前回の続き。





1年生の夏が終わってから、文化祭に向けての練習が始まった。





3年生の最後の舞台。






唯一、1年から3年までの全員で演奏する舞台でもある。







コンクールより気楽に、でも吹奏楽部としてのプライドを持って望んだ演奏会。






私は厳しかった3年の先輩と離れられるという安堵の方が大きかったかもしれない。






3年生が引退した後、しばらくして2人居た2年の先輩のうち1人が部活をやめた。







本来、やめた先輩がするはずだったピッコロのポジションに穴が空いた。






私たち1年が先生呼ばれ、順にピッコロを吹いてみろと言われた。





ピッコロもやってみたかった私は嬉々として吹いた。





後日、先生から先輩経由で私がフルートとピッコロを兼任するようにと言われた。





嬉しかった。







春になって進級した頃、その年のコンクールの自由曲が決まった。






「ダフニスとクロエ」モーリス・ラヴェル作曲






木管楽器にとってとても大変な曲だった。






フルートやクラリネットが12連符を掛け合いながら低音のメロディが続く。





そのうえで小鳥がさえずるようなピッコロのソロ。






さすがに全部は…ということで、前半は私、後半はM先輩がやることになった。







この頃、Nちゃんも突然部活を辞めた。




フルートパートはM先輩とRちゃん、私の3人になった。







まずは楽譜通りに吹けるように、私なりに練習した。












夏を目前にして、一通り曲を流せるようになった頃、k先生の無情な宣告が私を貫いた。





「カット。」






ソロは全てM先輩がやることになった。







M先輩は要所要所でフルートとピッコロを持ち替えて、フルートのファーストが抜ける分をRちゃんが吹いて、その分のセカンドをクラリネットなど他の楽器にカバーしてもらうことになった。







私が手に持っている楽器はピッコロだけなのにソロもなく、フルートに持ち替えることも許されず、惨めだった。




惨めで、辛くて、居場所が無くなるのが怖かった。




どうすればいいのかも分からなくて考えないようにしていた。







その夏のコンクール、課題曲がk先生の得意なマーチであったこと、「ダフニスとクロエ」という曲の力も合わさって金賞を取る事が出来た。







県大会にも進むことが出来てみんなで泣いた。




今度は嬉し涙だった。





その年からk先生の念願だったマーチングも本格的に始めた。




みんなで隊列組んで歩きながら楽器吹くやつ。





早速外部コーチも呼んだ。





イケメンM先生。





マーチングのために私は人生で初めて腹筋を鍛えた。





最初は1回も起き上がれなかった。






家でもお風呂上がりに毎日腹筋をやった。





座奏の練習に加えて外でのマーチング練習。





夏休みは休みなく練習し、そこいらの運動部よりも真っ黒に日焼けして、日焼けしすぎて水脹れができることもあった。





休み時間の度に日焼け止めを塗っても汗で流されてあんまり意味がなかった。







マーチングの練習は座奏とは違う意味でキツかった。




もともと私は運動音痴で体力もない。





1歩踏みだす大きさも細かく決まっていて、その感覚を体が覚えるまで1歩目の練習だけが続いたこともあった。




5メートル8歩。



徹底的に叩き込まれた。





普段の練習で使っていた中庭ではマーチングに必要な50メートル×50メートルが取れず、野球部やサッカー部が休みの日にグラウンドで練習した。




楽器を持っている時に野球部のボールが飛んできたらみんなでガン飛ばしていた。






マーチングの大会では、先生はそばで見守るしかできない。





のちのち、先生は自分が今まで経験してきたコンクールの中で1番怖かったと話していた。





大きな体育館で行われるマーチングの大会は、360°観客に囲まれている。




審査員が見るのは正面から。




学校によっては正面から見ると綺麗に揃っているけど、横から見るとバラバラ、なんてところもあった。





うちの先生はそんなにあまっちょろくないから、どこから見ても完璧を目指していた。





おかげで、金賞。



初出場にして関西大会まで進むことが出来た。
マーチングは参加校がまだ少なかったから県大会から始まる。




部としての成績は良かった。






個人としては…




k先生は私みたいな落ちこぼれを汚いゴミを見るような目で見ていた。




たぶん、私も先生を見る目つきは悪かったと思う。





それでも私はその場所にしがみついて離れられなかった。







その象徴のように、親に駄々を捏ねてフルートを買ってもらった。







そのきっかけになったのが、1年の時から使っていた学校のフルートだった。





先輩たちが大事にしてきたフルート。



私の時に一気にメッキが剥がれてしまった。




周りの人全員から私の手入れの仕方がなってないからだと怒られた。




先輩に言われた通りにしてるのに。



大事にしてるのに。





あーあ。歴代ファーストを担うような先輩たちが使ってきた楽器やで。まゆちゃんが全て台無しにした。





そんなことも言われた。




文句を言われるのが嫌で、でも辞めたら逃げ出したと思われそうで母にわがままを言った。






今思えば既に居場所なくなってない?とも思うけど、その時はなけなしのその場所にしがみつくのに必死だった。





辞めれば、学校に居場所が無くなると思い込んでいた。






辛い。怖い。




そんな気持ちをひたすら封じ込め続けた。