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「ちょこざっぷ」に行ってきた!(11週目)
2024年版の灘中語句教材ver.3を、BASEにリリースしました。なんとか今年の入試前に、最後の更新が間に合いました。ver.2以前を購入済みの方は、お手数ですが、再度、ダウンロードお願いします。変更点は、「ことわざ・慣用句編」の中にある「身体の一部編」への画像フラッシュ(合計45~60分くらい・画像1300枚・穴埋め編もあり)の追加と、教材の全面改訂(63ページから73ページへ)です。あとは、「意味編」もちょこっといじりました。また、「四字熟語編」画像フラッシュの「穴埋め編」も追加しています(教材中のリンクから画像フラッシュに飛ぶ→概要欄に穴埋め編へのリンクがあるので、そこから飛べます)。
画像フラッシュは、外来語・四字熟語と合わせて3時間くらいになりました。穴埋め編も入れたら、その倍です。画像枚数=画像化した語句の数は4000くらいでしょうか? 味気なかった教材が、少しずつ形になってきました。
2025年版も、今年の夏以降にリリースしますが、2024年度以前のバージョンを購入していただいている方は、無料でアップデート(再ダウンロード)が可能です。なので、ご購入をご検討いただけるなら、早めの方がお得です。
71日目(月):午後7時
2月5日。寒いです! 今日も300キロカロリー消費しました。30分のうち20分くらいは、傾き8速度9で走りました。
受験指導で難しいのは、生徒に自分自身のことが見えないときです。最近の子は、意見をしっかり主張するように見えますが、その言葉が自分自身から遊離した、単なる一般論にすぎない場合も多いです。どんな言葉も完ぺきではありません。言葉というものの性質上、ある部分を取ればある部分が見落とされることは、仕方がないことです。だから、何に対しても、「いや、でも……」と、反論ができます。その言葉が、どのような意図で、どのような状況の、どのような人に向けられたものかをふまえて、初めて少し焦点が合って来るのです。反論を急ぎすぎると、その言葉が自分へ向けられていることを忘れがちです。
見えないのは、目を背けているからでもあります。先生が指摘しなければいけない部分は、その子にとって恥部です。プライドの高さは弱さと紙一重であるため、何か指摘されると腹が立ちます。それでも、その言葉を聞けるのか、そこにその子の成長の鍵があるのですが、先生と生徒の間に信頼関係がない場合、そこから先へは導けません。先生はしょせん先生にすぎません。社会的な地位もなく、将来性もなく、魅力もないが、正しいことだけを言う存在。そんな相手のことを聞けるでしょうか? 内心で先生を見下しているようなときに、その言葉は聞かれません。自分のことを分かってほしい、自分はそういうつもりではない、というように、先生の理解力への不信が前面に出てしまうときも、その言葉は聞かれません。
たとえば、国語の答案に対して、「ここがちがう」とコメントを書いたとします。それに対して、「私はこういうつもりで書いたのに、この先生はバカだから、理解できていないのではないか?」と不信感を持つ。それを察した先生は、「あなたの意図はわかるが、それは答案からは伝わっていないよ」と諭す。しかし、「伝わっていない」のは、先生がバカだからではないか? そう思うとき、先生がいくら言葉を費やしてもムダです。「この先生は期待外れだった」のです。
聞かれないとき、どうするのか? いったん、関係を作り直すしかないでしょう。そんな悠長なことを言っていられないとき、どうすればいいのか? そんないくつもの問いが、どこまでも無数に分岐していきます。どの選択肢も良くないときは、その中で最善のものを選ぶのではなく、選択しないことも必要です。
「じゃあ、好きにすればいい」「はい、好きにします」という決断によって関係が終わってしまうのか、それとも、相手の言葉に何か感じるところがあって成長できるのか。背後には川があり、眼前に壁がそびえる、その境界線。そこに立っていると、前に進むために行動するよりも、終わらせてしまう決断をするよりも、目の前の相手と言い争う方が楽だと感じるもので、今そんなことで喧嘩しなくても……というような親子喧嘩が起きたりします。そうなってくろと、その子の伸びしろは消えてしまい、合否が手に取るようにわかってくるのです。力が足りない子で、教えているこちらが、ヒヤヒヤもドキドキもしない子は、合格しません。先生にいくら力があっても、力の「価値」を決めるのは、生徒自身です。
