学ぶ目的 野人の微学 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

 

 

学問を学ぶ目的はそれぞれで、はっきりした目的から興味や何となくなど多彩。

テーマ「野人流学問のススメ」に野人思考順路を書き続けたのは、常識とは正反対の野人理論を解読するのに必要だったからだ。

習い覚えたこれまでの思考では迷路に入ってしまう。

 

「争いのない世界」‥最近の心境を書いたが、歴史上誰もやれなかった永遠の課題にどのように挑むのか、野人原人得意のセリフだが、勝算無くして心意気だけでやれるはずもなく、断言出来るはずもない。

断言したのは既にやり始めて手ごたえを感じているからだ。

 

ここまで来るのに半世紀以上を要したが、幼少より思考順路が間違っていたら来られるはずもなく、間違っていなかったからたどり着けた。

 

本能で判断したものはほぼすべて間違っていなかった。

親が、学校が、社会が、友人が何と言おうが貫き通した。

学校の教科はその大半が役に立たないと理性で判断、まともに読まず高校では幾つかをボイコットした。

 

知識の大半は不要で、社会に出てから必要であれば辞書などで調べれば済むこと、学校でやることではない。

高校一年、16歳の時にはっきりと担任にそう言った。

 

名称、地名人名年代、出来事、法律、漢字など、覚えてもすぐに忘れる野人には役にも立たず、因果関係や物理的仕組みを徹底して自然界から学び続けた。 それは社会に出てから益々拍車がかかった。

 

目的をもって必要だと判断したことを好き嫌い関係なくやり続け、不要な知識は一切頭に入っていない。

ここまで十代から初志貫徹すれば仕組みは繋がり続け、渦巻きのように連結した理論が生まれ、やがて球体理論にまで膨れ上がった。

 

十代から自分で考え、組み立て続けたからやれたのであり、既存理論を肯定、前提にしていたら出来なかっただろう。

生命に関する学問は間違っていると判断、原人もまた同じで十代より野人と同じ道を進み、東大と日本を捨てて海外へ飛び出した。

 

学ぶ目的は、理解し使いこなして社会に役立てる為だった。

だから理がないもの、使えないものは躊躇なく捨て去った。

捨て去ることで野人理論は誕生したのだ。

 

捨てずに覚え続けたとして、いくら頑張っても辞書や電子辞書やパソコンには敵わない。

今は必要な知識はパソコンから豊富な情報を引き出せる。

こんな時代になるとはだれも予想しなかっただろう。

 

やりたいこと、好きな事、好きな学問を選ぶ選択肢などなく、教わったことをそのまま頭に入れる選択肢もない。

どちらかと言えば、好きではないこと、どうでもよいこと嫌いな事を学び、やり続けたほうがはるかに多かった。

狩猟民族の野人にとって農業はその代表だな。

 

狩りの技と知恵や野人流自然科学・地球物理学が農業に向かうとは13年前までは夢にも思っていなかった。

好きだからではなく世の中に必要だからその方向へ向かった。

23年務めたヤマハを退職した理由も山の中で地球物理学探求、それを役立てる為であり、この会社を興した理由も同じだ。

 

個々の美学‥色々あるが、これは学び方における野人の微学。

目的の為とは言え、社会に出てからもここまで好きでもないことを徹底してやるのは一般には受け入れ難く、参考にもならないだろうから美学ではなく謙虚に「微学」・・だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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