は貨物の時刻も調べておいて撮りに来たい。しかし実現前に廃止されてしまいました。

小坂 ➡大館 着/発➡ 小坂

0615 →0651 / 0701→0738 ▲

0710 →0747 / 0756→0833 ▲

0805 →0842 / 0855→0931

0945 →1021 / 1200→1236

1335 →1411 / 1505→1541

1550 →1626 / 1635→1711

1720 →1756 / 1805→1841 ▲

 以上 1988.7.1現在の全7往復、使用2両。▲の3往復は休日運休。小坂~大館間は22.3Km、全区間で¥560。

 駅は、大館 岱野(たいの) 東岱野 雪沢温泉 新沢 深沢 茂内 篭谷 古舘 小坂。途中の交換可能駅は茂内のみ。

 

 

 JR大館駅構内。1番線の東端あたりで北側を見ています。

 留置は花輪線のキハ22 161。

 

 1988.9.13 17:19 402レ「津軽」が斜光をあびて大館に滑りこんできます。

 ED75 755(秋)+14系

 JR化以降、夜行急行の編成表は、JR大判時刻表でも掲載が無くなってしまいました。夜行寝台急行「銀河」も含めてです。座席専用夜行急行はもちろん、奥羽本線の臨時寝台専用急行「おが」も掲載がありません。

 

 左に屋根が見える50系は1637レ。

 北東北のヌシ-ED75 700番台+50系で、秋田14:31→17:16大館

 右の402レ「津軽」は

ED75 755(秋)↑上野方

スハフ14 6 (1号車)

オハ14 201

オハ14 126

オハ14 92

オハフ15 48

オハ14 196

オハ14 25

スハフ14 27 (8号車) 以上 東オク車

 昼前 11:45に川部で出会った401レ下り「津軽」の尾久の編成がそのまま上ってゆきます。ED75 755も同じ。

 

 明るいうちに乗車する夜行列車というのは、たいていいつも これから長~く乗れるというワクワク感と、ちょっとした けだるさ、上りの場合は これで安心して帰れるという安堵感。これらがまぜこぜになった なんともいえない感じがします。夕方明るいうちに博多から乗った「富士」、大阪から乗った17時過ぎ発の「日本海1号」、上野から乗った16時台発の「北斗星1号」・・・。今では、上り「サンライズ出雲」に出雲市あたりから乗るしか この感覚は味わえないだろうな・・


 たいてい、まずは早めにビールをプシューッと空けちゃうのですが、持ち込んだ食料で翌朝まで足りるのか心配。停車時間が長い大駅で買おうとしても 買えない場合がだんだん多くなってゆきました。売店が無くなっていたり、あっても夜間で閉店時間を過ぎていたり。寝台特急では絶対に下車駅までは買えません。

 

 米沢で 板谷峠越えのためにカマ替えの402レ「津軽」

 テールサインが文字の「急行」なのはしかたない。急行は みなそうだった。「銀河」以外は。

 

 この日はEF71 2(福) でした。誘導に従いそろそろと接近。

 一時的に爆睡していましたが、ここはシャッキリ起きました。

 

 米沢は0:28着 0:44発。

 EF71の解放は福島で、1:31着1:42発。別の交流機(たぶんED75)に替え、さらに黒磯で直流機に替えます。この日はEF65 1024(宇)でした。つごう4機が かかわります。

 

 この頃は、昭和67年の山形国体に間に合わせるように山形新幹線が出来たら「津軽」は まちがいなく廃止、といわれていました。

 

 402レ津軽 青森1554→弘前1637→大館1720→1911秋田(日本海2号到着を待つ)1931 →大曲2020→2212新庄2224→2330山形23390028米沢0044(カマ替) 0131福島0142(カマ替)0319黒磯0328(カマ替)宇都宮04180525大宮0554上野(14番)

