現象のメカニズムを追求する科学に対して、野人は生命に関して独自の理論を展開している。
科学書をさほど参考にもしないのは、それらを野人思考で解こうとしても物事の理・物理になっていないのだ。
一般科学物理と野人物理の差は、見ている世界も用い方も違うからだろう。
何故生命が誕生したか、何故意志をもって動けるのかは神秘のままでもよいが、生命活動には動力が必要。
それなくして動物がなぜ動くのか、植物が何故育つのかもわからない。
それを解明しようとしている。
小学校の時から続いた「何故」は今も変わらない。
重力で必ず物質が落ちるように、何の力で動物が動くのか、水にも潜り空も飛べるのか・・
完全な結果が出て人々の助けになればそれで良く、間違っているかどうかは後世の人が判断すれば良い。
仕組みを表す適切な言葉が見当たらなければ適当に作れば良いのだ。
答なくして方程式は成り立たないから明確に示すが、それが本意ではない。
答などたいして役に立つものではなく、理論を使いこなすには順を追って道理を理解する事が重要、だから簡潔に要点をまとめれば1回で済む記事が長くなってしまう。
早い話、簡潔に、要点を・・などは一般報告に言えることであり、物理に関しては思考の妨げになるだけだ。
既に理論を理解、使いこなしているならそれでもよいのだが・・
役に立たない無駄なことは書かない、これが省エネお野人の信条。
急がば回れと言うが、周囲が努力して回り道するケースは一歩で跨ぎ続け、周囲が言葉で簡単に片づけて一歩で跨ぐケースは途方もないほど回り道して来た。
道理が理解出来れば余計なことを覚える努力は必要なく、そこに道理がなければ自ら築き上げようとした。
理に徹したその思考は十代から今日まで続いている。
使いこなして役立たせることが学ぶ目的だったからだ。
だからこそ、野人エッセイすというおかしなブログが書ける。
間違いなく、現在の学問の在り方は間違っている。
だから目の前の困っている人達も助けられない。
原人が「日本から学ぶこと」が無くなり、野人が「本から学ぶこと」がなくなったのはそれが理由だ。
今は2人とも素直に自然界から学び続け、未知の分野を試行錯誤しながら切り開こうとしている。
終わりは永遠にない。
先日原人と電話で3時間ほど話した
日本における協生農法実験の具体策が大半だが・・
うなぎの粘膜と地下水の持つ魔力の話に熱中
ブログはしっかりチェックしている
しかし、これほど大規模な実験・・大変だな
時間もないし 場所も未定 人使いの荒い奴だ
肉離れ 全治3週間の予定だったが・・
ムーゼの杖を過信して歩きまわったせいか治らん
アイタ・・と言う度に ちょい腫れる
5日で普通に歩けるようになったのだが・・また
筋肉と足首を自転車チューブでガチガチに固定
猫のタマ子がやって来て 足をすりすり・・
ムーゼの杖を手に お野人始動
タマ子 む~さん 頑張るからね
電気が体に及ぼす影響
http://ameblo.jp/muu8/entry-11534477483.html
http://ameblo.jp/muu8/entry-12005215402.html
翌日も翌々日も タマ子はやって来た 足すりすりに・・
出かけるぞ 早よ出らんか・・
あのな・・ 聞いとるのか