どんな生徒であっても生徒でなくても、こういう状況の子を教えていたなら、一番よい機会を見計らって、一回だけ、「あなたの状況はこうだよ」と伝えることにしています。これは賭けです。だから、二回目はありません。他人の言葉によってではなく、経験を通して、自分の未熟さを選ぶ不器用さも、また、一つの生き方です。教えることの無力さをかみしめつつ、不合格になるのをわかったうえで、受験に送り出したいと思います。
がんばれ、自分は特別だと思いたいので傲慢にふるまうが、特別だと言い切る自信も持てないので打たれ弱い、そんな平凡な愛すべき受験生たち。
72日目(火):午後11時
2月6日。速度9、傾き6で20分くらい走りました。ひさしぶりに単語帳をやると、やっぱりかなり抜けていました。
兼本浩祐の『普通という異常』は、本来的な自己を目指そうとする昭和の人物像と、「いいね」を求めてSNSで四苦八苦する令和の人物像を対比します。そして、デカルト的な自己探求が昭和の哲学だったのに対して、「いいね」を求めるのが令和の哲学だと述べています。しかし、そこにはねじれがあります。昭和にも、「いいね」を求めて滅私奉公する人たちは、たくさんいただろうに……。令和にダス・マン的哲学が生まれたのではなく、筆者が昭和の時代にダス・マンの側にいなかっただけです。昭和の時代は、「太った豚よりも痩せたソクラテスであれ」という考えを、世間一般の人たちが支持していたなんて……。いつの時代でも、ソクラテスなんて少数派に決まってるでしょう。
自己探究的なハイデガーとの対比で、奥行きのないウォーフォルを挙げています。しかし、ウォーフォルこそ20世紀後半の象徴的な人物です。筆者は20世紀前半と後半の対比を、昭和と令和の対比であるかのように描いてしまっているのです。
73日目(水):午後7時
昼に行こうとしたら混んでいて空いておらず、この時間に行きました。住宅街にあるので、夕ご飯の時間帯は空いています。また、久しぶりに外も歩きました。10キロくらいですが、やっぱり寒かった。
74日目(木):午後8時
やっぱり混んでます。よほど近くに住んでいない限り、行ってみたら満席で……ということになりがちで、だんだん使い勝手が悪くなってます。もう一軒くらいできてほしいですね。あと、器具はかなり故障しています。
75日目(金):午後8時
2月9日。入試問題を解きながら、20分歩きました。国語の答案を作るときに、本文中の要点をつないで、何か書くというふうに思っていると、力は伸びませんね。本文中の要点を見つけることは、比較的簡単です。その内容が理解できていないのに、「~が重要である」というような「筆者の口ぶり」から、要点を探し出せる子がいます。そして、だいたい線部のある段落の前後から要点をかき集めて、何となく書いて部分点をもらう。
要点が見つかっているのだから、あと一歩のような気がしますが、このタイプの答案の子は、文として構成することができません。同じ内容が別表現でくり返されていても、それが別内容に見えてしまいます。また、要点同士の因果関係などを理解していないので、意味不明な答案になります。
逆に言えば、内容の重複があったり、対比がA:BではなくA:B:Aになったり、因果関係や「てにをは」があやしい答案は、理解していないままコピペしただけの答案と同じものとして受け取られるので、注意する必要があります。
76日目(土):午後8時
2月10日です。今日は神戸女学院のコンサートに行ってきました。その後、20分、速度8で歩きました。体重が減ってたので、ケンタッキーの40%オフパックを買って、食ってやりました。
77日目(日):午後6時
2月11日です。20分だけ走りました。最近、リハビリ中の男性たちをよく見ます。たしかにちょうどいいかもしれません。
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・慣用句(テーマ別)の画像作成に取り掛かっています。