 宇都宮から上野に向けては始発の前を走り、早い通勤でも 自由席なので使えます。他線区のようすから そういう利用も少しはあったはず。


 これが、長距離座席夜行最後の乗車に 結果としてなってしまった、、、

 

 

 

 

1346)

 

 

の続きです。

 

 大鰐線 津軽大沢駅に併設されている車両基地を見学させていただいた際、弘南鉄道に回着(甲種輸送)しているはずの もと東急7000形は 4両(=デハ7031+7032、デハ7033+7034)しか確認できなかったです。ということは、まだJR奥羽本線との接続地点である大鰐にいるにちがいないと思い、大鰐へ向かうことにしました。

 

 1988(S63)年9月13日 大鰐線津軽大沢に到着する、同駅14:04発の中央弘前行。 

 ここでは右側通行で、画面向って左側に入線してきます。

 

 手前から モハ1120+クハ2251←大鰐方 

 

 津軽大沢を発車してゆくモハ1120(左)+クハ2251(右)←大鰐方

 この2両、この年の東急7000・6000形 計10両の転入→運用開始にともない、最初に廃車されてゆく8両のグループの仲間です。訪問時にはわかりませんでしたが、翌年わかりました。いずれも1988.11.30付で廃車とのこと、

 モハ1120は、もと省電モハ30048。のちに➡モハ11018 、➡モハ11124 と改番。弘南鉄道弘南線への入線は1967年6月でモハ1120に。

 1980年に大鰐線に移動しました。

 

 同列車後部のクハ2251。

 もと富士身延鉄道のモハ101。同僚のモハ104・105とともに、1941年 買収で鉄道省の省電93000形に。(モハ101→モハ93002、モハ104→モハ93004、モハ105→モハ93005)

 1953年国鉄モハ1201に。同僚はモハ93004➡モハ1203、モハ93005➡モハ1204。

 1961(S36)年弘南鉄道へ譲渡 モハ2251に。同僚はモハ1203➡モハ2252、モハ1204➡モハ2253。この昭和36年当時は弘南鉄道は現在の弘南線しか無く、現在の大鰐線は弘南電鉄(弘南電気鉄道株式会社)という別会社でした。

 この弘南電鉄は S30年代後半から S40年代にかけて経営が悪化。ついにS45(1970)年10月1日 に弘南鉄道に買収されてしまいます。

 その約5年後の S50(1975)年11月、この3両はみな大鰐線へ移動。1982年1月、モハ2251のみが電装解除でクハ2251に。(同僚のモハ2252・2253は変更なし)

 この顔で身延線を走っていたとは! でも身延線の旧型国電末期にも、雑多な車種のなかに似た顔の仲間がいた気がします。そちらは最後まで旧型国電でしたが。

 

 駅ホームで中央弘前行きを見送ったころ、車庫側線の留置車両がパンタ上げしました。夕方の運行準備が始まったようです↓。

 

 クハ1266+モハ2252←中央弘前方

 車両の詳細は1346)の記事 をご参照ください。

 

 乗車予定の大鰐行きが入線してきました。右側通行です。 

 大沢14:16の クハ1612+モハ1122←中央弘前方 

 これに乗って大鰐へ。

 

 停止直前です、モハ1122。

 たしか手を振ってダッシュしました。

 

 大鰐の2駅手前の鯖石で中央弘前行きと交換しました。

 ここも右側通行です。画面左方へ発車してゆくモハ2253+クハ1267←大鰐方

 中央弘前から津軽大沢まで乗車してきた2両が大鰐で折返してきたものです。

 クハ1267 の雨どいが サイド、前面ともクラシックでまことに優美!!現代の車両では見られない美しいデザイン。

 

 そして津軽大沢から13分。14:29に終点大鰐に到着。

 到着前から前方に目をこらしていたら、おお!!東急車がいるいる!!

