第五福竜丸の歴史を語る | 野人エッセイす

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ネットでニュースを見たら、ゴーリキ会長の画像が出ていた。

逝去には早すぎるが・・と思ったら、講演の記事。

 

1954年に米国の水爆実験で被ばくしたマグロ漁船「第五福竜丸」の改造作業を担った三重県伊勢市大湊町の強力造船所(現ゴーリキ)の三代目強力修さん(71)の講演会が4日、母校の市立厚生中学校で開かれた。・・・・・

 

船を水産大学の実習船に改造する際、被ばくを不安がる周辺住民から作業中止を求めるビラが貼られたり、銭湯で従業員がほかの客から「放射能がうつる」と差別的な言葉を受け、利用を断られた・・

 

「第五福竜丸」の歴史を語る 改造作業を担った造船所の3代目が講演 伊勢 (msn.com)

 

 

会長は、ゴーリキマリンビレッジの地主であり家主であり、野人の母校・東海大・海洋学部・船舶工学科の先輩で、ゴーリキの名は強力造船所が由来。 強力姓は九鬼水軍の末裔であり、織田信長の火矢を通さない装甲船もこの地で建造された。

造船所は休眠会社、造船所の跡地は一部(株)ゴーリキの工場、マリーナを含む大半の敷地は野人の会社・桜自然塾が活用している。

 

施設はトイレ桟橋に至るまでバリヤフリー、非営利事業として施設を開放、身障者の為のヨットクラブ・「セーラビリティ伊勢」を開設、初代会長を務めている。

 

会長は、ヤマハを退職、事業とは無縁の山奥に籠って地球物理の探求を志したお野人を強引に現世に引き戻し、1万㎡の造船所跡地の活用を依頼した人物であり、開設以来そのパートナーシップは続いている。

 

 

 

ゴーリキ株会長 元料理長

 

 

 

 
 

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