番外編はこちら
中学生の時、姉が行ってた塾にイヤイヤ行き始めた。
どの高校を受けるか決める時期になって、塾長にとある高校を勧められた。
総合学科で割と自由な校風。
私にあってるんじゃない?って。
ただし、学区外。
電車で片道小一時間。
パンフレットを見て私はこの高校にとてつもなく惹かれた。
通学に時間がかかるのは特に気にならなかった。
中学校の担任の先生にも相談した。
学区外でも受験は可能。
学力があれだったので、推薦で受けたい。
学区外なら推薦の方が有利とかってのもあったかも?
でも学力があれな分、成績もあれやから本来なら推薦を貰えるような立場ではなかった。
担任の先生めちゃくちゃ頑張ってくれたらしい。
何とか推薦をもぎ取れた。
受験の日。
酷い雨風で面接官の先生の声が聞き取りづらかった。
その分、先生にも私の声は聞こえにくかったと思う。
っていうか校舎古くて建付け悪すぎんねん。
でも、面接が終わったあと「いけた!」っていう謎の自信はあった。
結果発表の日、母と合格者の番号が張り出されてる所へ行った。
何回みても私の番号はなかった。
母は「面接は良かったけど、中学の成績がな。部活ばっかりじゃなくて勉強ももう少ししてたら絶対受かってたんちゃう?」って慰めにならへん言葉をくれた。
めちゃくちゃ泣いた。
悔しかった。
担任の先生がせっかく推薦くれたのに申し訳なかった。
それでも諦めきれへん私を見兼ねて母が提案してくれた。
まず地元の公立高は4つ。
大抵の人が同じ私立の滑り止めを受ける。
ランクで言うと
公立h高校(バリバリの進学校)
--------越えられない壁----------
公立u高校
--------越えられない壁----------
公立s高校
公立a高校(夫の出身校)
--------越えられない壁----------
私立s高校
ちなみに私が受けた学区外の公立k高校は地元の公立s高校と同じくらいの偏差値。
公立a高校はk高校と同じ総合学科もあったけど、あんまり魅力を感じなかった。
でも、地元で行くなら学力的に選べるのはsかa。
sは姉が行ってたけど、ヤンキーが多そうな感じやったから絶対行きたくなかった。
みんなスカート短すぎ。
余談やけど、この頃からs高校は荒れていき、逆に数年前まで荒れていたa高校は生徒指導が厳しくなっていたらしい。その結果、私たちが高校卒業した後にs高校とa高校の偏差値が逆転したんだとか。a高校に行った幼なじみが服装検査が厳しすぎるってよく愚痴ってた。
そこで、母の提案。
とりあえず公立はa高校に出願しておく。
受験者数を見てk高校が定員割れしてたらお母さんが手続きしてあげるからk高校に変更しよう。
滑り止めは予定通り私立s高校。
それで一応私も納得した。
運命の受験者数発表の日。
母とパソコンを見て狂喜乱舞した。
k高校がなんと定員割れ!
無事に私は第1志望校を一般入試で受験することが出来た。
あんまり真面目に勉強した記憶はない。
ただ、「行きたい」という気持ちだけは人一倍強かったと思う。
合格発表の日。
母が校門前で立ち止まった。
「何してんの?」
「お母さん怖くてよう見に行かんわ。推薦の時のことを思い出す。」
「じゃあ私1人で行ってくるわ。」
母を置いて1人で校門を抜け坂道を登っていく。
人だかりの間を割っていって番号を探した。
5回くらい見直した。
ある。
番号がある!
坂道を駆け下りながら母に見えるように両手で丸を作った。
母には通じひんかった😅
「あった!番号あった!」
「え、ほんまに?」
「見間違いじゃなかったら合格してる!」
「なんやそれ。」
母ともう一度張り出された紙の前へ番号を確認しに戻った。
見間違いじゃなかった。
こうして無事に行きたかったk高校へ入学することが出来た。
あとからa高校を受験した幼なじみに話を聞いた。
k高校が定員割れしたのは、何故かk高校の学区の人達がこぞってa高校に出願したかららしい。
結局a高校は100人近く受験に落ちたんだとか。
その倍率で受かったのまじすげーな!
ちなみに、k高校も出願先を変更した人が何人かいて1人だけ落ちたらしい。
私がその1人にならなかったのはひとえに部活のおかげ。
私個人の実力はともかく部としてそれなりの結果を残していたおかげで合格点が引き下げられていたらしい。
まあ行きたいとこ行けるんならなんでもいいよ。
地元からk高校に行った子が私の他に3人いた。
そのうち2人は隣の中学出身の子で、私が幼稚園の時に引っ越していなければ同じ小学校中学校になっていた。
nさんとkさん。
もう1人は少し離れたところにある中学校出身。
私たち4人は同じ塾に通っていた。
少ない人数で地元から隣町まで通うからと初めのうちは4人で一緒に電車に乗って登校していた。
nさんとkさんはめちゃくちゃ仲が良くて私ともう1人の子はずっと無言。
それでも私はその2人とまだ漫画の話とかができたからましだった。
もう1人の子は学校に慣れてほかの友達ができると自然と離れていった。
学校では3人と違うクラスだった。
同じ教室には知らない人ばっかり。
完全アウェー。
学籍番号の順に席が並んでいた。
「い」から始まる人が多くて私は初めて学籍番号が2桁になった。当時は「え」から始まる名前だった。
喋れる人がいなくても特段困ることは無かった。
昼休憩以外は。
時々後ろの席の子が気を使って声をかけてくれたりはしてたけど、基本ぼっち。
1ヶ月くらいほぼ毎日1人で弁当食べてた。
他のクラスに行けば地元が同じ子はいるけど、そこまで親しくないしなと行く気になれなかった。
4月が終わる頃、さすがにこのままぼっちはヤバいやつみたいやんなと思って真剣に気が合いそうな人を探し始めた。(遅すぎ。)
移動教室の時にたまたまクラス内を見渡してピンとくる子達がいた。
すかさず声をかけた。
快く受け入れてくれた。
yとaさん。
なんだかんだこのふたりとは3年間付かず離れずの距離でいることになる。
部活は即決で吹奏楽部に入った。
しばらくしてから通学の時にnさんが漫研に入ると聞いて私も興味本位で入ることにした。
吹奏楽部優先にしてたから幽霊部員。
漫研はnさん以外知り合いがいなかったしほとんど参加していなかったのでnさんが辞めた時に一緒に辞めた。1年くらいは名前はあったんかな。
文化祭の時だけ唯一ちゃんと参加した。
当時好きだった漫画の絵を模写して1枚だけ漫研で売りに出していた。母親を人体錬成して手と足無くして取り戻す旅に出るっていうあれの主人公。
吹奏楽部の方が終わってから、漫研の教室に行くと私の描いた絵はなかった。
売れたのか捨てられたのか誰かが持ってるのかは未だに不明。
その漫研で何回か顔を合した子と2年になってドンパチすることになる。
吹奏楽部の方はというと、とにかく人数が少ない。
中学の時の大会のために全力を尽くせ!みたいな感じは一切なくて、みんなで楽しく程々にやりましょうみたいな緩い雰囲気だった。
Twitter @imakokojima