 自身の乗車電車が大鰐駅のホームに着く前に、至近距離からゲット。↓

 

 大鰐留置線に到着しているデハ7000形とデハ6000形 

 左:回送表示の デハ7039+デハ7040(奥で見えません) 

 右:試運転表示の デハ6005+デハ6006(同)。東急6000系は東急5200系に続くセミステンレス車。オールMで MMユニット方式、1台車1モーター、回生ブレーキなど新機能がもりだくさん。

 この6005+6006 はこの年、1988.10.12に改造竣工。続く6007+6008(この時点では弘南には未到着)は1989(H元).11.20竣工となります。

 

 おお!!大井町線(かつての田園都市線の一部)の「大井町」表示です。

 デハ7037+7038(→青森・中央弘前方) の向こうをEF81+タキの下り貨物が行きます。

 このS63年秋の東急からの転入は10両(デハ7031~7034、7037~7040、6005+6006)、そして翌 平成元年に追加の2両(デハ6007+6008)、計12両(2連X6本)で大鰐線の旧型車は一掃されてしまいます。

 

 大鰐のホームに停車中の クハ1612+モハ1122→中央弘前方

 下車して駅東側に出ました。東側(JR駅の反対側)に弘南鉄道の出口があり、そこから出た駅外側から。

 

 モハ1122がごつくてかっこいいので、なんとか走行を撮りたくなり、次駅-宿川原方へ向かって急ぎました。

 14:45頃、乗ってきた2両が弘前中央へ折り返します。 

 大鰐~宿川原で、モハ1122+クハ1612←大鰐方

 

 クハ1612(後追い)

 

 このあと、なんとか同和鉱業小坂線(大館~小坂)を訪ねたい。しかし小坂線は旅客列車の本数がきわめて少なく、さてどうするか?思案しつつ、まずは奥羽本線の特急で大館へ向かいます。

 

 大鰐15:03 2001Mいなほ1号 新潟9:08→15:47青森

 新潟を9時過ぎに出た「いなほ」がやっとここまで到達。この日の9時ごろといえば、まだ南部縦貫鉄道に乗っていた時間です! 

 クロハ481-1016(=8号車) 盛アオ  4M2TにMM'を増結した8連で、続くは

 モハ485-1031

 モハ484-1031

 モハ485-1060

 モハ484-1060

 モハ485-1014

 モハ484-1014

 クハ481-1006 ↑ 新潟方

 

 

 大鰐15:04 3024Mたざわ24号 青森14:23→18:55盛岡

 もと東急車とのツーショットが なんとも新鮮!! それまで大正時代~昭和初期生まれの弘南旧型車ばかり(戦後製造は皆無)でしたから。

 

 クロハ481-1004(指定席)  ↑大曲方 秋アキ車 

 モハ484-1080(自由席)

 クモハ485-1005(自由席/禁煙)

 

これに乗って15:30大館着。JR東きってのローカル特急ですが、本線とあって速度は速い速い!

 (以下、次号へ続きます) 

 

 

 かつて、183・189系(幕張のグリーン車付きC編成など)が臨時列車や団体臨にも使用されていたころ、「かつうらひな祭り」「勝浦ビッグひな祭り」などの名前で臨時特急が外房線全線を走破していました。運転開始当初(1990年代前半ごろ?)は、種別は快速だったような気がします。運転日は、おおむね3月3日(ひなまつり・桃の節句)の前の2週間のあいだの土休日が中心。

 しかし、やがて勝浦止まりとなってしまい、勝浦~安房鴨川間では見られなくなりました。183系引退後にはジョイフルトレインが使用されることもあり、参考に 2016年の春臨では「リゾートやまなみ」が使用されましたが、このときもすでに勝浦止まり(運転区間は東京駅~総武快速線経由~勝浦)となっていました。列車名は 特急「かつうらひな祭り1・2号」。

 10年前のこの年は、大宮発着 武蔵野線経由の3・4号もあり、そちらは253系大宮車の6連。いずれも勝浦まで。留置は勝浦側線。

 

 それから時は流れ、久しぶりに勝浦~安房鴨川間に「かつうらひな祭り」を冠した特急が帰ってきました。ただしダブルネームで、列車名は「新宿わかしお81号(かつうらひな祭り)」(上りは同82号)というもの。

 この列車名は昨年もそうでしたが、ずっと勝浦が終点→勝浦側線に留置→そのまま折り返しで上りへ、というものでした。

 

 なお、「新宿わかしお」に号数(1・2号)がついたのは 2024年3月のダイヤ改正から。それまでは号数がないので、下り・上りの区別が列車名ではわかりませんでした。もちろん81・82号の臨時は無く、かつひなは独立した列車:特急 「かつうらひな祭り」号で東京~勝浦間。(後年には新宿~勝浦間)

 それが、今年は 増発された「新宿わかしお81・82号」と統合されたかたちで、新宿~安房鴨川間、となりました。列車名は昨年も同じダブルネームですが、勝浦~安房鴨川間 延長というのが目新しい。

 

 さて、前面表示はどうなるか?見に行ってみました。「かつうらひな祭り」の表示が出ればすばらしいのですが、見込みは薄そう。

 

 まずは「新宿わかしお1号」から。

 

2026.3.1(日) 9:34 9051M~9053M新宿わかしお1号 新宿7:22→9:36安房鴨川

 晩冬でも線路わきの雑草が高い。わかっていましたが、前面表示目的なのでまあいいか。

 NB-19 クハE257-519

 

 回9054M NB-19 クハE256-519 黄緑の回送表示。 

 折返し「新宿わかしお2号」までのあいだに 回9054Mが運転されるか ちょっと心配でした。安房鴨川の電留線が空いており、転線作業可能な5両編成なので、日によっては4番線に入ることもあるらしい、ときいていたので。

 通常 5番線には1055Mが、6番線には2231M(E131系2連)が入ります。

 この日は 回9054M(安房鴨川→安房小湊)が運転されました。たしか待っていても空振りの日も以前ありました。

 

 安房天津駅起点側のホーム末端です。

 電光表示は陽があたると見えにくいので、逆光か半逆光のところをさがしてここになりました。練習電です。

 

 2233M 上総一ノ宮9:23→10:25安房鴨川 E131 R10

 E131系は たいてい上総一ノ宮行きか木更津行きなのですが、朝晩の一部に安房鴨川発着、館山発着、上総湊発着があります。これは安房鴨川行きで、接続する内房線方面(2127M~2130M)とともに安房鴨川で双方へ折り返しとなります。

 

 

 この日メインの 9091M 新宿わかしお81号(かつうらひな祭り) NB-15

 表示は「新宿わかしお」でした。やはり というべきか。

 

9091M 新宿8:36→千葉9:20→10:16勝浦10:17→10:46安房鴨川

 安房小湊は通過ですが 上総興津は停車します。他に御宿も。

 蘇我を発車すると、次の停車駅が御宿と、44分 61.6Kmノンストップ。この間の表定速度は84Km/h!

 

 

 安房天津では 2226M上総一ノ宮行きとの交換で3分停車(10:37~10:40)

 

 10:39 2226M R10が入線

 

 この「新宿わかしお81号・82号」は、通常は木更津で前夜から停泊している「さざなみ4号」(土休日運休)用 E257系5連の間合い運用です。

 従って、前日が平日のときは 木更津7:03発 回9102M→8:30新宿、と回送。

 前日が土曜・休日のときは幕張出区で、津田沼7:50 回9336M→8:30 新宿、という回送。9091Mの新宿発車は8:36なので、時間がけっこうきつきつ。ダイヤ乱れがあると 遅延が心配になります。

 安房鴨川での 上り82号までのインターバルはどこにも回送されることなく 側線に留置、おそらく4番線へ。それがあって、シクわか1号 は回9054Mで逃げたものと思われます。